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大阪高等裁判所 昭和47年(行コ)11号 判決 1976年2月26日

控訴人 大阪国税局長

訴訟代理人 松田英雄 斎藤光世 ほか三名

被控訴人 金貴順

主文

原判決のうち控訴人敗訴の部分を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事  実<省略>

理由

原判決記載請求原因第一の一、二項記載の事実は当事者間に争いがない。

そこで第二次納付義務者としての被控訴人に対する本件告知処分の適否について考察する。

一  本来の納付義務者である訴外会社に本件国税債務があること。

(一)(1)  本件建物の所有に関する被控訴人の自白の取消は、控訴人に於て異義を申立てないから許されるところ、本件建物が訴外会社の所有であつたかについて、検討するのに、<証拠省略>によると、昭和三六年五月一六日当時本件建物のうち原判決別紙物件目録(一)の(1)の建物が訴外河静子、同(3)の建物が訴外丸善ステンレス工業株式会社の各所有名義に夫々登記されていたことが認められるが、<証拠省略>及び弁論の全趣旨に徴すると、当時本件建物はすべて訴外会社の所有であつたことは明らかである。

(2)  次に、訴外会社が、訴外河静子から同人所有の本件土地を借受け、その地上に本件建物を所有していたところ、昭和三六年四月三日頃訴所会社及び河静子は訴外有限会社ナシヨナルに対し一括して右土地建物を売却したこと。所轄の松江税務署長は、訴外会社が昭和三六年五月一五日解散し、右売却益にともなう法人税の申告をしないとして、同年九月三〇日に、訴外会社の同年三月一日ないし同年五月一五日事業年度(解散事業年度)の法人税として、原判決事実欄第二、二の(三)記載の内容(原判決別表損益計算書を含め)の決定処分をしたこと、訴外会社はこれに対して昭和三六年一〇月二六日松江税務署長に対し再調査請求をしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。そして後述のとおり訴外会社は同年一〇月二〇日本店を大阪市生野区猪飼野中四丁目一七番地に移転したことが認められ、<証拠省略>によれば、松江税務署長は右移転により訴外会社に関する事務を訴轄の生野税務署長に移送し、その後三ケ月を経過したので右再調査請求は控訴人に対する審査請求があつたものとみなされ、控訴人は昭和三八年九月二七日棄却の裁決をしその旨を訴外会社の清算人たる河静子宛に右移転先へ通知を発し、それが不到達として返戻きれていないこと、同女は被控訴人と結婚以来二〇年余(昭和四五年六月現在)を同所に居住しつづけ、同所の同女宛に郵便は到達していたこと、右裁決のなされた当時も同様の状態であつたことが認められる。そうすれば右裁決はその頃到達したものと推認することができる。<証拠省略>による不到達の事例は昭和四二年一一月の本訴提起後のもので、この一例を以て右推認を覆えすに足らず、他に右推認を妨げるべき証拠は存在しない。

そして訴外会社から右裁決に対して不服の訴が提起されなかつたことは当事者間に争いがないから、前記決定処分は確定したものと言うことができる。

なお<証拠省略>によれば、訴外会社の旧所在地に於ける商業登記簿は、右本店移転が登記された昭和三六年一〇月二三日以降閉鎖され、新所在地に於て移転の登記が受理されていないことが認められる。(昭和三八年七月九日法律一二五号商業登記法五七、五八条によれば、本店移転の登記は、新所在地登記所への登記申請も旧所在地を管轄する登記所を経由してしなければならず、新所在地を管轄する登記所に於て登記した旨の通知を受けるまでは旧所在地登記所では本店移転の登記をすることができないこととなつたが、同法施行前は非訟事件手続法により個別申請とされていたため旧所在地で移転登記がなされ登記簿が閉鎖されたが、新所在地で移転登記申請を怠つているため、本件の如く登記簿に登載されていない状態が生じ得た。)しかし、本店移転の株主総会の決議が有効である以上、新所在地に於ける登記がなされてなくても、右移転先に対する裁決の送達が適法であることは言うまでもない。

(二)  以上のとおり訴外会社は、法人税金一三八万五四六〇円、無申告加算税金二七万七〇〇〇円(その法定納期限は昭和三六年七月一五日である)の国税を納付する義務を負つていることが認められる。

二  訴外会社が解散し、本店を前記場所に移転したこと。

(一)  まず、訴外会社と被控訴人との関係について。

訴外会社の資本金が金一二〇万円であり被控訴人の出資額が二五〇株、金二五万円であることは当事者間に争いがない。

<証拠省略>及び本件口頭弁論の全趣旨を総合すれば、次の各事実が認められる。

(1)  被控訴人は昭和二二年一一月一二日大阪市生野区猪飼野中三丁目一六番地に自転車等のチユーブ、車体、部品の製造販売を目的とする不二越産業株式会社を設立(昭和二五年一月一〇日不二越ゴム工業株式会社と商号変更、昭和二九年七月一五日不二越産業株式会社と商号変更すると共に事業目的を土地家屋の賃貸、家庭用金物の製造販売、雑貨の輸出入等に変更、昭和三四年四月一日丸石工業株式会社に、昭和三五年六月一〇日丸善ステンレス工業株式会社に順次商号変更し、昭和三七年一一月五日商号及び目的を丸善不動産株式会社、土地家屋の賃貸これに付帯する業務に変更する。右商業登記上被控訴人の氏名は昭和三三年一一月一二日登記よりは伊藤吉剛、それ以前は金本貴順を用いている。)し、終始代表取締役をしてきたこと。

(2)  右会社は設立当初より松江市に支店を置き、ゴムタイヤー類等の販売をしてきたが、同社がチユーブ、タイヤ等のゴム製品を取扱わなくなつてきたので、松江の店を独立きせることとなり、出資金一二〇万円を以て本件建物を右会社より買受け、昭和二八年二月六日ゴム靴、履物並に洋品雑貨の販売を目的とする不二越ゴム株式会社として訴外会社を設立し、取締役河静子、被控訴人、金燦吉、市川昇、代表取締役河静子、市川昇、監査役孫[火喜]宇、森永忠夫がそれぞれ就任し、後記のとおり同社が解散するまで右役員構成は登記簿上変動がなかつたが、事実は経営はすべて地もとの代表取締役市川昇に委ねられ、経理監査的事務に森永忠夫が当つていた外は、その他の役員は同社の日常的活動に携わらず、河静子は被控訴人の妻、金燦吉、孫[火喜]宇は被控訴人の親戚、縁者で、これらの者は単に名前を連ねたに過ぎず(金燦吉は一九五九年に死亡)全く経営に関係がなかつた。また訴外会社の株主は名義上九名で被控訴人及び河静子夫婦、市川昇夫婦、森永忠夫夫婦、金燦吉、孫[火喜]宇、石谷某とされているが、実際の出資は資本金一二〇万円のうち被控訴人が九五万円、市川昇が二〇万円、森永忠夫が五万円であつて、その他の者は名義上のものに過ぎないこと。従つて訴外会社は資金の八割を出資する被控訴人を実権者とする会社で、代表取締役市川昇は被控訴人を社長とする前記不二越ゴム工業株式会社松江支店に昭和二二年頃から勤めてきた一従業員に過ぎず、訴外会社の発足に伴なつて右市川昇が代表取締役として経営の一切に当つてきたが、被控訴人は決算期前の毎年正月に松江に来る以外は、大阪に住み経営面の具体的方策について個々に容喙することはなかつたものの市川を上阪させて常時経営状況の報告を受け大綱的に掌握し、市川、森永らは株主として決算期に利益配当を受けるほか、固定の月給を支給され、被控訴人を社長と呼び、被控訴人を金主として同人より実質的には経営一切を委任された被用者の観があつたこと。

<証拠省略>中以上認定に反する部分は、前記のその他の証拠に徴して措信し得ず、他に右認定を妨げる証拠はない。

(二)  解散及び本店の移転について、

(1)  訴外会社につき昭和三六年五月一五日解散に関する臨時株主総会を開催し、解散を決議した旨の臨時株主総会議事録及び解散登記申請書等が作成されていること、また同年一〇月二〇日本店移転に関する臨時株主総会を開催し本店移転を決議した旨の臨時株主総会議事録及び本店移転登記申請書等が作成されて存在することは当事者間に争いがない。そして<証拠省略>によれば右解散及清算人を河静子とする登記は同年一〇月一六日に、本店移転の登記は同年同月二三日に登記簿に登載されたことが認められる。

(2)  <証拠省略>によれば、訴外会社の建物を河静子名義の土地と一括売却処分して訴外会社を閉鎖することを提案し、その実行を市川昇に命じたのは被控訴人であつて、市川は命ぜられて仕入を控える等営業規模を縮少して閉鎖の準備をしつつ、買主有限会社ナシヨナルと売買の折衝をし、解散、清算人の選任、本店の移転などの前記臨時株主総会議事録の作成並びに各登記手続は被控訴人に命ぜられて監査役であつた森永忠夫が当つたことが認められる。

(3)  被控訴人は、右解散、清算人の選任、本店の移転等の臨時株主総会が開催されたことはなく、右議事録の作成や各登記手続は市川昇らが無断で勝手にしたことであると主張し、<証拠省略>には、右主張に添う供述が見受けられるが、次の各事実に徴して措信し得ない。

(イ) <証拠省略>のうちの河静子の印鑑証明書及び<証拠省略>のうちの保証書に添付の河静子名義の松江地方法務局宛回答書によれば、これらに押捺されている印影は同女の実印であると認められるところ、これに<証拠省略>(訴外会社の解散、清算人河静子選任の臨時株主総会議事録)、<証拠省略>(右解散及び清算人就任各登記手続の委任状)中の河静子名下の印影(但し<証拠省略>の印影は楕円形のではなく円形のもの)を対照すると、これら河静子名下の各印影はすべて、右実印によるものであることが認められる。(<証拠省略>の河名下の印影が同女の実印によるものであることは、被控訴人の当審に於ける供述によつても認められる。)また<証拠省略>のうちの保証書に添付の被控訴人の松江地方法務局宛回答書及び<証拠省略>(印鑑証明書、いずれも伊藤吉剛名義)によれば、これらに押捺されている被控訴人の印影は実印であることが認められるところ、これと<証拠省略>の被控訴人名下の印影(但し大きい方の円形)とを対照すると、右<証拠省略>の印影は右実印によるものであることが認められる。

(ロ) <証拠省略>によれば、訴外会社は会社業務執行のため必要な代表取締役河静子やその他の前記役員らの印は保管し使用していたが、前項記載の河静子や被控訴人の実印は訴外会社が保管していたものではなく、被控訴人に命ぜられた森永忠夫が前記臨時株主総会議事録<証拠省略>、委任状<証拠省略>を作成した昭和三六年五月一五日頃(<証拠省略>の日付は後日記入されたものと認められる)松江市内の岩多屋旅館に止宿した被控訴人より所携の右各実印により右各書類に押捺を受けたのであること。しかしその登記手続は放置したままでいたところ、右解散の事実を知つた松江税務署の職員に促され、前記のとおり昭和三六年一〇月一六日に解散及び清算人就任の登記をなすに至つたこと。本店移転の登記は被控訴人より登記手続に要する費用の送付が遅れたので同年同月二三日になされたが、右移転についての臨時株主総会議事録(<証拠省略>)及びその登記の委任状(<証拠省略>)は前記被控訴人が松江市へ来た際に準備していなかつたのでこれらの書類の清算人河静子名下に押捺した印章は日頃訴外会社に於て保管していた実印でないものが使用されているが、本店の移転登記は解散、清算人の就任のそれと同時に被控訴人に命ぜられて森永忠夫がしたのであること、がそれぞれ認められる。

(ハ) <証拠省略>によれば、被控訴人及び河静子は訴外会社の滞納国税の第二次納付義務者として本件納付告知処分を受けてこれに対し異議申立をするに当り、「当会社は、当時代表取締役市川昇清算の下に解散、建物売却代金等も融通手形、整理に消費し個人分配等皆無であります。」との理由を述べていることが認められ、解散が被控訴人の不知の間に市川らの独断によりなされたとの口吻は見られず、その他前記二の(一)記載の訴外会社に於ける被控訴人の立場より見て、市川らが訴外会社の実権者たる被控訴人の不知の間に、訴外会社の解散、清算人の選任、本店移転等の株主総会議事録、その各登記の委任状の作成、各登記手続を独断でしてしまつたのであるとは到底認めえない。

(4)  <証拠省略>によれば、訴外会社に於ては設立以来株主総会が正規に開催されたことはなく、訴外会社の業務の執行に当つている代表取締役市川及び監査役森永忠夫に於て毎年度の決算として経理諸表を作成し、各年度の株主総会の議事録を作成してきたこと。毎年度の正月(決算期は二月末である)に恒例として被控訴人は訴外会社の招きで玉造温泉に来て経営状況の報告を受け利益配当金(市川昇及び森永忠夫の受ける配当を除くすべての)、河静子に対する地代(但し本件土地買受代金立替金四五万円に対する利息及び本件土地に対する固定資産税の立替払分を差引き)、旅費の支払を受ける外、宿泊費、土産物代などの費用が訴外会社によつて負担されてきたこと。前記昭和三六年五月一五日頃松江市内の岩多屋旅館に被控訴人が止宿したときも、株主総会の招集につき所定の手続をふまず、株主総会という形式もとらず、被控訴人は予ての方針どおり市川、森永らに清算人を河静子とする解散手続をするよう要求し、右両名もこれを諒承して、前記のとおりその手続に必要な臨時株主総会議事録や登記手続の委任状などを準備し、本店の移転に関しても同様に被控訴人より森永に対してその手続をするよう申入れたことが認められる。そしてこの認定に反する<証拠省略>は前記証拠と対比して措信し得ない。

以上各認定事実によれば、訴外会社は被控訴人を主とするいわゆる一人会社的色彩が濃く、所定の手続を経て正規の株主総会を開いたこともない会社であるから、正規の手続を経たものでなくても実質上の株主三名が出会い出資の大部分を占める被控訴人の意見に従い三名の合致する結論が出された以上、解散、清算人の選任、本店の移転に関する訴外会社の臨時株主総会が開かれ適法に決議がなされたものと言うべきであつて、その決議を無効とは言えないから、本件に於て訴外会社が解散したこと、本店を移動したことが肯定される。

三  訴外会社には前記滞納国税を納付すべき何らの資力もないことは、次項によつて明らかである。

四  被控訴人の訴外会社よりの受益関係。

(一)  売却代金の分別。

(1)  借地権の存否

<証拠省略>によれば、訴外会社の各期の損益計算書には、前記当審に於ける控訴人の主張(一)(1)中に記載のような額(但し昭和二九年度を除く)の地代が借方に記載されていること、市川は前記のとおり被控訴人に対し経営状況を報告するため上阪する際、または正月に被控訴人が訴外会社の招きで玉造温泉に来るときに、配当金などと共に訴外会社が立替払していた土地購入資金四五万円に対する利息月金五、〇〇〇円及び土地に対する固定資産税の立替払分を差引いて地代として所定額を被控訴人に交付してきたこと、土地賃貸借契約書が河静子と訴外会社間に作成されていて、地代受領の河静子名義の領収証が存在していたこと(もつとも右契約書や領収証は経理上地代支出として処理される以上実体的に賃貸借契約の有無に拘らず存在すべき筈のものであるが)、右市川は河静子の夫である被控訴人から再三に亘つて地代値上げの要求を受け、その要求にはかなり厳しいものがあつたことが認められる。

前記の如く経営は市川らを中心とする訴外会社にあるが、資本的には被控訴人に実権がある訴外会社と被控訴人間の関係に於ては、事業利益の配分に関し、(個人企業的会社で代表者個人と会社との間に実質的利害の対立を見ない場合とは異なり、)利害の対立があり、より多くの利益を追及する一般経済原則からしても河静子所有の本件土地を被控訴人が訴外会社に会社建物の敷地として使用収益せしめるに当つて、前記の如き経理上の処理をし、その利益が被控訴人側(河静子を含め)に帰属しているに拘らず、なお地代としての経理上の処理は単に被控訴人側(河静子を含め)への利益配当の名目に過ぎず、真実土地使用の対価としてではないとすることは社会通念上も首肯し得ないところであり、<証拠省略>は到底措信することができない。

以上のとおり、訴外会社は会社建物所有の目的でその敷地である本件土地につき賃借権を有していたことが認められる。

(2)  売買代金の分別

本件土地と建物を合した売買代金が金九二五万円であることは既述のとおりであるから、本件建物の売主である訴外会社に帰属すべき代金額は、そのうちに占める本件建物の価格と前項で認定した借地権の価格との合計である。

<証拠省略>によれば、松江税務署は売買の目的となつた本件建物の位置、構造、建築材料、築後経過年数等を考慮し不動産業者らの意見をも参酌し、本件建物の道路に面した店舗向のところを坪当り金二万五〇〇〇円程度、裏の部分を坪当り金二万円程度と区別をつけ、訴外会社の固定資産台帳に記載されていた坪数を乗じて本件建物の売買価格を金九六万一二五〇円と評価し、借地権についても広島国税局長通達(昭和三六年分相続税財産評価基準)によりその割合を更地価格の四五パーセントと評価したこと、昭和三六年二月決算に於ける訴外会社の本件建物の減価償却後の評価額は金一一三万余円であることが認められる。

右認定の事実によると、本件建物及び借地権の右評価は必ずしも一方的恣意的なものとすることはできず一応客観性を持つ評価基準によつたものと言うことができ、棚卸資産評価額をも下廻るものであるから、売買代金を分別せず、他に借地権付建物の代金額を分別する手掛りのない本件に於ては右の評価を以て正当とすることができる。

<証拠省略>のうちには、有限会社ナシヨナルは建物をむしろ不要とし取毀すことを言明していた程であるから、土地のみを目的とした売買で、売買代金のうち建物の占める額はごく少いとの部分があるが、<証拠省略>によれば、売買の後も本件建物は取毀されておらず改装して使用されていることが認められるので、売買代金決定の際建物を不要なものとして土地のみを目的としたとの<証拠省略>は措信し難く、他に借地権付本件建物の価額の評価について、右認定を妨げる証拠はない。

そうすれば、売買代金九二五万円より本件建物の評価額九六万一二五〇円を引いた本件土地価額金八二八万八七五〇円の四五パーセントに当る金三七二万九九三七円が借地権の評価額であり、これに右本件建物価額を加えた金四六九万一一八七円が訴外会社に帰すべき本件借地権付建物の売買代金であつたと言うことができる。

(二)  被控訴人の受益

<証拠省略>によれば、売買代金九二五万円は、(1)昭和三六年四月六日内金二〇〇万円が支払われたが、うち金五〇万円は訴外会社が被控訴人の申入れに応じて丸善ステンレス工業株式会社へ融通手形として貸していた約束手形金五〇万円(支払期日同年同月七日)の決済のため留保し残金一五〇万円が日本勧業銀行今里支店の被控訴人の預金口座へ送金して振込まれたこと、(2)同年同月二七日内金一四九万円が支払われたが、この金は株式会社扶桑相互銀行松江支店に対する訴外会社の右同額の手形貸付金債務の弁済に充てられ、これにより売買目的物件である本件土地、建物に設定せられていた抵当権を抹消し、(3)残金五七六万円は一且被控訴人が受領したが、うち金一〇〇万七〇〇〇円を扶桑相互銀行松江支店に対する同人の債務の弁済に充てたこと、右売買については業者の仲介なく、仲介料を払つていないことが認められる。

<証拠省略>のうちには右(3)の認定に反し第三回目に受領した額は金五七六万円から融通手形の返済や売買仲介業者への手数料等が差引かれ、結局被控訴人の受領したのは金二七〇万円か或は金三七〇万円位であつたから受領した総額はこれに第一回目の金一五〇万円を加えた額である旨の部分があるが、右各証拠に照らし措信し得ない。

以上によれば、控訴人主張の如く、右(2)の金一四九万円(<証拠省略>によれば右金一四九万円のうちには、本件土地及び本件建物のうちの土蔵を河静子名義で金九五万円で買受けた際、そのうち金四五万円を訴外会社が扶桑相互銀行松江支店から借受け立替払いし、これを訴外会社では「社長勘定」として立替金債権に掲上しているので、金四五万円は被控訴人ないし河静子の債務と見られる。)の外(1)のうちの金五〇万円、(3)のうちの金一〇〇万七〇〇〇円等実質上訴外会社の債務ではなく被控訴人の債務ではないかとの疑あるものも含めた右合計金二九九万七〇〇〇円を前記訴外会社に帰すべき売買代金四六九万一一八七円より差引いても、被控訴人の訴外会社よりの受益は金一六九万四一八七円に及ぶことが認められ、<証拠省略>によれば、訴外会社の解散後市川昇がなした最終的清算の結果では金一四万円の買掛金債務を残し訴外会社の資産は皆無となつたことが認められる。

右のとおり被控訴人の受益は金一六九万四一八七円であるところ、訴外会社の資本金一二〇万円のうち被控訴人の名義上の出資は二五〇株の金二五万円であること前述のとおりであるから、右受益のうち次の計算による金三五万二九五五円は残余財産の分配と解することができ、残余の金一三四万一二三二円は被控訴人がこれを取得する理由もなく無償譲渡を受けたものと言うことができる。

1,694,187円×25/120 = 352,955円

五  以上によつて、(一)金三五万二九五五円については、解散した訴外会社が納付すべき国税を納付しないで残余残産の分配として被控訴人に交付したもので、訴外会社に対して滞納処分を執行してもその効がないことは明らかであるから、国税徴収法三四条により受益者たる被控訴人は右受益額の限度で訴外会社の滞納国税につき第二次納付義務があり、(二)金一三四万一二三二円については、訴外会社の滞納国税はこれにつき滞納処分を執行してもその効なく、被控訴人の右金員の受益は右国税の法定納期限の昭和三六年七月一五日より遡つて一年内の無償譲渡であり、その利益は現存しているものと言えるから同法三九条により被控訴人は右受益額の限度で訴外会社の滞納国税につき第二次納付義務があると言うべきである。

そうすれば、控訴人が被控訴人に対しなした被控訴人主張の第二次納付義務者としての本件納付告知処分は適法であるから、被控訴人の請求は失当である。

次に被控訴人の異議申立に対する棄却決定の取消請求について考察するに、当裁判所はこの点に関する原審の判断を正当と考えるから、原判決一三枚目表末行より裏五行目までを引用する。

叙上のとおり、被控訴人の本訴請求はすべて失当であつて、本件控訴は理由があるから、被控訴人の請求を認容した原判決の一部を取消し、その請求を棄却することとし、民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 喜多勝 林義雄 楠賢二)

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