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大阪高等裁判所 昭和51年(ツ)22号 判決 1976年7月14日

上告人

吉川忠孝

外一名

右上告人ら両名訴訟代理人

山下顕次

外一名

被上告人

柴原ヌイ

右被上告人ら両名訴訟代理人

米田宏己

外二名

主文

原判決を破棄し、本件を神戸地方裁判所に差戻す。

理由

上告人ら訴訟代理人の上告理由について。

論旨は、要するに、上告人吉川の無権代理人平松信男が被上告人趙の代理人巴山弘子および被上告人柴原に対し同上告人所有にかかる第一審判決末尾添付目録記載の田二筆(合計一、五七九平方米。以下、本件土地という。)を売却した所為につき、原判決が被上告人らの権限踰越に基く表見代理の主張を認容したのは、民法一一〇条の解釈を誤つたものであり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで按ずるに、本件において原審が確定した事実は「(1)上告人吉川は昭和四四年頃自動車販売業者である平松から懇請されて、同人が神戸市西農業協同組合平野支所から四〇〇万円の融資を受けるにさいし、本件土地を担保として提供することを承諾し、担保設定手続を平松に代理させるために実印を同人に預けていたところ、上告人吉川はその後単身北海道方面へ旅行に行き、家族の者にも所在を知らせず連絡が絶えてしまつた(なお、同上告人は過去にも度々かようなことがあつた。)。ところが、平松は右実印を利用して、本件土地を無断で売却処分しようと考え、同業者巴山弘子に話を持ちかけた。巴山弘子は、現地が気に入つたので、同女とともに自動車販売業をしている弟の被上告人趙にこれを買わせようとし、この件につき同被上告人を代理することとなつたが、資金不足のため知人の被上告人柴原をも買主に加えることとし、同被上告人もこれを承知した。(2)かくして、平松は昭和四五年一〇月一六日上告人吉川の妻吉川ふみ子を説得し、同人を伴い、右実印および印鑑証明書を持参して被上告人柴原方に赴いた。そこで、平松は、上告人吉川のためにすることを示してそれを信じた被上告人趙代理人巴山弘子および被上告人柴原と本件土地売買契約を締結した。そして、手付金一〇〇万円を平松と吉川ふみ子が受領した。」というにあるところ、原審は、右事実関係に基いて、「以上の事実関係によれば、被上告人趙代理人巴山弘子および被上告人柴原は、平松が上告人吉川の実印および印鑑証明書を持参しており、かつ、上告人吉川の妻ふみ子が同道しており、同女は交渉の間、格別の異議もいわなかつたことから、平松に本件土地売却の代理権があるものと信用したことが認められる、平松と吉川ふみ子は上告人吉川の委任状を持参せず、右巴山弘子および被上告人柴原は上告人吉川の不在事実を知つていたことも認められるが、本件のように、上告人吉川が過去にも度々長期不在となつたことがあり、この当時も不在で家族らにも所在を知らせていないような場合に、取引において通常最も重要視さるべき実印を平松に寄託しており、留守を委されている妻が同道して契約に同意を与えたと見られるべき場合には、平松の代理権を信ずることは通常のことであり、正当事由があるといえ、被上告人趙代理人巴山弘子および被上告人柴原が上告人吉川の帰宅を待つてその意思を確認しなかつたことをもつて過失があると見るべきではない。」と判断した。

しかして、前示のような確定事実のもとにおいては、平松が上告人吉川の無権代理人として被上告人らに対し本件土地を売却したさい、本件土地を物上保証に供する限度において同上告人を代理する権限を有していたことが明らかであるから、同人が民法一一〇条所定の要件であるいわゆる基本代理権を有していたことは疑いを容れず、また、原判決が、買主である被上告人趙代理人巴山弘子および被上告人柴原において平松が上告人吉川所有の本件土地売却に関する代理権を有するものと信じたと判断したことも是認できなくはない。

しかしながら すすんで、右被上告人趙代理人巴山弘子と被上告人柴原が平松の前示代理権の存在を信じたについて正当の理由があつたか否かについてみるに、本件売買においては 売主上告人吉川の代理人は同上告人と特段身分関係があるとも窺われない平松であつて、同上告人の妻ふみ子は単に平松に伴われて同道したに過ぎなかつたというのであるから、一、五七九平方米もある田二筆を売却するにしては、それ自体極めて不自然な情況であることは上告人ら代理人所論のとおりであるといわねばならず、買主としては平松の本件土地売却代理権について疑問を抱くのが当然であり、単に、同人が売主上告人吉川の実印および印鑑証明書(原審引用の甲第六号証によれば、売買当日であると認定された昭和四五年一〇月一六日発行のものであることが窺われる。)を所持していること(なお、原判決が、当時平松が本件土地の登記済証を所持していたか否かについて何ら言及していない点も参照)、および同上告人の妻ふみ子が売買交渉の間格別の異議も述べなかつたこと(このことは、同女が本件売買の席上平松とともに手付金一〇〇万円を受領した、との前示確定事実によつて推認できなくはない。)、ならびに本件売買当時売主上告人吉川本人が不在であることをかりに買主である被上告人趙代理人巴山弘子と被上告人柴原において知つていたとして、そのことからして、右買主らが平松に本件土地売却の代理権があると信じたにつき正当の理由があつたとすることはできない。このような場合、買主らとしては、さらにすすんで、本人作成にかかる委任状や目的物任の登記済証の呈示を求め、また、売主本人である上告人吉川が直接売買交渉に当らず、平松が同上告人の実印を所持して来訪し、同上告人の妻ふみ子は単に同道してきたに過ぎない経緯やこのような形で本件土地を売却に及ぶ特段の事情等について平松とふみ子の両名にこもごも問い質すなどして平松の代理権の存否をさらに確実に確認すべき筋合であり、もし買主である被上告人趙代理人巴山弘子および被上告人柴原がこれらの挙に出ず、漫然 前示のような事情だけで平松に本件土地売却の代理権があると信じたのであれば、右両名には通常の不動産取引における買主ないしその代理人としての注意義務を怠つた過失があつたというべきである。

もつとも、原判決は、叙上の点に関し、さらに、「本件のように、上告人吉川が過去にも度々長期不在となつたことがあり、この当時も不在で家族らにも所在を知らせていないような場合に、取引において通常最も重要視さるべき実印を寄託しており、留守を委されている妻が同道して契約に同意を与えたと見られるべき場合には、平松の代理権を信ずることは通常のことであり、正当事由があるとはいえ、被上告人らが上告人吉川の帰宅を待つてその意思を確認しなかつたことをもつて過失があると見るべきではない。」旨説示していること前記のとおりであるが、右説示部分とその前後の判文を総合し熟読通覧しても、原判決は前示「上告人吉川が過去にも度々長期不在となつたことがあり、この当時も不在で家族らにも所在を知らせていない」との事情を果して買主である被上告人趙代理人巴山弘子と被上告人柴原の両名において承知していたか否かの点については何ら証拠に基く認定をしていないのであつて、民法一一〇条における正当の理由の存否のように専ら相手方である前記買主両名の側の主観的事情を論ずべき場合の説示としては著しく理由が不備であるというほかない。のみならず、かりに相手方である右両名が右のような上告人吉川不在の事情を知つていたとしても、同上告人不在の事情がその間における代理権授与の推断を容易ならしめるものとはにわかに考えることができず、そのような事情をもつて正当の理由の存在を肯認する資料とすることはできないと解するのが相当である(以上説示の点につき、最高裁昭和二七年一月二九日判決民集六巻一号四九頁 同二八年一二月二八日判決民集七巻一三号一六八三頁、同三六年一月一七日判決民集一五巻一号一頁各参照)。

そうすると、原審の叙上の点に関する判断は民法一一〇条の解釈を誤つたもので、右違法は原判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨に理由がある。

よつて、原判決は破棄を免れず さらに審理を尽させるため本件を原審に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(朝田孝 戸根住夫 畑郁夫)

【上告理由】原判決は被上告人らの表見代理の主張を認めたが、これは民法第百十条にいう「第三者カ其権限アリト信スヘキ正当ノ理由ヲ有セシトキ」の解釈適用を著しく誤つたもので、この誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかな重大なものであるから、原判決は全部破棄されなければならない。

すなわち

一、(一) 原判決の認定によれば

訴外平松信男は昭和四四年頃上告人吉川に懇請して、同人から、同人が組合員である神戸市西農業協同組合より、同人所有の本件土地を抵当として、金四〇〇万円の融資をうけることに限定して、右土地の提供の許諾をうけ、その目的のために上告人吉川から同人の印章を預つたこと

その後上告人吉川が長期間にわたり家を留守にしてその家族にさえ所在を知らせず連絡が絶えてしまつたところ、昭和四五年一〇月、平松は、この印章を預つていることを奇貨としてこれを利用して本件土地を売却の上その代金を自らの用途に宛てるため敢えて被上告人らとの間で、本件土地の売買を行つたこと。

ところで右売買の際の事情は、

1 被上告人らも、また原判決が被上告人趙春済の代理人と認定したその姉巴山弘子もまた、売買契約に立会つた趙の父もすべて、上告人吉川とは従来一度も会つたこともなく、居住地も離れており、直接間接を問わず上告人吉川と話し合つたことは全然ないこと

2 平松は、上告人吉川の妻が、夫である吉川の所在を知らず連絡もとだえたまゝになつているのに、同女を説得して被上告人柴原方に同行させたが、同妻女もまた同日までに被上告人らの関係者に会つたこともなかつたこと

3 平松は上告人吉川の実印(前記印章)と印鑑証明書を持参したが、上告人吉川の委任状は作成されておらず 買手である被上告人ら側は、そのことを知りながら売買取引をしたこと

4 上告人吉川の代理人らしく振舞つた平松も吉川の所在は知らず、買手である被上告人ら側は 売手の代理人も売手の妻も売手の所在消息を知らないという異常な状態にあつたことを当然知つたこと

5 本件土地は農地法の適用をうけるところ、被上告人らは農業者ではなく、また、前記のとおり居住地域も全く離れていて地域を異にすること

6 それに加え、原判決も判示する如く、被上告人趙春済の代理人巴山弘子は本件売買契約における買戻の主体は平松であると認識していたこと、すなわち本件土地の実質上の売主が平松であることを知つていたことを推測させること

7 しかも、被上告人趙春済の父趙某は、本件土地の売買成立による周施料名で平松から三〇万円を受取つたこと、(なお、この趙某は平松が吉川の妻を取引の場へ同行させるとき一緒に同女を迎えにいつた者であること)

等々の事情にあつたのである。原判決の判文は簡単であるがその前後を通じてみれば上記の事実認定に立脚していること(もちろん本件事件記録における証拠により上記事実が認定される)が明かである。

(二) これらの事実を率直にみれば、これは何びとがその取引の場に立会つたとしても買手側としてまさに異常且つ異様さを感じ上告人吉川の真意、平松の代理権の有無等につき深刻な不安を覚えて当然の、実に不正常極まる取引経過であることが明白で、実際に、まともに不動産売買取引にたずさわる者ならそのような取引に応ずるわけはなく、不審を感じないという方が余程不自然で、到底第三者が其権限アリト信スヘキ「正当ノ理由」などにあたるわけがないこと全く明白な事案といわなければならない。

およそ、不動産の取引で、売主の所在が不明で、その代理人と称する者にも、売主の妻にもわからないというまゝで取引するなどは、まず以て異様である。そのような異常異様な事案において売手の実印はあるが委任状は作成されていないという如きは、少々の動産などでないいやしくも高額の不動産、しかも農業者にとつて生活の基である農地であつてみれば、それはかえつて不審を抱かせるに足るものである。本件でも上告人吉川は平松に対しいまから自分は不在者になるよと告げて印を預けて家を出たものではない。長らく不在になることを予定の上でなおかつ不動産についての何らかの法律行為を他人にゆだねようとするのなら、当然、委任状を作成しておく。これが不動産取引の実情、常識である。長期に亘つて不在の者の委任状がなくたゞ実印だけを、その代理人と称する者や、妻が持参するなどは、かえつて強い不審を抱かせる原因にこそなる。これが、正常な取引者の正常且つ素直な判断というものである。

このことは、最高裁第三小法廷昭和二四年(オ)一五三号、昭和二七年一月二九日判決(民集六巻一号四九頁)の事案、すなわち、夫が司政官で南方に行つた留守にその実印を預つた妻が家屋を売つた事案で、また最高裁第一小法廷昭和二四年(オ)三四八号、昭和二八年一二月二八日言渡(民集七巻一三号一六八三頁)の事案、すなわち妻が無断で出征中の夫を代理して不動産の売買契約をした事案でも、裏付けられる。

しかも、前記の通り買手側の代理人である巴山弘子が、買戻の主体は平松であると認識していたことや、買手の父趙某が売手の不審な(通常なら、前記事情から当然不審をもつてみられて当然の)代理人と称する者から周施料をとつたということに至つては、これが、不正常不審でなくて何であろうか。そう思うのが不動産取引の常識である。(しかも、原判文には充分にあらわれてはいないが、趙某は、平松とともに同行を渋る上告人吉川の妻を被上告人柴原方へ連れていつた者である)。

以上のとおりで、原判決は民法第百十条の解釈をはなはだしく誤つたもので、破棄されなければならない。

二、原判決は、趙の父において、本件売買により平松もまた実質的な利益を得ることを察知していたものと推認し得るけれども、さればとて吉川が売買に関する代理権を平松に与えていなかつたことを察知していたということはできないと判示した上、他に被控訴人(被上告人)らの善意及び善意についての正当理由の存在に関する前認定の反証はないと判断している。

これは 第三者において、代理権の不存在を知つていたのでなければ表見代理の成立を肯定するというのとかわらない判断のあり方であり、原判決が、前記のようなはなはだしく不正常、異様な諸事情の下で、なお且つ表見代理の適用を肯定したのは、このような解釈態度に基因したものと解される。しかし、これは民法百十条の解釈を誤つたものであり、その誤りは原判決に影響を及ぼすこと明かである。

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