大阪高等裁判所 昭和50年(う)393号 判決 1976年8月30日
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金四、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
理由
本件控訴の趣意は、大阪地方検察庁検察官検事稲田克巳作成の控訴趣意書及び大阪高等検察庁検察官検事藤掛義孝作成の控訴趣意補充書各記載(但し、右控訴趣意補充書中、三枚目表八行目の六字目から一〇行目までの記載は、違法性阻却説の立場に立つ可罰的違法性論を具体的に適用する場合の判断基準を示したものであり、三枚目裏三行目の九字目から五行目三字目までの記載事実は、仮定的事実として記載したものである旨釈明した。)のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人高階叙男、同小野田学及び同川村忠連名作成の答弁書及び右答弁書の補充書(二通)各記載のとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意中の各論旨は、要するに、一、原判決は、「被告人は、昭和四七年八月一六日午後六時五八分ころ、大阪市西成区甲岸町一〇番地先道路上において、おりから同所を通行中の宮川幸夫(当二一年)及び北田耕之(当二七年)の両名に対し、いきなり同所にあった水桶の水約一〇リットルをポリバケツで右宮川の前胸部及び右北田の前腹部等にかけ、もって、右両名に対し暴行を加えたものである。」との公訴事実につき、その外形的事実をおおむね認めながら、講学上の可罰的違法性論を採用したうえ(同理論のうち構成要件該当性阻却説を採用したか違法性阻却説を採用したかは明らかではないが)、右理論によれば、被告人の右公訴事実記載の行為(以下被告人の本件行為と略称する。)は刑法二〇八条によって処断しなければならないほどの違法性を具備しないものと認められる旨判示して右公訴事実につき無罪の言渡しをした。然しながら、右理論は、刑事司法の実務にそのまま適用し得るほどに熟した理論とはいえず、右理論には理論的にも欠陥がある。特に、右理論のうち構成要件該当性阻却説が、外形的に構成要件に該当することを認定しながら、更にその該当性の判断基準として可罰的違法性の有無を持ち込むことは、それ自体論理的に矛盾するのみでなく、構成要件の可罰的違法性推定機能を無視するという犯罪論体系上の誤りを犯すものであり、又、構成要件該当性阻却説を、講学上のいわゆる「開かれた構成要件」の範ちゅうに属する犯罪類型や不真正不作為犯などのように違法性の存否を合わせ考えなければ構成要件該当の有無を判断し得ないとされている特定犯罪(本件の暴行罪はこれに該当しない。)の構成要件の定型性の解釈原理として機能させるに止めず、すべての犯罪類型に拡張して適用し、およそ実質的違法性はあるがその程度が軽微であるならば構成要件該当性を阻却するという意味において刑法解釈の一般的指導原理として機能させるならば、ある行為がどの程度の実質的違法性を持つかという具体的、個別的、非類型的価値判断を本来抽象的、一般的、類型的であるべき構成要件該当性の判断の中に持ち込むことになり、構成要件の保障機能を無力化し、憲法三一条の罪刑法定主義の要請にも反することになるし、更に、構成要件該当性阻却説は、被害の軽微性という犯罪の情状にすぎない事情をもって可罰的違法性を否定する事由とし犯罪の成立そのものを否定する点でも理論的に是認できない。他方、前記違法性阻却説を採る場合には、犯罪論体系上の難点は避けられるとしても、可罰的違法性の存否に関する判断基準が明確でないため犯罪構成要件の保障的機能を害し罪刑法定主義にもとるのみならず、可罰的違法性の有無の判断が個個の判断者の主観的、恣意的判断に陥る弊害を防止し得ないという致命的欠陥を免れない。従って、可罰的違法性論を刑事司法の実務に採用することは許されないから、右理論を採用して被告人の本件所為を無罪とした原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、二、仮に、可罰的違法性論の採用が許されるとしても、原判決は、同理論の具体的適用を誤ったものである。即ち、(一)前記構成要件該当性阻却説の立場に立つ可罰的違法性論は、可罰的違法性を否定する要件として、(イ)法律秩序全体の見地から行為の動機、目的が正当なものであること、(ロ)手段としても、正当な目的を達成するため許容される範囲の適正なものであること、即ち、相当性を備えていること、手段の相当性の判断に当たっては、具体的状況に照らしてそのような行為に出ることが緊急やむを得なかったかどうか、これに代る適当な手段を見出すことが不可能又は著しく困難であったかどうかも考慮すること、(ハ)法益侵害の程度が軽微であることを要求しているところ、本件における右要件事実の存否の判断に当たり、(1)原判決が、北田耕之巡査及び宮川幸夫巡査らの本件尾行行為(以下本件尾行行為と略称する。)につき、「右両巡査らは、現認した被告人らを含む一〇名余の者の言動から同人らが多数の労働者に集団的不穏行動に出ることを煽動するやも知れないことを予測し、その行動を監視警戒するため尾行したものであり、具体的事案の発生を予測しその予防鎮圧を目的とした情報収集活動に当たったものと理解される。」と判示し、次いで、「警察法二条は警察官の権限行使の一般的根拠を定めたものであって、右権限行使に当たり、強制手段に出る場合は、法律条項によってその根拠を必要とするが、強制手段に出ることのない限り、そして本件の場合の情報収集活動も任意的手段による場合には同法を根拠としてその権限を行使し得るものである。」と判示している点は、本件尾行行為が直接的には被告人らの行動を監視警戒するための行為と認められるのに、監視警戒のための行為である一方情報収集活動である旨認定している点を除きおおむね正当であるが、原判決が、更に、「本件のようにいまだ犯罪が具体的に発生していない段階における情報収集活動にあっては、当該活動により結果的にその対象者の自由意思に影響を与えてその自由な行動を制約するような法益侵害を伴うことはその必要性を認める法益との権衡の面からいって到底許され得ないのである。本件における北田、宮川両巡査らの前記尾行による情報収集活動、特に、被告人らに気付かれ抗議された後の当該活動は、被告人らに当該尾行状態を明らかに意識させ、その自由意思に影響を与えその自由な行動を制約する結果を招くものであり、違法であるとの評価を免れない。」と判示している点は正当とはいえない。何故ならば、任意手段としての情報収集などの警察活動は、その目的が警察法二条一項に規定されている警察の責務に副う正当なものであり、それが右目的達成のために客観的に必要と認められ、かつ、その行為自体が社会通念上相当と認められるものでなければならないものと解すべきであるところ、その相当性の判断に当たっては、当該警察活動の必要性とこれによって蒙るべき対象者の自由の制限とが権衡を保つことがその判断の基準とされるものと解すべきであり、かかる観点からすれば、対象者の自由意思に影響を与えその自由な行動を制約する行為であるかどうかを、犯罪が具体的に発生していない段階における任意手段としての警察活動の適法性の要件と解するのは誤りであり、犯罪が具体的に発生していない段階においても、例えば、対象者が何らかの犯罪を犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由がある場合や犯罪がまさに行われようとしている場合には犯罪予防のための任意手段の必要性が増大し、その任意手段の態様も強制手段(相手方の意思に反しても実力を行使し得る)に至らない限度において強力な抑止措置が容認され、他面、対象者の忍受しなければならない自由の制約も増大するものと解すべきであるからであり、この点において原判決の警察法二条の解釈は誤っているものといわなければならない。そこで、右の観点から本件尾行行為の適法性について考えてみるのに、(イ)本件尾行行為は、原判決も説示する如く、北田、宮川両巡査らにおいて、被告人らが多数の労働者に対し集団不法行動に出ることを煽動するかも知れないことを予測して被告人らの行動を監視警戒し、被告人らの煽動により多数の労働者らが不穏な行動に出る動きがあった場合には未然に説得又は警告しあるいは警察官職務執行法(以下警職法と略称する。)五条所定の制止行為に出るなどして犯罪の予防及び鎮圧に当たる意図でなしたものであるから、その目的は警察法二条の定める犯罪の予防及び鎮圧にあることは明らかであり、同条の定める目的に合致した正当な行為といわなければならないのみならず、(ロ)本件の発生した大阪市西成区内通称釜ケ崎愛隣地区は治安状態が極めて不安定でありきっかけさえあればいつ集団不法事犯や暴動が起りかねない土地柄であること、及び原判決が理由中の二の(一)の1及び2において説示している本件発生に至る経過事実等を合わせ考えると、本件尾行行為は、前記目的を達成するにつき極めて必要な行動であったことは明らかであり、被告人らが本件尾行行為に気付いて抗議をした時点において被告人らが集団不法事犯の煽動ないし教唆行為を断念したと客観的に認め得る特段の事情を発見し得ない本件においては、なお、監視警戒のための尾行行為を継続する必要が存しその必要性は本件発生当時も消滅していなかったことは明らかであり、更に、(ハ)前記愛隣地区は平素から治安状態が極めて不安定であり、きっかけさえあればいつ集団暴力事犯が発生するかも知れない土地柄であること、及び原判決が理由中の二の(一)の1において説示している事情からすれば、本件当日においても、前日発生したような労働者の集団暴力事犯の発生が予想される状況にあったところ、被告人らは、本件所為に及ぶ直前原判示三角公園内において多数の労働者らに対し、「今日も一暴れしよう、仲間を取り返そう。」と呼びかけながら釜ケ崎共斗会議名下の右同趣旨のことを記載したビラを配付し、更に、西成警察署前で道路上に集っていた六、七〇名位の労働者に対しても同様の呼びかけを繰り返しながら右ビラの配付を続けていたのであり、これらの労働者の中には「火をつけてしまえ」などと不穏な言動に出る者もいたのであって、これらの諸事情からすれば、被告人らは当時多数の労働者に警察官に対する公務執行妨害等の集団不法行動に出ることを煽動し、教唆していたものと疑うに足りる合理的な理由があり、従って、本件犯行当時被告人らは警職法二条の「何らかの犯罪を犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある」状態ないしはそれ以上に犯罪を犯すおそれのある状態にあったものというべきであり、そうすると、被告人らとしては、少なくとも同法二条に定める警察官の職務質問によって蒙るべき程度の自由意思の制約や自由な行動の制限を忍受しなければならない状態にあったものといえるのであり、被告人らに気付かれた後の本件尾行行為は、職務質問の場合に許される自由意思の制約や自由な行動の制限、例えば、大手を拡げあるいは肩に手をかけるなどして対象者の停止を求める場合よりもはるかに対象者の自由意思の制約や自由な行動の制限の程度は低いものといわなければならないから、本件尾行行為が犯罪予防のための任意手段の相当性の範囲を逸脱するものとはいえず、右(イ)ないし(ハ)の理由によれば本件尾行行為は適法であるといわなければならないから、原判決がこれを違法と評価したのは誤りであり、次に、(2)原判決は、被告人の本件行為は抗議行為の一環であるからその意図をもってあながち不当であるとは断じ切れない旨説示し、被告人の本件行為の動機、目的につき正当性を肯定しているが、動機、目的が正当であるというためには、その行為に出た動機、目的が社会通念上何人をも首肯させる程度の客観的妥当性を有するものでなければならないところ、本件尾行行為が適法であることは前記説示のとおりであるから、これに抗議することが正当視される余地はなく、原判決はこの点において可罰的違法性論適用の前提事実の評価を誤ったものといわなければならず、又、(3)原判決は、被告人の本件行為は情況上突発的な一回限りの行為であって、成り行き上招来される事態としては、むしろ軽度の実力行使に終わった旨判示し、被告人の本件行為の手段、方法の相当性を肯認したものと解されるが、前記の如く被告人の本件行為の動機、目的が正当と認められない以上もはや手段、方法の相当性を論ずる余地はなく、仮に、動機、目的の問題を別にしてみても、被告人の本件行為は、相手方の人格を否定する態様の犯行であるため相手方に与える精神的苦痛は軽視し得ないし、着衣を濡らしかつ汚損する性質の犯行であるため相手方に与える身体的不快感ないし嫌悪感や物質的損害もかなりのものであり、これらの諸点を綜合すれば、本件は悪質な態様の犯行というべきであるから、この点においても原判決は可罰的違法性論適用の前提事実の評価を誤ったものといわなければならず、更に、(4)原判決は、被告人の本件行為により濡れた警察官の衣服が着替えないまま短時間で乾いたことを理由に本件被害の軽微性を強調しているが、被告人の本件行為により北田巡査のズボン及び宮川巡査のポロシャツはびしょ濡れになったのであり、着衣が短時間で乾いたのは時期がたまたま盛夏であったことによるものであり、被告人は本件行為により右両巡査に対し名誉失墜感、屈辱感、不快感、嫌悪感を与えたうえ、着衣を汚損させたのであって、右両巡査の蒙った精神的苦痛及び物質的損失は軽視し得ないから、本件の被害が軽微であったとはいえず、又、原判決は、本件の被害は被告人らの蒙った法益侵害に比し軽微であった旨判示しているが、被告人らが集団不法事犯の煽動、教唆をしていたため警察官に尾行されていたものであることは前記のとおりであるから、被告人らが本件尾行行為により自由の制約を受けたとしてもそれは犯罪行為を煽動、教唆することの自由であって、正当に保護されるべき法益とはいえず、従って、原判決の右法益較量も失当といわなければならず、原判決は、これらの点においても可罰的違法性論適用の前提事実の評価を誤ったものといわなければならず、原判決が前記構成要件該当性阻却説の立場に立っているとすれば、原判決は、右(1)ないし(4)の誤りを犯した結果被告人の本件行為の可罰的違法性を否定し、可罰的違法性論の具体的適用を誤ったものと考えられ、他方、(二)原判決が前記違法性阻却説の立場に立っているとしても、同説の立場に立つ可罰的違法性論により可罰的違法性が否定されるのは、いわゆる一厘事件(大審院明治四三年一〇月一一日判決、刑録一六輯一六二〇頁で(旧)煙草専売法違反罪の成立を否定された事件)等の事例にみられる社会通念上明らかに犯罪と観念されないごく軽微な法益侵害行為に限局されるべきであるところ、本件においては、被告人は適法に職務を執行していた北田、宮川両巡査に対しポリバケツの水を至近距離のところから浴びせかけたのであり、被告人のこの行為は典型的な暴行に該当するから、仮に、原判決説示の如く被害が軽微でありかつ動機、目的において憫諒すべき事情があるとしても、被告人の本件行為が社会通念上明らかに犯罪とは観念されないような行為であって可罰的違法性がないとは到底いえず、従って、原判決が前記違法性阻却説の立場に立っているとしても、原判決は、可罰的違法性論の具体的適用を誤ったものといわなければならない。してみると、原判決は、いずれにしても可罰的違法性論の具体的適用を誤り、その結果被告人の本件行為に刑法二〇八条を適用せず、法令の適用を誤ったものといわなければならず、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
そこで、検討するのに、原判決が前記公訴事実をほぼ認めながら、講学上の可罰的違法性論を採用したうえ、右理論によれば、被告人の本件行為は刑法二〇八条によって処罰しなければならないほどの違法性を具備しないものと認められる旨判示して前記公訴事実につき無罪の言渡しをしたことは、本件記録上明らかであるが、原判決が可罰的違法性論のうち構成要件該当性阻却説を採用したか違法性阻却説を採用したかについては、判文上必ずしも明白に表現されていない。然しながら、構成要件該当性阻却説の立場からは、理論上、可罰的違法性を具備し構成要件該当性が認められた後正当防衛等の違法性阻却事由の存否を判断することになるものと解されるところ、原判決が、被告人の本件行為につき、先ず刑法三六条の正当防衛が成立するかどうかにつき判断し、正当防衛の成立を否定した後可罰的違法性論を具体的に適用し、可罰的違法性を否定している点、及び原判決が、若し、構成要件該当性阻却説を採用しているとすれば、原判決は、理由中の二の(四)において「被告人の行為は違法性を欠き罪とならない」と説示しているのを「被告人の行為は構成要件該当性を欠き罪とならない」と説示する筈であると思われる点からすれば、原判決は、可罰的違法性論のうち構成要件該当性阻却説を採らず違法性阻却説を採用しているものと解するのが相当である。
そこで、右のような解釈の下に、先ず、前記各控訴趣意中二の控訴趣意即ち原判決が可罰的違法性論の具体的適用を誤ったか否かにつき判断することとする。
(一) 可罰的違法性の判断基準について
可罰的違法性論のうち違法性阻却説は、行為の実質的違法性が全く否定されるまでには至らないものにつき、その違法性の量や質の程度が可罰的な程度に達しているかどうかを検討し、達していないものについては可罰的違法性を否定しようとするものであるから、その基礎は実質的違法論にあるわけであり、従って、可罰的違法性の有無を判断するに当たっては、実質的違法性を左右する事情のすべてがその判断の資料となるのであり、可罰的違法性の有無はそれらの資料を綜合し全体としての法秩序の観点から決すべきものと解するのが相当であり、可罰的違法性を否定するための判断資料として重要なものは、当該行為の動機、目的の正当性、方法、手段の相当性、被害の軽微性、当該行為により保全しようとする法益が侵害される法益よりも優越するものであること等であり、原判決も、右のような判断基準に基づいて可罰的違法性の有無を判断しているものと解される。
(二) 可罰的違法性論の具体的適用について
原判決は、本件尾行行為のうち被告人らに気付かれた後の行為を違法な職務行為であると判断し、それを前提として被告人の本件行為の目的の正当性を認めているので、先ず、本件尾行行為が適法であるかどうかについて検討するのに、被告人の本件行為がなされるに至った経緯、その際の被告人らの言動等は原判決がその理由中の二の(一)の1及び2において認定しているとおりであり、原判決の右認定事実に原審第三回公判調書中の証人上杉輝人の供述部分を合わせ考えると、被告人らを尾行した北田、宮川両巡査らは、被告人を含む一〇名位の者が多数の労働者に対し集団的不穏行動に出ることを煽動して廻っているものと認め、その行動を監視警戒し、被告人らの煽動により多数の労働者の集団的不穏行動がまさに行われようとする場合には未然に説得、警告、制止等警職法五条所定の事実行為に出、もって犯罪の予防及び鎮圧に当たる意図の下に本件尾行行為に及んだものと認められる(原判決は、本件尾行行為を、右のような監視警戒のための行為である旨認定する一方、情報収集活動である旨認定しているが、本件尾行行為は直接的には右のような監視警戒のための行為と認めるのが相当である。)。
ところで、警察法二条は、警察官の権限行使の一般的根拠を定めたものであり、右権限行使に当たり、強制手段に出る場合はその権限を規定した特別の根拠規定を必要とするが、強制手段に出ないで任意手段による限り特別の根拠規定を要せず、従って、性質上任意手段に属する尾行行為は特別の根拠規定を要しないでこれをなし得るものと解すべきであることは原判決説示のとおりであるが、原判決が、本件のようにいまだ犯罪が具体的に発生していない段階における尾行行為の適法要件として、目的の正当性、行為の必要性のほかに、結果的に相手方の自由意思に影響を与えたり、その自由な行動を制約したりしないことを挙げている点には左袒し難い。即ち、まだ犯罪が具体的に発生していない段階にも、(イ)対象者が全く適法な行動に出ている場合、(ロ)異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由がある場合(警職法二条の場合)、(ハ)犯罪がまさに行われようとしている場合(同法五条の場合)等種々の段階があり、原判決の挙示する右適法要件は、右(イ)の状態にある対象者を警察官が尾行する場合には妥当するものと思われるが、例えば右(ロ)の状態にある対象者を本件における前記のような目的(犯罪がまさに行われようとする場合に警告、制止等をする目的)で警察官が尾行中、対象者に気付かれて尾行を拒否された場合、直ちに尾行を中止しなければならないとすれば、右のような犯罪の予防、鎮圧の行政目的は達成し得ないことになって不合理であるといわなければならないから、このような場合には、右(ロ)の状態が続いている限り対象者の意思に反しても尾行行為を継続し得るものと解するのが相当であるところ、原判決がその理由中の二の(一)の1及び2において認定している諸事実のほか、原審第一〇、一一回及び当審第二回各公判調書中証人富田順輔の供述部分、原審第三回公判調書中証人上杉輝人の供述部分及び被告人らが配付したビラの写により認められる次のような諸事実即ち、本件の発生した原判示愛隣地区は、日雇労働者が多数居住しており、比較的些細なきっかけにより集団不法事犯が発生し易く、昭和三六年八月から昭和四七年春迄の間右のような集団不法事犯が約一二回に亘って発生しており、これらの不法事犯は時期的には夏季に発生することが多かったこと、昭和四七年八月一五日夜西成警察署に押しかけ不当逮捕である旨の抗議行動をした者の中には被告人ら数名の原判示釜共斗の幹部が含まれており、被告人らが西成警察署から原判示三角公園に帰った後、同公園内において釜共斗の指導者である谷川満男が同所に集っていた一、〇〇〇人近い群集に対し、西成警察署に対する抗議活動を更に続けることをマイクで煽動し、その結果、釜共斗の指導者を先頭にして約四、五百人の労働者が西成警察署に押しかけ、原判示(原判決の理由中の二の(一)の1記載)のような集団不法事犯が発生したこと、被告人らが同年同月一六日多数の労働者に配付していたビラには「血の夏まつりの決済は血であがなわなければならない。全ての釜ケ崎労働者兄弟諸君、怒りを組織しよう。血の弾圧に対しては血の報復を。」等と記載されており、その記載内容は多数の労働者に対し過激な集団不法事犯を煽動する趣旨のものであったこと、被告人が同日西成警察署前で労働者に対し原判示(原判決の理由中の二の(一)の2記載)のような呼びかけをした際、労働者がこれに呼応して「ワァー」とか「火をつけてしまえ」というような喚声をあげていたことを合わせ考えると、本件尾行行為に気付く前、被告人らは、多数の労働者に対し警察官に対する公務執行妨害等の集団不法事犯を煽動、教唆して廻り、多数の労働者をして右のような犯罪を犯させようとしていると疑うに足りる相当な理由があったものと認められ(右状態は、警職法二条の定める前記(ロ)の場合に該当する。)、被告人らが本件尾行行為に気付いた後右集団不法事犯の煽動、教唆を断念したと認め得る特段の事情の認められない本件においては、被告人らが本件尾行行為に気付いた後も右状態は続いていたものと認めるほかはないから、北田、宮川両巡査らが被告人らの抗議を受けた後もなお尾行行為を継続したこと自体は何ら違法とはいえない。
然しながら、北田、宮川両巡査らの尾行行為が被告人らの抗議を受けた後もなお許されるからといって、如何なる態様、程度の尾行行為をも許されるわけではないことは、警察法二条二項、警職法一条二項の趣旨に照らして明らかであり、どのような態様、程度の尾行行為が許されるかは、いわゆる警察比例の原則に従い、必要性、緊急性等をも考慮したうえ、具体的状況の下で相当と認められるかどうかによって判断すべきものと解すべきであるところ、(昭和五一年三月一六日最高裁判所第三小法廷決定、判例時報八〇九号二九頁参照。)被告人らが多数の労働者に対して前記のような集団不法事犯を煽動、教唆し多数の労働者をして右のような犯罪を犯させようとしている疑いの程度が、被告人らにおいて本件尾行行為を発見した後も発見前と変らなかったものと認められることは前記のとおりであるのみならず、証拠を検討しても、被告人らに本件尾行行為を発見された後北田、宮川両巡査らが以前よりも接近して尾行しなければ被告人らを見失うおそれが生じたとは認め難く、その他北田、宮川両巡査らが被告人に極端に接近して尾行しなければならない必要性は何ら認められないにも拘らず、右両巡査らは、被告人らに気付かれる前には、被告人らと約一五ないし二〇メートルの間隔を保って尾行していたのを、被告人らに気付かれた後は、被告人らの後方僅か数メートルの至近範囲内(一、二メートル位から三、四メートル位)を一団となって尾行し(以下密着尾行と略称する。)、被告人が本件行為に及ぶまで約一五メートルを右の状態で尾行したものと認められるのであって、被告人らに気付かれた後の右尾行行為は、実質的な強制手段とはいえないにしても、前記のような判断基準に照らし相当な尾行行為であるとは到底認め難く、違法であるといわなければならない。
そこで、更に、被告人の本件行為の動機、目的について考えてみるのに、被告人が本件行為に及んだ際、被告人に本件尾行行為に抗議する意図が存続していたことを否定できないことは原判決説示のとおりであるけれども、被告人は、主として本件尾行行為に怒りを抱き、腹癒の意図から本件行為に及んだものと認められることも原判決説示のとおりであり、被告人が主として右のような腹癒の意図から本件行為に及んだと認められる以上、被告人らに気付かれた後の本件尾行行為が前記の如く違法であるからといって被告人の本件行為の動機、目的が正当であるとはいえず、仮に、被告人が本件行為に及ぶ際、前記のような抗議の意図を全く失っていなかった点からして被告人の本件行為の動機、目的が正当であると評価されるとしても、本件においては前記密着尾行の必要性は何ら存しなかったのであるから、前記違法な密着尾行が始った際、被告人らが言語による真摯な抗議をすることによって北田、宮川両巡査らをして前記密着尾行をやめさせ、被告人らに気付かれる前の尾行状態に復帰させることは必ずしも期待し得ないことではなかったものと考えられるのに、被告人らは右のような抗議をすることなくいきなり本件行為に及んでいること(なお、被告人らは前記密着尾行が始まる前北田、宮川両巡査に対し口頭による抗議をして拒否されているが、右抗議は真摯な抗議とは認め難い。)、被告人の本件行為は、前記密着尾行に対する抗議行為ないし排除行為としては全く不適当な行為であるうえに、相手方の人格に対する侮蔑的意味を持つ行為であって、それによって相手方の受ける精神的被害は軽視し得ないこと、被告人は北田、宮川両巡査に対し一、二メートル位の近くから水を浴びせかけたのであり、そのため北田巡査のズボン及び宮川巡査のポロシャツはびしょ濡れになり、それが乾くまでに三、四〇分の間両巡査は不快感を覚えていること(原審第二回公判調書中の証人北田耕之の供述部分及び原審第四回公判調書中の証人宮川幸夫の供述部分により認められる。)等の諸事情からすれば、被告人の本件行為が突発的な一回限りの行為であり、有形力の行使そのものとしては軽度のもので、性質上被害者に傷害を与えるような行為ではないこと、及び本件当時は夏季であったため濡れた右両巡査の衣服が比較的短時間で乾いたことを考慮に入れても、被告人の本件行為は、右目的達成のための手段として相当な行為であるとは認め難いのみならず、被告人の本件行為により侵害された法益は、さほど軽微なものとはいえず、これらの諸事情のほか、本件証拠により認められる諸般の事情を綜合し、全体としての法秩序の観点から判断すると、被告人の本件行為(刑法二〇八条の暴行罪の構成要件に該当することは明らかである。)が可罰的違法性を欠く行為であるとは到底認め難いから、これに反する見解の下に被告人の本件行為を罪とならないものと認めた原判決は、可罰的違法性論適用の前提事実の評価を誤った結果同理論の具体的適用を誤り、その結果、刑法二〇八条を適用すべき被告人の本件行為に同条を適用せず法令適用の誤りを犯したものといわなければならず、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであり、論旨は理由がある。
してみると、原判決は、前記一の控訴趣意について判断するまでもなく破棄を免れないから、右控訴趣意に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所においてさらに次のとおり判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、ほか九名位の者と共に昭和四七年八月一六日午後六時五八分頃、大阪市西成区甲岸町一〇番地先道路上を通行中、被告人らを尾行してきた警察官宮川幸夫の前胸部及び同北田耕之の下半身前面に対し、道路端にあった水がめの水をポリバケツ(容量約二〇リットル)ですくって浴びせかけ、もって右両名に対し暴行を加えたものである。
(証拠の標目)《省略》
(原審弁護人の主張に対する判断)
原審弁護人は、被告人の本件行為は、北田、宮川両巡査らの違法な尾行行為に対し自己及び他の同行者らの自由を防衛するため已むなくなされた行為であって、刑法三六条の正当防衛に該当する旨主張するが、仮に、被告人が北田、宮川両巡査らの前記違法な密着尾行に対し所論のような防衛意思をもって本件行為に及んだとしても、前記の如く、被告人は北田、宮川両巡査らの違法な密着尾行に対し何ら言語による真摯な抗議をすることなくいきなり本件行為に及んだものであって、右両巡査らの本件侵害行為の性質等をも合わせ考えると、被告人の本件行為が刑法三六条にいう「已ムコトヲ得サルニ出テタル行為」に該当するとは認め難いから、被告人の本件行為を同条の規定する正当防衛行為と目することはできない。
(法令の適用)
被告人の北田、宮川両巡査に対する判示所為は、刑法二〇八条、罰金等臨時措置法三条一項一号、に該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により犯情重いと認める宮川巡査に対する罪の刑に従って処断することとし、所定刑中罰金刑を選択し、所定罰金額の範囲内で被告人を罰金四、〇〇〇円に処し、右罰金を完納することができないときは同法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし原審及び当審の各訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。
以上の理由により主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石松竹雄 裁判官 角敬 青木暢茂)