大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)1373号 判決 1978年11月29日
控訴人 村岡敏郎
被控訴人 安達厚男 外一名
主文
原判決を取消す。
被控訴人らは各自控訴人に対し金四〇〇万円及びこれに対する被控訴人田中重は昭和四九年九月八日以降、被控訴人安達厚男は同月一一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
この判決の第二項は仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
(控訴人)
主文第一ないし三項と同旨ならびに仮執行の宣言
(被控訴人ら)
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
第二当事者の主張
次に付加するほか、原判決事実摘示のとおり(但し、原判決三枚目裏九行目の「表意書」を「表意者」と訂正)であるから、これを引用する。
(控訴人)
一 給油所建設の届出には、設置する機械の種類や数を決定し、その他測量図面等の添付書類も準備しなければならず、ある程度の準備日数を要する。訴外宮林商店が、控訴人と被控訴人ら間で本件契約を締結した昭和四六年一〇月二七日当時から、本件土地と至近距離内での給油所の建設を予定してその準備を始めていたとすると、その時点で控訴人の給油所建設は不能であつたのであり、したがつて、控訴人は契約成立当時すでに錯誤に陥つていたのである。
二 控訴人の給油所建設不能が、本件契約締結後に発生した事情によるものであつても、契約締結時にそのことあるを予見せず、かつ予見不可能であり、しかもその事情変更のために不均衡、不公正な結果を招来し、あるいは契約の目的達成が不可能となつた場合は、「要素の錯誤」ある場合にあたるというべきである。そのうえ、本件で宮林商店が給油所建設の届出をして当局に受理されたのは、本件契約締結の僅かに九日後のことであつて、このように時間的に近接していても、契約締結時の事情でないからという理由で錯誤ある場合にあたらないというのは相当でない。
三 宮林商店が本件土地の至近距離内に給油所建設を予定していて、その届出をするというようなことは、控訴人としては全く予見しえないことであつた。宮林商店の建設予定地は、バイパスに面しておらず、給油所の設置に適した立地条件になく、一〇年も前に購入されたまま放置されていたものである(その後も現在に至るまで、宮林商店は右予定地で給油所を営業していない。そもそも、宮林商店は給油所を開設するつもりもなく、その届出は単に、競争相手の控訴人の開業を妨害する目的であつたものであることが明らかである)。
四 控訴人は、給油所を設置することによつて高収益をあげることができると見込んだが故に四〇〇万円という高額の権利金を支払い、賃料も被控訴人安達の強い要求にしたがい昭和四六年度を二四万円(年額)とし、毎年その前年の消費者物価指数を前年の賃料に準じたものを加算することにしたものであつて、契約の目的がほとんど原始的に不可能で、収益をあげることができないのに、なおその契約に拘束されるというのは、控訴人にとり極めて酷なものである。他方、被控訴人らは、控訴人が給油所設置のため本件土地を賃借するものであることを十分了知していた(契約書にも明記)ものであり、給油所設置が不可能のとき本件賃貸借が失効することとなつても、被控訴人らに不測の損害を与えることはない。なお、契約書(甲第一号証)の五条二項(「この権利金は正当な理由がなくして甲(賃貸人)が乙(賃借人)に土地を返還することを要求し、乙がこれに応じた場合以外は返還しない。」)は、本件のように控訴人の責に帰すべからざる事由で給油所を設置することが当初から不能な場合であつても権利金の返還を要しないという趣旨ではない。
(被控訴人ら)
一 控訴人は、その競争相手に宮林商店が存在していること、同商店の所有地が本件賃借土地の至近距離にあること、昭和四六年度の通産省鉱山石炭局の給油所建設についての方針及び実施細則の内容を、本件賃貸借契約締結時に明確に認識していたのであるから、宮林商店の届出を予見しえなかつたということはありえない。
二 被控訴人らが本件権利金の返還を求める権利がないことは、契約書五条二項(前出控訴人主張の第四項)の約定からして明らかである。
第三証拠<省略>
理由
一 本件賃貸借契約の成立から控訴人の解除申入れに至る事実関係は、次に付加、訂正するほか、原判決八枚目表六行目の「原告が」から同裏五行目末尾まで、同七行目の「当事者に」から同一〇枚目裏八行目末尾まで、同一一枚目裏八行目の「原告」から同一一行目の「争いがない」までに説示のとおりであるから、これを引用する。
(一) 原判決八枚目裏一行目の「原告本人尋問の結果」の次、同九行目の「同証言」の次、同一一行目の「同結果」の次に、それぞれ「(原・当審)」を、同四行目の「各本人尋問の結果」の次に「及び被控訴人安達の当審における本人尋問の結果」を、同八行目の「成立に争いのない」の次に「甲第八、九号証」を、同一〇枚目裏四行目の「被告安達に対し」の次に「昭和四七年六月と」を、各そう入する。
(二) 原判決一一枚目裏一一行目の「争いがない」を「争いがなく、前掲各証拠によれば、右解除がなされたのは昭和四九年四月頃であつたと認められる。」と改める。
二 証人大谷仙太郎の原審第一、二回証言、控訴本人の原・当審供述、被控訴本人安達厚男の原・当審供述および弁論の全趣旨を綜合すると、控訴人は当時宮林商店こと宮本良一が本件土地の近隣地に新規給油所の建設届出を先にするなどということは全く予測していなかつたこと、本件土地はもと水田であつたが、建設会社が被控訴人安達の承諾を得て国道建設工事の廃土を本件土地上に運んで盛土をしたので、本件賃貸借契約が締結された当時は現況水田でなくなつていたこと、控訴人は給油所建設が不可能となつた後本件土地を全く使用せず、昭和四八年一〇月頃ドラム缶の空缶二〇本余を本件土地上に置いたが、消防団より注意され同年年末頃これを撤去したこと、本件土地は国道に面しているものの市街地からは離れており、控訴人として適当な利用方法がないのでその後本件土地を使用せず、現在本件土地は雑草が生えるのにまかされていること、以上の事実が認められ、右認定を左右する証拠はない。
三 控訴人は本件土地賃貸借契約について事情変更を理由とする解約解除を主張するところ、事情変更を理由とする解除権は明文上の根拠はないが、客観的にみて事情の変更が信義衡平上当事者を該契約によつて拘束することが著しく不当である場合には認められるべきであり(最高裁判所第二小法廷昭和二九年二月一二日判決参照)、契約成立後、契約締結の基礎となつた事情がもし当時それが予見されておれば該当事者がとうてい契約を締結しなかつたであろうと思われる程度の著るしい変更を来たし、右変更を右当事者が予見していなかつたことは勿論通常の注意をもつてしては予見することが不可能であり、右変更は右当事者の責に帰すべき事由によつたものではなく、右変更の結果給付と反対給付との間に甚だしい不均衡が生ずるなど契約をそのまま存続させておくことが信義衡平に反することとなる場合においては、右当事者は契約を解約することが許されるものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、前記認定によると、控訴人は自動車の給油所(ガソリンスタンド)建設を目的として被控訴人安達から本件土地を賃借し、給油所経営を前提として期間二〇年、賃料年額金二四万円(但し前年の消費者物価指数に基き毎年加減)前払、権利金四〇〇万円等と約し、賃料を支払い権利金を差入れたところ、契約成立後他の者が給油所設置を先願して行政庁より建設を可とする確認を受けたため、自己の給油所設置届は石油商業組合より却下され、給油所設置は事実上不可能となり、右土地は国道には面するが市街地からは離れており、控訴人として適当な利用方法がないので、何の用途に供することもなく放置するに至つたものである。そして、控訴人として、本件土地を給油所として使用することができないことを予見しておれば本件賃貸借契約を締結していなかつたであろうことは右認定事実に照らし明白であり、控訴人は、右のことを現に予見していなかつたことは勿論予見することも不可能であつたものと認められる。もつとも、さきに引用した原判決理由掲記の各証拠によれば、控訴人は、宮林商店が本件土地のすぐ近くに土地を所有していたこと、給油所建設について前記認定のような行政指導による規制があることを認識していたことが認められるが、右各証拠及び成立に争いのない甲第一〇号証ならびに弁論の全趣旨によると、宮林商店の所有地は、取得以来一〇年近くも建設資材置場として使用される程度でなかば放置されてきた場所であつて、給油所としてはさほど適していないこと、宮林商店はその後右土地上に給油所の設備を作つたが、実際には営業していないことが窺われ、これらの事実に徴すると、宮林商店の給油所建設届は控訴人にとつて全く予想外の出来事であつたことを窺うに難くなく、控訴人が本件契約時においてこれを予見することができたということはできない。
また、宮林商店が右のように控訴人に先んじて給油所開設の届出をしてしまつたことが控訴人の責に帰すべき事由によるのでないことは明らかである。この点につき被控訴人らは、本件土地が給油所として使用できなくなつたのは控訴人が契約後直ちに給油所建設の届出をしなかつたためであつて、控訴人の責に帰すべき事由に基づくと主張するが、前記認定事実によると、控訴人は契約をしてから遅滞なく農地転用許可申請手続をなし且つ契約後一一日目に給油所建設の届出をしているのであつて、宮林商店が控訴人の右契約後六日という短期間内に届出をしたことが控訴人の責に帰すべき事由によるということはできない。
更に、給油所建設が不可能となつた結果、控訴人が本件土地をほとんど何の用途に供することもなく放置せざるを得なくなつたのに毎年二四万円程度の賃料を支払い且つ金四〇〇万円の敷金を預けておかねばならぬことは双方の給付、反対給付の間に甚だしい不均衡が生じたと称するに妨げなく、かかる状態を向後二〇年間も存続させることは信義衡平に反するものといわざるを得ない。
以上の検討によれば、控訴人は、事情変更を理由として本件賃貸借契約を解約し得るものというべく、前記認定したところによれば、控訴人の昭和四九年四月頃の申入れは賃貸借契約解約告知の効力があり、この意思表示はその性質上直ちに賃貸借関係を終了させるものと解するのが相当である。
四 本件賃貸借契約が終了した以上、被控訴人安達は原状回復義務の履行として、控訴人に対し本件権利金四〇〇万円を返還すべき義務があり、被控訴人田中は連帯保証人として被控訴人安達と同様の責任を負担することは明らかである。
被控訴人らは、本件賃貸借の契約書に「この権利金は正当な理由なくして賃貸人が賃借人に土地を返還することを要求し、賃借人がこれに応じた場合以外は返還しない」旨の約定があること(このことは当事者間に争いがない)を理由に控訴人は本件権利金の返還を求め得ないと主張するけれども、控訴人の責に帰し得えない理由で契約が失効した場合にも右約定により権利金の返還を求め得ないとすることは、権利金の額、失効した約定期間に照らして、著しく控訴人に酷なものであつて、右約定の解釈としてはとうてい採りえないから、被控訴人らの右主張は失当である。
五 よつて、控訴人の本訴請求(被控訴人らに対する訴状送達の翌日が主文第二項記載の日になることは記録上明らかである)は、その余の主張について判断するまでもなく、正当であるから、これと結論を異にする原判決を取消して控訴人の本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用のうえ、主文のとおり判決する。
(裁判官 今中道信 志水義文 林泰民)