大阪高等裁判所 昭和52年(く)58号 決定 1977年7月29日
少年 T・O(昭三三・六・一生)
主文
本件抗告を棄却する。
理由
(事実誤認の抗告理由について)
論旨は要するに、「原判示2の非行事実につき原決定は少年に殺意のあつたことを認め殺人未遂の罪を認定しているが、少年に殺意のあつたことを認めるのは証拠上不当であり、同非行事実は傷害罪にとどまるものである。原決定にはこの点において重大な事実の誤認がある。」というのである。
よつて調査するに、本件少年保護事件記録中の証拠資料および少年調査記録中に編綴されている医師○○○作成の回答書(家庭裁判所の援助協力依頼に対するもの)ならびに審判調書によつて知り得る審判期日における少年の陳述内容を総合すれば、少年(左利き)は左腰ズボンの内側にさしていた切出ナイフ(刄体の長さ約一二センチメートルで、切先から根元まで刄体の全般にわたり刄がつけられている)を左手で抜くや、すぐそばにいた被害者A巡査の右身体に体当りするようにしながらこれをほぼ水平方向に振るい、同巡査の右腹部めがけて剌して行つたが、同巡査がとつさに身をかわした(身体を左に引いた、または左にねじつた)ため、同巡査の右腰部に身体右側面から背面とほぼ平行の方向、やや下向きに走る刺創(深さ少なくとも約七センチメートル。脊髄の方に向つており、腹腔内には刺入されていない。)を与えたにとどまり、生命への危険を生じさせるに至らなかつたのであつて、少年はことさら右のような部位、方向に刺創を与えるべく注意して行動したわけではなく、もし同巡査において右のごとくとつさに身体をかわす行動をとつていなければ、右ナイフは同巡査の右腹部によりまともに命中し、かつより深く突き刺さり、その生命に重大な危険を生じさせる結果になつたであろうことが認められるのである。少年が右のようにナイフを抜いてこれを振るう直前の段階における、少年と同巡査の向きについては、少年が振り返りざまナイフで刺して来たとする同巡査の供述および目撃者である○○○○の供述と、その前から向き合つて対峙する形にあつたとするBの供述および少年の供述とが対立しているが、この点はそのどちらが事実であつたとしても右認定に変わるところはない。すなわち、少年がとつた行為は人の腹部に、刺入の部位、方向を問わず刄体の長さ約一二センチメートルの前記のごとき切出ナイフを突き刺そうとしたものであり、そのような行為がたやすく人の生命に重大な危険をもたらす性質のものであることはいうまでもない。少年が、とつさのこととはいえ、あえてそのような危険な性質の行為を選択し、げんにこれを敢行していること、少年は当時すでに一八歳であり、それまでふつうに学校生活(高校一年三学期に中途退学)を送り、引続きふつうに社会生活を送つて来ているのであつて、右のような行為の人の生命に与える危険性を平素から熟知しているはずと考えられること、少年は、警察官派出所にビールびんを投げつけてガラスを割り、その直後に飛び出して来た同巡査に捕えられるのが恐い(少年は過去ささいなことで何回か警察官に調べられたことがあり、そのときの体験から警察は恐い所であると感じていた)一心から、これを逃れるためとつさに反撥して右行為に及んだものであるが、それ以外には、少年をして反射的にこのような行動に出させただけの外部事情は何もなく、また少年の精神は錯乱しておらず、当期飲酒の影響により理性および抑制力がある程度低下していたことは考えられるが、いまだ視野の狭さくを来たしたり、意識が清明さを欠きあるいは希薄化していたものとも認められないことなどからすれば、少年に同巡査を殺そうとする意図(殺害する目的)があつたとはけつして認められないが、原決定が行為の瞬間に判示のごとき未必の殺意のあつたことを認定したことはこれを是認することができ、所論にかんがみ検討しても、右殺意の認定が事実誤認であると考えるには至らない。論旨は理由がない。
なお、このさい付言するに、少年の行為は、前記のごとき事情から、与えた傷が生命に危険のないものであつたこと自体により未遂に終つたもので、原判示のごとく「同巡査に逮捕されたため」未遂に終つたとするのは正しくない。しかしこの点は重大な事実の誤認とはいえない。
(処分不当の抗告理由について)
論旨は要するに「少年に対しては在宅保護の措置を講じるのが相当であり、少年を中等少年院に送致することにした原決定の処分はいちじるしく不当である。」というのである。
よつて調査するに、本件非行事実は一連の経過のもとに行なわれた切出ナイフの不法携帯、警察官派出所へビールびんを投げつけてのガラス破損、これにより同派出所から飛出して来て少年に同行を求めた警察官への右切出ナイフによる腹部突刺し行為およびそのことによる公務執行妨害の各犯行を内容とするものであるが、ことにこのうち警察官の腹部をいきなり切出ナイフで突刺しにかかり、げんにその腰部に刺創を与えた事犯は、その動機、罪質、態様に照らし、行為の瞬間における未必の殺意の有無を問わず異常かつ重大であつて、結果が軽くすんだことを考慮しても少年の責任は重いばかりでなく、前記各記録中の諸資料にもとづいて検討すると、少年がこのような犯行に出るに至つたことについては、少年の性格がわざわいしての最近の生活に対する不全感、社会生活上ことに対人関係から生じる不愉快な刺激に対して少年が常人以上に敏感であり、傷つきやすく、かつその体験が消化されずに蓄積する傾向にあること、人と協調、融和することにより他人を生かすとともに自己を生かす訓練に乏しく、したがつて孤独に陥りがちであり、また対人関係上不愉快な刺激が予想されるときは、これに対する耐性に乏しく、社会生活上それが避けられないような場合であつても、いたずらに反撥して回避する一方になりがちであり、ときには一方的攻撃に出ることもあり得ること、飲酒の影響により抑制力の低下した場面で本件非行が行なわれたことを考慮しても、右が自己の非に起因する場合であつても同様であるという責任意識の低さ、および、人の身体に刄物を突刺す種類の重大な行動をもあえて辞さないという教養の低さや抑制力のなさを否定し得ないこと、やくざ物映画などにある反価値的な空想の世界と現実世界との混同(現実世界における価値観の倒錯)等種々の問題点(一言に言えば社会適応性の未熟さ)のあることか看取されるのであつて、このさい少年を少年院に収容して各犯行に対する責任をつくさせ、これにより本件各非行による少年の心的負担を浄化させるとともに、この間の矯正教育に期待し、もつて(仮)退院後における少年の健全な再出発と再過なき以後の社会生活を期することは、本少年に対する保護の措置として当然に考えられるところといわなければならない。むしろ、本少年を大事にすればするほどそうすべきであるとの感が深まるのである。してみれば、これと同じ結論に出、少年を中等少年院(ただし、一般短期の処遇勧告がなされており、げんにこれに適した少年院に収容されている)に送致することにした原決定の処分はこれを是認することができ、所論にかんがみ検討しても、右処分が不当であると考えることはできない。論旨は理由がない。
以上のとおりであつて、本件抗告は理由がないから、少年法三三条一項後段、少年審判規則五〇条にしたがい主文のとおり抗告棄却の決定をする。
(裁判長裁判官 戸田勝 裁判官 岡本健 角田進)
参考一 付添人作成の抗告申立書
申立の趣旨
昭和五二年六月一〇日、大阪家庭裁判所同年少第三四三九号殺人未遂、公務執行妨害、器物損壊、銃砲刀剣類所持等取締法違反保護事件について、少年T・Oに対し、原裁判所がした保護処分決定を取消すとの裁判を求める。
申立の理由
一 保護処分について
原裁判所は、上記事件に関し、同年六月一〇日、「少年を中等少年院に送致する」旨の保護処分決定をした。
その理由となる非行事実は、少年が同年四月二七日午後九時四五分ころ、大阪市浪速区○○○○×丁目××番先路上において、
(イ) 同番所在の浪速警察署○○○○派出所の窓ガラスにビールびんを投げつけてこれを損壊し、
(ロ) その直後同派出所勤務中のA巡査らから職務質問のため同派出所への連行を求められるや、逮捕されたりしないかとの恐怖心のあまり、その場を逃れるべく、場合によつては死亡させるかもしれないことを認識しながら、所携の切出しナイフ(刄体の長さ約一二センチメートル)で同巡査の腹部付近めがけて一回強く突きかかつたところ、同巡査が身をかわしかけたのでその右腰部を突き刺し、よつて同巡査の職務の執行を妨害するとともに、同巡査に対し加療約二週間を要する右腰部刺創(深さ約一〇センチメートル)の傷害を負わせたが同巡査に逮捕されたため、同巡査を殺害するにいたらず、
(ハ) 正当な理由なく前記ナイフを所持したというのである。
しかしながら、殺人未遂の点については、少年に殺人の故意がなく、傷害をもつて律すべきであり、この点につき原決定には重大な事実の誤認がある。さらに、本件事案の概要及び少年の要保護性に照らし、少年院送致の保護処分は重きに過ぎ著しく不当である。
よつて、原決定は取り消されるべきである。
二 殺意について
本件は、当初、交番所へのビールびん投げ込み、及びこれに続く警察官への傷害行為が、計画的かつ組織的犯行ではないかとの疑いが持たれ、この点に捜査の重点がおかれた。A巡査も、犯行直後の警面調書(S五二・四・二七付)においては、少年が、先ずビールびんを投げ込んで警察官を挑発し、交番所から出て来た警察官なら誰でも刺す積りであつたかのごとき供述をしている。
しかし、その後少年の生い立ち、現在の生活環境、対人関係等に関する裏付捜査がなされるにつれ、少年に組織的な背後関係が無いことが明らかにされ、さらに犯行当日の少年の行動等から、ビールびんの投げ込みも、少年が偶々交番所前を通りかかつた際、感情のいら立ちを抑えきれず、衝動的に犯したに過ぎないものであること、及び、右投げ込みの時点においては少年に警察官に対する傷害行為の故意が全く無かつたことが明らかにされた。
そこで、原裁判所も、器物損壊罪と警察官に対する傷害行為とは、少年の連続した情意の発現ではなく、後者の犯意は、器物損壊罪を犯した後、A巡査らとの対峙の中で生じたものとして把握している。
しかるに、原裁判所は、犯意が、少年と警察官との瞬時の対峙の中で殺意にまで高められたというのであるが、上記認定は、本件兇器の性状と傷害の部位のみに眼を奪われ、犯行の動機・態様・犯行後の少年の行動等との総合判断を怠つた結果もたらされたもので、その誤りは明らかである。
以下に先ず、犯行の態様に関する事実誤認についてふれ、動機等に言及する。
(一) 本件犯行の態様について
原裁判所は、少年が前記切出しナイフで「同巡査の腹部付近めがけて一回力強く突きかかつたところ、同巡査が身をかわしかけたので、その右腰部を突き刺し」た旨認定し、被害者Aもその旨の供述をしている。すなわち、同人は少年が振り向きざま体当りしてきたので、突嗟に身をかわしたところ腰部を刺された。身をかわさなければ腹部を刺されたに違いない旨述べる。
これに対し少年は、前記のような攻撃性を否定し、A巡査と相対面したときには、互いに顔を向けあつていた。同巡査が右手に警棒を持ち、「何すんじや」と怒鳴りながら、いきなり左手で自分の右肩を押さえてきたので、突嗟に左手で左腰(バンドのないズボン)に差していた切出しナイフを逆手に抜きざま、左横から前方へ振り回したところ、同巡査の右腰に刺さり、すぐに抜けた。同巡査が体をかわしたことはないと思う旨述べており、犯行態様に関し、食い違いがみられる。
そこで検討するに、AのS五二・四・二七付員面によれば、窓ガラスを割られた後、Aが道路へ飛び出したとき、少年は交番所の方(東)を向き、じつと立つていたという。そこで同巡査は、少年の背後へ回り、後方から左手で少年の右肩に手をかけたところ、少年は振り向きざま体当りをしてきたので、左足を一歩引き、体をかわしたという。すると刺突行為の際、少年は西方を向きAは北を向いたことになる。(一図参照)なお、Aが少年の背後から迫つた際、少年の酒臭が強かつたので、同巡査は、酔つ払いに話しかけるような態度で、肩をたたいたという。
しかるに、同人のS五二・五・一一付員面によれば、少年が顔を向けていた方向及び振り向きざまに刺したという点等に違いは無いが、同巡査が近寄つたのは、少年の側方からであるといい、(第二図参照)その際、少年からは全く酒臭もしなかつたというのであつて、同人の供述にはかなりの食い違いが見られる。
一方、本件の目撃証人のうち、事件犯行現場の最も近くにおり、しかもAの同僚として勤務していたBのS五二・五・九付員面及びその添付図面によれば、A及びBは、相次いで交番所を出たが、Aは少年に追いついた直後に「刺された」と叫んでおり、しかも、両名は一瞬接触した程度で、その向きあつた関係は、少年が東側を、Aが西側を向いて相対面していたというのである(第三図参照)。
すなわち、Bの供述によれば、Aが述べるような少年とAとの対峙の形態はありえないのである。逆に、Bの目撃状況は、少年の供述の真実性をこそ裏付けるものである。
以上の次第で、原裁判所は犯行の態様を認定するに当り、A供述のみを証拠とし、これと対立する少年の供述等を排斥したが、A供述は、それ自体転々としているばかりでなく、S五二・四・二七付員面による供述内容は、第一図と第三図との対比から明らかなとおり、A側に立つ目撃者Bの供述とも符合せず、到底信用できないものである。
むしろ、Bの目撃状況は、少年の供述と符合するばかりでなく、少年の供述は大筋において一貫しているから、刺突行為の態様は、少年の供述どおりであつたと認めるべきである。
従つて、少年がAの腹部めがけて突きかかつた旨の攻撃的な行為は無く、右手に警棒を持つたAが怒鳴りながら右肩をつかんできたので、いわば防衛的に、突嗟にナイフを抜いて振り回したところ、Aの右腰部に刺さつたと見るべきである。
(二) 傷害の程度について
原裁判所は、少年がAに「深さ約一〇センチメートル」の右腰部刺創を負わせた旨認定する。しかしながら、「事件」記録中のA供述及び捜査復命書によれば、Aを最初に処置した警察病院所属の○○医師は、深さ約七センチメートルである旨述べていたというのであり、他に一〇センチメートルであることを認めるべき証拠はない。にもかかわらず、原裁判所がこれを一〇センチであると認定したのは、「調査」記録中、○○調査官に対する警察病院からの回答書を証拠として採用したと考える以外にないが、これを採用したのは以下の理由により誤まりである。
すなわち、右回答書は、同病院所属の他の医師が、Aのカルテを調査したところ、○○医師により、初診時カルテには、創洞の長さは一〇センチであるとの記載がなされていた旨述べるに過ぎないものである。しかるに、○○医師自身は、警察からの照会に対しては、明確に七センチである旨答えたというのであるから、同医師が初診時に、カルテには一〇センチと記載したとしても、その後、七センチであると判断していたことが明らかである。従つて、カルテの記載よりも、○○医師自身の回答を記載した捜査復命書、ないし直接○○医師から話を聞いたA供述の方をこそ信用すべきであり、これを排斥してカルテの記載の方を信用すべき合理的理由はない。
なお、創洞の長さを測定するには、傷口からゾンデを突つ込んでその長さを読むのであるが、Aは受傷直後、傷口を縫合(二針)されているから、ゾンデを突つ込む機会、すなわち創洞の長さを測定する機会は、○○医師の初診時以外にはない。しかるに、○○医師は初診時一〇センチである旨カルテに記載し、又その旨の新聞報道が行われているのに、何のような根拠で、測定を行うこと自体が不可能になつた段階で、創洞の長さを一〇センチから七センチに変更したのか不可解である。むしろ、創洞の長さについては、測定が行われていなかつたため、その後のAの傷の治癒状態(極めて速い)から、その変更が行われたとみるべきではないかとの疑いを禁じえない。
しかし、いずれにしろ、一〇センチの方を信用すべき根拠はなく、七センチであると認定すべきである。(従つて、刄体の長さ一二センチメートルの切出しナイフでこの程度の傷害を負わせた場合に「力強く」突きかかつたと認定しうるか否かも疑問である)
(三) 動機について
本件は、いわゆる激情犯とみるべき犯行である。しかるに前記の事情に加え、少年の刺突行為の態様には攻撃性が無く、むしろ防禦的であること、右刺突行為に出るまでの間に、その犯意が故意にまで高められたと認めるべき客観的な抗争関係も無いこと、警察官に対して抱いていたという敵意も、殺意を認めるほど根深いものではないこと。少年は一回Aを突いただけで、以後何らの攻勢にも出ていないことなどからみて、少年にAを死に至らしめても止むをえないと決意するほどの動機が形成されているとは考え難い。
(四) 結語
以上の次第で、殺人未遂につき、少年に殺意を認めることはできないうえ、その与えた傷害の程度は全治約二週間でそれ程重いものではなく、またその深さも七センチメートルあるかないかすら不明である。
三 処分の不当について
少年を保護処分に付する場合には、要保護性の存否が厳格に検討されなければならない。しかるところ、少年には本件に至るまで特に問題とすべき前歴はない。さらに、現在の生活環境・職場での仕事振りの中からも、少年に要保護性が存することを裏付ける資料は見出し難い。従つて、少年を少年院に送致しなければならない程の要保護性が存するか否かはもつぱら本件各非行をどうみるかにより決せられる。しかるに、器物損壊罪は、少年の人格の未熟さの発現であるとはいえ、少年院に送致しなければならないほど、特に少年に要保護性が強いことを示す徴憑ではありえない。
問題は、傷害・公務執行妨害・銃刀法違反の点を何のように評価するかである。
先ず、銃刀法違反の点について言えば、少年が切出しナイフを所持していたのは、大阪という大都市に対する恐れや、そこに一人で住むことの心細さからであり、いわば自らを勇気づけるためのものであつた。本件当日、切出しナイフを所持して出たのも新世界に対する恐れからであつた。無論、少年が見たかつたという、いわゆるヤクザ映画の影響、すなわちその「かつこ良さ」に対するあこがれも多少はあつたかもしれないが、されとて、少年の生活環境や職場での仕事振りからみて右所持が即ちに犯罪行為に結びつくものとは考え難い。従つて、本件各非行により逮捕され、それに引き続く勾留観護措置などにより約二ヶ月に及ぶ身体拘束を受けたことにより、銃刀を所持することの非を十分覚つたのである。
次に傷害及び公務執行妨害についてみると、確かにその行為類型は危険性が強く、また傷害の部位も身体重要部であつて、黙過し難いものである。しかも被害者が公務執行中の制服を着用した警察官であつたことも、社会的には重大な事実である。
しかしながら、少年が傷害行為に及んだのは、警察官から危害を加えられるかもしれないという被害意識が昂じたためで、いわば防衛的になされたものであり、少年の犯罪性の発現とは考え難い。すなわち、少年は警察官から追呼された際、何が何でも逃げようとしていたのではなく、謝まるかどうか逡巡していたのであるから、もし警察官の気勢が少年に被害意識を生じさせる程のものでなければ、傷害行為は避けえたのではないかと考えられるのである。
従つて、傷害及び公務執行妨害も、少年を少年院に送致しなければならない程の要保護性を裏付けるものではありえない。
本件各非行は、少年の社会に対する適応の未熟さを示すものであるから、少年を施設に収容してその矯正を考えるよりも、社会内処遇によりその円満な成長を期待すべきである。
(第一図、第二図及び第三図は省略)