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大阪高等裁判所 昭和51年(う)560号 判決 1979年3月08日

主文

原判決を破棄する。

被告人秦政明を罰金七万円に、被告人中川五郎を罰金五万円に各処する。

被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置する。

原審および当審における訴訟費用は全部被告人らの連帯負担とする。

理由

本件控訴の趣意は大阪地方検察庁検察官検事稲田克巳作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人藤田一良、同熊野勝之、同仲田隆明共同作成の答弁書(二通)記載のとおりであるから、これらを引用する。

検察官の論旨は、要するに、原判決は、被告人両名が外二名と共謀のうえ、有限会社「アート音楽出版」昭和四五年一二月一日発行の季刊誌「フォークリポート・うたうたうた・冬の号」(以下本件雑誌という)に、被告人中川が執筆し、性交、性戯に関する露骨で具体的かつ詳細な描写記述を含むわいせつ文書「フォーク小説、ふたりのラブ・ジュース」(以下本件小説という)を登載し、これを販売するとともに、販売目的をもって所持した旨の公訴事実に対し、本件小説を刑法一七五条にいうわいせつ文書と断定するには疑問の余地があるとして、被告人らに対し無罪の言渡しをしたが、右は刑法一七五条の解釈、適用を誤ったものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れない、というのである。

よって検討するに、刑法一七五条にいうわいせつ文書の意義については、最高裁判所の判例において、その内容がいたずらに性欲を興奮または刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する文書をいうとされており(昭和三二年三月一三日大法廷判決刑集一一巻三号九九七頁等)、当裁判所も右の見解に従うのが相当であると考える。原判決は、刑法一七五条のわいせつ文書であるためには、右の要件を充たすほか、性的社会秩序を著しく侵害する危険性がある程度のわいせつ度を備えたものであることを要するとするけれども、左袒し難い。

そして、ある文書が右の要件を充たすものであるかどうかの判断は、一般社会において行われている良識、すなわち社会通念に従ってなさるべきであるが、その根幹をなすものはいわゆる性行為非公然性の原則であり(前掲大法廷判決参照)、性器または性交、性戯等の性的行為の状況を、これらを目のあたりに見るのに比せられるほど露骨かつ具体的に描写しているかどうかが重要な基準になるというべきである。

そこで、本件小説についてみると、本件小説の内容は、高校生の男女二人がフォークソングのコンサートからの帰りアベックホテルに入って初体験の性交に及ぶという筋のものであるが、全体のほぼ三分の二にわたって性戯、性交の場面が描かれており、とくに、検察官の指摘する八六頁上段二一行目以降においては、口淫その他の性戯ならびに性交の状況が、発声音や内心の描写を交えながら、露骨かつ具体的に描かれており、これらの部分を小説全体との関連において観察してみても、その描写がその露骨度、具体性の点において性行為非公然性の原則に反し、社会通念上許容さるべき限界を超えていることは明らかであり、右描写部分は先に掲げたわいせつ文書たることの要件を充足するものというべきである。したがって、そのような描写部分を含む本件小説は刑法一七五条にいうわいせつ文書にあたるといわなければならない。

右の点に関し、原判決は、「この小説は、性的行為の場面を比喩や寓意を用いて不自然にぼかしたりすることなく、あくどい、執ような、誇張した表現のいずれをも避け、率直かつ平易に描写することで、結果的に読者の想像力の働く余地を狭めているため、扇情的な感じを与えず、かえって性に関する陰湿で卑わいなイメージを読者に与えることから免れている」というけれども、本件小説における性器や性的行為の場面の描写は、単に率直、平易であるというにとどまらず(率直、平易であるという印象は、むしろ、わいせつ性を意に介せず、かつ、稚拙で、生硬で、洗練されていないことに由来しているものと思われる。)、無神経で露骨であり、その読者に与える印象も、格別陰湿なものではないとしても、扇情的で卑わいなものであることは否めず、右のような描写方法が文書のわいせつ性の評価に消極的に作用するとは考えられない。

また、原判決は、本件小説自体から窺われる作者の製作意図は、従来とは異なる性のモラルの問題を読者に訴えようとするものであり、人間の低俗な性的興味をそそることをねらう好色的な小説類のそれとは異なるものであるというけれども、本件小説に表われている作者の性についての考え方は、要するに、若者は既成観念にとらわれることなく自由に性的行為を享楽すべきだというものであり、それから推認される本件小説の製作意図も、春本類のそれとまったく同じであるとはいえないまでも、けっして次元の高いものとはいえず、本件小説のわいせつ性の評価に消長を来すような性質のものであるとは考えられない。

さらに、原判決は、本件雑誌の読者層は高校生を中心とする未成年者であるが、文書のわいせつ性を判断するに当ってはそのような読者層における通念といったものをも参酌すべきであるとし、右の読者層の置かれている性的状況として、性的成熟度が高いこと、学校での性教育が漸次普及しつつあること、性に関する情報が豊富であることを挙げているけれども、読者層が高校生を中心とする未成年者であるということは、かりにその点を文書のわいせつ性を判断するに当って参酌するとしても、成人たる一般社会人が読者である場合に比して、むしろわいせつ性を肯認する積極的要因となるものと考えられる。

なお、弁護人は、刑法一七五条は表現の自由を保障する憲法二一条に違反し、また、刑法一七五条にいうわいせつの意義ははなはだ不明確であるから同条は罪刑法定主義を定めた憲法三一条にも違反すると主張する。

しかしながら、刑法一七五条が憲法二一条に違反しないことは、最高裁判所昭和三二年三月一三日大法廷判決(刑集一一巻三号九九七頁)および同裁判所昭和四四年一〇月一五日大法廷判決(刑集二三巻一〇号一二三九頁)の趣旨に照らして明らかであり、また、刑法一七五条にいうわいせつ文書の意義については先に判示したように解釈することができ、それに該当するかどうかの判断は社会通念に従って客観的になされるのであるから、同条が罪刑法定主義を定めた憲法三一条に違反するということはできない。

以上の次第により、原判決が本件小説を刑法一七五条にいうわいせつ文書と断定するには疑問の余地があるとして被告人らに対し無罪の言渡しをしたのは、同条の解釈、適用を誤ったものというべく、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人秦政明は、有限会社「アート音楽出版」の代表取締役であり、被告人中川五郎は、同社発行の季刊誌「フォークリポート・うたうたうた」の編集人であったものであるが、被告人両名は、同誌の編集人村元武、同早川義夫の両名と共謀のうえ、昭和四五年一二月一日発行の「フォークリポート・うたうたうた・冬の号」の七九頁から九一頁にかけて、被告人中川五郎が「山寺和正」のペンネームで執筆し、そのうちとくに八六頁上段二一行目から九一頁上段末行までの間に性交、性戯の場面の露骨で具体的な描写を含んでいるわいせつ文書「フォーク小説、ふたりのラブ・ジュース」を登載し、同月上旬から翌四六年二月中旬までの間に、多数の読者に対し右雑誌約三二〇冊を販売するとともに、同四六年二月一五日、大阪市北区兎我野町一二番地山安ビル内の前記「アート音楽出版」本社において、販売の目的をもって右雑誌四〇二冊を所持したものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人らの判示各所為は、包括して刑法一七五条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条により昭和四七年法律六一号による改正前のもの)に該当するところ、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人秦政明を罰金七万円に、被告人中川五郎を罰金五万円に各処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金二、〇〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置し、訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文、一八二条により原審および当審を通じ全部被告人らの連帯負担とする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西村哲夫 裁判官 青木暢茂 笹本忠男)

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