大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和48年(う)394号 判決 1975年2月21日

主文

原判決中、被告人Yに関する部分を破棄する。

被告人Yは無罪。

検察官の被告人両名に関する各控訴を棄却する。

理由

検察官の被告人両名に関する控訴の趣意は、京都地方検察庁検察官検事斎藤正雄作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人平田武義、同渡辺馨、同加藤英範(以下弁護人らという)連名作成の答弁書に、弁護人らの被告人Yに関する控訴の趣意は、弁護人ら連名作成の控訴趣意書に、それぞれ記載してあるとおりであるから、いずれもこれらを引用する。

弁護人らの控訴趣意第一点について

論旨は、要するに、原判決は、被告人Yの判示所為に対し、公職選挙法一三八条一項、二三九条三号を適用したが、これら規定は憲法二一条に違反する無効のものであるから、原判決は法令の適用を誤ったものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

しかしながら、公職選挙法一三八条に定める戸別訪問の禁止が、憲法二一条に違反するものでないことについては、累次の最高裁判所大法廷判決(昭和二五年九月二七日・刑集四巻九号一七九九頁、同四二年一一月二一日・刑集二一巻九号一二四五頁、同四四年四月二三日・刑集二三巻四号二三五頁)の明らかにするところであり、当裁判所もこの見解に従うものであるから、論旨は理由がない。

検察官の控訴趣意第一点および弁護人らの控訴趣意第二点について

検察官の論旨は、要するに、原判決は、被告人Yに対する六戸への戸別訪問の公訴事実のうち、樋口つる方、竹内千代子方、中沢真由美方への各訪問につき、また、被告人Kに対する六戸への戸別訪問の公訴事実のうち、鈴木智子方、中島日出夫方、安川絢子方、堤信子方、三浦豊次方への各訪問につき、いずれもその訪問の目的が、交通安全施設設置要求に関する署名を求め、その際蜷川候補を推薦する「明るい民主府政をすすめる会」のシンボル・マークを戸外に貼付することを依頼することにあったと考える余地があり、蜷川候補への投票依頼の目的があったとは認められないとしたが、右シンボル・マークが蜷川候補を支持し推薦する団体のものであることは、当時選挙人の間にほゞ周知の事実であったこと、被告人両名の本件各訪問の日時が選挙の期日の一週間前で、同時間帯にほゞ同地域を戸毎に訪問していること、被告人両名の各訪問先における言動などを総合考慮すると、被告人両名は、右各戸への訪問を、いずれも交通安全施設設置要求の署名運動に藉口して蜷川候補への投票依頼の目的をもってしたことが明らかであって、これを認めなかった原判決は事実を誤認したものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。これに対し、弁護人らの論旨は、要するに、原判決は、被告人Yが中野明子方、矢田和子方、木村光雄方を各訪問した際、同人らに対し蜷川候補への投票依頼をしたもので、その各訪問はその投票依頼の目的をもってしたものであると認定したが、被告人Yが右三戸を各訪問した目的は、いずれも交通安全施設設置要求の請願署名行動のためであり、またそれに付随して組合からの指示によりシンボル・マーク貼付方を依頼するためであって、被告人Yがこれら訪問先において投票依頼をした事実はなく、かりに選挙に関して何らかの言葉を述べたことがあったとしても、それは、帰りぎわの挨拶程度のものにすぎなかったのであり、投票依頼の目的をもって右各訪問をしたものではないから、原判決の右認定は、事実を誤認したものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで、記録および原審で取り調べた証拠ならびに当審における事実取調べの結果を検討した結果、当裁判所は次のとおり判断する。

一、被告人両名が各戸を訪問するに至った事情

関係各証拠によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、

1  亀岡市においては、住民運動などを目的として地域の母親、婦人により昭和四一年以降毎年一回母親大会が開催されており、その日常活動組織として亀岡母親連絡会が結成されていたところ、亀岡教職員組合(以下亀教組と略称する)婦人部はその加盟団体であり、その活動の中心であった。右連絡会においては、行政当局に対し保育所増設を要求するとともに子供を交通事故から守るための交通安全施設設置を要求する決議などをしていたが、昭和四四年当時亀岡市内を約一四キロメートルにわたり貫通する国道九号線には陸橋一か所、信号機二か所しか交通安全施設がなく、右国道を渡って通学・通園する学童・園児の交通事故は増加していた。そこで、同年一一月右連絡会主催の交通事故対策のための集会において、亀教組婦人部提案の交通安全施設設置要求の署名運動が決議され、昭和四五年二月ごろからその署名運動が実施されていた。そして、同年三月一四日亀岡母親連絡会は亀岡婦人連絡会に発展的に改組されたが、右婦人連絡会は右署名運動を引き継いだうえ、さらにこれを強化するため、参加団体に署名運動の地域割当を決めた。これを受け、亀教組婦人部では、各分会内での署名活動のほか各組合員が校下での署名活動を続けていたが、その状況があまり芳しくなかったので、同年三月二七日の役員会において、同年四月五日の日曜日に傘下婦人組合員により統一署名活動を行うことが決定され、婦人部長から各組合員に対し、その署名行動のため同日亀岡労働セツルメントに集合するよう伝達された。

2  昭和四五年四月一二日施行の京都府知事選挙に先だち、同年初めごろその候補者として蜷川虎三を推薦する団体である「明るい民主府政をすすめる会」が結成され、同年二月ごろその下部団体として「明るい民主府政をすすめる亀岡連絡会」が結成されていたところ、亀教組も右連絡会に加盟していた。「明るい民主府政をすすめる会」は同年三月末ごろからオレンジ色の円形の図案を同会のシンボル・マークとして広く宣伝し、京都府下ではこれが蜷川候補を支持し推薦する団体のものであることが選挙人の間においてかなり周知の事実となっていた。そして、右亀岡連絡会は、同年四月三日の幹部会において右シンボル・マークだけを印刷した半紙大よりやや小さいポスター用紙(以下本件シンボル・マーク紙という)を全戸に配布して戸外に貼付方を依頼することを決定し、直ちにこれを加盟団体に指示した。これを受けて亀教組役員会はその行動の実施を決定し、同月五日、委員長から婦人部長西田ちゑ子に対し、同婦人部が行う交通安全施設設置要求の署名行動の際、ついでに本件シンボル・マーク紙の配布、貼付依頼をするよう伝達され、本件シンボル・マーク紙が渡された。

3  被告人両名は、いずれも亀岡市立○○小学校の教諭であり、亀教組婦人部の組合員であるところ、前記婦人部長からの連絡に従い、同年四月五日午後一時三〇分ごろ亀岡労働セツルメントに集合した。そこで、婦人部長から被告人両名ら組合員約三〇名に対し、それまでに行われた児童・園児らのための交通安全施設設置要求の対市交渉の結果が思わしくないという報告ののち、当日は二、三人が組になって地域を分担して署名を集めるようにとの指示がなされ、さらに、署名を集める際、ついでに本件シンボル・マーク紙を配布して戸外への貼付を依頼してほしい旨伝達された。そこで、組合員らは各自そこに準備されていた亀岡市議会議長あてに国道九号線沿線の通学・通園交差道に信号機、地下道などの交通安全施設設置を要求する旨の騰写印刷された請願署名用紙(以下本件署名用紙という)と本件シンボル・マーク紙を各数枚ずつ持って戸別訪問に出ることになった。

4  右のような経緯で、被告人両名は、一緒に亀岡市内の矢田町および京町を署名活動に回ることになり、それぞれ本件署名用紙および本件シンボル・マーク紙を各数枚ずつ携行し、午後二時ころ右セツルメントを出発した。被告人両名は、まず一緒に中野明子方を訪問し、次いで別々に、被告人Yは石原重市方、矢田和子方、樋口つる方、竹内千代子方、木村光雄方、中沢真由美方、松波ハルコ方、田畑こう方、福森マツヱ方、竹田竹一方を順次訪問し、被告人Kは、鈴木智子方、中島日出夫方、岩崎某方、安川絢子方、堤信子方、三浦豊次方、塩野三三郎(面接者鹿見里枝)方、樋口四郎方を順次訪問したのち、被告人両名は、午後三時三〇分ころ落ち合って亀岡労働セツルメントに引き返した。

以上の事実が認められる。

二、被告人両名の各訪問先における所為

(一)  被告人Yの所為

1  中野明子方において

原審証人中野明子の供述によれば、被告人Yは、被告人Kとともに、いずれも以前洋服仕立を注文して面識のある中野明子方を訪問し、冒頭洋服仕立について雑談しているうち選挙の話になり、被告人両名で「ここさんのことですからざっくばらんに言わしてもらいますけど、私たちがこういうことを言うたらいけないんですが、蜷川さんによろしくお願いします」と述べ、そ後信号機設置要求の請願署名を依頼してその署名をもらい、本件シンボル・マーク紙を渡して(その時間的前後関係は明らかでない)立去ったことが認められる。

2  矢田和子方において

原審証人矢田和子の供述および被告人Yの原審公判廷における供述(後記措信しない部分を除く)によれば、被告人Yは、矢田和子方を訪問し、同被告人を学校の先生と知っていた同人に対し、交通難で歩道橋など設置要求したいので、その署名をしてほしい旨述べて、同人の父の名を署名してもらい、その後、同人と自分の姉とは同級生であったなどと話をし、最後に本件シンボル・マーク紙を渡し、その際「今度の選挙のときには蜷川知事をよろしくお願いします」と言って立去ったことが認められる。

3  樋口つる方において

原審証人樋口つるの供述によれば、被告人Yは、樋口つる方を訪問し、子供がよく交通事故に遭うので信号機を増設してもらうため、署名をしてほしい旨述べ、同人にいわれて代筆し署名をもらった後、「ついでにこれを頼んでくれんかといって頼まれました」と言って本件シンボル・マーク紙を置いて帰ったことが認められる。

4  竹内千代子方において

原審証人竹内千代子の供述によれば、被告人Yは、竹内千代子方を訪問し、○○小学校の教諭であるが、横断歩道橋設置要求の署名をしてほしい旨述べ、その署名をしてもらった後、本件シンボル・マーク紙を渡して「蜷川さんにお願いします」と述べたところ、右竹内から「それは選挙違反になるんと違いますか」と言われ、ならない旨返事して帰ったことが認められる。

5  木村光雄方において

原審証人木村光雄の供述によれば、被告人Yは、木村光雄方を訪問し、知り合いの同人に対し家族の健康を尋ねるなどしたうえ、国道に横断歩道橋を設置する要求の署名を依頼し、同人とその家族の署名をしてもらい、帰る間際に、蜷川さんによろしく頼む旨述べて、本件シンボル・マーク紙を置いて帰ったことが認められる。(なお、同証人の供述中には「選挙のことだけで回っているのでは悪いから、横断陸橋の署名と一緒に回らしてもらっている」旨選挙のことが本来の訪問の目的であるような供述部分があるが、これはその後の「選挙のほうがついでだったんと違いますか」との供述部分と矛盾することおよび前記被告人両名が中野明子方外を訪問するに至った経緯で認定した事実に照らして、措信することができない。)

6  中沢真由美方において

原審証人中沢真由美の供述によれば、被告人Yは、中沢真由美方を訪問し、面識のなかった同人に対し、自分が教師であると挨拶したうえ、歩道橋設置要求の署名を集めて歩いているので、署名してほしい旨述べて、同人からその家族の分も含めて署名してもらった後、本件シンボル・マーク紙を渡して、「これをお願いします」と言ったところ、同人から「わかりました」と返事されて立去ったことが認められる。

7  その他の訪問先において

被告人Yの原審公判廷における供述、原審証人田畑こう、同福森マツヱ、同竹田竹一の各供述によれば、被告人Yは、石原重市方を訪問したところ、高校生の息子がいただけであったが、同人に交通安全施設要求の署名を頼んで、これに応じてもらい、本件シンボル・マーク紙を渡して、その貼付方を依頼したこと、松波ハルコ方を訪問したが、同人が病床にあったため、そこにいた親せきの者に交通安全施設要求の署名をしてもらったこと、田畑こう方、福森マツヱ方、竹田竹一方を各訪問し、いずれも交通安全施設要求の署名をしてもらったこと、右松波、田畑、福森、竹田方においては、いずれも本件シンボル・マーク紙は手持ちがなくなったため渡していないし、また選挙に関する話もしていないことが認められる。

以上の各事実を認定することができ、≪証拠省略≫はいずれも右認定を動かすに足りず、また右認定に反し、被告人Yは、原審公判廷において、中野明子、矢田和子、竹内千代子、木村光雄方でいずれも選挙に関する話をし、あるいは、蜷川への投票を依頼する趣旨の文言を述べたことは一切ない旨供述するが、右供述は右被訪問者らの前記各供述に照らして措信することができない。

(二)  被告人Kの所為

1  中野明子方において

前記被告人Yにつき中野明子方における所為として認定した事実((一)の1)のとおりである。

2  鈴木智子方において

原審証人鈴木智子の供述によれば、被告人Kは、鈴木智子方を訪問し、面識のなかった同人に対し、国道に歩道橋を設置するよう要求する署名をしてほしい旨述べて、その署名をしてもらい、帰る前に、今度の選挙に投票する人をもう決めたかと尋ね、もう決めている旨答えられ、本件シンボル・マーク紙を渡して、戸外に貼付してほしい旨依頼したところ、同人から断わられたが、それなら置かしてもらうと述べてこれを置いて帰ったことが認められる。

3  中島日出夫方において

原審証人中島日出夫の供述によれば、被告人Kは、中島日出夫方を訪問し、初対面の同人に対し、子供を交通事故から守るために国道に陸橋をつけたいので、その要求の署名をしてほしいと頼んで、その署名をしてもらい、帰る前に、「私は明るい民主府政をすすめる会の者です」と言って本件シンボル・マーク紙を差し出し、表に貼付してほしいと依頼し、さらに「次の選挙にはよろしくお願いします」と述べて帰ったことが認められる。

4  安川絢子方において

原審証人安川絢子の供述によれば、被告人Kは、安川絢子方を訪問し、面識のなかった同人に対し、国道に歩道橋を設置する要求の署名をしてほしい旨依頼して、同人に同人とその夫の署名をしてもらい、「今度の選挙に蜷川さんをよろしくお願いします」と言って、本件シンボル・マーク紙を渡して帰ったことが認められる。

5  堤信子方において

原審証人堤信子の供述によれば、被告人Kは、堤信子方を訪問し、面識のなかった同人に対し、子供たちのために歩道橋の設置を要求するので、署名してほしい旨依頼して、同人に同人とその夫の署名をしてもらい、「ついでに」と言って本件シンボル・マーク紙を差し出して畳の上に置き「蜷川さんをよろしくお願いします」と述べて帰ったことが認められる。

6  三浦豊次方において

被告人Kの原審公判廷における供述および原審証人三浦豊次の供述(後記措信しない部分を除く)によれば、被告人Kは、三浦豊次方を訪問し、同人に対し交通安全施設要求の署名について話し掛けたが、関係がないと言われて断わられたために、話を途中でやめて立去ったことが認められる。(原審証人三浦豊次は、一度帰りかけた女性が再び引返してきて、今度の選挙に蜷川さんに入れてくれといった旨供述するが、同証人はその女性が被告人Kであるかどうかもわからないというほど極めてあいまいな供述をしていることおよび署名すら断られた被告人Kが再び引き返してきて投票依頼をしたとは考えられないことに照らし、右供述は措信できない。)

7  その他の訪問先において

被告人Kの原審公判廷における供述および原審証人安川絢子、同鹿見里枝の供述によれば、被告人Kは、岩崎某方を訪問して、交通安全施設設置要求の署名をしてもらい、本件シンボル・マーク紙を渡したこと、塩野三三郎方を訪問し、嫁ぎ先から来ていた鹿見里枝に対して、子供を交通事故から守るため交通安全施設設置を要求する署名をしてほしい旨述べて、同人に同人および塩野方家族の署名をしてもらったこと、さらに樋口四郎方を訪問し、その家人に交通安全施設設置要求の署名をしてもらったこと、右塩野、樋口方においてはいずれもすでに本件シンボル・マーク紙の手持ちがなく、これを渡さなかったことが認められる。

以上の各事実を認定することができ、≪証拠省略≫はいずれも右認定を動かすに足りず、また、右認定に反し、被告人Kは、原審公判廷において、中野明子方、鈴木智子方、中島日出夫方、安川絢子方、堤信子方においていずれも選挙に関する話をし、あるいは蜷川候補への投票を依頼する趣旨の文言を述べたことは一切ない旨供述するが、右供述は右被訪問者らの前記各供述に照らして措信することができない。

三、被告人両名の各戸訪問の目的

検察官の所論は、被告人両名は交通安全施設設置要求の署名運動に藉口して蜷川候補への投票依頼の目的をもって本件起訴にかかる中野明子方外を戸別訪問したものである、と主張するのであるが、前記一において認定した事実によれば、被告人両名の本件当日における各戸訪問の主目的が、交通安全施設設置要求の請願署名を求めることであったことが明らかであり、その署名活動が蜷川候補の選挙運動としての戸別訪問のための外形的、見せ掛け的なものであったとは認められない。

しかし、被告人両名は、右署名活動をするに際し、亀教組婦人部長から各訪問先において本件シンボル・マーク紙を頒布し、戸外への貼付を依頼するよう指示され、それを実行しているので、その目的をあわせ有して各戸を訪問したことが明らかである。そこで、まず、本件シンボル・マーク紙の配布、貼付依頼の行為を蜷川候補への投票依頼の行為と認めうるかどうかについて検討する。公職選挙法一四二条一項および一四三条一項にいう選挙運動のために使用する文書図画とは、その外形内容自体からみて選挙運動のために使用すると推知されうるものをいうから(最高裁判所昭和三六年三月一七日第二小法廷判決・刑集一五巻三号五二七頁、同裁判所昭和四四年三月一八日第三小法廷判決・刑集二三巻三号一七九頁参照)、シンボル・マークが公職の候補者またはその支持、推薦団体を表象するものであっても、単にシンボル・マークのみを表示した文書図画は、右選挙運動のために使用する文書図画にはあたらないと認めるべきところ、昭和四五年法律一二七号による改正後(以下において改正とは同法律によるものをいう)の公職選挙法一四六条一項によれば、選挙運動期間中において公職の候補者のシンボル・マークを表示する文書図画の頒布、掲示は、同法一四二条、一四三条の禁止を免れる行為として禁止され、また、同法二〇一条の九第一項(なお同法二〇一条の五第一項の掲示、頒布についての括弧書)によれば、都道府県知事の選挙の行なわれる区域においてその選挙の期日の告示の日から選挙の当日までの間に限り、政党その他政治団体のポスターの掲示、立札および看板の類の掲示およびビラの頒布は禁止され、その掲示、頒布には政治団体のシンボル・マークを表示するものの掲示または頒布を含むとされているので、選挙運動用とは認められないシンボル・マーク表示の文書図書であっても、これを掲示、頒布することは、選挙の時期(および選挙の区域)においては、違法な選挙運動になるとされていることが明らかである。しかしながら、本件当時施行されていた改正前の公職選挙法においては、右のように候補者または政治団体のシンボル・マークを表示する文書図画の掲示、頒布を規制する規定がなかったのであるから、その掲示、頒布は、選挙の時期(および選挙の区域)においても、なお選挙運動であるとは認めていなかったものと解するのが相当である。この意味において、あるシンボル・マークが特定の候補者または政治団体を表象するものであることが、選挙人の間において周知されるに従い、そのシンボル・マークを表示した文書図画の掲示、頒布は、それだけで実質的には選挙運動としての効果を生ずることになるが、内心の意思がどうあれ、その掲示、頒布行為それ自体はいまだ選挙運動とみることはできず、ましてこれをもって選挙運動の中でも典型的な投票依頼行為と認めることは到底できないというべきである。このような観点から本件についてみるに、本件当時はすでに選挙の期日の告示後であり、また本件シンボル・マーク紙が「明るい民主府政をすすめる会」のもので、蜷川候補を支持し、推薦する趣旨のものであることが、選挙人の間においてかなり周知の事実となっていたから、各戸を訪問してこれを頒布し、戸外へ貼付を依頼する行為に出る場合、その内心において蜷川候補の当選に有利な効果を期待し、さらには相手が蜷川候補に投票してくれることを期待していることも考えうるのであるが、外形的行為がその頒布と貼付依頼それだけにとどまり、これにともなう何らかの明示または黙示の投票依頼の趣旨の言動がない限りにおいては、その行為は投票依頼行為とは認められないのである。そうしてみると、亀教組が被告人両名らに対し、署名活動で各戸を訪問するついでに、本件シンボル・マーク紙を頒布し、戸外への貼付を依頼するよう指示したことは、違法にわたらない限度におけるものとして理解することができるのであり、その限度を越えて違法に蜷川候補への投票依頼の行為に出ることを暗黙のうちにも指示したとは認め難い。したがって、被告人が亀教組婦人部長から指示を受けた各戸訪問の目的は、第一次的には交通安全施設設置要求の署名を求めることであり、あわせて第二次的に本件シンボル・マーク紙を頒布し、戸外への貼付を依頼することであって、それ以上に蜷川候補への投票を依頼することまでを包含していたものではなかったとみるべきである。

ところで、次に、被告人両名の各訪問先における所為をみると、前記二において認定したように、それぞれ交通安全施設設置要求の署名を求め、あわせて本件シンボル・マーク紙を頒布し、戸外への貼付を依頼したというだけにとどまらず、被告人Yは、中野明子方、矢田和子方、竹内千代子方、木村光雄方において、被告人Kは、中野明子方、中島日出夫方、安川絢子方、堤信子方において、いずれも蜷川候補への投票を依頼する趣旨の文言を述べているのであり、これら事実に徴すると、被告人両名は、それぞれ本件起訴にかかる全戸について、あるいは少なくとも右投票依頼をした各戸について、蜷川候補への投票を依頼する目的をもって訪問したのではないかという疑いが生ずる。そこで、考えるに、前記一、二において認定した各事実を総合してみると、被告人両名の本件当日における各戸への訪問は同一の目的をもった一連の行動であったと認めるべきであり、前記投票依頼をした各訪問先とその依頼をしなかった各訪問先とで訪問の目的を異にしていたとは認められないので(もっとも、本件シンボル・マーク紙の手持ちがなくなった後の訪問先に対して、その頒布、貼付依頼目的がなかったことは別である)、被告人両名が投票依頼の目的をもって戸別訪問したかどうかは、訪問した全戸を通じて同一に判断すべきであり、原判決のように投票依頼をしたと認められる訪問先だけにつき、その投票依頼をしたことから逆にその訪問には投票依頼の目的があったと認定することは全体的観察に欠けるものと考える。このような見地からみるに、被告人両名が、それぞれ四戸もの訪問先において蜷川候補への投票依頼をしていることは、現実にその依頼をしたかどうかは結果にすぎず、その依頼をしなかった各訪問先をも通じて、その訪問には投票依頼の目的があったのではないかと推認させる有力な事実であるともいいうる。しかしながら、これまでに認定、判断したところを総合して考察するに、被告人両名が亀教組婦人部組合員として本件当日行動すべく指示を受けていた事柄は、各戸を訪問して交通安全施設設置の請願署名をしてもらい、そのついでに本件シンボル・マーク紙を頒布し、戸外への貼付を依頼することであり、蜷川候補への投票を依頼することは暗黙のうちにも含まれていなかったこと、本件当時はすでに選挙の期日の告示後であり、本件シンボル・マーク紙が蜷川候補を支持し、推薦する趣旨のものであることが、選挙人の間においてかなり周知の事実となっていたが、改正前の公職選挙法は、本件当時に本件シンボル・マーク紙を頒布し、戸外への貼付を依頼する行為それだけにとどまる限り内心においてその行為により相手の蜷川候補への投票という効果の生ずることを期待していたとしても、その行為自体については何らこれを選挙運動として規制していなかったこと、被告人Yは訪問した一一戸のうち四戸のほかでは投票依頼をしていないし、また被告人Kは訪問した九戸のうち四戸のほかでは投票依頼していないこと、とくに被告人両名の投票依頼は、いずれも本件シンボル・マーク紙を頒布し、戸外への貼付を依頼した訪問先のうちに限られ、本件シンボル・マーク紙の手持ちがなくなり、その頒布、貼付依頼をしなかった訪問先ではその行為に出ていないこと、そして、その各投票依頼行為は、中野明子方におけるそれを除くといずれも署名をしてもらった後、帰りぎわに本件シンボル・マーク紙を頒布し、戸外への貼付依頼をした際に、これをなしたものであり、その文言は「蜷川さんによろしくお願いします」という程度の簡単なものであることなどを総合してみると、被告人両名は、本件シンボル・マーク紙の各戸への頒布、貼付依頼を指示されたために、その行為をも各戸訪問の目的としたが、その頒布、貼付依頼行為が蜷川候補の当選に有利な行為であることを認識するとともに、さらには内心においてその行為により相手方が蜷川候補に投票してくれることを期待する気持をも持って各戸を訪問し、それが各四戸の訪問先(うち一戸は共同の訪問先)においては交通安全施設設置要求の署名を求め、さらに本件シンボル・マーク紙を頒布し、戸外への貼付を依頼するだけにとどまらず、その場で右期待の気持が行動に転じ、投票依頼の文言を口にするに至ったと解する余地があり、被告人両名において投票依頼をした各戸および投票しなかった各戸を通じその訪問をするに際し、右のような期待の気持以上に、積極的に蜷川候補への投票依頼をしようとする意欲があったと断ずるには、なお合理的な疑いが残るといわざるを得ない。

四、各控訴趣意に対する結論

以上の次第であるから、本件各起訴にかかる被告人両名の各戸の訪問については、いずれも蜷川候補に投票を得しめる目的があったことにつき証明がないから、被告人両名に対しては無罪の言渡をしなければならないものである。したがって、原判決が被告人Yに対し原判示のように戸別訪問罪の成立を認めたことには判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があり、被告人Kに対し戸別訪問罪の成立を認めなかったことは結局正当であって判決に影響を及ぼすべき事実の誤認はなかったというべきである。検察官の被告人両名に関する各論旨はいずれも理由がなく、弁護人らの被告人Yに関する論旨は理由がある。

よって、検察官の被告人両名に関する各控訴は理由がないから、刑事訴訟法三九六条によりこれを棄却することとし、弁護人らの被告人Yに関する控訴は理由があるから、同法三九七条一項、三八二条により、原判決中、同被告人に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに判決するに、同被告人に対する本件公訴事実の要旨は、「被告人Yは、昭和四五年四月一二日施行の京都府知事選挙に立候補した蜷川虎三の選挙運動者として、同候補者に投票を得しめる目的で、京都府亀岡市矢田町および同市京町の選挙人である中野明子方(Kと共謀)、矢田和子方、樋口つる方、竹内千代子方、木村光雄方、中沢真由美方を戸々に訪問して、同人らに対し、右候補者のため投票方を依頼した」というのであるが、前記のとおり犯罪の証明がないから、同法四〇四条、三三六条により同被告人に無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 戸田勝 裁判官 萩原壽雄 野間洋之助)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例