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大阪高等裁判所 昭和52年(う)977号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

<証拠>を総合すると、被告人は被害者林茂とのいさかいの仲裁を依頼するため同人と共に雇主の朴元天方に赴き、同家一階六畳の間において、同人およびその妻金東順同席のうえ円満な話合いを期待し坐つて対話を交わしていたところ、(一)いきなり立上つた林茂は、被告人の頭髪を左手で掴み右手拳で被告人の顔面を数回殴打し、さらに「今晩お前を殺してやる」などと言つて被告人の胸倉を掴んで右六畳の間から玄関先まで引きずり出し、片手で被告人の前襟を掴み他方の手でそのあごを突き上げるなどの行為に及んだこと(二)これに対し、被告人はとつさにズボンのポケツトに入れていた原判示の切出しナイフ一本を取出して右手に持ち、林茂の胸部腹部など上半身を多数回にわたつて突き刺し、切りつけたりし原判示のような傷害を負わせこれに因り同人を死亡させたことが認められる。そこで、林茂の(一)の行為が急迫不正の侵害行為に該るかどうか、また被告人の(二)の所為が防衛意思に基づくものであるかどうかにつき順次考察を加えることとする。

ところで、前記(一)の行為に至る経緯につき、原判決は『被告人は電話線埋設工事請負業新井組こと朴元天方の配管工であるが、昭和五一年一一月二九日午後八時二〇分過ぎころ大阪市西淀川区大野一丁目八番二三号西村アパート内自室において、同僚の林茂(当三七年)が酒に酔つて「お前のところはサービスが悪い」などと因縁をつけて来たうえ、被告人と口論になつた末、いきなり被告人を殴打しようとして過つて側にいた次男多可司(当四年)の顔面を殴打したことに憤激し、林を廊下に押出して取つ組合いのけんかになつたが、近所の李博義らの仲裁でその場はいつたん収つた。林は酒癖が悪く酔うと粗暴な言動に出ることを知つていたので、被告人は林からの仕返しをおそれ一時身を隠すため近くの食堂「東京庵」に行き、日本酒を飲んだ後右アパート自室に帰ろうとしたところ、被告人を捜していた林に見付けられ、同人が「今日はぶつ殺してやるからな」などと言つて付きまとい離れようとしないので、同人が先のけんかの決着をつけ報復する気でいると考えた。しかしけんかになれば自分より体格もよく腕力の勝つた林に素手ではかなわないので、けんかになつたときに備えるためいつたん右アパート自室に戻り、つり用に使つていた刃体の長さ約6.5センチメートルの切出しナイフ一本をズボンのポケツトに隠し、同日午後九時ころ林が「ついて来い」と言うのに従つて外に出たところ、同人は乱暴するような態度に出なかつたものの執拗に被告人にからみ文句を並べるので、このけんかの仲裁を雇主の朴元天に依頼しようと考え、同日午後九時四〇分ころ林とともに同区大野一丁目七番一六号の朴方に赴いた』旨認定判示するところ、これらの事実は前掲各証拠により優に肯認することができる。

(1) 急迫不正の侵害について

所論は、本件を全体的に観察すると連続するけんか闘争の一こまであり、被告人は林茂の朴方における前記(一)の暴行を十分に予期し、たえずこれに備えていたものであるから、同暴行は急迫不正の侵害に該当しないというのである。なるほど、被告人は前記西村アパートの自室に押しかけてきた林茂と取つ組合いのけんかをしたことは前認定のとおりであり、その際被告人においても積極的な加害の意思をもつて暴行に及び、林茂に対し左眼窩部に外見上明白な皮下出血の傷害を負わせたことは、金東順の司法警察員および検察官に対する各供述調書、朴元天の司法巡査に対する供述調書および被告人の司法警察職員および検察官に対する各供述調書により明らかであるが、これらの証拠および李博義の司法巡査に対する供述調書によると、右のけんかは間もなく仲裁のため被告人の自室に来合わせた李博義(近隣居住者)の制止によりおさまり、間もなく被告人の林茂に対する前掲加害の意思は消失したばかりか、被告人は林茂の仕返しを恐れて身を隠すため近所にある食堂「東京庵」に出向き、日本酒を飲んでしばらく過ごし、帰途についたが、運悪く前記西村アパート付近で林茂に見付けられ、再び同人から「今日はぶつ殺してやるからな」などと言つて付きまとわれ、同アパートの被告人自室に立戻つてからも、その玄関口で「早う来んか」などと執拗に怒鳴られ、このままではおさまりそうもないと考え、林茂が乱暴を仕掛けてきたときに自らの生命身体をまもるため使用することを主目的(林茂から攻撃をうけた場合これに反撃を加えるために場合によつては傷害を負わせる意図も付随的に存在したことは否定しがたい)として本件切出しナイフ一本を自己のズボンのポケツトに収納準備して林茂の待ち受ける戸外に出て約四〇分間、同人と行動を共にしたが、その間同人より断続的に絡まれ、種々文句を言われたものの、特に乱暴は仕掛けられなかつたこと、一方、被告人は林茂の右のような挑発的言辞にも終始冷静に対応し、前記切出しナイフを使用しまたは使用しようとした事跡が全くなかつたばかりか、同人とのいさかいの円満な解決を遂げるため雇主の朴元天に仲裁を依頼し、同人方一階六畳の間において朴夫妻立会の下に林をまじえて話合いが開始され、その場で同人が「私はしようもないことばかりした、この前は女の人を殴り、今日は子供を殴つてこんなことになつたのや」と自己の非を認めるような言動を示し、これに対応し、仲裁役の朴において「親しくなつたら、けんかもするのや、もうこれで水に流して仲良くなれや」と説得するなど円満に妥結の方向に進むかにみえたが、矢庭に林茂は自己の左目を指さし被告人に対し「この目痛いのどうしてくれるんや」と喰つて掛つたが、被告人において「林、医者に行け、医者代はわしが払うから」と誠意のある返答をし、その対話内容から被告人が円満な解決を希求していたことが十分に窺われること、しかるにその直後林茂は朴元天の制止に耳を傾けることなく被告人に対する前記(一)の暴行(侵害行為)に及んだものであることが認められ、以上認定の事実関係、特に当初のけんか闘争が李博義の制止でおさまつて後、仲裁依頼のため朴方に至る約一時間余の間、被告人と林茂との間に有形力の行使を伴つたけんか闘争は全く見受けられないこと、被告人が「東京庵」に出向いた理由はもつぱら逃避のためであつたこと、また被告人が切出しナイフ一本を準備携帯した主目的は原判示のように被告人の生命身体をまもるためであつたこと、従つて被告人は安易に切出しナイフを使用することなく、林茂の戸外における挑発的言辞にも冷静に対処し同ナイフを使用しようとした事跡が全くないこと、仲裁を依頼した朴方における前記各対話内容などに徴すれば、検察官所論のように当初被告人自室で開始されたけんか闘争が約一時間余を経過した林茂の前記(一)の暴行時まで継続していたものとは到底認めがたく、遅くとも被告人が林茂と共に朴方に出向き、仲裁を依頼して同人方一階六畳の間において話合いが開始された時点においては、被告人のけんか闘争の意思は完全に消失し、まさか林茂が雇主である朴の言に耳を傾けないで、一方的暴行を仕掛けてくるとは全く予想しなかつたものと推認され、このように被告人の予期しない林茂の一方的暴行を当初からのけんか闘争の一こまであるとみるのは著しく困難であり、朴方での林茂の(一)の侵害行為は、いずれも従来の経過と切り離し、別個の場面での異常事態として独立に観察すべきものと解され、同侵害行為は、矢継早にしかも執拗、強力になされた攻撃態様および被告人が(二)の反撃行為に着手した当時における林茂の攻撃態勢ならびにそれ以前における一連の経過などに照らし急迫性の要件を具備するものと認められ、所論のようなけんか闘争の法理を適用する余地は存しないものといわねばならない。さらに所論は被告人が林茂の素手による暴行を予期し極めて容易に避けえたのに逃げようとせず、平素のうつ憤を晴らすべく切出しナイフを準備して本件犯行に及んだものであるというのである。しかしながら被告人が切出しナイフを準備携帯したのは前認定のように護身用という消極的な用途に利用することを主目的としたものと解されるうえ、所論のような暴行を予期していたとしてもそのことから直ちに(一)の侵害行為の急迫性を否定する事由とは認めがたく、被告人が平素のうつ憤を晴らすため、もつぱら積極的な攻撃意思を実現する意図のもとに切出しナイフを準備携帯していたものでないことは、同ナイフ持出後、被告人が林茂と戸外で約四〇分間にわたり行動を共にしながら、積極的な攻撃意思を示したりまた示そうとした事跡が全くなく、少なからぬ同人の挑発的言辞にも冷静に対処し、つまるところ円満解決を希求して朴元天に仲被を依頼し同人方においても(一)の侵害行為を受けるまで林茂と仲直りするため自らも真摯な言動を示していることなどの一連の行動経過に徴して容易に窺われ、この点に関する被告人の捜査段階における前掲各供述調書中、所論のようにナイフ持出の理由として述べるところは取調べを受ける都度変容を示して帰一せず、積極的な加害意思があつたとする供述記載部分のすべてをそのまま信用するには些か躊躇せざるを得ないが、仮に右のような意思が心底にあつたとしても被告人の前掲行動経過に照らし付随的なものに過ぎなかつたことが認められ、当初のけんかが終了して相当な時間が経過しかつ円満な解決を求めて朴方で話合いが開始された後においても、被告人が林茂に対する平素のうつ憤を晴らすため前記切出しナイフを使用する機会を窮つていたとするのは、いかにも不自然、不合理であり、到底是認できない。以上の検討によつて明らかなように、林茂の被告人に対する前掲(一)の暴行は「急迫不正の侵害」に該るものと解するのが相当であるから、(1)の所論は理由がない。

(2) 防衛の意思について

所論は、被告人において林茂の(一)の暴行を予期し、これに乗じてうつ憤を晴らすべく事前に準備していた切出しナイフを使用して上半身を滅多突きにして殺害し、積極的な加害行為に及んだもので、防衛の意思に基づくものとは到底認められないというのである。しかしながら、林茂の前掲(一)の暴行は、その態様に照らし、素手であるとはいえ矢継早に連続してなされた執拗、強力なものであり、同人が被告人よりも体格、腕力に勝れ、極めて粗暴な性格の持主であるのみならず、前認定のように左眼窩部の受傷により被告人に敵意を抱いていた事情をも併わせ考慮すると、被告人において、林茂の現存する侵害行為を排除しない限り、引続いて強度の暴行を受けると認識し、自己の生命、身体に切迫した危険を感じたことは、ごく自然の成行であつて無理からぬところであり、同侵害行為に対応してなされた被告人の前掲反撃行為は防衛の意思に基づいて着手、実行されたものと認めるのが相当であり、記録を調査しかつ当審の事実取調に徴しても、所論のように被告人が防衛に名を藉り積極的な加害行為に及んだと認められるような特別な情況は見当らない。

所論は、被告人に防衛の意思がなかつた根拠として本件犯行の動機、態様、特に、当該犯行に使用した兇器の性状、傷害の部位程度を挙示し、なるほど本件切出しナイフは刃体の長さが約6.5センチメートル刃幅が約三センチメートルで相当に厚みのある小型ではあるが極めて鋭利なものであり、多数回の力強い反撃により被害者林茂の胸部、腹部など上半身に合計一四ケ所に及ぶ刺切創を負わせて死亡させたことは金東順の検察官に対する供述調書、鑑定人四方一郎作成の鑑定書および原判示押収物件により明白であり、被告人がやくざな生活を送つたことがなく刃物による殺傷経験のない善良な市民であり、かつ、犯行当時極度の興奮状態にあつたことを考慮に容れても、所論のように右犯行態様が執拗かつ過度のものであることは否定しがたく、明らかに防衛行為としての相当性の範囲を逸脱するものであり、右のような被告人の反撃行為には、防衛の意思のほか、付随的に攻撃の意思が不可分一体のものとして併存していたものと推認されるが、このことから直ちに被告人が防衛に名を藉りあらかじめ抱いていた積極的な加害意思を実現したとは認められず、未だ防衛の意思の存在を否定する事由とは解しがたいから、(2)の所論もまた理由がない。

従つて、被告人の本件所為を林茂の急迫不正の侵害に対する防衛行為と評価し、その防衛の相当性の範囲を逸脱したとして過剰防衛を認容した原判決の事実認定は正当であり、所論のような法令解釈、適用の誤りは認められないから、論旨は理由がない。

(原田修 大西一夫 龍岡資晃)

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