大阪高等裁判所 昭和45年(ネ)498号 判決 1975年12月02日
控訴人
谷本俊允
控訴人
谷本ます子
右両名訴訟代理人
井関和彦
外三名
被控訴人
大阪府
右代表者知事
黒田了一
右訴訟代理人
道工隆三
外四名
主文
一、本件控訴はいずれもこれを棄却する。
二、控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
(控訴人ら)
1 原判決を取消す。
2 被控訴人は控訴人谷本俊允に対し金一〇〇万円及び内金三〇万円につき昭和四〇年五月二九日以降、内金七〇万円につき昭和四四年一〇月一日以降各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人は控訴人谷本ます子に対し金五〇万円及び内金二〇万円につき昭和四〇年五月二九日以降、内金三〇万円につき昭和四四年一〇月一日以降各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
との判決及び仮執行の宣言
(被控訴人)
主文同旨の判決
第二、当事者の主張及び証拠関係<略>
理由
当裁判所もまた控訴人らの請求を失当と判断するものであり、その理由は次のとおり付加訂正するほか、原判決理由説示と同一であるからこれを引用する。
一原判決一五枚目表末行目の「共謀して」の次に「昭和四〇年三月三日午後三時頃、同原告方において」を、同裏三行目「逮捕し、」の次に「同原告(控訴人俊允)が」を各そう入し、同五行目「原告俊允を」を削り、同六行目「した」を「された」と訂正する。
二同一六枚目表二行目と三行目の間に次のように加入する。
「ところで、被疑者を逮捕するには、あらかじめ発せられる令状によるのが原則(通常逮捕)である。検察官、検察事務官または司法警察職員は、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるときには、裁判官のあらかじめ発する逮捕状により、これを逮捕することができる(刑訴法一九九条一項本文)。裁判官が逮捕状を発するには、相当な嫌疑の有無の判断のほか、逮捕の必要性の有無の判断をしなければならない。明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、逮捕状を発してはならない(同法一九九条二項但書)。すなわち、通常逮捕の要件は、実質的には、逮捕の理由(相当な嫌疑)と逮捕の必要性の存在することであり、形式的には、あらかじめ法の定める請求手続により適式の逮捕状の発付を受けることである。そして、逮捕の理由と必要性の存在は、逮捕状発付の要件であるとともに、現実の逮捕行為の要件でもある。
したがつて、捜査機関が特定の犯罪の嫌疑と逮捕の必要性がないにも拘らず、これらが存在するかのように証拠資料を作り出すなどして裁判官の判断を誤らせて逮捕状の発付を受けたような場合には、たとえ形式上逮捕状が存在し、その執行として逮捕行為がなされたものであるとしても、実質的には逮捕の理由と必要性を欠くことになるから、当該逮捕状による逮捕は違法であるといわねばならない。
而して、逮捕の理由とは罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由をいうが、ここに相当な理由とは捜査機関の単なる主観的嫌疑では足りず、証拠資料に裏づけられた客観的・合理的な嫌疑でなければならない。もとより捜査段階のことであるから、有罪判決の事実認定に要求される合理的疑を超える程度の高度の証明は必要でなく、また、公訴を提起するに足りる程度の嫌疑までも要求されていないことは勿論であり、更には勾留理由として要求されている相当の嫌疑(刑訴法六〇条一項本文)よりも低い程度の嫌疑で足りると解せられる。逮捕に伴う拘束期間は勾留期間に比較して短期であり、しかもつねに逮捕が勾留に先行するため、勾留に際しては証拠資料の収集の機会と可能性が逮捕状請求時より多い筈であるから勾留理由としての嫌疑のほうが、逮捕理由としてのそれよりもやや高度のものを要求されていると解するのが相当である。
逮捕の必要性について、刑訴法は、それが何であるかを明文をもつて規定していないが、刑訴規則一四三条の三が被疑者の年齢及び境遇並びに犯罪の軽重及び態様その他諸般の事情に照らし、被疑者が逃亡する虞がなく、かつ、罪証を隠減する虞がない等明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、逮捕状の請求を却下しなければならないと規定している。このことからすると、逃亡または罪証隠滅のおそれがある場合は逮捕の必要性があるということになる。
そこで、本件の場合以上にみたような、逮捕の理由と必要性があつたかどうか検討してみる。」
三同一六枚目表五行目の「二、三、四」を「二ないし六」と訂正する。
四同二二枚目裏一〇行目の末尾に「いずれにしても中野寿の供述内容にそつて訂正されたことが認められる。」を加入し、同一一行目「b、」の次に「成立に争いのない乙第四号証、」をそう入する。
五同二三枚目裏六行目の「理由」の次に「(逮捕を相当とする程度の客観的合理的な嫌疑)」をそう入する。
六同二五枚目裏四行目の「一二日」を「一三日」と、同行目「当公判廷」を「第八回口頭弁論期日」と、同一〇行目の「当公判廷」を「第一七、第一八回各口頭弁論期日」と、同二六枚目表末行の「当公判廷」を「第八回口頭弁論期日」と、同裏九行目の「当公判廷」を「第一七、第一八回各口頭弁論期日」と各訂正する。
七控訴人らは、「控訴人俊允に対する勾留請求が却下になつた根拠は同控訴人の弁明と、西警察署における武島一の供述内容にあるから、此花警察署においても同控訴人及び武島一を取調べたならば、同控訴人に嫌疑のないことが判明した筈である。」と主張するが、既に説示したとおり、一般に逮捕理由としての犯罪の嫌疑は勾留理由として要求されている相当の嫌疑よりも、その程度において低いものであつても足りると解すべきであるから、本件の場合、たとえ控訴人らの主張するような根拠により、控訴人俊允に対する、勾留請求が却下されたものだとしても、そのことの故に、本件逮捕状請求の段階においても同控訴人及び武島一を取調べなければならなかつたと迄はいえない。もつとも、<証拠>及び弁論の全趣旨によれば、控訴人俊允は此花警察署に弁明書を作成して提出しており、その内容には、「同控訴人は武島一と共謀して中野寿から金員を騙取したことはなく、武島一に金員を騙取された被害者である。」旨の記載があるので、その点だけからみれば此花警察署の警察官らにおいては、同控訴人に対する逮捕状を請求する前に更に詳細に同控訴人を取調べ、武島一を取調べることが、より相当ではあろうけれども、<証拠>を総合すれば、控訴人俊允に対する逮捕状の請求当時、此花警察署の警察官田村健一の手許に本件証拠資料として、被害届、中野寿及び中野きよ子の司法警察員に対する各供述調書の外に、その裏づけとして、久我勇作成の捜査復命書二通、控訴人俊允名義の中野宛七万円の領収証及び八五万一、〇〇〇円の仮預り証が存在していた(これら証拠資料の内容は前認定(引用にかかる原判決理由三の1の①ないし⑤)のとおりである)、一方控訴人俊允の弁明書の内容については裏づけ資料が出されていないことに加えて、中野寿及び中野きよ子の日常の生活態度が真摯であり、勤務先、近隣の評判が悪くないこと、供述態度から窺われる質朴な人柄などからして、前記警察官らにおいて、中野夫婦の供述は控訴人俊允の弁明に比し、より信頼が置けると認めて、同控訴人の弁明書の内容は単なる弁解に過ぎないものと判断し、同控訴人及び武島一の取調べを後日にしたものであることが認められる。而して以上の情況下における右警察官らの右判断は相当として首肯できるので、前記弁明書が提出されていたことの故に、控訴人俊允及び武島一を取調べるべきであり、右警察官らにはこれを怠つた過失があると迄認めるわけにはいかない。
八控訴人らは、「控訴人俊允に対する逮捕状請求書に添付した中野寿、中野きよ子の各司法警察員に対する供述調書には殊更に供述を録取した警察官により、同控訴人の武島一による詐欺被害事実が隠蔽されている。そうでないとしても、捜査担当者としては右中野らに対し控訴人俊允の右被害事実をきき正すべきである。」旨主張するけれども、右中野らの供述にも拘らず、供述を録取した警察官において同控訴人の右被害事実を隠蔽し、或は供述調書に録取しなかつたと認めるに足る証拠はない。また同控訴人の前示弁明書が、逮捕状請求の段階において、単なる弁解によるものであると判断され得たのだから、強いて右につき問い正さねばならないものではない。<証拠>並びに弁論の全趣旨によれば、中野寿、中野きよ子に同控訴人主張の被害事実につき供述を求めたとしても、同人らは同控訴人と武島一との交渉の内容は十分知つていたというものではないから、同控訴人の期待していたような結果は得られなかつたであろうこことが推認され、これを左右する証拠はない。したがつて、いずれにしても、此花警察署の警察官には右につき何らの故意過失もない。
九控訴人らは、此花警察署の警察官田村健一が、控訴人俊允に対する逮捕状の請求に併せて武島一に対する逮捕状の請求書中、刑訴規則一四二条一項三号及八号の各事由の記載が事実と違うとし、これは右田村が同控訴人に対する逮捕の理由も必要もないのに、あるかのように装い、令状係裁判官の判断を誤らせて、逮捕状の発付を得ようとしたものであると主張する。而して前記田村が「控訴人俊允と武島一は共謀して昭和四〇年三月三日午後三時頃同控訴人方において、中野寿から、五〇万円を騙取した。」旨の被疑事実について、控訴人俊允及び武島一の両名に対し同時に逮捕状の請求をしたこと、右両請求書の「被疑者の逮捕を必要とする事由」らんに、いずれも「被疑者には共犯者があり証拠隠滅及び逃走のおそれが認められる。」旨記入され、「被疑者に対し、同一の犯罪事実又は現に捜査中である他の犯罪事実について、前に逮捕状の請求又はその発付があつたときは、その旨及びその犯罪事実並びに同一の犯罪事実につき更に逮捕状を請求する理由」らんに、いずれも「/」と記入されていることは被控訴人において明らかに争わないところであり、また<証拠>を総合すると、前記田村が本件逮捕状の請求をした昭和四〇年五月二七日当時、武島一は前記詐欺被疑事件とは異なる詐欺事件により、昭和四〇年五月七日通常逮捕され、西警察署に勾留中で、昭和四〇年五月一八日起訴されたこと、前記田村は右逮捕勾留の事実を当時知つていたことが認められる。この認定に反する証拠はない。
しかしながら、<証拠>及び弁論の全趣旨によれば、武島一に対する逮捕状を請求したのは、同人が釈放される場合に備えて、罪証隠滅と逃亡を防止するため請求したものであること、此花警察署においても、別件である本件被疑事実について同人を留置して取調べる必要があつたからであることが認められ、また一般に詐欺のような事犯については、その罪質自体からして関係者の通謀ないし意思の連絡の有無についての証拠の収集が困難であることは容易に予想されるところである。而して本件被疑事件の罪質もまた右のようなものであることに加えて、<証拠>並びに弁論の全趣旨によれば、本件逮捕状請求当時此花警察署には前示のような証拠資料が存在したにも拘らず、控訴人俊允は弁明書を提出するなどして本件被疑事実を否認していたこと、中野きよ子は当時此花警察署の警察官三輪久雄に対し、「控訴人俊允は中野方を再三おとずれて、金は直接武島に渡したと云つてくれと頼んできた。」と述べていること、同控訴人の妻谷本ます子との通謀がなされるおそれがあつたこと、及び同控訴人は当時住友電気工業株式会社を退社し、引越の準備をしている様子もあつたことが認められるので、前記田村ら此花警察署の警察官が控訴人を逮捕しなければ罪証を隠滅させるおそれがあり、また逃亡されるおそれもあると判断したとしても無理からぬことであり、それ故に本件逮捕状の請求書にその旨記載したことは相当として首肯できる。
逮捕状の請求書に刑訴規則一四二条一項八号所定の記載が要求されるのは、同一被疑者に対する逮捕のむしかえし、濫用を避けるため、裁判官に判断の資料を提供させるものであると解せられる。したがつて本件の場合、武島一に対する逮捕状の請求書に刑訴規則一四二条一項八号による記載を欠いたということは、同人に対する逮捕の適否に影響する場合もあり得るが、それだけで直ちに控訴人俊允に対する逮捕を違法とするものではない。しかし、武島一が既に別件で通常逮捕されていることを明らかにするかどうかは、同控訴人に対する逮捕状発付の許否についての裁判官の判断にも全く影響がないとはいえないけれども、共犯者武島一が逮捕されているということだけで、罪証隠滅のおそれが直ちになくなり、裁判官において明らかに逮捕の必要がないとして請求を却下した(刑訴法一九九条二項但書)であろうとは認められないし、請求書に添付された他の証拠資料などにより、逮捕相当の嫌疑が認められるのであるから、前記警察官田村健一において同控訴人が無実であることを故意に秘し、或は罪証隠滅のおそれがあるように作り出したとは認め難い。
また控訴人俊允に対する本件逮捕状の請求に当り、武島一が別件起訴されている事実を裁判所に明らかにしなければならないことはない。
一〇控訴人俊允の前記弁明書が同控訴人にとつて有利な内容であるとしても、此花警察署警察官らが、中野寿、中野きよ子の供述に比し、同書の内容は信憑性の薄弱なもので単なる弁解にすぎないと判断したことが相当である以上、同控訴人に対する逮捕状の請求書に右弁明書を添付しなければならないものではない。
そうだとすると、控訴人らの請求はいずれもこれを棄却すべきものとなることに変りなく、これと同旨の原判決は相当で本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、民事訴訟法八九条、九三条一項本文、九五条を適用し、主文のとおり判決する。
(増田幸次郎 仲西二郎 三井喜彦)