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大阪高等裁判所 昭和51年(ネ)368号 判決 1977年12月20日

昭和五一年(ネ)第三六八号事件控訴人

昭和五二年(ネ)第六八八号事件附帯被控訴人

大阪府

(以下控訴人府と略称)

右代表者知事

黒田了一

右訴訟代理人弁護士

道工隆三

ほか三名

昭和五一年(ネ)第三六九号事件控訴人

昭和五二年(ネ)第六八八号事件附帯被控訴人

大東市

(以下控訴人市と略称)

右代表者市長

西村昭

右訴訟代理人弁護士

俵正市

ほか六名

昭和五一年(ネ)第三七〇号事件控訴人

昭和五二年(ネ)第六八八号事件附帯被控訴人

(以下控訴人国と略称)

右代表者法務大臣

福田一

右指定代理人

高橋欣一

外三名

昭和五一年(ネ)第三六八・三六九・三七〇号事件被控訴人

浅野友美

ほか六九名

(別紙一被控訴人目録のとおり)

昭和五一年(ネ)第三六八・三六九・三七〇号事件被控訴人

昭和五二年(ネ)第六八八号事件附帯控訴人

宮城忠儀

(以下被控訴人官城と略称)

右七一名訴訟代理人弁護士

鬼追明夫

ほか一〇一名

(別紙二代理人目録のとおり)

主文

一、控訴人らの被控訴人宮城忠儀を除く被控訴人らに対する控訴をいずれも棄却する。

二、控訴人らの被控訴人宮城忠儀に対する控訴に基づき、原判決中、同被控訴人勝訴の部分を次のとおり変更する。

三、(一)被控訴人宮城忠儀に対し、

(1)  控訴人らは各自、金六〇万円および内金五五万円に対する昭和四七年七月一四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、

(2)  控訴人国および大阪府は各自、金三八一万四五〇〇円および内金三五六万四五〇〇円に対する前同日から支払済みに至るまで前同率の割合による金員を、それぞれ支払え。

(二) 被控訴人宮城忠儀のその余の請求を棄却する。

四、被控訴人宮城忠儀の附帯控訴を棄却する。

五、訴訟費用の負担は次のとおりとする。

(一)  控訴人らと被控訴人宮城忠儀を除く被控訴人らとの間における控訴費用は控訴人らの負担とする。

(二)  控訴人らと被控訴人宮城忠儀との間に生じた訴訟費用は第一、二審を通じ、

(1)  控訴人国および大阪府との間で生じたものはこれを一〇分し、その六を同控訴人らの、その余を同被控訴人の負担とし、

(2)  控訴人大東市との間で生じたものはこれを一〇分し、その一を同控訴人の、その余を同被控訴人の負担とする。

事実

第一、申立

控訴人らは、各自の控訴事件につき、それぞれ「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする」との判決を、附帯控訴事件につき、いずれも「本件附帯控訴を棄却する。附帯控訴費用は被控訴人宮城の負担とする」との判決を各求め、

被控訴人らは、各控訴事件につき、いずれも「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」との判決を、被控訴人宮城は、附帯控訴事件につき「原判決中被控訴人宮城に関する部分を次のとおり変更する。控訴人らは各自、被控訴人宮城に対し金一〇〇一万五七五〇円および内金九一一万五七五〇円に対する昭和四七年七月一四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人らの負担とする」との判決をそれぞれ求めた。

第二、主張

当事者らの事実上・法律上の主張は、控訴人国・府において別紙三のとおりに、控訴人市において別紙四のとおりに、それぞれ控訴の理由ならびに原審の主張の補充を加え、これらに対し被控訴人らが別紙五のとおり反論ならびに原審の主張の補充を加えたほか、原判決事実摘示のとおり(但し左記訂正削除がある)であるから、ここにこれを引用する。

(原判決事実の訂正削除)

(一)  字句の訂正

(1) 四丁裏一行目と五行目の「上幅」をそれぞれ「上底幅」と訂正。

(2) 三一丁表一行目の「洪水位」を「高水位」と訂正。

(二)  主張および認否の訂正

(1) 被控訴人宮城の請求損害額を肉類の損害金八二九万八七五〇円(原判決損害明細書記載のとお)、冷蔵庫、冷凍機等損害三〇万円(原審認容額)、家庭生活利益損害五五万円、弁護士費用九〇万円、腐敗肉売却利益控除額三万三〇〇〇円の差引合計一〇〇一万五七五〇円と内弁護士費用を除く九一一万五七五〇円に対する法定遅延損害金との請求に減縮。

(2) 控訴人国・府の答弁並びに主張のうち、請求原因第一項の認否(三〇丁表一〇行目から裏一行目まで)を、控訴人市のその点の認否(四〇丁表五行目から九行目まで)と同一に訂正。

(3) 控訴人市の答弁並びに主張の(五)の後段(四四丁裏一行目の「原告ら」以下四行目まで)を削除。

(4) 添付図面(二)を本判決添付図面(便宜図(二)と呼称する)に差し替える。

第三、証拠関係<略>

理由

(略記例)

図(一)=原判決別紙図面(一)(原告団居住地図)を指す。

図(二)=右同(二)を差し替えた本判決添付図面(谷田川流域概要図)を指す。

原(当)審何某証言=原(当)審証人何某の証言を表わす。

本人何某の原(当)審供述=原(当)審における被控訴人何某の本人尋問の結果を表わす。

op=大阪湾基準水位、単位米。

数量単位は、キロメートル、メートル、センチメートル、ミリメートルは、粁、米、糎、耗と、トン、キログラムは屯、瓩と表示。

年月日につき、単に月日のみで記すのはいずれも昭和四七年の当該月日であり、単に日付のみで記すのはいずれも同年七月の当該日付である。

国賠法=国家賠償法

第一本件水害の発生とその経過・態様

一浸水被害の発生とその規模

昭和四七年七月当時、被控訴人伊藤隆を除く被控訴人らが各主張の場所(図(一)参照)に居住していたこと、被控訴人伊藤隆・宇野勝彦を除く被控訴人らが本件七月豪雨により、いずれも床上浸水の被害(その態様・程度はしばらく措く)を蒙つたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、被控訴人伊藤も当時野崎一丁目六番四号に居住しており、同人および被控訴人宇野も同様床上浸水の被害を蒙つたことならびに被控訴人ら各自の浸水被害(被控訴人宮城忠儀の営業上の損害に関する部分はしばらく措く)の態様(床上浸水位とその継続時間。なお参考として床下浸水継続時間も示す。)がそれぞれ別表Ⅰ該当欄記載のとおりであることが認められ<る>。

二降雨の状況

大阪府下においては七月一〇日頃から一三日にかけて多量の降雨がみられた。これを<証拠>によつてみると、その雨は一〇日の夕方から一一日の昼頃までと、一二日の明方から一三日の午後までとの二つの山に分けられるが、これを被控訴人ら居住地域に近い大東市大東町二番一号地の氷野ポンプ場、被控訴人ら居住地域から約10.5粁北方淀川沿いの枚万土木出張所および地建淀川工事事務所、被控訴人ら居住地域の約一二、三粁南々東の八尾土木および八尾空港でのそれぞれの観測結果によりみると、第一の山は、氷野ポンプ場では一〇日午後六時から一一日正午までの間に69.5粍、枚方および淀川では一〇日午後七時から一一日午後一時までの間に枚方で八九粍、淀川で九八粍、八尾方面では八尾土木が一〇日午後九時から一一日午後二時までに54.5粍、八尾空港が一〇日午後八時から一二日午後二時までに48.5粍の降雨があり、その後一旦降り休んだ後、一二日午前六時から一三日午後にかけて、氷野ポンプ場で195.4粍、枚方で195.5粍、淀川で二〇六粍、八尾土木で232.5粍、八尾空港で二一九粍の雨が記録されている。その第二の山の時間雨量は別表Ⅱのとおりであって、前後の総雨量は氷野ポンプ場で264.7粍、枚方で284.5粍、淀川で三〇四粍、八尾土木で二八七粍、八尾空港で267.5粍となつている。

三浸水の経過

<証拠>によると、一二日から一三日にかけての被控訴人ら居住地域の浸水状況の経時的変化は左のとおりに認められる。(左記のうち「何某方」との記載はすべて被控訴人何某方を表わし、その○内の数字は図(一)上の番号(原告番号に同じ)であり、同図によりその所在場所を示すものである。)

(1) 七月一二日の経過

午前一〇時頃 甲路が満水状態となる。

午前一一時頃 ④尾崎方で甲路に直結した側溝の水と美容院店内の排水口から逆流した水とが店内に入り始める。また、比較的地盤の低い⑪小辻、⑫中村、⑬六山、⑭横枕、③西脇方および宮城方工場(と②の間)あたりでは、下水管或いは側溝から逆流した水が床下に浸水し始める。

午後一時頃 野崎参道中最も地盤の低い泉州銀行前道路で甲路水面がほぼ路面と同一となる。(当審吉村証言中これに反する部分はたやすく措信できない。)

午後二時頃  益田方から安田方前を通りアカカベ薬局に通ずる道路の低いところで側溝が満水となつて、道路がいくらか冠水。宮城方で徐徐に床下へ浸水始まる。

午後三時過頃  高橋方裏の下水が一杯となる。益田方で床下浸水始まる。東田方で浸水の危険を感じ、土のうを積んでポンプ排水を試みる。

午後四時頃 野崎一丁目、二、三、四番地(図(一)の(2)(3)(4))から野崎参道上の深いところでは膝ぐらいまで冠水。北条一丁目一番地(前同(1))の田が遊水池状となる。

午後五時頃 野崎駅踏切西側で線路路肩面上三〇糎ぐらいにある警報機が冠水。宮城方で下水の水が吹き上げて来た。この頃までに⑪小辻、⑫中村、⑬六山、⑭横枕方で床上浸水に達し、野崎参道上東和建設前あたりで、長靴でようやく歩ける状態となる。

午後七時頃  野村方(比較的地盤が高い)で玄関がちよつと浸水。東和建設前では長さ三〇糎の長靴では歩行困難となる。

午後七時半頃 ④尾崎方で床上浸水に達す。

午後八時頃  野村方で床下浸水が始まり、野崎参道上は太股の中間ぐらいにまで達した。

午後一〇時頃  高橋方で床上浸水に達す。

午後一一時頃  野村方で床上浸水に達す。

(2) その後浸水位は次第に上昇し、一三日午前三時頃ピークに達した(この点被控訴人らと控訴人国・府間に争いはない)が、同日午後から雨が止んだためか幾分減水したものの余り変化はなく、一四日朝から控訴人市によるポンプ排水によつてやつと減水し始め、野村方あたりでは、午後四時頃に床下から引いたけれども、完全に引水するまでには、一六日を待たねばならないところもあつた。

四その総合判断

前記一ないし三に認定の各自の浸水位、浸水時間と降雨状況(それは被控訴人ら居住地域においても、それほど大きくは異ならないものと認める)および浸水経過を、被控訴人ら被災家屋の所在(図(一)参照)に照合して総合判断すると、比較的浸水位が高く、且つ床上浸水時間も長い⑪小辻、⑫中村、⑬六山、⑭横枕、③西脇方などでは一二日午後三時頃から一四日の夜半ないし一五日の夜まで、宮本、中村、後藤、里、橋爪ら野崎参道北側西寄りの地域一帯では、一二日の夜半遅くから、その余の大部分では一二日の午後八時前後からいずれも一四日の午後から夕刻にかけてであつたと推認できる。なお<証拠>によれば被控訴人ら居住地域の浸水最高位はop4.47であつたと認められるから、これから逆算して、被控訴人ら被災家屋の床高は各別表Ⅰの該当欄記載のとおりと推定できる。

第二本件水害の原因

一当事者らの主張

被控訴人らは本件浸水は谷田川野崎駅前の未改修部分、とくにC点附近からの溢水(以下その未改修部分全域からの溢水を含めてC点溢水という)と、本件水路の不疎通等(ポンプの設備がなかつたことも含めているので「等」という)とによつてもたらされるものであると主張し、控訴人国・府は、これを内水滞水とa、e点における溢水の国道越流水とであつて、c点溢水はなく、あつても全湛水量の一割にも満たないもので影響を及ぼすに足りないと主張し、また控訴人市は、右内水滞水等とc点溢水の量が本件水路の疎通能力を超えたもので責任はないと主張している。

二事実の検討

そこで本件において控訴人らの責任の有無を判断するについては、後にも詳述するとおり、本件浸水をもたらした被控訴人ら居住地域の湛水を構成する水が、控訴人らのいわゆる内水等であるのか、c点溢水であるのかが、その究明すべき事実問題の大前提となるので、まず始めに、右主張される湛水の要因事実がそれぞれ存在していたかどうかを検討する。

(一) 谷田川の概況ならびに野崎駅前未改修個所の状況

1 谷田川の概況

左記事実は被控訴人らと控訴人国・府との間には争はなく、控控訴人市との間でも弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。

(1) 谷田川は標高257.2米の桜池を源とし、生駒山系飯盛山附近の水を集めて急峻な山地を流下し、国道一七〇号線下を暗渠で抜け(その出口が本訴でa点と呼ばれるところ)、その後は急速に流れを緩め、西へ約三〇〇米流れて南転し、国鉄片町線に沿つて約八五〇米南進した後西へ折れ、同所から約一、二五〇米の大東市深野一丁目で寝屋川に注ぎ込む寝屋川水系の一支川であつて、a点から寝屋川合流点までは全長約二粁で、その流域面積はa点上流で0.846平方粁、全体でも3.94平方粁程度の小河川であり、天井川である。(以上図(二)参照)

(2) 谷田川は、昭和四〇年四月一日に久作橋から寝屋川合流点までが、昭和四一年四月一日にa点から久作橋上流端までが、それぞれ一級河川に指定されているが、本件水害時までに、これに伴い樹立された改修計画に基づく改修工事として、昭和四二年までに久作橋の上流約一一〇米の地点から上流へ四一八米の区間につき、昭和四四年に同橋下流二一五米の地点から下流へ一四六米の区間につき、それぞれ上底幅7.99ないし8.44米、底幅六米、高さ3.32ないし4.07米、勾配五〇分の一として完了していたが、これに狭まれた国鉄野崎駅前約三二五米の区間は未改修のままであつた。(以下ここを本件未改修部分という。)

2 本件未改修部分の状況

<証拠>を総合すると、本件未改修部分は、その最上流端から下流へかけて徐徐に川幅が狭くなつて行き、久作橋上流約二〇米のところ(本訴でc点とされているところ)では、上底幅約1.8米、堤防高1.15米ないし1.2米と急縮し、ほとんどそのままの状態で下流の改修完了部分まで続いており、堤防天端高においては、上流側改修完了部分の最下流端と、未改修部分の上流側端とでは約1.313米の差が存した。そして、右河川上に跨つて、c点から久作橋までの間に二戸、久作橋の下流に七戸の家屋が存在し、それらの家屋の桁が堤防高より低く河道断面に食い込んでいたり、家屋下を水道管が通過したりしていた。

(二) c点・溢水事実

<証拠>を総合すると、一一日午前七時頃、久作橋下において橋と水面との間は一〇糎位の間隙があつたが、午前八時頃になつてc点附近から若干の溢水がみられ、これが幅一米ぐらいの流れとなつて甲路へ流れ込んでいたこと、一二日はc点附近では午前六時頃増水し出して、午前九時頃から溢水が始まり、その強弱は別として、同所での溢水は終日続き、またc点下流の未改修個所の河川上家屋のすき間からも溢水していたことが認められる。

控訴人国・府は、後記水理解析・実験の結果と、<証拠>中にc点溢水状況を撮影した写真のないことを挙げて、一二日の正午過から午後三時頃まで、とくに午後二時前後の溢水事実を強く否定するが、右解析・実験結果が直ちに客観的事実そのままを反映すると認めるには疑問のあること後記のとおりであり、また<証拠>中にその写真のない点も、<証拠>に照らし必ずしも、その頃溢水がなかつたことの決め手となり得るものではなく、かえつて、<証拠>によると、同人は午後二時頃C点に来て河川上家屋の基礎にゴミが引つかかつて水が泡立つような形で溢水しているのを見て、ゴミを取り除いたが、それでも溢水は止らなつたというのであつて、右控訴人らの主張はたやすく採用し難い。

(三) 内水滞水現象――併せて本件水路の排水力――

1 被控訴人ら居住地域の地理的状況

<証拠>を総合すると、谷田川流域の様相は前記(一)認定のほか、添付(二)図面に示される様に六つの流域に分割されていて、被控訴人ら居住地域が含まれるA4流域は、国道一七〇号線の西側において東を同国道、北と西を谷田川(天井川であるからその堤防)に囲まれ、南はA6流域との境をなす甲路の南約一〇〇米の道路附近(南水路が暗渠となるところ)がやや高くなつている窪地であつて、その中を甲、乙、丙路が貫流しており、甲路沿い野崎参道の中ほど、泉州銀行あたりが一番地盤が低く、要するに被控訴人ら居住地域を中心に、すり鉢状になつていること、被控訴人ら居住地域は以前は深野新田(注)の一部で水田であつたところ、昭和三二年頃からぼつぼつ宅地化が進められ、昭和三六年頃には甲路沿いの一部と野崎駅前の一部に住宅が建ち並び、昭和四二年頃には、ほぼ現状に近い附近一帯の市街化が形成されていたことが認められ、これに反する証拠はない。

(注) 深野新田とは西が寝屋川、南が鍋田川、北が権現川、東が国鉄片町線を東へ越えて野崎駅から二五〇米位までの広い地域一帯の水田帯をいい、A4流域中では甲、乙水路の集水域が入る。

2 内水帯水の一般的要因

<証拠>によると、一般的に内水滞水の発生は天井川若しくは自然的地形に囲まれた扇状地あるいは台地と自然提防から成つている後背湿地であるところに多いが、近年では、かかる自然的地形に加え、都市化に伴う人口増、農地潰廃、農業構造の変化、道路・用排水施設の拡張等がその促進要因として微妙な影響を及ぼしていることが専門家の指摘するところである。そして、<証拠>によれば、本件地域を含め、寝屋川水系の多くは、もともと低湿地で内水滞水を起しやすい地形であるところ、<証拠>によると、東大阪地域は急速に市街化が進行し、人口は昭和三〇年から昭和四五年の間に六五万人から一七〇万人に急増する一方、昭和三二年に約一万ヘクタールあつた農地が昭和四五年に約三分の一に激減するとともに、都市用水不足による地下水の汲み上げの影響が平野部全域に亘る地盤沈下を呼び、昭和三九年から昭和四七年の間に大東市内でも一米を越すほどの沈下が生じていることが認められる。

3 被控訴人ら居住地域の排水機構

ところで、被控訴人ら居住地域の内水を排水する役目をなしているものが本件水路を措いて他にないところ、<証拠>を総合すると、本件水害当時の本件水路の排水機能は次のとおりであつたことが認められる。

(1) 甲路

甲路は図(二)のとおり野崎参道沿いに谷田川に突き当り、谷田川と国鉄線路を暗渠でくぐり(以下ここの暗渠部を便宜甲路サイホン管部と呼称する(注)。)、西側へ出て七〇〇米で南へ折れ、四〇〇米で谷田川に通じているが、もともとその西側の谷田川合流点から前記深野新田への灌漑用の取水路としての用を果していたもので、その勾配はほとんど水平であつて、取水の際は、谷田川合流点の落し込みを開き、寝屋川鴻池の樋門を閉めて寝屋川の水を逆流させていたものであるが、前記1認定のように被控訴人ら居住地域の市街化が進み、農地が減少して以来、右農業用水路としての使用は自然に止み、逆に生活排水や雨水の排水路として利用されるようになつた。そして、通常の雨水や生活排水はその自然水圧によつて、被控訴人ら居住地域から逆に流れ出して行く仕組みになつていたが、かねてからゴミや土砂が堆積して疎通が悪く、住民の改修の要望も強く、ちよつとの大雨でもなかなか水が引かない状態であつた。本件水害時においても、東和建設前に埋設されていた直径八〇〇粍のヒユーム管の内径半分位に土砂がつまつていたほか、野崎参道沿いの部分は全般に土砂やゴミが堆積し、サイホン管部の通りも余りよくはなかつた。

(注) 本訴においてはこの暗渠部分を原審以来当事者らはサイホン管部或はサイホン部と呼び、原判決事実摘示においてもサイホン現象をなしていたことにつき、被控訴人らと控訴人市間では争いがないものとされている。しかし、<証拠>を総合すると、そこが真にサイホン状になつていたのかどうかは必ずしも明確ではないので、当裁判所は以下の認定判断において右原審におけるサイホン現象であることの陳述の一致に捉われずに判断を進めていく(この点は単なる間接事実であつて、自白としての拘束はないものと考える)。ただ、当事者らもそのように呼称しているので、以下の説示においても、この個所を指すときに、便宜甲路サイホン管部と呼称する。

(2) 乙路

乙路と谷田川は合流していなかつたから、乙路の排水機能は零であつた(この点は、控訴人市においても争いがない)。

(3) 丙路

丙路は谷田川に合流していたが、その合流点附近には土砂が堆積し、その疎通能力は十分でなかつた。

4 総合判断

右1、2によれば被控訴人ら居住地域を含むA4流域は典型的な内水滞水を起しやすい自然的・社会的条件が備わつているところ、その内水の排水機能が右3のとおり極めて低く、且つ甲路が相当程度まで疎通能力を有していたとしても、後記のとおり本件水害時には寝屋川水位の上昇がみられ、これによる甲路の排水能力が制限されることも当然に考えなければならないから、本件七月豪雨時において、ここに内水滞水現象が発生したであろうことは優に推認でき、その限りでは(湛水量のほとんどが内水滞水によるとの点をしばらく措けば)、控訴人らの主張はにわかに排斥することができない。

(四) 国道越流水の存否

<証拠>を総合すると、一二日から一三日にかけて、a、e点からそれぞれ溢水があり、a点のそれは一二日午前一〇時から正午頃までと、一三日午前零時から七時頃までとであつて、前者の最盛時には、半長靴の半分がつかるぐらいの、後者のそれは午前七時頃において長靴の甲がつかる程度の水が国道上を越流していたこと、一二日夜半以降一三日早朝までの間にab間でa点より七〇米ぐらいのところで堤防の小決潰があつたことが認められる。

三内、外水の割合究明の必要性

右二に認定および判断したところによれば、本件水害をもたらした被控訴人ら居住地域の湛水は、c点溢水の水(以下この項中便宜これを外水という)と、控訴人国・府のいわゆる内水滞水による水(国道越流水を含む。以下この項中便宜これを内水という)との両者から構成されていることは明らかであるが、当事者らの前記一の主張に応えるためには、さらに、右湛水量中に占める内、外水の割合を究明する必要がある。左にその理由を説示する。

(一) 被害原因としての内、外水の関係の見方

前記のように、本件水害、即ち本件湛水の発生には、内水滞水とc点溢水(外水)とがその原因をなすとともに、本件水路の不疎通等もこれに寄与していると主張されているのであるが、この場合、右外水原因であるc点溢水および本件水路の不疎通等を、それぞれ仮に管理の瑕疵と捉えるときには(この項では、右管理の瑕疵の存在を仮定的に肯定した上で考察する。そうでないと考察の基盤が失われてしまうからである)、右内水は、いわゆる外力ないし自然力としてその結果に寄与したものと捉えることができる(後注参照)が、かように、ある被害の発生に営造物の設置・管理の瑕疵(以下この項中単に瑕疵という)と外力(自然力)とが共に寄与すると考えられる場合、その外力(自然力)が加わつたことによつて、管理責任が免除または軽減されるかどうか、また、数個の瑕疵が寄与したことによつて、その責任が分散されるのか否かということは、その瑕疵と被害結果との因果関係ないしはいわゆる不可抗力の問題、または数個の瑕疵間の共同不法行為の成否の問題として常に検討を要するところであり、いささかでも瑕疵が原因となつている以上、その管理責任が常に全損害に及ぶものとは単純に言い切れず、① 各原因が競合して一つの被害結果を発生させている場合と、② 各原因が併存して全体としての被害結果を拡大させている場合とで、その責任の問われ方に差異があるものとしなければならない。

(注) 右内水をいわゆる外力(自然力)寄与の観点で捉えることには、本件の主張・立証中しばしば本件水害がいわゆる都市水害であるとの観点から、本件水害の基盤的要因として、国および地方公共団体の一般的な都市政策およびこれに伴うべき治水行政の貧困と怠慢に弁論を及ぼし、具体的には谷田川水源域に影響を及ぼすサーキツト場やその上流附近の宅地乱開発の放置・池の埋め立て等を指摘して来た被控訴人らとしては異論があるかも知れない(とくに別紙五の序論の二)。たしかに、右被控訴人らの指摘する事柄の中には、少くとも物理的には本件内水滞水発生の原因の一翼を担つているのではないかとみられるものもなくはない。そうだとすると、内水即外力自然力)との把握に問題が指摘されそうであるが、他方本件弁論の全趣旨に徴するとき、被控訴人らは、自ら「被控訴人らは本訴においてc点附近未改修部分の放置を公の営造物の瑕疵であると主張しているのであつて、谷田川全体や、まして国・府の治水行政そのものを瑕疵として追及しているのではない」(別紙五第三の一(六)および当審第二回準備書面第一の四)とまで明言している位であつて、右内水発生原因に、仮りに控訴人らの責任原因となるべき人為的なものが介在しているとしても、本訴においては、直接その法律上の責任を問うものではない姿勢を示している以上(もつとも、その点を本件地域が都市水害を起しやすい地域であるとの観点から、問題の局所的瑕疵を管理の瑕疵と評価する上で援用することは別問題である)、内水は本件において、ひとまず外力(自然力)と把握すべきものである。

ところで右①の競合関係にある場合とは、結果の発生に対し各原因が連鎖して原因となり、相互に作用し合うことで始めて結果の発生をみる場合で、そのうちいずれかが一つが欠けても結果は発生しない場合、例えば、A廃液とB廃液とが流水中で混合又は化合することによつて、Cという有害な薬液となつて下流へ被害を及ぼすが如き場合である。かかる場合は、それが外力(自然力)と瑕疵とであれ、数個の瑕疵によつてであれ、各管理責任者は、その結果がいわゆる予見可能性の範囲にある限り、その結果全体につき、各自その責任を負担しなければならないのであつて(民法七一九条一項後段。昭和四三年四月二三日最高裁判所第三小法廷判決・民集二二巻四号九六四頁参照)、瑕疵は外力(自然力)の競合を不可抗力抗弁に使用できないし、それにより責任が免除または軽減されるものではない。本件においても、七月豪雨(自然力)も本件水害の原因たることは明らかであり、且つ七月豪雨がなければ、本件水害が発生していないことは見易い道理であるとともに、本件瑕疵がなければ、七月豪雨だけでは本件水害は発生しなかつたといえる場合には、七月豪雨という自然力と瑕疵とは競合関係に立つと把握されるから、控訴人らは、七月豪雨の自然力性をもつて責任の免除または軽減を唱えることはできない(その降雨の異常性が管理行為の予測範囲を超えたという観点から不可抗力を唱えるかどうかは別問題である)。けだし、営造物の設置・管理の瑕疵とは、それを自然力との関係でみるとき、予測し又は予測すべかりし範囲の自然力の到来に耐え、これと競合して被害を発生せしめないような状態に置いていなかつたことをいうのであつて、自然力の大きさがその予測範囲を越えたことを不可抗力というとしても、その場合は加わつた自然力が、それに耐えることを義務付けられた範囲を上廻つたに過ぎず、設置・管理に瑕疵はなかつたことになるのであつて、設置・管理に瑕疵はあるが、自然力が競合したから責任が免除または軽減されるという考方は採り得ないのである。

次に前記②の併存関係にある場合とは、結果の発生につき、各原因がその部分部分と個個に因果関係を持つが故に、一つの原因が欠けても、他の原因だけでも被害の一部または全部が生じ、その逆も可なる場合であつて、例えば甲所有地内に隣接乙、丙の各所有立木の落葉が堆積し、甲が乙丙に対しその除去費用を損害として請求することが可能な場合の如きである。このように併存関係にある場合は、被害結果が部分的若しくは数量的に分割(観念的分割を排除しない)して把握し得る場合であるから、各起因者は、自己の責任(営造物の管理者はその営造物の瑕疵)から生じた部分についてのみ、その責任を、割合的に負担すればよいのであつて、民法七一九条一項の適用はなく、その原因の一が外力(自然力)であつても、そのことに差異はない。先の落葉の例でいえば、甲からその除去費用を請求された乙丙は、各自の立木の落葉量の割合に応じてこれを負担すればよく、共同不法行為関係には入らないし、無主の野生立木の落葉が混合しているときも、全落葉量中の各自の立木の落葉量に応ずる割合で負担するをもつて足りるものと解する。

(二) 本件における適用――その特殊性――

上記区別に則して観察すると、本件水害につき、七月豪雨そのものは自然力であつても、c点溢水や本件水路の不疎通等とは上記競合関係に立つから、控訴人らはこれを、上記厳格な意義での不可抗力の主張としては格別、ただ自然力の競合として、その責任の免除、軽減を唱えることはできないが、本件湛水につき、内、外水の関係は、物理的にはあくまで併存関係にあるものとして把握せざるを得ない――内水滞水とc点溢水とは、原因的に競合するものでなく、相互に一方だけでも湛水を生ぜしめ得ると同時に、その総湛水量は、双方の原因から発生したそれぞれの湛水の単純な累加量である――から、c点溢水の瑕疵責任を問われる控訴人国・府は、本件水害にc点溢水量が寄与した範囲で責任を分担するをもつて足るわけであるが、本件においては、この原則で律し切れない一つの問題点が存する。

それは、被控訴人らが本件水害によつて被つた損害を、その家庭生活利益の総合的侵害による損害と主張(包括一律請求)している点である。しかして、その主張するような損害は、本件浸水被害が「七月一二日午後から一四日正午頃までの間、床上三〇ないし七〇糎に及んだ」(請求原因一)ことによつて始めて生ずるわけであるから、弁論の全趣旨によりこれを解釈すれば、被控訴人らは、右家庭生活利益の侵害との関係においては、本件水害が、その規模・態様において左様に「長時間床上浸水」の結果に至つたことに、その被害としての特別の意味合いを持たせた主張をなすものと解することができるのである。ところで、前記第一の一に認定した被害結果に着目すれば、被控訴人らのそのような被害の把握は、これをたやすく排斥し難いものと考える。そうだとすると、その場合の被害は、平たくいえば、単に5+5で被害が10となつたというだけではなく、10となつたこと、或は10に達したことに被害としての独立の意味が付されるのであるから、本件の場合も、c点溢水が被控訴人らの右損害の発生に及ぼす影響も、それが加わらなかつたら、長時間床上浸水の結果を生ぜしめないで済んだものかどうか、逆にいえば、内水滞水だけでも長時間床上浸水の結果を生ぜしめ、c点溢水は、その度合いを拡大する要因としてのみ働いたものかどうかを吟味し、c点溢水があつたことによつて長時間床上浸水となつた(内水滞水だけでは、そうはならなかつた)と認められる場合は、前記損害の発生に対し、これを競合関係として把握すべきこととなると思うのである。

(三) 本件におけるる内、外水の割合究明の必要性とその方法

1 必要性について

以上の次第であるから、c点溢水の瑕疵責任を問おうとする控訴人国・府との関係においては、まず因果関係の問題として、本件湛水中の内、外水の割合をできるだけ厳密に究明しておく必要が生ずる。すなわち、上記(二)のとおり内・外水が合わさつて「長時間床上浸水」域に達したと認められる場合なのか、内水だけで充分に「長時間床上浸水」域に達し、外水はただその被害程度を拡大したに過ぎないのかは、本件家庭生活利益の侵害による損害に対する控訴人国・府の責任範囲を判別する上でも欠くことのできない問題であるから、できるだけこれを明確にする必要が存するのである。

また、控訴人市との関係においては、本件水路の不疎通等とc点溢水、内水滞水とはともに本件湛水に対し競合関係に立ち、因果関係の問題としてはその必要をみないものの、控訴人市の主張には外水が非常に多かつたため、内水だけのときに比べ、本件水路の排水能力の予測範囲を上廻つたとの主張が含まれるので、やはり外水量如何は、その溢水状況とともに究明を必要とする事柄となつてくるのである。

2 方法――その立証責任との関係において――

このように、内、外水の割合究明は、控訴人らの責任の存否およびその範囲の確定上不可欠の要素であるところ、瑕疵と被害結果との因果関係の立証責任はあくまで被害者たる被控訴人らに存するのであるから、本件においても、前記因果関係の問題として、その究明を迫られる控訴人国・府との関係においては前記「長時間床上浸水」の被害結果に対し、外水が競合関係にあること、即ち、それだけで、またはそれが加わることによつて右被害域に達したこと(逆にいえば内水だけでは、右被害域に達しなかつたこと)の立証責任を被控訴人らが負担し、その反証責任として、控訴人国・府が、外水がその被害域に達しなかつたこと(逆にいえば内水がそれだけ多かつたこと)の証明責任を負い、その結果、外水が「長時間床上浸水」に対し併存関係において捉えられた場合にも、その中での外水の寄与度の多寡については被控訴人らがそのより大であることの立証責任を負い、控訴人国・府はその反証責任として、そのより少であることの証明責任を負担するものと解すべきである。従つてそれはいずれにせよ、具体的には湛水量中の内、外水の割合を求めることに還元される(競合関係にあるかどうかも、これを把握して始めて分ることである)ところ、そのことは、事の性質上極めて困難であり、被控訴人らにきびしい立証上の負担を負わせることとなるのではあるが、前記因果関係立証責任の原則上止むを得ないことであり、そこにたやすく民法七一九条一項後段を準用ないし類推適用としてその立証責任の軽減ないし転換を図ることはできない。

これに対し、前記のように外力(c点溢水)が予測範囲を超えたかどうかの問題としての究明を要する控訴人市との関係においては、その不可抗力であつたこと、即ち外水がより多量であつたことの立証責任は控訴人市が負担すべきである。従つて、その方向においては被控訴人の立証利益と控訴人市のそれとは一部一致するものを含んでいる。

しかし乍ら、本件において右内、外水の割合につき、これを客観的実体と合致する数量上の把握を遂げることは極めて困難であり、むしろ不可能に近いわけである。だからといつて、その外水の混入が物理的にも零であり得ない以上、これをその挙証責任負担者の全部的不利益に帰してよい訳のものではなく、裁判所としては、一応一〇〇%が外水であることを指向しようとする被控訴人らの挙証(控訴人市の挙証もその方向においては一致している)と、これに対する反証の有無およびその証拠価値を検討して、被控訴人らの挙証が減殺されたかどうかを自由心証に基づく総合的な判断において決するのほかはないのである。

四内、外水の割合に関する証拠の分析と検討

内、外水の割合の判定に関係のある証拠(資料)としては、(1)c点溢水事実を目撃した証人、本人の供述、(2)控訴人国・府の水理解析・実験、(3)原審での被控訴人らの水理計算、(4)原審証人木村春彦の証言を挙げることができる。以下逐次検討を加える。

(一) c点溢水の目撃証拠等

前記二の(二)掲記の各証拠に示されたc点溢水の状況は、前記本人益田の当審供述のほか、これを経時的にひろつてみると次のとおりである。

(1) 一一日午前七時四五分頃「艮方北側の柳の附近」から溢水し、幅一米程度の水流となつて甲路に流れ込んでいた旨の原審尾崎証言。

(2) 一二日午前九時頃、訴外滝川(④尾崎の隣)の主人が夜勤帰りにc点からの溢水が甲路に流入しているのを現認した旨の本人浅野の原審伝聞供述。

(3) 同日午前九時頃、野崎駅前附近の一般市民から、大東市水防本部に「つかりそうだから何とかしてほしい」との電話があつた旨の原審植村証言。

(4) 同日午前一〇時頃、c点から大量の水が溢水して甲路に流入しており、その頃水防団員がc点から甲路に向つて参道を横切つて土のうを積み、溢水を甲路に流し込もうとしていたので、c点を塞ぐように土のうを積むことを交渉したが、団員らは川の上の家が流れるといつて、これに応じなかつた旨の原審尾崎証言。

(5) 同日午前一一時頃、久作橋の上流からあふれた水が甲路へだあつと流れているのを現認し、また川の上へ土のうを積め、積まんと言い争つていたのを見聞した旨の本人小辻の原審供述。

(6) 同日正午少し前頃、丙第一、二号証(c点溢水が甲路方向へ流れて行く状況を久作橋側から撮影した写真)を撮影した旨の当審吉村証言。

(7) 同日正午頃、勤務先に妻から「c点からの溢水のため皆が土のうを運んでいるので、早く帰宅して欲しい」との電話があつた旨の本人野村の原審供述。

(8) 同日午後二時頃、その催促の電話で溢水が激しく大変だと聞いた旨の前同人の同供述。

(9) 同日午後三時頃、右を承けて帰宅の途中、c点から甲路へ深さ一五糎位の流れとなつて流入しているのを目撃した旨の前同人の同供述。

(10) 同日午後五時頃、野崎駅北側踏切の警報機が鳴りつぱなしとなつた(冠水したことを告げるもの)ため見に行くと、久作橋上流の谷田川の水が線路の方へと道を越えて溢水し、久作橋上を半長靴に水が入るか入らないかの深さで流れていた旨の原審池田証言。

(11) その頃、帰宅途中c点溢水と、右岸にあふれた水が久作橋を伝つて参道を東へ流れるのを確認した旨の本人浅野の原審供述。

(12) 同日夕方、大東市の高比良建設部長の見分によれば、「水がたくさん流れておつてポンプが使えない状態であつた」旨の原審植村伝聞証言。

(13) 同日午後五時頃、c点溢水が続いており、右岸へも溢水した水が久作橋を伝つて東側へと流入していた旨の本人野村の原審供述。

(14) 同日午後七時頃、c点では勢よく溢水していた旨の前同人の同供述。

(15) 同日午後一一時半頃久作橋すぐ上流の家の北側部分から溢水していたのを見た旨の原審山田証言。

しかし乍ら、右はいずれも具体的にc点溢水量をそれ自体で把握できるものではない。そうして、それぞれが一時的な目撃であり、かなり多量の溢水であつたと思わしめる証言や供述も少くないが、前記第一の二、に認定の降雨状況に照らせば、溢水にも時間的にかなりの強弱の波が生じたであろうことは推認するに難くなく、そのいずれもが体験事実の証言や供述(一部伝聞)ではあるけれども、何といつても、当事者本人やこれを支持する地域住民のそれであつててみれば、そこに表現上の誇張が全くないとは保証し難く、他に何らの反証がない場合は格別、曲りなりにも控訴人国・府の水理解析・実験の提出があり、且つ前記二の(三)の認定のとおり、相当の内水滞水現象の可能性が認められた本件において、これら目撃証言等を継ぎ合わせただけで、本件溢水の主たる原因がc点溢水にあると認定することはたやすくなし得ず、更に他の証拠の証明力も充分に検討しなければならない。

(二) 控訴人国・府の水理解析・実験について

控訴人国・府は原審においても水理計算を援用した(原判決別紙二)。しかし、当審においては、そのかなり重要な部分すなわちa点における分流計算を放棄して、他の部分も修正補足し、さらに原審ではしていなかつた実験を加えて、新たなものとしてこれを提出・援用するので、当裁判所も、その検討はこの当審で提出された解析・実験を主たる対象とし、原審のそれ(その説明に関する原審上山証言を含む)は、当審解析の理解のための補助資料として参照した。よつて以下解析・実験という場合は当審のそれを指す。

さて、解析・実験の方法・手順およびその結果は、<証拠>を総合すると、左記1、2のとおりであり、これに対する当事者の意見および当裁判所の見解は3、4のとおりである。

1 方法と手順

解析・実験は、本件水害時における被控訴人ら居住地域の湛水中、内水滞水の量と、c点溢水量とを推計しようとの目的からなされたものであつて、その手法の大要は、(1) 本件水害時の谷田川流域の降雨状況と、(2) 同流域における雨水の流出特性ならびに谷田川ab点間および南津の辺水路の流下能力とを把握し、(3) 右(1)と(2)から水理解析によつてc点到達流量を推計し、(4) これをc点附近を五分の一に縮尺した模型実験装置にその縮尺換算率によつて調整した水流として流し、且つ寝屋川本川水位の影響から逆推されるc点下流での下流端水位の影響をも与える実験によつて把握した模型上のc点溢水量を実物大に逆換算したものをc点溢水量となし、他方(5) 前記(1)と(2)のA4流域の流出特性とから得られる内水域の湛水量を推計しようとするものであり、その具体的手法は次のとおりである。

(1) 雨量については、大阪府下周辺一〇個所、即ち枚方、氷野ポンプ場、寝屋川市、寝屋川水系工営所、大阪管区気象台、生駒、枚岡、八尾、河内長野での各観測結果からみて、東部大阪地域における九日から一三日にかけての降雨状況のパターンが共通しているとみられること、山地部と平地部で差異のないこと、谷田川流域に近い氷野ポンプ場、門真市、寝屋川市と枚方出張所の記録が同じパターンを示しているので、谷田川流域の降雨もこれと同じと推定し、その中から、一〇分間雨量が読み取れる双方の観測結果(乙第六号証)を採用している。

(2) 谷田川流域の流出特性の把握については、いわゆる等価粗度法(特性曲線法ともいう)が用いられている。これは降雨中の洪水流出、とくに表面流出を斜道および河道における雨水の流れとして把握し、水理学的に追跡する方法であつて、実際河川の流域を、河道や地形・勾配の急変個所や合流点などで、各ブロツクの地理的特徴が一様になるように分割し、その各単位毎に左右流域面、左右斜面長、河道長または池面積を査定してこれを四辺形状に置き換え、各ブロツク毎の粗度(流れを規制する抵抗の強さ、つまり流れにくさの指標をいい、一様な斜面の粗度を等価粗度という)を定めた流域モデルを作定し、これに実際降雨量を与えて、流域の下流端における流量の時間的変化を、別表Ⅲの(一)に示す基礎式により求められる流量―時間曲線(ハイドログラフ)に表わして、流出状況を把握しようとするものである。

本解析においては、右流域モデルの作成は、昭和四六年度作成の縮尺二五〇〇分の一の地形図(乙第二〇号証)を、昭和五一年八月に行つた山地部分の一部、A4流域と南津の辺の踏査結果に基づき、a点上流(A1A2A3流域)を六五ブロツクに、南津の辺水路を一四ブロツクに、野崎中川流域を二六ブロツクに、甲水路を二ブロツクに、乙水路を一ブロツクに、丙水路を一一ブロツクに、南水路を七ブロツクにそれぞれ分割し、各ブロツクをその中央流路を狭んだ左右をそれぞれ平行四辺形にモデル化し、等価粗度は、谷田川の近傍類似河川である音川における昭和五〇年八月六日、七日および同年九月二三日の両洪水時における雨量、水位、流量および、昭和五一年一七号台風時の雨量水位と、南津の辺水路における一七号台風時の雨量、水位の各観側(水文観測)から推算した結果が、関西地方の一般的統計値のほぼ中間値であつたので、右統計値である山林0.9、畑地0.4、市街地0.3、河道0.03を採用した。

次にこれに与える雨量は、前記枚方の一〇分間降雨量計測値を用いるわけであるが、その際損失雨量(樹木による遮断・地表の凹部貯留、土地への浸入等により地表面に流出しない雨水の量)も、本件流域に近似するものとして、谷田川の近傍類似河川である音川および南津の辺水路における前記各水文観測の結果から作成された損失雨量曲線を適用している。

(3) c点到達流量については、ひとまずハイドログラフによつてA1A2A3流域の流出量と南津の辺の流出量が求められるのであるが、①谷田川ab間の流下量と、②南津の辺水路からの流入量との和という見方をとり、①については、同区間で一九地点をとり、その水害時の河床高、左右堤防高による各断面につき、粗度係数を0.040、0.035、0.030と仮定して、その各各に流量を毎秒2.0、1、0.5各立方米を与えた不等流計算(断面が一様でない流れの流量計算)を行つた結果、その中流部左岸において粗度係数の如何に拘らず流量毎秒二立方米の場合は溢水し、一立方米の場合は溢水しないこととなること、および断面最小部のNo.9地点(左岸堤防高op10.7)において粗度係数0.03として毎秒1.6立方米しか流下し得ないこととなることから、同区間の流下能力(最大流下量)を毎秒1.6立方米と推定し、②については、谷田川合流点から一六〇米上流までの九地点で、粗度係数0.3として前同様の計算によりNo.8地点(op4.65)において流量毎秒0.6立方米を超えると溢水することとなることから、その流下能力(最大流下量)を毎秒0.6立方米と推定し、右①と②の合計流量2.2立方米であることから、さきのハイドログラフを修正したc点到達流量グラフを作成している。

なお、a点上流部の流下能力も併せて計算し、a点上流一九六米までの二六地点につき、前同様に粗度係数0.035で流量毎秒0.5立方米から3立方米までに変化させた場合と、粗度係数を0.035、0.030、0.025で流量を毎秒一立方米とした場合との不等流計算を行つて、粗度係数0.03としても、流下能力(最大流下量)は毎秒一立方米未満となるとしている。

(4) 模型実験については、

① 模型と実物との幾何学的相以条件の下で力学的相似条件を合わせるべく、幾何学的相似条件については歪なし(歪度一)に、力学的相似条件についてはフルード数を一致させる(重力と慣性力の比を一致させる)こととし、河床変動に対しては、河床面の相似条件に関し、砂の移動現象は帰流形式を主体として近似的に無元掃流力を合わせるものとし、河床材料の粒径は、比重が同じになるように幾何学的相似の条件を適用し、河床変動の時間縮尺の相似性については佐藤・吉川・芦田公式(流砂量公式の一)を適用して河床流砂の連続条件から導かれる結果を用いた。以上の相似法則のもとに算出される換算縮率・縮尺値は別表Ⅲの(二)のとおりである。

② 模型作成の範囲は、河道部をc点附近より上流へ六〇米、下流へ一六〇米程度、堤内地部を約八〇米、堤内地幅をc点左岸より二〇米にとり、久作橋とNo.17〜19附近に河川上家屋および野崎参道を再現した。

③ 河床材料(砂)は、現地砂の粒度分布が粒径では場所によつて幅があるが、分布形態は類似しているので、平均粒径約三粍、平均比重約2.67、間隙率三八%とみて、実験砂は平均粒径0.6粍(0.1耗なし1.5耗)、比重2.70としている。

④ 初期河床状況は、甲第一号証により土砂痕跡が実測された部分(断面No.19ないし25)についてはその河床高を、これのない部分については検乙第一号証によつて控訴人国・府主張の河床高を採用している。

⑤ 寝屋川水位の影響については、昭和四七年の改修工事に用いられた昭和四五年度作成図を基に、河道断面を二〇米間隙で読み取つて合流点より不等流計算を行つて、下流端水位を決定している。

以上の①ないし⑤の条件の下に、当初次の七通りの実験を行つたが、これに対する被控訴人らの反論に応えて、後記追加実験が行われた。右当初実験の七通りの目的・条件は次のとおりである。

ケースⅠ

目的 c点附近における河床変動を含む流れの一般的特性、すなわち断面変化、家屋、橋梁等の連続が河床変化に及ぼす影響と、これによるc点附近の流水の状況の変化およびこれらに及ぼす寝屋川本川水位の影響を定性的に明らかにする。

条件 (その1) 寝屋川水位をop4.0とし、流量毎秒1.5立方米を五時間(実験時間一一時間)継続。

(その2) 寝屋川水位をop3.6とした他その1に同じ。

ケースⅡ

目的 c点溢水量の最大限(a点やa点上流、南津の辺で溢水せず、全てc点へ到達すると仮定した場合)を明らかにする。

条件 初期河床、寝屋川水位をケースⅣと同じにして、前記(3)の無修正ハイドログラフを与える。

ケースⅢ

目的 寝屋川水位と溢水現象との関連性の把握。

条件 ケースⅡと同じで、寝屋川水位の影響を与えない。

ケースⅣ

目的 本件水害時のc点到達流量と寝屋川本川水位の影響を再現して、流下状況、水位、河床変動を解明する。

条件 初期河床条件を前記④のとおりとし、前記(3)の修正ハイドログラフを与えて、実際時間午後一〇時までとした。

ケースⅤ

目的 ケースⅢに同じ。

条件 ケースⅣと同じで、寝屋川水位をop3.4に固定する。

ケースⅥ

目的 寝屋川水位がC点附近の流水に及ぼす影響の解明。

条件 初期固定床を用い、寝屋川水位op2.5、3.4、3.6、3.8、4.0、4.2の6通り流量毎秒0.76、0.96、1.5、2.0、2.3、3.0各立方米の六通りの組合せ三六通り。

2 結果

(1) 当初実験結果

① ケースⅠ1では、通水二時間二〇分(模型一時間)後に、家屋下で約五〇糎の洗掘がみられ、溢水はその頃で毎秒0.07立方米、通水六時間四〇分(模型三時間)後で毎秒0.03立方米がみられ、通水一一時間(模型五時間)で止る。

② ケースⅠ2では、通水二時間二〇分後に六〇糎の洗掘がみられ、溢水現象はなく、水位の低下がみられた。

③ ケースⅣでは、溢水は午前八時頃極く僅かと、午前一一時過から正午までが約三〇〇立方米で、その後午後三時半頃までは中断し、その頃から寝屋川本川水位の上昇とともに再開継続して、午後八時頃の毎秒0.4立方米を最大として、午後九時四〇分までの総溢水量は三、六〇〇立方米となり、河床洗掘については、c点附近の家屋下および久作橋で洗掘が現われ、c点附近では午前一〇時三〇分頃には三〇糎、午後一時五五分に四〇糎、午後五時二〇分に五〇糎(家屋桁下七〇糎)に低下した。

④ ケースⅤでは、溢水は午前中はケースⅣとほぼ同じであるが、午後のピークが毎秒0.2立方米、溢水総量が六〇〇立方米と少く、河床洗掘についてはケースⅣとほぼ同じであつた。

⑤ ケースⅡでは、溢水は、午前中はケースⅣ、Ⅴと同じであるが、午後のピーク溢水量が毎秒0.76立方米、総溢水量五、〇〇〇立方米で、河川洗掘は、ケースⅣより大きく、午後からは非常に低下する。

⑥ ケースⅢでは、溢水総量は約一、七〇〇立方米で、河床洗掘はケースⅡと同じであつた。

⑦ ケースⅥでは、流量がいずれの場合でも、寝屋川本川水位がop3.64を越えるとc点附近の水位に大きな影響を及ぼすことが分つた。

(2) 追加実験結果

追加実験は、右当初実験結果に対する被控訴人らの反論(別紙五第二の三(一)1(2)および(三)2参照)に対応して、①模型の(a)c点急縮部の形状、(b―1)c点直下流家屋の床下形状、(b―2)久作橋直上流家屋の床下形状、(c)久作橋水道管の位置、(d)久作橋下流家屋、を昭和四七年八月の浚梁平面図に基きより実物に近づけ、②当初実験でアクリル板を使用したc点附近右岸側壁透明部(観察のために設けられたもの)の表面に接着剤を塗り砂を吹付け、③c点上流部河床の左右両端から各1.5米に植生を施し、④初期河床および勾配を一部修正し、⑤河床材料の粒径(模型値)を0.23耗として行つたケースⅣの再実験である。

その結果は、河床変動状況は、久作橋直下流では当初実験と同様であり、久作橋下流ではほぼ平担な河床形態を示し、初期河床が維持されるか若干堆積傾向を示し、河川上家屋の影響は、久作橋直上流の家屋だけが下流端水位のop四ぐらいから水面に接するか、その流水障害も上下水面差でみるかぎり極く僅かであり、他の家屋は一切水面につかず、c点附近の河床形状、家屋桁の張出し、開水路―管水路―開水路の遷移等に特微ずけられた局所洗掘形態も、その中間過程はさまざまであるが、寝居川op4.20の背水影響の以後はかなり小さくなり、河床勾配および河床材料の影響も大きいものではなく、結果的に午前中の溢水はなく、午後は三時三〇分頃に溢水が始まり、五時頃中断し、六時頃から寝屋川本川水位の上昇とともに再び溢水し、総溢水量は二、四〇〇立方米に減少したほどで、追加実験条件の変更は、いずれも支配的なものではないと結論している。

(3) 結果の総括

かくて、控訴人国・府はA4流域の内水湛水量は、別紙三第一の三(一)主張のとおりに計算できるから、これとc点溢水量を合わせた総湛水量・湛水位およびその割合は、別紙三第一の三(三)のとおりであることが証明されたと主張するのである。

3 これに対する被控訴人らの反論は別紙五第二の三のとおりであり、これに対する控訴人国・府の再反論は別紙三第一の四のとおりである。

4 当裁判所の見解

前記1認定の解析・実験の方法・手順に徴すれば、その手法が普遍的妥当性を有すること、およびその具体的条件が正確に客観的事実を把握したものであることとがともに保証されていなければ、その結果についての正確性が期し得ないことはいうまでもないところ、前者については、それに関し被控訴人らの指摘する問題点は、いずれも水理学上の専門的な智識を充分体得したうえでなければ容易に裁定し難いものであり、例えば後記(イ)ないし(ニ)のように、それに対する控訴人らの再反論も理由なしとしない部分もあるように思われ、その面からの検討はひとまず措くこととするが、後者については、事の性質上、被控訴人らの指摘はひとまず、理由あるものとしなければならない。もつとも、右後者の面での被控訴人らの指摘も個個の問題については、余りに事が細かいために、それによつて生ずる結果の狂いが、本当に全体としても有意的な数値差に顕現するものなのかどうかに確信を持てない面もあり、また全体としては、過不足が相互に相殺もしくは収斂してしまうのではないかと思われるものも少くないが、常識的にみても、その数値の把握や条件の設定に問題があつて、それが結果に影響を与えると思われる主なものは左のとおりである。

① 雨量につき、c点附近の溢水現象の経時的変化を把握するためには、短時間雨量が物を言うことは被控訴人ら指摘のとおりであるが、<証拠>によると、本件七月豪雨時のような雨では、かなり狭い地域地域で、また本件A1ないしA3流域のような山地部と、A4流域や南津の辺流域のような平地部とでは、短時間雨量に相違が生ずることが認められる(因みに<証拠>によつても、極く近い八尾土木と八尾空航の時間雨量は七月一一日の九時から一〇時の間および一二日の午前七時から八時の間で著しい開きがある)ので、まして一〇分間雨量となれば、枚方の雨そのものが谷田川流域にそのまま同等に降つたとはたやすく推認を許さない。

② 等価粗度法における流域分割とその各ブロツクの流域面積、河道長、斜面長の算出は地図の上での作業であるから、現地の流域構成を忠実に把握し難いとともに、多くの計測誤差をはらむものとしなければならない(その限りでは長方形モデル化か平行四辺形モデル化かは問うまでもない)。

③ ab間および南津の辺の流量計算に用いた測量図は昭和四八年五月の作成というのであるから、水害当時の河道相そのものであることの保証がない。

④ 実験に用いた河床材料(砂)と現地砂との相違も、洗掘現象との関係では無視し得ないと思われるし、被控訴人ら指摘のとおり、実際には生じていたであろうと思われるセメンティションの点も実験上考慮されていない。

⑤ 初期河床条件としてc点狭乍部附近の河床高および勾配のとり方において、前記のようにしたため、断面25から29へかけて著しい勾配が生じたこともさること乍ら、そもそも後記第三の二(二)の1のとおり甲第一号証および検乙第一号証とも、これを直ちに水害当時の河床そのものとみることは難点があり、結局河床条件の設定そのものが全体として仮定的設定であり、近似性を有するとしても、事実そのものの再現ではない。

⑥ 実験における流量調整がハイドログラフそのままには行われず、段階的に操作したことによる流相の狂い。

⑦ 寝屋川本川水位は原審計算と同じく大東市の観測をその水位計の置かれていた地盤高(標高)の狂いから、大阪府の方で修正したものを用いたと推定されるが、右大東市水位計の標高差の狂いが本当に幾何であるのかは<証拠>からは、これを正確には確定し難い。だから後にも述べるが、丙第五号証に基づく寝屋川水位は、その変化を相対的に掴む上では利用できても、ある時間の絶対値では必ずしも信用できず、本件の如き微妙な計算や実験の資料としては多分に問題がある。

⑧ そのほか、現実には生じていたa点上流部で発生した土砂流や、c点西側への溢流水が久作橋を越えて被害地域へ流れ込んでいたり、c点にゴミがひつかかつていたりしたこと(前認定)が実験上反映されていないこと、および甲路が午後二時頃にも或程度は疎通していたのに、これが全く疎通していなかつたこととして計算がなされていること。

このような点は、いずれも、その具体的な数値差がどの程度に出てくるかは勿論掴み得ず、実際には案外少いものかも知れないけれども、しかし明らかに結果に影響を及ぼす要因として無視し得ないところであつて、かかる前提条件の正確性が保証し得ない以上、前記結果が当時の客観的真実そのものを反映しているものとはたやすく首肯し難く、これをもつて、直ちに内、外水の割合およびc点溢水の経時的変化がその示すとおりであつたと認定することはできない。

しかし翻つて考えるに、(1) 前記①の雨量データの問題は、時間時刻の溢水量の把握においてはそうであつても、本件で問題とすべき長時間床上浸水の結果の招来との関係では、その溢水が累積したこと、従つて総雨量ないし二四時間雨量にも意味があるところ、その点での枚方の雨も本件被害地域に近い氷野ポンプ場の雨も、その傾向においては大差なく、本件被害地域も枚方も大体以たようなものだつたとみられる(その見地では、氷野ポンプ場雨量計の読み取りの問題など単なる誤差と扱つて差支えない)こと、(2) 前記②のモデル作成上の問題も、広範な流域全体における個個のブニツクでの算出誤差は全体として常に一方向に現われるとは限らず、数値的正確性の保証はないにしても、流出形相の総体的傾向性の把握には参考となり得ると思われること、(3) 前記③ないし⑦の諸点とも、それらの点で正しい数値との間の予想される誤差という点になると、それが、その結果を非常に大きく狂わすほどのものであつたかどうかははつきりしないなど、右解析・実験の結果もその具体的数値をそのまま採用することはできないにせよ、これを通じて、本件湛水の内外水の構成において、その大部分が外水であるとは断定できず、かえつて、内水量が意外と大きいものとみることも強ち不自然ではないこと、そうした傾向性を示す限りにおいての証拠価値はこれを失わないものと認めざるを得ない。

その点で、被控訴人らの指摘する(イ) 平行四辺形モデル化の問題、(ロ) 不等流計算において等距離点断面をとるため支配断面でないところを限界水深発生点として計算したこと、(ハ) レイノルズ相似実験の不施行の問題、(ニ) 流砂量公式の問題等解析・実験の一般的通用性に関する問題点についての指摘は、これに対する左記控訴人らの反証ないし反論にも相当の理由があるように思われ、それらの事柄のため、具体的数値としての正確性を期し得ないことは考えられるにしても、前記の限度における傾向性を認める上での障害となるほどの問題ではないように思われる。すなわち、

(イ) 平行四辺形モデル化の問題は、<証拠>によると、各流域モデルの流域面積F、河道長L、斜面長Rを算出する方法として、本解析では、Fは面積測定器(プラニメーター)を用いて地図上から測定し、Lは地図上の長さ(水平長L')と等高線差から読みとつた高低差(h)から勾配iを求めてiとL'とから計算上算出し(注)、Bも同様の方法で算定しているところ、従来の一般的な方法としては、Bの算定につき単純にF/Lとして算出する方法もあり、長方形モデル化はこれと結果を同じくするけれども、右のようにBも地図上から計算するに際し、流域を矢羽根状に見立て、その斜面方向に沿つて水平長を計るため、平行四辺形化モデルとなつたと認められるところ、こうすることも一つの方法であり、これによつてBの値がより実測値に近似するという控訴人らの反論。

(注) その計算式は左のとおりである。

(ロ) 不等流計算の問題については、その場合、最下流端水深は一断面ないしは二区間くらい計算することにより、その誤差が収斂されてしまう旨およびa点上流河道区間では限界水深を発生する場所が上流端附近でも下流端附近でも発生する旨の当審千秋証言。

(ハ) レイノルズ相似実験が併行されていない点については、それはフルード数を一致させる実験とともに、流体模型実験中の一つの方法であり、その実験目的に応じいずれかが採用されてもよく、本件の如き水位、流速、水路の形状や堰などの構造物による流水への影響などの現象の把握が問題となる場合は、一般にフルード数を一致させた実験が採用され、その場合は、河床や側壁の摩擦抵抗の相似性についての考慮が払われれば、水溢についてもとくに問題とする必要はない旨の乙第五三号証(当審山口証言によりその成立が認められる)の記載。

(ニ) 流砂量公式の問題については、被控訴人らの指摘自体多数の公式中からの選択であることを認めており、本件実験を依嘱せられた者として、本件において最も適合すると考えてこれを使用したものであり、それが許されないとすれば、他にとるべき手段は見出し難く、次善の策として止むを得ない旨のの当審千秋証言。

その他、被控訴人ら指摘の諸点(損失雨量の問題、ab間洗掘の無視、寝屋川背水影響の計測資料の不備、模型条件と実際との相違等)についても、これを控訴人らの反論およびそれらの点に関する<証拠>に照らして考察するとき、そのことによつて生ずる狂いも、前記程度の傾向性を認めるうえにおいての著しい障害となるものではないように思われ、<証拠>もこの心証を左右するに足りない。

なお、前掲原審水理解析の結果も、c点到達流量の把握において、右当審解析・実験結果と著しくは異なつていない。しかし、その解析の方法においては、右当審解析のそれと基本的には異らないように思われるところ、その前提事実関係の把握における問題点の指摘がすべて当てはまるから、これも直ちに採用できないことは、当裁判所もその原審とその判断を同じくするものである。しかし、右両解析の結果に、著しい懸隔のないことは、当審解析・実験結果に、右のような傾向性の証明力を認めるうえでの一つの資料となり得るものである。

(三) 被控訴人らの原審水理計算

被控訴人らの原審水理計算に基づく主張(請求原因二(一)3(2))は、その主張するb点通過流量および南津の辺からの流入量が、常時継続したことを前提とするものであり、若しそうだとすれば、毎砂2.74立方米としても一時間九八六四立方米であるから、c点溢水だけで四、五時間にして全湛水量に達することとなつて、余りにも事実を超越したこととなる。要するに右被控訴人らの原審水理計算の結果は、その考えられる瞬間的c点溢水最大量の把握および控訴人国・府の解析・実験結果の正確性の反証には役立ち得ても、右計算結果どおりの溢水が常時継続したものとして、内、外水の割合判定の積極資料に用いることはたやすく許されない。

(四) 原審木村証言

原審木村証言は、右内、外水の割合を約五割づつと証言する(前掲摘録部分を通読すれば、その意味するところ、ここで問題としている内、外水の割合として結局左様になる旨の証言と理解するを妨げない)。同証人は京都教育大学教授で環境地学を専攻し、特に水害関係の研究に造詣の深い者であり、右証言は、結論的には勘に頼る部分もあるが、その専門的な智識経験を基礎にして、現地踏査と被害住民からの当時の状況の聴取(一部間接のものもあるが)とから得た認識に基づく同人の判断である。同人は右現地調査団に加わるなど、心情的には被控訴人らの側に就き易い立場であり乍ら、その大部分が外水であることの立証に努めている被控訴人ら側からすれば、一見不利とも感ぜられる数値をはつきりと述べている点は、右学者としての判断を公正に述べたことが優に窺われ、その点では右証言に意識的な作為はないものと認められ、その信用性に欠くるところはない。しかして、この様な問題点については、机上の計算や実験を巡つていたずらに微細な科学論争を重ねてみても、かえつて木を見て森を失うの弊に堕する虞なしとせず、案外このような事実認識を経た専門家の直感に基づく判断が結果的には正鵠を得ていることも稀ではないのであつて、右証言の実体的信憑性は決して少くないと思われるのである。当裁判所はこの証言の証拠価値に充分の重きを置くものである。

(五) 総合判断

上記(一)ないし(四)の内、外水の割合またはc点溢水量にかかわりのある証拠価値の検討と、前記二に認定の諸事実とを総合すれば、本件湛水量の全部または大部分が外水であるとは到底認められず、かえつて相当の内水も含まれると認めざるを得ない。そして、前掲原審木村証言の信憑性と解析・実験の結果に徴し、外水量が右木村証言の示す線以上のものであつたと心証は抱き得ないとともに、解析・実験の結果の示す傾向性の限度も前記の程度のものであるため、これをもつて、右木村証言を更に被控訴人らに不利益に減殺するだけの証明力も不十分であり、結局右木村証言を基軸に置いて、上記一切の資料を総合判断した結果、他にこれに依ることの妨げとなる決定的資料もないので、結論として右木村証言は妥当な線を述べていると思われるので、当裁判所もこれに依拠して、内、外水の割合を五分五分と判断する。

第三控訴人国・府(この項中単に控訴人らという)の責任について

一谷田川の管理責任と問題点の所在

請求原因二(一)(1)の後段および同(2)の事実(谷田川のa点より下流が一級河川に指定されていて、控訴人らがその管理者または費用負担者である事実)は当事者間に争いがないから、控訴人らは谷田川につき、国賠法二条、三条の責を負うべき法律上の地位にある。しかして、谷田川のc点溢水が本件水害原因の一をなしていることは前記第二に認定および判断したとおりであるから、右c点溢水が谷田川の管理の瑕疵に基づく場合は、控訴人らは、本件水害によつて生じた被控訴人らの損害を賠償しなければならない。(但しその責任の及ぶ範囲が、その全部か一部かは、後記第五に改めて判断する。)

ところで、c点溢水が谷田川の管理の瑕疵に基づくものであるかどうかについては、(1) 事実問題として、被控訴人らが主張するように、その原因が本件未改修部分の存在や土砂の堆積によるものであるかどうかが、(2) 法律問題しとて、それらが谷田川の管理の瑕疵にあたるかどうかかが、それぞれ問題となる。

二c点溢水の原因

(一) 本件未改修部分の存在との関係

1 その因果関係

本件未改修部分の状況は第二の二(一)1の(2)および同2のとおりであり、これに同(二)の溢水の事実、とくにゴミがc点家屋下桁にひつかかつていたなどとのことからみて、c点溢水は、その個所(未改修部分全体)が前認定のような状態にあつたことに因ることは優に推認し得るところである。

この点では、後記七月豪雨の異常性を問題とする余地はない。何となれば、本件改修部分がそのような状態にあつたから溢水したものであり、河道および堤防がその改修済の上下流部分と同様(上底幅7.99ないし8.44米、底幅六米、高さ3.32ないし4.07米)になつていれば、溢水は起つていなかつたと推認できる(尠くとも改修済でもなおc点附近から溢水していたであろうとの立証はない)からである。

2 寝屋川水位の影響について

控訴人らは、c点溢水は寝屋川本川水位の上昇の影響によると主張し、確かにその影響が、そのop3.6を超えたときから始まるかどうかの数値的検討はしばらく措いても、一般的に存在し、本件においても少なくなかつたことは、その指摘のとおりであろう。(因みに被控訴人らも原審第五準備書面第四章第四の三(五)4―34頁に「実際には寝屋川合流点水位はさらに高く本件水害時はこの高い水位の影響で、c点附近の流水は一層流れにくくなり、c点からの溢水がますます増大していたのではないかと考えられる」と述べ、双方の抽象的見解は一致をみている。)

しかし、控訴人らの主張を、寝屋川水位の上昇のため谷田川の流下能力が制限される現象(別紙三第一の一(三)1の(2))についてみれば、そのような現象があつても、若しc点附近が前認定のような状況でなく、改修が完了していたならば、改修後の堤防高opは、本件水害時のこの附近のop4.47よりずつと高く連なつた状態となつていて、ここからの溢水は起きていなかつたと考えられるし、また控訴人らの主張を、寝屋川のopが谷田川堤防を越えると、そこでは谷田川の溢水がみられるとの現象(前記の(3))に即して検討しても、その主張自体、その溢水が起るのは、本件未改修部分と野崎中川合流点下流部の未改修部分(op3.7の個所)であつて、本件未改修部分より下流の谷田川のすべての個所で溢水したという証拠はない。また、寝屋川のopが谷田川の堤防高を越え、谷田川を水没せしめてしまつた(一三日早朝から)との主張にしても、それは当時の未改修部分での堤防高を念頭に置いた主張であつて、改修済堤防高の下においても、かかる現象が起つたことの立証はない。

要するに、控訴人らの主張する寝屋川水位の上昇の影響は、c点溢水に関しては、本件未改修部分の存在とともに、前記第二の三(一)に説示した自然力の競合として作用したに過ぎず、右現象の存在をもつてc点溢水に対する本件未改修個所の存在との間の相当因果関係を否定することはできない。

(二) 土砂の堆積との関係

1 その事実の存否

<証拠>によると、谷田川はab間で昭和三八年頃には人の背丈ぐらいの、c点上流で昭和三七年頃には子供が入つて遊べるくらいの相当に深い川であつたところ、昭和三八年頃以降上流部の宅地造成や土砂採取が始まつてから、だんだん上流部からの土砂流出が多くなつて、全般に川底に相当量の土砂が堆積した状況になつていたことが認められ、<証拠>によれば、c点附近もその例に洩れないものであつたと認められる。

なお、<証拠>によると、一〇月四日頃同人がc点附近を視察したところ、堤防天端から四〇糎下までのところに土砂堆積痕が認められ(注)他方<証拠>によると七月一七日に大阪府枚方土木事務所の井上益夫がc点下流二つ目の久作橋上流側家屋の上流端でポールを立ててみたところ、家屋下端からそのときの川底までが約七〇糎であつたとされており、被控訴人らは水害当時も右河本の観察による土砂堆積痕まで土砂が埋まつていたと主張し、控訴人らは右<証拠>のそれが本件水害時の河床高であつたと主張する。

(注) <証拠>によると、土砂堆積高が七五糎だと記録されている。そして、<証拠>によると、それは当時存した泥中に箱尺を川底と思われる感触のあつたところまで突つ込んで、肉眼で捕捉できる土砂堆積痕(河道側壁についているもの)の高さを計測して七五糎だつたというのである。すると箱尺の届いたところが川底であるとみてよいのかどうかに問題があり、土砂堆積高を七五糎とすることは無理である。しかし右堆積痕から上の河道空間の捕捉として、天端の高さも同様の計測方法で測つたというのであるから、甲一号証上の同所の天端高一一五糎から七五糎を引いた四〇糎を採用した。

しかし、右河本の現認した堆積痕がそのまま本件水害時の河床であつたどうかは速断を許さず、そうだとしても、河道側壁の痕跡をもつて、河道中央部附近でも一様の高さに堆積していたとの推定はしにくい(因みに被控訴人ら代理人の当審千秋証人に対する反対尋問中南津の辺の水面形計算に関する部分に全く同旨の考方に基づくものがある)し、他方<証拠>は水害直後の計測ではあるけれども、洪水中に河床洗掘の有り得ることを考えれば、その時の河床状態が水害中および水害直前のそれと全く同一であつたとも直ちにいい切れず、結局本件水害時のc点附近の土砂の堆積量(河床状況)が具体的にどの程度であつたかということは、これを数量的に把握することは困難である。

2 その因果関係

しかし、前1認定によれば、c点附近の谷田川の元来の深さは一米ぐらいは存したと思われるのに、検乙第一号証によつても七〇糎、甲第一号証によれば四〇糎、その間をとつても五〇糎位の河道空間しかなかつたとみられるから、少くとも五〇糎前後の土砂堆積があつて、本来の河道の深さを大幅に狭めていたことは推認に難くなく、そうだとすれば、これが流量を著しく制限して、本件改修部分の存在とともに、c点溢水の要因となつことは明白である。

三本件未改修部分の存置と瑕疵の有無

(一) 控訴人らの河川管理責任について――国賠法二条の解釈――

控訴人らは河川管理の特質に基づき、自然公物たる河川においては、安全性の欠如そのものが直ちに国賠法二条の瑕疵となるものではなく、これに基づく事故の予見可能性と、その危険性の程度および被害利益の大きさとの相関較量の下において、右危険を除去しないことが損害回避義務の懈怠とみられる場合に、始めて、その放置が管理の瑕疵となるものであり、本件のように改修計画が実行途上であつて、その個所の改修に直ちに着手することが財政上、社会上極めて困難な場合には、国賠法二条の責任は生ぜず、本件未改修部分の存置もこの場合にあたると主張するので、まず右一般論についての当裁判所の所見を明らにする。

1 管理の瑕疵の意義――危険の外因的招来との関係について――

国賠法二条にいう「営造物の設置・管理の瑕疵」とは「営造物が通常有すべき安全性を欠いていること」をいうとされており(昭和四五年八月二〇日最高裁判所第一小法廷判決・民集二四巻九号一二六八頁参照)。これをその文言どおりに受け止めれば、営造物が客観的に安全性を欠いている状態(危険な状態)にある限り、その原因の如何を問わず、直ちにそのことから損じた事故の責任を一切管理者に及ぼすことを辞さないことにもなりそうである。しかし、営造物の客観的な安全性の欠如(危険)が、第三者の行為若しくは不可抗力によつて始めて招来された場合、または、それが管理者においてその管理を開始する以前から、管理者の責任に依らずして営造物自体に自然的に内在していたような場合など、右の危険が外因的に招来された場合には、管理者が、その危険を発見しこれを除去・回復するために客観的に必要とされる最低限の時間を経過してもなお右危険が除去・回復されていない場合、つまり右危険の除去・回復に客観的な遅滞が認められる場合に管理者はその責任を負い、右必要な期間が未経過中のため、その除去・回復がされていない間に生じた事故については免責を得くべきものと解すべきである。けだし、そのように危険が外因的に招来された場合にまで管理者にその責任を問うことは、これに不可能を強いるものであるとともに、国賠法二条があくまで「管理の瑕疵」を問うものである以上、客観的に管理者の管理行為が及び得ないような状況下においてまで、物理的に安全性の欠如する状態にあることの故のみを以て、管理者にその責任を問うことは相当でないとともに、他方、人人は公の営造物がその管理者により常に安全な状態に保持されていることを期待するものであるから、左様に外因的に招来された危険であつても、管理者は常にその危険の発生や存在を速かに把握して、その除去・回復に努め、あるいはその危険から起り得べき事故の回避措置を講ずべきものであつて、管理者において、右危険の把握および回復に必要な最低限の期間を経過して、なおそれらが遂げられていないなど、その危険の除去・回復に客観的な遅滞が存する場合には、さきの外因的に招来された危険を原因として生じた損害についても、その賠償責任を負担すべきものと解するのが相当だからである。これを控訴人らの援用する義務違反説ないしいわゆる折衷説によれば、右危険の除去・回復の遅れを営為義務の懈怠ととらえ、それを管理の瑕疵と構成することとなろうが、いわゆる客観説においても、右危除の除去・回復に必要以上の期間を要するような管理機能の不備それ自体を瑕疵となし、必要期間未経過中の事故についてはこれを不可抗力として免責を得しめることで妥当な解決が得られるものと考えられる(昭和五〇年六月二六日最高裁判所第一小法廷判決・民集二九巻六号八五一頁ならびに同年七月二五日第三小法廷判決・民集同巻同号一一三六頁参照。いずれも、第三者の行為によつて惹起された道路上の障害に起因する事故につき、前者は、夜間県道上に事故発生直前に障害が発生した事案につき道路管理者の責任を否定し、後者は、国道上に障害発生後約八七時間後に発生した事案につきその責任を肯定している。また前掲昭和四五年の最高裁判例も、その事案に徴すれば、危険対策の放置に管理の瑕疵をとらえたものと解し得る。)

しかして、上記解釈は、当該営造物が人工公物であると、自然公物であるとによつて基本的な区別は存しないけども、河川の如き自然公物にあつては、通常営造物自体は始めから存在し、管理者による設置ということは少ないのであるから、その管理を開始した時点において、これに自然的に危険性が包蔵されていることが少くないし、またその施設の損壊が不可抗力的外力によることも少くないため、右外因的に招来された危険の除去・回復の遅れに右管理の瑕疵を問い得るかどうかの観点から問題とされることが多くなることが予想されるに過ぎない。

しかし乍ら、通常、営造物の客観的な安全性の欠如の原因はその設置・管理行為に内在するものとみなければならないから、右危険が外因的に招来されたものであることおよびその除去・回復に必要な最低限の期間が未到来であることについては、管理者側にその主張・立証責任を負担せしめて、これを免責の抗弁となすのが相当である。

2 危険およびその除去・回復の遅滞の判断基準

ところで国賠法二条の解釈としては、右定全性の欠如しているものかどうか、およびその危険の回復が遅滞していると評価できるかどうかについては、これをあくまで客観的に判断しなければならないけれども、その判断に当つては、純粋に物理的な観点からだけではなく、その安全性の欠如が社会的にも安全性を欠いた状態であるのかどうかおよび、その危険の除去・回復のための期間の社会的相当性は奈辺にあるのかが判断の要素に取り込まれなくてはならない。

けだし、仮りに営造物の安全性の欠如(逆にいえば危険の存在)をただ物理的に絶対的な危険性の存在ということによつてのみとらえるならば、およそ営造物の存在それ自体が常に危険性をはらんでいるといつても言い過ぎではないのであつて、河川の如きはすべて暗渠にしなければ、常に危険を包蔵するとされるに至るであろう。だからそうではなくて、この場合の「安全」とか「危険」とかの判断は、当該営造物の有する目的・機能と、これに関わり合いを持つ吾人の社会生活との社会的関連の場においての必要且つ十分な安全性に欠くるところがないかどうかによつて決すべきであり、その現存する物理的危険性を、吾人の健全な社会通念に照らし、社会生活関係上の一般的な危険負担ないしは受忍義務の範囲に吸収し尽し得ないときに、その危険が安全性の欠如として営造物の設置・管理の瑕疵を構成するものとしなければならない。そしてそのことは、危険の除去・回復の遅滞の有無についてもいえることであつて、当該営造物の設置目的・機能と、その置かれた具体的な社会的環境との相関関係において、吾人の健全な社会通念がこれを期待し且つ要求し得る妥当な期間を経過したときに始めて管理の瑕疵が成立するものと解すべきである。(前掲1の昭和四五年の最高裁判例も、その事案に照らせば、結局、このような解釈を示しているものと思われる。)

してみれば、その営造物が道路であれ、河川であれ、その置かれた具体的環境において公共用物として、社会一般人が期待する社会的安全性に欠くるところがないかどうか、またそうした安全性の回復についての遅滞がないかどうかを、健全な社会通念に照らして、個個具体的に決するほかはないのであつて、人工公物(道路)のそれに比し、自然公物(河川)の場合にとくに制限的な判断基準を持ち込まなければならない理由はなく、河川においては、その存する物理的な瑕疵から発生が予想される浸水等被害が、流域または沿岸住民の社会的受忍範囲を越えるものかどうか、およびその危険個所の放置が、その危険性の程度との対比においてみて技術的、社会的に真に止むを得ない場合であつたどうかによつて決すべきものと考える。

3 財政制約論について

しかして、そのように安全性および危険の除去・回復の遅滞の有無の判断に社会的な要素を組み入れるときには、その社会的に要請されるべき安全な状態、またはその危険の除去に必要な期間の社会的相当性を画する上において、その置かれるべき状態また要請されるべき管理体制がどのような社会的費用を必要とするかを全く考慮の外に置くことはできず、控訴人らの財政制約論がそのような抽象的な社会的費用としての相当性を指向する限りにおいてはその一部に肯綮すべきものがあるものとしなければならない。

すなわち、控訴人らが引例するように、道路上で直前先行者が工事標識を転倒させたがため生じた事故や、高速道路で先行車が落下させた荷物による事故等に対しても、若し費用を惜しまなければ、テレビカメラの設置や二四時間全線監視体制、そのほか二重三重の危険防止措置を採ることも技術的には可能であろう(控訴人らの当審最終準備書面九六頁)。しかし、恐らく一般の社会通念は通常の道路においてそのような対策が建てられていないことをもつて、これを安全性の欠如した道路であるとは評価しないであろうし、そのため爾後の対策が幾らか遅れたとしても、その遅れは相当性の範囲内にあるものとしてこれを許容するであろう(前掲最高裁判例参照)。すなわち、施設の物理的安全性はこれを高めるに限界はないけれども、仮にある安全対策が技術的に可能であつても、それによつて避けられる被害の発生頻度に照らし、それに要する費用が不均衡に莫大であつたり、危険な状態の発生の把握とその回復をより早めるのに要する費用が、それが放置されることによつて生ずる被害の程度や事故の発生確率に照らし不相当に莫大であるとき、吾人の健全な社会通念は、それを押してなお過大な安全対策を要求するものではなく、管理責任もそれ以上の備えを要求されることはないものとしなければならない。これを河川についてみても、その自然に内在する一切の危険性を直ちに除去することも、極めてぼう大な費用を投入すれば――それに要する工事期間のことは別として――技術的には不可能でないかも知れないが、吾人の社会常識は、今直ちにその実行されないことをもつて、これらすべてを河川管理の遅滞と評価することをちゆうちよせざるを得ず、その危険な河川の置かれた個個具体的な社会環境との関連において、そこに相当の社会的費用を投じてでも速かにその危険を除去すべきであるかどうかによつて決すべきものと考えるのである。

控訴人らの財政制約論は右の限度においては首肯すべきも、それはあくまで健全な社会通念に照らして要求される安全性の限度を画し、若しくは管理の遅滞の有無を判断する上での、当然要求される常識的機制として、一般的・抽象的な費用の制約を考慮に入れなければならないということ、換言すれば、常識を越えるような高額の費用投入しなければ達せられないような高度の絶対的対策が要求されるものではないということであり、そこまでの問題である。一旦左様な観点からみても危険であり、その回復に遅滞が認められるとされた場合に、具体的な予算の不足、予算措置の困難性の抗弁を許容するものでは勿論ない。従来の判例が予算不足を抗弁として許さないというのもこの意味に理解すべきであつて、控訴人の財政制約論がこの意味においても主張させられるのであれば、その点においては採用の限りでない。

(二) 本件未改修個所の危険性

1 その物理的危険性

前認定の本件未改修個所の状態においては、その上流から河道一杯の水が流れてくれば、c点急縮部およびそれ続く狭窄区間においてはこれを持ち堪え得ず、ここから溢水現象を起し得ることは充分予想されるところであり、また、寝屋川本川水位の上昇による谷田川の流下能力への影響が現われる場合も、堤防高の低い場所から溢水が起ると考えられるから、本件未改修区間の存在は、その形状において、まず物理的に溢水の危険性が考えられるものとしなければならない。

2 その社会的危険性

谷田川のA4流域とくに被控訴人ら居住地域において多量降雨時に内水滞水が起りやすいことは前記第二の二(三)に認定したとおりであり、加えて天井川である谷田川の本件未改修個所から溢水が起これば、それが被控訴人ら居住地域へ流入して、その浸水被害の拡大要素となることは充分予想できるところである。一方前記第二の二(三)1に認定したとおり、この地域は昭和三六年頃から宅地化が急速に進み、昭和四二年頃には市街化の原形はほぼ達成していたから、若し上記のような浸水被害が生ずれば、時にそれは床上浸水域にも達し、地域内居住者の日常生活に重大な影響を集団的にもたらすであろうことも早くから予想できたところである。

しかして、このように市街地を貫流する天井川の一部が、その改修済の上下流路に狭まれて、急縮状態も含んだままで残こされていたがため、そこから溢水し、多数の沿岸住宅に本件のような床上浸水域に達する浸水被害を及ぼす状態であつたということは、河川が元来、流水を安全に流下させる機能をも期待されている点から考えれば、その被害を住民の受忍義務範囲に止まらせることはできず、前記社会的安全性の判断基準に照らしても、危険な状態であつたとみなければならない。そのことは、原審植村証言によつて認められる大東市においても昭和四三年頃以降、数次に亘り大阪府の枚方土木事務所を通じ、右改修の促進方を陳情していた事実によつても充分裏付けられる。そして、その置かるべき安全な状態としては、ひとまず改修済の上流部分と同一の規模での改修を遂げた状態であつたのであるから、これに要する社会的費用がその均衡を失するほどに過大なものということもできず、その面からも改修を加えるべき危険な個所であつたと認めるのに妨げはない。

(三) 控訴人らの改修途上論について

1 改修途上論の主張の位置付け――免責の抗弁性――

控訴人らの主張する如く、本件未改修部分の狭窄状態および河川上家屋は控訴人らが谷田川を一級河川として法河川管理の対象に組み入れるより以前から存在していたことは弁論の全趣旨により明らかである。もつとも、法河川指定前は普通河川として法定外公共物としての管理が控訴人らによつて行われていたものとみなければならないが、法河川に組み入れられたことによつて、法令上の管理責任とその権限が明確となり、国賠法二条の適用上も、その管理義務内容が明確且つ濃密化したと考えられるから、本件においては、ひとまず右法河川管理の開始時点を管理発生の一つの基準としてとらえても強ち不当ではないであろう。

次に控訴人らは、本件は、かつては溢水の危険があつても、それ自体は被害と意識されないような個所の溢水が、周辺の地域環境の変化から、その溢水が被害性を持ち出したことによつて、前記社会的安全性の欠如が問われるに至つた場合であるとも主張する(別紙三第二の一(五)2の(1))

右二つの主張は、結局前記(一)の1、2に説示した危険性の存在が営造物の管理開始前から自然に内在していた場合および不可抗力的外力によつて生じた場合にあたるとの主張に該当し、従つて控訴人らの改修途上論は、右説示の免責の抗弁に該当することとなるので、以下その観点から検討する。(なお、右流域の環境変化との関係を不可抗力的外力として把握することには被控訴人らは異議があろうが(別紙五序論の二)、国賠法二条の管理責任は、営造物の直接管理責任を対象としたものと考えるのが相当であり、国または公共団体が河川流域の総合的整備調整の責務を有するとしても、国賠法二条に基づく責任を追求する場では、変化する流域環境に対応する河川管理それ自体を問うことで満足すべきであり、右広域環境行政上の責務の追求はこれを別途に選んで貰わなければならないのである。)

2 改修の必要性の生じた時期

谷田川が久作橋下流部分につき昭和四〇年四月一日、同上流部分につき昭和四一年四月一日にそれぞれ一級河川に指定されたことは当事者間に争いがないから、控訴人らは遅くとも昭和四一年四月一日には、本件未改修部分がさきに認定したような状態にあることを、その河川上に家屋が存在している点を含めて知りまたは知り得べきであつたことはいうまでもない。他方、昭和四二年頃には、被控訴人ら居住地域における現在の市街化の原形はほぼ達成されていたことは前認定のとおり(第二の二(三)の1。)であり、昭和四一年度には、谷田邦の改修計画(その内容は請求原因二(一)1(1)のとおりであり、その完成時期を除き当事者間に争いがない)が策定され、且つこれに基づく部分改修としての久作橋上流側の部分改修工事(いわゆるシヨートカツト)が昭和四二年中に完了していたことは当事者間に争いなく、<証拠>によれば、右改修計画の策定が単に右シヨートカツトのための技術的必要性のみからばかりではなく、周辺地域の安全のためをも考慮してなされたことは否定できないところである。以上の事実を総合すると、本件未改修区間の改修の必要性――周囲の市街化との関係でこれを放置して置くことの相対的な危険性――が発生し、控訴人らにおいてこれを認識し又は認識すべかりし時期は右改修計画策定の昭和四一年中、遅くともシヨートカツトの行われた昭和四二年頃にはこれを措定するのが相当である。

3 改修の遅れの原因とその相当性の存否

すると、本件水害発生まで長くて六年、短かくとも五年を経過してなおその改修が遂げられていなかつたのであるから、本件未改修部分の改修にはどうしてもそれだけの期間を要し、本件水害時までにそれが達成されていなかつたことが、物理的・社会的にみて真に止むを得なかつたものであるかどうかを判断する。

なおこの場合被控訴人らは、前記改修計画における完成予定時期が昭和四六年であつたと主張し、既にその点において本件未改修は不相当であると主張するものようであるが、原審上山証言および当審松村証言によれば、それは単なる努力目標であつたようにも認められるので、その形式的な遅滞だけをとらえて、既に免責の主張を許さないとすることはできない。しかし、単なる努力目標であれ、一旦そのような策定が立てられていたことは、少くとも物理的にはこれを可能と考えたからであろうから、その事実も判断の対象に組み入れなければならない。

(1) 技術的困難性の存否

本件未改修部分につき要請された改修は、前記改修計画に従い、既に改修済み(シヨートカツト)の上流と同じ状態でこれを下流に続けることであり(昭和四四年度には、下流の部分改修もなされた)、現にその具体的着工後は一年ほどで完了しているのであつて、改修の遅れが、その技術的困難性にあつたとは全く認められない。

(2) 寝屋川水系改修計画全体との関連性

<証拠>によれば、概ね別紙三第二の二の(一)ないし(三)に控訴人らが主張する事実が認められ、控訴人らとして、谷田川を含め寝屋川水系の整備に相当の努力を傾注しつつあつたことはこれを否定できない。

しかし、本件未改修区間の持つ危険性は、本件個所の部分的な問題であつて、長い区間で、その計画高水量を高める必要性があるというような、全計画の達成を待たなければ、その危険が除去できない性質のものではなく、この区間(とくに下流部分の改修を遂げた後では)三二五米の間の改修を上、下流と同様に遂げることの必要性の寝屋川水系ないし谷田川の全体改修計画上の位置付けの問題なのである。かかる見地からみるとき、その技術的困難性は前記のとおり問題とするに足りず、その費用も著しく過大なものでなく、むしろその全体計画中に占める費用の割合は、それほどの多額ではなく、その全体計画の達成を急ごうとした控訴人らの努力は多とするものがあるが、そうだから、とつて、その予算上、計画上の達成順位として、本件個所を後廻しにしなければならない止むを得ざる理由は見出し難いのである。かえつて<証拠>によれば、控訴人らも本件個所を谷田川の未改修部分中の重点個所の一つに入れていたことが認められるのであつて、控訴人ら自身、その改修の急がれることを痛感していたものと推認できるのである。

なお、控訴人らは河川改修の下流原則(改修を下流から上流へ及ぼすべき原則)を持ち出して、寝屋川との合流点附近の改修を遂げた後でなければ、本件個所の改修をすることが相当でないようにも主張する(別紙三第二の二(二))が、控訴人ら自身、その前後の部分改修を遂げている以上、更にこれを結ぶ本件個所の改修を遂げることに支障はなかつたものとみなければならず、若し、それが支障を生ずるというのなら部分的改修を遂げたこと自体が問題とされなければならなくなる(なお、上流部の部分改修が本件個所の危険性に全く無関係ではなかつたと思われることにつき、後記(四)参照)のであつて、本件個所が少くとも上下流部分の改修に狭まれて取り残された後は、本件個所に関しては、下流原則は妥当しなくなつたものとしなければならない。

(3) 河川上家屋立退の問題

さて、前記(2)項に掲記の各証拠ならびに<証拠>を総合すると、結局本件個所の改修が遂げられていなかつた最大の理由は、本件個所の河川上にあつた家屋を立退かせることが困難であつて、改修計画の実施に移れなかつたことにあつたものと認められる。即ち、上掲各証拠を総合すると、本件河川上家屋は早くは太平洋戦争後間もなくから、概ね昭和二五、六年頃までの間にその占有を開始したものであつて、その家屋居住者は、地域社会の一員としての生活を遂げていたこと、ために控訴人らは、前記法河川指定と同時にこれに占用許可を与え、その後もこれを与えつづけており、右許可を打ち切つたのは、昭和四六年三月が四軒、昭和四七年三月が四軒であつたが、その後も補償問題が進捗せず、改修工事に着手できないまま本件水害を迎えたことが認められ、これに前記(1)(2)の判断を総合すると、本件個所の改修の進捗を妨げた最大の原因がこの立退問題にあつたことは容易に推定し得るところである。<証拠>中には、本件個所の改修には、河川上家屋の除去とともに、同岸部分の用地買収も必要としたから、河川上家屋の存在が改修を妨げたわけではないようにいう部分も存するが、前掲証拠によると、用地買収作業が本格的に進捗したのは、シヨートカツトとともにではなく、昭和四五年六月に地元大東市から改修促進方の要望があつてからのことであり、河川上家屋の存在が、どうせそれが解決しなければ、という気持から用地買収の促進を鈍ならしめたきらいもなしとせず、また家屋だけで引無くなれば、被控訴人ら主張(別紙五第三の二(四)1)のように他に応急の処置だけでも講ずる余地も考えられたのであり、右<証拠>は採用できない。

ところで、前認定のような縁由を有し、占用許可を与えられている住民に対し、その許可を打切つて立退を求めることは社会的にみて幾多の困難性を伴いこれにかなりの時間を要することは控訴人ら主張のとおりであろう。しかし、前記谷田川が一級河川に指定されたこと、すなわちこれに法河川管理を及ぼすことの必要性を生じたことの意味合いを考えれば、その後、その改修の支障となる河川上家屋の存在を許すことが相当かどうかは、当然その時点において見直されなければならなかつたものであり、右従来の経過に鑑みても、他の用地買収とは切離してでも、その立退きを求めることの努力が図られて然るべきであつたのである。むしろ本件の場合、法河川指定後、或は改修計画策定後、慢然と占用許可を与え続けていたことは、これによつて生ずる改修の遅れ、そして、そこから生ずる水害の危険性との対比において、決して止むを得ない措置であつたとは認めにくいのである。そして、そのような改修の遅れの原因となり得る占用許可を与えつづけていた以上、これに基づいて具体的に生じた立退交渉の困難性は、そのことに因る改修の遅れを正当化するものではなく、右改修の遅れに基因する水害が現実に生じたとき、その危険負担は、客観的に右危険の発生を容認しつつ敢えて占用許可を与えつづけ、直ちに立退交渉に踏み切らなかつた河川管理者側がこれを負うものとせざるを得ないのである。

(4) 結論

してみると、本件において本件水害時までに本件改修が未了であつたことにつき、真に止むを得ざる期間の不足や相当な理由を見出すことは困難であつて、そこに免責の抗弁の成立は認められない。また前認定の事実関係の下においては、これを達するに必要な社会的費用が不相当に莫大となるものとも考えられない。

(四) 部分改修先行との関係

のみならず、控訴人らが、前記シヨートカツトを先行せしめ乍ら、本件未改修個所に改修を及ぼさなかつたことも、本件未改修個所の安全性の点で無視できないように思われる。

すなわち、右区間において毎秒二〇立方米の計画高水量を流下せしめ得る改修を終えながら、その直下流に明らかにこれを通過せしめ得ない本件未改修個所を残しておくことは、もし計画高水量に近い流量が流れた場合、従来よりその危険性を高めることは明白である。もつとも、本件においても計画高水量そのものが流れたのではなく(控訴人らの解析によるc点到達最大流量は、前記修正前ハイドログラフによれば一三日午前一時四五分頃で毎秒4.4立方米、修正ハイドログラフによれば一二日午後五時前で毎秒2.2立方米。被控訴人らの水理計算でも最大毎秒6.54立方米)、控訴人らはab間の流量制限があり、南津の辺水路からの流入量は極く僅かであるから、増水時においても、右計画高水量はおろか、c点狭窄部の疎通能力を越える流量が流れることはないので、シヨートカツトは何らc点の安全性に影響を及ぼすものではなく、かえつて遊水効果をもたらして、c点の負担を軽減するとも主張する(別紙三第二の二(二)および(四))。しかし、本件水害時の流量が計画高水量に及ばなかつたとしても、ともかくもc点以下の疎通能力を越える流量が流れたため溢水したことは事実であり、c点以下狭窄区間で流量が制限される結果、シヨートカツトにより河道の広がつた部分での遊水機能に逆影響を与え、c点上流での流量の増大が、かえつて、c点への負担を増大させたことも考えられないではない(被控訴人らの別紙五第三の二(一)2の主張)。<証拠>中これに反する部分はたやすく採用し難い。

なお、控訴人らは部分改修につき、二重投資を避けるためであることを強調するが、その部分改修が下流の未改修個所の危険性を増大せしめた以上(本件において、その虞れがなかつたとは認められないこと右のとおり)、それ自体客観的には管理の瑕疵ともとらえられるのであつて、二重投資を避けるためにしたことであるからとして、その被害の受忍を迫ることは許されない。(その危険が顕在化したときは、先行投資自体においてこれを引き受けなければならず、その覚悟で先行投資(部分改修)に踏み切るか、これを避けるため、二重投資とはなつても、部分改修をしないでおくかは、管理者の政治的決断の問題であり、前者を選んだ以上、その危険が具体化した場合の損害賠償責任は免れ得ない。これを前記社会的費用の相当性の問題と混同することは許されない。)

四土砂の堆積と管理の瑕疵

控訴人らがc点附近において行つた浚梁は昭和四二年一一月から四三年二月にかけてしたのが本件水害前の最後であつたことは当事者間に争いがなく、本件水害時に、本来の河道断面の少くとも半分位まで土砂堆積があつたと推認できることは前記二の(二)に認定したとおりである。すると、右土砂の堆積は、前認定のように土砂の流送度が高い谷田川において、四年半近くも浚渫が行われていなかつたためと推認するを妨げないから、前記のように溢水の危険の高いc点附近においてそのような状態に置かれていたことも、都市河川の管理としては瑕疵が存したものと認めざるを得ない。

控訴人らは、谷田川全体としてはその後も、とくに上流の国道一七〇号線下流附近で昭和四四年と四五年の二回に亘つて浚渫を行つていると主張し、確かに、土砂の堆積の問題は、局所的な浚渫よりもその川全体の土砂の流送現象との関係から全体的に把握する必要もあろうが、本件c点附近では、その未改修区間に前記の危険性が包蔵される以上、局所的にも、より頻繁な浚渫がなされて然るべき個所だつたとみられ、他の個所で浚渫を遂げたことが、c点附近でのその必要を減殺する理由とはなし得ず、これに要する社会的費用もそれほど過大なものではないと考えられる。

五七月豪雨の異常性との関係

控訴人らは、右三、四の問題を通し、本件七月豪雨の異常性を強調する。その主張は結局、本件未改修部分の状況ならびにc点附近での土砂堆積の程度は通常予側し得る降雨に対しては充分堪え得るものであり、従つて強いて急いで改修、または頻繁な浚渫をなす必要もなかつたところ、本件七月豪雨は、右通常の予見の範囲を越えた豪雨であつて、元来の対処すべき管理責任の範囲を上廻るものであつた、要するに不可抗力の抗弁とみられるので、その点から判断を加える。

(一) 七月豪雨の規模

本件七月豪雨の東大阪地区における降雨状況は、概ね前記第一の二に認定したとおりであるが、<証拠>によれば控訴人らが別紙三第一の一(二)の2、3に主張する事実が認められ、また<証拠>によると、氷野ポンプ場の計測による一二日の日雨量は昭和四一年以降で最高値を記録していることが認められる。

(二) 長時間雨量について考えるべきこと

これに対し被控訴人らは短時間雨量を問題とすべき旨主張する。しかし、c点溢水状況の把握との関係では短時間雨量に着目しなければならないのは、その主張のとおりであるが、本件浸水被害そのものとの関係では、総雨量ないし二四時間雨量を問題とすべき旨の控訴人らの主張はひとまず理由あるものとしなければならない。何となれば、本件降雨の時間雨量二〇粍程度のものは、平均年一回は生ずる珍らしいものではなく、且つその程度の雨でもc点溢水は生ずるかも知れないが、そうだからといつて、そのような雨が一日、二日のうちに一度や二度二、三時間づつ降つたとして、それによつて生じた溢水が累積湛水して本件の如き長時間床上浸水域に至るまでの総溢水量に達することは考えられないのであつて、本件において、右のような雨が一日の間に何度か繰り返され、そして二四時間雨量なり総雨量が前記のような雨量に達したことが、右溢水を長時間継続せしめることとなつて始めて本件被害(長時間床上浸水域の浸水)がもたらされたものと考えなくてはならないからである。従つて、被控訴人らのいうように、短時間雨量が異常性のない雨だからというだけで、それでc点溢水現象が起る点をとらえて、長時間雨量を全く問題とする必要がないとする問題の把握は明らかに誤つているものとしなければならない。

(三) 本件降雨の程度とその不可抗力性の存否

しかし乍ら、前認定のとおり、九日午後の降り始めから一三日の終りまでの総雨量が三三〇粍(大阪管区気象台観測)であるとしても、被控訴人らが別紙五第一の二(二)に指摘するように、一一日午前二時から一二日午前六時までの一八時間の空白があり、その後の一二日午前六時から一三日午前六時までの二四時間雨量は188.5粍というのであるから、右総雨量は極端にいえば二つの雨としてとらえることもできるのである。この傾向は、勿論東大阪地区一帯についていえることであつて、前掲丙第四号証によつて認められる氷野ポンプ場の計測によれば、一〇日の午後六時から一一日の正午までの間に約七〇粍弱の降雨があり、それから一二日の午前六時まで中断し、一二日午前六時から一三日午前六時までの二四時間雨量は約176.5粍、同日午後三時の降り止むまでの連続雨量は195.5粍となつている。そして前半の雨は氷野ポンプ場においてはかなり断続的であり、始めのうち一時間置きに降つたり止んだりしており、その時間雨量において一〇粍を越えたのは三回、うち一一日午前六時から七時の25.5粍がとび抜けて多いだけである。このような状態であるから、その前半の山が後半(一二日午前六時以降)の降雨の損失雨量に与えた影響や、山地部における土砂流発生の基因となつことを無視できないけれども、寝屋川本川水位においても一二日午前六時では警戒水位op2.90ぎりぎりにまで落ち込んでいる(但し丙第四号証上)ことに徴し、右一八時間の空白を無視して前後を連続一体の雨としての総雨量を採り上げることはできにくい。

そして、右後半の山だけみても、本件七月豪雨は、全般的にみれば時間雨量において非常に強い雨が断続的ではあつても相当長時間継続した点で、滅多にない降雨の型であり、いわゆる豪雨と呼ぶにふさわしいものではあつたと認められるが、そもそも、河川の洪水に対する安全性は、普断の雨を対象として考えておけばよいといものではなく、むしろ我国のように毎年どこかで豪雨が降るであろうことが予想されるところでは、相当の豪雨を念頭に置いた上での安全性を考えなければならない。これを本件についてみれば、(1) 後半の二四時間雨量は過去七七年間の第三位というのであるが、そのことはその二四時間雨量だけをとれば、単純計算的には二六年間に一回の確率降雨であつたということになること、(2) <証拠>によれば、寝屋川水系の計画流量設定基準降雨とされた昭和三二年六月二六日の降雨は、二四時間雨量も総雨量も、ともに本件七月豪雨を上廻るものであつたこと、

(3) 前記のとおり、一二日午前六時以降の氷野ボンプ場の二四時間雨量は約176.5粍であるが、これは控訴人らが前記解析に用いた枚方の場合も同様であり、その数値を過去七七年間の統計に当てはめれば、第五位に当り、単純計算で一五年と三ケ月に一回の確率降雨であること、(4) そして、氷野ポンプ場の場合も枚方の場合も別表Ⅱに示すとおり一二日の時間雨量は二〇粍に達したことはないのであつて、これと前記二四時間雨量または一二日午前六時以降の連続雨量との組み合せをみると控訴人らの主張(別紙三第一の一(二)4の(2))に拘らず、それは大阪管区気象台の洪水警報発令域に達せず、大雨警報域内に止ることとなる(別紙三の添付図Ⅰ参照)こと、がそれぞれ認められ、これらを総合すれば、いまだ本件七月豪雨時に谷田川流域に降つたと推定される雨は、国賠法二条の適用上において、河川管理責任の範囲外の不可抗力的天災と看做し得るほどのものではないといわなければならない。

六結論

以上の次第であつて、c点溢水は谷田川の管理の瑕疵に基づくものであつて、控訴人らの改修途上論(財政制約論を含む)および異常豪雨による免責の主張はいずれも理由がないから、控訴人らは被控訴人らの損害につき、後記責任の範囲でその賠償の責に任じなければならない。なお蛇足ながら控訴人らが援用する加治川水害訴訟の第一審判決について一言するに、同判決が河川管理責任を否定した部分は、前年中に破堤した築堤の応急工事個所の再破堤についてであつて、計画策定後数年間も工事に着手されていなかつた本件と事案を異にし、これを先例とするには当らない。

第四控訴人大東市(この項中単に控訴人という)の責任について

一本件水路の管理責任

(一) 本件水路は国有財産であつて、その管理権は、国の機関としての大阪府知事に委任されていることについて

本件水路は国有財産であつて、その管理権は、国の機関としての大阪府知事に委任されているものである旨の控訴人の主張は理由がある。その理由として、別紙四第一の主張をすべて引用する(なお、この争点に関する原審における被控訴人らの主張の変更は、自白の撤回に当らないから、その点の控訴人の異議は理由がない。)

これに対しては、地所名称区分(明治七年太政官布告一二〇号)による河川敷地の官有地第三種への編入につき、官民有地の区分は、土地所有権の近代化(私的土地所有権の確立)に応じ、近代的租税制度の確立に当つて、地券・地租の対象となる土地を明確にするためと解せられるもので、これをもつて、直ちに河川に対する国の支配(所有)を形成的に確立したものとみることには問題があるとし、同布告は、「民有地」でない河川等を「官有地」としたものであり、問題は、その土地および境界の認定にあつたとする見解(例えば金沢良雄・水法・法律学全集二三頁)も存する。確かに、地所名称区分は、官有地第三種につき「地券ヲ発行セス地租ヲ課セス区費ヲ賦セサル法トス」として、これに属するものとして「山岳丘陵林藪原野河海湖沼池沢溝渠堤塘道路田畑屋敷等其他民有地ニアラサルモノ]としており、右「田畑屋敷其他民有地ニアラサルモノ」という文言がある以上、水路といえども、その当時民有地であつたものはこれを含まず、且つその民有の範囲に対落等の共同所有形態(総有や含有を含む)までを含むとすれば、右布告に所有権の得喪変更の形成力までがあつて、民有地であつたものまでがすべて官有地(国有)となつたと解し得ないことは、そのとおりであろう。しかし、そのようにして官有地とせられざりし土地については、これを許さない特段の事情の存しない限り、その後も民有地としての管理が事実上も継続しつづけていたと考えられるし、当時民有の確証あるものについては、別に民有地第三種とされたというのであるから、一般的には、右布告に基づき官有地第三種に編入して以後国有地としての管理支配がなされたことにつき、何人からも異議の申出がなく今日まで継続して来たような場合には、右布告による官有地第三種編入の果した確認的作用に誤りがなかつたものとして、現に国有地であることを推定して妨げないと解すべきである。これを本件についてみれば<証拠>によれば甲路についてであるが、現に大阪府が公有水面使用規則に基づき、これが国有地であることを前提として管理し、<証拠>によれば、それが官有地たることを示す表示もなされているし、本訴の始め被控訴人らもこれを国有水路と主張しだぐらいで長年周辺住民らもこれが国有であることに疑を持たなかつたことが認められるのであつて、右一般的推定を補強しこそすれ、これに疑を持たせる資料は存しないのである。

(二) 事実上の管理に基づく管理責任について

しかし乍ら本件においては、控訴人が本件水路を事実上管理していることは当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実に<証拠>を総合すると、その管理の内容は、甲路については昭和四二年から昭和四六年までの間四回浚渫を行い、本件水害後にはサイホン管部の暗渠管を取り替えてその附近に三〇馬力の排水ポンプを設置し、丙路については昭和四一、二年頃に改修を行い、一方本件水害前から大阪府の寝屋川水系改修計画と併行して甲路の改修計画を策定しており、本件水害後は、各水路のポンプ排水機構を逐次整備しつつあるなどのものである。そして、右事実と弁論の全趣旨によると、右控訴人のなしている本件水路の管理は、前記第二の二(三)3の(1)に認定のように本件水路(とくに甲路)が農業用水路としての機能を失い、事実上都市下水路としての機能を持つに至つたため、いまだこれを下水道法上の都市下水路として指定こそしてはいないけれども、それが法定外公共物でもあるため、控訴人の地方公共団体としての存立目的に内在する固有の権能に基づく住民福祉行政の一環として、事実上これを公共の排水路としての管理を行つているものと認められる。

そして、国賠法二条の立法趣旨に鑑みれば、左様に地方公共団体がその固有の権能に基づき、かかる法定外公共物に対する公の管理を及ぼしている事実が存する場合には、その管理責任が法令上義務付けられたものであると否とに拘らず、同条の適用を受けるものと解すべきであつて、その場合右管理が事務管理に過ぎないこと、およびそれが具体的な法令上の根拠に基づく行政事務でないため管理権限に制約が存することは、その妨げとならない。(なお、被控訴人らは進んで、地方自治法二条三項二号若しくは下水道法によつて、控訴人が本件水路の管理につき、右のような権能のみならず、義務をも有するが如く主張する。しかし、地方自治法の右法条は、地方公共団体の固有事務を例示しているにとどまり、その事務の執行が法律上義務付けられたものかどうかは、各事務につき規定されたそれぞれの法令により定まるものであり、また、下水道法二条五号、二六条、二七条を通覧すれば、たとえ甲路が都市下水路としての適格を具備しているとしても、二七条による推定を待たずして、当然に同法上の管理義務が生ずるものではないし、同適格水路についても、その指定が法律上義務付けられているものとも解し難いので、右都市下水路の指定以前においてこれに法令上の管理義務を有するものとは認められない。しかし、地方自治法の規定は、その様な法令上の根拠をまたずして、地方公共団体がその域内の公共下水路に事実上の管理を及ぼすことをもとより排斥するものではなく、同法二条三項二号は、地方公共団体が、かかる固有の権能を有することをも明示したものと解すべきである。)

よつて、控訴人には本件水路の管理の瑕疵に基づき、他人に加えた損害を賠償すべき責任がある。

二本件水路の状況と本件水害との因果関係

本件水路の概況が請求原因二(二)の(1)のとおりであることは、うち乙路について昭和四二年に排水ポンプが除去されたとの点を除き、当事者間に争いがなく(なお、うち甲路サイホン管部の意義については、前記第二の二(三)3(1)の注参照)、その本件水害当時における排水機能は前記第二の二(三)の3に認定のとおりである。

(一) 乙・丙路について

前記のとおり、本件水害を発生させた被控訴人ら居住地域への湛水が、A4流域の内水滞水とのc点溢水とが半半ぐらいで構成されていると考えられる以上、本件長時間床上浸水域に達した浸水被害に対しc点溢水の寄与度は極めて大きいものがある。しかるところ、乙・丙路が初期の目的どおり、その各集水域で受承した水を谷田川へ排水したとしても、その下流のc点で溢水が起つているからには、その水は再びそこから被控訴人ら居住地域内に還流し、乙・丙路からの谷田川への排水が良好であればあるだけ、谷田川のc点通過流量をそれだけ増大せしめ、その増大した分だけ既にそれがなくても生じているc点溢水量をより増大せしめるという巡還現象を起すこととなる。(被控訴人らは一二日はc点溢水が終日続いていたと主張し、前記のとおり概ねそれは立証された。とすれば、乙・丙路からの排水を谷田川が受容して、c点からもそれを溢水させずに下流へ流下せしめ得たことは、被控訴人らの主張自体からも想定できないことである。)だとすれば、乙・丙路の不疎通は、湛水が内水のみによつてもたらされる場合は格別、右c点溢水現象が現実に生じており、それが本件被控訴人らの被害に決定的な影響を与えたとみられる以上、その影響はこれによつて帳消しとなつたものと考えられる。

たしかに、<証拠>によると丙路においては一二日午前中に前記第二の二(四)に認定の国道越流水の影響を受けて、乙路東端の北側屈折附近で溢水を起こし、これが漸次地盤の低い甲路集水域(本件被害地域)へも流れ込んだことが認められ、また乙路は前記のとおり全く流通がないのであるから、その集水能力を越えた水が甲路集水域へも流れ込んだことも推認に難くない。しかし、何分にも本件被害として特徴付けられる床上浸水に達したのは、前記第一の三に認定したところによれば、最も早いところで午後四時から五時までの間と認められるのであつて、それらが本件被害の発生に及ぼした影響は、前記c点溢水となつて還流されてくることと対比して考えれば、その結果に対してはほとんど問題とするに足りないものであつたと考えられる。

また、乙・丙路の不疎通を、谷田川の水位が低下して、c点溢水が止んだ後において、被控訴人ら居住地域の排水速度に対する影響の有無という点から見ても、前掲<証拠>によつて認められる甲・乙・丙路各集水域の地盤高からみて、乙・丙路の排水不備が、被控訴人ら居住地域である甲路集水域の排水速度に及ぼす影響はほとんどないものと考えられる。

してみると、乙・丙路の不疎通は、本件被害の発生に具体的な因果関係がない。

(二) 甲路について

甲路につき、被控訴人らが指摘する原因は、土砂堆積、サイホン管部の狭隘、ポンプの不設置である。

1 土砂堆積とサイホン管部の狭隘について

前認定の甲路の排水機能が本件水害時の被控訴人ら居住地域の湛水を排水するに堪え得なかつたことは明らかである。しかし、同所に認定した甲路の自然的状態および前掲<証拠>によつて認められる寝屋川本川水位の上昇の傾向と、<証拠>によつて認められる遅くとも一二日の午後四時頃以降は甲路の流末谷田川との接合点において樋門の漏水がみられ、またその頃には谷田川の西側においても甲路はあふれて一帯に冠水していた事実とを総合すると、遅くとも午後四時頃までには寝屋川本川水位の上昇の影響によつて、甲路の疎通能力は完全に阻害され、その頃以降においては、仮りに甲路に土砂堆積がなく、またサイホン管部の口径のより大きいものであつたとしても、甲路が自力で被控訴人ら居住地域の湛水を排水することは不可能であつたと認められるので、甲路の土砂堆積およびサイホン管部の狭隘さが本件水害の発生に与えた影響は、午後四時頃までの間においてその排水を鈍からしめて、その湛水速度を幾分早めたことおよび一三日午後に雨が止んだ後、甲路の谷田川合流点で寝屋川水位の影響がみられなくなつた後、即ち甲路が元来の排水機能を発揮しうる時期(勾配はほとんどないが、被控訴人居住地域内の湛水による自然流圧による流下に期待し得る状態)に到達した後、その後の排水速度を鈍からしめて、その分だけ浸水時間を長期化せしめたことにあると考えられる。

ところで、前記第一の三に認定した被控訴人ら居住地域の浸水経過によれば、一二日午後四時頃には、その湛水位は野崎参道上で膝ぐらいまでで、それから午後五時頃にかけて地盤の低い⑪小辻、⑫中村、⑭横枕方などで床上に達し、その後急速に上昇して行つたものではあるが、右午後四時頃既にその程度の湛水位にあつたことも、本件長時間床上浸水の被害を発生せしめたことに全く無関係であつたとは考えられないし、また甲路の自然的排水能力回復の時点が何時であつたかを適格に把握できる証拠はないけれども、前掲<証拠>と前記甲路への寝屋川本川水位の影響の出方とから推察すれば、<証拠>によつて認められる大型ポンプ二台がここへ据えられて本格的排水が開始された一四日午後よりは早く、同日早朝ぐらいと推定できるので(注)やはり前記第一の四に認定した浸水長時間化に具体的な影響を及ぼしているものと認められ、結局甲路の土砂堆積とサイホン管部の狭隘さとは、本件長時間浸水の被害の発生および拡大との間に相当因果関係があるものとしなければならない。

(注)<証拠>によつて認められる谷田川の西側の甲路の状況からすれば、丙第五号証で寝屋川水位がop4.30を割れば、甲路の排水能力が回復されると見てよい。すなわち、この丙第五号証の値は、その計測個所の標高位と、計器の誤差とが重なつていて、客観的に正しい数値を示している保証はないけれども、なおop値の相対的な変化を読み取る上では支障がないと考えられるところ、前記一二日午後四時頃の同号証の示すop値は4.20であるが、水位計に誤差があつて、一二日一一時以後の数値と比較するためには、これに0.18を加えなければならないので、op4.38と読み替えなければならないが、甲路への影響はこれを内輪に見積つてop4.30と推定とする。ところで、丙第五号証は停電のため一三日正午頃から一五日午前一〇時三〇分までの計測を欠くので、その間の実際の値は把握できないけれども、一三日正午頃がop4.40強を示していて、雨は一三日午後三時頃で止んでいることと、一五日午前一〇時三〇分にはop2.80を示していることからみて、雨の止んだ後一三日夕刻から降下し出し、一四日早朝にはop値4.30ぐらいには下つていたであろうことが推定できる。

2 ポンプの不設置について

本件の場合、甲路のサイホン管部にポンプを設置して谷田川へ排水しても、既にc点で溢水しているほどの谷田川が、その甲路からのポンプ排水を完全に受容して、本件未改修個所で再溢水を起こすことなく下流へ流下せめし得たとは考えられない。現に、<証拠>によれば、久作橋下流の河川上家屋の間からも溢水していたというのである、前記乙・丙路からの排水がc点溢水で帳消となつて本件湛水の発生防止上無意味であつたのと同じく、c点溢水が継続するほどの谷田川の流量が存する限り甲路のサイホン管部での谷田川へのポンプ排水に、被控訴人ら主張のような湛水の発生を阻止する効果を期待することはできなかつたというべきである。被控訴人らはメイストーム時におけるポンプ排水の効果を援用するけれども、メイストーム時には、c点溢水はなく、谷田川にその排水流量を受容し得る余裕が存したものと認められるから、多量のc点溢水があつた本件の場合と比較することはできない。

しかし、ポンプ不設置の点も、前記土砂堆積やサイホン管部の狭隘さの問題と同じく、雨が止んで、寝屋川水位の影響も去つて、谷田川がその排水を受容する能力を回復した後においては、そこにポンプがあつて作動していれば、引水時間も少しでも早くできたと思われ、その時点も前認定の大型ポンプが動き出した一四日の午後より早くこれを作動させ得る状態が到来していたと考えるから、右ポンプの不設置も、本件浸水時間の長時間化については無関係とすることはできない。

三管理の瑕疵の有無

そこで、前認定の本件水害との因果関係が認められる甲路の土砂堆積、サイホン管部の狭隘さ、ポンプの不設置につき、それが本件水路の管理の瑕疵に当るかどうかを判断する。

(一) 甲路の土砂堆積

甲路は前記第二の二(三)の3(1)に認定のとおり、その自然的排水機能が不十分なのであるから、前記一のようにこれに事実上の都市排水路としての機能を期待する以上、常時浚渫をして、その不十分ながらも本来有するだけの排水機能は常にこれを保持させて置かなければならないのであるから、前認定のように、ところによつては半分位も土砂が堆積して排水能力が低下した状態に置かれていたことは、その公の営造物として備えるべき安全性を欠いた状態にあつたものである(そのような状態にあれば、本件の如き浸水時に、それが被害の発生および拡大につながることは予測し得るから、客観的に安全性を欠いた状態であつたと認められる)から、右の管理に瑕疵があつたものとしなければならない。

(二) サイホン管部とポンプの問題

サイホン管部の狭隘さとポンプの不設置も、それぞれ本件被害の発生および拡大に寄与したことは前認定のとおりであるが、それらについては左のとおり、甲路についての控訴人の管理の瑕疵は問い得ない。

1 サイホン管部の口径について

右サイホン管部の暗渠管そのものは、もともと控訴人が設置したものではない。してみれば、甲路がその自然的状態においても、市街化した被控訴人ら居住地域の排水機構として十分でないことは前記第二の二(三)の3に認定したとおりであるけれども、前記一のとおり、住民奉仕の立場から事実上管理している立場での管理責任としては、その目的物の自然的状態において、それが最良の効果を発揮し得る状態に置いておくこと(前記土砂堆積を無からしめること)が必要且つ十分な措置であつて、これを下水道法による都市下水路としての指定のない段階において、その自然的排水機能をより高めるために、控訴人の所有物ではなく、従つてそこに処分権限が存するとは認められない右サイホン管部の暗渠管そのものを作り変えることがされていないことに管理の瑕疵があるとするわけにはいかない。換言すれば、そこには物理的安全性の欠如があつても、控訴人の権限上の制約から、これをそのままにしておいたことに正当な理由があつて、これに管理の瑕疵を問い得ないのである。

2 ポンプの不設置について

前記第二の二(三)の3に認定した甲路の排水能力に照らせば、被控訴人居住地域に浸水の危険が大きいことは予想されるところであるから、地方公共団体の有すべき一般的災害防除責任として、かかる危険個所にその予防的施設を常備することが望まれることはそのとおりであるが、本件水路に対する前記控訴人の立場において、その水路の元来有する排水機能を補うために、水路そのものとは別の排水施設を備えられていないことが、本件水路の管理責任の範囲内の問題として、その瑕疵を問われなければならない。ものかどうかにもいささか疑問があるとともに、<証拠>によると控訴人が計画していた甲路の改修計画においても、右ポンプの設置を考えてはいたが、当時谷田川が未改修であつたため、谷田川へ排水しても、再び被控訴人ら居住地域への逆溢することを考えて、右谷田川の受容能力が十分となる改修時に合わせるべく時期を待つていたことが認められ、前記二(二)2の判断に照らせば、右控訴人の判断も著しく不当とすることはできず、従つて谷田川改修前に生じた本件水害につき、右ポンプが未設置であつたことに止むを得ない事由も存し、この点につき、管理の瑕疵を問うことはできない。本件水害後谷田川の改修完了前にポンプ(三〇馬力)が設置されたことは右判断を左右するに足りない。

(三) 異常豪雨の主張について

控訴人も、本件水害につき、七月豪雨の異常性を不可抗力抗弁に援用する。しかし、その点に関する判断は、前記第三の五を控訴人の関係においても引用する。しかも、控訴人の瑕疵責任は、その水害の発生よりも、その規模の拡大について問われているのであるから、降雨の異常性を不可抗力とすることは、ますます相当でない。

四排水処理の遅延責任について

後記第五の二に説示するとおり、被控訴人宮城の営業上の損害については、控訴人の本件水路の管理の瑕疵による責任はその部分に及ばないので、予備的請求原因である排水処理の遅延に因る損害賠償義務の存否につきここで判断する。

(一) 控訴人が、地方自治法二条三項八号、水防法三条、災害対策基本法五条等により、災害が発生した場合においては、その被害の拡大を防ぎ、災害を復旧し、罹災者を救護するなどの責務があり、防災上緊急を要する場合には、被災地の侵水の排除およびそのための措置、指導等の応急措置を速かに講じなければならない義務を有することは、被控訴人らの主張のとおりである。

(二) しかるに、本件水害時被控訴人ら居住地区においては、一二日午前中にc点溢水が始まり、甲路が徐徐に増水し出し、同日夜半には本件水害の最高水位に達したのに、ポンプ排水が開始されたのは、一四日の午前三時頃であることは当事者間には争いがないから、その点で、必ずしも速かな措置が講じられたものとはいい難いものがある。

(三) しかし、<証拠>を総合すれば

(1) 本件七月豪雨時の水害は大東市としても近年稀な大災害であつて、土地の古老の中には明治の淀川決潰時の災害にくらべる者もいるくらいであつて、床上浸水地区は、被控訴人ら居住地域に止らず、緑ケ丘一、二丁目、深野一丁目、谷川一、二丁目、三住町、住道一、二丁目、大野一丁目等にも広範囲に発生しその浸水の程度においても、住道周辺では胸までつかるぐらいになるなど、被控訴人居住地域にまさるとも劣らない被害が他にも続出していたこと、

(2) 大東市において定めている災害時の配備計画は、

A号配備=災害発生のおそれはあるが、時間・規模等につき推測困難な場合で、関係部長の判断により最小限の必要人員を配備する

B号配備=相当規模の災害が発生し、または発生するおそれがあり、災害応急対策の実施活動が予想される段階

C号配備=大災害が発生すると予想される場合で、総員がその職場につき所定の活動をする

となつているが、一二日は午前九時か一〇時頃にA号配備が発せられ、間もなくC号配備となつたこと、

(3) 被控訴人居住地区へのポンプの搬入についてみると、市には可搬用ポンプが一四台備え付けられていて、建設業者の団体からも一〇台借上げ、一二日午前中に大阪府から三一台の大型水中ポンプを借用して寝屋川堤防へ配備したのであるが、一二日午後から一三日一杯は、府道幹線道路が水没して重車輛の通行が不能となつて、大型ポンプの搬入は一四日の午後までこれをなし得ないこととなつてしまつたこと、可搬用ポンプについては、一二日夕刻以後は被控訴人居住地域では、高水位のため作動しうる状況ではなかつたとともに、他の被害個所に廻してしまつて、手一杯の状態であつたが、漸く一四日午前三時頃までに二台を運び込み水位の低下を待つてこれを作動させ次いで同日午前中にさらに三台を搬入して、合計五台で大型ポンプが来るまで排水に努めたこと

が認められ、これに反する証拠ない。

右認定の事実に徴すれば、排水ポイプの始動時期が遅れたことは止むを得なかつたと認められる。もつとも、一二日の午前中に大型ポンプの搬入を完了しておけば効果は期待できたし、そうすることも全く不可能ではなかつたかも知れない。しかし、このような異常災害のさ中においては、後から考えればそうしておけばよかつたと認められる事柄はいくらでも指摘できるものであつて、それらをいちいち不法行為を構成する作為義務違反と評価するわけにはいかないのである。本件においても控訴人は前記のような近年にない災害に遭遇し、市域全体の災害の防除・軽減のために相当の努力はしていたものと認められ、その中において、右被控訴人ら居住地域に一二日午前中に大型ポンプを運び込んで置くことの配慮を欠いたことをもつて、不法行為を構成する作為義務違反を問うのは余りに酷である。本件において前記排水措置が遅れたことには止むを得ない事情があり、違法性を欠くものとして、控訴人にこれに因る被控訴人らの損害を賠償すべき義務はない。

第五控訴人らの責任の範囲と被控訴人らの損害

一被控訴人らの家庭生活利益の破壊による損害について

前記のとおり、本件水害は自然的にも生じた内水洪水に対し、これと相拮抗するc点溢水および甲路の土砂堆積とが競合して、その水害の規模を第一の一および四に認定の如き「長時間床上浸水域」に達せしめたものと認められる。すなわち、前記第二の四(五)に判断したとおり、内、外水のの割合を五分五分とすれば、前記第一の一認定(別表Ⅰ)の被控訴人ら居住家屋の床高と床上浸水位との関係から見て、極く大雑把な平均的把握ではあるけれども、内水洪水だけなら概ね床高一杯一杯ぐらいで済んでいるものと推認でき、それを前記浸水位に高めたのは、右内水洪水に匹敵する外水量が加わつたことによるものであり、且つその浸水時間が長期化したのも、そのように湛水量が多大となつたことともに、甲路の土砂堆積によるその疎通能力の低下も加功しているものと認められるからである。すると、自然的外力である内水滞水が存在したことは事実であるにしても、その水害の様相を右「長時間床上浸水域」に達せしめて、被控訴人ら主張の家庭生活利益の破壊を決定的ならしめて後記損害を生ぜしめた点については、c点溢水および甲路の土砂堆積、すなわち控訴人らの瑕疵責任は、内水滞水(自然的外力)との前記第二の三に説示した競合関係として寄与したものと認められる。

しかして、その場合控訴人国・府の管理の瑕疵に基づくc点溢水と、控訴人市の管理の瑕疵である甲路の土砂堆積とは、同時に働き合つて、本件水害を右内水洪水域に止まらない規模に高め且つその時間を長びかせる原因力として加功したのであるから、そこにいわゆる客観的関連共同性が認められ、控訴人らは、そのそれぞれの管理行為自体の共同性の存否を問うまでもなく、国賠法四条、民法七一九条により、これによつて被つた被控訴人らの後記損害を全部連帯して賠償すべき責任がある。

二被控訴人宮城の営業上の損害について

この点に対する内水滞水の寄与とそれに対する控訴人市の責任の関わり方は前者といささか趣きを異にする。

<証拠>によれば、被控訴人宮城は図(二)のの自宅兼店舗で精肉業を営み、野崎一丁目二番二三号(図(二)②の東隣)に工場を所有し、店舗に冷凍機付陳列ケースとその奥の方の土間に冷蔵庫二基を、工場の土間に冷凍庫各一基を備え、本件水害時には、店舗の冷蔵庫と工場の冷凍庫内に後記認定量の肉類を貯蔵していたところ、一二日午前中に前記第一の三に認定したとおり床下から徐徐に浸水が始まつたので、土間にある冷蔵庫等の冠水による漏電を虞れてその電気を切つたが、夏期において冷蔵庫がその働きを止めれば庫内の肉類は、生肉で長くて半日、冷凍肉は同二四時間ぐらいしか鮮度を保ち得ないところ、一三日午後になつても水が引かなかつたため、右庫内の肉類が腐敗し、および右浸水によつて冷蔵庫が損傷して後記損害を被つたことが認められる。

右認定の事実と、上記内水滞水量とc点溢水がほぼ五分五分と認められることとを総合すれば、内水洪水だけでも冷蔵庫が水につかり、電気の切断を余儀なくされ、且つその浸水時間も一三日の午後三時頃雨が降り止んでいることから考えると、前記腐敗を招くよりも前に浸水が納まつていなかつたであろうことの多大の蓋然性が推定され得るのである。してみると、前記のとおり、その侵水時間を長時間化、それも一四日の早朝以降の引水時間を長びかせたことにつき責任原因を有する控訴人市は、右損害についてはその責任の範囲外にあるものとしなければならない。すなわち、甲路の土砂堆積の有無に拘らず、右損害は当然に発生し、且つ甲路に土砂堆積があつたことが、その損害の拡大要因となつているものとも認められないのである。次に、本件水害の発生そのものにつき責任原因を有する控訴人国・府に関してみても、右損害については、本件水害が「長時間床上浸水域」に達したことの意味合いを、前記一の被控訴人らの家庭生活利益の破壊の損害が、それによつて始めて生じた関係と同列に論ずることはできず、前記第二の三に述べたように、損害の発生につき、自然的外力と管理の瑕疵とが併存的に寄与した場合には、自然的外力だけでも生じている損害については瑕疵責任は及ばないのであるから、右の如く、或る損害の発生原因につき、それぞれが単独でもこれを生じさせる蓋然性を有する自然的外力と管理の瑕疵とが併存的に寄与した本件の場合においても、損害負担の衡平上、瑕疵責任はその発生した損害のうち、右その発生原因に寄与した度合に応ずる一部を負担すれば足り、その発生原因に対する自然的外力の寄与度に応ずる部分にまでその責任は及ばないものと解すべきである。

そして本件の場合、本件水害現象に対する内水滞水の寄与度は、前記のとおり五分五分であるから、控訴人国・府の賠償の責に帰しうる比率も、五〇%とし、同控訴人らは、後記損害中五〇%を連帯して賠償すべき責任がある。

三損害

(一) 被控訴人らの家庭生活利益の破壊による損害

1 被害事実

前記第一の一および四に認定した本件水害の規模、態様に、<証拠>を総合すると、被控訴人らが本件長時間床上浸水によつて被つた各家庭生活上の被害は、請求原因三の(一)1の(1)ないし(7)に主張のとおりであること、およびこれに関連して金銭的評価の下しにくい多くの財産的損害をも被つていることが認められる。

2 包括一律請求について

被控訴人らは、右家庭生活利益の破壊による損害は、これを個個の財産上の損害および精神上の損害とに分割積算できるもの、若しくはそうすべきものではなく、右生活利益が総合的に侵害されたこと自体を直接包括的に金銭評価すべきものであり、且つそれは被害が一様に生じた各被控訴人ら間に差異を設け得る性質のものではないと主張して、いわゆる包括一律請求に及んでいる。

たしかに、右家庭生活の破壊による損害は、これを構成する個個の事実を乗り越えた一個の総合的損害として把握することも可能であり、且つ不法行為による損害賠償請求権の訴訟物は一個であつて、従来の損害額の算定は、財産上の損害と精神上の損害とに大別し、それぞれの費目の下に、こまかく分析算定され、それぞれの額を合算する個別損害積上げ方式をとつてきたものであるから、被控訴人ら主張のように被害事実を包括的に把握すること自体は、訴訟経済にも益する効果的な着想というべきであろう。しかし、そのように被害事実を包括的に把握し、生活利益の侵害というような抽象的な損害概念を設定してみたところで、これを金銭的に評価するうえにおいては、何ら益するところがない。けだし、その損害概念自体に、例えば物の滅失による損害はその物の時価とするといつたようた、万人を納得せしめる客観的評価基準が内在するわけではなく、これを金銭的に評価しようとすれば、再びその被害を構成する被害費目の算定等に着目して行かなければならず、右包括的把握が直ちに客観的金銭評価を生ぜしめる手段ではないからである。すなわち本質においても、被控訴人らは右生活利益の被侵害事実として、(1)浸水中の生活の不自由、(2)退水後の労苦、(3)家屋および家財の損害、(4)休業損害、(5)資料・愛蔵品等の喪失、(5)健康上の被害、(7)精神上の苦痛を挙げているところ、これらを個個に分析すれば、(3)、(4)、(5)のうちの純財産的部分、(6)につきこれに対処するための医療費の支出等財産的損害として把握、算定し得るものと、(1)、(2)および(5)、(6)一部の如く具体的財産上の損害としての算定不能のものとから成つている。そして、いわゆる包括請求権は、その財産的損害として把握し得るものについても、その具体的算定は容易でないので、個別損害積上げ方式をあきらめ、むしろ、「それらの物(健康を含めて)を利用して営んでいた日常生活」が中断されたという面に着目し、そういう物的被害を通じて、いわばその物的被害の裏返しとして起つている「右生活利益の侵害」そのものの被害としての把握を指向するものであり、その限りでは一面の妥当性を持つものといわざるを得まい。しかし、そのように被害の客体を包括的な生活利益の侵害そのものに括ることは、右のようにこれを構成する個個の被害事実の金銭的評価が不能若しくは困難だつたことに因つたのであるのに、それを包括的に括つた途端に、その評価が具体的に可能となつたとみなすのは、敢えて言えば観念の遊戯でしかなく、強いてこれを行おうとしても、計るべき物差しはなく、裁判所もこの不可能を可能にする手段は持ち合わせないのである。

だとすれば、そのように被害の客体を人の生活利益そのものに置いた場合には、その被害の金銭的回復を得るためには、その生活利益の侵害それ自体の金銭的評価は不能であることを直視したうえ、その人が右生活利益を侵害されたことによつて被つた精神上の苦痛に対する慰藉料の支払を受けることでこれを補填せしめるのが、現行法上最も無難な方法であつて、且つそれにより目的も達する(生活利益の侵害の裏側には、その算定が不能な財産上の損害が隠されていることが慰藉料算定上考慮されるべきことはいうまでもない)のであるから、慰藉料の他に、またはこれと個個の財産的損害とを包括した別個独立の請求形態としての包括請求の主張は、いま直ちに採用することはできない。

なお付言すれば、被控訴人らの包括請求の主張は、これに続く一律請求を尋き出すための論理的伏線のようにも思えるのであるが、この種事実において、訴訟経済上の観点から、請求額を妥当な線で一律に納めようとする着眼には多とするものがあるが、それも慰藉料構成を採ることで相当な程度まで目的を達し得るのであつて、そのために、この種事実の損害額の評価が法律上、常に一律平等でなければならないという被控訴人らの一律請求権もにわかに賛同し難い。

しかして、被控訴人らが、その包括一律請求が採用されない場合、これを慰藉料としての支払を求め、その主張し認定された諸事実を慰藉料算定の斟酌事由にすべて援用する意思のあることは弁論の全趣旨により明らかである。

3 慰藉料額の算定

この点は当裁判所も原審の認定を相当と認める。

すなわち、本件長時間床上浸水により被控訴人らがその家庭生活利益に受けた被害は前記1認定のとおりである。なお、被控訴人62東田66坂本は土間からの浸水位のみ申告しているので、床上浸水ではないのかも知れないが(別表Ⅰ)、その浸水位から推して、日常生活上の被害としては、同程度のものを被つたものと認められる。これによると、被控訴人らは、いずれも、濁水の中で長時間洪水の恐怖にさらされながら、日常生活に種種の不便を余儀なくされ、就寝、食事、用便についても極端な不自由を強いられ、また家屋や家財を汚損され、その復旧、清掃等にも多大の労苦と出費を払わなければならなかつたことが認められ、しかもそれらの被害は複合して生じたものである。しかして、上記被害が控訴人らの公の営造物の管理の瑕疵から生じたものである点を考えると、他方において、本件水害に見舞われたのは必ずしも被控訴人らだけではなく、前記第四の四(三)に認定のとおり、大東市でも他に広範な床上侵水地区が存し、被害程度だけからみれば、その一部には被控訴人らのそれと著しい懸隔のないものも存したであろうこと、および被控訴人らの本件被害の一部には内水洪水だけからでも被つたと考えられるものも含まれることなどの考慮を加えてもなお、原審認定の五五万円という評価は、被控訴人らのうち比較的浸水時間が短かかつた者らについても高きに失するとはいえない評価であり、当裁判所も、被控訴人らの本件長時間床上浸水による家庭生活利益の侵害により被つた精神上の苦痛に対する慰藉料としては、各被控訴人とも右五五万円を下らないものと認める。

この点で、控訴人国・府は、被控訴人らが土盛りをしていなかつたことを損害額の算定上に斟酌すべき旨主張する(別紙三第四の二)。たしかに被控訴人らが全般として土盛りなどの特別の高床建築的配慮をしていたようには認められないし、特に土盛りをした者については、少くともその床上侵水高においては極く僅かですんだことが、被控訴人生島のそれ(別表Ⅰの⑧参照)についての被控訴代理人らの当審第一二回口頭弁論期日における釈明によつても明らかなところである。たしかに一般的には、被控訴人ら居住地域のような地形で、低湿且つ内水化し易い場所に居住する場合、予めこれに備えた土盛などの高床対策を講じておくことが望ましいことはいうまでもなく、本件においても、相当の対策が講じられておれば、それが本件被害結果にも影響を及ぼしたことは充分推認し得るところであるから、少くともこれを慰藉料の算定上の斟酌事由に加えるのを排することはできない。しかし、左様な防災対策は、もともと自然的内水洪水の発生に対する対策としてなされるべきことで、河川管理等の瑕疵から発生するいわば人的といえかねない災害に対してまでも備えておかなければならないものではない。本件はそうした自然的内水洪水域に止るべきものを控訴人らの河川等の管理の瑕疵が本件被害域に高めたものであること、また被控訴人生島にしても、現に土盛りを施すという努力を尽したのに、それが本件では役に立たず、浸水高においては僅かであるが、浸水時間においては相当の被害を被つていることなどを考慮すると、これを前記慰藉料算定上に斟酌しても、前認定額を左右するに足らず、また土盛をしていた者としていなかつた者とで算定額に差異を設けることも相当でない。

(二) 被控訴人宮城の営業上の損害

被控訴人宮城が本件水害によつて冷凍機などの買替修理の出費と貯蔵肉の腐敗による損害を被つたことは前記二のとおりであり、その具体的損害額は左のとおり合計七一二万九〇〇〇円である。

(1) 冷凍機等の買替および修理費用

三〇万円

<証拠>によつて認められる。

(2) 貯蔵肉類の腐敗による損害

六八二万九〇〇〇円

<証拠>を総合すると、本件水害のため、被控訴人宮城の店舗および野崎一丁目二番二三号の工場に貯蔵していた

(イ) 和牛骨付肉 三〇〇瓩

(瓩当単価一二〇〇円)

(ロ) ホルスタイン牛 同三〇〇瓩

(同七〇〇円)

(ハ) 豚骨付肉 二四〇〇瓩

(同少くとも四二五円)

(ニ) 牛正肉 二〇〇瓩

(同二〇〇〇円)

(ホ) 豚正肉 八〇〇瓩

(同八〇〇円)

(ヘ) 豚ロース 三、二四〇瓩

(二七〇ケース) (同九〇〇円)

(ト) 豚その他 三、七六〇瓩

(同少くとも三五〇円)

が腐敗し、これを他に肥料として三万三〇〇〇円で売却したことが認められる。

(算式) 1,200円×300+700円×300+425円×2,400+2,000円×200+800円×800+900円×3,240+350円×3,760−

33,000円=6,829,000円

右(イ)(ロ)に関する甲第七五号証は当審で始めて提出された書証であり、本人宮城の当審供述によると、その提出の時機が遅れたのは、それも原審提出の甲第五七号証の一ないし七と同じ頃入手し、訴訟代理人に預け置いたのが、その手元で提出洩れとなつていたためであると釈明するところ、同本人が原審供述の中で、右(イ)(ロ)の単価が右甲第七五号証のそれと符合する記載の証明書を貰つている筈だと述べている点に照らし、右同号証の原審提出洩れの釈明に偽りはないと認められる。また(ニ)ないし(ト)については、その仕入関係を裏付ける書証はないけれども、他に売却した腐肉の明細を記載した甲第五六号証は、その作成日時が本件水害直後(七月一五日)の取引当時であることに徴し、その信用性に格段の疑を差しはさむべき理由もないので、同号証に記載された正肉一〇〇〇瓩、豚七〇〇〇瓩の存在はこれにより認め、その内訳は本人の供述(但し左記のとおりその一部は採用しない)によつて認めた。

被控訴人は右(ヘ)が一ケース一五瓩で四〇五〇瓩であり、(ト)は、もも肉(単価七〇〇円)が一六〇〇瓩、腕肉(同五〇〇円)が一二七五瓩、バラ肉(同三五〇円)が九七九瓩であると主張するが、本人宮城の当審供述によれば(ヘ)の一ケースは一二瓩と認められる。そして、甲第五六号証によると(ト)と(ヘ)で合計七、〇〇〇瓩と認められるので、(ト)はそれから三、二四〇瓩を控除した残三、七六〇瓩と認め、且つその内訳については右本人の供述によるほか裏付けがないので、最も低額のバラ肉の単価によつて認定し、これを越える部分は立証不十分とする。

控訴人国・府の過失相殺の主張(別紙三第四の二、三)であるが、土盛りの問題については、既に前記二のとおり、内水洪水寄与減額をするところ、その減額理由中に主張の観点も結局包摂されているわけであるから、重ねて取り上げることはできず、電気の切断は、前認定(二)のとおりであるが、水がつかりそうになれば、電気を切るのはいわば常識であるし、その後他に腐敗防止の措置を講ずるいとまはなかつたと認められる。右控訴人らの主張はいずれも採用できない。

(三) 弁護士費用

被控訴人らが本訴の提起・進行を被控訴代理人らに委任したことは記録上明らかであり、本件事案の内容、審理経過、前認容額などに照らすと、被控訴人らが控訴人らに対し、控訴人らの責任と相当因果関係にある損害として請求し得る弁護士費用としては、被控訴人らの各家庭生活利益の破壊による損害請求に関するものとして各五万円、被控訴人宮城の営業上の損害請求に関するものとして二五万円とするのが相当である。

第六結論

以上の次第であるから控訴人らは被控訴人らに対し各慰藉料五五万円と弁護士費用五万円の合計六〇万円を、控訴人国・府は被控訴人宮城に対し営業上の損害七一二万九〇〇〇円の五割である三五六万四五〇〇円と弁護士費用二五万円の合計三八一万四五〇〇円を、それぞれ連帯して支払うべき義務がある。

従つて、(一)被控訴人宮城を除く被控訴人らに関しては、本訴各請求(弁護士費用相当分を除く五五万円に対する不法行為時である昭和四七年七月一四日以降支払済みまで年五分の割合による法定遅延損害金の付帯請求を含む)はいずれも正当として全部認容すべきものであるから、これと同旨の原判決は相当であつて、本件控訴はいずれも理由がない。(二)被控訴人宮城に関しては、本訴請求は控訴人らに対し各自六〇万円と内弁護士費用相当分を除く五五万円に対する前同日から同率の遅延損害金および控訴人国・府に対し各自三八一万四五〇〇円と内弁護士費用相当分を除く三五六万四五〇〇円に対する前同日から前同率の遅延損害金の支払を求める部分を正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきである。すると控訴人らに対し各自四六五万三八〇〇円と内金四四五万三八〇〇円に対する右割合の金員の支払を命じた原判決は一部不当であるから、控訴人らの控訴はいずれも一部理由があり、同被控訴人の附帯控訴は理由がない。

よつて、民事訴訟法三八四条、三八五条により控訴人らの被控訴人宮城を除く被控訴人らに対する本件控訴をいずれも棄却し、控訴人らの控訴に基づき、原判決中被控訴人宮城勝訴の部分を変更し、同被控訴人の本件附帯控訴はこれを棄却し、訴訟費用につき同法八九条、九二条、九三条、九五条、九六条を適用して主文のとおり判決する。

(本井巽 坂上弘 潮久郎)

別紙一被控訴人目録<省略>

別紙二被控訴代理人目録<省略>

別紙三控訴人国・大阪府の主張<省略>

別紙四控訴人大東市の主張<省略>

別紙五被控訴人らの主張<省略>

別紙六検号証(写真)立証趣旨・認否表<省略>

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