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大阪高等裁判所 昭和52年(く)91号 決定 1977年10月01日

少年 N・H(昭三五・九・一二生)

主文

原決定を取り消す。

本件を神戸家庭裁判所尼崎支部に差し戻す。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は、附添人弁護士○○○○作成の抗告申立書記載のとおりであるから、これを引用する。

所論は、要するに、少年を中等少年院(交通短期)に送致した原決定は、処分が著しく不当であるから、取り消されるべきである、というのである。

そこで所論にかんがみ、少年調査記録を含む一件記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討してみるのに、右一件記録によれば、少年は、これまでに昭和五一年九月及び同五二年二月の二回、いずれも第一種原動機付自転車を、同五一年六月、あるいは同年七月と八月にそれぞれ無免許運転したことで、原裁判所のいわゆる自庁講習を受けて不処分にされたことがあり、その間、同五一年一二月に、自動二輪車の運転免許試験には合格したものの、右のような違反歴のために免許を拒否されたにも拘らず、運転に対する強い欲求を抑えがたく、両親に内緒で四〇〇CCの自動二輪車を月賦で購入し、何回か乗り回した挙句、同五二年五月一五日にもこれを運転して本件非行に及び、検挙されるに至つたもので、右のような非行歴に徴しても、鑑別結果通知書に指摘されているような、少年の自己中心的で、自らの欲求を抑え行動を自制することが不得手で、軽率な行動に走りやすいなどの性格特性及び法規範軽視の傾向がうかがわれ、いわゆる単車仲間が少なくないところに、少年自身は右のような違反歴のために今後当分の間免許を取得することができないことなどの諸点をも考慮すると、再び無免許運転を繰り返し、その他の交通事犯にも及ぶ虞れもないとはいいがたく、しかも、少年調査票にも指摘のような少年の生活歴、生活態度等のほか、保護者である両親の監護能力に不安があることなどにも徴し、一般非行についての非行性も看過しがたいようにうかがわれ、これらの点は、原決定が「処遇の理由」の項で正当に指摘するとおりであり、右のような諸事情を前提とする限り、少年を中等少年院(交通短期)に送致した原決定の処分も決して首肯することができないわけではない。

しかしながら、当裁判所は、少年の本件非行についての原決定の処分の当否、すなわち、少年に対する処遇の検討にあたつては、次のような諸事情をも斟酌、考慮すべきものと考える。すなわち、なるほど少年には前記のような不処分歴があり、無免許運転の回数も少なくなく、これを累行していた形跡もないではないけれども、これまで試験観察あるいは保護観察などの中間的措置あるいは在宅による保護処分を受けたことがなく、少年のみならず、両親においても、無免許運転の非行自体を軽く考えていたことがうかがわれるところ、原審第一回審判が開かれた昭和五二年八月二四日、少年に対し神戸少年鑑別所に送致する旨の観護措置決定がなされ、少年は、同年九月五日の第二回審判に至る間引き続き右鑑別所に収容されたもので、このこと自体によつても相当なショックを受け、無免許運転を繰り返すなど遵法精神に乏しかつたことや、自らの安易な考え方などを真剣に反省する機会が与えられ、同時に両親においても、従前とは異なり、今回の事態を深刻に受けとめ、これまでどちらかといえば少年を甘やかし、厳しく指導監督する態度に欠けるところがあつたことを自省し、少年が同棲していたことのある少女との関係をも含め交友関係、就職等の少年の問題について、これに真剣に取り組む姿勢を示すに至つている。少年は、これまで無為徒食していたわけではなく、修理工見習等自動車関係の仕事や電工見習などの仕事をしてきており、自動車に対する興味及び関心が強く、将来とも整備士等自動車関係の仕事をしたい希望を持つており、正業について稼働する意欲はうかがわれ、また、現在一七歳になつたばかりで、前記のような非行性も未だ固定化しているわけではないと考えられることから、然るべき者の指導監督のもとに、少年の適性に応じた職種を選び就職することができるならば、自力更生の見込みが残されているものと見ることができる。この点に関しては、神戸少年鑑別所及び担当調査官においても、収容処遇の必要性がないわけではないとしつつも、保護処分歴のないことなどを考慮して、保護観察相当との処遇意見であることも留意されてよい。なお、少年は、同月七日から宇治少年院(交通短期・宇治交通訓練所)に収容されており、当初一〇日間の入所時教育課程を経て、現在交通安全教育、生活指導等を主体とする訓練課程前期にあり、入院当初の不安、動揺もようやく落ち着き、今後は運転免許を取得するまでは絶対に運転をしない旨決意しており、少年の購入した自動二輪車の処分、あるいは今後の生活設計等については両親の判断、指示に従う旨述べるなど、これまでの法規範を軽視し無免許運転を繰り返してきたことや、勝手気ままな生活をしてきたことなどについての反省、自覚もより深くまた確実になりつつあることがうかがわれ、すでに現在までにおける右少年院での収容処遇によつて、かなり顕著な心境の変化を示し、その成果があがつているものと認められ、他方、両親の側においても、少年の受け入れ態勢、今後の指導監督の方策等を熟慮し、準備を進めていることがうかがわれる。そして、今一度両親をはじめ親族らが一丸となつて少年を立ち直らせる機会を与えて欲しい旨、強く要望し、決意を披瀝する両親らの気持は、現在においては、また少年のよく理解するところともなつており、十分顧慮すべき点であると考えられる。

以上のような諸事情を総合して考察すると、一面において少年は、原決定が慎重に考慮し期待したとおり、宇治少年院における時宜を得た周到適切な収容教育によく順応し、更生の意欲を示しつつあることがうかがわれ、また、右少年院における収容教育の内容、施設の状況等にもかんがみ、それなりに安定しつつある少年に動揺を与えることなく、右収容処遇を継続して然るべき期間所定の課程を終えさせた上、少年の自覚、反省をより徹底させ、交通のみならず一般の非行性を除去して社会に復帰させるべきではないかとの考え方もあり得ないではないけれども、この際、敢えて少年の更生の意欲と、両親らの少年の更生に対する熱意に期待し、いたずらに少年を混乱させ、動揺を与えることのないように十分配慮しつつ、在宅による保護を考慮することが、むしろ、今後における少年の健全な保護育成を図る上で、当を得た措置ではないかと思料されるのである。

してみると、結局、試験観察あるいは保護観察など、中間的措置あるいは在宅保護処分を経ることなく、直ちに少年を中等少年院(交通短期)に送致した点において、原決定の処分は著しく不当であるといわざるを得ないものというべく、本件抗告は理由があるから、少年法三三条二項、少年審判規則五〇条により原決定を取り消し、本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 原田修 裁判官 大西一夫 龍岡資晃)

参考一 抗告申立書

抗告の理由

第一 原決定は司法的抑制及至適正手続保障の理念に照し、その処分が著しく不当である。

一 (交通事犯処遇の実態)

原決定の保護処分は、具体的には、交通少年院送致を意味している。

交通少年院の処遇の実態は、その収容期間がおおむね三ヶ月であり比較的短期である点を除き、交通事犯禁錮受刑者が収容されている交通刑務所の処遇の実態と殆んど同一である。

いずれも、集中拘禁、開放処遇により生活指導職業指導を二本の柱として被収容者の教育が図られている。

業過事犯で実刑を科せられるのは、比較的悪質な場合に限定されており、受刑者の多くは交通刑務所に収容されている。

少年が実刑を科せられて、交通刑務所に収容されるのは、一八歳以上の年長少年であつて、しかも成人の場合に比し、悪質、重大な業過事犯に限られている。

東京矯正管区内においては、昨年一二月から、道交法違反による懲役受刑者に対しても、集禁処遇を開始し、交通事犯禁錮受刑者の処遇要領を準用している。

道交法違反による懲役受刑者数の増加は、不可避と予測されるから、東京矯正管区内における前記の試みは、今後数年の内に、全国に拡がらざるを得ないであろう。

道交法違反の一つである無免許運転が、公判請求された場合、無免許前科、酒酔いの前科に、これらを伴う業過前科をあわせて、三、四犯程度であれば執行猶予になるのが、おおむねの量刑基準である。この基準を超えれば、実刑に処せられる確率は増すが、しかし、実刑に科せられた場合でも、その平均刑期は三ヶ月弱である。(交通少年院の収容期間と無免許等道交法違反事件の実刑の平均刑期が符合している点は、興味深い。)

二 (恣意的な交通少年院送致を規制する基準)

刑罰か否か、又、刑罰としても、過失犯か否かで、保護処分、禁錮、懲役とその名称は異なつてくる。

しかし、交通事犯者が、終局処分により身体の自由を拘束された場合に関する限り、名称の差異にもかかわらず、処遇の実態は、右に述べたとおり、同じであるか、又は、同じになりつつある。

又、世間では、少年院送致を受けた少年を、受刑者と同一視する傾向が根強い。

このように考えた場合、交通事犯者に関しては、刑罰を科せられる場合に、実刑と執行猶予の分水嶺となる具体的基準が、保護処分を科せられる場合に、少年院送致と保護観察を分ける基準にも、原則としてなりうると解すべきである。

即ち、少年法二〇条により検察官送致され、かつ公判請求された場合に執行猶予又は罰金となるケースは、保護処分を科せられる場合にも、原則として少年院送致は許されず、保護処分の特殊性に鑑み、少年院送致が是認されるには、更に特段の事由の存在を必要とすると解すべきである。

かように解することが、少年法の二大理念の一たる司法的抑制及至適正手続保障の理念にかなうと判断される。

判事補が、検察官送致の決定をなしえないとする少年法四条の規定は、少年の基本的人権の保障-その中核は、人身の自由の保障である-の理念に立脚している。現行少年法制定の際、保護処分としての少年院送致も、判事補単独では決定しえないと規定すべきであるとする議論が強かつたが、裁判官の人員不足に鑑み、そのような規定は設けられなかつた。

しかし、少年院送致の保護処分決定は、少年の人身の自由の侵害であるから、検察官送致の決定をなす場合と同じく、慎重に、謙抑的になされるべきであるとの点については、現行少年法制定当初から現在に至るまで、異論をみない。

けだし、頭を殴られる場合それが懲らしめの目的であろうと、愛の鞭の意図でなされようと、殴られる身にとつては、痛さに差異はないからである。

三 (本件少年の場合)

本件少年の無免許運転前歴は三回である。従つて、一で述べた如く、仮に検察官送致されかつ公判請求された場合であつても、実刑を科せられる可能性はない。(自動二輪の無免許運転で、一六歳の子供が検察官送致されるケースは、通常考えられないが、保護処分の合目的性の強調が誤りであることを、具体的に浮かびあがらせる為には、右の仮定が必要となる)

にもかかわらず、少年院送致の決定を合理化する特段の事由が、本件少年の場合存在したか否かについて考察してみる。

考えられるのは、本件少年が、今回の非行をも含め過去一年以内に四回無免許運転で摘発され、而も、審判開始後の不処分が、無免許運転に関し、二回なされているという事実である。

本件少年が、自動二輪にしばしは乗り始めたのは、昨年六月頃と推認されるが、同年六、七、八の各月に各一回、計三回無免許運転を摘発されている。

本件少年に対し、第一回目の審判開始後の不処分-及びその際の訓戒-がなされたのは、昨年九月一三日のことである。

本来、右三回の無免許運転は、その際、一括して処理されるべき筋合のものであるが、送致の手続が遅れた関係で、昨年七、八月の無免許運転は、本年二月二三日の審判開始後の不処分において処理されたものである。

即ち、第二回目の不処分は、第一回目の不処分の後に、訓戒にもかかわらず性懲りもなく繰り返したが為に行われたものではないのである。

従つて、実質的に考察すれば、不処分は一回だけであるとも、判断しうる。

それでは、昨年六、七、八月の短期間に集中して行われた無免許運転は、本件少年の悪性を示すものと評価しうるであろうか。

乗用車の免許をとるには、自動車教習所に通う場合が殆んどである。けだし、運動操作が複雑であるうえ、自動二輪に比し、その凶器性が強いからである。

しかし、自動二輪の場合、その免許を自動車教習所に通つて取得する少年は殆んどなく、空地等で仲間等の手ほどきを受けながら、無免許運転練習を重ね、自信がつけば、道路に出て何回か無免許運転を重ね、やがて機会をみて、免許試験に合格する少年が殆んどである。

かような現実を直視すれば、昨年六、七、八月の自動二輪無免許運転歴を、少年の悪性を示す資料として評価するには、格別に慎重でなければならず、むしろ、その後免許試験を受けようとしたか否か及び合格したか否かを重視すべきである。

今回の自動二輪無免許運転は、不処分後に行なわれたものであるから、批難の対象となりうることはたしかである。

しかし、本件少年は、第一回目の不処分後、まもなく、昨年一二月に自動二輪の免許試験を受け、これに合格したのであるが、昨年六、七、八月の無免許運転前歴のため、道交法九〇条により免許を拒否されたものである。

免許取消による無免許運転とは異なり、道交法九〇条による免許拒否に基づく無免許運転には、情状酌量の余地があることは、異論のないところである。

無免許運転事犯は、自然犯化しつつあるとはいえ、本件事犯に関する限り、法定犯の色彩が強いことは否定できないと思われる。

以上の分析によれば、本件少年について、交通少年院送致を合理化する特段の事由は存在しないと結論される。

保護観察をとびこえて、少年院送致を言渡した原決定は、少年を、少年であるが故に、却つて成人の場合よりも重く処分している。

少年法の福祉的理念を持ちださずとも、原決定は適正手続保障の理念に照し、著しく不当であり、これを取消さねば、著しく正義に反する。

第二 原決定は、少年の健全な育成を期する少年法の目的-福祉的理念-に照し、その処分が著しく不当である。

一 (少年調査記録記載事項から)

鑑別結果通知書によれば、「今回の入所はショックだつたようであり、自ずから、生活の立直しを考えだしているので、指導によつては非行抑制は可能」と記されている。

又、同通知書中のM・J式態度検査によれば、少年は「家族、近隣、友人とうい人間関係にも、肯定的であり、仕事の価値を認めている」と評価されている。

更に、少年調査票によれば、少年の保護者も「まじめな態度で(少年の)監督対策を考えている。」と記載されている。

そして、鑑別所及び調査官の意見は、本件少年には、いまだ保護処分の経験がないことをも考慮して、保護観察処分が妥当であるとの点で一致している。

二 (少年の自律的更生意欲等)

つまり、少年は自律的に更生の意欲を燃やしているのであり、少年の父母も甘やかすのが能ではないと反省して、まじめな態度で少年の監督を考えているのである。

少年が、その父母を信頼していること及び仕事の価値を認めていることを考慮すれば、少年の更生の芽は今力強く、すくすくと伸び始めており、少年の将来に対しては明るい希望をも託することができるのである。

なお、少年は暴走族の一員ではなく、今年七月、少年とA子が、別れた際にも、少年の父母とA子の父母との話し合いでお互の将来の為に別れさせた経過がある。

かように考えた場合、本件少年は、少年院送致という強硬手段をとらずとも、保護者の監督対策と相まつて、自律的更生が可能であり、かつ、少年院送致は、年少で保護処分の経験がない本件少年に対しては、却つて抜きさしならない悪影響を与える恐れのほうが強いと結論される。

之を要するに、原決定は本件少年の健全な育成を却つて阻害する処分であり、著しく不当として取り消されるべきである。

第三 結論

少年には、保護処分の経験がないこと、少年は自律的更生の意欲を燃やしていること及び少年の保護者は少年を従来の友人関係から切り離し広島の親戚(広島の親戚は、身元引受書を、神戸家裁尼崎支部宛提出している)に預けることをも考慮しながら少年の監督対策を真剣に考えていることを考慮すれば、原決定はその処分が著しく不当である。

参考三 少年調査票<省略>

参考四 鑑別結果通知書<省略>

(編注 受差戻審決定 神戸家尼崎支 昭五二少一二三四五号 昭五二・一一・一八 保護観察決定)

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