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大阪高等裁判所 昭和48年(う)1066号 判決 1974年7月25日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人山本毅作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意中、審理不尽、事実誤認の論旨について、

所論は、要するに、普通貨物自動車を運転して原判示道路上を進行していた被告人が、その進路前方の同路上交差点の手前で停車していた先行車の山下一二運転の普通乗用自動車に追突した本件交通事故につき、原判決は、右事故の発生は、被告人が右山下車の動静を注視し、衝突の危険を防止する適宜な措置を講じうるよう配慮して進行すべき注意義務を怠つた過失に因るものであるとしているが、被告人は右山下車の動静を十分注視しながら進行していたもので、本件交通事故の発生につき、被告人には、原判示認定の如き過失は存しない。即ち、被告人車が右山下車に原判示の如く追突するに至つたのは、被告人が普通貨物自動車を運転して原判示道路上を先行車の右山下一二運転の普通乗用自動車の動静に注視しながら追従進行中、同路上交差点の手前で右山下車が停止信号の表示に従つて停車しているのを認め、被告人は制動の措置を講じたが、被告人の全く予期しなかつたブレーキの故障のため制動効果を発生しないので、右方に転把して同路上中央分離帯へ乗り入れ右山下車との衝突を回避しようとしたがおよばず、被告人車の左前部を右山下車の後部に追突させたものであり、右ブレーキの故障は、被告人としては予見不可能な突発的なもので、右事故の発生については、被告人には何等責められるべき過失が存しないのに、原判決が、右事故につき、被告人に本件業務上過失傷害の刑責を肯認しているのは、被告人車の右ブレーキの故障の有無、程度等について審理を尽くさず、その結果事実を誤認したものである、というのである。

よつて、検討してみるのに、原審で取調べた司法警察員作成の実況見分調書、山下一二の司法警察員に対する供述調書、医師北村純司作成の山下一二および広川ケサノに対する各診断書、被告人の司法警察員並びに検察事務官に対する各供述調書によると、被告人は、昭和四七年八月二九日午前七時四〇分頃清掃車である普通貨物自動車を運転して、大阪市東区森之宮西之町五六一番地先路上を西進中、進路前方の同路上交差点の手前に停止信号に従つて停車していた山下一二運転の普通乗用自動車の後部に被告人車左前部を追突させ、その結果右山下一二および右山下車に同乗していた広川ケサノにそれぞれ原判示の如き各傷害を負わせたことが認められる。

ところで、右追突に至つた経緯について、被告人は、司法警察員作成の実況見分調書中の被告人の指示説明および被告人の司法警察員並びに検察事務官に対する各供述では、被告人が普通貨物自動車を運転して時速約四〇料の速度で右道路を先行車の山下一二運転の普通乗用自動車に追従して西進していたが、右山下車の後方約一五米の地点付近で同路上前方三差路の交差点の信号が停止の赤信号になるとともに、西行直進については直進青の矢形信号が表示されているのを認めて、同交差点を北西側の道路の方へ右折進行するつもりであつたのを、そのまま直進しようかと進路の選択に迷つたことから、右山下車の動静に対する注視を怠り、そのため同車が同交差点の手前で停車しているのをその後方約7.9米の地点に迫つてから始めて気づき、急制動するとともに右方に転把して衝突を回避しようとしたがおよばず、被告人車の左前部を右山下車の後部に追突させるに至つた旨本件公訴事実並びにこれを肯認した原判決にそう供述をなしているのに対し、被告人の原審並びに当審公判廷における各供述では、被告人は、普通貨物自動車を運転して右道路を時速約四〇粁の速度で右山下一二運転の普通乗用自動車に追従して同車の動静を注視しながら西進中、同路上の右交差点の手前で右山下車が停車し、そのとき対面信号が黄色信号であるのを同車の後方約五〇米の地点で認め、フートブレーキを軽く一、二回踏み始めたが減速しないので、さらに数回踏み込んだところ、全く手応えがなく、それまで何等異常のなかつたフートブレーキが急に効かなくなつているのに気づき、その頃には右山下車に約二、三〇米の距離に迫つていたので、転把して同車との衝突を避けようと考え、左側の助手席に同乗していた金内秀光に左へ行けるかと聞いたところ、同人が左後方から車がきていると答えたので、右方に転把して中央分離帯に乗り入れ、右山下車との衝突を回避しようとしたかおよばず、同車の後部右側部分に被告人車の左前部が追突した旨所論にそう供述がなされているのであるが、被告人の右各供述を対比考察するに、被告人の原審並びに当審公判廷における右供述は、その内容に徴し、被告人がことさらにその刑責を回避しようとする不自然、不合理なものであるとは思料されず、被告人車に助手として同乗していた当審証人金内秀光の右事故当時の状況に関する供述も被告人の右供述に符合していること、当審証人植田朝喜、同松内修の各供述、当審で取調べた大富自動車作成の証明書および原審で取調べた司法巡査作成の加害車両の修理状況についてと題する書面によると、本件事故後当日に被告人運転の右普通貨物自動車のブレーキの点検を自動車整備修理業者の大富自動車に依頼していること、その約二週間後にさらに自動車修理業者の不二自動車株式会社にブレーキマスターおよびハイドロマスターの点検修理を依頼していること、自動車のフートブレーキが突然一時的に制動機能を失うことは稀有の現象ではあるが、あり得えないことではなく、被告人車の場合、ブレーキオイルにごみが混在し、マスターシリンダー内に右のごみがひつかかつて、そのため一時的に油圧がホイールシリンダーに送られるのを障害されたのが原因ではないかと考えられること、そして右のひつかかつていたごみが、自然にとれると再びブレーキの機能が回復されるものであること、右のようなブレーキの故障を運転開始前の仕業点検によつて発見することは不可能であることがそれぞれ認められること並びに司法警察員作成の前示実況見分調書によると、被告人車が右山下車に追突した際の路面上には被告人車のブレーキ制動による車輪のスリップ痕が存していないことを勘案すると、被告人の右供述は十分信用し得るものというべきである。

右供述に反する被告人の司法警察員並びに検察事務官に対する前示供述は、その供述の如く、被告人が右交差点を西側の道路に向つてそのまま直進するか、それとも北西側の道路の方に右折進行するか、その進路の選択を考えたとしても、そのため直線で前方への見とおしのよい本件道路を右山下車に追従進行してきていた被告人において、とくに右山下車の動静に対する注視を怠る状態になつたものとは思料し難く、また被告人が当審公判廷において供述している如く、被告人は右ブレーキの一時的な故障を感知していたが、右山下車に追突直後には再びブレーキが効く状況になつていたことから、ブレーキの踏み方が悪かつたのだろうかとも思い、それに被告人の自己の言い分を強く表示できない性格も手伝つて、被告人の真意ではないところの右の司法警察員並びに検察事務官に対する各供述がなされたということが、十分思料し得ることを参酌すると、未だ信用し難いものといわざるをえない。

そうすると、本件交通事故は、被告人の原審並びに当審公判廷における右供述の如く被告人が普通貨物自動車を運転して時速約四〇粁の速度で本件道路を先行する右山下一二運転の普通乗用自動車に追従して、同車の動静に注視しながら進行していたところ、同車が同路上交差点の手前で対面信号の表示に従つて停車しているのを約五〇米手前の地点で認め、フートブレーキを軽く踏んで減速制動の措置をとつたものの、ブレーキの効果が出ないので、さらに数回ブレーキを踏み込んだが、それまで異常のなかつたブレーキが突然一時的に故障している状態に陥つており、被告人が右ブレーキの故障に気づいた時には、右山下車に約二、三〇米の距離に迫つていたので、右方に転把して同車との衝突を回避しようとしたがおよばず、同車の後部に被告人車の左前部を追突するに至つたもので、右ブレーキの故障は被告人にとつては全く予見不可能なものであつたというべきである。

しかるに、原判決が、右事故の発生は、被告人が右山下車の動静に対する注視を怠つていたため、同車が右交差点の手前で対面信号の表示に従つて停車しているのを、約7.9米の至近距離において始めて発見し、急制動、右方転把の措置を講じたがおよばず、被告人車が右山下車に追突するに至つたものであるとして、被告人に本件業務上過失傷害の刑責を肯認したのは、被告人車の右ブレーキの故障の有無、程度等について十分な審理をつくさず、被告人の過失の存否に関する事実を誤認したもので、右誤認が判決に影響を及ぼすものであることは明らかである。論旨は理由がある。

従つて、量刑不当の論旨について判断するまでもなく、原判決は既に右の点において破棄を免れない。

なお、検察官は、当審において、予備的訴因として、本件交通事故につき、被告人は、右山下車が右交差点手前で停車しているのを約五〇米前方に認めて、フートブレーキを踏み始めたところ、ブレーキが動かなくなつていることに気づいたのであるから、このような場合自動車運転者としては直ちにサイドブレーキを操作して制動措置を講じるべきであるのにかかわらず、被告人にはこれを怠つた業務上の過失があると主張するので、考察してみるのに、自動車運転者としては、フートブレーキの故障している場合に制動補助装置としのサイドブレーキの操作使用を配慮すべきものではあるが、前示認定の如く、被告人が右山下車の停車しているのを、その約五〇米手前で認めてフートブレーキを踏み始めたが、制動の効果がなく、さらに数回ブレーキを踏み込んでその効かなくなつているのに気づいた際には、右山下車に約二、三〇米の距離に迫つていたのであり、その頃被告人車の速度がそれまでの時速約四〇粁の速度よりやや減少していたとしても、被告人が右フートブレーキの異常を発見してから右山下車に衝突するまでの時間は数秒を出ないものであつて、この僅かの間に、着実にサイドブレーキを操作して右衝突地点に達する前に被告人車を停止させるべきであつたということを、通常の運転者である被告人に期待することは酷に過ぎるもので、その可能性を肯定することはできないものというべきであり、右サイドブレーキの操作の点についても、被告人に業務上の注意義務違反があるとは肯認されない。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により当裁判所において直ちに判決する。

右説示の如く、被告人に対する本件業務上過失傷害の公訴事実については、結局犯罪の証明がないことに帰するものというべきであるから、刑事訴訟法四〇四条、三三六条により被告人に対して無罪を言い渡すこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(戸田勝 萩原寿雄 梨岡輝彦)

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