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大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)1305号 判決 1978年5月30日

第一審原告(第一一〇一号事件被控訴人、第一三〇五号事件控訴人)

国東光治

右訴訟代理人

橘一三

本田卓禾

右補助参加人

松本邦敏

右訴訟代理人

奥村孝

外二名

第一審被告(第一一〇一号事件控訴人、第一三〇五号事件被控訴人)

右代表者

瀬戸山三男

右訴訟指定代理人

細川俊彦

外五名

主文

第一審被告の控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

第一審被告は第一審原告に対し、金二二七万〇三五九円及び内金二〇六万四三五九円に対する昭和四六年一一月八日から、内金二〇万六〇〇〇円に対する本裁判確定の日の翌日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

第一審原告のその余の請求及び控訴をいずれも棄却する。

訴訟費用は、参加により生じた分は補助参加人の負担とし、その余は第一、二審を通じこれを三分し、その二を第一審原告の、その余を第一審被告の各負担とする。

事実《省略》

理由

一本件事故の発生、態様及び責任原因についての当裁判所の認定、判断は、次に付加、訂するほか、原判決理由一、二項記載のとおりであるから、これを引用する。<中略>

5 ところで、本件事故は以上説示のとおり第一審被告の道路管理の瑕疵と邦敏の運転上の過失とが競合して発生したものであつて、その程度、態様等を比較考慮すれば、事故発生に寄与したその過失割合は五分、五分と認めるのが相当である。

6 そこで、第一審被告の被害者側等に関する過失相殺の主張について検討する。

(一) 民法七二二条二項にいう被害者の過失には、被害者本人のみならず、これと身分上ないし生活関係上一体をなすとみられるような関係にある者の過失も含まれると解されるが、いわゆる被害者側の範囲の問題も、結局は公平の観念に立ち、加害者側の責任の拡張、深化に対応して、危険負担の分配、損害の填補清算の適正、合理化をはかろうとするところにあるから、かかる観点からすれば、必ずしも、幼児と親とか夫婦などのように極度の一体関係がなくても、事故発生の危険性をはらんだ当該行為に及び、被害者本人と過失ある第三者とが互に他の一方を自己の手足として行動し、かつ、その結果を自己のものとして享受ないし受忍しているような相互関係(行為評価の同一帰属性)があつて、その賠償請求も事実上(社会通念上)困難とみられる事情ないし関係が両者間に存するような場合には、実質上右の一体関係があると認めて、第三者の過失により生じた損害を加害者よりはむしろ被害者の負担に帰せしめるのが相当である。このように解するときは、加害者が一たん被害者に全損害を賠償した後、過失ある第三者にその負担部分を求償するという求償関係も一挙に解決し、紛争を一回で処理できるという合理性も存するのである。

これを本件についてみると、既に認定した如く、第一審原告と邦敏は当時義理の兄弟関係(邦敏は第一審原告の妻の弟)であつて、事故車は第一審原告の所有であり、本件事故は第一審原告が信州松本への観光ドライブ旅行を楽しむため、義弟の邦敏を助手席に、各自の母親を後部席にそれぞれ同乗させて神戸を出発し、その途中で邦敏と互に適宜運転を代りながら、いわゆる交替運転中に起きた事故であること、しかも、本件事故により蒙つた損害につき第一審原告は、右のような関係から情愃的にも邦敏に対してはその賠償を求める意思が全くないことが弁論の全趣旨より明らかである点等の諸事情を勘案すれば、本件事故当時事故車の運行につき、第一審原告と邦敏は実質上一体の関係にあつたとみられるから、邦敏の過失は被害者である第一審原告側の過失として評価、斟酌するのが公平の理念に合致するものと思料する。《以下、省略》

(白井美則 永岡正毅 友納治夫)

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