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大阪高等裁判所 昭和51年(ネ)2307号 判決 1978年1月31日

控訴人 島圖博次 外四名

被控訴人 高井栄三

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人ら代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人代理人は、「本件控訴を棄却する。」との判決を求めた。

二  当事者双方の主張および立証の関係は、次のとおり訂正、附加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(一)  原判決二枚目裏九行目「昭和三九年一二月一〇日」を「昭和三九年一二月二〇日」と訂正する。

(二)  原判決三枚目裏一行目「個有」を「固有」と訂正する。

(三)  控訴人らの主張

本件土地がキサの特有財産であり、栄太郎の本件土地の占有には自己の相続分以外について所有の意思がなかつたことは次の事実によつて明らかである。

(1)  本件土地は、キサが喜平に嫁いだ後の明治三四年一二月二一日、その持参金をもつて姉の浜田阿いより買受けて取得したものであり(キサの実家は高井家より裕福であつた)、キサが明治三八年八月一七日死亡した際、夫であつた戸主の喜平は自己名義に所有権移転登記をしていない。

(2)  栄太郎は、大正一二年八月二五日、前戸主喜平の隠居により家督相続したが、その際家督財産たる不動産については全部家督相続を原因として栄太郎名義に所有権移転登記を経由し、未登記のものについても自己名義で保存登記をしたが、本件土地については栄太郎名義に所有権移転登記をしていない。

(3)  戦後の農地解放に際し、大阪府においては地主一世帯について六反の田を保有することが許された。高井家の家督財産たる農地については、栄太郎名義で田六反の保有が許され、その他の田は国によつて買収された。しかし、栄太郎は、本件土地を家督財産と分別し、これと別個のもの、すなわちキサの相続人の合有財産として農業委員会に申請し、四男良治名義で別に六反の保有地として認めてもらつた。栄太郎が良治名義を用いたとしても、これはキサの共同相続人のために遺産管理の手段としていたものにすぎない。

(4)  栄太郎は、昭和四〇年九月ごろ、大阪府営水道事業の施行に伴い本件土地の一部が買収されたとき、受益者負担の原則であると称して控訴人ら各自に費用を負担させて手続させ、当時養老院で細々と余世を送つていた訴外後藤テイからさえ費用を取立てており、自らは自己の相続分以外について費用を一切支出していない。

(四)  被控訴人の主張

(1)  控訴人ら主張の事実中農地解放に際し栄太郎名義で田六反の保有が許され、良治名義で別に本件土地の保有が認められたことは認める。

農地解放当時良治は栄太郎の二男で、キサの共同相続人たる地位にあるものではなく、キサの共同相続人たる地位において保有を申請したのではない。栄太郎は、二男良治名義をもつて別世帯として六反の保有を申請することによつて自己保有地以外に別に六反の保有を許されたものであり、また、本件土地以外のキサ名義の田(二筆)が買収の対象となつたが、その代金はすべて栄太郎が取得し、自己の所得として費消した。これらの行為は栄太郎の本件土地に対する自主占有を表示する行為として認識せられる十分なる価値ある行為である。

(2)  キサ死亡後本件土地がキサの特有財産として遺産相続される不動産と認められていたことはなく、長年の歴史的経緯に照らすと本件土地は高井家の財産として管理収益されてきたことは明白である。

(五)  立証<省略>

理由

一  キサは本件土地を所有していたところ、明治三八年八月一七日死亡して遺産相続が開始し、喜平とその妻キサの間に生まれた長女喜多クラ、二女東野ムメ、三女後藤テイ、四女吉川アイ、長男栄太郎、二男高井辰三郎、三男島圖熊次郎、四男島圖末吉、五男水野元三の九名が右遺産相続により本件土地の所有権を取得したこと、三男島圖熊次郎は、昭和一五年一月一八日死亡し、控訴人博次が家督相続したこと、三女後藤テイは、昭和四四年一月三一日死亡し、死亡当時、配偶者、直系尊属、直系卑属がいず、その相続関係は原判決別紙図(三)のとおりであつて、控訴人島圖嘉子、川崎富美子、粕谷靖子、木村弘子は、島圖博次と共に熊次郎の子として後藤テイの遺産を代襲相続すべき関係にあることは当事者間に争いがない。

(なお、成立につき争いがない甲第一ないし四号証、乙第三号証の二および弁論の全趣旨によれば、キサの前記相続人らは、島圖末吉、水野元三を除いて死亡したこと、長女喜多クラは、昭和三八年一月二四日死亡し、その相続関係は原判決別紙図(一)のとおりであること、二女東野ムメは、昭和三九年一二月二〇日死亡し、その相続関係は原判決別紙図(二)のとおりであること、四女吉川アイは、昭和一五年一二月七日死亡し、旧民法(昭和二二年法律第二二二号による改正前のもの)第九九六条により戸主栄太郎が吉川アイの権利義務を承継したこと、二男高井辰三郎は、昭和二一年一二月二九日死亡し、高井一郎が家督相続したが、高井一郎も昭和二二年一一月九日死亡し、高井一郎の兄弟である高井章子、高井清博、高井務の三名が右一郎の権利義務を承継したこと、以上の事実が認められ、右認定を左右しうべき証拠はない。)

二  前記甲第二、三号証、原審証人西川八重野、同駕田滝造の各証言、原審における被控訴人本人尋問の結果(第一回)ならびに弁論の全趣旨によると、栄太郎は、喜平が隠居した大正一二年八月二五日以後昭和四三年六月一五日死亡するまで本件土地を占有してきたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

三  控訴人らは、栄太郎の本件土地の占有には自己の相続分以外について所有の意思がなかつた旨主張するので、この点につき判断する。

前記甲第一号証、成立につき争いがない甲第六号証の一ないし五、第七号証の一ないし八、乙第二号証の一ないし六、第三号証の一、二、第六号証の一ないし七、原審証人西川八重野、原審および当審証人駕田滝造の各証言、原審における被控訴人本人尋問の結果(第一回)ならびに弁論の全趣旨を綜合すると、キサは、喜平と婚姻した後の明治三四年一二月二一日、キサの姉浜田阿いから本件土地を買受けて所有権を取得し、同日、所有権移転登記を経由したこと、キサは、明治三八年八月一七日死亡したが、夫であつた戸主の喜平は本件土地の登記名義はキサ名義のまま存置していたこと、喜平は、大正一二年八月二五日隠居し、長男栄太郎が家督相続をし、喜平の家督財産たる本件土地以外の不動産については、同年一〇月一〇日、家督相続を原因として所有権移転登記を経由し、未登記のものについても栄太郎名義に所有権保存登記をしたが、本件土地については所有権取得登記をしなかつたこと、喜平は、キサ死亡後本件土地を占有、管理していたが、栄太郎は家督相続後本件土地の占有を承継したこと、本件土地(一)ないし(五)、(二)の農地は喜平の隠居前から三名の小作人に賃貸されていたが、栄太郎は、家督相続後は賃貸人の地位を承継し、駕田滝造にその管理を委ね、同人を通じて小作料をすべて収受し、本件土地の公租公課を全部負担してきたこと、栄太郎は、その後本件土地について他の相続人らの遺産分割の協議や分割前の管理についての相談をしたことはなく、控訴人ら相続人も本件土地の相続に関して特に積極的な行動に出たことがなかつたこと、昭和二二、三年ごろのいわゆる農地解放に際しては、地主一世帯につき農地六反の保有が認められることになつたので、栄太郎は、本件土地以外の家督相続財産中の農地六反の保有を許されたほかは、国によつてその所有農地を買収されたが、その際キサ名義のままであつた不動産中約六反に当る本件土地を右栄太郎名義の保有農地とは別個に、栄太郎の四男良治名義で保有を申請し、これを許可されたこと(農地解放に際し栄太郎名義の田六反の保有が許され、良治名義で別に本件土地の保有が認められたことは当事者間に争いがない。)、以上の事実が認められ、右認定を左右しうべき証拠はない。

以上の事実によると、喜平は、本件土地は妻のキサがその姉から買受けて所有権を取得し、その登記を経由したものであることを夫として当然知つていたものと推認しうるから、喜平は妻キサの死亡による遺産相続開始後に本件土地を占有していたとしても、その占有はキサの遺産相続人たる子供らのためにする占有であつたと認めるのが相当であり、喜平の本件土地の占有は自主占有ではなく、他主占有であつたというべきである。そして栄太郎は、喜平の隠居後家督相続をして本件土地の占有を承継したのであるが、喜平の占有が所有の意思に基づかないものである以上、栄太郎の占有もその性質が変ることはないものというべきである。そして、栄太郎は、喜平の隠居による家督相続開始後二ケ月以内に家督財産たる不動産について所有権移転登記を経由しながら、本件土地のみについてはキサ名義のままとしておき、自己の単独所有名義に所有権移転登記をしなかつたことからみて、本件土地を喜平所有の家督相続財産とは別個のキサの遺産であることを理解していたと推認されるから、栄太郎が本件土地につき喜平所有の家督財産として単独で所有できるものとは思つていなかつたものと認められ、右家督相続開始により、新権原によつて本件土地を自主占有するに至つたものということはできない。これをさらに詳しく説明すれば、戦前の家督相続制度が存在していた時代においても、戸主が有する家督相続財産と家族がその特有財産として有する遺産相続財産との区別は厳然としており、遺産相続財産については家督相続が開始されても新戸主は当然にこれを取得するものでないことは周知のことであつた。もつとも、家督相続財産と遺産相続財産が混在しているため、新戸主が遺産相続財産の存在を意識しないまま家督相続財産を契機に全財産の占有を開始することはあり得ないわけではなく、不動産たる財産についても、登記を前戸主名義のまま放置して登記に無関心で経過した場合には、前戸主名義でなく家族名義の不動産の存在に気付かず、前戸主から占有を承継した不動産のすべてが家督相続財産であると誤解したまま二十年以上を過ごす事例も想定できなくはない。しかしながら、本件のように隠居相続であつて、隠居開始後速やかに不動産たる家督相続財産について新戸主への所有権取得登記手続が実行された場合においては(隠居相続の場合は、不動産の名義の変更が速やかに励行されることが多い)、新戸主が旧戸主から占有を承継した不動産のうち、登記名義が旧戸主名義でなく家族名義であるため家督相続による取得登記をなし得ず、ここにおいて家督相続の対象となつていない不動産の存在をいやでも意識させられることとなるのである。もつとも、右不動産の所有者たる家族が既に死亡していて、遺産相続が開始されていたときには、これを機会に遺産相続人間で遺産の分割協議をなし、当該不動産については他の遺産相続人より新戸主の単独所有とすることの同意を得て遺産相続を原因とする所有権取得登記手続をすることも考えられるが、何らかの事情でそのような手続をとり得ないときは、当該不動産の所有名義はそのまま放置して推移せざるを得ない。逆にいえば、占有を開始した不動産につき全面的に取得登記を実行しようとしたのに、その一部につき実行できなかつたときは、その実行を妨げるような事情の介在、たとえば共同遺産相続人の一部の者の不同意となる予測があつたのではなかつたかと疑われるのである。とかく親族間の財産関係については、権利を主張し勝である者に対するいわゆる「寝た子を起さない」ための配慮から、登記関係をそのまま放置しておくことが起り勝であるが、そうであるからといつて、同意があつたものとみなすわけにもゆかないと考えるのがその衝に当る者のいつわらざる心情であろう。ともあれ、本件の新戸主栄太郎については、家督相続開始直後に既述のような経緯を経ているのであるから、その際に本件土地が家督相続の対象でないことは十分に意識させられたものと認定せざるを得ない(また、その際、栄太郎において、キサの遺産相続人が明示もしくは黙示の相続放棄ないしはこれを栄太郎の単独所有とする旨の遺産分割協議があつたと理解したと認めうるような証拠もない)。

なお、前記認定の事実によると、栄太郎は、家督相続開始後本件土地を占有、管理し、本件土地の小作料を収受し、公租公課を負担していたけれども、本件土地はキサ死亡後に喜平によつてキサの相続人たる子供らのために占有、管理され、他に賃貸されており、栄太郎は、家督相続により喜平の右賃貸人の地位を承継したものにすぎないのであるから、栄太郎が本件土地を右のとおり占有、管理していたことから、栄太郎の右占有が自己の単独所有の意思をもつてなされたものと認めることはできない。不動産の共同相続の場合においては、遺産分割に至るまの間は共同相続人中の一人が単独で遺産を管理し、その収益を取得する反面公租公課を自ら負担し、他の共同相続人も暗黙にこれを承認することは巷間極めて数多く見受ける事態であつて、このことは別段異例のことではない。これは、親族間においては、相続にからまる財産関係について事々しく権利主張をすることは親族間の平和を害するとの配慮から、大筋の権利が最終的には確保されているかぎり、些少の利害得失には目を閉じて成行に任かせ勝ちとなるが、遺産が不動産である限り、相続開始後いかに年月が経過しても、その共有持分権自体は害されることがないとの安心感が背後に控えているからである。現に、控訴人島圖博次本人尋問の結果によれば、父亡島圖熊太郎は、生前長男博次に対し、熊次郎の母キサ名義の本件土地が存在していて自己もこれに対し一半の権利を有することを伝えており、キサ死亡後三〇年以上を経過したその当時においても決して本件土地に対する権利につき無関心ではなかつたことが認められるのである。栄太郎の本件土地の管理収益につき以上のように解釈すべきである以上本件土地の共同相続人の一人である栄太郎が前記のとおりの占有管理を続けてきたとしても、それは他の共同相続人の相続分についてその共同相続人のために占有、管理をなしているものとみるのが順当である。

また、終戦後のいわゆる農地解放の際、栄太郎は本件土地を特に保有地として残すような措置をとつたことも、本来地主は一世帯について田六反しか保有できず、栄太郎は右六反を自己の相続財産中から確保したうえ、更にキサ名義のままであつた本件土地を四男良治名義で保有申請することにより、その買収を免れるよう計らつたものであつて、このことは、栄太郎としては共同相続人間でなされるべき将来の遺産分割協議により本件土地が自己の単独所有となる可能性があり、かりにそうはならないとしても僅少の対価で親族以外の第三者に買収されるよりはましであるから(栄太郎が保有地の拡大部分として本件土地を選定した理由として、当審証人駕田滝造の証言によれば、本件土地が高井家の私道に面しているから何とかしてこれを確保したいとの動機があつたことが認められる)、栄太郎が本件土地がキサの遺産相続の対象であることを十分認識していたとしても、前記のような措置をとる動機は考えられるのである。従つて、栄太郎の右措置をとらえて前記の認定を覆えすに足りる反証とするわけにはいかない(栄太郎が農地委員会に対しいかなる理由を述べて良治名義での保有申請により本件土地の買収を免れ得たかは証拠上明らかでない。ともあれ、栄太郎としては、自然に放置しておけば買収されたであろう本件土地が、自己の特段の努力によつて保全し得たのであるから、他の共同相続人に対しその単独所有権を主張したい気持も理解できなくはない。しかし、それは共有物分割協議における他の共同相続人側の譲歩によつて解決されるべき事柄であつて、このことの故をもつて本件の争点が左右されるわけではない。)。

以上の次第で、栄太郎の家督相続開始後の本件土地の占有は、キサの共同相続人の一人としての占有であるにとどまり、本件土地についての自己の相続分をこえる分については他の共同相続人のための占有であつて、所有の意思に基づく占有ではないというべきであり、家督相続のときから民法第一八五条前段の所有の意思あることを他の共同相続人に対して表示したものと認めることもできない。

なお、被控訴人は、栄太郎の農地解放の際の本件農地の保有措置をとらえて、その時に栄太郎が本件土地につき自己の単独所有の意思を表示したものと主張するようでもある(しかし、そうであれば、時効の起算日が変つてくるはずである)が、前記説示によれば、右行為をもつてそのように解すべきものとはいえないことは明らかである。また、被控訴人は、本件土地以外のキサ名義の土地であつて買収されたもの(二筆)については、その買収対価を他の共同相続人に分配していないことをもつて右のように主張するようであるが、右行為をもつて直ちにそのように解すべきものとはいえない(農地二筆の買収対価は、本件土地が買収を免れ得たことの利益に比べ極めて僅少なものにすぎない)。

四  以上により、栄太郎が時効によつて本件土地の所有権を取得した旨の被控訴人の主張は、控訴人らのその余の抗弁につき判断するまでもなく、理由がなく、被控訴人の本訴請求は失当である。

よつて被控訴人の請求を認容した原判決は相当でないからこれを取消して被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟質用の負担につき民事訴訟法第八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 坂井芳雄 富澤達 山本矩夫)

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