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大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)1837号 判決 1980年6月26日

控訴人(原告) ブルース槌田

被控訴人(被告) 北川弘

原審 京都地方昭和五〇年(ワ)第五七七号(昭和五二年九月五日判決、九巻二号五八三頁参照)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

一  当事者双方の求めた裁判

1  控訴人

(一)  原判決を取消す。

(二)  被控訴人は、控訴人に対し、京都新聞朝刊社会面に二段幅で「謝罪広告」および末尾の「北川弘」および「ブルース槌田殿」の部分は二倍活字、その他の部分は一倍活字として、別紙謝罪広告どおりの謝罪広告を一回掲載せよ。

(三)  被控訴人は、控訴人に対し、金四一六万五〇〇〇円および内金三八六万五〇〇〇円に対する昭和五〇年六月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(四)  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(五)  (三)、(四)項につき、仮執行の宣言。

2  被控訴人

主文同旨。

二  当事者双方の主張および証拠関係

次に付加するほかは、原判決の事実摘示と同じであるから、これを引用する。

主張

1  控訴人

(一)  控訴人は、本件「英訳平家物語」の共同著作権者である。

(1) 翻訳物が翻訳著作物として著作権法による保護を受けるためには、翻訳物それ自体に表現上の創作性の認められることを要し、右表現上の創作性の認められない場合、つまり、縦の文章を横の文章に移し変えるに過ぎない機械的な作業の場合には、たとえ翻訳とはなり得ても、同法における翻訳著作物とはなり得ない、と解すべきである。

したがつて、日本語の文章を英語の文章に機械的に移し変える作業は、翻訳という定義に該当しても、著作権法上は、単なる「原作物の改作」にほかならず、当然には翻訳著作物の成立につながるものではない。

それ故、単なる広辞苑やウエブスター等の辞典に掲載されている「翻訳」の語義から、ただちに同法上の翻訳著作物を定義付けることもできない。

(2)(イ) とりわけ、本件の対象は、平家物語という日本を代表する古典であり文学作品である。古典の文学作品を英訳する場合には、当然、英語の作品としても、古典としての価値を有しているものでなくてはならない。

この点が、文意さえ通じれば意味が通じる学術論文や事務文書と異なるところである。

そして、平家物語という古典の文学作品を英訳し、それが、英語の作品としても古典としての価値を有するためには、訳者において英語を母国語とし英語を文学として理解する能力を有することが必要不可欠である。したがつて、日本人が英語を母国語としていない以上、日本人が、単独で、平家物語を英訳するには、そのための基本的素養を有しない、というほかはない。

このことは、日本の古典といわれる文学作品が、日本人のみによつて英訳された例が殆どないのをみても明らかである。

(ロ) 本件に即してみても、被控訴人は、勿論英語を母国語とするものでないし、英語を文学として理解する能力もない。

被控訴人は、大学時代英文学の講義を受けたのみで、英文学の習得につき、それ以上の学歴を有さず、英語を母国語とする国に居住したこともない。のみならず、外国旅行の経験もない。同人に貿易商社に勤務して英語を扱う業務に従事した経歴があつても、それだけでは、到底、同人が英語につき右に述べた能力を有するということはできない。

(3) それにもかかわらず、平家物語の本件英訳が成果を収めたのは、控訴人が、本件英訳に質量ともに深く関わり、言葉、文体の選択等精練された内容決定につき指導的役割を果したからである。

このことは、次の事実からも、明らかである。

控訴人は、被控訴人の本件英訳中総計六二個所の文章とフレーズ(慣用句)を変更し書換えた(詳細は甲第一一号証)が、これに対し、被控訴人は、次のとおり反論(乙第一一号証)している。

右六二個所の変更中

一一個所は大変簡単。

一三個所は正しい。

三八個所は誤つている。

仮に、被控訴人が反論するとおり、右三八個所の変更が正しくないとしても、現実に出版された本そのものに即してみると、右三八個所について、次のことがいえる。

(イ) 二〇個所は、正確に控訴人が書いたままである。

(ロ) 九個所は、一個か二個の重要でない単語の変更があるほか全体において控訴人が書いたままである。

(ハ) 二個所は、その半分位が最終段階で修正されている。

(ニ) 七個所は、控訴人作成部分が変更されている。

右の点から明らかなとおり、被控訴人自身が間違つた個所もしくは気に入らない個所と思つている個所の七五パーセントが同人により採用され、確定稿として出版されているのである。

被控訴人が本件訴訟において誤りであると主張しても、その部分の七五パーセントが現に採用され出版されているという、右事実はとりも直さず、控訴人の方が被控訴人より深く本件英訳に関与し、控訴人自身が右英訳をしたことを指し示している、というべきである。

(二)  共同著作権の発生については、当事者の合意も問題とされねばならない。

蓋し、共同著作権の発生については、その発生に関与した者が自由に処分することができるのであり、その持分権の内容については当事者が決めることができるからである。

これを本件についてみるに、控訴人と被控訴人間には、昭和四〇年冬頃、第一回の本件原稿に、右両者の氏名を共同翻訳者として表示することにより、平家物語を共訳するとの合意がなされたものである。

(三)  被控訴人のなした、本件共同著作権侵害行為については、原審において既に主張したとおりであるが、控訴人が特に指摘したいのは、被控訴人が昭和五〇年五月一八日付京都新聞朝刊を通じて、同人があたかも殆ど独力で本件「英訳平家物語」を翻訳したかのように発表した行為である。

被控訴人の右行為は、昭和五〇年四月二三日、控訴人被控訴人東大出版会の三者間で、控訴人被控訴人両名を本件「英訳平家物語」の共同翻訳者とする旨の合意が成立した後になされたものであり、被控訴人は、右合意で控訴人が本件共同翻訳者であることを認めながら、右行為におよんだのである。

それ故、控訴人は、被控訴人に対し、本訴において、特に右発表の取消と控訴人に対する謝罪を求めるのである。

2  被控訴人

控訴人の主張事実中控訴人が平家物語の本件英訳に関与したこと、控訴人と被控訴人間に、控訴人主張の各合意が存在したことは認めるが、その余の主張事実およびそれに基づく主張は、全て争う。

(一)(1)  翻訳物に対する著作権は、翻訳という創造的行為をなした者に与えられるものであるところ、翻訳とは、原典の記述に用いられた国語によつて著作者が表現した思想、感情を、別の国語で表現することであつて、それを模倣でなく、創作的になすこと自体本質的に表現上の創作性を有するものであり、そこには高度の精神的創造的活動が存在する。

そして、著作権法は、かかる人の精神的創造的活動の保護をその理念とするものであるから、右に述べた、翻訳という精神的創造的活動の結果として生まれたもの、即ち翻訳書は、同法の理念からして、当然、著作物として法的保護の対象となるべきものである。

右の如き見地からすると、同法二条一項一一号所定の「翻訳」なる語句は、言語学上の定義と別に解される必要はなく、「翻訳」の法的概念を、広辞苑やウエブスター等の辞典に掲載された言語学上の概念(定義)と同義に解することは正当である。

本件に即してみても、平家物語の本件翻訳においては、右平家物語自体が深遠な仏教思想に貫かれているのであるから、単に縦の文章を横の文章にするといつた機械的作業ということはあり得ず、必ず原典の理解、それを他の国語によつて表現する、という高度の精神的創造的活動が存在するのである。

一方、訳文の校訂、精錬(リズム調整といつている。)に関与したに過ぎない者は、翻訳物の共同著作権者に該当しない。

(イ) もし、右関与者にまで翻訳物の共同著作権者としての地位を認めるならば、著作権成立の範囲は、不当に拡大され、その法的安定性は、損なわれる。

著作権の内容は、極めて強力である。そのため、著作権の成立は、あいまいであつてはならない。著作権法二条一項一一号は、著作物の翻訳者に翻訳物の著作権を付与することを明言する。この点からして、同法は、翻訳という行為を共同で行つた者でなければ、例え翻訳に関連はしても、訳文の校訂、精錬に関与したに過ぎない者には、翻訳物の共同著作権を付与しない、と解すべきである。

(ロ) 右関与者にまで翻訳物の共同著作権を認めるならば、著作物の翻訳という高度の精神的創造的活動をなした者の利益は、大幅に制約され、折角の翻訳物の公表すら円滑に行えない結果を招く(著作権法第六四条、六五条)。

日本文化の精華である日本古典文学作品の翻訳による海外への紹介は、従来、当該外国語を母国語とする外国人によつてなされて来た。その場合、翻訳された文章自体は確に流麗であろう。しかし、原典の理解においては例外はあるにしても、到底日本人にはおよばないものである。ここに、日本人による、日本古典文学の外国語翻訳の意義がある。

日本人の翻訳の場合、例外はあるにしろ、訳文の言語を母国語とする外国人による訳文の校訂、精錬が不可欠である。

その場合、訳文の校訂、精錬を担当する外国人に翻訳物の共同著作権を与えることは、日本人による翻訳の意欲を低下させ、翻訳物公表の円滑を阻害する。

このように、右関与者にまで翻訳物の共同著作権を認めることは、翻訳者の立場を不当に制約するばかりか、一段高い社会的見地からみても、不相当である。

(ハ) 著作権法が、著作物を思想又は感情を創作的に表現したもの、と定義し、かかる創作物を保護しようとしているのに対し、思想又は感情の創作的表現とはいい得ない訳文の精錬作業に関与したことをもつて、それと同視することは、翻訳に限り理由がなく、創作的活動とその補助的活動を同視し、補助的活動に従事した者を不当に優遇するもので、公平に反し、かつ、著作権法の理念である精神的創造的労作の保護を、かえつて阻害するものである。

本件の場合、被控訴人が単独で平家物語の英語への翻訳を行つたものである。その英訳文の校訂、精錬について、控訴人をはじめ、幾人かの英語を母国語とする人々の協力を得ているが、それ等の人々の作業は、右翻訳の補助的活動に過ぎない。

それ故、本件「英訳平家物語」の著作権は、本来的に被控訴人一人に帰属するものである。

(2)(イ)  被控訴人の英語の能力が、英語を母国語としている外国人に比較して低いことは、当然である。このことは、数少い例外を除き、全ての日本人についていえることである。それ故、一般的に、日本人が日本文を英訳する場合、英語を母国語とする外国人による校訂がなされている。

しかし、ここで問題なのは、校訂をなした者がその英訳著作物について著作権を取得するか否かである。

被控訴人は、訳文に対する校訂の価値を否定するものでないが、校訂そのものは、翻訳という創作的行為を助けるものではあつても、翻訳そのものではない。

翻訳の目的は、原典の表現する思想を忠実に他の国語で表現することにあり、その目的達成のためには高度の精神的創造的活動が必要なのである。このことは、原典が文学作品であつても、事務文書であつても、同じであるが、後者は、原典自体が著作物でないから、翻訳物について翻訳著作権の問題が発生しないだけである。

したがつて、翻訳著作物について著作権を取得する者は、翻訳をした者であるから、校訂をした者が翻訳著作物について著作権を取得することは、翻訳者との特約がある場合を除いて、あり得ないところである。

確に、日本人が母国語でない英語の微妙なニユアンス、表現方法等に対し完全な理解を持つことは、できない。

しかし、一応英語をマスターした者にとつては、英語を母国語としている外国人に校訂を依頼し、その者から直接英文について校訂意見を聞き出すことによつて、微妙なニユアンスを盛り込み、適切な表現を用い、原典の思想を忠実に表現した英訳文を完成して行くことは可能である。

現に、被控訴人は、その方法により、本件「英訳平家物語」を完成させて行つたのである。

(ロ) 本件の場合は、被控訴人は、自分が翻訳した英文を控訴人に示し、膝をまじえて、その英文を検討したのである。控訴人は、被控訴人の右英訳文に対し、英文としての体裁を一定に整えるため、誤りを正し、更に、より流暢な英文にすることについて、自分の知識を提供し、被控訴人に協力したのであるが、その場合でも、被控訴人は、控訴人の右協力を鵜呑みにしたものではない。

被控訴人は、自分の英訳文についての控訴人の意見を親しく直接に聞き出し、平家物語の原文に最も相応した英文を完成させたのである。比喩的にいえば、被控訴人は、控訴人を英語の生きた字引として活用したのであつて、被控訴人が、控訴人の意見を取捨選択し、原典に照らし最も適切と判断したところを最終的な英文に確定したのである。したがつて、本件「英訳平家物語」の英訳文が被控訴人のものであることは明らかである。

なお、右英訳文が、英文として相当の水準に達していることも明らかである。

(3)  控訴人のなした、本件校訂部分中、あるものは、既に修正されているが、あるものが、そのまま採用され、本件「英訳平家物語」として出版されていること、は事実である。

しかし、控訴人が、右事実をとらえて、右事実は控訴人の方が被控訴人より本件英訳に深く関与していること、および控訴人が本件英訳をしたこと、を指し示していると主張するのは失当である。

既述のとおり、被控訴人は、控訴人をはじめ校訂者として協力してくれた数人の米国人と、常に膝をまじえて、英訳文に関する校訂の意見を聞き、それを問い直して、取るべきは取り、捨てるべきは捨てたのである。

しかし、右取捨選択は、その当時の被控訴人の判断によるものであるが、同人の英語の能力は、その後も研鑚を重ね向上しているのである。そのため、本件翻訳当時は、「取る」ことを是とし採用した本件校訂個所についても、現在においては取るべきではなかつた、と判断が変つた個所が相当存在する。

被控訴人は、控訴人が挙示する反論書(乙第一二号証)において、控訴人の本件校訂個所につき、それを具体的に指摘したのである。しかして、被控訴人が右反論書において控訴人の本件校訂のある部分を正しくないとしながら、その部分がそのままの形で採用され、本件「英訳平家物語」として出版されたのは、何も、本件英訳が控訴人によつてなされたから被控訴人においてそれを修正できなかつたのではなく、被控訴人が、当時の英語の能力において、一応それを妥当と判断し、取つたというだけのことである。

(二)  控訴人と被控訴人間の基本的合意も、控訴人が主張するような内容を持つものでない。

右合意の内容は、被控訴人が本件翻訳を行うにつき、その英訳文の英文としての誤りを正し、あるいは、より流暢な英文にするという限度で控訴人が協力するというものである。

このことは、被控訴人において控訴人に対し右協力を求めた動機が、それまで被控訴人の右翻訳に補助者として協力して来た訴外パーカーミーニが離日するため、その後任を依頼することにあつた事実、被控訴人は控訴人の協力に対し金銭的対価の支払いこそしなかつたが、被控訴人において控訴人を食事に招待し旅行に同行し、あるいは習字を教示した等別の形で対価的なものを与えている事実、被控訴人は日本ユネスコ国内委員会に英訳平家物語の出版についての協力を依頼し、翻訳者は被控訴人であり控訴人にその英文を磨くについて助力を頼んでいるとの内容の文書を送付したが、控訴人が被控訴人の指示で右文書の英文草稿を作成している事実、控訴人が昭和四八年九月再来日した際、控訴人は、被控訴人から、平家物語の英訳が完了し同人と東大出版会との間で出版契約が締結されたという話を聞きながら、これに対して何等異議を唱えることなく、被控訴人の平家物語翻訳についてのNHK北米向け放送の英文原稿に助言を与え訂正を加筆している事実等、控訴人自身の行動によつて裏付けられる。

又、控訴人が、昭和五〇年、本件「英訳平家物語」の出版をめぐり異議を唱えた際にも、控訴人自身は、共同著作者としての権利を主張せず、単に自分のなしたことを公正に認めるよう東大出版会に要求するに止まり、控訴人には何等異議を申入れていない事実、控訴人において、英文平家物語の謝辞内容を、被控訴人の名で、控訴人の才能を讃え、かつ平家物語の英訳をなし遂げるについて控訴人の協力がとりわけ大なる役割を果しているとすること、に同意している事実、は、控訴人自身に、本件「英訳平家物語」の共同翻訳者として共同著作権を有するという認識も、共同著作権を主張しようという意思もなかつたことを示すものである。

仮に、控訴人に右の如き認識や意思があれば、同人は、被控訴人に対し、無断で出版契約を締結した非を責め、謝辞も連名ですることを要求したはずである。このことは、控訴人の本件「英訳平家物語」について果した役割、被控訴人との合意内容を知悉している控訴人自身が、本件翻訳につき自分の行つたことは共同翻訳に当らないとの判断を持ち、かつ、合意内容が、控訴人は本件翻訳の補助者になるというに止まり、共同翻訳者とするということを含まない旨を、よく認識していることを示すものである。

控訴人は、本件「英訳平家物語」一巻、二巻の一応の確定稿を製本したものに、控訴人、被控訴人両名が翻訳者として表示されていることをもつて、右両者間に、右両者を共同翻訳者とする合意が成立していたと主張する。

しかしながら、右表示は、法律的意味を持つ合意に基づくものではない。

被控訴人は、当時、控訴人の本件協力に感謝し、控訴人が最後まで協力してくれるのであれば、本件「英訳平家物語」を両名の翻訳物として出版してもよいとの気持を抱いていたところ、控訴人から、右確定稿の製本されたものを自分の父親に送りたいとの要請を受け、右要請にそい、好意から、右製本上に右両名の翻訳という表示をするよう指示したに過ぎない。

(三)(1)  被控訴人が京都新聞の記者による取材面談において述べたことは、事実を事実として述べたもので、何等違法な点はない。

控訴人の本件翻訳における役割を訳文のリズム調整という言葉で総括的に表現したことも、決して、事実をことさら曲げるものでも、又、控訴人の右役割をことさら低め、あるいは控訴人の名誉を傷つけるものでもない。

リズム調整という言葉は、文章を磨きリズミカルにするという意味を持ち、本来琵琶の音曲に合わせて、リズミカルに語られる平家物語の、英訳文について控訴人の果した役割を正しく表現したものである。

(2) 控訴人の本件損害額の主張の内、運賃に関する部分は、本件紛争は国際電話、同電報、同郵便で十分解決できたのであるから、相当因果関係の範囲外である。したがつて、右運賃を本件損害として請求することは許されない。

又、本件慰藉料額は過大であり、弁護士費用額も失当である。

証拠関係<省略>

理由

一  本件共同著作権の存否について

1  控訴人が、昭和四〇年七月日本へ来た後、被控訴人と識り合つたこと、控訴人が、被控訴人において昭和四〇年頃から取組んでいた平家物語の英訳に、昭和四二年七月までの一年余の間、関与したこと、被控訴人が、昭和四七年五月一日、東大出版会と本件「英訳平家物語」の出版契約を締結し、昭和五〇年三月頃、出版の運びとなつたこと、は当事者間に争いがない。

2(一)  成立に争いのない甲第一、第八、第一一、第一五、第一六号証、検甲第一ないし第五号証、乙第一号証の五、七、第一二号証、検乙第一、第二号証、原審における被控訴人本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる乙第一号証の一ないし三、六、当審における被控訴人本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる乙第一七、第一八号証の各二(ただし、右文書については後示のとおり。)、タイプ部分の成立については当事者間に争いがなく、その余の部分については被控訴人の右供述により真正に成立したものと認められる乙第一号証の四、タイプ部分の成立については当事者間に争いがなく、その余の部分については被控訴人の右供述により真正に成立したものと認められる乙第三号証の一ないし四、原審証人箕輪成男、同アリス・S・ケーリ、同オーチス・ケーリ、当審証人辻裕子、同源河朝順、の各証言、原審における控訴人、原審および当審における被控訴人、の各本人尋問の結果(ただし、控訴人、被控訴人の右各供述中後示信用しない部分を除く。)および弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められる。

(1) 控訴人、被控訴人の経歴、被控訴人と平家物語との関係、特に、同人が昭和四〇年八月原典を付註釈の覚一本平家物語(岩波書店版)に決めて本格的に英訳をはじめた点、被控訴人はその頃右英訳につきデイビツト・バーガーミーニーの協力を得たが、右協力を得たのは被控訴人の行う右英訳がどうしても日本人的表現にならざるを得ないのでこの欠点を補正するためであつた点、右英訳において被控訴人と右バーガーミーニーの分担する作業内容、右作業により平家物語巻の一の内七章位までが英訳された点、右バーガーミーニーが昭和四一年春帰国することになつたので被控訴人がその後任を求めていたところケーリー夫妻から控訴人の紹介を受けた点、控訴人のその当時における職業、被控訴人はその頃控訴人に対しバーガーミーニーの協力の下に作り上げた右英訳原稿を示しバーガーミーニーの場合と同じ方法で右英訳に対する協力を求めたところ控訴人が右原稿を閲続したうえその価値を認め被控訴人の右要請を承諾した点、控訴人と被控訴人の右英訳作業内容、即ち、先ず被控訴人が原典たる前叙平家物語にしたがつて英訳のうえそのタイプ原稿を作成し、これを控訴人に手渡し、控訴人が右訳文の文法上の間違や用語を訂正し、英文としてぎこちなかつたり堅苦しかつたり又退屈平板であつたりする部分を自分が適当と考えた英文に変更し、その後、控訴人と被控訴人がともに右原稿の内控訴人が右の如く訂正変更した部分を対象として、被控訴人が原典を控訴人に説明し、右部分に再検討を加え、最終的に被控訴人が原典と照合して訳文を決定した点、控訴人がその当時も現在も全く右英訳の原典たる平家物語を読解できない点、控訴人の本件英訳に対する右の如き協力は昭和四一年二月から同人が帰国した昭和四二年七月まで続けられた点、控訴人が帰国した右時点で平家物語巻の六の内一〇章位までの英訳が一応終了していた点、被控訴人が平家物語の英訳につき控訴人の協力が得られなくなつた後ジヨン・ミラーほか数名の外国人から控訴人と同様の方法と内容の協力を得て平家物語の英訳を進め、昭和四七年二月頃「英訳平家物語」が一応完成するに至つた点、被控訴人が東大出版会との本件「英訳平家物語」の出版契約を単独で締結した点、は原判決認定(同判決九枚目裏三行目「1原告は、」から同一一枚目表四行目「になつた。」まで(編注、九巻二号五八八頁一七行目から五八九頁末行まで)、同八行目「5翻訳作業は、」から同裏三行目「全くない。」まで(同上、五九〇頁三行目から六行目まで)、同一二枚目裏二行目「7原告の」から同三行目「続いた。」まで(同上、五九一頁一行目)、同一二枚目裏七行目「8原告は、」から同八行目「終了していた」まで(同上、五九一頁四行目から五行目まで)、同一三枚目表二行目「9被告は」から同一二行目「した。」まで(同上、五九一頁八行目から一三行目まで)。)のとおりであるから、これを引用する。(ただし、右引用部分中に「翻訳」とあるのを全て「英訳」と訂正。)

(2) 本件英訳の原典となつた前叙平家物語は、巻の一ないし巻の一二および灌頂の巻から成り、各巻は、それぞれその内に各章(例えば、巻の一祇園精舎等)を有し、各巻は、それぞれ独立の内容を持つか、それ等が密接に結びつき合つて一貫した一つの物語を構成しているものであるところ、本件英訳も、原典の右構成に相応して、BOOK1からBOOK 12およびEPILOGUEから成り、各BOOK中に各chapter(例えば、BOOK 1,chapter I Gion Temple)を有し、右各BOOKは、独立の内容を持つが、それ等が密接に結びつき合つて一貫した本件「英訳平家物語(THE TALE OF THE HEIKE)」を構成しているものである。

しかして、BOOK1は、chapter Iないしchapter X VIから、BOOK6は、chapter Iないしchapter X IIから、それぞれ成り、BOOK1のchapter VIIIないしchapter X VIまでは、BOOK1全体の約五〇パーセントに、BOOK6のchapter Iないしchapter Xまでは、BOOK6全体の約八三パーセントに、それぞれ相当する。

なお、BOOK 1 chapter Iないしchapter VIIまでの分量の本件英訳全体に対する割合は、約四・一二パーセントである。

(3) 被控訴人は、控訴人がなした前叙原稿の訂正変更部分につき、昭和五一年一二月二日現在、その三八個所が間違いであると判断(ただし、同志社大学教授オーデス・ケーリの意見が可成りあり、被控訴人もこれに同調。)しているが、その内二〇個所(約七五パーセント相当)は、被控訴人が前叙出版契約を締結した当時の原稿に無修正のまま採用されている。

(4) 控訴人以後本件英訳に協力した人々の当時の職業地位、専門は、次のとおりである。ジヨン・ミラーは、日本歴史を専攻した京都大学で研究中であつた。メリー・ラウスは、ハーバード大学教授夫人で旅行のため来日し長期滞在中であつた。ドナルド・モレルは、花園大学英語講師であり、科学に関する論文やノンフイクシヨンに関する著作を有するものであつた。サリー・ウオーレンは、ケーリ夫人の後輩に当る女性で、デイビト・オーエンズは、帝塚山大学英語講師で、日本語研究を専攻するものであつた。なお、ジエフリー・シヤヒロについては、不詳。

(5) 昭和四七年二月当時東大出版会専務理事であつた箕輪成男は、その頃、前叙のとおりケネス・D・バトラーから、本件「英訳平家物語」の紹介を受け、同人から、右英訳の内巻の六までの原稿を入手し、これを同出版会所属の外国人編集者に閲読せしめたところ、仲々良くできている旨の報告を受けた。

そこで、箕輪は、さらに、右原稿の内巻の一に相当する分を、同出版会の顧問エドワード・サイデンステツカーに閲読してもらつたところ、同人から、可成り良くできている、右作品は出版に値する旨の回答を得た。

箕輪は又、合せて、右バトラーに対し、同人の右原稿に対する意見を求めたところ、同人も、本件英訳は戦前に出版された英訳平家物語よりも良い旨回答した。

箕輪は、右の如き各意見を総合し、本件英訳はその訳の正確さにおいても、文学作品としても、同出版会の出版物とするに値すると判断した。

しかして、同出版会で右英訳原稿を閲読した担当者は、本件英訳原稿の内平家物語巻の一ないし巻の六に相当する分とそれ以後の巻に相当する分との間に、英訳の正確さ、文学作品としての点に差異はない、と評定した。

(二)  右認定に反する、控訴人、被控訴人の前掲各供述部分は、前掲各証拠と対比してにわかに信用することができず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。(ただし、被控訴人の本件主張にそう証拠については、後示のとおり。)

3(一)  右認定に基づけば、本件「英訳平家物語」は、著作権法上の翻訳著作物に該当するというべきところ、翻訳の定義はさて置き、右「英訳平家物語」作成の過程において控訴人が果した役割およびその成果に着目するならば、右「英訳平家物語」の創作には、控訴人独自の、被控訴人と対等の立場よりする、創意工夫や精神的操作が存在する、というべく、しからば、この点において、同法上、控訴人は、右「英訳平家物語」につき、共同著作者としての地位を有する、と認めるのが相当である。

なお、被控訴人は、控訴人が本件英訳に関与中被控訴人は控訴人を食事に招待し旅行に同行しあるいは習字を教示し金銭的対価に代わる形の対価を与えていた旨主張し、原審証人株本順夫の証言、控訴人の原審における、被控訴人の原審および当審における、各供述、によれば、右主張事実を肯認することができる。

そこで、右認定事実と控訴人の本件共同著作者たる地位の承認との関係について付言するに、著作権法上共同著作者となり得るためには、その要件の一つとして、創作の際の共同関係の存在を必要とするところ、右共同関係の存在は、客観的にみて、当事者間にお互に相手方の意思に反しないという程度の関係の存在、をもつて、必要かつ十分とし、右共同関係の存在は、当事者間の経済的対価の支払いの有無とは関係がない、と解するのが相当であるから、右見地からするならば、前叙認定からして、本件においても、控訴人と被控訴人の本件英訳への関与につき、右共同関係の存在を認めるに十分というべきである。

したがつて、控訴人と被控訴人間に、右認定にかかる経済的対価の支払い関係があつても、右関係は、控訴人に本件共同著作者としての地位を認める前叙認定説示を何等妨げるものでない。

もつとも、被控訴人は、控訴人と被控訴人間には、当初から控訴人を本件英訳の補助者とする旨の合意があり、それだからこそ、被控訴人は控訴人に対し右認定の如き経済的対価を支払つた旨主張するが、右主張中の合意の内容については、被控訴人の原審および当審における各供述以外これを認めるに足りる証拠がなく、右各供述は、にわかに信用することができない。

(二)  ただ、控訴人が本件英訳に関与した分量については前叙認定のとおりであつて、右認定からすると、形式的には、控訴人が右英訳の全部にわたつて関与していないこと、明らかである。

しかしながら、前叙認定にかかる、本件「英訳平家物語」の原典たる平家物語そのものが前叙各巻から成り、その各巻が独立の内容を持ちながら相互に密接に結びつき合つて一貫した一つの物語を構成しているとの点、右「英訳平家物語」も又、原典たる平家物語の右構成に相応する構成をとつている点、したがつて、右「英訳平家物語」の内控訴人の関与した部分を分離しては、右「英訳平家物語」が一貫した一つの物語として成立たない点、のみならず、控訴人が関与した部分自体についても、その性質上、控訴人と被控訴人の寄与度が明確に分離計量できない点、現に、本件「英訳平家物語」は、控訴人の関与した部分を含め一体として、一つの英文学作品としての評価を受けている点、特に、東大出版会が本件英訳原稿を審査した際の、同出版会担当者の、右原稿の内平家物語巻の一ないし巻の六に相当する分とそれ以後の巻に相当する分の間に内容的差異はない、と評定している点、控訴人以後本件英訳に協力した人々が、当時の職業、専攻科目等からみて控訴人と同等の英文学的素養および詩才を持つていたとは認め得ない点、を総合勘案すると、控訴人の本件英訳に関する創意工夫は、被控訴人の本件英訳における創造的精神的活動に作用し、それが、控訴人の関与なしに行われたその後の本件英訳にも引継がれ、あるいはこれに強い影響をおよぼした、と推認することができ、この点からすると、本件においては、控訴人が本件英訳に関与した部分を単に機械的形式的に分離し、その計量から、控訴人の右英訳に対する寄与度を評価することはできない、というのが相当である。

しからば、控訴人の本件英訳の関与量が形式的には全体の約五〇パーセント相当であつても、同人の本件英訳における創意とその精神的労力は、右関与部分を超え、残余の約五〇パーセントの部分にもおよんでいる、と評価し、控訴人の本件英訳の関与量は、著作権法上、控訴人に本件「英訳平家物語」の共同著作者としての地位を認めるにつき、何等妨げとならない、というべきである。

もつとも、本件英訳の内BOOK/chapter Iないしchapter VIIは、被控訴人とパーカーミーニーによるものであつて、控訴人の関与する以前のものであること、前叙認定のとおりである。

しかしながら、右BOOK/chapter Iないしchapter VIIの本件英訳全体に占める割合が、約四・一二パーセントであること、控訴人が、被控訴人から、右BOOK/chapter Iないしchapter VIIに関する原稿を手渡され、これを閲読し、これに批評を加えたこと、は前叙認定のとおりであつて、右認定事実から勘案すれば、控訴人の関与しなかつた、BOOK/chapter Iないしchapter VII部分を含め、控訴人に本件共同著作者たる地位を認めても、不当ではない。

(三)  叙上の認定説示から、控訴人に本件「英訳平家物語」の共同著作者としての地位を肯認する以上、同人は、右「英訳平家物語」につき、被控訴人と、その著作権を共有する(著作権法六五条一項)、換言すれば、共同著作権を有する、というべきである。

右認定説示に反する、被控訴人の、この点に関する主張は、当裁判所の採るところでない。

4  被控訴人は、控訴人は本件英訳における単なる補助者に過ぎなかつた、控訴人自身もそれを自認していた旨主張し、被控訴人の右主張にそう証拠として、次の各証拠があるが、右各証拠は、いずれも、後示理由から採用することができず、したがつて、次の各証拠は、控訴人に本件共同著作権を認める前叙認定説示を、何等妨げるものではない。

(一)  原審証人アリス・S・ケーリ、同オーチス・ケーリ、被控訴人の原審および当審における、各供述の一部、原審証人高山修、同株本順夫、同ドナルド・キーン、の各供述は、前掲各証拠と対比して、にわかに信用することができない。

(二)  成立に争いのない乙第二号証は、被控訴人が日本放送協会(NHK)において同年九月七日、八日の両日行う北米向け海外放送用英文原稿で、本件「英訳平家物語」の紹介をその内容とするところ、控訴人、被控訴人、の原審における各供述によれば、右文書は、控訴人が被控訴人の依頼で、被控訴人の起草した英文に加除訂正を施したもの、であること、控訴人が、右文面について、被控訴人に、特段抗議しなかつたこと、が認められる。

しかして、右文書から、その内容は、被控訴人が独力で右「英訳平家物語」を英訳したことを前提とすると認められるから、右認定の如く、控訴人が、被控訴人の依頼でこれに加除訂正を施し何ら抗議しなかつたのならば、控訴人は当然右文書内容の前提事実を容認していたかの如くである。

しかしながら、控訴人の原審における供述および弁論の全趣旨によれば、控訴人と被控訴人は、本件英訳の途中、本件英訳における控訴人の役割地位について、これを、translated byと表現するのか、with the assistance ofと表現するのか、明確に話合つたこともないし、確定的な結論を出したこともなかつたこと、控訴人は、被控訴人から右英文原稿を示され、その加除訂正を依頼されたとき、右文書は対外的に被控訴人の立場を誇示する役割を果すし、右文書を利用する被控訴人の気持も理解できるとして、被控訴人の依頼どおり、特段これに対して異を唱えず、右原稿に加除訂正を施したこと、が認められ、右認定事実に基づけば、右文書の記載内容からただちに、控訴人が本件英訳において自分が単なる補助者であることを自認していた、ということはできない。

なお、被控訴人は、右文書の作成経過に関連して、被控訴人は、右文書の作成当時、控訴人に対し、被控訴人が東大出版会と本件「英訳平家物語」の出版契約を締結したことを告知し控訴人もその事実を知つていた旨主張するが、右主張事実にそう、原審証人オーチス・ケーリの証言、被控訴人の原審および当審における各供述は、にわかに信用できない。

むしろ、右文書の作成経過に関する右認定事実や右乙第二号証から認められる、右文書自体に、本件「英訳平家物語」が特定の出版社から出版される旨記載されていないこと、および後示認定にかかる、控訴人が、昭和五〇年三月初旬頃、被控訴人から、本件「英訳平家物語」の出版宣伝のためのパンフレツト(乙第四号証)の送付を受けたこと、右パンフレツトには、translated by HIROSHI KITAGAWAと明記されているが、控訴人の氏名の表示がないこと、控訴人が、右パンフレツトの送付を受けて以来、被控訴人との間に本件紛争が生じたこと、以上の各事実を総合すると、控訴人は、右NHK用英文原稿に加除訂正を施した当時、被控訴人が単独で東大出版会と本件出版契約を締結した事実を知らなかつた、と認めるのが相当である。

(三)  成立に争いのない乙第九号証の一、二は、控訴人が、日本ユネスコ国内委員会事務局宛に出した、英訳平家物語の出版につき右委員会の協力を依頼する旨の手紙の控であるが、控訴人の原審における、被控訴人の原審および当審における、各供述によれば、右手紙は、昭和四二年一月六日、被控訴人が口述するところを控訴人が筆記し作成されたものであること、控訴人は、右手紙の作成後、被控訴人に対し、特段抗議しなかつたこと、が認められる。

しかして、右手紙には、平家物語の本件英訳が被控訴人の独力で遂行され、ただその英訳にできるだけ磨きをかけるため控訴人の協力を得ている(英文ではassist me)旨記載されているところ、右手紙の作成過程に関する右認定事実からすれば、控訴人は、右手紙の作成当時、自分が本件英訳において単なる補助者であることを容認していたかの如くである。

しかしながら、控訴人と被控訴人が、本件英訳の途中、本件英訳における控訴人の役割地位についてお互明確な話合いも行わず、この点につき確定的結論を出したこともなかつた、との点は、前叙認定のとおりであるし、控訴人の原審における供述および弁論の全趣旨によれば、控訴人は、右手紙が本件英訳の出版を依頼する被控訴人の自己紹介のためのものであり、いわば商業的意図の強いものであるから、このような文書において、一々自分の立場を強調し明確にする必要はないと考え、右手紙を作成し、これに対し、特段異を唱えなかつたこと、が認められ、右各認定事実に照らすと、右手紙の右内容からただちに、控訴人が本件英訳において自分が単なる補助者であることを自認していた、ということはできない。

(四)  当審における被控訴人本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる乙第一六ないし第一八号証の各二、も、その各記載内容の内被控訴人の前叙主張にそう部分は、前掲各証拠と対比して、にわかに信用することができない(ただし、乙第一七、第一八号証の各二については、その一部が信用できること、前示のとおり。)し、本件英訳の関与者の役割に関する部分は、右各文書作成者自身の意見に過ぎず、右意見は、正当といえず採用するに由ない。

なお、控訴人は、右各文書につき、右各文書は被控訴代理人が本訴提起後送付した質問書に対する回答書であり、証人の口頭陳述の原則に違反し、又、控訴人はその記載内容に対して反対尋問権を行使することができない、それ故、そのことからただちに、右各文書の形式的証拠力(証拠能力)を否定すべき旨主張する。

確かに、右各文書が、被控訴代理人において本訴提起後送付した質問書に対する回答書であること、右各文書自体の体裁やその証拠としての標目自体から、明らかである。

しかしながら、元来、民事訴訟なるものは、私人間の紛争解決をはかるための手段であるから、民訴法、特に自由心証主義を採用する現行民訴法の下では、刑訴法が被告人を有罪とするためには確実な証拠方法を要するとの要請から文書の証拠能力につき幾多の制限規定(同法三一二条ないし三二三条)を設けているのと異なり、訴訟に用いられる証拠の選択は訴訟当事者に一任しておけばよく、証拠として用いられるため法律上の適格を欠く文書は、存在しない、というべきである。

したがつて、控訴人の、前叙理由だけからただちに右各文書の形式的証拠力(証拠能力)を否定すべきであるとの主張は、理由がなく採用できない。

5  控訴人は、同人につき本件共同著作権が発生する根拠として、同人と被控訴人間の、平家物語を共訳する旨の合意の存在を主張する。

しかしながら、控訴人が本件「英訳平家物語」の共同著作者としての地位を有し、したがつて又、右「英訳平家物語」につき共同著作権を有すること、およびその理由、は前叙認定説示のとおりであるから、これに重ねて、控訴人の右主張の当否、したがつて又、これに関する被控訴人の主張の当否、につき、判断を加える必要はない。

二  本件不法行為の成否について

1  被控訴人の東大出版会との本件出版契約の締結について

(一)(1)(イ) 被控訴人が、昭和四七年五月一日、東大出版会と本件「英訳平家物語」の出版契約を締結し、昭和五〇年三月頃出版の運びとなつたこと、は当事者間に争いがなく、被控訴人が、右出版契約を単独で締結したこと、控訴人が、右「英訳平家物語」につき、共同著作権を有すること、は前叙認定説示のとおりである。

(ロ) 前掲甲第一号証、原審証人箕輪成男の証言によれば、被控訴人は、東大出版会と、本件「英訳平家物語」の著作者は被控訴人のみであるとして、本件出版契約を締結したこと、が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(ハ) 共同著作権は、共同著作者全員の合意によらなければ行使することができない(著作権法六五条二項)から、右認定事実に基づけば、被控訴人の本件出版契約の締結は、客観的にみて、控訴人の本件共同著作権を侵害する行為というほかない。

(2) しかしながら、前示認定の、控訴人の本件「英訳平家物語」作成に関する役割等についての事実経過、実際に関与した分量が全体の約半分に過ぎなかつたこと、前掲日本放送協会の北米向け海外放送用英文原稿(乙第二号証)、日本ユネスコ国内委員会事務局宛文書(同第九号証の一、二)の記載等に鑑みると、被控訴人に右「英訳平家物語」の単独著作権があるか、控訴人と被控訴人両名に共同著作権があるかを判断することは極めて困難であつて、当時花園大学文学部英語科専任講師であつた被控訴人(この事実は被控訴人の原審における供述により明らか)が、当時それが自己の単独の著作権に属すると解したことについては無理からぬものがあり、被控訴人に、控訴人が右「英訳平家物語」の共同著作者であることを前提とした行動をとることを期待することは困難であり、したがつて、被控訴人にその過失を問うことは適当ではない。

もつとも、成立に争いのない検甲第一、第二号証、被控訴人の原審および当審における各供述によると、平家物語巻の一、二に相当する英訳文をタイプし、それをゼロツクスした仮製本したもののタイトル下部にTranslated by Hiroshi Kitagawa, and Bruce Tsuchidaなる記載があるが、右被控訴人の供述によると、右のような記載がなされたのは、当時被控訴人は控訴人の協力に感謝し、この調子で全部完成したら、感謝の気持を表わすため控訴人を共訳者として遇してもよいと考えていたに過ぎないことが認められ、未だ右認定を左右するに足りないし、また成立に争いのない甲第七号証(朝日新聞昭和五〇年五月二四日付記事)中の被控訴人の談話中に自己の責任を認めたかの如き記載があるが、これも後示認定の本件出版契約後の紛争内容、交渉経緯、京都新聞同月一八日付朝刊掲載の記事を契機としてなされた本訴の提起等に鑑み、被控訴人の当時の気持を表現したに過ぎないもので、この事実からただちに右認定を左右することもできない。

(二) 仮に、被控訴人に何等かの損害賠償責任があるとしても、控訴人は以下説示の如くその請求権を放棄したものである。

(1)  控訴人が、昭和五〇年四月二一日、その妻を来日させたこと、控訴人、被控訴人、東大出版会の三者間で、昭和五〇年四月二三日、控訴人、被控訴人両名を本件「英訳平家物語」の共同翻訳者とする旨の合意が成立したこと、は当事者間に争いがない。

(2)(イ)  成立に争いのない甲第二号証の一ないし四、第三号証の一ないし七、第四号証、乙第四ないし第六号証、検甲第一、第二号証、原審証人槌田寿々子、同オーチス・ケーリ、同箕輪成男、当審証人源河朝順、の各証言、原審における控訴人、被控訴人の各本人尋問の結果(ただし、槌田寿々子、控訴人、被控訴人の右各供述中後示信用しない部分を除く。)および弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められる。

(a) 本件出版契約後本件紛争発生に至るまでの経緯、本件紛争発生後の控訴人の態度、控訴人と東大出版会との接渉の状況およびその内容、昭和五〇年四月二三、二四日の両日にわたり行われた、控訴人の妻槌田寿々子と被控訴人の交渉状況、同二四日成立した合意の内容、更に、右合意内容が一部変更され、同二五日、槌田寿々子、被控訴人、東大出版会との間に最終的な合意が成立した点、右合意の内容、控訴人および被控訴人と東大出版会との間で、同年五月六日、本件「英訳平家物語」の出版契約が締結された点、右出版契約の内容、は原判決認定(同判決一三枚目裏一〇行目「11「平家物語」の」から同一五枚目表六行目「きかなかつた」まで(同上、五九二頁一行目から末行まで)、同一〇行目「甲第二号証の一」から同裏四行目「である。」まで(同上、五九三頁二行目から五行目まで)。)のとおりであるから、これを引用する。(ただし、同判決一四枚目裏八行目「(同上、五九二頁一二行目)高校の源川教師」とあるのを「高校教師源河朝順」と訂正。)

(b)(i) 控訴人が昭和五〇年三月初旬頃川北喜博を介して入手した本件「英訳平家物語」の出版宣伝用パンフレツト(乙第四号証)には、THE TALE OF THE HEIKEなる標題の下に、translated by HIROSHI KITAGAWAと印刷されているのみであつた。

控訴人が昭和五〇年三月頃東大出版会へ郵送した、本件英訳文のタイプをコピーした仮製本(検甲第一、第二号証)のコピーには、前叙認定のとおり、Translated by Hiroshi Kitagawa and Bruce Tsuchidaと表示されていた。

(ii) 控訴人の妻槌田寿々子は、控訴人の、本件紛争解決のための代理人として、来日したものである。

しかして、槌田寿々子は、昭和五〇年四月二三日、京都ロイヤルホテルにおいて、被控訴人と、関係者立会の下に、初めて交渉を開始してから、同月二五日、最終的な本件合意が成立するまでの間、被控訴人の本件出版契約に基づく損害賠償については全くその交渉の対象としなかつた。

(iii) 控訴人も、右合意成立後、被控訴人に対して、被控訴人が行つた本件出版契約に基づく損害の賠償を請求したことはなく、同人は、ただ後示京都新聞が掲載した記事内容を知り、それが真実に反し、控訴人の名誉を傷つけたとし、右新聞記事内容を最大の原因として本訴を提起したものである。

(ロ) 右認定に反する、原審証人槌田寿々子、控訴人、被控訴人の各供述部分は、前掲各証拠と対比して、にわかに信用することができず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(3)  右認定にかかる、本件紛争発生から本件最終合意成立までの経緯、その内容、本件最終合意の内容就中控訴人と被控訴人間の本件印税の取得割合、右合意成立に至るまでの控訴人側の態度、その主張内容、控訴人の右合意成立後の態度、同人の本訴提起の根本原因等を総合勘案すると、被控訴人の本件出版契約に基づき控訴人に生じた本件損害の賠償問題は、その一切が、昭和五〇年四月二五日成立した本件最終的合意に含まれ、控訴人において以後これを被控訴人に請求しない旨の和解が、成立した、と認めるのが相当である。

よつて、被控訴人の抗弁は、理由がある。

2  京都新聞昭和五〇年五月一八日付朝刊掲載の記事と被控訴人の発言内容について

(一)  控訴人が本件共同著作者であること、は前叙認定説示のとおりである。

(二)  成立に争いのない甲第六号証、原審における被控訴人本人尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すると、京都新聞昭和五〇年五月一八日付朝刊文化面に、被控訴人の談話を交え本件「英訳平家物語」を紹介する記事が掲載されたこと、右記事中に、被控訴人が同志社香里高校で英会話を教えていた日系三世の控訴人に訳のリズムの調整を依頼したとの部分が存在すること、しかして、右記事部分は、控訴人の談話として挿入されているのではなく、取材記者の報告の形式で掲載されていること、右記事中控訴人に関する部分は、右部分のみで他に存在しないこと、右記事の取材は、右新聞の新聞記者が被控訴人に面談することにより行われたこと、被控訴人は、当時滋賀大学経済学部英語科助教授として在職していたこと、が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(三)(1)  控訴人は、本訴において、被控訴人の右談話の発表は民法七〇九条の不法行為に該当すると主張する。

しかしながら、控訴人の右主張中被控訴人が右新聞記者の取材に応じ同記者と面談した際、被控訴人の談話に、控訴人の本件共同著作者としての名誉を著しく毀損する故意又は過失があつたとの点は、これを認めるに足りる証拠がない。

(2)  かえつて、成立に争いのない甲第五ないし第七号証、原審における被控訴人本人尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すると、被控訴人は右取材記者の面接の際、前叙認定にかかる控訴人と被控訴人の本件英訳作業内容を事実のまま詳細に話したこと、そして、右記事を通読するに、平家物語は「もののあわれ」を基調とする文学作品であり、叙情性の豊かな叙事詩であつて、被控訴人は平家物語のもつ美文調を英語のリズムにどう生かすかについて最も苦心した、即ち、訳のリズム調整が平家物語英訳にあたつて最も重要かつ困難であつた、その最も重要かつ困難な点について控訴人にリズムの調整を依頼したのであり、そのため控訴人を共同著作者とした、というのであつて、右記述自体からも、控訴人が果した役割およびその成果の重要性を十分把握しうるのであつて、控訴人の役割が単なる文法上の誤り、用語の訂正等英訳文の校訂等単に補助的役割に過ぎなかつたものとは必ずしも読みとれないことが認められ、これらの事実に徴すると、被控訴人の右談話に、前叙の如き故意過失があつたというまでには至らない。

(四)  しからば、控訴人の、被控訴人における京都新聞に対する前叙談話の発表は民法七〇九条の不法行為であるとする本件主張は、その余の主張事実の存否について判断を加えるまでもなく、右認定説示の点で既に理由がない、というべきである。

三  以上の次第で、控訴人の本訴請求は全て理由がないから、これを棄却すべきである。

したがつて、これと結論を同じくする原判決は、正当というべく、本件控訴は、全て理由がない。

よつて、本件控訴を棄却し、控訴費用の負担につき民訴法八九条、九五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大野千里 岩川清 鳥飼英助)

謝罪広告

「英訳平家物語」が私とブルース槌田氏との共同翻訳物であり、著作権者としての名義は同氏と共有しなければならないにも拘らず、昭和五〇年五月一八日付京都新聞「文化」欄に、同社記者を通じ、右「英訳平家物語」をあたかも自分一人で翻訳したかのように、また同氏の役割を単に「訳のリズムの調整を依頼した」とのみ発表したことは、同氏の共同著作権者としての名誉を無視した行為であることを認め、このことを深く謝罪し、今後再びこのような行為をしないことを約束します。

北川弘

ブルース 槌田 殿

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