大阪高等裁判所 昭和49年(ネ)1229号 判決 1975年5月29日
昭和四九年(ネ)第一一六八号事件控訴人
昭和四九年(ネ)第一二二九号事件被控訴人
第一審原告 井上章
右訴訟代理人弁護士 小長谷国男
同 宅島康二
昭和四九年(ネ)第一一六八号事件被控訴人
昭和四九年(ネ)第一二二九号事件控訴人
第一審被告 藤森昇
右訴訟代理人弁護士 小松三郎
主文
第一審被告の控訴を棄却する。
第一審原告の控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。
第一審被告は第一審原告に対し、金一一一万二七七八円及びその内金一〇一万二七七八円については昭和四五年一二月二一日から、内金一〇万円については昭和四九年六月一日から、各完済まで、いずれも年五分の割合による金員の支払をせよ。
第一審原告のその余の請求を棄却する。
昭和四九年(ネ)第一二二九号事件の控訴費用は、第一審被告の負担とし、その余の訴訟費用は、第一、二審を通じて三分し、その一を第一審原告、その余を第一審被告の各負担とする。
この判決は第一審原告勝訴の部分に限り、第一審原告において金三〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事実
第一審原告代理人は、「原判決中、第一審原告敗訴部分を取消す。第一審被告は第一審原告に対し、金二〇三万五〇〇〇円及びその内金一七五万円については昭和四五年一二月二一日から、内金二八万五〇〇〇円については昭和四九年五月三一日から、各完済まで、いずれも年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言と、「第一審被告の控訴を棄却する。これが控訴費用は第一審被告の負担とする」との判決とを求め、第一審被告代理人は、「原判決中、第一審被告敗訴部分を取消す。第一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする」との判決と、「第一審原告の控訴を棄却する。これが控訴費用は第一審原告の負担とする」との判決とを求めた。
≪証拠関係省略≫
理由
(一) 第一審原告が昭和四五年一二月当時に神戸市生田区三宮町三丁目所在の株式会社ニュートーキョウにコックとして勤務しており、その頃、第一審被告が甲南大学の学生であって、右ニュートーキョウにアルバイトのボートとして勤務していたことは、当事者間に争がない。
(二) ところで、右争のない事実に、≪証拠省略≫を総合すると、
(1) 第一審原告と第一審被告とは、予てから肌合があわず、互に心よからず思っていたところ、昭和四五年一二月二一日午後八時頃に、他の従業員三名許りが在席していた右ニュートーキョウ二階の従業員用食堂において、第一審被告が口笛を吹いたので、第一審原告において第一審被告に対し、「メシを食う時ぐらい、口笛を吹くな」と注意したところ、第一審被告は直ちに口笛を吹くのをやめたこと
(2) しかし、第一審被告は右の注意をなした第一審原告に対し、いたく憤懣を抱き、同日午後九時頃に、右ニュートーキョウ二階の調理室で食器の洗浄をしていた第一審原告に無言のまま近付き、突然、左手で第一審原告の右顔面を平手打して、同人着用の眼鏡をはね飛ばし、次いで左手拳で第一審原告の口許附近を二回許り強打して、第一審原告に尻もちをつかせ、しゃがみ込ませたこと
(3) そして、更に第一審被告は、鼻口と口許附近から出血していた第一審原告の胸倉を右手で掴み、広い場所の方へ引張ってゆこうと試み、それに抵抗する第一審原告と揉合っていたが、その状態を見た他の従業員の伊藤梅夫が、第一審被告の背後から同人を抱きすくめるようにして、その活動を制止しようとし、互に揉合ったこと
(4) 右の揉合状態を見た第一審原告は、右足で第一審被告の左大腿部を二回許り蹴り、手で第一審被告を殴らうとしたが、その際、他の従業員の北畠明が仲裁に入ったため、事態は平静に帰したこと
(5) 右の結果、第一審原告は、その眼鏡が破損したほか、上顎部の歯牙破折、歯牙脱臼、歯槽骨々折等の傷害を受けて、約一週間の通院治療を行い、上顎部の前歯三本(左側第一歯と、右側第一歯及び第二歯)を喪失したが、第一審被告は、左大腿部に治療を要しない程度の軽い打撲傷を受けたに過ぎないこと
をそれぞれ認めることができる。≪証拠判断省略≫
(三) そこで考えてみるに、右認定の事実関係からすれば、第一審被告の第一審原告に対する右暴行は、故意を以て突如として一方的になされたものであり、不法行為を構成するに足るものであることは明らかである。そして、第一審被告と第一審原告とが、予てから互に好感を抱いていなかったところ、第一審原告において第一審被告に対し、前記認定のような注意をなしたことが、右暴行の動機となったことは、前記のとおりであるが、単に好感をもっていなかったというに過ぎないだけで、暴行を働くということは、現在社会の人間関係の下において嫌厭さるべきものであることは当然であり、また、第一審原告の第一審被告に対する前記注意は、集団的生活をする場における至当な注意であるといい得るのであり、それを根にもって暴行に及ぶということは、何ら妥当視し得るところがないから、第一審被告の右不法行為に関し、第一審原告につき民法第七二二条第二項にいわゆる被害者に過失があったものとは、到底いい難い。なお、第一審原告においても、第一審被告の右不法行為後において、第一審被告に対し暴行をなしたことは、前記認定のとおりであるけれども、それは第一審被告の不法行為後のことであって、第一審被告の不法行為に対する反撃としてなされたものであるところ、右認定の事情・経過や、反撃の態様・程度などからすれば、該反撃は、被害者として、ある程度やむを得ない所為であり、人情の然らしむるところでもあったといい得るから、当該反撃行為をとらえて、右にいう過失があったとすることもできない。そうすると、第一審被告は不法行為者として第一審原告に対し、第一審被告の前記暴行により第一審原告が蒙った損害の賠償をすべき義務があるものというべく、第一審原告には、これが賠償額を定めるについて斟酌さるべき過失はなかったといわなければならない。
(四) そこで、すすんで、第一審原告の損害額について考えてみよう。
(1) ≪証拠省略≫によると、
(イ) 第一審原告は昭和二六年三月二一日生れの健康な男子であって、第一審被告の右暴行により喪失した上顎部の前歯三本は、当該暴行を受ける前においては、すべて健全な自然歯であったこと
(ロ) 右の欠損した前歯三本を補綴する処置としては、固定性架工義歯による方法(支台歯三本に金属焼付ポーセレンによる支台装置を作製し、欠損部の三本は、ダミーとして、金属焼付ポーセレンとし、右支台装置とダミーとを連結し、この六本をワン・ユニットとした架工義歯を作成した上、燐酸亜鉛セメントで以て、半永久的に固定装着するもの、以下A方式という)と、可撤性床義歯による方法(着脱可能な床義歯を用い、その主維持を間接維持装置及び腕鉤により残存歯牙に頼るもの、以下B方式という)とがあるところ、A方式によれば、型態的に自然歯と変るところがないのみならず、異物感がなく、衛生的でもあって、着装後一〇年間の使用に耐えるのであるが、自由な着脱が不能という欠点があり、B方式によれば、着脱が自由にできて、義歯の一部修理も可能であり、便宜ではあるけれども、異物感があり、また、清掃のために屡々着脱を行わなければならない繁雑さと、これが着脱操作の繰返しによってもたらされる義歯の機能低下などの欠点があって、着装後五年間の使用に耐えるにとどまるのであり、右両方式は、その維持力、審美性、衛生度、使用感、修理可能性、装着費用等の諸点において、それぞれ一長一短があること
(ハ) なお、B方式には、白金加金鋳造床を装着する方式(以下B第一方式という)と、コバルト・クローム金属床を装着する方式(以下B第二方式という)とがあるところ、その両者を対比すれば、前者がすべての点において優れているのであるが、白金加金が高価であるため、その代替物として、白金加金に匹敵する材質を有しながら、より低廉なものとして、コバルト・クローム金属床が考え出され、B第二方式とされるに至ったものであり、B第二方式はB第一方式に比して、費用が低廉であるという点を除けば、すべての点において遜色があり、B第一方式の方が好ましいものであること
(ニ) 本件における第一審原告の前歯三本の補綴処置としては、歯科治療的見地からして、先ずA方式による補綴を行い、その一〇年後から五年毎にB方式による補綴を行うことが妥当であること
(ホ) 右各方式による補綴費用は、昭和四八年七月現在で大阪大学歯学部附属病院においては、A方式が金一八万七四六〇円、B第一方式が金一三万五六五〇円、B第二方式が金五万九一五〇円であったことをそれぞれ認めることができる。この認定に反する資料はない。
そこで考えてみるに、右の認定からすれば、第一審原告の欠損した前歯三本を補綴するためには、先ず最初にA方式による補綴を行い、その一〇年後から五年毎にB方式による補綴を行うのが相当であると考えられるところ、不法行為による損害賠償においては、なるべく原状どおりに回復させるべき性質のものであるから、B方式による補綴においても、なるべく自然歯に近ずける意味において、より理想的とされるB第一方式による補綴をなし得るものとすべきであり、単に装着費用が低廉であって、日常の使用に充分耐え得るからといって、より劣悪なB第二方式による補綴で以て足るとすることは相当でないものと考える。ところで、第一二回生命表(昭和四四年四月厚生省発表)によると、第一審原告の本件事件当時の余命年数は、五一・一二年であるから、その間における右欠損歯の補綴処置は、A方式による補綴が右事件直後において一回、B第一方式による補綴が右事件の一〇年後から五年毎に一回(合計九回)必要となるところ、これが補綴に要する総費用から年五分の中間利息をホフマン式計算法によって控除し、本件事件当時における現価を算出すると、187460+135650×(0.6666+0.5714+0.5+0.4444+0.4+0.3636+0.3333+0.3076+0.2857)=712778により、金七一万二七七八円(円未満は切捨)となる。
(2) そして、前記認定の各事実、その他本件における一切の諸事情(なお、第一審被告が第一審原告に対し、第一審被告の前記暴行により破損した第一審原告の眼鏡に関する損害の賠償として、金二〇〇〇円の支払をなしたことは、当事者間に争がない)を彼此斟酌して考察すると、第一審原告が第一審被告の本件不法行為により蒙った精神的苦痛は、かなり大であるものというべく、これが慰藉料は金三〇万円を以て相当であると考える。
(3) ところで、≪証拠省略≫によると、第一審原告は第一審被告に対し、本訴提起前において、示談による解決方を試みたが、第一審被告において極めて少ない賠償額を主張したため、解決するに至らず、遂に第一審原告において弁護士小長谷国男、同宅島康二に委任して、本訴を提起し追行するに及んだことを認めることができるところ、本件事案の内容、請求額、本件訴訟の経過、認容額等に照らして勘案すると、本件において、第一審原告が第一審被告に対して賠償を請求し得る弁護士費用は、金一〇万円が相当であると考えられる。
そうすると、本件不法行為により第一審原告が蒙った損害額は、右補綴費用金七一万二七七八円、慰藉料金三〇万円、及び弁護士費用金一〇万円の合計金一一一万二七七八円ということになる。
(五) 以上によれば、第一審原告の本訴請求は、その内、義歯補綴費用金七一万二七七八円、慰藉料金三〇万円、及び弁護士費用金一〇万円の合計金一一一万二七七八円と、これが補綴費用と慰藉料との合計金一〇一万二七七八円については本件不法行為の日である昭和四五年一二月二一日から、弁護士費用金一〇万円については本件第一審判決言渡の翌日である昭和四九年六月一日から、各完済まで、いずれも民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において、理由があるから、これを認容すべきも、その余は失当であるから、棄却すべきものといわなければならない。よって、第一審被告の控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条第一項により、これを棄却し、第一審原告の控訴に基づき、右の判断と一部符合しない原判決を変更し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条・第九六条前段・第九二条本文、仮執行の宣言につき、同法第一九六条第一項をそれぞれ適用した上、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹内貞次 裁判官 坂上弘 諸富吉嗣)