大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)1684号 判決 1980年9月26日
昭和五二年(ネ)第一六八五号事件控訴人、同第一六八四号事件被控訴人
第一審原告
医療法人十全会精神科京都双岡病院(以下、双岡病院と略す)
右代表者理事
赤木孝
昭和五二年(ネ)第一六八五号事件控訴人
第一審原告
医療法人十全会(以下、十全会と略す)
右代表者理事
赤木静江
昭和五二年(ネ)第一六八五号事件控訴人、同一六八四号事件被控訴人
第一審原告
池田輝彦
右同
第一審原告
酒井泰一
右四名訴訟代理人
前堀政幸
外二名
昭和五二年(ネ)第一六八四号事件控訴人、同第一六八五号事件被控訴人
第一審被告
高木隆郎
右同
第一審被告
榎本貴志雄
外四名
右五名訴訟代理人
崎間昌一郎
外二名
主文
一、第一審被告らの控訴に基づき
(一) 原判決主文第一項を取消す。
(二) 第一審原告双岡病院、同池田、同酒井らの、右取消部分にかかる請求をいずれも棄却する。
二、第一審原告らの控訴を棄却する。
三、訴訟費用は一、二審とも第一審原告らの負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判<省略>
第二、当事者の主張
一、原判決の引用<省略>
二、第一審被告らの主張
(一)ベッド拘束の違法性等について
患者の両手両足を布紐でベッドに縛るいわゆるベッド拘束は患者の行動の自由を奪い去り、基本的人権を侵害すること甚しいものであるから、薬物療法の発達した現在では極めて例外的にしか許されないものである。
したがつて、第一審原告池田が昭和四四年一一月二三日に前川に対するベッド拘束を開始して後、同年一二月三日まで拘束を継続させたこと及び第一審原告酒井が松田に対し同年九月二七日から同年一〇月一九日までベッド拘束をしたのは、拘束開始及び継続の必要性がなく、かつ拘束の方法も不相当であつて違法である。
(二)本件告発、告知の目的
第一審被告らの行なつた本件告発、新聞記者への告知は、専ら捜査権の発動を促し、荒廃した精神医療を改善するという公益を図る目的に出たものである。
(三)医師の告発の正当性
医師の職務の公共性(医師法一条)に照らすと、職務上他の医師の医療行為につき犯罪を発見したときは、むしろ告発すべき義務があるというべきである。
(四)告発事実の新聞記者への告知と表現の自由
本件告発と、新聞記者の取材に応じて告発事実を告知したことは、両者は一体として控訴人らの表現の自由を実質的に保障すると同時に国民の「知る権利」に奉仕するもので最大限に尊重されなければならない。
(五)名誉毀損における真実性の錯誤
仮りに本件告発事実が真実でなく、真実と信ずるにつき一審被告らに過失があつたとしても、治療行為の外形的事実は存在し、それが違法行為であると判断して告発したもので、その誤信につき故意又は重大な過失がないから、本件告発は「真実と信ずるについて相当の理由」があるし、又「正当行為」として名誉毀損の違法性が阻却される。
三、第一審原告らの主張
(一)第一審被告ら主張の前示二(一)の事実を争う。
ベッド拘束は本件各医療行為の当時、一般的に自傷、他害の虞れがある精神病患者に対し已むを得ない処置として行なわれていたもので、適正な医療行為である。
(二)第一審被告ら主張の同(二)の事実を否認する。
第一審被告らは、第一審原告らの医療業務を非難する目的で、京都府知事、京都府議会への陳情、或いは京都社会福祉問題研究会の運動が奏効しないため、敢えて本件告発、新聞紙利用の公表行為に出たものである。
(三)第一審被告ら主張の同(三)の事実を争う。
医師が他の医師ないし病院の医療行為を軽々に告発し、新聞記者に告知宣伝するのは、医師の社会的責任に悖る。
(四)第一審被告ら主張の同(四)の事実を争う。
告発は表現の自由と無関係である。また、本件では、事実を誤認したまま相手方である第一審原告らの意見も聞かずに、一方的にマスメディアに他人の名誉を毀損する事実を流布したもので、表現の自由の濫用である。
(五)第一審被告ら主張の同(五)の事実を争う。
本件のように、医療行為を医療行為でない故意の加害であるとする告発と宣伝には、それを行なうのが医師である場合にはなおさら一層十分かつ正確な注意義務が求められるというべきである。
(六)國吉医師のとつた持続睡眠療法が過誤にあたるものではなく、また、患者阿部の死亡は右の医療過誤によるものとはいえない。
かりに國吉医師の行なつた患者阿部に対する医療行為が適切、妥当でないところがあるとしても、第一審被告らがした同人についての傷害致死の告発につき過失があるというべきである。
第三、証拠<省略>
理由
第一原判決の引用<省略>
第二事実の認定
<証拠>ならびにこれによる右原判決認定の各事実を総合すると、本件事実関係の経緯の要約は次のとおりであることが認められ<る。>
(一)昭和三〇年八月、第一審原告双岡病院が設立され、同原告が精神科、内科を開設経営。
(二)昭和三一年四月、第一審原告十全会が設立され、同原告が呼吸器科、内科の病院東山高原サナトリウムを開設経営。
(三)昭和三四年頃から昭和四二年頃までの間、松田記美代(昭和一六年一一月六日生)(現在、結婚して水口と改姓)は、情緒不安定で京都府立医大附属病院精神科に通院し、その間昭和三九年一一月から昭和四〇年九月まで(第一回入院)と、昭和四一年一一月から昭和四二年四月までの間(第二回入院)神経衰弱様の病状(病名 反応性うつ病)で、同大学病院付属花園病院に入院した。右第二回入院の際第一審原告酒井は同医大病院精神科医師として右松田の診療を担当し、退院後も外来患者としてその診療に当つた。
(四)昭和三七年四月から、前川和彦(昭和一八年一一月一六日生)(病歴、一七才頃から精神分裂病、当初一年間前示京都府立医大花園病院に入院)は精神分裂病で第一審原告双岡病院に入、通院を繰り返していた。
(五)昭和四〇年九月、第一審原告池田は右双岡病院精神科医師として就職、同年一二月同病院副院長に就任。
(六)昭和四三年六月二八日、第一審被告木田が会長になつて結成した東山高原サナトリウム(十全会経営)患者自治会が、各種要望事項を掲げて同病院院長と交渉したが物別れとなつた。
(七)同年八月五日、安部こと阿部繁美(昭和一一年七月三日生)は肺結核で第一審原告十全会経営の東山高原サナトリウムに入院した。
同人の病名、担当医、病歴、前歴等は次のとおりである。
(1)病名(入院時) 肺結核、高血圧、精神病質。(入院後) 慢性胃炎、痔核、便秘、感冒、結膜炎、気管支肺炎、急性大腸炎。
(2)担当医 (精神科の主治医)國吉医師、(内科の主治医)日根野、川合医師。
(3)病歴 昭和四一年一二月肺結核発病、京都の京北病院、米子の博愛病院、京都の安井病院、滋賀県の国立療養所比良園、京都の大羽病院に順次入院。
(4)前歴 米子市出身。青年期から家を出て鳶職。
二〇才頃から傷害事件を起こし、昭和三七年五月八日殺人未遂罪で三年の服役を了え山口刑務所を出所。
(5)その他 生活保護受給患者で同意入院。これまでの転院は飲酒による規則違反によることが多かつた。
なお、第一審原告十全会(同経営の病院東山高原サナトリウムを指す。以下、本項(第二)において同じ)入院後は各種の検査、投薬を受け、温順に寝ていることが多い。但し、看護婦に対し口が悪い。
(八)阿部繁美の第一審原告十全会における治療経過は次のとおりである(甲第一〇号証の一ないし三)。
(1)昭和四四年三月一八日から四月九日まで、急性腹症で桑原病院に転院、治療後十全会に帰院。
(2)同年五月三日午後六時頃、外出先から飲酒して戻り、翌日は不眠を訴え睡眠薬の投薬を受ける。
(3)同年六月一日、ウイスキー一本を飲み、風呂場で転倒。
(4)同年七月一〇日、前夜牛乳を嘔吐して以来吐気が続く。
(5)同年八月一六日、安静時間が多い。
(6)同年九月一三日、看護人にくつてかかり殺してやると脅す。
(7)同年一二月八日、年末の外泊を望まず、終日裸で過ごす。
(8)同月二〇日午前中、前日飲酒したことを國吉医師が咎め、飲酒をやめるよう説得。
同日午後、再び飲酒、國吉医師、赤木看護長、別の患者一人を立会わせ、禁酒を説得したが頑として受け付けなかつた。
(9)同日午後四時、國吉医師は阿部を一階個室に移し、イソゾール(短時間の催眠剤)を注射し、ベッドに両手、両足を縛り、いわゆるベッド拘束処置をとつたうえ持続睡眠療法をとることをきめた。
(10)國吉医師は、持続睡眠療法として二〇日から二四日までの間、朝(八時)、昼(一二時)、夕(一六時)の三回ずつ、大量の精神安定剤イソミタールソーダをブドウ糖、ビタミン剤、強心剤に混合したものの点滴静注を指示した。
(11)看護婦はその指示どおり注射をしたが、二〇日の午後八時二〇分にイソミタールソーダを注射後、午後九時にも同じ注射を行ない、さらに翌二一日(日曜日)朝四時にも再び同じ注射をし、続いて一時間後の午前五時に続いて午後七時にもそれぞれイソミタールソーダ混合液を点滴注射した。國吉医師はイソミタールソーダの追加を中止させた。
(12)同月二一日夜から二二日にかけて、阿部は発熱、気管支炎罹患。当直医中山医師がビクシシンを注射。
(13)同月二二日喀啖排出が増加、中山医師が吸引、國吉医師が酸素吸入を実施。
(14)同月二三日午前七時頃、阿部は大声で「血を取るな」「注射するな」といつて興奮状態となつたので、看護婦は六〜七本のイソミタールを単独又は点滴として六〜七回に亘り注射した。午後四時酸素七〇〇〇リットルの交換、午後七時一、二〇〇CCの導尿が行なわれた。
(15)同月二四日午後二時、看護婦が阿部の脈をみて生存を確認したが、その後一時間程の間両手両足を縛られ酸素吸入を受けたままで死亡。当直医中山医師が死亡を確認。
(16)これよりさき、中山医師は同月二一日頃國吉医師に対し、阿部に対して持続的睡眠療法を続けることにつき危険を感じ、その中止を進言したが拒否され、また阿部死亡後、同人の司法解剖をすべきであると同医師に電話したがこれも拒絶された。
(九)昭和四四年九月一日、第一審原告酒井は第一審原告双岡病院の副院長、内科医師に就任。
(一〇)同月八日、松田記美代は前示(三)の経緯で信頼していた医師である第一審原告酒井を双岡病院に訪ね、入院を希望し、同病院に入院。なお、松田は、同女の入院にあたり、第一審原告酒井が同女の母を呼んだことに憤慨して逃げ出したため、閉鎖病棟に入れられ、同月一〇、一一日までベッド拘束(両手両足を木綿の拘束帯でベッド上に拘束、抑制する措置をいう、以下同じ)をされた(もつとも夕食時に限り解除)。同月一二日退院した。(甲第三号証)。なお、第一審原告酒井は、松田のこの入院について本来の担当医の東伸子医師に話し、担当外の同酒井が主治医となつて松田の治療に当たつた。
(一一)同月二四日、松田は京都婦人相談所を訪ね「家族全員を殺し自分も死にたい」といつたので、翌二五日朝係員が松田の家族に入院を勧告した。翌二六日、松田は観劇から帰宅後、母親に対し、家族全員を皆殺しにしてやると叫んで興奮し、ハサミをもつて迫つたが、従兄がハサミを取上げ、近所の医師から睡眠薬を飲ませて貰い眠らせた。翌二七日朝、松田は母親が博愛会病院に入院の相談の電話をしたことに興奮し、カミソリを持出して母親を追いかけたので表戸に鍵をかけ外へ出られないようにした。同日午後五時頃松田はカミソリで両腕を数ケ所切り、炊事場に縄をかけ自殺を企図した。
(一二)同月二七日午後七時三〇分、第一審原告酒井は松田の家族の電話で松田を第一審原告双岡病院に連行して、当直医西尾元哉医師に話し、同医師が責任者となつて、前回同様閉鎖病棟に入院させて直ちにベッド拘束をした。この入院時松田は介助され温和に入室しており、池田外科で両上膊縫合を受けたので、時々注射の部位が痛いと言つていたに過ぎない。松田はこのベッド拘束により完全に自由を奪われ、おむつで排更、排尿をさせられた。
以後の松田の治療措置、病状経過は次のとおりである。
(1)同月二八、二九日、引き続き西尾医師が担当。松田は終日眠り続け、食欲不振、便通あり。二回皮下注射(一本五〇〇ミリ)(栄養剤等の大量皮下注射)。
(2)同月三〇日、東伸子医師が主治医として担当。ベッド拘束継続、睡眠良好、牛乳その他を摂食、食欲やや良好。松田は看護婦に対し「もう心配して下さらなくても結構ですから自由にして下さい。他の病院へ行きたいです」と述べたが、これを医師所見欄では「反抗的」と記載している。BD検査施行。前同様二回皮下注射。
(3)一〇月一日、ベッド拘束継続、睡眠良好、常食摂取、前同様二回皮下注射、精神療法施行。この日松田は医師に対し「お姉ちやんが「死ね」云わはつたし、死ぬ気になつた。遺書はずつと前、前に入院する時に書いた、今度帰つたらお姉ちやん家へ入れてくれるやろか」と云つて泣いた。
(4)同月二日、ベッド拘束継続、睡眠良好、常食摂取、温和に横臥、午後三時抜糸。前同様皮下注射。
(5)同月三日、ベッド拘束継続、症状、皮下注射は前同様。
(6)同月四日、ベッド拘束継続、便がつまり、浣腸施行、以後便通あり。他の症状は不変。点滴注射。
(7)同月五日、ベッド拘束継続、睡眠、便通良好、常食摂取。点滴注射。
(8)同月六日、ベッド拘束継続、症状は前同様。但し、注射あとの大腿部に痘痛、発赤、腫脹があるのを発見。精神鑑定施行(吉本医師、大橋技官)。前(1)同様の皮下注射。
(9)同月七日、ベッド拘束継続(但し、途中解除)(夜間はベッド拘束継続)睡眠、便通良好、常食摂取、顔面蒼白(貧血状)、目まいを訴える。夜間を除きベッド拘束解除。
(10)同月八日、夜間ベッド拘束継続、睡眠、便通良好、常食摂取。大分落ち着き家に便りを書く。
(11)同月九日、夜間ベッド拘束継続、症状は前同様。
(12)同月一〇日、夜間ベッド拘束継続、症状は前同様、但し、排便困難のため浣腸施行。BD検査(脳波検査)。
(13)同月一一日、夜間ベッド拘束継続、症状は前記(10)と同様、明るい顔で食欲あり。
(14)同月一二日、夜間ベッド拘束継続、症状前同様、温和で食欲あり。
(15)同月一三日、夜間ベッド拘束継続、症状は前同様。
(16)同月一四日、右同。但し、抑うつ的。
(17)の同月一五日、ベッド拘束完全に解除。睡眠良好、常食摂取、排便困難、浣腸二回施行。
(18)同月一六日以降、身体症状、精神状態はおおむね良好、翌四五年八月三日退院。
(19)この間第一審原告酒井は、前示(12)の脳波検査の結果の検討を東医師から依頼され、同医師に松田の症状を聞いたり、松田の家族から病状等につき相談を受け、松田との間で挨拶を交わしていた。そのため、松田は右酒井を主治医と考えていたところから、第一審被告らにその旨を伝えた。
(一三)昭和四四年五月一四日、前示(四)のとおり精神分裂病で第一審原告双岡病院に入、通院を繰り返していた前川和彦が、再び同病院へ入院。右前川の病状、治療、処置経過は次のとおりである。
(1)病名 精神分裂病 主治医 第一審原告池田輝彦。
(2)病状 前回退院(昭和四二年四月一五日)後、家業の手伝をするが、昭和四四年三月頃から沈み勝ちとなり、自室に引きこもり、とくに、何もせず日中でも殆んど臥床していた。かなり以前からモミジ、クローバを食べたり神棚を拝む。これを主治医池田医師はカルテに奇行、精神症状の残存した状態があると記載している。
(3)昭和四四年一一月四日、なお、妄想知覚を認める。精神療法により最近かなり表面的に穏やかになる。奇異な思考、振舞を主治医が注意、説得。
(4)同月一二日、母と外泊を希望。
(5)同月一五日、表情明るく整髪して、母に同伴され気嫌よく実家に外泊。
(6)同月一七日、父とともに帰院。前川は家で玄米食をしていたので、帰院後も家族が玄米食を医師に依頼するということを条件に帰院したが、玄米食は与えられなかつた。
なお、父は散剤しかのまないので薬を変えて欲しいと述べ、玄米食の給食を求めたが、主治医の池田は異食症の昂進をおそれ玄米食に消極的であつた。
(7)同月一九日、朝から落ち着かず廊下を排回、注射をするが鎮静せず、家族が玄米食をもつてくるといいながら、持つて来ないといつて、興奮し病室のガラスを割つたため、保護室へ移された。
(8)同月二一日、玄米食を強く要求、給食に手をつけない。
(9)同月二二日、朝から不穏状態で、職員の顔を見ると目をつぶしてやる等と怒鳴り、布団を破り綿を細かくちぎり、手のつけようがない。昼食後角材で鉄枠をこじあけようとしており、準看護士藤原正太がとめに入るや、針金をポケットから出し前頭部を突き出血させた。傷の手当に戻つた藤原がベッド処置をするため再入室すると、同人のボールペンを取り上げて耳の上部をつき、うずくまつた同人を殴りつけるので、同人ら看護人は前川をベッドに力づくで横臥させ、六本の保護帯で両手両足を縛り完全なベッド拘束を施行した。前川は大声を張り上げて紐を解いて下さいと喧しく訴えていたが、午後一〇時頃から割合温和にしている。なお、主治医池田医師は出張で不在のため、上記の処置は東伸子医師と院長の判断でなされた。
(10)同月二三日、相変らず拒食。玄米食持込希望。ベッド拘束継続。
(11)同月二四日、ベッド拘束継続、母玄米食持参、おいしそうに食べるが看護婦には反抗的。主治医池田医師が帰院。
(12)同月二五日、ベッド拘束継続、再三ベッド拘束帯を解き、大声で喚き散らす。
(13)同月二六日、ベッド拘束継続、給食をとらず拒食。
(14)同月二七日、ベッド拘束継続、野生植物の持参を懇望し、看護婦がモミジ、松葉を与える。
(15)同月二八日、ベッド拘束継続、注射時看護婦一人では入れず、夜警、看護婦(二人)の三人で入室し注射を完了。
(16)同月二九日、ベッド拘束継続、玄米食、野菜、野生の食物しか食べない。ベッド拘束帯をよく解く。ベッド拘束の解放を望むが、池田医師は、なお刺戟的、攻撃的であることを理由として経過観察を指示。
(17)同月三〇日、ベッド拘束継続、玄米食をおいしそうに食べる。温和になるからといつてベッド拘束の解放を訴える。
(18)一二月一日、ベッド拘束継続、なお、奇異な思考、精神運動性興奮を認める。睡眠、摂食良好。入浴する。
(19)同月二日、ベッド拘束継続、睡眠、摂食良好。
(20)同月三日、看護婦が右上肢に傷を発見し、池田医師の指示でベッド拘束を解除。前川には、右肘関節の腫脹、両側前腕擦過傷、右側肘関節領域と手関節領域に腫脹、運動障害、神経麻痺があつた。これはベッド拘束帯によつて生じたものである。池田医師が右創傷の処置をした。
(21)同月六日、創傷処置を拒否。
(22)同月九日、創傷処置拒否、大気療法で治すと主張。
(23)同月一四日、右手も大分上の方まで上げられるようになる。
(24)翌四五年二月、創傷が瘢痕状となつて漸く治癒。
(25)同月下旬、前川の父前川計三が前川と面会し、同人が創傷のため衰弱していることに憤慨し、第一審被告榎本らに連絡し、第一審原告双岡病院理事らと交渉したところ、同原告病院は治療上の行過ぎであると述べ、右前川計三は故意による傷害にあたることを主張し、意見が一致しなかつた。
(一四)昭和四四年一一月一五日、第一審被告奥村は以前看護婦として勤めていたピネル病院の退職者と共にピネル病院退職者会を結成し、印刷物を作つて内情を外部に訴えた。
(一五)同年一二月二三日、第一審被告榎本らの申告に基づき、京都府衛生部長は第一審原告十全会理事長、ピネル病院長に対し、ピネル病院の調査結果に基づき病院業務全般についての改善を勧告した。なお、この頃第一審被告榎本は京都府衛生係長と共に十全会系のピネル病院へ赴き、森川院長と面談したが、同人は現場を見せることを拒否し、改善すべきことはないといつた。
(一六)昭和四五年七月七日、第一審被告高木隆郎は、精障者家族あけぼの会代表として、嶋田啓一郎らと共に京都府知事に対し、十全会系の病院に関し、スシ詰め、薬づけ、点数かせぎ、診察欠如、看護婦不足、強制労働につき善処を申入れた。
(一七)同年一〇月五日、京都府議会は、精神障害者の基本的人権を守る立場から、十全会系三病院の理事者に対し、同病院医師と他の専門医師の研究会等の開催により精神科医療の充実に努めること、作業療法の改善、医師、看護婦等の標準員数を確保することなどを求めることを内容とする精神病院等の運営改善に関する決議がなされた。このような決議がなされたが、第一審原告双岡病院、同十全会経営の東山高原サナトリウムなどの病院では一向に改善がなされる様子がなかつた。第一審被告榎本らは、その頃右改善要求のため、第一審原告十全会経営の東山高原サナトリウム病院へ赴いたが、病院入口で二〇数名の若者に取り囲まれ、立入を拒否された。やむなく患者同盟の事務所で同病院の院長國吉政一医師と面談したが、同院長において、改善すべき点はないと主張して全く話が進まなかつた。
(一八)それまでの間にも、京都社会福祉問題研究会とあけぼの会が主催者となつて、十全会系病院の糾弾集会を開き京都の一般府、市民に不当を訴え、三病院(双岡病院、東山高原サナトリウム、ピネル病院)を告発する会を結成したりしたため、各新聞紙もこの運動を報道したが、第一審被告らにとつては所期の成果が得られなかつた。
(一九)同年一二月二八日、第一審原告双岡病院、十全会側のかたくなな態度に業を煮やした第一審被告らは、もはや司法官憲の手で糾明して貰うよりほかないと考え、京都地方検察庁に対し、第一審原告池田輝彦、同酒井泰一、及び訴外國吉政一を監禁致傷等で次の事実を告発し、同日受理された(以下、単に本件告発と略すことがある)。
(告発事実)
1第一審原告池田輝彦は同双岡病院(院長東昂)に精神科担当医師として勤務し右病院に精神分裂症として入院中であつた前川和彦(当時二六年)の主治医であつたが、昭和四四年一一月二〇日、右前川が食事の差し入れについて右病院看護人某に文句をいつたため、同人の右態度に対し懲戒を加えようと企て、右病院看護人某等と共謀のうえ、なんら医療および保護の必要性がないに拘らず、右病院保護室に連れ込み、同人の両手両足をベッドに布紐で縛りつける等の暴行を加え、昭和四五年一一月二二日(但し、昭和四四年の誤記と認める)までそのまま放置し、もつて三日間にわたつて同人を監禁し、右暴行により同人に右上腕および右腕関節部挫創等の傷害を負わせたものである。
2第一審原告酒井泰一は、同双岡病院(院長東昂)に精神科担当医師として勤務し右病院に心因性反応症として入院中であつた松田記美代(当時二八才)の主治医であつたが、
(1)昭和四四年九月二七日午後九時頃、右松田が同病院精神科に入院してきた際、同人を入院後直ちに、なんら医療および保護の必要性がないにも拘らず、右病院三階一号室に連行し、同人に対しベッドに両手を木綿製拘束帯により縛りつける等の暴行を加え、昭和四五年一〇月一八日までそのまま放置し、もつて二一日間にわたつて監禁し、
(2)さらに同人を前記監禁している間、同人には摂食の意思および能力があり、なんら医療上必要がないにも拘らず、入院患者の食事作業の手数を省き、右病院に不当な収益を得させようと考え、栄養剤を強制的に患者に注入することを企て、同人に対し、連日多量のリンゲル液等を両大腿等に皮下注射する等の暴行を加え、もつて同人に対し、前記部位に有痛性腫脹等の傷害を負わせたものである。
3國吉政一は、東山高原サナトリウム(院長赤木孝)において副院長かつ精神科担当医師として勤務し、右病院に肺結核および精神病質として入院中であつた阿部繁美(当時三〇才位)の主治医であつたが、昭和四四年一二月二一日右阿部が前夜の飲酒について右國吉医師から叱責され、その直後病室内で同室内の患者に向つて「國吉の野郎やつてやる」と叫んでいたことを聞き知るに及んで、右暴言に立腹し報復せんとし、さらに見せしめとして懲戒を加えようと企て右看護人某等と共謀のうえ、何ら医療および保護の必要がないにかかわらず、同人を同病院一階個室に連行し、同人の両手両足をベッドに布で縛りつけ、同月二四日まで一日当りイソミタール4.5グラム、トリバリドール一五ミリグラム、同セレネース一五ミリグラムを各々連日同人の身体に注射し、さらに同人の身体に電気ショックを加える等の暴行を加え、よつて同人に意識混濁、全身衰弱等の傷害を負わせ、同月二四日午前二時に至り右傷害により吐物による窒息死に至らせたものである。
(二〇)昭和四五年一二月二八日(右(一九)の告発の当日)、第一審被告らは、毎日、朝日、読売、産業経済、京都の各新聞社の記者の取材に応じて、前示(一九)の告発事実を告知し、翌二九日毎日新聞朝刊は「患者縛りケガさす」「十全会の三医師を告発」との見出しをつけ、、前示(一九)の告発事実を國吉、池田、酒井医師の名を挙げたうえ、その大略を示し「三事件とも拘束不必要な状態なのに、看護人もつけす、ベッドに縛りつけ、傷害を与えたとしている」と報道しつつ、酒井医師の反論を「私の治療は正しい」との見出しの下に掲載している。
また、同日の朝日新聞朝刊は、医師の氏名を匿名として右告発の事実の大略を小さく報道した。
さらに、同日朝刊の読売新聞、サンケイ新聞、京都新聞は、医師名を匿名として前示告発事実の大略を報道しつつ、いずれも東院長の話として「不必要な拘束はしていない、公正な判断を求める」旨の反論を掲載している。
(二一)昭和四六年二月、第一審原告酒井は、同双岡病院内科病院院長代理から同病院精神科病院院長代理に就任。
(二二)同年六月二四日、第一審原告池田、同酒井、及び訴外國吉政一らは、前示(一九)の告発等が誣告、名誉毀損、信用毀損罪に当たるとして第一審被告らを京都地方検察庁に告訴した。
(二三)昭和四七年一二月二八日、京都地方検察庁は、前示(一九)の告発事件、(二〇)の告訴事件をいずれも嫌疑不十分で不起訴処分にした。
(二四)昭和四八年八月一五日、第一審原告双岡病院は、前示(一三)の前川和彦の創傷につき同人の父前川計三と話合をし、同人が故意に基づく傷害であると主張したのに対し、同病院側では治療上の行き過ぎである旨反論して譲らなかつたが、結局五〇万円を支払い示談が成立した。
第三本件告発事実の真実性の検討
一第一審原告らは、第一審被告らの前認定第二(一九)の本件告発の事実は虚偽の事実であり、同(二〇)のとおり第一審被告らが各新聞記者の取材に応じて右事実を告知したこと、及びこれを報道した新聞紙を多数の購読者に頒布閲読させたことをもつて、第一審原告らの名誉、信用毀損に当たり、また、虚偽の事実の告発を誣告であるとして、第一審原告池田、酒井に対する検察官の取調により同人らが精神的損害を受けたことを請求原因事実として主張している。
名誉毀損による不法行為については、後にも述べるとおり、当該行為が公共の利害に関する事実に係り、もつぱら公益を図る目的に出た場合において、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、その行為は違法性を欠き不法行為責任は成立しない(最判昭四一・六・二三民集二〇巻五号一一一八頁参照)。したがつて、右真実性の立証責任は被告側にあると考える。
また、不当告訴、告発ないし誣告による不法行為は通常名誉毀損の手段として主張されることが多いが、本件では名誉毀損とは別に誣告により不当な取調を受けさせた不法行為をいつているので、本件告発事実が虚偽の事実であることを原告側が主張、立証する責任がある。
二そこで、本件告発事実が虚偽の事実であるか否かにつき次に検討する。
(一) 第一審原告池田に対する告発事実について
1 第一審原告池田の患者前川和彦に対する告発事実は前認定第二(一九)1のとおりであるが、第一審原告らはこれを要約して次のとおり請求原因事実を主張し、この点は当事者間に争いがない。
第一審原告池田が、昭和四四年一一月二〇日、第一審原告双岡病院勤務の看護人らと共謀して、当時同池田が治療に当つていた入院患者訴外前川和彦につき、何ら医療及び保護の必要がないのに同病院保護室において、同人の両手両足を布紐で同室備付けのベッドに縛りつけたまま、同月二二日まで放置して暴行を加え、もつて同人を不法に監禁し、右暴行により同人に右上腕及び右腕関節部挫創等の傷害を加えた。
2 そこで、右告発事実が、前認定第二(一三)の前川和彦の診療経過に照らして真実か否かを検討するに、
(1)前川和彦(昭和一八年一一月一六日生)が昭和四四年五月一四日、第一審原告双岡病院に精神分裂病で入院し、右告発事実のとおり同年一一月二〇日以降第一審原告が治療に当つていたことが認められ、この点は真実であつて虚偽の事実であるとはいえない。
(2)同日右池田らが右前川を布紐でベッド拘束したという告発事実は、前認定第二(一三)の各事実とくに(7)ないし(9)の事実に照らすと、同日(二〇日)は前日の一九日から前川を保護室へ移し、同月二二日朝まではベッド拘束をしないで保護室に収容していたものであつて、同月二〇日から二二日までベッド拘束をしたという第一審被告らの告発事実はこれを認めることができないので、真実であるとはいい難い。しかしながら、前認定第二(一三)(9)のとおり、同月二二日前川は朝から不穏状態で看護人藤原正太に乱暴を働き、同看護人らが主治医である第一審原告池田が不在なので東伸子医師、院長の判断により前川の両手両足を力づくで六本の保護帯(布紐)をもつて縛り、完全なベッド拘束を行なつていることが認められる。
なお、右の告発事実と真実との差異と名誉毀損ないし誣告による不法行為の成否については本件の他の告発と共通問題が生ずるので、後述(第四)する。
(3)次いで、右告発事実は「右前川をベッドに縛りつけたまま同月二二日まで放置した」旨をいうが、前示のとおりベッド拘束が同日開始されたものであるから、前認定第二(一九)の告発の原文及び弁論の全趣旨に照らすとこれはベッド拘束開始後三日間継続したことを指すものと推認でき、他にこれを動かすに足る証拠がない。
そして、前認定第二(一三)の事実、とくに同(9)ないし(20)までの事実に照らすと前川のベッド拘束は同年一一月二二日から同年一二月三日まで継続されていたものと認められる。
(4)前川が「右上腕関節部挫創等の傷害」を負つたとの告発事実は、前認定第二(一三)(20)の事実に照らすと、これが真実であると認めることができるが、右傷害が、告発事実にいうように同年一一月二〇日から二二日までのベッド拘束(二〇日、二一日にはベッド拘束が行なわれていないことは前示のとおり)によつて生じたものであるという事実は本件全証拠によるもこれを認めるに足らないのであつて、むしろ、前認定第一(一三)の各事実を考え併せると同月二二日から同年一二月三日までのベッド拘束の継続中に生じたものと認めることができるが、それが右一二日間の内のいずれの日時のベッド拘束によるものかは不明であるというほかない。
(5)以上のほか、真実性の証明ないし虚偽の事実か否かが問題となるのは、右前川のベッド拘束が本件告発がいうように「何ら医療及び保護の必要がない」のに行なわれたもので監禁、暴行に当たるか否かという点であるが、これは他の告発事実と共通するベッド拘束一般の許否とその限度をめぐる問題に関連するので後第五、二において一括して検討する。
(二) 第一審原告酒井に対する告発事実について
1 第一審原告酒井に対する告発事実は前認定第二(一九)2のとおりであるが、第一審原告らはこれを要約して次のとおり請求原因事実を主張し、この点は当事者間に争いがない。
第一審原告酒井は、松田記美代(水口と改姓)が昭和四四年九月二七日から第一審原告双岡病院に入院して後は同女の治療に携つた事実がないのに、入院当日から第一審原告酒井が同女の主治医として、同女に対し何ら医療並びに保護の必要がないのにかかわらず、同年一〇月一八日まで、同病院三階一号室内において、同女の両手を木綿製拘束帯によつて同室備付のベッドに縛りつけ、身体拘束を継続するという暴行を加えて同女を監禁し、その間医療上何ら必要がないのみならず、食物摂取の意思能力があるのにかかわらず同病院に不当に利益を得しめる目的で、右期間、同女の大腿部等に連日多量のリンゲル液等を皮下注射して同女に暴行を加え、よつて同女の右部位に有痛性腫脹の傷害を与えた。
2 そこで、右告発事実が前認定第二(三)(九)ないし(一二)、とくに同(一二)の松田記美代の診療経過に照らして真実か否かを検討するに、
(1)昭和四四年九月二七日、右松田記美代が第一審原告双岡病院に入院して以来、同日から同年一〇月六日までは終日ベッド拘束が継続され、翌七日の途中で日中のベッド拘束を解除したものの、同日から同月一四日までは夜間のベッド拘束がなされていたことが認められるので、ベッド拘束が同月一八日まで継続したという前示告発事実は右の限度で真実であるが、同月一五日から一八日まではベッド拘束がなされていないことが明らかであるから、この点真実であるとは認められない。
なお、この点の不一致と名誉毀損ないし誣告による不法行為の成否については、本件の他の告発事実と共に後述(第四)する。
(2)右ベッド拘束期間中、連日多量のリンゲル液等を同女の大腿部に皮下注射し、これにより同女の右部位に有痛性腫脹の傷害を与えたとの告発事実は、同年九月二八日から同年一〇月三日まで連日皮下注射を行ない、同月四、五日は大腿部にリンゲル等の点滴注射をなし、翌六日、皮下注射あとの大腿部に痘痛、発赤、腫脹が発見された。なお、同日も皮下注射が行なわれていることが認められるから、概ね真実であると認められる。
(3)第一審原告酒井が昭和四四年九月二七日に松田記美代が入院して以来その主治医として診療にあたった旨の告発事実は、前認定第二(一二)(1)(2)の事実に照らすと、真実といえず、むしろ入院当日は当直医の西尾元哉医師が責任者となり、同女を連れてきた第一審原告酒井とともに同女の診療に当り、二八、二九日も右西尾医師が診療を担当し、同月三〇日以降は東伸子医師が主治医として引き続き同女の診療に当たつたものであることが認められる。
(4)以上のほか、真実性の証明が問題となるのは、右松田のベッド拘束が、本件告発がいうように「何ら医療並びに保護の必要がない」もので暴行、傷害に当たるか否か、同女に対する皮下注射が「医療上何ら必要がないのみならず、食物摂取の意思能力があるのに同病院に不当に利益を得させる目的」でなされたもので傷害罪に当たるか否かについてであるが、これらの点については、医療行為の適否の評価に関連する事項であるから、後に分けて説示する(第五の二、四)。
(三) 國吉政一に対する告発事実について
1 國吉政一に対する告発事実は前認定第二(一九)3のとおりであるが、第一審原告らはこれを要約して次のとおり請求原因事実を主張し、この点は当事者間に争いがない。
第一審原告十全会が経営する東山高原サナトリウムの医師訴外國吉政一が、昭和四四年一二月二一日同病院の入院患者訴外阿部繁美につき、同人が同夜飲酒の上暴言を吐いて同医師の悪口をいつたことに立腹し、同人を懲戒して報復せんことを企図し、何ら医療及び保護の必要がないのに、同病院の看護人として共謀して、(イ)、同病院一階個室において同人の両手両足を同室備付けのベッドに縛りつけて同月二四日までその身体拘束を継続し、(ロ)、その間連日同人の身体に一日当りイソミタール4.5グラム、トリペリドール一五ミリグラムの注射並びに電気ショック療法を施し、よつて同人に意識混濁、全身衰弱等の傷害を与えて同人をして同月二四日午前二時頃同病院において右傷害による吐物により窒息死亡させた。
2 そこで、右告発事実が前認定第二(七)(八)の安部こと阿部繁美の病歴、診療経過に照らし真実か否かを検討する。
(1)右告訴事実は、國吉医師が阿部の悪口に「立腹し同人を懲戒して報復せんことを企図した」こと、及び右診療が「何ら医療及び保護の必要がないこと」、右告訴事実(ロ)のうち「電気ショック療法を施したこと」、右診療が「傷害致死罪にあたる」とする点を除き、その余の事実はこれを認めることができ、真実であるといわねばならない。
もつとも、告訴では阿部が飲酒のうえ暴言、悪口をいつたのを昭和四四年一二月二一日としているが、これは前認定第二(八)(8)(9)の事実及び弁論の全趣旨に照らし同月二〇日の事実を指し、単純な誤記であると認められる。
(2)しかしながら、國吉医師が前示のように立腹して懲戒、報復を企図したこと、電気療法を施したとの告発事実は、前認定第二(七)(八)の各事実を考え併せてもこれを推認することができないのであつて、右告発事実に副う原審証人中山宏太郎の証言の一部は同人の推測を述べるにすぎず、これをもつて右告発事実認定の資料とすることはできないし、他にこれを認めるに足る的確な証拠がない。したがつて、この告発の事実は真実とはいえない。
(3)「何ら医療及び保護の必要がない」こと、阿部に対する診療が「傷害致死罪にあたる」との告発事実については、後に改めて検討する(第五の三)。
第四事実の相違と不当告発
一他人に刑罰又は懲戒処分を受けさせる目的で虚偽の事実につき不当な告発をした場合は、それが告発人の故意過失によりなされたと認められる限り不法行為による損害賠償義務が生ずる。
二そして、「虚偽の事実」とは客観的事実に反することを意味するが(最決昭三三・七・三一刑集一二巻一二号二八〇五頁)、どの程度の相違が重要なものとして「真実に反する」ことになるかについては次のとおり考える。
およそ、私人が他人に対し犯罪の嫌疑をかけ、これを捜査機関に告発する場合には、十分に注意深く、犯人の同一性その他諸般の情況を考慮して事実関係を判断し、犯罪の嫌疑をかけるに相当な客観的根拠を確認した上でなすべきである。しかしながら、他面、私人は専門の捜査機関ではないのであるから、告発事実全体が細部に至るまで悉く客観的真実に完全に一致することを求めるのは苛酷に過ぎ、犯罪の申告による捜査協力を得ることが不可能となる虞れが多い
しかも、専門の捜査官である検察官が捜査を逐げて公訴を提起した訴因についても、後に公訴の同一性を害しない限度で訴因の変更が許されているのであるから(刑訴法三一二条一項)、まして捜査の専門家でない私人の告発については告発事実の大綱が客観的事実に合致すれば、その細部が真実とくい違つていてもこれが事実全体の性質を変更するようなものでない限り、適法な告発として許されてよいし、真実と一致しない部分が申告事件の情況を誇張するにすぎないときは誣告ないし不当告発による不法行為は成立しないと考える(大判大一三・七・二九刑集三巻七二一頁参照)。また、被告発者に全く別の犯罪の原因となる事実があつても、告発事実が虚偽であれば、誣告ないし不当告発による不法行為の成立に消長をきたさないといえるが(大判昭一二・二・二七刑集一六巻一四〇頁参照)、少なくとも公訴事実の同一性がある限り告発事実と異なる犯罪が認められる場合でも右告発には違法性がないというべきである。
三そこで、本件告発事実のうち真実とくい違う点につき、前示二に照らし違法性のある虚偽の事実といえるか否かにつき検討する。
(一) 第一審原告池田に対する告発事実、即ち昭和四四年一一月二〇日から同月二二日まで前川和彦をベッド拘束し右上腕及び右腕関節挫創の傷害を加えたとの事実と前川和彦を同月二三日から同年一二月三日まで継続してベッド拘束し、右の傷害を与えたとの客観的認定事実との前示二(一)2のとおりのくい違いは、両者には公訴事実の同一性が認められ、右の告発をもつて違法性のある虚偽の事実を申告したものとはいえない。
けだし、公訴事実の同一性は基本的な事実が同一であつて、両事実の訴因が両立しない択一関係にあることをいうと解すべきところ(最判昭三四・一二・一一刑集一三巻一三号三一九五頁、最判昭五三・三・六刑集三二巻二号二一八頁など参照)、右告発はベッド拘束による不法監禁という継続犯をいうのであり、両事実は日時を除いて基本的事実は同一であり、かつ、同年一一月二二日のベッド拘束で重なり合い、二個の事実は前後を通じて一個の継続犯たる不法監禁罪が成立することがあつても、訴因となるべき両事実について各別に二個の犯罪が成立し両立する関係にあるとはいえないからである。
(二)1 第一審原告酒井に対する、昭和四四年九月二七日から同年一〇月一八日まで同人が主治医として松田記美代の診療に当つたとする告発事実は前示二(二)(3)のとおり真実とはいえず、担当医ないし主治医は同年九月二七、二八日が西尾元哉医師であり(当直担当医)、同三〇日以降は東伸子医師が主治医となつて診療に当つていたのが客観的真実であつて、この点に食い違いがあり、この両事実は犯人とすべきものを異にするものであつて、もとより基本的事実を異にし訴因となる両事実は両立し得るので公訴事実の同一性を欠き、第一審原告酒井を松田の主治医とする点の告発は違法性のある虚偽の事実であるというほかはない。
しかしながら、前認定第二(三)、(一〇)、(一二)とくに同(19)に照らすと、第一審原告酒井は、右松田の主治医として昭和四一年一一月以来同女の診療に当つてきており、本件告発にかかる昭和四四年九月二七日の入院の際も第一審原告酒井が松田を第一審原告双岡病院へ連行してきており、同日は当直医の西尾元哉医師と共にベッド拘束等の措置をとつていること、脳波検査の結果の検討を主治医の東伸子医師から依頼されたり、同医師に松田の病状を質し、松田の家族から病状等についての相談を受け主治医のように振舞つていたところがあつて、松田は第一審被告らに同原告が主治医である旨を伝え、第一審被告らはこれを信じて前示のような告発を行なつたものであり、また、前示第二(二〇)の事実に照らすと当時、右告発について第一審原告酒井は新聞記者に対し「私の治療は正しい」との趣旨の反論を述べるのみで、同原告が主治医でもなく治療もしていないとの応答がなかつたことが推認できる。
このような事実を考え併せると第一審被告らが第一審原告酒井を松田の診療に当つた主治医と考えたことには相当の理由があり、同被告らに右誤認についての過失を認めることができない。
2 次に第一審原告酒井に対する告発事実のうち、松田記美代を昭和四四年九月二七日から同年一〇月一八日までベッド拘束したとの点は、前示二(二)2(1)のとおり、同年九月二七日から一〇月六日まで終日ベッド拘束を継続し、同月七日から一四日までは夜間だけベッド拘束を行なつたのみで同月一五日からはベッド拘束が行なわれていないとの客観的認定事実とくい違うけれども、両者には公訴事実の同一性が認められ、右の点の告発をもつて違法性のある虚偽の事実を申告したものということができない。けだし、右告発はベッド拘束による不法監禁という継続犯をいうのであり、両事実は日時を除いて基本的事実は同一で大部分重なり合い、その前後を通じて一個の不法監禁罪が成立することがあつても、訴因となるべき両事実が、各別の犯罪の成立の余地があり両立する関係にあるとはいえないからである。
3 訴外國吉政一に対する告発事実のうち、同人が阿部の悪口に「立腹し同人を懲戒して報復せんことを企図した」こと、及び同阿部に「電気ショック療法を施した」との事実は、前示二(三)2(2)のとおりこれが認められず真実に反するものといわねばならないが、前者の立腹による懲戒報復の企図の申告は告発事実である右阿部に対するベッド拘束及びイソミタール等の大量注射によるいわゆる持続睡眠療法による傷害致死の事実についての情況ないし違法性を誇張するものに過ぎないともいえるし、右懲戒報復の企図の有無は必ずしも傷害致死罪の成否の要件となるものではなく単なる情状にすぎないというべきであるから、もとよりその否定によつて公訴事実の同一性を害することにはならないのであつて、これをもつて違法性のある虚偽の事実の申告であるとはいえない。
次に、「電気ショック療法」が真実に反する点であるが、告発事実によると、これはその主張する一個の傷害致死罪の完成にいたるまでの密接な数個の実行行為であるというべきであるから、一罪の一部にすぎず、もとより右電気ショック療法が認められないからといつて公訴事実の同一性を害することにならないのであつて、これをもつて右告発事実を違法性のある虚偽の事実であるということはできない。
第五治療行為の相当性の検討
一治療行為と刑事法上の違法性阻却
第一審被告らは、本件告発において前示のとおり、第一審原告池田、同酒井、訴外國吉が行なつたべッド拘束、リンゲル注射、持続的睡眠療法などの治療行為が「何ら医療および保護の必要がない」もので不法監禁、傷害、傷害致死罪に当たると主張しており、その真否ないし当否が本件告発の違法をいう本訴損害賠償請求の前提となつているので、この点につき考慮する。
治療行為とは治療の目的で手術その他の行為をすることをいい、手術その他の行為が暴行・身体傷害、監禁等に該当する場合を指す。疾病の治療は、個人の健康を維持し、病気の悪化を防止し、健康の回復をはかるものであつて、國家的に承認された共同生活の利益ないし目的であるから、治療行為はこの目的達成に適当なものである限り、次の要件の下にその違法性が阻却されるものと考える。
即ち、治療行為による違法性阻却の要件としては、(一)主観的要件として、治療の目的をもつてなされることが必要である。(二)客観的要件として、次の(1)、(2)の手段、方法の相当性と承諾が必要である。(1)治療行為の手段、方法が医学的専門的に一般に承認されたものでなければならない。医学的に一般に承認されているかどうかは行為の時を標準として判定すべきである。(2)本人の承諾があるか、本人が承諾能力がないときは配偶者、保護者の承諾を得ることを要する。但し、この双方の承諾を得る余裕のない緊急の場合には推定的承諾が認められる限り、具体的な承諾がないときでも違法でない。したがつて、本人などの意思、推定的意思に反するいわゆる「専断的治療行為」は違法である。
そこで、次に本件ベッド拘束、リンゲル注射、持続的睡眠療法が右のような治療行為として医学的専門的に一般に承認されたものであるか否か、本人等の承諾ないし推定的承諾があつたかについて検討していく。
二ベッド拘束の相当性の検討
(一) 患者の両手両足をベッドに縛りその自由を抑制するいわゆるベッド拘束につき、第一審被告らは、薬物療法の発達した現在では極めて例外的にしか許されないものであると主張し、第一審原告らはベッド拘束は本件医療行為の当時一般的に自傷、他害の虞れがある精神病患者に対して行なわれていたものであると主張して争うので、ベッド拘束の許否とその許容の要件を検討する。
<証拠>ないし経験則を総合すると、
1 精神医療の歴史は、患者の非人間的処遇から人道的処遇ないし人権尊重へと推移し、その医療処置も拘束ないし閉鎖療法から開放療法へと発展してきた。
一八世紀初頭までの精神医療は真に惨憺たるものであつて、患者は獣畜のように取扱われて畜舎、牢舎に監置、幽閉され、癲狂院では暗い穴ぐらに収容されたうえ、自己の汚物の中に鎖でつながれていたこともあつた。そして、鎖、緊衣、強制椅子、強制寝台などが強制具として用いられていた。
一七九八年五月二四日医師ピネルが四九人の精神病患者から鎖を取り外したということが伝えられ、コノリーが一八三九年大病院で一挙にすべての強制具を撤廃して以来開放療法が急速に進展し始めた。
そして、一九四七年イギリスでオープン・ドア方式の治療が開始され、一九五二年にはクロールプロマジンが精神科の治療に導入され、それ以後、薬物療法の開発とその飛躍的発展によつて病院では患者を無理に拘束する必要がなくなり患者を解放的に治療できるようになつた。
2 わが国においても、座敷牢の時代から次第に開放的治療へと進歩してきたが、患者をベッドへ布紐でしばりつけるいわゆるベッド拘束が前示強制寝台の残滓たる強制処置として昭和一〇年頃にはなお用いられていた。
しかし、薬物療法の開発、進展した昭和三二年頃から開放療法が急速に広がり、昭和三七年以降は開放療法が常識となるほど普及し、ベッド拘束を強制具として用いることは考えられなくなり、極めて例外的に短時間の緊急措置となす場合に限定するのが精神医学の常識となつたといえる。即ち、ベッド拘束は、原則として使用すべきでないが、(1)他に代替すべき方法がないやむを得ない場合で、(2)患者が精神錯乱、興奮して暴れたり、自傷、自殺の危険が大きい場合、(3)外科手術などの前後で身体を固定したり、必要不可欠な注射などを身体を固定して行なうほかない場合などに限り、(4)極く限られた短い時間に限定して行なうべきものである。また、やむを得ずベッド拘束を行なう場合には、(イ)よく患者にその必要な理由を説明してその承諾を得ること、(ロ)抑制時間を予告しその時間内に行なうこと、(ハ)身体傷害を生じないよう十分配慮すること、(ニ)抑制による精神状態を注意深く観察すること。(ホ)常に抑制に代る方法を考えること、(ヘ)抑制を指示した主治医はその患者の傍にいるか、他の患者のことは考えないくらいにベッド拘束をした患者に注意を集中すべきであること、(ト)抑制中は、食事、排泄、清潔の面で全面的介助が必要であり、全身拘束の場合は二時間おきに体位交換して褥創の予防に努めることなどが必要である、という考えが精神医学一般に承認されるにいたつた。
以上の事実が認められ、<る。>
(二) ベッド拘束と精神衛生法三八条の関係を考察する。
精神衛生法三八条は、精神病院の管理者が入院患者について、その医療又は保護に欠くことのできない限度において、その行動の必要な制限を行うことができる旨規定している。
精神病院の管理者とは、医療法一〇条の管理者を指し、概ね病院長を指すが、一般に特段の事情のない限り医療上必要な最少限度の行動制限の権限は病院長等の管理者から主治医に委任されているものというべきである。
行動制限は医療保護に欠くことのできない限度においてのみ可能であり、もつぱら精神医学上の判断から、他に方法がない場合に最後の手段としてとりうる補充的措置であり、当該患者の症状に照らして個別的、具体的に決せられるべきものである。そして、ここにいう「医療又は保護」とは医療及び医療のための保護を指し、純粋に外科手術その他の医療措置のための一時的ベッド拘束などの外に、患者自身を傷つけ、またはその周囲の入院患者などを傷つけるために必要不可欠な場合をも含むが、とくに後者の場合の行動制限についてはその行過ぎがないよう万全の慎重な配慮が必要である。
しかも、「行動の制限」は患者の症状に応じて医学上合理的で必要不可欠な範囲内であると認められるものでなければならず、症状の軽重に対応して、院外への外出禁止、病室外への他出禁止、保護室内への隔離、鎮静剤の注射、投与などがあるが、その症状が極端に悪く、保護室に収容しても自身を傷つけかつ他人にも傷害を与えるおそれが極めて顕著な場合には、その傷害を避けるため必要最少限度の措置として、たとえば綿製品による手袋を用いて手足を覆う程度の手段を使用し、常時看護員の看護の下におくようにすべきものであつて、犯罪に用いる鉄製の手錠の類は絶対に使用してはならないし、両手両足を縛るベッド拘束を長時間継続することは許されないものというべきである。
とくに、単に他害を回避するのみの場合は保護室に収容することをもつてその目的を達せられるのであつて、安易にベッド拘束を用いることはできない。そして、本件ベッド拘束が行なわれた当時、精神医学界一般に承認されていた前認定のベッド拘束を行なう要件は、右精神衛生法三八条の趣旨からも是認できるのであつて、これを厳重に遵守すべきことが要求されているものというべきである。
(三) そこで、本件告発にかかる各患者毎にそのベッド拘束の相当性を順次考察する。
1 前田和彦に対するベッド拘束について
前示(一)掲記の各証拠、前認定第二(四)、(一三)の各事実を総合すると、精神分裂病で第一審原告双岡病院に入院中の前川和彦は、昭和四四年一一月二二日、玄米食の希望がいれられなかつたことなどから興奮して怒号、乱暴をし、看護人を負傷させるなどの錯乱状態で暴れており、その興奮を鎮静させるための注射などの治療処置、自傷、他害を防ぐための極く短時間の範囲内に限られるならば当日のベッド拘束の開始は必要であり、医療処置として許容されるものであると考える。
しかしながら、同日午後一〇時頃にはすでに前川は割合温和になり、興奮は鎮静し始めており、その後も時折ベッド拘束帯を解いたり大声で喚いたりしたこともあるが、これはベッド拘束の解放を訴えるものであり、ベッド拘束を必要とするほどの錯乱状態や興奮状態にあつたものとはいえないし、同月二九、三〇日には温和になるからといつてベッド拘束の解放を訴えているのを無視してベッド拘束を継続していることに照らすと、ベッド拘束開始の当日は格別、少なくともその翌日以降一二月三日までの一二、五日間のベッド拘束は、前示(一)2のとおり例外的に許容されるベッド拘束の要件を満たさない不必要な長期に亘る拘束であり、またベッド拘束を行なう場合の事後措置である前示(一)2の(イ)ないし(ト)の配慮がなされておらず、とくに患者の承諾ないし推定的承諾が認められないばかりか、拘束による身体傷害回避の配慮を怠り、右前川に右肘関節腫脹、両側前腕擦過傷、右側肘関節領域及び手関節領域関節腫脹、運動障害、神経麻痺などの傷害を発生させるという重大な結果が生じているのであつて、前示一の治療行為の要件である患者の承諾、推定的承諾を欠き、本人などの意思、推定的意思に反するいわゆる「専断的治療行為」にもあたり、違法というほかない。
2 松田記美代に対するベッド拘束について
前示(一)掲記の各証拠、前認定第二(三)(一〇)(一一)(一二)の各事実を総合すると、入院前日の昭和四四年九月二四日松田記美代は自殺の企図があり、興奮状態にあつたことが認められるが、第一審原告酒井が右松田を第一審原告双岡病院に連行してきた同月二七日の入院当時、松田は介助され温和に入室しており、翌日以降も温和で、同月三〇日は「自由にして下さい。他の病院へ行きたいです」と述べているのを第一審原告池田医師は反抗的と受止めて一〇月七日朝まで昼夜ともベッド拘束を継続し、同日夜から一五日まで夜間ベッド拘束を継続しているものであつて、入院当時においても感情興奮は既に鎮静化しており、自殺、自害の予防のためには保護室(閉鎖病室)とか看護詰所の前に寝かせるとかしたうえ十分看視保護しておけば、薬物療法などによつて自殺志向の感情興奮を防ぐことができるのであつて、他に代替方法があるし、夜間拘束を含め前後一九日間にも及ぶ長期間のベッド拘束の必要性はなく、患者の承諾ないし推定的承諾は認められないので、松田のベッド拘束も本人などの意思、推定的意思に反するいわゆる専断的治療行為にも当り、違法であるといわざるを得ない。
3 阿部繁美に対するベッド拘束について
前示(一)掲記の各証拠、前認定第二(七)(八)の事実を総合すると、肺結核、高血圧、精神病質で入院した阿部繁美は、ベッド拘束を開始した昭和四四年一二月二〇日飲酒したため、主治医の國吉医師の説得を受けたのにこれを無視して再び飲酒を始めたことはあるが、前示(一)2で認定したベッド拘束が例外的に許される要件、即ち、精神錯乱、感情興奮により暴れたり、自傷、自殺の危険が大きいことなどの条件を全く欠いたものであり阿部に対するベッド拘束はその必要性、相当性のない違法行為であるといわねばならない。また、患者である阿部の意思ないし推定的意思に反する違法な専断的治療行為にも該当するものである。
(四) 以上の各事実及び前掲(一)の各証拠を考え併せると、第一審原告双岡病院、同十全会経営の東山高原サナトリウムなどいわゆる十全会系病院ではベッド拘束を比較的安易に利用し、前示(一)2のベッド拘束の例外性とその許容される要件を厳格に考えず、保護室が不足している場合や医師、看護人などの人手不足等人的物的施設の不備を補うため、扱い難い患者につき自傷他害の虞れがあるものとたやすくきめつけ、むしろ他の治療、保護措置の簡易な代替手段として安直にベッド拘束を用いていたことが推認できる。しかしながら、前示のように精神医学は精神病患者に対する偏見、弊風と苛酷な事態を除くため一歩一歩進展してきたのであり、精神病という、言語に絶した苦患を慈悲と人道の心を基礎として拘束から開放へとその療法を進歩させてきたものである。
現に、当審証人東昂の証言によると第一審原告十全会系のいわゆる三病院、即ち、第一審原告双岡病院、東山高原サナトリウム、ピネル病院でも、開放療法ないし開放管理を標榜して発足したものであり、とくにピネル病院は前示解放の先駆者ピネルの名を冠しているくらいである。
このように精神医学一般において、本件の昭和四四、五年当時、既に開放療法や開放管理が一般的に承認され、常識化していたものと認められるのであつて、そのような状況の下において開放の美名に隠れて十分な保護室を設置しないまま、身体を直接縛りつけるベッド拘束を安易に利用したのでは、むしろ古い苛酷な拘束への逆戻りであり安上りの身体的拘束にほかならず、開放の美名はその根底から瓦解し、いたずらに羊頭狗肉をかかげることになるのみであつて、入院患者の行動制限を厳格に規定する前示の精神衛生法三八条に照らしてもこのようなベッド拘束の乱用を是認することはできない。
三持続睡眠療法の相当性の検討
本件告発事実のうち、前認定第二(八)の患者阿部繁美に対し國吉医師の行なつた持続睡眠療法の相当性につき検討する。
<証拠>及び前認定第二(七)(八)の各事実を総合すると、
(一) 持続睡眠療法は、わが国において下田氏(一九二二年)がうつ病にスルフォナールによつてこれをもちいうることを創案したものであるが、薬物療法がわが国においても飛躍的に普及した昭和三五、六年以降においては、ほとんど用いられなくなつた危険の多い古典的治療法である。
(二) 厚生省保険局長通知(昭和三六年一〇月二七日保発第七三号)の「精神科治療指針」によれば、特殊療法の一として持続睡眠療法につき大要、次のように定めている。
持続睡眠療法とは、強力な催眠剤を用いて、数日から十数日間、ときには三週間ほどにもわたつて患者を傾眠乃至嗜眠状態におき、睡眠時間をも延長させて、鎮静ならびに精神機能の調整をはかる療法である。
○療法上の注意
本療法は医師及び看護者の高度の技術と精神的緊張とを要するので、これを行うには周到な準備と慎重な適応症の選択と、十分な処置が必要である。軽々に行うことは、効果がないばかりでなく、患者の生命にもかかわる極めて危険な治療となる。
1この治療法の理想は、少量の薬量で最大の睡眠量をうることである。
2この療法を施される患者は意識溷濁のまま起き上つて事故を起こすことがある。経験のある医師の絶間ない医療技術的配慮が必要である。
3療法の中期では感冒、肺炎になり易いから、熟練した看護者が細心の注意を以つて看護に当らねばならない。
4不測の事故に注意せねばならない。
5極量以上の薬剤を使用するので、種々の副作用、昏睡、嚥下肺炎、腎障害消化器障害を終始警戒しなければならず、全身状態を昼夜観察し、薬量の調節、副作用に対する処置を怠つてはならない。
○適応症
躁うつ病、退行期うつ病……精神病質の興奮状態
○禁忌
特異体質その他高度の身体衰弱、肺、心、腎、肝疾患等。
(三) 本件の阿部繁美は主として肺結核で、昭和四一年頃から転入院を繰り返していた身よりのない生活保護受給患者であつて、第一審原告十全会経営の東山高原サナトリウムに入院した時も肺結核、高血圧、精神病質との病名であつた。
入院後、同人は看護婦などに対し口のききかたが悪かつたが、温順に寝ていることが多く、國吉医師が本件睡眠持続療法をとつた当日も阿部は断酒の説得を振り切り飲酒したとはいうものの、前示のように危険の多い睡眠持続療法をとるほど極端な興奮があつたとはいえないし、イソミタールの注射量も極量(最高投与量)を遙かに越えた危険極りない過剰注射であつた。
以上の各事実を認めることができ、これに前認定第二(八)の各事実を考え併せると、阿部繁美に対する本件睡眠持続療法は、当時の医学上に一般に承認されている適応症に当らず、かえつてこれを回避すべき禁忌症であつたものであり、また、イソミタールの注射量も危険域を越える過剰なものであつて、医学的に一般に承認されうるものでないし、また右睡眠持続療法につき阿部の承諾ないし推定的承諾があつたとはいえないことが推認でき、<る。>
したがつて、阿部に対する睡眠持続療法は、当時医学的に一般的に承認されていたその適応の要件を欠く違法、不当な治療手段であるうえ、本人の意思、推定的意思にも反するいわゆる違法な専断的治療行為というほかはない。
四リンゲル液注射の相当性の検討
(一) 第一審被告らは本件告発事実として、第一審原告双岡病院が、松田記美代に対して行なつた栄養剤として連日多量のリンゲル液等を両大腿等に皮下注射したことは、なんら医療上必要がないのみならず食物摂取の意思能力があるのに同病院に不当に利益を得させる目的でなされたもので、これにより同女の大腿部に有痛性腫脹の傷害を与えたものであると主張し、第一審原告らはこれを虚偽の事実であると主張するので、その当否について判断する。
<証拠>、前認定第二(一〇)ないし(一二)の各事実、および弁論の全趣旨を総合すると、
(1)昭和四四年九月二七日午後七時三〇分頃、松田記美代は第一審原告酒井に連行されて第一審原告双岡病院に入院し、即日ベッド拘束を受けたまま催眠薬や鎮静薬を投与され同月二八、二九日まで眠りつづけていたので、食欲不振であり、二九日に二回に亘り栄養剤等の大量皮下注射(一本五〇〇ミリ)をされ、翌三〇日は牛乳その他を摂食し食欲やや良好であるのにかかわらず、さらに前同様二回の皮下注射を受け、その翌一〇月一日から三日まで毎日常食を摂取しているのに前同様各二回の皮下注射をされ同月四、五日は常食を摂取しているのに栄養剤等の点滴注射を受け、翌六日も常食を摂取しているのに前示の栄養剤等の大量皮下注射を二回受けている。
(2)栄養剤の皮下注射、点滴注射は苦痛を伴うもので、とくに大量皮下注射の苦痛は激しいし、この注射の適応症としては、拒食などにより食事が取れない状況とか、特別に体液を循還させて洗い流す必要のある状況や、小児の脱水症状等が考えられるが、松田記美代は前示(1)のとおり九月三〇日には食欲はやや良好になり、翌一〇月一日からは常食を摂取しているのであり、遅くとも九月三〇日以降は大量の皮下注射ないし点滴注射を行なう必要性が、なかつたことが認められ、これを覆えするに足る的確な証拠がない。
(二) したがつて、第一審原告双岡病院において、松田記美代に対して行なつた前示大量の皮下注射及び点滴注射は、治療行為の手段として当時医学的専門的に一般に承認されていたものでもないし、右大量注射につき本人の承諾ないし推定的承諾があつたことは本件全証拠によるもこれを認めるに足りないから、本人の意思、推定的意思に反するいわゆる専断的治療行為にも当たるもので、違法であるというほかはない。
もつとも、当時一般開業医の一部などにおいて、医学上必要性の之しい栄養剤の大量投与ないし大量注射がかなり広く行なわれていたことは、当裁判所もこれを認識しないわけではないが、このような医学上不必要かつ違法な大量投与ないし大量注射が巷間で多数実施されていたからといつて、そのことから右の違法性が阻却されるものとは到底いえるものではない。
(三) そうすると、第一審被告らが、前示松田記美代に対する栄養剤の大量皮下注射をもつて医療上必要がないといつてした本件告発の事実は真実であつて虚偽であるとは認められないものである。なお、本件告発では右大量皮下注射をもつて病院に不当に利益を得させる目的でなされたものである旨主張されているところ、これを直接認めるに足る的確な証拠はないが、前認定のとおり医学的に不必要な大量の栄養剤注射が行なわれていることに照らして、他に特段の事情が認められない本件においては、右大量注射が健康保険の点数稼ぎのためのもので病院に不当な利得を得させる目的があつたものと推認できなくはないのであつて、第一審被告らが右のように主張したものも真に無理からぬところであるといわねばならないし、かりに右目的が認められないとしても、松田記美代の大腿部の有痛性腫脹の傷害の違法性を左右するものではないし、またこれによつて右傷害の基本的事実に変動はなく、右目的の有無にかかわらず公訴事実は同一であるから、右の目的が認められないからといつて、右告発が、虚偽の事実の申告として、これをもつて誣告罪にあたる違法不当なものということはできない。
第六不当告発による不法行為の成否
第一審原告らは前示のとおり本訴の請求原因として、名誉毀損の手段としてではなく、これとは別に不当告発ないし誣告による不当な取調を受けさせた不法行為の成立を主張しているので、故意又は過失による虚偽の事実の申告を主張立証すべきところ、前認定のとおり第一審原告酒井に対する告発事実のうち同原告が松田記美代の主治医として同女の治療を担当したとする点は、前認定のとおり真実であるとは認められず、虚偽の事実であるというほかはないが、その余の本件告発事実は大綱において真実であつて違法性のある虚偽の事実であるとはいえない。
そして、第一審原告酒井を右松田の主治医と判断して告発したことについて、第一審被告らに過失があつたことを認めることができないことは、前示第四の三(二)1において説示したとおりである。
したがつて、第一審原告らの行なつた本件告発につき不当告発ないし誣告による不法行為が成立するということができない。
第七名誉毀損による不法行為の成否
一事実の公共性の検討
第一審被告らの本件告訴ないし新聞社への公表が、真実性の証明によつて違法性を阻却し不法行為責任を否定することを得る「公共の利害に関する事実」に係るものであるか否かにつき検討する。
名誉棄損の真実性の証明上問題となる右の「公共の利害に関する事実」とは、多数一般の利害に関する事実を指し、とくに国家ないし社会全般の利害に関する事実がこれにあたる。
そして、前示第五の二(一)の精神医療の歴史における閉鎖療法から開放療法へ、鎖から科学的治療へと発展する沿革に照らすと、精神病院における治療の極端な立遅れを指摘し、ベッド拘束等の非近代性と非科学性を社会に訴えるため告発を行ない、新聞社の取材に応じてその告発事実を公表することは、単なる一病院の特定の患者の治療の当否を越えて、広く精神医療全般の発展と適正を図るものであり、ひいては国家ないし社会全般の利害に関する事実に係るものというべきである。
二目的の公共性の検討
本件の告発ないしその新聞記者に対する公表が「もつぱら公益を図る目的」に出たものであるか否かにつき検討する。
(一) ここに「もつぱら公益を図る目的」とは、主要な動機が公益のためであれば、その動機に多少私的な動機が混入していても差支えないと考える。けだし、人間の心理作用は複雑であり、唯一の動機のみに基づき行動することを期待するのは著るしく困難であるから、「もつぱら」といつてもこれが必ずしも公益目的以外の他の目的の介入を絶対的に否定する趣旨とはいえないからである。
(二) <証拠>に、前認定第二(一四)ないし(二〇)の各事実を考え併せると、第一審被告榎本貴志雄、同高木隆郎らは、医師として精神医療の適正化、近代化ないし患者の人権に対する使命に燃えて、他の第一審被告らは看護婦ないし患者代表としてこれを支持し、共に主として精神医療の発展と適正、近代化ないし精神病患者の人権を擁護するという公益を図る目的で本件告発ないし新聞記者の取材に応じて告発事実を公表するにいたつたものであるが、第一審被告らのうちには、本件告発、新聞記者への公表にいたる過程において、多少医師、看護婦等従業員の労働条件改善などの私益に関する動機が混入していたものもあるが、これは付随的な軽微な目的にすぎず、主要な公益目的を否定するものでないことが認められ<る。>
したがつて、本件告発ないし新聞記者に対する告発事実の公表はもつぱら公益を図る目的に出たものといわねばならない。
三事実の真実性の検討
新聞記者に対して公表、摘示された事実が真実であることが証明されたか否かにつき検討する。
(一) ここにいう真実の証明は、摘示された事実のうち重要でない枝葉の点に関して多少真実と合致しない点があつても、その重要な部分について真実であることが証明されれば足りると解されるところ、特定の事実を告発したとの事実を新聞記者に公表した場合には、右告発が、誣告罪ないし不当告発として不法行為を成立させるに足る違法な虚偽の事実の申告でないことが証明されれば、右真実性の証明があつたものというべきである。
(二) 本件告発事実は、そのうち第一審原告酒井が松田記美代の主治医として昭和四四年九月二七日以降診療を担当したとの事実を除き、前示第三、第四において説示したとおりすべて違法な虚偽の事実の申告といえないことが認められるから、真実性の証明があつたものというべきであり、かつ、右第一審原告酒井を主治医とした点も、真実ではなかつたが、少くとも、第一審被告らにおいてこれを真実と信ずるにつき、確実な資料・根拠に照らしてみて相当の理由があり、その過失が認められないことは、前示第四、三(二)1において説示したとおりである。
四不法行為成否の判断
民事上の不法行為たる名誉毀損については、表現の自由を定める憲法二一条、名誉毀損罪の事実証明について定める刑法二三〇条ノ二の趣旨に照らし、その行為が公共の利害に関する事実にかかり、もつぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、その行為は違法性を欠き不法行為は成立しないし、右事実の真実であることの証明がなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときは、右行為には故意又は過失がなく、結局不法行為は成立しないものと考える(最判昭四一・六・二三民集二〇巻五号一一一八頁)。本件告発ないし新聞記者に対するその公表は、前示のとおり公共の利害に関する事実に関するもので、しかも、第一審被告らがもつぱら公益を図る目的に出たものであり、摘示された事実の真実性の証明があるか、その証明のない部分についてはこれを真実と誤信するにつき相当な理由があつたものといえるから、違法性ないし故意、過失を欠くものであつて、名誉毀損による不法行為が成立しないことが明らかである。
第八結論
以上説示したところにより、その余の判断をするまでもなく第一審原告らの本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却すべきものである。
よつて、第一審原告双岡病院、同酒井、同池田の本訴請求の一部を認容した原判決主文第一項は失当であるから、第一審被告らの控訴に基づいてこれを取消し、右取消部分にかかる右第一審原告らの請求を棄却することとし、第一審原告十全会の請求、及びその余の第一審原告らの請求の各一部を棄却した主文第二項は結論において相当であつて、第一審原告らの控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(下出義明 村上博巳 吉川義春)