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大阪高等裁判所 昭和52年(う)13号 判決 1978年5月11日

主文

原判決を破棄する。

被告人稲葉悟を懲役一二年に、被告人池田己千美を懲役八年に各処する。

被告人両名に対し、原審における未決勾留日数中いずれも五〇〇日を右各刑に算入する。

理由

本件各控訴の趣意は、検察官については大阪地方検察庁検察官検事村上流光作成の控訴趣意書、被告人稲葉については弁護人田原睦夫および同被告人各作成の控訴趣意書、被告人池田については弁護人吉田恒俊、同松尾直嗣共同作成の控訴趣意書にそれぞれ記載されているとおりであり(但し、弁護人田原睦夫において、被告人稲葉作成の控訴趣意書記載の主張の要旨は、同被告人の本件犯行は計画的なものではなく、その動機は被告人池田と同棲するためではない、また、被告人稲葉には犯行当時殺人の確定的故意はなかったし、池田良雄の生命保険の保険金を取る目的もなかったのであって、これらの点で原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というものである旨釈明した。)検察官の控訴趣意に対する被告人池田の答弁は弁護人吉田恒俊、同松尾直嗣共同作成の答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

弁護人田原睦夫の控訴趣意中審理不尽の主張について

論旨は、要するに、原裁判所は弁護人のなした被告人稲葉の精神鑑定の申請を却下したが、同被告人については種々異常な点が見られるので精神鑑定をなすべきであり、この点原審には審理不尽の違法がある、というのである。

しかしながら、記録を精査しても、被告人稲葉が、本件犯行当時、精神の異常により是非善悪を弁別し、それに従って行動する能力を欠き、または、著しく減弱せしめていたことを疑うべき事跡は所論にかかわらず存在せず、かえって、被告人両名の検察官および司法警察員に対する各供述調書、その他関係各証拠によると、同被告人が本件犯行当時右のような能力を備えていたことは十分推認しうるところであるから、原裁判所が弁護人のなした同被告人の精神鑑定の申請を却下したからといって、審理不尽の違法があるということはできない。論旨は理由がない。

被告人稲葉の控訴趣意について

論旨は、要するに、被告人稲葉の本件犯行は、計画的なものではなく、その動機は被告人池田と同棲するためではない、また、被告人稲葉には本件犯行当時池田良雄を殺害する確定的故意はなかったし、同人の生命保険の保険金を取る目的もなかったのであって、これらの点で原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、所論にかんがみ記録を精査し、関係各証拠を仔細に検討しても、所論の点に関しては原判決に事実誤認のかどはなく、論旨は理由がない。

検察官の控訴趣意中事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決は、本件においては、被告人稲葉の単独正犯とこれに対する被告人池田の幇助犯が成立するにとどまり、実行共同正犯も共謀共同正犯も成立しない旨認定したが、被告人池田は、被告人稲葉と本件殺人の謀議を遂げたうえ、右謀議に基づき本件殺人の実行々為の一部ないしはこれに密接かつ必要な行為を行ったものであるから、本件においては被告人両名の共同正犯の成立を肯認すべきであり、この点原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

よって調査するに、原判決は、右の点につき、実行共同正犯が成立するためには、共同者のおのおのが少なくとも実行々為の一部を分担実行することが必要であるが、被告人池田は本件殺人の実行々為の一部を分担実行したとはいえないから、実行共同正犯は成立せず、また、被告人両名の間に本件殺人の共謀、すなわち、共同意思のもとに一体となって互いに他の行為を利用し各自の犯罪意思を実行に移すことを内容とする謀議が成立したと認定するには疑問が残るから、共謀共同正犯も成立しないとし、結局、被告人池田については正犯としての刑責を問うことができないと判断したものである。

そこで、まず、被告人両名の間に右のような共謀が成立していたかどうかについて検討するに、《証拠省略》によると、被告人稲葉は、池田良雄(以下単に良雄という)から被告人池田との密通を裁判沙汰にするといわれて高額の慰藉料を要求され、かつ、被告人池田から良雄が同被告人を執拗に折かんすると聞いて、良雄に対し強い憎悪の念を抱くとともに、被告人池田と密通を重ねるうち同被告人が本心から好きになり、同被告人も同じ気持であることを知り、これと同棲するため邪魔になる良雄を殺害しようと考えるに至り、さらに、被告人池田をして良雄に高額の生命保険をかけさせ、事故死を装って良雄を殺害し、取得した保険金を同被告人と同棲を始めた後の生活費や子供の養育費に当てようと意図し、被告人池田に対し良雄に高額の生命保険をかけることを慫慂し、種々の犯行計画を巡らし、被告人池田の協力を求め、後記のように逡巡する同被告人を牽引する状態で本件犯行に至ったものであり、その被告人池田とともに良雄を殺害し同被告人と同棲しようとする意思は固く、かつ、本件犯行に至るまで一貫して存続していたこと、他方、被告人池田も、被告人稲葉との間のかつて経験したことのなかったような性的快楽や同被告人の同情的な態度等から、同被告人との密通を重ねるうち、情欲に溺れ、身も心も同被告人に奪われた状態になり、同被告人が良雄殺害を決意していることを知った後も良雄に隠れて同被告人との密通を重ね、ますます同被告人に対する執着を強め、むしろ邪魔になる良雄を亡き者にしてでも同被告人と一緒になりたいと思うようになったが、それと同時に、三人の子供らの将来のことや犯行が発覚した場合のことを考えると怖じ気がつき、被告人稲葉とともに良雄の殺害を実行することには容易に踏み切れず遅疑逡巡し、その結果、一方では、前記のような被告人稲葉の意図を知りながら、その慫慂により良雄に普通死亡時五千万円、災害死亡時一億円の生命保険をかけ、被告人稲葉の指示により、同被告人との同棲生活に備え、子供らを同被告人に懐かせるため子供三人をつれて同被告人とともに映画を観に行き、さらに、被告人稲葉が良雄が外で飲酒する機会に同人を殺害しようと考えていることを知りつつ、良雄が職人をつれて鳥取県の三朝温泉へ慰安旅行に行くことを同被告人に教えたりしながら、他方では、被告人稲葉が良雄殺害の計画を実行に移すのを恐れて前記のとおり良雄に高額の生命保険をかけたことを同被告人に知らせることをためらい、それを知らせた後も、同被告人が保険証書を見せるよう要求するのに対してこれに応ぜず、良雄が外で飲酒する予定をわざと被告人稲葉に知らせなかったこともあり、さらに、同被告人から良雄殺害に関して睡眠薬を渡されても、あるいは捨て、あるいは自宅に持帰って隠匿保管するなど相矛盾するような行動をとり、また、総じて被告人稲葉の良雄殺害の実行計画に対しては、これに積極的に協力する態度をとっていなかったと同時に、これを積極的に阻止し、あるいは、強く反対する態度もとっていなかったこと、そして、被告人池田は、昭和五〇年五月二〇日過頃、被告人稲葉から、被告人池田が自宅で良雄に睡眠薬を飲ませて熟睡させたうえ、被告人稲葉が玄関の下駄箱の上に置いてある飾り石で良雄の後頭部を強打して殺害し、死体を浴室に運び同人が転倒して頭部を打ち死亡したように見せかけるという犯行計画を告げられた際も、これに強くは反対しなかったが、犯行が発覚することを恐れて積極的に協力するような態度も見せず、さらに、同年六月一〇日午後、被告人稲葉から、電話で、翌一一日夜右計画を実行する旨告げられた際も、「弟が来るから」といって決行を延ばそうとし、また、本件犯行当夜、被告人稲葉が良雄殺害のため忍んで来た際も、「弟が来ているから」と嘘をいって決行を延ばそうとしており、良雄殺害の実行につき容易に決断がつかない状態が本件犯行の直前まで続いていたこと、しかし、被告人池田は、右のように「弟が来ているから」と嘘をいって決行を延ばそうとしたものの、被告人稲葉から直ちに嘘であることを看破され、かつ、同被告人がどうしても同夜前記計画を実行する決意でいることを察知し、その後は、同被告人の指示に従い、二階に上り良雄が就寝していることを確認して来てこれを同被告人に告げたのち入浴し、浴室で同被告人と肉体関係を結び、同被告人から「おやじとはもうこれが最後やから抱かれて来い」といわれて二階に上って良雄と肉体関係を結び、同じく同被告人の指示により玄関の下駄箱の上に置いてあった飾り石を、覆面用のパンティーストッキングとともに同被告人に渡し、さらにかねて同被告人から渡されて応接間の人形ケースの中に隠していた睡眠薬(ベンザリン)五錠をカルピスに混ぜて溶かし、二階に持って上って寝かけていた良雄を起こして飲ませ、その後、被告人稲葉が良雄を殺害した際もなんらこれを阻止しようとしなかったことの各事実が認められるところ、右各事実と、被告池田の検察官に対する昭和五〇年七月一日付および司法警察員に対する同年六月二八日付各供述調書中、本件犯行当夜稲葉が忍んで来た際「今日は弟が来ているから」といって帰ってもらおうとしたが、嘘と見破られてからは、自分は稲葉に従って夫を殺しどこまでも稲葉について行こう、それ以外に道はないと決心した、このように決心すると落着きが出て来た旨の供述記載を総合し、かつ、本件犯行の原因となった被告人両名と良雄の関係、すなわち、被告人両名が結ばれるためには良雄はますます邪魔な存在となっていたこと、および被告人池田は被告人稲葉に身も心も奪われた状態になり、同被告人とは別れたくないとの強い執着が終始一貫してあり、被告人稲葉は被告人池田の言動から、同被告人が自分についてくることを確信して一途に良雄殺害の意欲に燃えていたこと、ならびに本件犯行計画の態様における被告人池田の立場の特殊性、すなわち、前記の犯行計画は被告人池田の全面的協力が前提であり、これがなければ当初から計画自体が成立しない性質のものであり、同被告人がその気になればきわめて容易に実行を阻止しうる立場にあったこと等の点を考慮すると、本件犯行当夜、被告人稲葉が良雄方に忍んで来る以前においては、被告人池田が被告人稲葉とともに良雄を殺害することを決意し、このことが被告人稲葉に通ずれば、直ちに被告人両名の間に共謀共同正犯の成立に必要な共謀(両名が良雄殺害のため共同意思のもとに一体となって互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議)が成立する状態にあったところ、被告人池田は、本件犯行当夜、被告人稲葉が忍んで来た際、同被告人がどうしても同夜良雄殺害の計画を実行する決意でいることを察知すると同時に、同被告人とともに良雄を殺害することを決意し、そのことはおのずから被告人稲葉に通じたものと認めるのが相当であり、右の時点において被告人両名の間に本件殺人の共謀が成立したものというべきである。

原判決は、被告人池田が良雄に睡眠薬入りのカルピスを飲ませた際、事前に被告人稲葉から注意されていたにもかかわらず、自らも一部飲み、その場で一時間余り眠った点、ならびに、被告人稲葉が飾り石で良雄の後頭部を殴打した後は、良雄が死んだものと思い、呆然自失の体となり、あるいは恐怖のため何もなしえず震えていた点を挙げ、これを共謀認定上の疑問点とするけれども、被告人池田の検察官に対する昭和五〇年七月一日付および司法警察員に対する同年六月三〇日付各供述調書中には、同被告人が睡眠薬入りカルピスの入ったコップを持って二階に上り、寝かけていた良雄を起こしたところ、同人がこれを見て「おれにもくれ」といったが、「これ、わたしが飲むんや」といって少し飲んでから同人にコップを渡した旨の供述記載があり、これによると、同被告人が右睡眠薬入りカルピスを一部飲んだのは、右の「これ、わたしが飲むんや」という言辞と相俟って、むしろ、右カルピスを疑われることなく自然に飲ませるための演技としてなしたものと見るのが相当であり、その後同被告人が眠った点については、前掲各供述調書によると、二男由貴に寄り添って横臥し、むずかる同児をあやしているうち、疲れていたせいもあって、ついうとうとと眠ってしまったものと認められ、さらに、被告人稲葉が飾り石で良雄の後頭部を殴打した後の被告人池田の様子については、《証拠省略》によると、被告人池田は、被告人稲葉が飾り石で良雄の後頭部を殴打し失神した同人を浴室に運んだ後、二階にあった右飾り石を階下に運んで被告人稲葉に手渡したことが認められ、《証拠省略》によると、犯行終了直後、被告人池田は、その理由は必ずしも明らかでないが、被告人稲葉に現金二万円余の入った布袋を手渡したことが認められるので、少くともその程度には心理的余裕があったということができ、被告人池田が果して原判示のような状態であったかどうか、かなり疑問であるうえ、かりにそうであったとしても、それは、同被告人の目前で悽惨な殺害行為が行われたことや長年連れ添い苦楽をともにして来た夫を遂に殺害してしまったと思ったときの心情に徴すると、被告人稲葉との間にあらかじめ良雄殺害の共謀が成立していたとしてもなお十分考えられることであり、格別不自然な現象ではなく、したがって、右の各点はいずれも共謀認定の妨げとなるものではない。

次に、いわゆる実行共同正犯の面から検討してみるに、いわゆる実行共同正犯が成立するためには、主観的には共同して犯罪を実行する意思が、客観的には共同して犯罪を実行した事実がそれぞれ存することが必要であるが、後の共同実行の事実については、共同者のおのおのが実行々為そのものか、これに密接かつ必要な行為を行うことを要し、かつ、それで足るものと解すべきである。関係証拠によれば、本件においては、良雄方において、まず被告人池田が良雄に睡眠薬を飲ませて同人を熟睡させたうえ、被告人稲葉が飾り石で良雄の後頭部を強打して殺害し、死体を浴室に運び同人が転倒して頭部を打ち死亡したように見せかけるという計画のもとに、被告人両名が良雄の殺害を共謀し、同人方において、被告人池田が睡眠薬(ベンザリン)五錠をカルピスに混ぜて溶かし二階に持って上って寝かけていた良雄を起こして飲ませ(前記のとおり一部同被告人も飲んだ)、約一時間半ぐらい後、被告人稲葉が飾り石で熟睡していた良雄の後頭部を一回強打し、失神した同人を死亡したものと誤信して階下浴室に運び、浴槽にもたれさせて座らせていたところ、同人が意識を回復しかけて立ち上ったので、これを押し倒し、その頭部を押えつけて浴槽の湯の中に漬け、前記後頭部の打撃による吐物を吸引させて窒息死させた事実が認められるところ、右の被告人池田が睡眠薬をカルピスに溶かして良雄に飲ませ同人を熟睡させた行為は、これを右犯行の態様との関連において見た場合、少なくとも本件殺人の実行々為に密接かつ必要な行為に当るものというべきである。

以上のように、被告人両名は、本件殺人を共謀し、それに基づきそれぞれ本件殺人の実行々為もしくはこれに密接かつ必要な行為を行ったものであるから、いずれにしても、本件殺人の共同正犯の刑責を負うべきものであるといわなければならない。したがって、本件においては被告人稲葉の単独正犯とこれに対する被告人池田の幇助犯が成立するに過ぎないとした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りおよび事実の誤認があり、原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、その余の控訴趣意(いずれも量刑不当の主張)に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により被告事件についてさらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人稲葉は、昭和四九年九月初頃左官業を営む池田良雄(昭和九年一〇月六日生)に雇われ、左官職人として働いていたところ、同年九月二三日頃良雄の妻であった被告人池田と肉体関係を結んだところを良雄に発見され、即日解雇されたが、被告人両名は、その後もしばしば良雄に隠れてホテル等で密会し情交を重ねているうち、互いに本心から好きあうようになり、離れ難い仲となった。そして、被告人稲葉は、良雄から高額の慰藉料を要求され、また、被告人池田から良雄が執拗に折かんすると聞かされて、良雄に対する憎悪の念も加わり、良雄を殺害して被告人池田と同棲しようと決意するに至り、同棲を始めた後の生活費や子供の養育費等のため被告人池田を慫慂して良雄に高額の生命保険をかけさせ、種々良雄殺害の計画を巡らし、被告人池田に協力を求めたが、被告人池田は、被告人稲葉との肉欲に溺れ同被告人とともに良雄を亡き者にしてでも同被告人と一緒になりたいと思うと同時に、良雄との間の三人の子供のことや犯行が発覚した場合のことを考えると怖じ気づき、容易に良雄殺害の実行には踏み切れず、逡巡しながら同被告人との密通を重ねていた。そうするうち、被告人稲葉は、良雄殺害の計画として、良雄方において、被告人池田が良雄に睡眠薬を飲ませて熟睡させたうえ、被告人稲葉が玄関の下駄箱の上に置いてある飾り石で良雄の後頭部を強打して殺害し、死体を浴室へ運び同人が転倒して頭部を打ち死亡したように見せかけることを考え、昭和五〇年五月二〇日過頃右計画を被告人池田に打ち明け、同年六月一〇日これを翌一一日夜実行する旨同被告人に伝え、一二日午前零時頃いよいよ良雄を殺害すべく東大阪市○○○×丁目×番×号の良雄方に赴いた。これに対し、なお右実行について逡巡していた被告人池田は、とっさに「弟が来ているから」と嘘をいって右実行を延ばそうとしたが、直ちに被告人稲葉から嘘であることを看破され、かつ、同被告人がどうしても同夜右計画を実行するつもりでいることを察知するや、もはや同被告人とともに良雄を殺害するほかはないと決意するに至り、ここに被告人両名は良雄の殺害を共謀のうえ、同日午前二時頃、被告人池田が睡眠薬(ベンザリン)五錠をカルピスに混ぜて溶かし、これを持って二階六畳間に行き、寝かけていた良雄を起こしてその大半を飲ませ、午前三時三〇分頃、被告人稲葉が飾り石(重さ約二・三キログラム)を持って上って熟睡している良雄の後頭部を一回強打し、意識を失った同人を死亡したものと誤信して階下浴室へ運び、浴槽にもたれさせて座らせていたところ、同人が意識を回復しかけて立ち上ったので、これを押し倒し、片方の手で同人の口や鼻を押え、他方の手で頭部を押えつけて浴槽の湯の中に漬け、よって同人をしてその場で前記後頭部の打撃による吐物を気道内に吸引させて窒息死させ、殺害の目的を遂げたものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の主張に対する判断)

原審において、被告人池田の弁護人は、同被告人は、本件犯行当時、多忙のため心身ともに疲労が蓄積したうえ、被告人稲葉にひかれる気持と夫や子供に対する罪悪感との相克から、著しい精神的葛藤が生じ、心理的に極度に不安定で、かつ、緊張した状態にあり、心神耗弱の状態にあったものである旨主張する。

よって、検討するに、同被告人が本件犯行直前まで、一方では、良雄を亡き者にしてでも被告人稲葉と一緒になりたいという気持に駆られながら、他方では、子供たちのことや犯行が発覚した場合のことを考えて怖じ気づき、被告人稲葉の働きかけにもかかわらず、良雄殺害の実行の決断がつかないまま遅疑逡巡していたことは前記認定のとおりであり、そのため同被告人が精神的に不安定な状態であったこと、とくに、犯行当夜被告人稲葉が忍んで来るまでの間は、不安がつのり、かなり不安定で緊張した精神状態にあったことは、いちおう推測しうるけれども、責任能力に影響を及ぼすようなものであったとはとうてい考えられず、また、前にも認定したとおり、被告人池田は、犯行当夜被告人稲葉が忍んで来た際、同被告人がどうしても同夜良雄を殺害するつもりでいることを察知してからは、同被告人とともに良雄を殺害することに意を決したこと、その後の被告人池田の言動に格別異常と思われる点が見られないこと、同被告人は本件犯行時およびその前後の状況につき相当詳細に、かつ、おおむね正確に記憶していると認められること等の点を総合すると、被告人池田が、本件犯行当時、是非善悪を弁識し、その弁識に従って行為する能力の著しく減弱した状態になかったことは明らかであるから、原審弁護人の右主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人両名の判示各所為は刑法六〇条、一九九条に該当するので、所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、所定刑期の範囲内で処断すべきところ、量刑に当っては、本件は、良雄の妻であり、もと使用人であった被告人両名が、良雄に隠れて不倫な関係を続けるうち、同棲するためには良雄が邪魔になるとしてこれを殺害したものであって、動機においてはなはだ悪質な事案であり、しかも、あらかじめ良雄に高額の生命保険をかけ、事故死を装うことを企図していたものであること、被害者である良雄は、温和で善良な人柄であり、妻である被告人池田を愛し、仕事一途にまじめに暮らしていた者であって、本件犯行の動機に関しても格別責めらるべき点はなかったこと、前記のとおり犯行の態様、罪質、なかんずく、犯行の計画性と手段の残酷性、しかも、一家の柱である頑健で働き盛りの被害者の生命を奪うという結果の重大性、被告人稲葉については、早くから良雄の殺害を意図し、被告人池田を慫慂して良雄に高額の生命保険をかけさせ、長期間にわたって執拗に犯行計画を巡らし、逡巡する被告人池田に働きかけて遂に良雄殺害を共謀せしめ、おおむね犯行の主動的役割を果したものと見られること、被告人池田については、三人の子供の母であり、夫のある身でありながら情欲に溺れて被告人稲葉と不倫な関係を続け、遂には一三年間連れ添った夫を殺害するに至ったものであり、家庭を破壊し、何よりも子供達の幸せを守ってやるべき母としての立場を忘れ、自ら子供達にとってかけがえのない父親を奪い去るという行為に加担するに至ったものであること、もっとも、被告人池田は、良雄殺害を共謀するに至った過程ならびに本件犯行自体において、被告人稲葉に引きずられた嫌いがあり、同被告人との対比においては従属的立場にあったと見られること、被告人両名につき、いずれも前科、前歴がなく、本件に至るまではまじめに暮らして来た者であること、その他、諸般の事情を考慮して、被告人稲葉を懲役一二年に、被告人池田を懲役八年に各処し、刑法二一条により被告人両名に対し原審における未決勾留日数中いずれも五〇〇日を右各刑に算入し、原審および当審における訴訟費用(被告人稲葉の各国選弁護人に支給した費用)は、刑訴法一八一条一項但書によりこれを被告人稲葉に負担させないこととする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西村哲夫 裁判官 青木暢茂 笹本忠男)

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