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大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)1588号・昭52年(ネ)2058号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【説明】

A男とX女は昭和二年に婚姻した。Aには女性関係が多く、Y女とは昭和二二年以来、途中一時途切れたことはあるが、Aが昭和四八年に死亡するまで関係があり、昭和二六年にはその間に婚外子B男をもうけている。A・Y間の関係は、その発端においてほとんどAに強制されたものであつたし、その関係保持もほとんどAの熱意によつてされていて、XはA・Yの関係を知りつつ、概ね黙認状態であつた。また、AはX以外の女性とも多く関係していてX以外にも継続的関係をもつた女性もあつたが、Xはこれらの女性に対し損害賠償の請求をしたことがなかつた。

Aの死後、A・Y間の子Bが認知請求をし、その認容判決があつたのち、XはYに対し、A・Y間の不倫行為を理由として、損害賠償請求を提起したのが本件である。

【判旨】

(三) そこで考えてみるに、以上認定の事実関係からすれば、控訴人(Y)は、昭和二二年一月頃からAが死亡した昭和四八年中まで、その間約四年許りを除き、Aとの間において、同人に被控訴人(X)なる妻があることを知りながら、情交関係を維持したものであり、外形的にみる限り、妻たる被控訴人が夫たるAに対して有すべき「貞操を守ることを請求し得る権利」を控訴人においてAと共同して侵害したこと明らかである。しかしながら、本件をめぐる関係者間の実態を詳細にみて、熟考するときは、次の諸点が浮び上つてくるのであつて、本訴請求の当否を決めるに当つては、それらの点に留意しつつ判断する必要があるといわなければならない。即ち、

(1) 先ず、Aは、被控訴人の夫として、姦通の常習者ともいうべきものであり、その相手方たる女性も、昭和初年以降かなり多かつたわけであるから、Aの貞操価値自体が極めて低下していたこと

(2) Aの右常習的姦通の関係もあつて、Aと被控訴人との間の夫婦としての折合は、極めて悪かつたのであり、Aが昭和二七年一〇月頃に被控訴人との別居・絶縁を決意して、単身上阪してから後は、A死亡に至るまで、両者において同居したことなく、夫婦としての関係も途絶えてその婚姻関係は全く破綻して了つていたこと

(3) 控訴人は、Aとの関係の開始及び維持につき、全く消極的・受動的であつたのであり、二〇有余年にわたるAとの関係継続中において、これが関係の維持につき、積極的・主動的であつた形跡は認められず、右長期間にわたる関係の維持は、当初における関係の開始の点をも含め、殆どAの当該関係保持の熱意によつてなされたのであり、その間における控訴人の生活及び行動は、概ねAの指示・命令によつてなされていたものであること

(4) なお、Aと控訴人との関係継続中においても、昭和三〇年頃からA死亡までの間、Aは大阪市内の居宅において、Cと同棲して、情交関係を継続し、両者は実質的な夫婦生活を日常的に営み続けていたのであり、一方、その間、岐阜県下に在住していた控訴人とAとの関係は、Aにおいて一ケ月につき一回か二回ぐらいの割合で控訴人方に宿泊するという程度のものであつたのであつて、Aと右Cとの関係は、実質的にいわゆる内縁の夫婦といい得るものであつたのに反し、Aと控訴人との関係は、いわゆる内縁関係とはいい難い程度のものであつたのであり、一般的・社会的見地からすれば、右期間中における被控訴人に対する侵害の度合は、控訴人よりも前記Cの方が遙かに強かるべきものであつたこと

(5) 被控訴人は、Aとの婚姻以来、同人の常習的姦通にも拘らず、同人に対しては、その点に関して、格別の抗議や対策をなすこともなかつたのであり、昭和二四年頃には同人と控訴人との関係を知り、また、昭和三〇年代前半には良吉と前記Cとの関係も知つたと窺われるにも拘らず、当該事態を放置し、Aとの離婚を拒んで、その婚姻関係を維持することにし、Aと別居後においては、その居宅において子のDとの生活を継続するという方途を選んだのであつて、昭和二七年頃から後は、Aと他の女性との関係については、一切これを放任し、黙認同然の状態であつたこと

(6) 控訴人としても、被控訴人の右状態に照らし、また、少なくとも昭和三二年中にAと控訴人との関係が復活してから後、Aが死亡する昭和四八年中まで、Aと控訴人とが関係を継続していた間に、被控訴人から、その関係の解消を求められたり、当該関係を理由とする損害賠償の請求を受けたりしたことがなかつた関係上、被控訴人としては、Aと控訴人との関係をも放置しているものであつて、他日、被控訴人が控訴人に対し、当該関係を理由とする損害賠償の請求をなすなどとは予想もしていなかつたと思料されるところ、被控訴人においては、Aが死亡してから二年有余も経つた昭和五〇年六月二六日に突如として本件訴訟を提起したのであるから、形式的に考えるならば、本訴提起から三年前である昭和四七年五月中までのAと控訴人との関係によつて生ずべき被控訴人の控訴人に対する損害賠償請求権は、時効によつて消滅したと考えられる余地もあるのであり、そうとすれば、昭和四七年六月以降昭和四八年中までの僅々一年許りの間における右両者の終末期における関係についてのみ控訴人の責任を問わんとすることは、決して妥当なものとは思料し難いこと

(7) そして、最も重要なことは、被控訴人が、前記Cを始めとするAが過去において関係した多くの女性に対し、現在までに、特に損害賠償その他の請求をなした形跡が全く認められないにも拘らず、独り控訴人に対してのみ昭和五〇年六月二六日に本件訴訟を提起するに至つた所以は、控訴人の子のBが、Aの死後に検察官を相手方として、自己がAの子であることの認知を求める訴訟を提起したところ、昭和五〇年三月二七日に右請求を認容する旨の判決があつたことによるのであり、右認知の請求を認容する判決がなされなかつたならば、本件訴訟の提起はなされなかつたであらうことが充分に窺われるのであるが、もともと、Bの右認知の請求は、前記認定の事情の下においては、当然なされて然るべきものであつたといわなければならないにも拘らず、被控訴人やその関係者らにおいては、右認知判決後におけるBのAの遺産に対する権利の主張、その他BがAの子として有する権利の主張を抑制ないし縮減させることを意図し、直接的にBに対しては、右意図を達成するために採り得べき適切な方策がないまま、間接的にでも右意図を達成し得べき一方策として、同人の母である控訴人に対し、本件訴訟を提起するに至つたものであると思料されること

をそれぞれ充分に考慮すべきであるといわなければならない。そうだとすれば、被控訴人は、B提起の前記認知請求訴訟において、当該請求を認容する旨の判決のあるまでは、控訴人に対し本件損害賠償の請求をなす意思を有していなかつたのであり、一方、控訴人においても、被控訴人からかかる損害賠償の請求をうけることがあるとは全く予想しなくなつてから長期間経過したものであるといい得るから、被控訴人が控訴人に対し、Aが死亡してから二年有余も経つたときに、今更のごとく、こと改めて、本件損害賠償請求をなすことは、上記認定の本件における諸事情、並びに消滅時効制度の趣旨に照らし、権利の濫用わたるものとして、許されないとするのが相当である。

(本井巽 坂上弘 野村利夫)

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