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大阪高等裁判所 昭和50年(ネ)1995号 判決 1976年12月21日

控訴人 池宮直雄

被控訴人 京都市

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し金二五万円及びうち金二〇万円に対する昭和四九年一二月七日から、うち金五万円に対するこの判決確定の日の翌日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二〇分し、その一を被控訴人の負担としその余を控訴人の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

(控訴人)

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人に対し金五五〇万円及びこれに対する昭和四九年一二月七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人は控訴人に対しB五判の用紙に四号活字で書いた別紙記載の謝罪文を交付せよ。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(被控訴人)

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

二  主張及び証拠

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

(控訴人の主張)

1  被控訴人は、公職選挙法上の選挙権、被選挙権の資格の調査、判断の目的にのみ犯罪人名簿を作成保管し、使用すべきであつて、その限度でのみ合法性が認められ、したがつてまた、選挙権、被選挙権の資格を判断する目的で行政庁、裁判所等から法律上の根拠に基づいて照会のある場合にのみ回答すべきである。右の目的以外には、保管すべきではなく、特に前科を知られない権利は、プライバシーの権利として最たるものであるから、右の目的以外には使用すべきではない。前科について、弁護士から被控訴人の行政機関たる区長に対して照会をするのは筋ちがいであり、行政機関としてはこれに応ずべきではない。そうでなければ他の目的に使用を許し、その結果として前科を知られない権利が侵害されることになるのである。

2  個人の基本的人権(プライバシーの権利)の制限が許されるのは公共の福祉の要請による場合だけであつて、その場合でも、公共の福祉の要請する具体的内容と、侵害、制限される基本的人権とを事案毎に比較衡量し判断しなければならず、弁護士法二三条の二に弁護士会の照会権を認めていても、いかなる保護法益にも勝る絶対無制約のものではなく、照会権の公共性は、照会事項と、使用目的によつて異るものであるから、これに対する報告によつて個人のプライバシーが侵害されてもやむを得ないとはいえない。照会によつて得られる利益とこれを拒否することによつて得られる利益とを比較衡量し、後者が、前者に優越するときは拒否するについて正当な理由がある場合として報告をすべきではなく、これを拒否せずに報告した場合には、それは違法である。個人のプライバシーに優先するような重大な法益保護のためにのみこれについて照会し、報告しうるものであつて、前科に関するプライバシーに勝る法益は存在しないばかりか、本件の場合には、「中労委に提出する」目的で「前科及び犯罪経歴」の照会がされているのであつて、そこに何らの公共性もない。

3  中京区長は、プライバシーの中でもとりわけ重要な前科等を知られたくない権利と、弁護士会の照会に対する報告が中労委の労働事件に証拠として使用されることとを比較衡量するならば、後者は、一私企業が労働紛争事件の資料に使用するにすぎず、公共性がすくないことを看取することができるから、本件照会に対し報告すべきでないのに右の比較衡量をせず、また、自治省行政課長の回答の存在や前例についての調査もしないで報告したことは過失がある。

4  控訴人は、本件報告がなされたことにより前科を他人に知られ著しく名誉・信用・プライバシーを侵害された。また、右報告を利用されて株式会社ニユードライバー教習所から予備的解雇をされ、職場復帰の期待が遠のき失望の極にあり、解雇をめぐつて多くの裁判等をかかえ多大な労力、費用を費している。

(被控訴人の主張)

1  行政庁における犯罪人名簿の整備等についての各地方長官宛通知には、次のものがある。

(一) 昭和二一年一一月一二日内務省発地第二七九号

標記名簿(注、犯罪人名簿)は大正六年四月訓令第一号本籍人名簿整備方及び昭和二年訓令第三号入寄留者犯人名簿整備方により、それぞれ整備致しておることと思うが、これは、何れも選挙資格の調査のために調整保存しているのであるから、警察、検事局、裁判所等の照会に対するものは格別、これを身元証明等のために使用するようなことは絶対にこれを避けるのは勿論、恩赦に因り資格を回復した者については、速に関係部分を削除整理する等、その者の氏名等を全く認知することができないようにし、犯罪人名簿の処理上些も遺憾なきよう管下市町村を御指導ありたい。

(二) 昭和二二年八月一四日内務省発地第一六〇号

標記の件に関しては客年一一月一二日内務省発地第二七九号で通知したところであるが、該通達中「警察、検事局、裁判所等」とあるのは、警察及び司法関係庁のみならず、行政庁が獣医師免許、装蹄師免許等、各種の免許処分又は弁護士、弁理士、計理士等の登録等をする際において、法律により申請者の資格調査を必要とする場合又は下級行政庁等が当該申請書を経由進達する必要がある場合においては、主務大臣、都道府県知事、市町村長を含む意であるから御了知相成りたい。

2  右の各通知は、弁護士法が昭和二四年九月一日施行された以前のものであるが、同法施行後においても、その趣旨は遵守され、これに沿つた多くの回答があり、控訴人の引用するもの(原判決請求原因第六項)もその一つである。

しかし、弁護士法は、弁護士会を裁判所、検察庁と対等の地位に置いたもので、弁護士法二三条の二の規定は、民事訴訟法二六二条、刑事訴訟法一九七条二項の規定と同趣旨であり、照会の相手方たる公務所又は公私の団体は報告義務を有するのである。

従来、弁護士会が照会権を行使するについて、ルーズであつた事もあるが、弁護士会としては、照会権が基本的人権の擁護、社会正義の実現のため必須不可欠の権利であることの趣旨を反省し、この権利の行使には万全を期し、慎重に取扱うべきであり、したがつて、個々の弁護士から照会の申出がなされた場合に、その事項の公共性を充分判断して照会権を行使すべく、その要件を欠くときは申出を拒絶すべきである。

そして、弁護士会が、弁護士の申出につき公共性ありと判断し、照会権を行使したときは、公務所又は公私の団体は、拒否する正当な事由のない限り報告すべきであり、裁判所、検察庁から報告を求められた事項が、たとえ個人のプライバシーにかかわることであつても、公務所又は公私の団体が報告義務を有するのであれば、弁護士会の照会についても同様に解すべきである。何故ならば、弁護士会は、国家的に公認された弁護士を強制加入させ、国家からその管理の権能を委任された公的法人で、基本的人権の擁護、社会正義の実現を使命とするものであつて、裁判所や検察庁より下位に置くべきものではないからである。

他面において、弁護士会を通じて報告を得た弁護士は、弁護士法二三条により守秘義務を有すると共に、弁護士会も守秘義務を有するのである。

(控訴人の援用した証拠)<省略>

理由

一  訴外猪野愈弁護士の申出により京都弁護士会は昭和四六年五月一九日京都市伏見区役所に弁護士法二三条の二に基づき控訴人の前科、犯罪経歴の照会をしたところ、同区役所はこれを中京区役所に回付し、中京区長松本義之は同年六月四日京都弁護士会に控訴人の前科につき、道路交通法違反一一犯、業務上過失傷害一犯、暴行一犯がある旨報告したことは当事者間に争いがない。

二  成立に争いのない甲第一、第二号証、第一〇号証、第二〇、第二一号証、郵便官署作成部分について成立に争いがなくその余の部分について原審における控訴人本人尋問の結果により成立の認められる甲第三号証、原審証人中坊浩三の証言により真正に成立したと認められる甲第五号証、原審証人中坊浩三の証言、原審における控訴人本人尋問の結果によると、次の事実を認めることができる。

控訴人は、訴外株式会社ニユードライバー教習所で、技能指導員をしていたが、同会社から解雇され、同会社との間に、京都地方裁判所の地位保全仮処分命令により従業員たる地位が仮に定められ、これに関連する事件が京都地方裁判所や中央労働委員会に係属していた。そこで、同会社からこれらの事件について委任されていた弁護士猪野愈は、照会を必要とする事由を、「中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため」として、控訴人の「前科及び犯罪経歴について」弁護士法二三条の二に基づき照会の申出をなし、これを受けた京都弁護士会は、右申出書を添付して同法同条二項に基づき照会し、よって、前記報告がされた。同会社は、右報告によつて控訴人の前科を知り、その後、同会社幹部らは、中央労働委員会及び京都地方裁判所の構内等で、控訴人の事件等の審理終了後等に、事件関係者や傍聴のため集つていた者らの前で、控訴人の前科を摘示し、また、同会社は、控訴人がこの前科を秘匿して入社したことをもつて経歴詐称であるとして昭和四六年七月二一日予備的解雇した。

ほかに、右認定を覆すに足る証拠はない。

三  弁護士法二三条の二の照会は、弁護士が受任事件について、訴訟資料を収集し、事実を調査する等その職務活動を円滑に執行処理するために設けられた規定であつて、弁護士が、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とするものであることに鑑み、右照会の制度もまた公共的性格を有し、弁護士の受任事件が訴訟事件となつた場合には、当事者の立場から裁判所の行う真実の発見と公正な判断に寄与するという結果をもたらすことを目指すものである。

その権限は、相手方としては公務所又は公私の団体に限定され、かつ、直接個々の弁護士には与えられておらず、弁護士の申出がある場合に、弁護士の指導、連絡、監督に関する事務を行う公的機関としての性格を有する弁護士会が行使し、照会申出について、必要性、相当住を判断し、適当でない場合は右申出を拒絶し、その他の場合は必要事項の報告を求めるものとして、法は、右権限の重要性に鑑みその構成につき慎重な配慮を加えているのである。

右のような目的と手続のもとになされた照会に対しては、相手方は、自己の職務の執行に支障のある場合及び照会に応じて報告することのもつ公共的利益にも勝り保護しなければならない法益が他に存在する場合を除き、照会の趣旨に応じた報告をなすべき義務があると解するのが相当である。

そこで、以下、本件が照会に応じて報告することのもつ公共的利益にも勝り保護しなければならない法益が他は存在する場合であつて、報告を拒否すべき正当事由に該当するか否かかについて考える。

四  大正六年四月一二日の旧内務省訓令一号により、裁判所、検事局、軍法会議からの裁判等の結果通知を本籍の市町村長が整理し、犯罪人名簿を作成して保管していたこと、昭和二一年一一月一二日以降内務省地方局通達により身元証明のため犯罪人名簿を使用することを禁じられ、昭和二二年地方自治法の改正で市町村の機能から犯罪人名簿の保管が除外されたが、現実には市町村役場に犯罪人名簿が保管されていること、被控訴人もまた区ごとに犯罪人名簿を保管していることは当事者間に争いがない。

そうして、当審証人岸昌の証言によると、現実に市町村が犯罪人名簿を作成保管しているのは、公職選挙法の定めるところにより選挙権及び被選挙権の調査をする必要があることによることが認められ、これは、市町村の固有事務に属すると解されるので、右作成保管をもつて違法ということはできない。

ところで、何人も自己の名誉、信用、プライバシーに関する事項については、不当に他に知らされずに生活をする権利を有し、前科、犯罪経歴は右事項に深い関係を有するものとして、不当に他に知らされてはならず、これは人の基本的権利として尊重されなければならないものである。前科や犯罪経歴が公表され、又は、他に知らされるのは、法令に根拠のある場合とか、公共の福祉による要請が優先する場合等に限定されるべきものである。

犯罪人名簿が前記の目的をもつて作成、保管されるものであり、前科や犯罪経歴の公表が右のように慎重に取扱われなければならないことから考えると、犯罪人名簿の使用についても、同様の配慮がされなければならない。これを保管する市町村が、本来の目的である選挙権及び被選挙権の資格の調査、判断に使用するほかは、裁判所、検察庁、警察、その他都道府県知事、市町村長等の行政庁が、法令の適用、又は、法律上の資格を調査、判断するために使用するとして照会した場合(例えば、厚生大臣が医師免許に関し必要としてなす場合、公安委員会が質屋営業の許可に関し必要としてなす場合等免許処分をする場合等)、弁護士会が弁護士名簿に登録の請求を受けその資格の審査に関し調査、判断するために使用するとして照会した場合(公認会計士、弁理士等についても同様)等にこれに回答するため使用する場合に限られ、一般的な身元証明や照会等に応じ回答するため使用すべきものではないと解するのが相当である。

五  弁護士又は弁護士であつた者は、その職務上知り得た秘密を保持する権利を有し義務を負う(弁護士法二三条本文)。しかし、その義務は、弁護士が依頼者の請求により委任事務処理の状況を報告する義務(民法六四五条)に優先するものとは解し難い。弁護士が、その職務上知り得た依頼者の対立当事者らの秘密は、依頼者の請求があれば、これを依頼者に告げざるを得ないし、依頼者に対して対立当事者らの秘密を告げた後に、依頼者がその秘密を漏洩、濫用することを有効に阻止するための制度上の保障は存在しない。弁護士法二三条の二の照会、報告の制度は、弁護士及び弁護士会を経由して私人に情報を得させ、これを自由に利用させる結果をもたらすことを否定し難いのである。してみると、市町村は、前科等について、弁護士法二三条の二に基づく照会があつた場合には、報告を拒否すべき正当事由がある場合に該当すると解するのが相当である。

本件の場合、照会について、報告を拒否すべき場合であつたと言うべきであり、これを拒否することなく報告した中京区長の行為は違法であつたといわなければならない。

弁護士会が弁護士から照会についての申出があつた場合に適当かどうかを審査し、適当でない場合にはこれを拒絶し、その他の場合には照会することになつているからと言つて、報告した行為について違法性が阻却されるものではなく、また、責任が免除されるものでもない。

六  控訴人主張(原判決請求原因第六項)の昭和三六年一月三一日付自治省行政課長から愛知県総務部長宛の回答があることは当事者間に争いがなく、右回答は以上判示した趣旨に沿うものであり、また、成立に争いのない甲第一一、第一二号証、当審における証人岸昌の証言によると、自治省から関係行政庁に対し、数回にわたり、以上判示した趣旨と同様の通知をなし、関係各行政庁においてもその趣旨に沿つて取扱いをしていたこと、被控訴人市における実務もそのように取扱われていたことが認められる。

そうすると、被控訴人の行政機関である中京区長は、本件照会について以上の点に思いを致し、報告を拒否すべき義務があるのにこれを怠つた過失があつたといわなければならない。

七  ところで、不法行為の成立するためには、違法な行為と損害との間に相当因果関係の存在を要件とする。そして前記認定のような照会があつた場合に、これに対する報告により、控訴人に前科の存在することが対立当事者である訴外会社に知らされ、かつ、労働委員会及び裁判所に訴訟資料として提出される等により公表されること、これによつて、控訴人の名誉が毀損されることは十分予見することが可能であつたということができ、これによつて控訴人が精神的打撃を受けたことは明らかである。

しかし、訴外会社が、前記報告により、控訴人の前科の存在を知つて、これを解雇の予備原因として利用するという方法で新たな法律関係を形成し、この効果をめぐつて更に紛争を生起せしめるような特別の事情の存在については中京区長においてこれを予見することが可能であつたことについては証明がない。

八  控訴人の前記前科の報告、公表による精神的打撃に対する慰藉料としては金二〇万円をもつて相当(前記前科の公表は、前示のとおり、中央労働委員会及び京都地方裁判所の構内等で、限られた人々の前でなされたに過ぎないのであるから、これによつて控訴人の社会的名誉につき、いうに足る低下をもたらしたものとは解し難く、名誉回復の方法として謝罪状の交付等が必要であるとは認められない。)とし、弁護士費用相当額の損害については、本件訴訟の経過、難易、認容額等を考慮し金五万円をもつて相当とする。

中京区長の前記行為は、公権力の行使に当る被控訴人の公務員が、その職務を行うにつき過失により違法に控訴人に損害を加えた場合に該当するから、被控訴人はこれを賠償する責任がある。

九  よつて、被控訴人は控訴人に対し、右損害合計金二五万円及びうち金二〇万円に対する本件不法行為の後である昭和四九年一二月七日から、うち金五万円に対するこの判決確定の日の翌日(控訴人の主張によれば弁護士に対する報酬は判決後に支払う旨契約したというのであるから、弁護士費用相当額の損害については判決確定の日に弁済期が到来し、その翌日から遅延損害金を支払うべきものと解する。)から、各完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務があり、控訴人の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却すべく、これと異る原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 乾達彦 下郡山信夫 鐘尾彰文)

(別紙)謝罪文<省略>

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