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大阪高等裁判所 昭和48年(行コ)23号 判決 1979年5月09日

和歌山県新宮市新宮三八八五番地

控訴人

廣里直太郎

右訴訟代理人弁護士

橋本二三夫

豊川義明

内山正元

和歌山県新宮市新宮一二三二番地の一

被控訴人

新宮税務署長

小幡隆

右指定代理人

辻井治

大河原延房

仲村清一

石川智

加幡修

右当事者間の更正処分取消等請求控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  控訴人

(一)  原判決中、控訴人の本案敗訴部分を取り消す。

(二)  被控訴人が昭和四一年八月一一日付で、控訴人の昭和四〇年分所得税についてなした総所得金額を二九七万五〇五五円とする再更正処分(その後再々更正処分により総所得金額は二六五万一六九六円に減額された。)のうち、金七一万八二七〇円を超える部分を取り消す。

(三)  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

主文同旨。

二  当事者の主張

次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  控訴人

(一)  不動産所得について

控訴人は昭和三八年一二月一七日木村繁雄に対し本件建物を賃貸し、その際二年半分の前受け賃料として金六〇万円(月金二万円)を受け取ったが、昭和三九年暮頃右建物を崔斗煥に売却し、その際木村との間で右建物の賃貸借契約を解除するとともに、既に受領済みの前受け賃料のうち、それ以後の賃料に相当する金三六万円を同人に返還し、その後は崔が右物件を所有使用していたもので、昭和四〇年分の不動産所得はなく、右は木村作成の金三六万円の領収証(甲第一七号証)によって明らかである。もっとも同証は昭和四七年二月二八日に作成されているが、右は本件に関する一切の書類が被控訴人によって押収されその返還を得られなかったので、やむなく後日木村に作成を依頼したことによるものである。したがって同証が後日作成されたからといって直ちにその記載同容の信用性を否定できない。もし同証に虚偽の内容が記載されているとすれば、むしろ作成日付を遡らせると考えられるから、そのような作為のない同証の記載内容は事実であり、木村は控訴人から昭和四〇年以降の前払賃料の返還を受けており、したがって控訴人に同年以降本件建物について賃料所得のないことは明らかである。

原判決は甲第一九号証、乙第七号証をひき前受賃料を返還したのは所有権移転登記の際であると認定しているが、甲第一九号証は単なる建物賃貸借契約書でその内容も控訴人主張の右事実を左右するものでないし、また乙第七号証は登記簿謄本で、登記簿における登記原因及びその年月日が必ずしも真実でないことは常識ともいえるから、右記載が前記事実に反するからといって、これが虚偽であるとはいえない。

(二)  譲渡所得について

(1) 甲物件

控訴人が和歌山地方裁判所新宮支部の不動産競売において甲物件を競落し、これを中塚正義に譲渡したのは、植田主喜の依頼によるもので、同人に名義を貸したにすぎず、これによって所得が生じたとすれば、右はすべて同人に帰属したものである。

右事実に反する乙第五、第六号証はいずれも植田が国税局の調査に困惑の余り虚偽の事実を述べたもので信用できず、むしろ甲第二二、第二三号証 の各一、二、第二四号証の一ないし三、第二五号証の一、二、原審及び当審証人植田主喜の証言、原審(第一、二回)及び当審における控訴人本人尋問の結果によると右事実が認められる。植田は本件において偽証をする利益を有しない。

(2) 乙物件

控訴人が紀宝町から交換取得した谷の川の土地は従来谷間であった所を埋め立てたもののうち、谷の最も深い所で、水はけが悪く雨が降れば水に浸かるといった条件の悪い場所であったため、分譲に際して売れ残り、控訴人が宅地造成後も容易に売却できずにいるものである。右は、甲第二七号証、第二八号証の一ないし六、第二九号証の一、二、第三〇、第三一号証、第三二号証の一ないし五、第三三号証、原審証人七瀧恒雄の証言、原審(第一、二回)及び当審における控訴人本人尋問の結果によって明らかであり、右土地の価格は高くとも坪当り金一万円を超えるものではない。

もっとも、右土地は紀宝町が既に坪当り金一万五〇〇〇円で分譲した土地に隣接しており、同町議会では右谷の川の土地を金四〇〇万円(坪当り約金一万五二〇〇円)と評価しているが、右土地が分譲地と近接しているとしてもこれと同一条件でなく、むしろ劣悪であるから、右分譲地の価格をもって本件谷の川の土地の価格は推認できず、また土地価格は客観的諸条件によって定まるもので、町議会の決議等特定の主観的要因によって定まるものでもないから、これによって前記事実が左右されるものでない。

(3) 丙物件

丙物件が西垣戸定助に譲渡されたのは甲第一四号証の一、二によると、昭和四一年七月であり、同人は右買い受け後右物件を三重県南牟婁郡御浜町大字下市木二七五四番地に移築し、同年九月頃完成したのであるから、右譲渡代金が昭和四〇年分の所得になる筈はない。

2  被控訴人

(一)  不動産所得について

控訴人は、登記簿謄本に記載された登記原因及びその年月日が真実を記載されていないことは常識である旨主張する。しかし、不動産の登記は社会の要請及び登記制度の趣旨から権利変動を如実に反映すべきものであり、そのため登記権利者及び同義務者は正しい内容の記載された申請書をもって登記所に登記を申請し、登記官は右申請書記載の内容を登記簿に登載するものであって、そこに記載されている登記原因及びその年月日は申請者が制度の趣旨に従いみずからの意思に基づいて記載した事項に基づくもので、真実が表示されているとみるのがむしろ常識である。

(二)  譲渡所得について

(1) 甲物件(実質譲渡者)

植田主喜は原審証人として、控訴人に対し甲物件競買のための資金三五〇万円を預託したとしながら、これが自己の資金であるか否かについて、否定、肯定、否定とその供述を変え、右物件の転売利益が金一六万円程あったとしながら、これをその支払者とは考えられない右競買資金の貸主である金融会社の代表者宇城正蔵から受け取った旨述べ、譲渡時の取引はすべて知っているとしながら、譲受人中塚正義とは会ったこともなく、仲介人の中西新太郎とは顔を一度見たが話をしたことはないと述べ、当審証人として、右金三五〇万円を金融会社から借りたか否かについて、肯定、否定と供述を変え、また自己が同物件の譲渡人であるかについても肯定、否定とその供述を変えている。右のとおり植田の供述は矛盾し変転しとうてい信用できない。また同人が作成したという甲第一二、第二二、第二三、第二五号証の各一、二もその内容がいずれも後日になされたものとして信用できない。これに反しなんらの作為も入らなかったと思われる時点での同人の供述録取書である乙第五、第六号証は作成の経緯において、また関係各証拠との間に矛盾がないことにおいて十分信用するに足りるものである。

更に、乙第八号証、第九号証の一ないし四は原審証人中西新太郎の甲物件についての証言を裏付けるものであり、右証言によると、仲介人である中西は控訴人から同物件の譲渡の依頼を受け、その代金を控訴人に手渡し、同人から仲介料金一〇万円を受け取ったことが明らかであり、同物件の譲渡人が同人であることに疑いを挟む余地はない。

(2) 乙物件(譲渡価格)

原審証人七瀧恒雄は、「昭和四〇年頃谷の川の土地約一〇〇〇坪を造成し、うち六〇〇坪を坪当り金一万五〇〇〇円で公募したところ、一七、八名に僅か半日で売れた。」旨、「残地である本件土地は分譲した土地と比べて良い所と悪い所とが半々で、平均すると公募で売却した土地と同程度の価値がある。」旨各供述し、乙第三号証には、昭和四〇年一二月六日紀宝町長ほか二三名出席のうえ開かれた同町議員全員協議会で本件谷の川の土地を金四〇〇万円(坪当り約金一万五二〇〇円)と評価しており、これらの点からすると、本件右土地を坪当り金一万円とする控訴人の主張は明らかに誤まっている。

三  証拠

次に付加するほか、原判決事実欄に記載のとおりであるから、これを引用する。

1  控訴人

(一)  甲第二一号証、第二二、第二三号証の各一、二、第二四号証の一ないし三、第二五号証の一、二、第二六、第二七号証、第二八号証の一ないし六、第二九号証の一、二、第三〇、第三一号証、第三二号証の一ないし五、第三三、第三四号証。

(二)  当審における証人植田主喜、控訴人本人。

(三)  後記2の(一)の乙号各証中、第九号証の一の成立は認め、その余の成立は不知。

2  被控訴人

(一)  乙第八号証、第九号証の一ないし四。

(二)  前記1の(一)の甲号各証中、第二一号証、第二二、第二三号証の各一、二、第二四号証の一ないし三、第二五号証の一、二、第二六号証の成立は不知、その余の成立は認める。

理由

一  被控訴人が昭和四一年八月一一日付で控訴人に対し、控訴人の昭和四〇年分所得税についてなした総所得金額を二九七万五〇五五円とする再更正処分(ただしその後昭和四三年一〇月二二日付再々更正処分により総所得金額は二六五万一六九六円に減額された。)をしたことは当事者間に争いない。

二  控訴人の昭和四〇年分の総所得金額について検討する。

1  給与所得について

控訴人の昭和四〇年分の給与所得が金二八万四〇〇〇円であることは当事者間に争いがない。

2  不動産所得について

成立に争いない甲第一九号証、乙第七号証、原審(第一、二回)及び当審における控訴人本人尋問の結果(各一部)によると、控訴人は昭和三八年一二月一七日本件建物を木村繁雄に賃貸し、その際二年半分の前受け賃料として金六〇万円(月金二万円)を受領したが、昭和四一年二月二五日崔斗煥に対し右建物を売却し、同年三月一〇日右売買を原因とする所有権移転登記手続をするに当り、右建物の賃貸借契約を解除し、右前受賃料のうち未経過分を木村に返還したことが認められる。

控訴人は、昭和三九年頃崔に対し右建物を売却し、その際木村との間の右建物の賃貸借契約を解除するとともに、既に受領していた前受け賃料のうち同日以降の賃料に相当する金三六万円を同人に返還したので、昭和四〇年分の不動産所得はない旨主張し、原審(第一回)における控訴人本人尋問の結果によって成立の認められる甲第一七号証、原審(第一、二回)及び当審における控訴人本人尋問の結果中にはそれぞれ右主張事実に沿う記載及び供述部分があるが、甲第一七号証は後日木村によって作成されたものであることがその日付によって明らかであるから、その記載内容を直ちに信用できず、また右供述部分はこれを裏付けるに足りる資料がないだけでなく、前掲各証拠、特に乙第七号証によって認められる本件建物の控訴人から崔への所有権移転登記の時期及びその登記原因とされている売買の時期に照らしにわかに信用できず、他に右主張事実を認めて前記認定を左右するに足りる証拠はない。

なお、控訴人は、甲第一七号証は本件に関する一切の書類が被控訴人に押収されその返還を得られないのでやむなく後日木村に作成を依頼したもので、作成が後日であるからといって記載内容の信用性を否定できず、むしろ日付を遡らせなかった同証の内容には信用性がある旨主張するが、本件全立証によるもその作成の経緯が明らかと認め難い同証についてその記載内容をたやすく信用できない。また、控訴人は登記簿に記載された登記原因は必ずしも真実が記載されているものでないから、乙第七号証の記載をもって前記認定の資料とすることは相当でない旨主張するが、右登記簿の記載が当事者の合意によってなされている以上、その真実性を覆えすには立証が必要であり、これなくして一般的に登記簿の記載の信用性を否定する見解は相当でない。

本件建物の敷地の地代金六万円(月金五〇〇〇円)、右建物の固定資産税金四七一〇円、減価償却費金五万六二四二円は、控訴人において明らかに争わないので自白したものとみなされる。

以上認定の事実によると、控訴人は昭和四〇年中右建物を木村に賃貸していたもので、同人から受領した本件建物の前受け賃料金六〇万円のうち、同年分に対応する収入金額二四万円(月金二万円)から必要経費である土地所有者に支払った地代金六万円、建物の固定資産税金四七一〇円、減価償却費金五万六二四二円を控除した金一一万九〇四八円が同年分の不動産所得金額である。

3  譲渡所得について

(一)  昭和四〇年分の譲渡資産

(1) 甲物件

成立に争いのない甲第四号証の一、二、第六号証、第七号証の一ないし三、乙第二号証、第九号証の一、弁論の全趣旨によって成立の認められる甲第五号証、乙第八号証、原審証人河口進の証言によって成立の認められる乙第五、第六号証、当審における控訴人本人尋問の結果によって成立の認められる乙第九号証の二ないし四、原審証人中西新太郎、同河口進の各証言によると、甲物件はもと植田主喜の所有であったが、和歌山地方裁判所新宮支部に競売が申し立てられ、競売の結果、昭和四〇年九月二一日控訴人が金三三三万円で最高価競買入となり、同年一〇月九日代金を支払って所有権を取得し、右最高価競売人となった直後中西新太郎に売却を依頼し同人の仲介で同年一一月五日控訴人から中塚正義に対し金四〇〇万円で売却され、その代金として同人から控訴人に対し同日金額五〇万円の紀陽銀行新宮支店振出の自己あて小切手二通、同月二〇日金額三〇〇万円の前同様の小切手一通が交付され、右各小切手はそれぞれ振出日の翌日及び翌々日に決済されたこと、右物件は植田が当初親戚から資金を調達してみずからこれを競落するつもりでいたが、債権者に対する関係でみずから競落人となれないため、知人の控訴人に競落を依頼していたところ、競売期日が迫るも右資金の調達ができないため、右競落の意思を捨て、その後は前記のとおり控訴人が名実ともに自己のために右物件を競落取得した後、これを譲渡し、その譲渡益を収得したことが認められる。

控訴人は、右物件は植田の依頼により控訴人名義で競落取得後これを中塚に譲渡したもので、譲渡益は全部植田に交付済みである旨主張し、当審証人植田主喜の証言によって成立の認められる甲第一二号証の一、二、原審証人宇城正蔵、同植田主喜の各証言によって成立の認められる甲第一六、第一八号証、原審及び当審証人植田主喜、原審証人宇城正蔵の名証言、原審(第一、二回)及び当審における控訴人本人尋問の結果中には、右主張事実に沿い前記認定に反する記載及び供述部分があり、また当審における控訴人本人尋問の結果によって成立の認められる甲第二二、第二三号証の各一、二、第二四号証の一ないし三、第二五号証の一、二には、乙第五、第六号証の成立及びその記載内容が不当なもので証拠となりえない旨の記載があるが、これらはいずれも前掲各証拠に照らし信用できない。特に、控訴人の主張によると、同人はなんらの利得なくして植田のために右物件を競落取得した後、売却して同人に譲渡益の全部を収得させていることとなるが、本件全証拠によるも、控訴人が競落資金を他から調達しその金利を負担してまで(金利負担の点は原審(第一回)における控訴人本人尋問の結果中にその旨の供述がある。)、植田のためにこのような尽力をしなければならないような事情が窺われないこと、植田は右物件を競落してその所有権を確保するためにはその資金を他から借り入れなければならないが、右借入れはその返還とともに当時の同人の状況からは容易でなく、せいぜいこれを転売して譲渡益の収得を図るほかないが、これもそれによって大きな利益が収得できたような場合は格別、そうとも認め難い本件においてあえて資金を他から借り入れたうえ控訴人に依頼して右競落及び譲渡をするなど煩瑣なことをするものとは通常考えられないことにより、右主張は認められない。そして他に前記認定を覆えすに足りる証拠はない。

(2) 乙物件

控訴人が昭和四〇年一二月一一日紀宝町との交換契約に基づき乙物件を同町に譲渡したことは、当事者間に争いがない。

(3) 丙物件

控訴人が丙物件を西垣戸定助に譲渡したことは、当事者間に争いがない。

原審(第二回)における控訴人本人尋問の結果によって成立の認められる甲第一四号証の一、二、当審における控訴人本人尋問の結果によって成立の認められる甲第二六号証、原審証人七瀧恒雄の証言、原審(第一、二回)及び当審における控訴人本人尋問の結果によると、右譲渡の時期は昭和四一年六月頃で、控訴人は同月二五日西垣戸から右代金五〇万円の支払を受けている事実が認められる。

被控訴人は、右譲渡の時期は昭和四〇年末である旨主張し、原審証人谷津守の証言によって成立の認められる乙第四号証、同証人の証言中には右主張に沿う記載及び供述があるが、原審(第二回)における控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、甲第一四号証の一、二は控訴人が昭和四七年五月二九日、先に西垣戸に渡しておいた右譲渡代金の領収書(甲第二六号証)の貸与を求めに同人方を訪れたが、不在であったため、受取人として控訴人の住所・氏名、差出人として西垣戸の住所・氏名(ただし、「西垣戸」を「西垣内」と誤記する。)を表面に記載した官製葉書を同人の孫に渡し、西垣戸をして右譲受の日を裏面に記載して投函するよう依頼し、その返送を受けたものと認められるが、右によると右物件譲受の日は昭和四一年七月と記載されていること、当審における控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、甲第二六号証は控訴人においてその後も西垣戸に対し右物件代金の領収証の貸与方を強く要求したため、同人においてこれを探し出し、控訴人にその写を取ることを許したが、更に控訴人の要請によりその原本を当裁判所に送付してきたもので(右当庁に対する送付は記録上明らかである。)、真正な領収書と認められるが、右によると右物件譲受の日は昭和四一年六月二五日と記載されていること、が認められるのであって、これら各証拠に照らし、前記被控訴人の主張に沿う証拠は信用できない。そして他に前記認定を覆えして、被控訴人の主張事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、丙物件は昭和四〇年に控訴人が譲渡したものでない。

(二)  昭和四〇年分の譲渡所得の発生

そうすると、控訴人は本件課税年度である昭和四〇年中に甲物件を売却したのであるから、これによる所得があれば譲渡所得として課税の対象となることはいうまでもなく、乙物件の交換による所得も所得税法五八条一、二項に該当しない以上、資産の譲渡による所得として課税の対象となる。そして譲渡所得の有無、その金額はその年中の右所得にかかる総収入金額から取得費、譲渡費用、特別控除額を控除した金額による(所得税法三三条三項、三八条)から、次に右各点について判断する。

(1) 総収入金額

(イ) 甲物件

控訴人が甲物件を中塚正義に売却した価格が金四〇〇万円であることは当事者間に争いがなく、右は右物件の譲渡による収入金額である。

(ロ) 乙物件

控訴人が乙物件の所有権を紀宝町に移転し、同町はこれと引換えに谷の川の土地(ただし、面積の点を除く。)の所有権を控訴人に移転したほか、現金で四五〇万円を支払ったことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二七号証、第二九号証の一によると右面積は二六七・八二坪と認められる。そして、交換によって金銭以外の物又は権利を収得した場合の収入金額は所得税法三六条一、二項により当該物又は権利の価格をいうので、控訴人が右物件の処分によって得た収入金額は谷の川の土地の価格と金四五〇万円の合計額である。

そこで右谷の川の土地の価格についてみるに、成立に争いのない甲第一三号証、第二七号証、第二八号証の一ないし六、第二九号証の一、二、第三〇、第三一号証、第三二号証の一ないし五、第三三号証、原審証人七瀧恒雄の証言によって成立の認められる乙第三号証、同証人の証言、原審(第一回)及び当審における控訴人本人尋問の結果(一部)によると、控訴人が取得した谷の川の土地は紀宝町が同町旧役場の東方、新役場の北方の近距離(新役場からは約八〇メートル)に所在する総面積約一〇〇〇坪の土地を埋め立て道路及び水路を敷設して宅地造成したうえ昭和四〇年頃うち約六〇〇坪を坪当り金一万五〇〇〇円で一般公募により分譲した残りのうち右分譲地の東側に隣接する南北に長い長方形の二六七・八二坪で、同町において当初新役場の建設用地と考えていたものであること、右土地の価格は南に高く、北に安く場所的に差があるが、右土地の状態が前記分譲済みの土地と南・北各端の線は同じで、かつ、南北に長いため、全体としてみるとき右分譲地の平均的価格と差がなく、少なくともこれに劣るものでないこと、紀宝町議会は右谷の川の土地を面積二六三坪、坪当り金一万五二〇〇円で金四〇〇万円と評価し、右評価につき更に控訴人と増額交渉をするよう付帯決議をしていること、右交換交渉の際紀宝町長は控訴人に対し右谷の川の土地を二六三坪で金四〇〇万円と評価し、更に差額金四五〇万円を現金で支払うこととして乙物件を同町新役場建設用地として同町に譲り渡すよう申し入れ、控訴人はこれを了承したこと、控訴人はその頃新宮市内の病院に入院していたが、右谷の川の土地を含む同町の造成地が同町旧役場及び乙物件の双方から近く、その状況を概ね認識しており、右交換契約に当り改めて現地を見分しなくてもその認識に食い違いを生ずるようなことはなかったこと、の各事実が認められ、右認定に反する原審証人中西新太郎、同宇城正蔵の各証言、原審(第一回)及び当審における控訴人本人尋問の結果中の各一部は、前掲各証拠に照らしたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうすると、紀宝町が控訴人に所有権を移転した谷の川の土地の面積は二六七・八二坪でその価格は坪当り金一万五〇〇〇円と認めるのが相当である。

被控訴人は、分譲地六〇〇坪を坪当り金一万五〇〇〇円で一般公募により売出したのは昭和三九年二月二〇日で、乙物件と谷の川の土地との交換契約が締結された昭和四〇年一二月一一日との間には約二年の隔たりがあり、その間少なくとも坪当り金二〇〇円の値上りがあった筈であるから坪当り金一万五二〇〇円が相当である旨主張し、紀宝町議会において右土地の価格を一応坪当り金一万五二〇〇円と評価し、乙物件との交換の際、同町長が右土地の面積を二六三坪とみて金四〇〇万円と評価し、差額四五〇万円を現金で支払い、総額八五〇万円で乙物件を同町へ譲渡するよう申し入れ、控訴人がこれを承諾したようないきさつのあったことは既に認定したとおりであるが、右事実から直ちに右谷の川の土地の価格が坪当り金一万五二〇〇円であったものと認めることができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

以上により、右谷の川の土地二六七・八二坪の価格は坪当り金一万五〇〇〇円で金四〇一万七三〇〇円であるから、現金受領額と合わせて金八五一万七三〇〇円が乙物件譲渡による収入金額ということができる。

(ハ) 結局、不動産譲渡による総収入金額は甲物件の金四〇〇万円、乙物件の金八五一万七三〇〇円の合計金一二五一万七三〇〇円となる。

(2) 取得費

(イ) 控訴人が甲物件の取得費として競落代金三三三万円、登記料等金一六万六八七〇円、不動産取得税金四万五一二〇円の合計金三五四万一九九〇円を支払い、乙丙両物件の取得代金として中西新太郎に金二九〇万円、奥地初美に金三五〇万円を支払い、乙物件の不動産取得税金四万三九三〇円の合計金六四四万三九三〇円を支払ったことは、当事者間に争いがない。

ところで、右中西及び奥地に支払った代金は乙丙物件を一括したものであるところ、先に判断したとおり、丙物件は昭和四〇年分の譲渡資産に含まれないので、右支払代金を乙、丙物件に分ける必要がある。そして丙物件の取得費について、被控訴人は金六五万一〇〇〇円を主張するのに対し、控訴人は金五〇万円を主張するところ、被控訴人主張の右金額については証拠がないので、既に認定のとおり控訴人が昭和四一年六月右物件を西垣戸定助に対し金五〇万円で売却し、その代金の支払を受けていることからして、控訴人の右物件の取得費は金五〇万円と認めるのが相当である。

そうすると、甲物件の取得費は金三五四万一九九〇円、乙物件の取得費は前記六四四万三九三〇円から右五〇万円を控除した金五九四万三九三〇円で、その合計は金九四八万五九二〇円となる。

(ロ) そして前掲甲第五号証及び弁論の全趣旨によると、控訴人は昭和四〇年一〇月二九日甲物件の登記料等に充てるため新宮中小金融株式会社から金六万六八七〇円を借り受け、同年一一月二五日その利息として金四六七〇円を同社に支払ったことが認められる。

控訴人は、右利息も取得費に該当する旨主張するが、所得税法三八条一項所定の資産の取得に要した金額とは資産を取得するために直接必要な支出をいうもので、登記料の支出に充てるために借り受けた金員に対する支払利息までこれに当るものでないことは明らかであるから、右主張は認められない。

(ハ) 原審(第一、二回)における控訴人本人尋問の結果によって成立の認められる甲第八号証、右本人尋問の結果によると、控訴人は昭和三八年一二月一三日当時乙丙両物件の所有者であった前田啓吾から同人に対し有していた債権金六〇万四〇〇〇円をその代金の一部に充て、ほかに現金一九万六〇〇〇円を支払って合計金八〇万円で乙物件上に在った庭園の庭木、庭石を買い受け、昭和四〇年一二月一一日乙物件を紀宝町に譲渡する際、小さな価値のない庭木を除き、その他の庭木、庭石はすべて乙物件とともに同町に譲渡したことが認められる。したがって、右金八〇万円は乙物件の譲渡所得の算定に当りその取得費の中に算入する。

(ニ) そうすると、甲物件の取得費は右(イ)の金三五四万一九九〇円、乙物件の取得費は右(イ)の金五九四万三九三〇円に、右(ニ)の金八〇万円の合計金六七四万三九三〇円で、右両物件の取得費の総額は金一〇二八万五九二〇円となる。

(3) 譲渡費用

控訴人が甲物件を中塚に譲渡するに当り、その仲介人中西新太郎に手数料金一〇万円を支払ったことは、当事者間に争いがない。

(4) 特別控除額

所得税法(昭和四〇年三月三一日法三三号)三三条四項により金一五万円である。

(三)  以上の認定によると、控訴人の昭和四〇年分の譲渡所得は甲乙両物件譲渡による総収入金額一二五一万七三〇〇円から、右両物件の取得費金一〇二八万五九二〇円、甲物件の譲渡費用金一〇万円、特別控除額一五万円を控除した金一九八万一三八〇円である。

4  そうすると、控訴人の昭和四〇年分の総所得は給与所得金二八万四〇〇〇円、不動産所得金一一万九〇四八円、譲渡所得金一九八万一三八〇円の合計金二三八万四四二八円となる。

三  結論

よって、控訴人の再更正処分の取消を求める本訴請求は総所得金額二三八万四四二八円を超える部分の取消を求める限度において理由があるから認容し、その余は失当として棄却すべきところ、原判決中の本案判決部分はこれと異なり控訴人に利益になされているが、控訴人の本件控訴により原判決を控訴人に不利益に変更できないから、本件控訴はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村瀬泰三 裁判官 高田政彦 裁判官 弘重一明)

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