大阪高等裁判所 昭和50年(う)540号 判決 1977年3月09日
主文
原判決中、被告人小林明吉、同寺崎康、同滝澤輝久男、同大元實、同佐藤隆一、同年増信行に関する部分、被告人石元敏男に関する部分のうち公訴事実第五の点、被告人金太(原判決の表示は金健治)に関する部分のうち公訴事実第六、第七および第八の点、被告人大井修に関する部分のうち公訴事実第五および第六の点、被告人表浦正雄に関する部分のうち公訴事実第四の一の点をいずれも破棄する。
本件のうち右破棄部分を大阪地方裁判所に差し戻す。
被告人竹弘道一、同畑中建一に関する各控訴、被告人石元敏男に関する控訴のうち公訴事実第二の点、被告人金太に関する控訴のうち公訴事実第一および第三の点、被告人大井修に関する控訴のうち公訴事実第一、第二および第三の点、被告人表浦正雄に関する控訴のうち公訴事実第一および第四の二の点は、いずれもこれを棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、大阪高等検察庁検察官検事杉島貞次郎提出にかかる大阪地方検察庁検察官検事稲田克巳作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人宇賀神直、同三上孝孜、同小林保夫、同細見茂、同並河匡彦、同豊川正明、同藤井光男、同佐藤哲、同大錦義昭、同福山孔市良、同徳永豪男、同大川真郎、同石川元也、同毛利与一連名作成の答弁書記載のとおりであるから、これらをここに引用して次のとおり判断する。
第一、本件の経過
本件公訴事実は「被告人小林明吉、同寺崎康は、総評全国自動車交通労働組合大阪地方連合会(略称全自交大阪地連)の執行委員、その余の被告人は、大阪市南区瓦屋町三番丁六九番地所在の商都交通株式会社(以下会社と略称)の従業員で、いずれもその一部をもって組織する全自交大阪地連商都交通労働組合(以下組合と略称)の組合員であったものであり、被告人竹弘道一はその副執行委員長、同石元敏男はその書記長、同金健治、同大井修、同畑中建一はその執行委員であったが、組合では、昭和四一年一〇月ころから会社に対し、退職金規程の改正、労働協約の締結、年末手当一律六万五、〇〇〇円支給等の要求をかかげて争議中のところ、
第一、被告人小林、同寺崎、同竹弘、同金、同大井、同表浦は、昭和四一年一二月二五日午後四時二〇分ころ、大阪市南区瓦屋町三番丁六九番地所在の会社車庫内休憩所において、同社人事労務課長中山孝雄(当三九年)が社長名義の組合に対する警告文書を執行委員長切田明に手渡し、その文言をめぐって同人と論争しているのを認めるや、他十数名の組合員と共謀して、右中山を取り囲み、「お前らに勝手にされてたまるか」等と怒号しながら、交々同人の胸倉をつかみ、押す、突く等して同室内階段の壁に押しつけ、さらに同人を同室から車庫内へ押し出したうえ、同所で、その場にあった餅つき用のきねを振りあげて同人に殴りかかる気勢を示したり、交々同人の肩および胸倉をつかんで押し、突き、ゆさぶり、あるいは前後左右から、肩、ひじなどで上体を突き上げる等しながら車庫中央部まで約二〇メートルにわたり押してゆき、さらにその間、土足、ひざ頭で同人の左右ひざ関節部および股間部を数回蹴りつける等の暴行を加え、因って同人に対し、全治約一〇日間を要する右前胸部、右そけい部各挫傷、両ひざ関節部挫傷および皮下溢血の傷害を負わせ、
第二、被告人石元、同大井、同畑中は、他十数名の組合員と共謀のうえ、同月二七日午前三時過ぎころから午前五時ころまでの間、会社所有にかかる同町四番丁二三番地所在の五階建鉄筋コンクリート造り本社建物の一部である一階営業部事務室北側のガラス窓内外一面、一階中間踊場より四階に至る間の階段の壁、各階の扉および正面玄関のシャッターや壁等に、洗車ブラシを用いてのりをぬり、その上に新聞紙等に墨、マジックインク等で「団体交渉を開け」等と記載した新聞紙四ツ切大のビラ約五三八枚を張りつけ、もって、建造物を損壊し、
第三、被告人金、同大井は、他数名の組合員と共謀のうえ、同月二八日午前三時過ぎころ、右本社建物の一部である一階営業部事務室北側のガラス窓内外一面、玄関シャッター等に洗車ブラシを用いてのりをぬり、その上に前同様のビラ約二五〇枚を張りつけ、もって、建造物を損壊し、
第四、一、被告人大元、同滝澤、同畑中、同表浦は、昭和四二年一月二四日午前八時ころ、前記第一記載の会社車庫内において、他十数名の組合員と共同して会社営業部次長佐藤岩夫(当四〇年)を取り囲み、合同点呼の実施を要求し、怒罵声を浴びせて騒ぎ立て、交々肩やひじで同人を小突き、あるいは体当りを加え、蹴る等の暴行を加え、さらに同人が車庫正門の鉄扉を閉鎖しようとしたところ、これを妨害するべく、交々、手拳で同人の腰や胸を突き、ひざ頭あるいは土足で腰部、大腿部、でん部等を蹴りつけ、体当りを加えて鉄扉に押しつける等し、もって数人共同して暴行を加え、
二、被告人畑中、同滝澤、同表浦、同佐藤は、他十数名の組合員と共謀のうえ、前記第四の一記載の日時、場所において、右佐藤に対する組合員らの暴行を制止しようとした非組合員中本重幸(当三六年)に対し、口々に、「このがきやってしまえ」等と怒号しながら、同人を取り囲んでつかみかかり、左右から羽がい締めにし、交々手拳で頭部、顔面等を殴打し、土足で腹部、腰部、背部、股間部、下腿部等を蹴りつける等の暴行を加え、因って同人に対し、全治約二週間を要する腰部、両大腿部、陰のう各挫傷を負わせ、
第五、被告人大井、同石元、同大元、同滝澤は、同月三一日午前八時ころ、前記第二記載の本社一階営業部事務室東側修理工場入口附近において、組合側が車庫内へ持ち込んだ点呼台を取り戻しに来た会社営業課長横山邦雄を、他十数名の組合員とともに取り囲み、激しく抗議していたところ、同課長の安否を気づかい、前記営業部次長佐藤岩夫が同所に姿を見せるや、他数名の組合員と共同して、同所で同人を取り囲み、交交同人の胸倉をつかみ、前後に激しくゆさぶり、手拳で胸部を突き、あるいは押し、肩、ひじで上体を突きあげ、強く押し、あるいは体当りを加え、股間部を蹴る等して同人を事務室内に押し込んだうえ、さらに同所で、交々肩、ひじで体当りを加え、あるいは押し、突き、手拳で脇腹を突き、ひざ頭で股間部を蹴りあげ、足を踏みつける等し、もって数人共同して暴行を加え、
第六、被告人金、同大井は、同年三月一日午後零時ころ、会社側が、組合員を出勤停止処分にしたこと等につき抗議するため、他多数の組合員とともに、前記会社営業部事務室に押しかけ、執務中の前記営業課長横山邦雄(当四四年)を取り囲み、約二〇分間にわたり、怒罵声を浴びせたので、これを避け室外に出ようとして立ちあがった同人に対し、他十数名の組合員と共同して同所において同人を取り囲み、体を密着させ、交々肩、ひじ、胸等を突き出して同人の胸部、背部等を強く押しつけ、あるいは手で胸部を突き、背部を押す等の暴行を加えて、同人を同室内東側の納金所附近に押してゆき、さらに同所で、前後左右から肩やひじを突き出して押し、あるいは小突き、胸を突き出して胸部を強く押し、肩や腕をつかんで引っぱり、下腿部を足蹴りする等し、もって数人共同して暴行を加え、
第七、被告人金、同年増は、共謀のうえ、同月一五日午前七時五五分ころ、同市生野区選西足代町一一一番地所在の会社生野営業所内観光部事務室前において、非組合員山口弥市(当四〇年)の運転する自動車の左サイドミラーが、被告人年増の左ひじに触れたことに因縁をつけ、同所で同人を運転台から引っぱり出し、手首をつかんで引っぱり、交々胸部を強打して二度にわたり路上に転倒させ、両足および首をつかんで抱きあげ、二、三メートル運搬して路上に押えつけ、さらに、被告人金において、立ちあがった同人の背部を突いて前額部を被告人年増の前額部に激突させる等の暴行を加え、よって、同人に対し、全治約一週間を要する前額部打撲傷、左肩甲骨部挫傷の傷害を負わせ、
第八、被告人金は、昭和四三年三月一〇日午前八時一五分ころ、前記第七記載の生野営業所東側路上において、同社従業員の一部をもって組織する交通労連新商都交通労働組合執行委員中島純義(当二九年)が、新商都交通労働組合員千田健二の乗務車両に張りつけてあった全自交大阪地連名義のステッカー二枚を、同人とともにはぎとったことに憤慨し、手拳で右中島の額面を二回殴打し、よって同人に対し、全治約一週間を要する右頬部および下口唇部打撲傷を負わせたものである。」
というのであって、第一、第四の二、第七および第八の各事実は傷害罪、第二および第三の各事実は建造物損壊罪、第四の一、第五および第六の各事実は暴力行為等処罰に関する法律違反の罪に各該当するとして起訴された。(本判決においても、原判決の表示に従い、公訴事実第一ないし第七とは昭和四二年一一月二一日付起訴状記載の公訴事実中各番号該当の事実をいい、公訴事実第八とは昭和四三年九月一七日付起訴状記載の公訴事実をいうこととする。)
原裁判所は、検察官が公訴事実第一および第四ないし第八を立証するため刑訴法三二一条一項二号に基づいて取調べを請求した谷口栄一ほか九名の検察官調書合計一八通を、これらが同号に該当しないとして却下し、これに対する検察官の異議申立をも棄却したうえ、公訴事実第一、第四ないし第七についてはいずれも公訴事実を認めるに足る証拠がなく、公訴事実第八は正当防衛に該当し、公訴事実第二および第三は建造物損壊罪の構成要件を充足するが正当な争議行為であるから労組法一条二項、刑法三五条により違法性を阻却し罪とならないとして、全公訴事実につき無罪の言渡をした。
右原判決に対し、検察官は控訴を申立て、その控訴趣意として後に詳述するとおり訴訟手続の法令違反、事実誤認、法令の解釈適用の誤りを主張した。
第二各公訴事実に関する控訴趣意とこれに対する判断
一 公訴事実第一について(被告人小林、同寺崎、同竹弘、同金、同大井、同表浦関係)
(一) 所論は、右公訴事実第一につき、原判決は、原審証人中山孝雄、同佐藤岩夫、同谷口栄一の各証言および医師森田邦夫作成の診断書の各信用性を否定し、かつ、中山孝雄の昭和四二年一月二六日付、同月三一日付および谷口栄一の同年一月二八日付各検察官調書の証拠調請求を却下して、右公訴事実を認めるに足る証拠が無いとして関係被告人全員に対し無罪の言渡をした。しかしながら、
1 原審が、刑訴法三二一条一項二号前段を根拠として請求された中山孝雄の昭和四二年一月二六日付、同月三一日付各検察官調書がいずれも同号前段に該らず、かつ、後段の相反性もないとし、また、同じく同号前段を根拠として請求された谷口栄一の同年一月二八日付検察官調書が同号前段に該らず、かつ、後段の相反性があるとしても特信性がないとしたのは、いずれも同号の解釈適用を誤まり、ひいて証拠能力のある右各調書の取調請求を却下する違法を犯したもので、その訴訟手続には法令違反があるというべく、その違反が原判決中の関係被告人六名に関する部分に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。けだし、(一)中山孝雄および谷口栄一の原審証言はいずれも記憶喪失のため要証事実の全部または一部につき供述できなかったものである以上、その部分に関する限り右検察官調書三通はいずれも同号前段に該るというべきであり、原審の昭和四九年九月一〇日付決定(以下単に原審決定という)の如く全面的供述不能の場合に限ってのみ二号前段に準ずると解すべきでない。(二)仮りに然らずとするも、原審証人中山孝雄は記憶喪失のため関係被告人の犯行の具体的状況についてはほとんど供述しえないか又は要証事実についてあいまいな供述とか実質的に異なった供述をしているので、中山孝雄の右検察官調書二通は同号後段の相反性があるというべく、(三)原審証人谷口栄一は事件後五年余を経過し関係被告人の具体的行動は殆ど記憶がなく極めてあいまいな供述に終始したのに比し、同人の右検察官調書の記載は記憶の新鮮な時期における自然、詳細かつ具体的なものであるから、類似紛争との混同の危険があるとか同人が反組合的行動をしていたから誇張歪曲があるとかあるいは「特に注意して見ていたわけでない」と言ったからというようなことが右検察官調書の特信性否定の理由となるものではないからである。また、
2 原判決が、原審証人中山孝雄、同佐藤岩夫、同谷口栄一の各供述および医師森田邦夫作成の診断書の各信用性を否定して、本件公訴事実につき犯罪の証明がないとしたのは採証の法則に違背し判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認の違法を冒したものである。けだし、被告人小林、同寺崎が平素の立場やたてまえあるいは法廷における外観にかんがみあからさまな暴力行為に出るとは思われないというのは偏見であり、中山孝雄が人事労務課長の立場から被害を誇張し紛争直後に警察に申告したことが釈然としないというのはこじつけであり誤解であり不可解というほかなく、佐藤岩夫の対組合政策の故に誇張歪曲虚偽があると断じ、詳細かつ具体的な供述の故に却って不自然であるというのは失当である。さらに谷口栄一が反組合グループの先頭に立ち細部につき供述できない部分が多かったにしても特異な行事のあった日の出来事に混同がある筈はなく、以上原審証人の各供述はいずれも信用性に欠けるところはなく、まして医師森田邦夫作成の診断書により傷害の結果は否み得ず、右原審証人の各供述と併せ被告人小林、同寺崎、同竹弘、同金、同大井の共同暴行によって右傷害の生じたことは明らかでありさらに前記検察官調書三通を加えると被告人表浦の犯行をも含めて本件公訴事実は証明十分というべきであるからである。大綱以上のとおり主張するのである。
(二) よって記録を検討すると、原審は、本件公訴事実に関する所論指摘の検察官調書三通の取調請求を却下し、被害者中山孝雄および目撃者佐藤岩夫、同谷口栄一の各証言ならびに医師森田邦夫作成の診断書の各信用性に疑いを挾み、結局、右診断書に記載されてある程の傷害が生じたのか疑問であるうえに、被告人小林、同寺崎、同竹弘、同金、同大井、同表浦らの暴行が認められないのみならず、他の組合員のうちの脱線行為があったとしても共謀責任を問いえないとして関係被告人全員に無罪の言渡をしたことが明らかである。そこで、各所論について検討することとする。
1 訴訟手続の法令違反を主張する所論について
まず、所論中山孝雄の検察官調書についてみるに、記録によれば、中山は原審第二五回、第三〇回、第三二回、第三三回各公判期日(その際一部被告人の関係で公判準備期日とされたものを含む。以下これにならう)において、本件被害事実につき証言したが、そこでは相当具体的に供述し、殊に本社前車庫奥の組合事務所とその横の休憩所、そこから車庫内に移動した経路につき自ら略図を描き順次番号を記入して説明し、特に「被告人寺崎は私に顔をくっつけるようにし、どちらの肩か判らないが肩で私の胸をぐいぐいと押し、私が両手で押し返すと、『手をかけたな』と言って前よりも積極的に両手で襟を鷲掴みにし、前後に揺さぶりつつ階段の壁に押しつけ、組合員十数名が私の左右および寺崎の背後から包囲した形でぐんぐん押して来て、痛いというよりも苦しく感じた。」「被告人小林は私の前に立ちはだかって『お前らに勝手にされてたまるか』という趣旨のことを言ったように思う。同被告人は杵をとり上げて『叩き殺すぞ』とか喚きながら私に対し杵を振り挙げたが、私が『打てるなら打ってみろ』というとその儘杵を臼の上におろした。それから同被告人は私の襟を強く掴み、睾丸、膝、向う脛を痛いと感じた分丈でも四、五回蹴った。また組合員十数名が私をとり囲み肩で押し、突きかかった。」「被告人竹弘が居たが何をしていたか判らない。」「佐藤岩夫がかけつけてからは組合員の囲みが二つになった。」「事務所に戻ってから、私は胸が苦しく、階段の昇り降りや立居に脚の関節部やそけい部が痛く、膝は内出血で黝ずんでいた。一日か二日おいて枚方市立病院で診断してもらった。」等かなり具体的な証言をしていることが明らかで、刑訴法三二一条一項二号前段列挙事由に準ずる程の証言不能があったとは到底いえない。所論は、刑訴法三二一条一項二号前段はそこに列挙の死亡等の事由のある場合にのみ限って適用あると解すべきではなく、記憶喪失等のため証言できないときの如きも右に準じ、しかも原審決定に示されたような「列挙事由に準ずるに足る全面的供述不能の場合に限られる」と解すべきでなく、凡そ一部分であっても記憶喪失等のため証言できない以上はその部分に限ってでも二号前段が適用されるべきである旨主張するが、同号前段の趣旨にかんがみると、所論の如く要証事実の具体的内容をさらに細分してその一こま宛に区切って証言できなかったかどうかを分別するのは適切でなく、むしろ原審決定のいうように解するのが妥当であって、中山孝雄の原審証言に則していえば、被告人寺崎および同小林の各所為による被害の顛末はともかく証言し得ていることが明らかであって、二号前段列挙事由に準じて考えなければならぬ程の証言不能があるとは到底認め難く、所論中山孝雄の検察官調書二通は既にこの点において同号前段の要件を欠くものといわざるをえない。もっとも、記憶喪失による部分的な証言不能のため、その証言内容全体を検察官面前供述と対比し、要証事実について異った認定をきたす蓋然性があると考えられるほどの差異を生ずるに至ったときは、同号後段にいう「相反する供述」または「実質的に異った供述」との要件(以下あわせて相反性という)を具備し同後段により証拠能力を付与されることがあるので、右調書二通についてこれをみるのに、昭和四八年九月七日検察官提出の書面(原審検察官が取調請求をした各検察官調書につき刑訴法三二一条一項二号所定の要件事項を説明したもの。以下検察官説明書という。)によれば、右検察官調書の内容は、被告人小林、同寺崎の言動に関する部分については証言内容と対比し相反性がなく、他の関係被告人の犯行をうかがわせるものはないと思われるので、同号後段によっても証拠能力を認めるに由ないものといわざるをえない。
次に、所論谷口栄一の検察官調書についてみるに、検察官説明書によれば、同調書には、本件公訴事実に関し、同人の目撃供述として、①組合事務所横の従業員休憩所の入口の所で中山課長が数名の組合員に取り巻かれて突き出された、その中で被告人寺崎が中山の胸倉を掴んで強く押し飛ばした、中山は後向きに段から足をふみはずした形でよろけた、②組合事務所前で被告人金が中山のうしろから腕を組んだ恰好で背中のあたりを体全体で押し返えした、そのため中山は前の方へ前かがみのような形でよろめいた、③その後被告人大井が中山の左足向う脛あたりを蹴った、④被告人竹弘が中山の右足向う脛のあたりを蹴りつけた、⑤被告人小林は中山を取り囲んでいた組合員の肩越しに中山の胸倉を掴んでゆさぶりながら車庫の出口の方に押して行った、⑥被告人寺崎、同竹弘、同大井その他一〇名位の組合員は被告人小林に押されて後退する中山を取り囲み同人の前左右から腕組みをして肩や肘で同人の体を突きあげながら一緒に移動して行った、⑦その中で被告人表浦が中山の右前方から両腕を組んで飛び上るような恰好で右肘で突き上げ体当りしていた、⑧暫くして再び被告人小林が中山の胸倉を掴み、他の組合員が中山を取り囲んで体当りを加えていた旨の記載のあることがうかがわれる。ところが、谷口は原審第五五回および第五七回各公判期日に証人として尋問された際には、大要、「組合事務所の方から騒々しい声がきこえた。その方を見ると入口付近で中山課長を中心に小ぜり合いが始まった。中山は組合事務所から押し戻されたような感じだった。五、六人ないしは七、八人の組合員が、入り乱れてという感じで中山を取り囲んでいた。その中に被告人寺崎、同大井、同表浦、同竹弘、同滝澤、同小林らが居た。中山と被告人寺崎がもめていた。中山は皆にこづかれていた。誰かが中山の胸倉をつかんだ。被告人寺崎がきねを振りあげた。入り乱れていたのでいちいち細かいことは覚えていない。」旨証言しただけであって、関係被告人の個々の行動につき前記①ないし⑧の事実を指摘しての尋問に対してはすべて「記憶がない」とか「わからない」と答えていることが記録上明らかである。してみると、右谷口の検察官調書は刑訴法三二一条一項二号前段の定める供述不能の要件を具備してはいないが、同号後段の定める相反性の要件を満たすものといわざるをえない。そこで、さらに同調書が同後段のいわゆる特信性の要件をも備えているか否かを検討してみるのに、谷口の原審証言によると、同人は本件当日タクシーの運転業務に従事していたが、夕食を摂るため本件現場である車庫に戻り、特参の弁当を自車の運転席で食べながら車の窓越しに本件紛争を傍観していたというのであるが(右検察官調書における供述記載によっても弁当を開いていた場所が自車の後部座席というほかは、右とほぼ同じ状況のようにうかがわれる)、自車を駐めていたとして図示したところを司法警察員木原兼秋作成の実況見分調書添付の見取図第四号と対比してみると、その位置は従業員休憩室の入口から二十数メートルも離れていて、同室内での紛争はもとより、同室の入口付近や同室外の紛争も、その間に多数の組合員が蝟集していたことを考慮すると、果して前記①ないし⑧のように暴行者を個々に特定して認識しうる状況にあったかどうか極めて疑わしいといわざるをえない。そして、さらに谷口が検察官の取調べを受けた当時組合脱退者として原審決定もいうように組合と鋭く対立し被告人らに対し激しい敵対感情を抱いていたとの証拠上明らかな事実をもあわせ考えると、谷口の検察官面前供述については特信性を認めるに由なく、その調書は証拠能力を欠くというべきである。
してみると、叙上三通の検察官調書について証拠能力を否定しその取調請求を却下した原審の訴訟手続は適法であって、これを非難する所論は理由がない。
2 事実誤認を主張する所論について
まず被告人竹弘、同金、同大井、同表浦については、同被告人らが本件犯行に加功したことをうかがわせる的確な資料は前記谷口栄一の昭和四一年一月二八日付検察官調書のみであるが、同調書を証拠とすることができないことはさきに説示したとおりであるから、右被告人四名については結局犯罪の証明がなく、従って、同被告人らに対し本件公訴事実につき無罪の言渡をした原判決は正当である。
次に被告人小林、同寺崎については、さきに摘記した中山孝雄の原審証言を初め、佐藤岩夫の原審証言、医師森田邦夫作成の診断書および病症日誌により、本件犯行を認めるに十分のように思われる。原判決はこれらの証拠についてその信用性のないことをるる説示するが、牽強付会の感を免れず、到底納得せしめるに足るものではない。すなわち、中山証言についていえば、同人が組合の弱体化を労務政策の基本とする佐藤岩夫営業部次長の直接の指揮下にあって人事課長兼労務課長として労務、組合対策の第一線にあり、本件紛争の過程およびその前後において組合に対し挑発的な言動があったとしても、そのことの故に直ちに同証言が全面的に信用性がないとはいいえないことはもちろんであるし、その他原説示の指摘する諸事情を念頭に置きながら記録をさらに精査検討したが、被告人小林、同寺崎および氏名不詳の組合員多数による共同暴行ならびにこれによる傷害被害をいう中山証言が原判決のいうほどに信用性のないものとは考えられない。また、佐藤証言についていえば、同人は本件紛争を終始目撃したわけではないが、自己の目撃事実について、例えば被告人寺崎につき「余り手を出していたようには見えなかった。何をしていたか、何をいっていたか判らない。」と、判らないことは判らないと言い、判っていることについては「被告人小林は中山の胸倉を正面から掴んで前後に揺さぶっていた。」と具体的に供述しているのであって、殊に同人が組合対策のために営業部次長の席に就いた者でありながら、「組合執行委員長切田明が手を出すことなく『やめろ』と大声で怒鳴り組合員を制止していた。」と客観的と見られる指摘をしていることは留意すべきであって、佐藤証言の描写が具体的詳細であることはむしろ信頼に値する根拠でこそあれ原判決のいう如く「却って信用し難いものがある。」という見方をするのは多分に失当の感を免れず、まして同人の職制としての立場から一般的抽象的に供述の信用性が低いものとし誇張歪曲虚偽の疑いが強いと論結するのは誤りといわざるをえない。さらに原判決が森田医師の診断書の信用性を云為し傷害結果について疑いをさしはさむに至っては理解に苦しむものがある。(なお、原判決が谷口栄一の原審証言に信用性がないとする点については当裁判所もその結論を正当と考える)。結局、被告人小林、同寺崎に対し本件公訴事実につき犯罪の証明なしとして無罪の言渡をした原判決は証拠の取捨選択を誤り事実を誤認したものというべく、それが判決に影響を及ぼすことはいうまでもない。
してみると、事実誤認をいう所論は、被告人竹弘、同金、同大井、同表浦に関する部分については理由がなく、被告人小林、同寺崎に関する部分については理由があり、原判決中右被告人両名に関する部分は破棄を免れない。
二 公訴事実第二および第三について(被告人石元、同大井、同畑中、同金関係)
(一) 所論は、前記公訴事実第二および第三につき、原判決はその外形的事実を認定し、いずれも一応建造物損壊罪の構成要件を充足するとしながら、会社側に組合の団結権を侵害するかずかずの違法不当な行為があったとし被告人らのビラ張りの動機目的と手段方法結果等諸事情を総合的に考察したうえ、未だ社会的相当性の範囲を逸脱したものといえず、正当な争議行為の範囲内にあるものとして違法性を欠き、労組法一条二項本文、刑法三五条により罪とならないとして関係被告人全員に対し無罪の言渡をしたが、本件ビラ張りの程度態様は採光見透しを害し著しい汚損を残すなど会社財産権に積極的な侵害を加えたものである以上、その手段において明らかに相当性の範囲を逸脱したもので、原判決認定の諸事情が仮にあったとしても、それは単なる情状の問題で、被告人らのビラ張り行為を正当化するに足らず、従って右各公訴事実についての原判断は労組法一条二項、刑法三五条の解釈適用を誤ったものである、というのである。
(二) よって案ずるに、原審で取り調べた証拠によれば、関係被告人らが他の組合員多数とともに、本件労働争議における闘争の手段として、右各公訴事実のとおり、会社の本社建物の壁面その他に多数のビラを貼りつけたことが認められ、それが建造物損壊罪の構成要件を充足するものであることは明らかである。
ところで、労働争議における闘争手段としてのビラ貼り行為が組合員に団結を呼びかけ、一般公衆に争議の存在と組合の意見要求等を宣伝して組合への支援を訴えることを目的とする情宣活動であるとともに、使用者に対する抗議活動ないし示威運動として、有効な組合活動であることはいうまでもないが、それが企業施設を利用して行われ、ひいて本件のように建造物損壊にあたるべき場合には、なお正当な組合活動として刑事免責を受けうるかどうかについては慎重な検討を必要とする。思うに、争議手段としての組合活動がたとえ刑罰法規に触れる行為であっても、労組法一条二項本文の適用により免責されるためには、その行為が暴力の行使に該当せず、その目的において正当であることのほか、争議行為としての重要性、当該争議行為によって会社側などが蒙るべき損害と組合側の目的とする利益との比較衡量、会社側の態度をも含めた争議行為をめぐるもろもろの情勢、その他諸般の事情を総合考慮し、社会的に相当と認めるべき範囲内にとどまるものでなければならない。そして、この場合、右にいう会社側の態度としていわゆる不当労働行為にあたる事由があるとすれば、そのような事情は、当該争議行為の目的の正当性を裏付ける事実とされるべきはもとより、その手段の相当性を判断する場合にも十分勘案されるべき事柄であり、従って組合活動正当性は常に会社側の態度との関連において評価されなければならない。所論は、正当争議行為として違法性が阻却されるのは、同盟罷業のように、手段の実体が労働力という自己の所有物の支配、処分であり、かつ使用者側に損害を与える行為の態様が消極的、不作為的性格のものだけであって、本件のような会社の財産権に対する積極的な加害行為は争議手段として許容されない、従って本件行為に至るまでの事情、特に会社側に不当労働行為があったこと、ビラの内容に不必要不穏当なものがなかったこと、ビラ貼りに際し暴力的な行為がなかったこと、被害が比較的に軽微であったこと等は、単に情状に属する事実であって、争議行為としての正当性を判断するための事情となるものではないという。なるほど、本件のような会社施設を対象としてのビラ貼り行為は、同盟罷業などと異り、単なる労務提供義務の不履行にとどまらないで、積極的に会社の財産権を侵害するものであるから、それだけに争議行為としての正当性の限界を逸脱するおそれのある場合の多いことは否定しがたいが、だからといって直ちに、他の事情を論ずるまでもなく、正当争議行為としての刑事免責を拒否されるべきであるとする所論には到底賛成しえない。会社側の態度として不当労働行為の存在はもとより、所論指摘の諸事情はいずれも前記「諸般の事情」に含まれるものとして(所論のいう単なる情状ではなく)、行為の正当性判断の資料に供すべきであると解するのが相当である(最高裁判所昭和四四年(あ)第二二六二号同四七年四月一三日第一小法廷決定・裁判集刑事一八四号八三頁参照)。
そこで本件についてこれをみると、原審において取り調べた証拠によれば、本件ビラ貼りに至るまでの経緯は原判決理由中の一及び三に説示する通りであって、その間会社のとった態度は正当な理由がないのに団体交渉を拒否しひたすら組合の切り崩しを図るなど不当労働行為に終始したものといわざるをえないのである。とりわけ、団体交渉に組合側の交渉委員として執行委員全員が出席していた昭和四〇年一一月以来の事実の積み重ねは確立した慣行として是認されるに至ってはいなかったにしても、会社側においてその変更を求め人員制限をしたいというのであれば、自らそのための真摯な折衝に努めるべきであり、制限要求に応じなければ団体交渉に応じないという出方の是認されるべき理由はもとよりないし、地労委の勧告により人員制限問題を一時棚上げにして開いた団体交渉の席上、会社側(佐藤岩夫)が「組合が争議行為をやめ執行部を入れ替えてこなければ年末一時金回答はできない」と言明するが如きは組合への不当介入の甚だしいものというべきである。また、分散点呼の固定化の如きは点呼担当の職制の便宜を犠牲にしてまで組合の情宣活動の徹底を嫌っての仕業とみるほかなく、さらに一二月一二日の団体交渉は会社側の申入れによって開かれたものであるのに、そこでは年末一時金について具体的な回答を出さないで終始し、右団交に組合幹部がこぞって出席しているすきを見計らって全従業員の個人別年末一時金支給額一覧表を構内に掲示したうえ特に右一時金を非組合員に限りいつでも支給する旨付記するなど、原説示の組合員家庭への文書送付とともに、隠湿な分裂工作とみられてもやむをえないところである。
右に見たように、本件では、会社側に団体交渉拒否、組合介入などかずかずの不当労働行為があり、しかも右不当労働行為を含む会社側の態度は極めて強硬であって、尋常の手段ではその反省を期待しえず、地労委による法的救済も早急には望みえない情勢にあったうえ、歩合給率の高いタクシー運転手の組合として容易に同盟罷業に突入しえない実情にあり、前記会社側の団交拒否とあわせて、争議解決のための手段がいわば事実上すべて封じられたといいうるような状態のなかで、一方では年末一時金の要求という緊急の問題をかかえ、他方では会社側の息のかかった従業員による職場刷新準備会の結成と同会による分裂工作の浸透という危機にさらされた組合としては、会社の団交拒否等不当労働行為に抗議し自らの団結を堅持するための情宣活動として本件ビラ貼りを決意したのも無理からぬところであり、事実上残された唯一の闘争手段として必要かつ重要なものというべく、その目的において正当というべきである。
ところで、原審で取り調べた証拠によれば、関係被告人らは組合活動の一還として右のとおり本件ビラ貼りを決意し、これを共同実行したのであるが、そのビラ貼りの状況は原説示のとおりである。そして、一二月二七日に貼られたビラ五三八枚のうち二九七枚(その多くは窓ガラスに貼られたもの)はその日のうちに職制や非組合員の手ではがされたところ、そのはがした跡に翌二八日またビラ二五〇枚が貼られたのであるが、結局それらの大半は同月末までに除去された。その間数日放置されたのは捜査(二八日午前に開始)の都合をも慮ってのものではないかとの推測も可能である。いずれにしても、それまでには採光、見透し等に影響のあるビラはすべてはがされ、ただ階段や廊下の壁面等に貼られた二三三枚は原説示和解の成立した後の翌四二年四月三日に至って漸く除去されたが、それはもっぱら「外部から見えるわけではないし、ビラをはがすと塗料がはげて却って汚くなる」(三野文夫の司法警察員に対する昭和四二年六月二七日付供述調書)との理由で放置されていたもののようである。要するに、本件ビラ貼りによって会社が蒙った損害のうち、採光、見透しを妨げられたことおよびビラの除去作業に職制、非組合員がかなりの時間と労力を費やしたことなど執務上の支障の点については、本件争議の過程で会社側の行った不当労働行為の激しさに比すれば、採るに足らぬものというべく、また、本社建物の外観の汚損の点も、その主たるものはビラの除去に伴う塗料の剥離、壁面の汚染であり、原状回復には塗装工事等の費用として二五万余円を要すると見積られたようであるが、右不当労働行為の激しさを考慮すればあながちその故に本件ビラ貼りを非難することも相当ではない。さらに、本件ビラ貼りに際して暴行脅迫の行われた形跡はなく(所論は、青山正雄の検察官調書を援用し、本件ビラ貼りは会社側職制を暴力で制圧しながら敢行されたというが、同調書を含む関係証拠を検討しても、それほどの心証を抱くに至らない)、また破壊的行為などの典型的な意味における損壊とはその態様を異にしていることをも考慮すると、本件ビラ貼りの行為はその手段の点においてもいまだ社会的相当性の範囲を逸脱しているものとはみなしがたい。
してみると、原判決が本件ビラ貼り行為をいわゆる正当争議行為であるとし、労組法一条二項本文、刑法三五条により罪とならないとしたのは正当であって、所論の如き法令の解釈適用の誤りはなく、論旨は理由がない。
三 公訴事実第四の一について(被告人畑中、同滝澤、同表浦、同大元関係)
(一) 所論は、前記公訴事実第四の一につき、原判決は原審証人佐藤岩夫、同中本重幸の各供述の信用性を否定し、かつ、中本重幸の昭和四二年二月三日付、横山邦雄の同日付、青山正雄の同月一日付、同月七日付各検察官調書の証拠調請求を却下して、関係被告人が佐藤岩夫に対して直接不法な有形力を加えたことを認めるに足る証拠はなく、仮に暴行に及んだ他の労組員があったとしても共謀の責は問いえないとして、結局右公訴事実はこれを認めるに足る証拠はないとして関係被告人全員に対し無罪の言渡をした。しかしながら、
1 原審が刑訴法三二一条一項二号前段および後段を根拠として請求された中本重幸の昭和四二年二月三日付、横山邦雄の同日付各検察官調書、同号前段を根拠として請求された青山正雄の同月一日付、同月七日付各検察官調書が、いずれも同号前段に該らないとし、かつ同号後段の相反性があるにしても特信性がないとしたのは、同号の解釈適用を誤り、ひいて証拠能力のある証拠の取調請求を却下する違法を犯したもので、その訴訟手続の法令違反が原判決中の関係被告人に関する部分に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。けだし(一)中本重幸、横山邦雄は原審証人として要証事実の一部を証言し得ず、かつ一部については前の供述と相反するか若くは実質的に異った供述をしたものであり、青山正雄は原審証人として要証事実の一部または全部を証言し得なかったものであるところ、このように要証事実の重要部分についての証言不能がある以上はそれが一部分であってもその限度で刑訴法三二一条一項二号前段が適用されると解すべきことさきに述べたとおりであるから、右各証人の証言しえなかった部分につき同前段により採用すべきであったものであり、(二)中本重幸の右検察官調書の相反性がある部分も、同人は原審証言当時会社や佐藤岩夫に反感を抱いていたこと、その証言において「検察官に対して嘘は言っていない。」と正確性を肯定していること、現に検察官調書にははっきりしたこととあいまいなこととが区別して記載されていることなどに徴すれば、同人がノイローゼで二回も精神病院に入院した後の原審証言に比すれば、その信用性は相対的に著しく高いと見るべきであり、また他の紛争との混同の危険の如きは記憶の新鮮な時点における検察官調書のほうが信頼できるので、同人の検察官調書の特信性は明白であり、(三)横山邦雄の右検察官調書は、同人が原審証人として「会社から紛争があれば写真をとるように言われていて何時も写真機を持っていた。この時も写真をとろうとしたところ組合員から前で上衣を振るなどして妨害された。写真のことに気をとられていて誰がどうしたという詳しいことは判らない。」と述べているが、事件後四年余り後の供述である以上、果してそんなことがあったかどうか問題であるのみならず、同人が原審証言の時点では事件当時自分自身が暴行を受けたことを忘れていたとしても不可解というのは当らず、検察官調書の特信性を否定する理由となることではない、まして同人が職制の立場であったから特信性がないというのは偏見であり、他の紛争との混同の危険性の如きもむしろ記憶の新鮮な時点における検察官調書の特信性を相対的に高める理由とこそなれ否定する根拠とはならない、(四)青山正雄の右検察官調書は、同人が原審証人として「合同点呼の方が分散点呼よりも良いことは誰が考えても明らかで当時からそう思ってはいたが、検察官の取調べのときは会社すなわち佐藤岩夫次長の指示のとおり分散点呼の方がよいと供述した」旨証言したにしても、犯行事実につき誇張歪曲して供述したというわけではないし、また原審証人として証言した時点で自分自身が被害を受けたことの記憶がないと述べたからといって同人の供述全体の信用性が左右されるわけではなく、いずれにしても検察官調書の特信性を否定する根拠となるものではないし、まして同人の原審証言は事件後約六年も経過してからの薄れた記憶による証言であるのに対し、同人の検察官調書は事件後、僅か一、二週間という時点でしかも同人が事件後実行行為者の氏名を忘れないように頭文字で特定して記録しておいたメモに基づいて供述したものであるから、同人が単に職制の地位にあったとか誤認混同誇張歪曲の危険があったなどとして特信性を否定することはできない理であるからである。また
2 原判決が原審証人佐藤岩夫、同中本重幸の証言の信用性を否定し本件公訴事実につき犯罪の証明がないとしたのは採証の法則に違背し判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認の違法を冒したものである、けだし、(一)佐藤岩夫が組合対策のために会社に雇われたものであって目的のために手段を選ばず全般的に誇張歪曲虚偽の疑いの強い証言であるというのは単なる偏見ないしはこじつけに過ぎず、また激しい攻撃的な性格であるのに自分は専ら防禦的で被告人らから一方的に暴行を受けたかの如く、しかもその内容を余りにも具体的詳細に逐一描写する証言をするので信用できないというのも同様に偏見ないしはこじつけで、被害の印象が強烈であったればこそ事件後約三年を経過した原審証言の時点でも具体的かつ詳細たり得、また執拗な反対尋問にも耐え得たうえ、当時佐藤岩夫に悪感情を抱くに至っていた中本重幸の原審証言によってさえ裏付けられたので、佐藤岩夫の原審証言は信用性に欠けるところはなく、(二)中本重幸は佐藤岩夫の組合対策の一還として同人により採用されたやくざ者であり、その原審証言の内容は矛盾に満ち具体性がないにしても、原審証言当時は会社ないし佐藤岩夫に対して不満を持つようになりむしろ被告人の側に有利な証言をしており、また事件当時中本はまだ入社後日が浅かったので被告人らの顔も名も十分には知らなかったため具体的な証言ができなかったまでで、同人の原審証言の信用性を全面的に否定したのは失当である。(三)以上佐藤岩夫、中本重幸の原審証言により被告人滝澤、同大元、同表浦の佐藤岩夫に対する共同暴行の事実は明らかであり、加うるに中本重幸の昭和四二年二月三日付、横山邦雄の同日付、青山正雄の同月一日付、同月七日付各検察官調書を以てすれば右被告人らのほか被告人畑中の共同暴行をも含め本件公訴事実は証明十分というべきであるからである。大綱以上のとおり主張する。
(二) よって記録を検討すると、原審は本件公訴事実に関する所論指摘の検察官調書四通の取調請求を却下するとともに、原判決において、昭和四二年一月二四日午前七時五〇分頃車庫出入口付近で、合同点呼を要求する組合側と分散点呼を強行しようとする会社側とが衝突し、組合員が口々に「合同点呼をやれ」と要求する中で被告人滝澤が佐藤岩夫を点呼台に押し上げるようにしたところ、佐藤岩夫がこれを振り払い「お前らの指図は受けない、点呼を受けないなら出庫させるわけにはいかん。」と車庫出入口の鉄扉を閉めようとしたので、被告人滝澤、同畑中、同表浦らがそれを阻止しようとして揉み合いのような形になったことを認定しながらも、原審証人佐藤岩夫、同中本重幸の各証言は信用性が疑わしいとし、被告人滝澤、同大元、同表浦、同畑中らが未だ不法な有形力の行使をしたとは認められず、かつ、他の組合員らにおいてことさらに佐藤岩夫に暴力を加える者があったとしても右被告人らに共謀の責を負わせることはできないとし、結局本件公訴事実は犯罪の証明が無いとして関係被告人全員に対し無罪の言渡をしたことが明らかである。そこで、各所論について順次検討することとする。
1 訴訟手続の法令違反を主張する所論について
まず所論中本重幸の検察官調書についてみるに、検察官説明書によれば、同調書には、本件公訴事実に関する同人の目撃供述として、①組合員は佐藤岩夫を二重、三重に取り囲み、外から押す、それに合わせて中で取り巻いている組合員が肘で体を小突き、肩で押し、指を使って小突き、また拳で小突き、唾を吐きかける者もいた、手を振りあげて頭や顔を殴らないというだけのことで、頸から下を寄ってたかってやっていた、②佐藤次長をやっていた者の中には被告人滝澤、同畑中、同表浦がいた旨の記載のあることがうかがわれる。他方、中本は原審第四二回および第四九回各公判期日に証人として尋問された際には、大要、「佐藤次長がガレージ入口近くで組合員に取りまかれ、互に何かいってもめていた。どちらも興奮して大声でいい合い、掴みかからんばかりであった。しかし、実際には掴み合いにはならなかったように思うが、はっきり思い出せない。組合員の誰かが佐藤を押すとか突くとかしたこともあったと思うが、誰がしたかは判らない。」と供述していることが記録上明らかである。してみると、右中本の検察官調書は、刑訴法三二一条一項二号前段の定める供述不能の要件を具備しているとまではいえないが、同号後段の定める相反性の要件を満たしているといわざるをえない。そこで、さらに同調書が特信性の要件をも備えているかどうかを検討してみるのに、本件紛争は引きつづいて公訴事実第四の二の紛争へと発展して行ったのであるが、検察官説明書によると、右中本の検察官調書には公訴事実第四の二をも含め紛争に加わった組合員の氏名を特定してその全経過を詳細に供述記載されているようであるけれども、同人は原審公判廷で、「私は本件紛争(昭和四二年一月二四日)の約一〇日前の昭和四二年一月一五日ころ商都交通にタクシー運転手として入社した。それで紛争当時も、検察官の調べを受けたとき(同年二月三日)も、同僚運転手の顔も名前も判らなかった。顔写真を示されて聞かれたが、自分から説明できる状能ではなかった。佐藤次長が『この人やったろう』というので、そういうんだったらそうやろうと思ったので、答えた。写真を見て大体この人達だろうと思ったので答えたものもあるが、適当にいったところもある。私は、多数の前科もあり、やくざの仲間にいたこともあり、入墨をもしていたが、佐藤次長がそれを承知で雇入れてくれたので、とにかく解雇されたら困るという気持が一杯で警察でこの人だといわれると、鵜呑みにしてそうですといったところもある。今思うとでたらめを述べたこともある。」と証言しているのであって、その証言に偽りがあるとも思えないのである。そうだとすると、中本の検察官調書は特信性を欠くことは明らかであり、証拠能力を認めるに由ないものといわざるをえない。
次に所論横山邦雄の検察官調書についてみるに、検察官説明書によれば、同調書には、本件公訴事実と公訴事実第四の二とを通じて、同人の目撃供述として、①車庫正面入口付近で被告人滝澤、同大井、同畑中および杉本武則ら組合員が自分を取り囲んで合同点呼を要求し、これを断ると、組合員から体を突かれたり押されたり腕を引っ張られたりして無理矢理に点呼台に上げられようとした、この間被告人滝澤と杉本が肩や肘で自分の胸のあたりに体当りしたり小突いたりした、②そのような状態のときに佐藤次長が出てきたので、これを認めた組合員が一斉に佐藤次長の方に向って行ったので、自分は漸く囲みから逃れることができた、③沢山の人だかりの中で十数人の組合員が団子のようになってもつれ合いもみ合っていた、④その状況をカメラで二回、一回に二枚ずつ撮影した、⑤二回目に写真をとったときは、固りが少し拡がって、組合員が囲まれている人に手を出して掴みかかって行き、あるいは殴りかかって行く状況であった旨の供述記載のあることがうかがわれる。他方、横山は原審第三五回、第三七回、第三九回各公判期日に証人として尋問された際には、「私が車庫の中央付近で出庫整理をしていたとき、私の前で止った車の運転手が南側の車庫正門の方を見ているので、私もその方を見たところ、正門付近で紛争が始まっていた。すぐその方に行き、持っていカメラで写真をとった。取り囲んでいたのは二、三十名である。写真を二回とり、一回に一、二枚ずつとった。二回目に写真をとったときは騒ぎがしずまりかけていて、誰かが分けている状況であった。」大要以上のとおり供述していて、右①、②の事については記憶がない旨述べていることが記録上明らかである。ところで、右によって明らかなように、横山の検察官調書の内容は主として本件紛争発生前の状況に関するものであり、また本件紛争に触れる部分も関係被告人らにつき個々に特定しての供述は見られないようであるけれども、右①、②は本件発生の直前でまさにそれに接着する時点についてのものであり、③乃至⑤とあわせて、同人が検察官の面前で述べたところは、原審公判廷での供述と異り、甚だしく険悪な雰囲気のうちに本件紛争が発生し推移して行ったことをうかがわせるものである。そうだとすると、右横山調書を証拠とすることにより、他の証拠(特に佐藤岩夫の原審証言)と相待って要証事実につき異る認定を生ずる蓋然性があるといわざるをえないから、同調書は、刑訴法三二一条一項二号前段の定める供述不能の要件を具備しているとまではいえないが、同号後段の定める相反性の要件を満たしているというべきである。そして、同人の検察官面前供述が特に虚偽誇張のものとうかがわせる事情が見出しえないのに反し、同人の原審証言は記録によって明らかなように主要な事実については殊更に「記憶がない」とか「判らない」との答で終始するなど甚だしく回避的であって、このような事実に微すれば、右検察官調書については特信性を肯定するのが相当である。原審決定は同調書に特信性を認めがたいゆえんをるる説示しているが、その説くところ甚だ理解に苦しむものである。してみると、同調書は右二号後段により証拠能力を有するものというべく、これにつき証拠能力を否定しその取調請求を却下した原審の訴訟手続には審理不尽の違法がある。
次に所論青山正雄の検察官調書二通についてみるに、検察官説明書によれば、これら調書には、本件公訴事実に関する同人の目撃供述として、①佐藤次長が事務所からガレージ内へやって来たので、組合員は佐藤を二重、三重に取り囲み、佐藤の後部から手拳で背部を突いたり膝頭でもも(大腿部)を蹴ったり、肩で左右、後方から体当りをくわせたり、肘で小突くなどした、②佐藤は正面出入口の鉄扉を閉めようとして中腰になっているのを約一〇名くらいの組合員が取り囲んで妨害していたが、そのうちの一人である杉本の頭越しに、被告人大元が中腰になって佐藤に殴りかかり、その他の組合員は佐藤の肩、背中等を手拳で突き、膝頭で腰、尻等を突き上げ、後から尻を蹴飛ばすなどしていた、③このような妨害を受けながら、佐藤は鉄扉の止め金を止め、ようやく鉄扉の処に立ち上ったが、今度は組合員が半円形に取り囲み、肩、肘で体当りしたり手拳で胸を突くなどして佐藤を鉄扉に押しつけた、被告人大元が佐藤の横から左肩を突き出して体当りを加えた旨の記載のあることがうかがわれる。他方、青山は原審第五六回、第五七回、第五九回各公判期日に証人として尋問された際には、「佐藤次長が来て取り囲まれた。一〇分もしないうちに四〇人位になった。最初五分から一〇分位扉のところで大声でやり合っていた。佐藤の動きが激しいので皆がそれにつられて左右に動いていた。その時佐藤が誰からどのようにされたかは思い出せない。五、六人の組合員が鉄扉を閉めようとする佐藤ともみ合っていた。佐藤は鉄扉に押しつけられるような状態であった。佐藤がかがんで止め金に手をかけていた。佐藤に手を出す者はいなかった。蹴った者がいたかどうかは思い出せない。佐藤ともめている中に被告人滝澤はいたように思うが、杉本、被告人大元がいたかどうかは記憶がない。」大要以上のとおり供述するだけで、他は「記憶がない」で終始していることが記録上明らかである。してみると、右青山の検察官調書二通は刑訴法三二一条一項二号前段の定める供述不能の要件を備えているとまではいいがたいにしても、同号後段の定める相反性の要件を具備しているものといわざるをえない。ところで、同人の原審証言によると、同人は本件紛争当時営業係長の役職にあり、紛争に遭遇する都度その職責上自発的にその紛争の状況を、各関係者の位置や移動状況を図示するなどの方法で、メモを取っていて、検察官の面前ではそのメモに基づいて供述した、知っていることはその通りに答え録取してもらった、というのであって、本件紛争後さほど日時を経過していないうちになされた検察官面前供述については優にこれを信用しうると考えられるのであるが、他方原審証言時には既に六年前後を経過し、同人自ら脳の病気ではないかと思って医師の診察を受け医師からもそのようにいわれていると証言していることおよび同人が当時のメモを紛失しメモに基づいて証言する由のないことなどの事情を考え合わせると、同人の検察官調書は特信性の要件をも備えているものと解するのが相当である。原審決定は同調書が特信性を欠くゆえんをるる説示するが、記録に徴し採ることができない。してみると、同調書は右二号後段により証拠能力を有するものというべく、これにつき証拠能力を否定しその取調請求を却下した原審の訴訟手続には審理不尽の違法がある。
以上述べたとおり、原審訴訟手続は、中本の検察官調書を採用しなかった点では法令違反がないが、横山および青山の検察官調書計三通を採用しなかった点で法令違反があり、しかも、これら三通の調書を証拠として採用していたならば、被告人滝澤、同表浦、同大元の本件犯行を具体的かつ詳細に供述する佐藤岩夫の原審証言(同証言の信用性を全面的に否定する原判断は是認しがたい)と相待って右被告人三名の罪責を肯定する蓋然性があるといわざるをえないので、右違反は右被告人三名の関係では判決に影響を及ぼすことが明らかである。従って、原判決中右被告人三名の本件公訴事実に関する部分は破棄を免れない。しかし、被告人畑中については本件訴訟手続の法令違反は判決に影響がないので(2参照)、破棄事由とならない。
2 事実誤認を主張する所論について
被告人滝澤、同表浦、同大元については右のとおり既に訴訟手続の法令違反として原判決の関係部分を破棄することとなるので、同被告人らに関する所論については判断せず、ここでは被告人畑中に関する所論についてのみ判断するところ、原審で取り調べた全証拠によってはもとより、原審が誤って取調請求を却下した前記横山および青山の検察官調書を加えたとしても、本件公訴事実につき被告人畑中の罪責を認めるに足る証拠はないので、同被告人については事実誤認をいう所論も理由がない。
四 公訴事実第四の二について(被告人畑中、同滝澤、同表浦、同佐藤関係)
(一) 所論は、前記公訴事実第四の二につき、原判決は、原審証人佐藤岩夫、同中本重幸の各供述の信用性を否定し、かつ、中本重幸の昭和四二年二月三日付、横山邦雄の同日付、青山正雄の同年二月一日付、同月七日付、中山孝雄の同月六日付各検察官調書の取調請求を却下して、中本重幸が被告人佐藤隆一の胸倉に掴みかかったので同被告人もとっさに掴み返したまでで暴行というに値せず、両名を引きはなそうとする揉み合いでシャツが破れたり時計バンドが切れたりしたことがあったとしても、被告人佐藤、同滝澤、同畑中、同表浦が共同暴行を加えたことは認められず、たとい労組員のうちにことさらに中本重幸に暴行を加えたものがあってもそれらとの共謀の責を問うことはできないとして、結局本件公訴事実についてはこれを認めるに足る証拠がないとして関係被告人全員に対し無罪の言渡をした。しかしながら、
1 原審が刑訴法三二一条一項二号前段および後段を根拠として請求された中本重幸の昭和四二年二月三日付、横山邦雄の同日付各検察官調書、同号前段を根拠として請求された青山正雄の同年二月一日付、同月七日付、中山孝雄の同月六日付各検察官調書を、いずれも同号前段に該当せずかつ同号後段の相反性があるとしても特信性がないとして却下したのは、同号の解釈適用を誤り、ひいて証拠能力のある証拠の取調請求を却下する違法を犯したもので、その訴訟手続の法令達反が原判決中の被告人佐藤、同滝澤、同畑中、同表浦に関する部分に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない、けだし、(一)右中本、横山、青山の各検察官調書が同号前段または後段により証拠能力を有することはさきに公訴事実第四の一に関し主張したとおりであり、また、(二)中山の検察官調書が右前段により証拠能力を有することも右中本調書等についてさきに主張したと同じ理によるが、仮りにそうでなくとも同号後段により証拠能力を有するものである、原審決定が中山は当時職制の地位にあったから誇張歪曲の危険が大きいとか或は他の紛争との混同誤認の虞れがあるなどというのは偏見ないしこじつけであって、同人の検察官調書の特信性を否定する理由となるものではなく、同人の記憶の新しい時点における検察官調書の特信性が肯定されるべきこと当然であるからである。また、
2 原判決が原審証人佐藤岩夫、同中本重幸の各証言の信用性を否定して本件公訴事実につき犯罪の証明がないとした点が採証の法則に違反し判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認の違法を冒したものであることも公訴事実第四の一に関し主張したところと同じである。大綱以上のとおり主張する。
(二) よって記録を検討すると、原審は本件公訴事実に関する所論指摘の検察官調書五通の取調請求を却下するとともに、右公訴事実については結局これを認めるに足る証拠がないとして、関係被告人全員に対し無罪の言渡をしたことが明らかである。そこで、各所論について順次検討することとする。
1 訴訟手続の法令違反を主張する所論について
まず所論中本重幸の検察官調書についてみるに、検察官説明書によれば、同調書には、被告人佐藤、同滝澤、同畑中の名をあげ、同被告人らを含む組合員多数によって本件公訴事実にそう暴行を受けた旨の供述記載のあることがうかがわれ、他方、中本は、原審第四二回、第四九回各公判廷では、暴行を受けたことを供述しながらも、加害者を特定しえない旨の証言をしていることが明らかである。してみると、右中本の検察官調書は、刑訴法三二一条一項二号前段の供述不能の要件を具備しているとはいえないにしても、同号後段の相反性の要件は満たしているといわざるをえない。しかし、同調書は、公訴事実第四の一に関して詳述したように、同号後段の特信性の要件をまで備えていると解するのは相当でないから、これにつき証拠能力を認めるに由ないものである。
次に所論横山邦雄の検察官調書についてみるに、同調書が右二号後段の相反性および特信性の要件を具備していることは公訴事実第四の一につき述べたと同様であって、右後段の規定により証拠能力を有するものというべく、これにつき証拠能力を否定しその取調請求を却下した原審の訴訟手続には審理不尽の違法がある。
さらに所論青山正雄の検察官調書二通についてみるに、検察官説明書によれば、同調書には、前記公訴事実第四の一の供述部分に引きつづき、本件公訴事実について、①自分の左後方で組合員多数が誰かを取り囲んで殴る蹴るの状態で、渦巻きになっていた、確認したら運転手の中本であった、②被告人佐藤が右手で中本の制服の襟を掴んで後へ引き倒そうとし、別の組合員が両腕を後へ羽交締めしていた、小田が股間を二回蹴り、吉田が殴り、南部が左肩を右手で押えつけ、被告人滝澤が掴みかかるなどしていた、③翌朝中本はびっこをひいていたので、会社の応接室で身体検査したら、両方の太股に黒あざ乃至紫の内出血個所が七、八か所あり、睾丸も脹れていた、腰に二か所、背中に一か所、左大腿部外側に一か所の各内出血があった旨の供述記載があるようである。他方、青山は、原審第五六回、第五七回、第五九回各公判廷で、「佐藤が鉄扉に押しつけられたよりあと、中本がはいって来て、七、八人の組合員に取り囲まれた。気がついたら中本は渦の中で手を振り上げ赤い顔をしていた。取り囲んでいる者がどのようにしたかは覚えていない。渦の中から中本を引張り出し、事務所の応接室に連れて行き、上半身裸にして径我がないか調べた。上半身に一、二ヶ所、下半身は向うずねにすり傷があった。睾丸部分を見た記憶はない。」と証言するだけで、他はすべて「記憶がない」で終始していることが記録上明らかである。これによってみれば、右青山調書二通は、刑訴法三二一条一項二号前段の供述不能の要件を備えているとはいえないけれども、同号後段の相反性の要件を具備しているものといわざるをえない。そして、これらの調書が同後段の特信性においても欠くるところのないことは公訴事実第四の一に関し述べたところと同じである。してみると、同調書は右二号後段により証拠能力を有するものというべく、これにつき証拠能力を否定しその取調請求を却下した原審の訴訟手続は審理不尽の違法を犯したものといわざるをえない。
さらに所論中山孝雄の検察官調書についてみるに、検察官説明書によれば、同調書には、本件公訴事実に関し、中本運転手に対し被告人佐藤が掴みかかり殴りかかっていたのを記憶している旨の供述記載があるのに対し、中山は、原審第二七回、第三三回各公判期日に証人として尋問された際には、被告人佐藤の右暴行事実は記憶がない旨証言していることが記録上明らかである。してみると、右中山調書についても刑訴法三二一条一項二号前段の供述不能の要件はこれを備えているとはいえないが、少くとも刑訴法三二一条一項二号後段の相反性の要件を具備しているというべきである。そして、同調書は本件紛争後約二週間にしてなされた供述を録取したものであり、被害者が職制ではないばかりでなく、タクシー運転手としても前記のように特異な人物である中本重幸であるだけに、他の紛争と思い違いをする可能性も少いと考えられ、それだけに正確な記憶に基づく供述を内容とするものと思われるのに反し、中山の原審証言は紛争後四年前後を経過してのものであることを考慮すると、同調書につき特信性を認めるのが相当である。してみると、同調書は右二号後段により証拠能力を有するものというべく、これにつき証拠能力を否定しその取調請求を却下した原審の訴訟手続は審理不尽の違法を犯したものといわざるをえない。
以上に述べたとおり、原審訴訟手続は、中本の検察官調書を採用しなかった点では法令違反はないが、横山、青山、中山の検察官調書計四通を採用しなかった点で法令違反があり、しかも、これら四通の調書を証拠として採用することにより被告人滝澤、同佐藤の罪責を肯定する蓋然性が存するので、右違反が判決に影響を及ぼすことは明らかであり、原判決中右被告人両名の本件公訴事実に関する部分は破棄を免れない。しかし、被告人畑中、同表浦については、右調書四通によってもその罪責を認めるに由ないから、右の違法は同被告人両名の関係では判決に影響がなく、破棄の事由とはならない。
2 事実誤認を主張する所論について
被告人滝澤、同佐藤については右のとおり既に訴訟手続の法令違反により原判決の関係部分を破棄することとなるので、右被告人両名に関する所論については判断せず、ここでは被告人畑中、同表浦に関する所論についてのみ判断するところ、原審で取り調べた証拠によってはもとより、原審が誤って取調請求を却下した前記横山、青山および中山の検察官調書を加えたとしても、本件公訴事実につき被告人畑中、同表浦の罪責を認めるに足る証拠はないので、右被告人両名については事実誤認をいう所論も理由がない。
五 公訴事実第五について(被告人石元、同大井、同滝澤、同大元関係)
(一) 所論は、前記公訴事実第五につき、原判決は、原審証人佐藤岩夫、同横山邦雄、同中山孝雄の各証言の信用性を否定し、かつ、中山孝雄の昭和四二年二月七日付、横山邦雄の同月八日付、青山正雄の同月九日付各検察官調書を却下したうえ、昭和四二年一月三一日会社営業部事務室東側修理工場入口附近で佐藤岩夫の指示で横山邦雄が点呼台を持ち去ろうとしたことから佐藤岩夫と被告人大井、同石元、同滝澤と揉み合いになったことは認められるにしても共同して暴行を加えたとは認められず、被告人石元が佐藤岩夫に体当りを加えたとしても実質的違法性はなく、結局公訴事実第五についてはこれを認めるに足る証拠が無いとして関係被告人全員に対し無罪の言渡をした。しかしながら、
1 原審が刑訴法三二一条一項二号前段を根拠として請求された中山孝雄の昭和四二年二月七日付検察官調書が同号前段にはもとより該当せず、かつ、同号後段の相反性もないとし、また同号前段および後段を根拠として請求された横山邦雄の同月八日付検察官調書も同号前段に該当せず、同号後段の相反性ありとしても特信性がないとし、さらに同号前段を根拠として請求された青山正雄の同月九日付検察官調書は同号前段に準ずるとしつつも信用性の情況的保障がないとしたのは、いずれも刑訴法三二一条一項二号の解釈適用を誤まり、ひいて証拠能力のある証拠の取調請求を却下する違法を犯したもので、その訴訟手続の法令違反が原判決中の被告人大井、同石元、同大元、同滝澤に関する部分に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免かれない、けだし、(一)中山孝雄は目撃証人でありながら原審証人として記憶喪失のため犯行の具体的な状況について殆んど供述できなかったので右検察官調書は右二号前段に準ずるものというべく、然らずとしても要証事実についてあいまいな供述とか実質的に異なる供述をなしたので同号後段に該当すること明らかであり、(二)横山邦雄も原審証人として犯行の具体的状況について記憶喪失のため供述できずその部分に関する限り同人の右検察官調書は同号前段に該当すること明らかであり、さらにまた同人が職制の立場にあったからといって同人の検察官調書が誇張歪曲虚偽のおそれがあるとか他の紛争との誤認混同の虞があるとしてその特信性が無いというのはこじつけないし偏見であり、殊にその調書中に「私も興奮していたし抗議行動は何回もあったので誰がどの位置でどういう行動をしたか必らずしも正確でない」旨の供述があるからといって特信性を否定する理由たりえず、(三)青山正雄の原審証人としての供述不能が同号前段に準ずる程のものである以上同人の右検察官調書は別段に信用性の情況的保障を要することなく証拠能力あるものというべきであるからである。また、
2 原判決が被害の具体的事実全部に副う原審証人佐藤岩夫の証言の信用性を否定し右証言を大筋において補強する目撃証人横山邦雄、同中山孝雄の原審証言を理由もなく信用性の低いものとし共同暴行の犯罪を認めるに足りないとしたのは、証拠の価値判断と取捨選択を誤った結果、事実誤認の違法を犯したものである、けだし(一)佐藤岩夫が組合対策のために営業部次長の地位に雇われた者であるからといって誇張虚偽があるとは断じ難く、証言が具体的詳細に過ぎるからと言って却って信用できないというのもこじつけであり、中山孝雄が揉み合いの傍を気にもとめないで通り過ぎ、横山邦雄の見たところでは却って佐藤岩夫がはね返えし突き返えしていたと言うぐらいだからとて佐藤岩夫の証言する被害状況全部を疑わしいとするのは誤りであり、(二)中山孝雄、同横山邦雄の原審証言については信用性の判断が矛盾し支離滅裂である、これらの原審証言の信用性を誤まらなければ公訴事実第五は認めるに足り、加うるに前記各検察官調書を以ってすれば一層詳細明確に認定しうるのである。大綱以上のとおり主張する。
よって記録を検討すると、原審は本件公訴事実に関する所論指摘の検察官調書三通の取調請求を却下するとともに、原判決において所論各原審証人の証言を採用せず、右公訴事実につき関係被告人全員に対し無罪の言渡をしたことが明らかである。
よってまず訴訟手続の法令違反を主張する所論について検討することとする。
まず所論中山孝雄の検察官調書についてみるに、記録によれば、中山は、原審第二七回および第三三回各公判廷で、本件公訴事実につき、自己の目撃事実を証言しているが、検察官が刑訴法三二一条一項二号前段の証言不能または同号後段の相反性があるという部分についてみると、それは大要次のとおりである。すなわち「切田と被告人石元が肩で佐藤次長を押していた。押し合うというのではなく、佐藤次長が押されていた。切田らが一方的に佐藤を押していたのかときかれても、私も足をとめて見ていたわけではなく、そばを通り過ぎる数秒間見ただけなので、そういう微妙なところは分らない。」というのである。他方、検察官説明書によると、右中山調書には、切田組合長や被告人石元らはただ佐藤と向き合っているだけではなく、互に自分の右肩や左肩を交互に前に突き出すようにして佐藤の胸のあたり、或いは肩の前付近をぐいぐい突き押して体当りしており、佐藤は一、二メートルほど事務所入口の方へ押されて後退した旨の供述記載があるようである。これによってみると、中山の検察官面前供述は同人の原審証言に比しいくらか具体的であるといえようが、しかし、刑訴法三二一条一項二号前段を適用すべきものでないことはいうまでもないし、同号後段の「相反する」といえないことはもちろん、「実質的に異」るとまでいうことも相当でないと考える。従って、これと同じ趣旨で右中山調書の証拠能力を否定した原判断に誤りはない。
次に所論青山正雄の検察官調書についてみるのに、検察官説明書によれば、本件公訴事実につき、同人の目撃供述として、①整備工場入口付近で佐藤次長か横山課長かが点呼台を持っており、それをめぐって多数の組合員が集っていた、切田が佐藤次長に腕組みをしたまま体当りしながら事務室の方へ押し、被告人石元、同大井も同じようにした、②佐藤は事務室内に押し入れられてからも、多数の組合員に取り囲まれて暴行を受けていたが、その中で、被告人大井、同石元は佐藤を押したり突いたりしたようであった、被告人石元は上体を佐藤の体にすりつけ押して抗議し、被告人大元は遅れて入って来て、佐藤の前で半身に構えて右胸付近を突き上げて体当りした、佐藤は後によろけた、被告人大元は左肘で右脇腹を突き、つづいて右手拳で一発きつく佐藤の臍の辺りを殴りつけた、それで佐藤は前かがみになった旨の記載のあることがうかがわれる。ところが、青山は原審第五九回および第六四回各公判期日において証人として尋問された際には、本件については全く思い出せない旨供述していることが記録上明らかであるので、右青山の検察官調書は、原審決定も正当に判断しているように、刑訴法三二一条一項二号前段のいわゆる証言不能の一場合に当るものということができる。ところで、所論は右証言不能の要件を満たすかぎり青山調書は同前段により当然に証拠能力を有することとなり、さらに信用性の情況的保障を必要とするものではないという。なるほど同号後段が証拠能力付与の要件として特に明文をもって特信性の情況的保障を必要とする旨規定しているのに対し、同号前段にはこれに類する文言がないので、所論のような解釈も理解できないわけではない。しかし、検察官の準司法機関としての立場を考慮しても、検察官はあくまで当事者であり、供述者は宣誓もしていないのであるから、検察官調書であるというだけで当然に信用性があるとはいいがたい。そもそも憲法が反対尋問権を保障しているゆえんは主として証言の誤りを正して裁判所に正確な証拠を提供しようとするにあることは疑いのないところであり、伝聞証拠は反対尋問による証明力の点検を経ていないので、証明力に疑いのあるものが混在する危険が大きく、その故に法は原則としてこれを証拠とすることを禁止しているのである。このことに思いを致せば、同号前段においても必要性(証言不能)のほかに反対尋問に代わる程度の信用性の情況的保障をも要件としていると解さざるをえない。この点についても原審決定の解釈は正当であって、右所論は採用しがたい。そこで、青山調書について信用性の情況的保障の有無を検討するのに、さきに公訴事実第四の一に関し同人の他の検察官調書における特信性の要件について説示したと同じ理由から本件青山調書も信用性の情況的保障を満たしていると解するのが相当である。してみると、同調書は右二号前段により証拠能力を有するものというべく、これにつき証拠能力を否定しその取調請求を却下した原審の訴訟手続は審理不尽の違法を犯したものといわざるをえない。
さらに所論横山邦雄の検察官調書についてみるに、検察官説明書によれば、同調書には、本件公訴事実につき、同人の目撃供述として、①自分は修理工場入口付近で被告人大井に追いつかれ、点呼台を担いでいる右手を後から同被告人に掴まれて引張られたので、仕方なく点呼台をその場に下ろした、そのとき、後には同被告人のほか、切田委員長、被告人石元、その他の組合員が二、三名来ていたが、間もなく十数名か二十数名の組合員に取り囲まれた、②切田、被告人石元、同大井が佐藤次長の直ぐ面前に体を密着させて突っかかって行き、切田は何か大声でわめいており、被告人石元は切田以上にエキサイトして上体で佐藤の前に体当りをするような恰好でぶつかって行き、被告人大井も胸のあたりを掴むか腕を引張るかして佐藤に乱暴していたようであった旨の記載があることがうかがわれる。他方、横山は原審第三五回、第三九回各公判期日に証人として尋問された際には、「多勢の組合員が集団点呼をしてくれということで点呼台を車庫の入口へ運び出したため、私は佐藤次長に命ぜられて点呼台を引き揚げに行ったことから問題が起きた。私が点呼台を担いで修理工場の入口の少し手前まで来たとき、二、三人の組合員が追いかけて来て私の肩から点呼台を取って下ろした。追いかけて来たのが誰であったかは記憶しない。そこへ佐藤次長が出て来たので、今度は組合員が佐藤の方へ集まって行き、十数名が佐藤を取り囲んで激しく抗議していた。そのうち佐藤のそばに居る数人が腕を組んで体で佐藤を押す、佐藤がそれを押しかえすといったことがくりかえされた。その中で被告人石元が激しく抗議していたが、同被告人が佐藤に乱暴したかどうかは記憶がない。他の者についても今は思い出せない。」大要以上のとおり供述していることが記録上明らかである。してみると、右横山調書は、刑訴法三二一条一項二号前段の定める証言不能の要件を具備していないけれども、同号後段の定める相反性の要件を満たしているということができる。そして、同調書が同後段の特信性の要件をも具備しているものと認めるべきことはさきに公訴事実第四の一に関し同人の他の検察官調書について述べたと同様である(同人の原審証言は特に被告人らを含む組合員個々の言動に関する事項について甚だしく回避的である)。従って、所論横山調書は右二号後段により証拠能力を有するものというべく、これにつき証拠能力を否定しその取調請求を却下した原審の訴訟手続には審理不尽の違法がある。
以上述べたとおり、原審の訴訟手続は、中山の検察官調書を採用しなかった点では法令違反はないが、青山および横山の各検察官調書を採用しなかった点で法令違反があり、かつ、この青山、横山の各調書を証拠として採用していたとすれば、佐藤岩夫、中山孝雄の各原審証言(この両証言に信用性なしという原判断は是認しがたい)と相待ち、関係被告人四名につきいずれも本件公訴事実に関し罪責を認めうる蓋然性が存するので、右違反が判決に影響を及ぼすことは明らかであり、事実誤認をいう所論について判断するまでもなく、原判決中本件公訴事実に関する部分は破棄を免れない。
六 公訴事実第六について(被告人金、同大井関係)
(一) 所論は、前記公訴事実第六につき、原判決は、昭和四二年三月一日正午すぎ頃被告人大井、同金が十数名の組合員とともに本社営業部事務所に赴いて居合わせた営業課長横山邦雄に対し処分に抗議して揉み合いになったことを認めつつ、原審証人横山邦雄、同南憲治の各証言は信用性がないとし、かつ、横山邦雄の昭和四二年三月一〇日付、同月一五日付、南憲治の同月一五日付各検察官調書の取調請求を却下し、横山が事務所から外に出ようとするのを押し戻すような行動があったとしても、事の成行にかんがみ未だ不法な有形力の行使というに値しないとして、関係被告人両名に対し無罪の言渡をした、しかしながら、
1 原審が刑訴法三二一条一項二号前段および後段を根拠として請求された横山邦雄の昭和四二年三月一〇日付、同月一五日付各検察官調書および同号前段を根拠として請求された南憲治の同月一五日付検察官調書がいずれも同号前段に該当せず、同号後段の相反性があるにしても特信性がないとして却下したのは、同号の解釈適用を誤り、ひいて証拠能力のある証拠の取調請求を却下する違法を犯したもので、その訴訟手続の法令違反が原判決中の被告人大井、同金に関する部分に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免がれない。また、
2 原審証人横山邦雄、同南憲治の各証言の信用性に疑があるとし被告人大井、同金が暴行を加えたことは認められず、押し戻すような行為があったとしても不法な有形力というに値しないとしたのは、証拠の採否評価を誤って事実誤認の違法を犯したもので、この点においても破棄を免がれない。大綱以上のとおり主張する。
(二) よって記録を検討すると、原審は本件公訴事実に関する所論指摘の各検察官調書の取調請求を却下するとともに、横山邦雄、南憲治の原審証言はいずれも信用できず、結局右公訴事実については犯罪の証明がないとして、関係被告人両名に対し無罪の言渡をしたことは明らかである。
そこでまず訴訟手続の法令違反を主張する所論について検討することとする。
まず所論横山邦雄の検察官調書二通についてみるに、検察官説明書によれば、これらの調書には、本件公訴事実に関し、同人の供述として、①組合員三〇名位が抗議に来たが、その中に切田、被告人金、同大井らも居り、口々に罵声をあびせ怒鳴っていた、②自分がその場から逃げ出そうとすると、被告人大井が自分の前に立ち塞がり、両腕を組んで自分の胸にぐいぐい押しつけて来た、被告人大井の横に杉原勲と杉原の後方に山崎がいて被告人大井と一体になって前から自分を押してきた、③カウンターの外で組合員が前後左右から自分を取り囲み押したり突いたり足を自分の両足の間に差し込んでからみつかせてきた、その一団の中に被告人金もいて、同被告人は自分の正面に位置し両腕を胸の前に組んで体ごとぐいぐい強く押した旨の記載があるようである。他方、横山は、原審第三七回、第三九回公判期日において本件公訴事実につき証人として尋問された際には、これらの点につき、「組合員二〇名位が抗議に来た。その中に被告人大井がいた。一番最後の方で切田が来ていた。被告人金もおそらく来ていたと思うが、合思い出せない。被告人大井が中心になって抗議し、周囲の者は何だかんだと大声をあげていた。外へ出ようと思って立ち上ったところ、私の直ぐ前にいた被告人大井ら二、三人が腕組みをして体で私を前から押し戻すようにした。その横に杉原がいたが、同人もそのようにしたかどうかは思い出せない。山崎もいたのではないかと思うが、どこでどうしたということは思い出せない。ラジエーターの近くでも五、六人が私を取り囲み、そのうち二、三人が腕組みをして私を押し戻した。私の進行方向に立ちふさがってそういうことをしたのは一、二人で、それが山本ではなかったかと思うがはっきりしない。出ようとすると押され、ラジエーターの上にすわる、立ち上がるとまた押されてすわるということが二、三度くりかえされた。カウンターの外に出るのにも大勢の者に妨害された。その辺りでは足をからみつかせてきた。腕組みをして押すといったこともあったかも知れないが、はっきり判らない。被告人金のことについては全く思い出せない。」大要以上のとおり供述していることが記録上明らかである。そこで、横山の前記検察官面前供述と右原審証言とを対比すると、まず被告人大井に関する部分については、刑訴法三二一条一項二号前後の証言不能の要件はもとより、同号後段の相反性も存しないので、横山調書中被告人大井の言動に関する供述記載部分は右二号の規定によって証拠能力を付与されるに由ないものといわざるをえない。しかし、被告人金の言動に関する供述記載部分については、同号前段には該らないものの、同号後段の相反性の要件は満していることが明らかであり、かつ、横山の他の検察官調書についてさきに述べたと同様の理由により右後段にいう特信性をも認めるのが相当であるから、所論横山調書は右の部分に限り右後段の規定により証拠能力を有するものというべく、同調書につき証拠能力を全面的に否定しその取調請求を却下した原審の訴訟手続は審理不尽の違法を犯したものといわざるをえない。
次に所論南憲治の検察官調書についてみるのに、検察官説明書によれば、同調書には、本件公訴事実に関し、同人の目撃供述として、①横山が自席から逃れ出ようとして北を向いたところを被告人大井が阻止した、同被告人は胸の前で腕組みをして横山の前から体を押しつけてぐいぐい強く押し返えした、②カウンターの外で被告人金が横山の前から腕を前に組んだ姿勢で強く押し返えした、③出入口の処で被告人大井は横山の右後方から右肩のあたりを掴んで引戻そうとしていた旨のほか、その間横山に対する切田ら多数組合員の共同暴行事実の詳細が記載されているようである。他方、南は原審第六一回公判期日において証人として尋問された際には、「横山課長が立ち上がって外へ出ようとした。組合員達が出させまいとして、前に立ちはだかったりしてもつれあった。その中に切田、被告人大井、同金らがいた。横山がかき分けて行こうとするのを皆が阻止していた。カウンターの扉のところで切田が横山が出るのを止めていた。」「山本が横山に抱きつくような恰好で阻止した。」「切田は直立不動で、両手を下にして横山の前に立っていた。腕を組んだこともある。切田は踏んばって横山を通すまいとしたが、横山が切田を押し、切田が後退したので通り抜けた。」等と供述したが、右①ないし③の被告人大井および同金の暴行事実について尋ねられると、「記憶がない」旨答えていることが記録上明らかである。してみると、右南の検察官調書は、刑訴法三二一条一項二号前段の供述不能の要件は備えていないが、同号後段の相反性の要件を具備していることが明らかである。そして、同人の検察官面前供述が本件紛争後二週間を経過した頃になされたものであり、同人が会社の職制の一人であるからといって原審決定のように特信性否定の理由とするのは相当でないし、他にその供述に虚偽誇張があるとうかがわせる事情も見出しえないのに反し、同人の原審証言は記録によって明らかなように甚だしく回避的であって、このような事実に徴すると、右検察官調書については特信性を肯定するのが相当である。してみると、同調書は右二号後段により証拠能力を有するものというべく、これにつき証拠能力を否定しその取調請求を却下した原審の訴訟手続には審理不尽の違法があるというべきである。
以上述べたとおり、原審の訴訟手続は所論横山および南の検察官調書を採用しなかった点で法令違反があり、かつ、右両調書を証拠として採用していたとすれば、横山邦雄の原審証言(この証言について信用性を全面的に否定する原判断は是認しがたい)と相待ち、被告人金、同大井につきいずれも本件公訴事実に関し罪責を認めうる蓋然性が存するので、右違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、事実誤認をいう所論について判断するまでもなく、原判決中本件公訴事実に関する部分は破棄を免れない。
七 公訴事実第七について(被告人金、同年増関係)
(一) 所論は、前記公訴事実第七につき、原審は、山口弥市の昭和四二年三月二九日付、野中こと朴周用の同日付各検察官調書を却下し、原審証人山口弥市、同野中こと朴周用の各証言を事実認定に供しつつも、被告人年増が山口弥市の手を引張り被告人金が山口弥市の後頭部から首筋の付近を押したことは未だ不法な有形力の行使とは断じ難いとし、かつ、山口弥市が転倒したのが被告人年増、同金の所為によるとは認められず、また山口弥市が持ち上げられて降ろされたのも暴行を加えたものとも認められないとして、関係被告人両名に対し無罪の言渡をした。しかしながら、
1 原審が、刑訴法三二一条一項二号前段および後段を根拠として請求された山口弥市の昭和四二年三月二九日付検察官調書ならびに同号前段を根拠として請求された朴周用の同日付検察官調書を、いずれも前段に該らずかつ後段の相反性があるとしても特信性がないとして却下したのは、同号の解釈適用を誤まり、ひいて証拠能力のある証拠の取調請求を却下する違法を犯したもので、その訴訟手続の法令違反が原判決中の被告人年増、同金に関する部分に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免がれない。また、
2 原審証人山口弥市、同朴周用の各証言により、被告人年増と同金とが山口弥市に私的制裁を加えるため車庫の方に連行しようとして執拗に引張り押し突き持ち上げて落とす等の不法な有形力を加えたため転倒し鉢合わせするなどして負傷したことが明らかで、加うるに山口弥市の昭和四二年三月二九日付、朴周用の同日付各検察官調書を以てすれば、本件公訴事実は優に認められるので、結局原判決は証拠の採否評価を誤り事実を縮少歪曲して認定したため事実誤認の違法を犯したもので破棄を免がれない。大綱以上のとおり主張する。
(二) よって記録を検討すると、原審は本件公訴事実に関する所論指摘の各検察官調書の取調請求を却下したうえ、爾余の関係証拠によっては本件公訴事実を認めるに足りないとして被告人金および同年増に対し無罪の言渡をしたことが明らかである。
そこでまず訴訟手続の法令違反を主張する所論について検討することとする。
まず所論山口弥市の検察官調書についてみるに、検察官説明書によれば、同調書には、本件公訴事実に関し、同人の供述として、①自分は被告人年増に手を強く引張られて三、四メートル引きずられた、②そこへ被告人金が来て、仲裁に入った野中(朴周用)を含め、四人でもつれ合いながら観光部出入口まで来たとき、被告人金が自分の上体を後から強く突いたので、体がねじれるような状態で横倒しとなった、プラスチック製のごみバケツの上に倒れ、自分の上に被告人年増も乗りかかるように倒れてきた、③立ち上ると、被告人金から後を押されたり、引張られたりして移動し、そこでまた同被告人から「行かんか」といわれ、よつんばいに倒れたところを被告人金と同年増に足と頸の部分を掴まれて持ち上げられ、三、四歩運ばれて路面に落された、④自分は立ち上ったが、被告人年増がいきなり両手で自分の胸をどんと突いて押し飛ばしたので、その場に仰向けに転倒した、同被告人は覆いかぶさって押えた、⑤自分はその後立ち上っていたとき、被告人金が後から自分の背中を力まかせに突いたので、前に吹っ飛んで行き、被告人年増の前額部に自分の前額部をぶっつけた旨の記載があるようである。他方、山口は原審第四六回、第四九回、第五二回各公判期日に本件公訴事実につき証人として尋問された際には、右①の点につき、「被告人年増に右腕を掴まれ引張って行かれた。」旨、また⑤の点につき、「私は被告人年増と一メートルほどおいて向い合っていたとき、後から被告人金に『あやまれ』といわれ腰か背中を押されたため、被告人年増の額に私の額をぶっつけた。」旨供述したほか、その間の状況につき、「大勢に押したり引いたりされ、体が不安定になって倒れた。気がついたらポリバケツの処で倒れていた。誰が押したり引いたりしたのか忘れた。」等全体的に極めて曖昧模糊とした供述で終始しているのである。してみると、山口の検察官調書は刑訴法三二一条一項二号前段の証言不能の場合には当らないものの、同号後段の相反性の要件に欠けるところのないことは明らかである。そして、山口がそのような証言で終始したのは、同人が証言時には本件被告人らと同じ職場でタクシー運転手として勤務していて組合にも復帰しているとの関係もあって被告人らに遠慮し不利益な証言を極力回避しようとの配慮によるものであることがその証言の過程で随所にうかがわれること、検察官面前供述が本件紛争後約二週間を経過した頃になされたものであるのに対し原審証言が右紛争後五年前後を経てのものであること等の事情を考えると、原審決定指摘の諸事情を考慮してもなお右検察官調書につき右二号後段の特信性を認めるのが相当である。従って、右山口調書は同後段により証拠能力があるというべく、これにつき証拠能力を否定しその取調請求を却下した原審の訴訟手続には審理不尽の違法がある。
次に所論朴周用の検察官調書についてみるに、検察官説明書によれば、同調書には、本件公訴事実に関し、同人の目撃供述として、本件紛争の発生に到るまでの経緯が記載されたうえ、①被告人年増が車に乗っている山口の手を掴み、引きずり出して中古車置場の方へ引張って行った、自分は二人の間に割って入ったが、被告人年増はなおも興奮して山口を事務所前通路に引張った、②被告人金が来て、「お前ら寄ってたかって何をするねん。」といい、被告人年増に加勢して山口の肩辺りを両手で押した、それで山口はポリエチレンバケツの処に横倒しになった、被告人年増も山口の手を掴んでいたため、よろけて山口の上に倒れた、③起き上った被告人年増は山口の手を掴んで引張り、被告人金は押して南側へ移った。そこで被告人金が山口の背中を突いたので、山口は両手を前について腹這いになって倒れた、④起き上りかけた山口の足を被告人金が掴み、被告人年増が上体を抱えて持ち上げ、一メートル位動かしてコンクリートの上に降ろした、⑤被告人年増は再び立ち上った山口の胸を両手でどんと突き飛ばしたので、山口は頭を南にして仰向けに倒れ、その上に覆いかぶさった、⑥二人は起き上ったが、被告人金が山口の後に来て同人の背中を突いたので、山口は前に立っていた被告人年増にぶつかり、額を同被告人の頭にぶっつけたように見えた旨記載されているようである。他方、朴周用は、原審第六四回公判期日において本件公訴事実につき証人として尋問された際には、紛争発生までの経緯について曖昧ながらも検察官面前におけるとほぼ同趣旨の供述をした後、「被告人年増が山口を引きずり出すようにして降ろした。あっち行きこっち行きして結局ポリバケツのところに来た。同被告人と山口がもみ合ってどさっと倒れた。被告人金が押したため倒れたようにも思う。二人はすぐに起き上がり、被告人年増が山口を引張って行った。自転車置場の北側あたりまで行き、被告人年増、山口、被告人金の三人がもめていた。被告人金がいつ来たか判らない。山口が頭から倒れたが、その原因は覚えていない。被告人年増、同金の二人がかりで山口の前後を抱えてガレージの方へ一メートル位運んだ。そこで山口がどさっと頭から地面に落ちた。その後の経過はよく覚えないが、被告人年増と山口が額をぶっつけ合ったこともある。しかし、どういうことでそうなったのかは思い出せない。」大要以上のとおり供述していることが記録上明らかである。これによってみると、朴の検察官調書については未だ刑訴法三二一条一項二号前段の証言不能の要件を満たしているとはいえない。しかし、同人の検察官面前供述と原審証言とを対比すると、符合する部分も少くはないけれども、なお前記③、⑤および⑥の点については同号後段の相反性のあることは明らかである。そして、朴は原審公判廷で、「当時は証人になるつもりで、じっと見ていた。今思い出せないのが残念なんです。一生懸命思い出そうとしているんですけど。」と証言していること、検察官面前供述がなされたのが本件紛争後約二週間を経過した頃であったのに対し原審証言は右紛争後六年を経たものであること、検察官面前供述には検察官説明書によってみるかぎりにおいては不自然さがないこと等の事情に鑑みると、原審決定の指摘する諸事情を考慮してもなお、朴の検察官調書は右二号後段の特信性の要件をも具備していると認めるのが相当である。してみると、右朴調書は右二号後段により証拠能力を有するものというべく、これにつき証拠能力を否定しその取調請求を却下した原審の訴訟手続には審理不尽の違法がある。
以上述べたとおり、原審の訴訟手続は所論山口および朴の検察官調書を採用しなかった点で法令違反があり、かつ、これらの調書を採用していたとすれば、これを原審で取調べた関係証拠に加えてさらに検討することにより、被告人金、同年増につき本件公訴事実に関し罪責を認めうる蓋然性が存するので、右違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、事実誤認をいう所論について判断するまでもなく、原判決中本件公訴事実に関する部分は破棄を免れない。
八 公訴事実第八について(被告人金関係)
(一) 所論は、前記公訴事実第八につき、原審は、中島純義の昭和四三年九月一一日付、千田健二の同日付各検察官調書を却下するとともに、中島純義の原審証言の信用性に疑いを挾み、組合名の入ったステッカーを新労所属の中島純義と千田健二とが剥がそうとしたことから被告人金と揉め、中島が所携のヘラを構えて同被告人に突きかかるような姿勢をとったので、同被告人が危険を感じてその手を払い除けたところ、同被告人の手が中島の右頬から下口唇付近に当り軽微な打撲傷が生じたのであって、同被告人の所為は正当防衛で罪とならないとして、同被告人に無罪の言渡をした。しかしながら、
1 原審が刑訴法三二一条一項二号前段および後段を根拠として請求された中島純義および千田健二の昭和四三年九月一一日付各検察官調書を、前者は前段に該らないし後段の相反性もないとし、後者は前段に該らないし、後段の相反性があるにしても特信性がないとしていずれも却下したのは、同号の解釈適用を誤まり、ひいて証拠能力のある証拠の取調請求を却下する違法を犯したもので、その訴訟手続の法令違反が原判決中の被告人金に関する部分に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免がれない。また、
2 原審証人中島純義の証言および医師三木正之作成の診断書によると、公訴事実第八の犯罪は明らかであるのに、原判決は右証言および診断書にいわれのない疑いを挾み、被告人金の仲間の組合員である三浦明次の原審証言を援用して経験則に反する認定をし、同被告人の所為が正当防衛に該るという判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認の違法を犯したものである。大綱以上のとおり主張するのである。
(二) よって記録を検討すると、原審は本件公訴事実に関する所論指摘の各検察官調書を却下し、原審証人中島純義の証言の信用性に疑を挾み、被告人金の中島純義に対する所為が正当防衛で違法性を欠くとして右公訴事実につき被告人金に対し無罪の言渡をしたことが明らかである。
そこでまず訴訟手続の法令違反を主張する所論について検討することとする。
まず所論中島純義の検察官調書についてみるに、記録によれば、同人は原審第七六回公判廷で本件公訴事実にそう被害状況を具体的かつ明確に証言しているのであって、同人の検察官調書はもとより刑訴法三二一条一項二号前段に該らないし、検察官説明書によると、そこに相違点として指摘されている事項はすべて要証事実について異なった認定をもたらすほどのものでないことが明らかなので、同号後段の相反性もないといわざるをえない。これと同趣旨の原判断は相当である。
次に所論千田健二の検察官調書についてみるに、検察官説明書によれば、同人は検察官の面前では本件公訴事実にそう目撃供述をしていたとうかがわれるところ、原審第六八回公判廷では、中島が事務所へヘラを返しに行くべく振り向いた丈で別段に被告人金に立ち向う素振りを示したわけでもなかったが、一瞬眼の合った被告人金にしてみれば「やられる」と錯覚したものの如く、咄嗟に振った被告人金の手が中島の口に当り血が出た旨甚だ曖昧ではあるが全体として原判断にそい正当防衛の事実をうかがわせるような証言をしている。従って、右千田調書は、刑訴法三二一条一項二号前段には該らないけれども、同号後段の相反性の要件を満たすものというべきである。しかも、千田証言は単に曖昧であるばかりでなく、支離滅裂ともいえるほどに矛盾に満ちたものであって、同人が証言時には商都交通の係長の職にあり被告人らと同じ職場で働く身としての思惑からそのような証言をしたのではないかと思われるふしが随所に見られるのである。そうだとすると、同人の検察官面前供述が一応中島証言に符合していることをも考慮し、所論千田調書は右二号後段の特信性の要件をも具備していると解するのが相当である。従って、同調書は右後段により証拠能力があるというべく、これにつき証拠能力を否定しその取調請求を却下した原審の訴訟手続には審理不尽の違法がある。そして、原審において同調書を採用し、これを含めた全関係証拠につき慎重な検討を加えたならば、被告人金につき本件公訴事実に関し罪責を肯定する蓋然性があると考えられるので、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。従って、事実誤認をいう所論について判断するまでもなく、原判決中本件公訴事実に関する部分は破棄を免れない。
第三結論
以上の理由によって、原判決中、被告人小林、同寺崎に関する部分はいずれも刑訴法三九七条一項、三八二条により、被告人滝澤、同大元、同佐藤、同年増に関する部分、被告人石元に関する部分のうち公訴事実第五の点、被告人金に関する部分のうち公訴事実第六、第七および第八の点、被告人大井に関する部分のうち公訴事実第五および第六の点、被告人表浦に関する部分のうち公訴事実第四の一の点はいずれも刑訴法三九七条一項、三七九条により破棄したうえ、同法四〇〇条本文により本件のうち右破棄部分を大阪地方裁判所に差し戻し、被告人竹弘、同畑中に関する各控訴、被告人石元に関する控訴のうち公訴事実第二の点、被告人金に関する控訴のうち公訴事実第一および第三の点、被告人大井に関する控訴のうち公訴事実第一、第二および第三の点、被告人表浦に関する控訴のうち公訴事実第一および第四の二の点はいずれも同法三九六条によりこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河村澄夫 裁判官 深谷眞也 近藤和義)