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大阪高等裁判所 昭和48年(う)1751号 判決 1974年6月26日

本籍

福岡県北九州市小倉区大字辻三、四九四番地

住居

大阪府門真市新橋町二七の一一

医師

生井克美

昭和四年八月二九日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四八年一〇月二四日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 赤池功 出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人網田覚一、同広川浩二各作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点、事実誤認の主張について、

論旨は、原判決は被告人生井克美は生井世光病院の開設者であつて同病院を経営していたものであると認定しているが、同病院の経営者で実質所得者は父生井水速であり被告人は経営者ではない、というにある。

よつて一件記録を精査し、当審における事実の取調の結果を参酌して検討するに、(1)、被告人克美は昭和二九年三月大阪医科大学を卒業し、直ちに同大学医局に勤め、同三〇年一二月医師の免許を受け、同三六年三月医学博士となり、同年六月門真市栄町に生井世光診療所を開設し、同四〇年二月同診療所を廃止のうえ同市新橋町に大阪府知事の許可を自己に受けて生井世光病院を開設し、かつ病院管理者として業務を遂行してきたこと、(2)、右診療所開設にあたつては、被告人自らは約一〇〇万円を拠出したのみで、父水速が土地、建物を買収し、これを利用して開設したがその規模は小さなものであつた。昭和四〇年初めころ道路工事のため同診療所は立退くことになつたが、その機会に被告人克美が父水速に相談しその賛成をえて右病院を開設することとなり、資金として右診療所の土地、建物の補償金約二、五〇〇万円、診療所の営業補償金約七〇〇万円、被告人が医療金融公庫から借りた借金約二、二〇〇万円(現実には借入れが遅れたため、これを予金し病院収入から返済)、父水速がさきに不動産その他を売却して得た預金総計約三、〇〇〇万円などをもつて土地に約一、八〇〇万円(父所有名義となる)、病院建物等に約四、〇〇〇万円(被告所有名義となるが半分は父の所有の意味において同人の仮登記をつける)、医療機器に約一、〇〇〇万円投入購入して病院を開設し、その後救急病院の指定もうけ大きく運営してきたこと、(3)、病院運営においては、被告人は診療、医師の確保、薬品、機器の購入等の面を担当し、父が会計その他事務の一切を担当してきたこと、(4)、父水速は生井家の観念の強い人で次男の被告人をいわゆる生井家の相続人と考えており、被告人は父に対し従順な人柄であつたので、同居の両者の間で特に経営者を誰とするとか、父名義の土地、建物に対する賃料その他の父の出金に対する元利の支払や父の給料等、また反対に被告人の出金に対する元利支払や被告人の給料等について取極めがなされたことはなく、(昭和四二年一二月末ころ父から被告人の妻明子に七〇〇万円が渡された事実はある)、父は「病院をちやんと建ててやるから親兄弟の面倒をみるのは当然のこと、それ以上にできたら親類の面倒までみてやつてくれ」といい被告人がその趣旨を了承していた。また、父から右明子に対し毎月被告人一家五人の分、被告人の交際費、被告の三人の子供に対する分として父の裁量による相当額のものが給料袋に入れて渡されていたが、これには給与所得等としての税の天引その他の手続が全くなされていなかつた。なお、父が共同生活中の何かの話のときに「残つたら半分やるわ」というようなことがあつたが、被告人は意味を理解しないまま放置しており利益折半の取極めをしたともいえないこと、(5)、父水速は生井家その相続人というような意識のもとに病院に対しても資金を提供し、会計その他の事務面を担当しては殆んど自分の考えで支配し、収益についても病気の長男その他を含めた生井家の考えで財産化し管理し、被告人に対し十分な報告をしていなく、被告人一家五人の生活その他についても前記のように扱つており所得税の申告についてもすべて父水速において担当して被告人に内容の報告をしないのに対し、被告人は父に逆わないようにして自分の担当する医療面に精励してきていたが、しかしながら被告人は自分は父に雇われ給料を支払を受けているにすぎない管理者の意識ではなく、自分は病院の開設者である院長であり、ただ事務一切を父に委せているものであるとの自覚をもつていたこと、(6)、病院についての所得税の申告は終始被告人を世帯主(屋号生井世光病院)とし、その妻子及び父母を扶養家族とし、右妻及び父を病院事業専従者として申告してきており、被告人を給与所得者として所得税その他を納めたり、また父を経営者又は共同経営者とする申告はしていなかつたこと、(7)、病院の収入は殆んどが被告人が中心となつてあげる診療報酬関係であり、原判示の各年度の所得からいつてもこれに対する前記の病院開設に要した土地、建物、医療機器等に対する資金の割合は地価の高騰を考えてもそんなに大きなものではないこと、(8)、生井世光病院は医師としての被告人の存在、活動を基本として開設運営された病院であり、被告人の存在の如何にかかわらず父水速の存在を基本として開設運営された病院ではないことなどが認められ、これらを総合すると、病院開設費用の大半が父水速から出され、同人が病院の会計その他事務一切を担当支配し、家長的意識で病院の収益の処理、財産化等を殆んど自分の考えのままに行つてきているといつても、生井世病院は被告人あつての病院で、被告人が病院をひらく意欲をもつて自らに許可を受けて開設者となり、雇われの身ではなく自分の病院としての目覚をもつて活動してきており、父にとつて被告人はその出発にあたりこれを利用する対象というより、同人のために援助を惜しまない最愛の次男で、かついわゆる生井家の相続人と考え将来における被告人の親兄弟の面倒見を被告人に期待するものであり、所得税の申告も被告人の名において継続的になされて父はその扶養家族で事業専従者とされ、病院の収益は被告人の診療活動が中心になつてあげたもので、父の拠出した資金は原判示の各単年度の所得にも及ばないことからいつて、父水速の病院開設にあたつての出金は自己の事業に対する出金というよりいわゆる生井家の相続人で生井家の将来の面倒見を托し、かつ同居する医師たる次男克美に対する援助であり、あえていうならばそれは父名義の不動産等については使用貸借ともいえるものであり、その他の経済的援助については一種の負担付ともいえる贈与であり、その事務一切の担当支配は父なるが故に広く被告人から委されたことによるものであり、被告人は病院経営における単なる名義人ではなく、実質的にもこれを経営しその収益を享受していたものといわざるをえない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点、量刑不当の主張について、

論旨は、原判決の刑は重きにすぎ不当である、というにある。

よつて、一件記録を精査し当審における事実の取調の結果を参酌して検討するに、本件は三年連続の脱税で脱税額が多額でかつ脱税率が高いこと、本件は従業者の違反行為についての経営者本人に対する罰金刑であり、従業者である父水速に対しては懲役一年、三年間執行猶予の判決が確定し罰金刑の併科はないことなどを総合すれば、脱税防止につき必要な注意を尽さなかつたのも父に委せたためであり、本税のみならず多額の加算税も納入ずみであり、現在病院を廃止して診療所にもどしているばかりでなく、被告人が病気で入院中であることなど所論の点を考慮しても、諸般の情状を考慮して被告人を罰金一、五〇〇万円に処したと認められる原判決の刑が重すぎるということはできない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 本間末吉 裁判官 吉田治正 裁判官 朝岡智幸)

右は謄本である。

同日同庁

裁判所書記官 根本正彦

控訴趣意書

被告人 生井克美

右の者に対する所得税法違反被告事件につき左の通り控訴趣意書を提出する。

昭和四九年二月一日

右弁護人 網田覚一

大阪高等裁判所

第五刑事部 御中

控訴の趣意

第一点 原判決には事実の誤認がある。原判決を破棄して無罪の判決を求める。

第二点 仮りに有罪を免れないとすれば原審の科刑は著しく不当である。以下申述べる諸般の減軽情状御斟酌の上、名目的程度の罰金額に減額せらるべきである。

理由

第一点

(一) 原判決には事実の誤認がある。原判決は被告人生井克美は生井光世病院の開設者であつて同病院を経営していたものであると認定しているが、克美が形式上同病院の開設者であることは争わないが、それは医療法第一〇条の法意に基き実質上の開設者が医師の資格なき父、水速であるところより、克美名儀を用いて開設の手続をしたにすぎないのである。克美は右病院の経営者ではなく、父水速がその経営者である。

所得税法第一二条は実質所得者課税の原則を定め「資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属すると見られる者が単なる名儀人であつて、その収益を享受せず、その者以外の者がその収益を享受する場合には、その収益はこれを享受する者に帰属するものとして、この法律の規定を適用する」と規定しているのである。従つて本件病院事業の実質上の所得者は父水速であり、その経営者は父水速である。被告人克美は本件病院開設以来父水速より月給をもらつて医療業務に従事していた者であり、右経営者ではないのである。然るに原審が被告人克美を経営者と認定し、本件事業所得税逋脱の責を負担せしめたことは事実誤認の結果所得税法の解釈適用を誤つているのである。当審において原判決を破棄して無罪の判決をお願いする。

(二) 元来医師が病院を経営することは容易なわざでないとされ、やむを得ざる場合に限つて自ら経営するということが、医療に携わる者の常識であり医療法の精神である。本件生井世光病院は父生井水速を経営者とし、息子生井克美を院長として右病院の管理に当らしめているのである。(医療法第一〇条)然るに原審は息子克美を本件病院の経営者と認定している。これは原審が所得税法の解釈を誤つた結果である。

凡そ税法解釈の基礎は納税者の利益を経済上の意義を尊重することであり所得税法第一二条の明定するところである。判例の説示するところによれば税法の解釈に当つては純法律的形式的観点よりもむしろ経済的実質的観点が重視さるべきであり、経済的実態に基く解釈はそれが納税者の不利益の方向に向うものでない限り、これを否定すべき理由はなく、かえつて経済的実態を無視し法規の文言に拘泥して納税者の不利益に取扱うことこそ誠実、公平な態度とは言えないと論じている。

(三) 本件生井世光病院の資本すなわち施設及び資金はすべて父生井水速の出資するところであり右病院の経理一切はあげて父生井水速の担当であつたことは記録上明らかである。従つて父生井水速が右企業の経営者であることはいうまでもない。

凡そ企業経営とは企業に投じられた資本をそこなうことなく、その資本に対する報酬をできるだけ大ならしめることを目標とし、かかる企業経営がいかに達成されたかは損益計算書や貸借対照表を中心とした会計記録によつて測定されるのである。病院で働く人々とその家族の生活を保証し一般社会に対してはよき医療を提供する責任を負担している。従つて企業経営活動の不可欠の要素は労働と資本である。そして、企業経営としての生産過程からもたされる費用、収益及び資本についての状態とその変化の計算的把握及び管理のための全体系を経理というのである。本件生井世光病院の資本すなわち必要な施設と資金(医療法第四一条)を提供し、経理を担当していたのは父生井水速であること記録上明瞭である。息子、被告人生井克美は本件病院の管理者てある。(医療法第一〇、一二条)形式上生井克美が病院の開設者として届出られているが医師でない父生井水速を開設者とするよりも簡明達意であつたからである。それがために経済上の実態が変更されるいわれはない。所得税法第二四四条第一項を適用すれば父生井水速は本件病院の経営者であり、業務に関し違反行為をした者である。

本件の全責任は父生井水速にあり、息子生井克美がその一部でも負うべき理由はない。同条に「その行為者を罰するの外その法人又は人に対して各本条の罰金刑を科する」という「人」は父生井水速であつて息子克美ではない、原審は弁護人が殊更に父に全責任をかぶせようと強弁したと誤解しているのである。本件病院の実体を証拠により把握していただければ直ちに判明するのである。

第二点

(一) 原審は被告人生井克美に対し千五百万円の罰金を科しているのであるが、もし本件が有罪の判決を免れないとするならば、原判決を破棄し次に申し上げる減軽情状を斟酌し、名目上の程度の罰金に減額せられたいのである。

(二) 最高裁判所大法廷は脱税者の不正行為に対する刑罰はその不正行為の反社会性ないし反道徳性に着目し、これに対する制裁として科せられるものであると説示している。

ところが学者の研究によれば脱税はどこの国にもどの社会階級にも存在し、殆んど正当化されており政府はそれを見越し殊更に高い税率を定めている。従つて脱税に対する厳罰は国民を政府から離反せしめるから避けねばならぬと説明している。さまざまな正義の中で租税に対する正義が最も実現困難であると言われ、課税する権力は破壊する権力であるという警句の生れるゆえんである。

(三) 最高裁判所大法廷は追徴税(重加税)は申告納税の実をあげるために本来の租税に附加して租税の形式により賦課せられるものであつてこれを課することが申告納税を怠つた者に対し制裁的意義を有することは否定し得ないと説示している。(集一二巻六号)

本件被告人生井克美に罰金刑を量定するに当つては当然右重加算税をどれほど納入したかを考慮していただかねばならぬ。

本件は一億二千三百万円余の脱税であるが被告人名儀ですでに本税を悉く納入し、重加算税三千七百余万万円を納入していることは記録上明瞭である。重加算税が制裁である以上すでに三千七百余万円を納入した被告人生井克美に対しなお千五百万円の罰金を科することは余りにも過酷な処刑である。被告人生井克美は自業自得であつたとは言え本件脱税により、本税重加算税、利息、府市民税合計二億八千万円余を支払つていること原審で立証した通りである。それにも拘らず、原審が被告人生井克美に対し千五百万円の罰金を科したことは著しく不当である。願わくは原判決を破棄し、被告人生井克美に対し名目に止まる程度の罰金刑に処していただきたいのである。

(四) 被告人生井克美は父水速の願望を容れて医師となり、父の出資設営した病院の院長となり日夜医療に精励し、一切の経理は父の独裁に任かせ自らは院長としての給与を被告人の妻において父より受けとり一家の生計を立てていたのである。たまたま父母と同居している関係上当局は本件の実質を顧慮せず、形式上の開設者であり、院長である息子克美を経営者と認定しているのである。かような誤解を生じたのは父水速の税法知識の不足のためである。父は当年すでに七四才の高齢であり、本件を惹起し心痛の余り高血圧となりその治療に専念し、母も本件のシヨツクにより病に倒れ目下養生中である。克美自身も思いもよらぬ責任の追及に会い過労と心痛でいたく健康を害し、もはや従前の如く病院経営が不能となつたので診療所に規模を縮少し救急病院を辞退し、近く病院の建物を売却し、廃業の準備中である。

(五) 以上申上げた諸般の減軽情状御斟酌の上是非とも名目程度の罰金額に減刑せられたいのである。

以上

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