大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)205号 判決 1980年1月30日
控訴人
益田尚徳
右訴訟代理人
大阪谷公雄
外一名
被控訴人
大岡太郎
外一名
右両名訴訟代理人
山口正身
主文
一、本件控訴をいずれも棄却する。
二、各控訴費用は控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
<前略>
第三土地所有権の範囲の証明責任
土地所有権確認の訴においては、原告がその所有権の取得原因事実及びその所有権の範囲について主張、立証責任を負うもので、原則としてそれが不明な場合は原告敗訴の判決を言渡すべきであつて、隣地との比例按分など安易な認定をすべきでないことは控訴人主張のとおりである。
しかしながら、元来土地所有権の範囲を主張する原告は、民法一八八条に基づきその土地を占有していることを立証することによつて所有権の権利推定を受けることができるところ、右所有権を争う被告において右土地の占有を侵奪して土地の開墾、造成を行ない、従来からの占有土地の境界を明示していた既存の境界標、杭、あるいは畦道などの目標を破壊してその痕跡を留めない程度にまで開墾ないし整地をし、これにより原告の占有状況の立証を妨害したような場合には、原告は、登記簿上その地番の土地の所有名義人であること、隣接地番の被告所有地との間の境界の確定を前提として、両地の公簿上の総面積と各土地の実測面積との割合に比例して実測総面積を公簿上各土地の面積に分配したうえ、自己所有地番の土地の範囲を主張、立証することによつて同範囲の土地を所有するとの事実上の推定を受け得ると解すべく、これに対し前示原告の立証を妨害した被告は、右土地の範囲が原告の所有地に属しないことの証拠を提出してこれを立証する必要があり、これをなさない限り裁判所は自由心証によつて前示原告主張の土地の範囲を原告の所有地であると認定してよいと考える。けだし、立証妨害によつて直ちに挙証責任が転換されるとまではいえないけれども、民訴法三三五条、三一七条等の精神に照らし、裁判所は自由心証の範囲で事実上の推定をなし、立証の必要ないし証拠提出責任を被告に課することが許されてよいし、他方、境界確定の訴と所有権確認の訴とは別個の性質を有する訴ではあるが(最判昭三七・一〇・三〇民集一六巻一〇号二一七〇頁、最判昭四三・二・二二民集二二巻二号二七〇頁)、所有権確認の訴において、その前提として境界の確定を主張することができるし、さらにこれを民訴法二三四条に基づき中間確認の訴、即ち先決的法律関係確定の訴として境界確定の訴を提起することも可能である。
そして、これを提起した場合はもとよりのこと、その提起をしないで単に所有権の範囲確認の前提事項として境界確定を主張するにすぎない場合においても、被告の立証妨害等によつて占有の境界さえ知ることができない場合においては、前示のように公簿面積と係争地の実測面積との比例配分によつてその境界を認定することができると解されるからである(大判昭一一・三・一〇民集一五巻六九五頁参照)。
第四本件係争地の所有権の検討
<証拠>ならびに当事者間に争いのない事実を総合すると、
(一) 明治四三年一一月一五日、被控訴人らの先々代大岡重兵衛は園尾幸三郎から本件一の土地(二六二番地の二)を買受けその登記を了した。
(二) 明治四四年三月二日、右大岡重兵衛は中村登女から本件二の土地(二六三番地)を買受けその登記を了した。
(三) 昭和一〇年九月六日、右先々代重兵衛が死亡し、襲名した先代大岡重兵衛が家督相続により本件一、二の土地の所有権を取得し、昭和一二年四月一三日その旨の登記を了した。
(四) 昭和二五年六月、控訴人の先代は西尾森三から本件三の土地(二六五番地)を買受けその旨登記を了した。
その当時、本件三の土地は畑地であり、本件一、二の土地は竹藪で被控訴人先代が占有管理していたが、その間に境界を示す畔道が存在した。この畔道は竹藪の根が畑の方に侵入していくのでこれを防ぐため被控訴人の先代が土を掘り通行人が踏み固めて畔道となつたもので、乙事件の原判決添付図面中B、C、D、Eの各点を順次結ぶ直線付近を曲りくねつた形で通つていた。
(五) 昭和三八年四月三日、被控訴人らの先代大岡重兵衛が死亡し、同人の妻大岡たかが本件一、二の土地を相続し、昭和三九年七月一三日その旨の登記を了した。
(六) 昭和三九年夏頃、控訴人先代は本件一、二の土地をも前示(四)の西尾森三から本件三の土地買受日の一〇日後に買受けたものであるとして、竹藪を切つて開墾し畑地にしたり樹木を植えたりして、前示(四)記載の畦道を破壊しその痕跡をとどめないようにした。その結果両土地の境界は不明となつた。
(七) 昭和四二年二月初頃、本件係争地付近へ来た被控訴人大岡次郎は、乙事件の原判決添付図面B点から生垣西端部分にかけて門扉が設けられていることを発見し、直ちに控訴人先代を勤務先に訪ねて抗議した。
以上の各事実を認めることができ、<る。>
右各事実によると、控訴人ないしその先代は本件一、二の土地と本件三の土地との境界を示す畦道を損壊して本件一、二の土地についての被控訴人らの占有を侵奪し、これにより被控訴人らの占有の範囲の立証を妨害したものといわねばならない。したがつて、前示第三に説示したとおり、被控訴人らが本件係争地の所有権確認の前提として、同係争地の範囲を公簿面積と係争地の実測面積の比例配分によつてその境界を定めたものであること自体は当事者間に争いがないから、同係争地が本件一、二の土地の範囲と異なると主張する控訴人においてその旨の証拠を提出し立証する必要がある。
この点につき、控訴人は、昭和二五年六月当時に比べて南前川の流路が移動しており、被控訴人ら主張の本件係争地の範囲の算定が誤まりであると主張するが、<証拠>によると、本件係争地付近の南前川の流路は、昭和二三年当時から現在までほぼ一致しほとんど変つていないことが認められる。また、本件係争地の一部である別紙図面(二)のD部分が二六四番の土地であつて、控訴人が交換によつて取得したとの控訴人主張の事実は、その主張に副う原、当審における控訴人本人尋問の結果の一部は措信できず、他にこれを認めるに足る的確な証拠がない。
したがつて、本件係争地は被控訴人らの所有に属するものといわねばならない。<以下、省略>
(下出義明 村上博巳 吉川義春)
別紙<省略>