大阪高等裁判所 昭和52年(う)1274号 判決
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【説明】
摂氏五度を下回り北風が吹き霙が降る厳寒期(二月一九日)の午後四時半ころ、ひ弱で動作も鈍重な四歳三か月の男児を室内着のまま素足でベランダに締め出して死亡させた事件について、母親に保護者遺棄致死罪が適用されたものである。右罪の罪質、故意、懲戒権との関連などについての判示が参考となるであろう。
【判旨】
控訴趣意第一(事実誤認の主張)について
論旨は、要するに、原判決は、被告人が原判示の日の午後四時四四分頃原判示雅深を自宅のベランダに出したまま放置して遺棄した旨認定したが、右午後四時四四分頃の段階ではいまだに雅深の生命、身体に対する抽象的危険の発生はなく、被告人にもその認識はなかつたのであるから、被告人は遺棄の実行行為も故意もなく、この点原判決は事実を誤認したものである、というのである。
しかしながら、原判決挙示の証拠によれば、原判示の認定ないし判断は大綱において正当として是認され、記録を精査検討しても所論の違法は認められない。
即ち、遺棄罪は生命、身体を保護法益とする抽象的危険犯であると解すべきところ、抽象的危険犯においては一般的に法益侵害の危険が存在すると認められれば足りるのであるから、遺棄罪における被遺棄者の生命、身体に対する危険も右の程度のもので足りるというべきである。原判決挙示の証拠によれば、被告人は、気温が摂氏五度を下回り北風が吹き霙が降つたりにわか雨が降つていた厳寒期(二月一九日)の午後四時三〇分頃、ひ弱で動作も鈍重な満四年三箇月の雅深を室内着のままの薄着(毛系の長袖セーターと長ズボン、メリヤスの長袖シヤツとパンツ)で、しかも素足で室外のベランダに締め出したばかりでなく、右ベランダ動き回ることもなく、ただじつと踞つているだけの同児を約一四分経過した午後四時四四分頃になつても入室させず、以後原判示のように放置したことが認められ、これによると、右四時三〇分頃に同児をベランダに出した時点で同児の生命、身体に対する抽象的な危険が発生したと認め得る余地さえないではなく、それから一〇数分経過した右四時四分の時点以降において右危険の発生が動かし難いものとなつたものと考えられ、更に前掲証拠、特に被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書によると、被告人には以上の点の事実認識に欠けるところがなかつたことが認められるから、被告人の遺棄の犯意及び行為は、これを首肯するに十分である。
所論は、被告人は午後四時四四分以降も雅深の動静を見守つていたのであり、放置していたわけではないと主張するが、関係証拠によると、被告人は右時点以降雅深の様態を看守していたことはないと認められるから、所論は理由がない。
その他所論にかんがみ記録を検討しても、原判決には判決に影響を及ぼすような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。
控訴趣意第二(法令適用の誤りの主張その一)について
論旨は、要するに、原判決は、本件当日午後四時四四分の段階において被告人に直ちに雅深を入室させるべき義務があつたとするが、被告人は親権者として子に対する懲戒権を適法に行使していたのであるから、右の段階で右のような義務はなく、この点原判決は刑法二一九条、二一八条一項、三五条の適用を誤つたものである、というのである。
しかしながら、被告人は雅深の親権者(母)であるから、同児の保護責任者として、その生命、身体が抽象的にも危険にさらされることのないようこれを保護すべき義務を負うものであるところ、前記認定の具体的事情のもとでは、午後四時四四分の段階で雅深を入室させず放置すればその生命、身体に抽象的危険が発生する状態にあつたことは明らかであるから、原判決が右の時点で直ちに雅深を入室させるべき義務があつた旨判断したのは相当である。そして、親権者の子に対する懲戒行為として違法性が阻却されるためには、単に動機、目的が懲戒にあるというだけでは足りず、その手段、方法が懲戒権の行使として相当なものでなければならないのであり、本件の如き場合あえて雅深をベランダに出し厳寒期の外気にさらすとすれば、あらかじめ同児の心身の状態や気象条件などに応じ、服装や滞留時間にまず細心の配慮をすべきは勿論、同児がベランダにいる間は(時間が長引くにつれて一層)同児の顔色その他心身の徴候や状態を適確に把握できるようたえず注意深く観察するなど必要に応じ臨機の処置をとりうる態勢と方法をとることが必要と解せられるところ、被告人はことここに出でず原判示のように前示の時点以降、漫然厳しい寒気のもとに雅深をベランダに放置し遂には凍死するに致らせたのであるから、これを正当な懲戒権の行使であるとは、到底認めることはできない。論旨は理由がない。
控訴趣意第三(法令適用の誤りの主張その二)について
論旨は、要するに、被告人には雅深の生命、身体に対する抽象的危険の認識も保護義務懈怠の意識もなかつたのに、原判決が被告人に保護者遺棄致死罪の故意ありとしたのは、刑法三八条一項、三項、二一九条、二一八条一項の解釈、適用を誤つたものであるというのである。
しかしながら、遺棄罪の故意としては、抽象的危険の発生を基礎づける事実を認識する以上、更に右の危険自体を認識することは必要でなく、右のような事実を認識しながら右危険を認識しないのは正しく違法性の錯誤であり、それがため故意が阻却されることはないというべきである。又、右錯誤についての過失の有無も犯罪の成否に影響せず、せいぜい量刑の事情となりうるにすぎない。本件においては、被告人は、当時の気象条件、ベランダの場所的条件、雅深の心身の状態、服装など同児の生命、身体に対する抽象的危険を基礎づける事実を十分認識していたのであるから、その故意に欠けるところはないといわなければならない。のみならず、被告人の認識していた右各事実に徴すると、被告人は右の危険自体をも認識していたものとみるのが相当である。
又、保護義務懈怠の意識も前記抽象的危険の認識と表裏一体をなすものであつて、それと同様違法性の認識の問題であり、故意の要件ではないと解すべきである。
(西村哲夫 青木暢茂 笹本忠男)