大阪高等裁判所 昭和49年(う)492号 判決 1974年10月22日
被告人 中井誠一郎
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人小倉慶治、同井門忠士連名作成の控訴趣意書および控訴趣意補充書記載のとおりであるから、これを引用する。
法令適用の誤りの控訴趣意について
所論は、銃砲刀剣類所持等取締法三条に規定する所持といいうるためには、主観的要件として、目的物を自己の実力支配関係の下に置く意思のある把持がなければならないと解されるところ、原判示第一のけん銃三丁のうち、被告人が以前から所持していた一丁を除く二丁および原判示第二の七丁のけん銃について、被告人がこれらを一時的に把持したのは、警察に提出する意図の下に、その前提としてなされた回収行為の一行程であつて被告人にはこれらのけん銃を隠匿保存しようとの意図はなく、また、かかる意図となんらの関連ある事実もなかつたのであるから、目的物を自己の実力支配関係の下に置く意思のある把持ということができず、同法三条の所持に必要な主観的要件を欠くのにかかわらず、原判決が、被告人は前記二丁と七丁のけん銃につき、これを不法に所持したものであるとして、同法三条一項を適用したのは、法令の適用に誤りがあつてその誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
よつて検討するに、銃砲刀剣類所持等取締法三条に規定する所持といいうるためには、目的物を自己の実力支配関係の下に置く意思のある把持がなければならないことは、所論のとおりである。ところで、原判決が証拠として引用した各証拠ならびに松延清澄の司法警察員に対する供述調書謄本、司法警察員作成の昭和四七年五月四日付、同月六日付、同月九日付、同月二二日付各捜査報告書謄本を総合すると、本件のけん銃はいずれも米軍座間基地から盗まれた米軍用けん銃であつて、その四〇丁位と実包とが審良連合会長審良誠一の情婦であつた松本美代子の手に入つた後、被告人がそのうちの一丁と実包七発を昭和四六年夏頃同女から買い受け、これを原判示桜マンシヨンの自室に隠匿所持し、審良連合の幹事司利之も同女からそのうちの二丁と実包一五発位を入手して所持し、松本美代子の手に入つた前記けん銃と実包の大半は、同女から審良連合の幹事森静男、さらには審良連合相談役山本組組長山本幸吉の妻ツルエなどの手を経て処分され、そのうちの一〇丁と実包一〇〇発位は大野一家系鳥羽会会長鳥羽正毅の手に渡り、同人はそのうち三丁と実包三〇発位を他へ処分し、残りのけん銃七丁と実包七〇発位を手許に置いていたところ、神奈川県警察本部と共に大阪府警察本部刑事部捜査四課も右けん銃盗難事件の捜査に乗り出し、当時右捜査四課の捜査員であつた巡査部長浅田勇は、昭和四六年一二月二〇日頃から審良誠一の兄弟分奥島連合会会長奥島徳雄と親密な関係にある松延清澄に、松本美代子の所在やけん銃の流れに関する情報の提供を求め、捜査協力方を依頼したことから、松延清澄は、右奥島徳雄を介して審良連合理事長高[王容]煥および同連合幹事長の被告人に相談をもちかけ、自分が大阪府警察本部に対しある程度の交渉力があることを暗示しつつ、松本美代子が審良誠一の情婦であつたことから前記けん銃盗難事件と審良誠一との関係をそれとなく臭わせることによつて、若し審良誠一や審良連合に捜査の手がのびることにより同連合から逮捕者を出すという事態を防止したいのであれば、松本美代子の所在をつきとめて同人の逮捕に協力すると共に、盗まれたけん銃の流れについても捜査に協力した方が得策である旨示唆したので、被告人は、高[王容]煥と共に松本美代子の所在を松延に通報して同人の逮捕に協力したが、更に審良誠一その他審良連合の組員に捜査の手が及ぶことを防止するために、松延と連絡をとりつつ、盗難米軍用けん銃を回収してこれを警察に提出することにしたが、原判示第一の、被告人が所持していたけん銃一丁と実包および司が所持していたけん銃二丁と実包については、同人らの不法所持の事実を秘し、森静男が身代りとなつて同人がこれらを所持していたかのごとく装うこととし、昭和四七年一月二〇日午後三時頃、原判示桜マンシヨン付近の喫茶店「森」において司から同人のけん銃二丁と実包を受け取り、これを同マンシヨンの自室に持ち帰り洋服タンスに入れて置き、同日午後六時頃自己のけん銃一丁および実包と共にこれを持ち出し、同日午後七時頃、原判示審良連合事務所付近路上において森に手渡し、他方、松延に対して、森がけん銃三丁と実包を所持してその自宅に待機している旨伝え、松延から連絡を受けた前記捜査四課の警察官により森を逮捕させるに至らせたこと、もとより右捜査四課においては、右けん銃等が被告人あるいは司の所持にかかるものであることについて、松延からなんらの通報を受けていなかつたし、また、右のような方法によるけん銃、実包の回収、提出方を指示したものでないことを認めることができる。右認定事実から見れば、なるほど被告人としては、司のけん銃二丁を把持するに至つたのは、これを警察に提出する意図で司より回収したためであるが、回収した右けん銃を警察に自ら持参しあるいは森を自己の使者として提出させる意思ではなく、自己および司の不法所持を秘し、ひそかに前記自室ないし審良連合事務所付近路上において把持していたのであるから、被告人は右けん銃を自己の実力支配関係の下に置く意思で把持していたことは明らかであつて、いわゆる所持の主観的要件を欠くものとはいえない。次に、前掲証拠によれば、原判示第二のけん銃七丁と実包は、鳥羽会会長鳥羽正毅の手許にあつたもので、被告人は、高[王容]煥と共謀のうえ、これを審良連合において回収し、身代り犯人に持たせて警察に提出するか、松本美代子経営の大千旅館に置いておいて警察の捜索差押を受けるかなどして、審良誠一や審良連合組員に捜査の手が及ぶのを防止しようと企て、昭和四七年二月二日午後一〇時頃、高と二人で前記審良連合事務所から自動車で約五分のところにある喫茶店「レインボー」まで行き、鳥羽会若頭小央幸男と落ち合い、同人が右けん銃七丁と実包を積んで来た自動車に同乗して右事務所まで車を回してもらい、被告人において、同所で小央から右けん銃と実包を受取りこれを事務所内に運び込んだうえ、とりあえず一時高の自宅に隠匿するため、約一〇分後、これを事務所前に停めてあつた高の自動車に積み込み、高において自宅に持ち帰り一時保管していたこと、そしてまた、右のけん銃等についても、これが鳥羽正毅の所持にかかるものであることを松延を介して前記捜査四課に通報しているわけではなく、また、同課において右のような方法によるけん銃、実包の回収を指示したものでないことを認めることができるのであつて、被告人は、高と共に、右七丁のけん銃を警察に提出する意図で回収したけれども、これを警察に自ら持参し、あるいは、自己らの使者に持参提出させる意思は全くなく、自己らにおいて回収したことを秘し、ひそかに前記審良連合事務所前路上および同事務所内において把持していたのであるから、被告人は、高と共同して右けん銃を自己の実力支配関係の下に置く意思で把持していたものというべきであつて、いわゆる所持の主観的要件を欠くものではない。従つて原判決の法令適用について所論のごとき誤りはなく、論旨は理由がない。
量刑不当の控訴趣意について
所論は原判決の量刑不当を主張するので、所論にかんがみ記録を精査し当審における事実調の結果をも参酌して検討するに、本件は、暴力団審良連合の幹事長の地位にある被告人が、極めて殺傷能力の高い米軍用の四五口径自動装填式けん銃とその実包を多量に所持した事案であり、被告人はそのうちの一丁と実包七発を護身用として所持していたこと、被告人には多数の前科があり、殊に原判示のとおり累犯となる前科を有していたことなどを考えると、原判決が被告人を懲役一年の実刑に処したのは肯認しうるところである。しかしながら、自己および審良連合の関係者に捜査の手がのびることを防止する目的ではあつたが、本件けん銃および実包を全部警察に提出すべく、その回収の過程において多量のけん銃と実包を所持することになつた点からすれば、その数量の多いことのゆえをもつて被告人の不利に扱うことは酷であり、また前記司利之のけん銃二丁とその実包の不法所持について、同人が懲役一年六月、三年間執行猶予に処せられている量刑との均衡その他諸般の情状を考慮すると、前刑の執行を終つた日より五年以上経過し、法律上被告人に対し刑の執行を猶予することも可能となつた現時点において再考すると、結局原判決の量刑は重きに過ぎ明らかに正義に反するものと認められる。論旨は理由がある。
よつて、刑事訴訟法三九七条二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において直ちに判決することとし、原判決が認定した事実にその挙示の各法条のほかに刑法二五条一項を適用して主文のとおり判決する。