大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)299号 判決 1979年10月26日
控訴人(被告) 藤本製薬株式会社 外一名
被控訴人(原告) エーザイ株式会社
原審 大阪地方昭和五〇年(ワ)第五二八六号(昭和五二年二月一八日判決、九巻一号五四頁参照)
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は、控訴人等の負担とする。
事実
第一当事者双方の求めた裁判
(控訴人等)
原判決を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
(被控訴人)
主文同旨。
第二当事者双方の主張および証拠関係
次に付加するほかは、原判決の事実摘示と同じであるからこれを引用する。(ただし、原判決三枚目裏一〇行目(編注、九巻一号五六頁一二行目、訂正済み)「抹梢血管」とあるのを「末梢血管」と、同四枚目裏一〇行目(同上、五七頁一〇行目、訂正済み)に「実例2」とあるのを「実施例2」と、同九枚目裏一行目(同上、六〇頁九行目)に「TSCI」とあるのを「TsCI」と、各訂正する。)
(主張)
被控訴人
一1 本件特許発明は、ビタミンEとニコチン酸とを結合させて新規なビタミンEニコチン酸エステルを創製することを課題とし、その解決手段の性格は、「ビタミンEとニコチン酸を出発物質として、この二つのエステル構成成分を公知のエステル結合の方法を用いて反応せしめる方法」にある。
2 本件特許発明の構成要件は、既に原審においても主張したとおり、次の(1)ないし(3)からなる。
(1) 原料
(イ) ビタミンE
(ロ) ニコチン酸又はその反応性酸誘導体
(2) 処理手段
右(イ)と(ロ)を反応させる
(3) 目的物質
ビタミンEニコチン酸エステル
なお、本件特許請求の範囲において、出発物質の一つであるニコチン酸に関して、「ニコチン酸又はその反応性酸誘導体」という択一的表現形式が採られているが、これは、右出発物質のニコチン酸は使用時に遊離のものであつてもよく、又予め反応性酸誘導体に変えたものであつてもよいとの趣旨であつて、本件特許請求の範囲が、出発物質のニコチン酸に関し、右の如き択一的表現形式を用いていても、それは、ビタミンEニコチン酸エステルの製法として単一の発明思想を表現したものである。
3(一) 原判決添付目録(同上、八九頁)記載の方法(以下単に控訴人方法という。)は、次の(1)′ないし(3)′の要件からなる。
(1)′ 原料
(イ) ビタミンE
(ロ) ニコチン酸
(2)′ 処理手段
右(イ)と(ロ)をパラートルエンスルホン酸クロライドの存在下に反応させる
(3)′ 目的物質
ビタミンEニコチン酸エステル
(二) 右控訴人方法の要件において、
(1)′の要件は、本件特許発明の構成要件(1)と同一、
(2)′の要件は、本件特許発明の構成要件(2)に対し、「パラートルエンスルホン酸クロライドの存在下」なる条件を付加、
(3)′の要件は、本件特許発明の構成要件(3)と同一、
である。
(三) 右(2)′の要件は、本件特許発明の構成要件(2)に、「パラートルエンスルホン酸クロライドの存在下」なる条件を付加したものであるから、右(2)′の要件が、本件特許発明の構成要件(2)を具備するものであることは明らかである。
したがつて、控訴人方法は、本件特許発明の構成要件(1)ないし(3)の全てを具備するものであり、本件特許発明の実施に相当する。(原判決が、控訴人方法につき、本件特許発明の要旨が一体性を失うことなく含まれていると判示したことも、結局は、右主張と符合する。)
二 控訴人方法の具体的実施方法を更に詳細に検討すると、右方法は、本件特許発明を、本件特許出願前公知の技術手段を用い、何等の新規技術手段を付加することなく、そのまま具体化したものであることが明らかである。
1 本件特許発明は、ビタミンEとニコチン酸を出発物質とし、右両者をエステル結合反応により結合させて、ビタミンEニコチン酸エステルを製造する方法である。
したがつて、本件特許発明においては、ビタミンEニコチン酸エステル製造のために用いる原料が、基本的にビタミンEとニコチン酸であることはいうまでもない。
ところで、ビタミンEは、化学物質としてフエノールの一種であり、又、ニコチン酸は、同じく化学物質としてカルボン酸の一種であるところ、本件特許出願時以前において、一般にカルボン酸とフエノールからエステルを製造しようとする場合に、カルボン酸それ自体はフエノールに対しての反応活性が低いため、カルボン酸を一旦反応性酸誘導体に変換し、その反応活性の高い物質をフエノールと反応させることが知られていた。
又一方、反応性酸誘導体に変えない状態、即ちカルボン酸そのままの状態のもの(これを遊離のカルボン酸と称する。)を原料とする場合であつても、それに反応性を付与する物質(縮合剤)を加え、フエノールとの反応の場において、右遊離のカルボン酸を反応性酸誘導体に変換させ、生成した右反応性酸誘導体とフエノール間にエステル化反応を行わしめ、もつてエステルを生成する方法も、本件特許出願時以前において、公知であつた。
したがつて、右の手法は、いずれも、本件特許出願時以前、公知のエステル化手法として、当業者間に広く知られていた。
2 本件特許発明においては、フエノールの一種であるビタミンEとカルボン酸の一種であるニコチン酸とを出発物質として、右両者をエステル結合反応により結合させるので、ニコチン酸を予め反応活性の高い反応性酸誘導体(ニコチン酸クロライド、無水ニコチン酸等)に変換しておき、そのニコチン酸の反応性酸誘導体を原料として用いてビタミンEと反応させるか、遊離のニコチン酸を原料として用いて、それに反応性を付与する物質(縮合剤)を加えてビタミンEとの反応の場で、反応性酸誘導体(ニコチン酸クロライド、無水ニコチン酸等)を生成させ、その場に生成した右反応性酸誘導体とビタミンE間で反応を行わせるか、いずれにせよ、出発物質としてのビタミンEとニコチン酸とを、エステル結合反応により結合せしめる手法として、ニコチン酸の反応性酸誘導体を経由する手段をとるものである。
前記の如く本件特許明細書の特許請求の範囲には、「ビタミンEにニコチン酸又はその反応性酸誘導体を反応させることを特徴とするビタミンEニコチン酸エステルの製法」と記載されているところ、右記載中の「ニコチン酸又はその反応性酸誘導体」の択一的表現形式は、出発物質のニコチン酸が、使用原料としては遊離のニコチン酸、反応性酸誘導体のいずれであつてもよいという趣旨の表明であつて、右趣旨の表明は、右に述べた如きエステル結合反応における公知の手法を踏まえたものである。
3(一) 控訴人方法が採用したエステル化の具体的手段は、遊離のニコチン酸(カルボン酸)と遊離のビタミンE(フエノール)とを「パラートルエンスルホン酸クロライドの存在下」に反応させる方法であるが、右の如く、遊離のカルボン酸と遊離のフエノールとをエステル化反応せしめる場合に、パラートルエンスルホン酸クロライドを脱水剤あるいは縮合剤として用いることは、本件特許出願前、広く知られていた。
(二)(1) 本件特許出願前公知の刊行物であり、かつ、広く化学技術者間に読まれている学術雑誌、ザ・ジヤーナル・オブ・ジ・アメリカン・ケミカル・ソサイエテイー第七七巻には
(イ) エステルの製造法として、カルボン酸をピリジンに溶解し、これにパラートルエンスルホン酸クロライドを加え、更に、これにフエノール(又はアルコール)を加えエステル化反応を行わせ、原料カルボン酸と原料フエノール(又はアルコール)とのエステルを製造する技術が、多種のエステルを製造した実験例を掲げ、
(ロ) 右エステル製造法においては、原料カルボン酸がピリジン中でパラートルエンスルホン酸クロライドにより酸無水物に変換され、生じたその酸無水物がフエノール(又はアルコール)と反応して、エステルを生成すると、
各記載されている。
(2) 控訴人方法は、その具体的実施において、出発物質ニコチン酸(前述の如くカルボン酸の一種)をピリジンに溶解し、これにパラートルエンスルホン酸クロライドを加え、その後これにビタミンE(前述の如くフエノールの一種)を加えて反応を行わしめ、もつて目的物質ビタミンEニコチン酸エステルを得ているところ、右方法においては、原料ニコチン酸が、ピリジン中でパラートルエンスルホン酸クロライドにより無水ニコチン酸(酸無水物)に変換され、生じた無水ニコチン酸がビタミンEと反応して、ビタミンEニコチン酸エステルを生成するものである。即ち、控訴人方法も、反応性酸誘導体を経由する方法である。
(3) 右(1)(2)の対比から明らかなとおり、控訴人方法は、その具体的実施方法は勿論、その際に生起する反応の経過さえも、本件特許出願前公知の技術知識に依拠するものである。
三 控訴人等の、当審における主張は、全て争う。
1(一) 控訴人等は、本件特許明細書の特許請求の範囲には、(イ)ビタミンEにニコチン酸を反応させてビタミンEニコチン酸エステルを生成せしめる方法、(ロ)ビタミンEにニコチン酸の反応性酸誘導体を反応させてビタミンEニコチン酸エステルを生成せしめる方法、の二つの方法が記載されている故、本件特許は、ビタミンEニコチン酸エステルの製法として性質を異にする二つの方法に付与されているところ、控訴人方法は、右二方法に該当しないから、控訴人方法をもつて、本件特許発明の技術的範囲に属するとすることはできない旨主張する。
しかしながら、本件特許発明は、控訴人等の主張する如く右二方法から成立つているものでない。
本件特許発明の課題、その解決手段、本件特許請求の範囲において、出発物質の一つであるニコチン酸に関し択一的表現形式が採られていること、右択一的表現形式の趣旨、本件特許請求の範囲が右択一的表現形式を採つていても、ビタミンEニコチン酸エステルの製法として単一の発明思想を表現したものであること、は前述のとおりである。
以上の各点からして、控訴人等の本件特許発明は前記二つの方法から成立つているとする主張は、失当である。
(二) 控訴人等は、原料として遊離のニコチン酸を用いる控訴人方法が本件特許明細書中に実施例として記載されていないことを根拠に、右方法が本件特許発明の技術的範囲に属さない旨主張する。
しかしながら、控訴人等の右主張は、次の理由から失当である。
(1) 控訴人方法において採用されているエステル化の具体的手段は勿論、その際に生起する反応経過さえも、本件特許出願前公知の技術知識であつたことは前述のとおりであるから、平均的当業者は、本件特許明細書の開示により、控訴人方法を容易に実施し得る。
(2) そもそも、特許発明における特許明細書の実施例とは、特許の対象たる発明の実施の例示であるから、特許発明のあらゆる実施について記載する必要は毛頭なく、又、あらゆる実施例を記載することは不可能である。
特に、本件特許発明においては、その方法自体は公知のものであり、目的化合物であるビタミンEニコチン酸エステルが新規な医薬として優れた性質を有するから、それ故に特許されたのである。(この点のみは、控訴人等主張のとおりである。)したがつて、本件特許明細書において、公知のエステル化法の全てにわたり実施例を記載することは全く不要のことであり、又、意味のないことである。原料として遊離のカルボン酸を用いるエステル化法は、前述の如く、本件特許出願前において公知の方法であつたから、本件特許発明において、格別にその実施例を必要とする理由はない。
したがつて、単に、本件特許明細書にその実施例の記載がないとの理由だけから、控訴人方法が本件特許発明の技術的範囲に属さないということはできない。
2(一) 控訴人方法は、次の(1)ないし(4)の操作によつて行われるところ、右方法は、その反応過程において、無水ニコチン酸を経由する。
(1) ニコチン酸をピリジンに加える。
(2) 右(1)で得られた液を攪拌しながらこれにパラートルエンスルホン酸クロライドを加える。
(3) 右(2)で得られた液にビタミンEを加える。
(4) 右(3)で得られた液を室温で一時間攪拌する。
控訴人方法における、右(2)の操作の後の時点で、無水ニコチン酸が生成され、無水ニコチン酸が、右(3)の操作の後の時点で、ビタミンEと反応し、ビタミンEニコチン酸エステルを生成するのである。
右事実は、被控訴人において実施した実験によつて裏付けられている。(なお、右実験例を記載した文書は、甲第一三ないし第一六号証、第二七号証、第三〇、第三一号証である。)
(二) 被控訴人は、右主張に反する、控訴人等の当審における主張を、全て争う。控訴人等主張の主要点は、次の各点にあると解されるところ、これに対する反論は次のとおりである。
(1) 控訴人等の、本件赤外線吸収スペクトル分析に関する主張は誤りである。
(イ) 控訴人方法の、前記(2)の操作の後に得られた反応混合物を試料として赤外線吸収スペクトルを測定し、測定可能領域に現われた、一一個の吸収帯につきその解析をしたところ、右反応混合物中に含まれる物質は、ニコチン酸、パラートルエンスルホン酸クロライド、無水ニコチン酸、パラートルエンスルホン酸であることが確認され、特に無水ニコチン酸については、その特有吸収帯(1800cm-1、1730cm-1、1330cm-1および1290cm-1)が確認されている。(甲第三一号証)
元々、特性吸収帯とは、化学物質の化学構造中に存在する原子団の示す特徴的な吸収帯のことであるところ、無水ニコチン酸の化学構造、即ち、
O O
∥ ∥
―C―O―C
においては、その構造中に存在する。
O O
∥ ∥
―C―O―C―
の原子団(カルボン酸無水物基)に由来する1800cm-1および1730cm-1の波数が、カルボン酸無水物である無水ニコチン酸の最も特徴的な特性吸収帯となる。
右の、
O O
∥ ∥
―C―O―C―
なる原子団は、ニコチン酸の化学構造
O
∥
―C―O―H
中には存在しない原子団であり、したがつて、無水ニコチン酸において示される右特性吸収帯の波数は、ニコチン酸には現われるはずがないものである。
控訴人方法の反応混合物の赤外線吸収スペクトルにおいて、右原子団
O O
∥ ∥
―C―O―C―
に由来する特性吸収帯が見出される場合は、そのことのみによつて、右反応混合物中における無水ニコチン酸の存在を決定し得るのである。
(ロ) 控訴人方法の反応混合物の赤外線吸収スペクトルにおいて、右(イ)で述べた、無水ニコチン酸の特性吸収帯に加えて、更にその指紋領域に、標準無水ニコチン酸と同じ吸収帯(1330cm-1、1290cm-1)を確認している。
右指紋領域における標準無水ニコチン酸と同じ吸収帯の確認は、右(イ)で述べた、無水ニコチン酸の生成を証明する最も重要な指標である、
O O
∥ ∥
―C―O―C―
なる原子団に由来する特性吸収帯の確認に加えてなされたものであるから、右指紋領域における右吸収帯が、ニコチン酸と共通であつても、それ等が無水ニコチン酸の吸収帯であることを否定することにはなり得ない。
(なお、控訴人等は、甲第三〇号証における収率計算が不合理である旨主張するが、右主張は失当である。即ち、甲第三〇号証の目的は、控訴人方法における無水ニコチン酸、ビタミンEニコチン酸エステル各生成の確認であり、控訴人等主張にかかるモル比に関する考察は、付随的になされたものに過ぎない。又、甲第三〇号証に記載された、ビタミンEニコチン酸エステルの収率七二・七パーセントは、控訴人等主張の如きモル比を根拠として算出されているものでない。控訴人等主張の収率は、右モル比から算出されているが、そもそも収率を計算するには、目的物の主原料(控訴人方法においてはビタミンEとニコチン酸)のいずれかを基礎にするのが通常の方法であつて、控訴人等の如く主原料でない縮合剤(パラートルエンスルホン酸クロライド)を基礎として算出すること自体異常であり、失当である。しかも、甲第三〇号証における右モル比は、反応の中途段階において測定した数値であつて、反応が完全に終了した結果得られた数値ではない。したがつて、このような反応途中における数値を基に、反応完了後における収率を算出するのは、およそ不合理なことである。)
(2) 控訴人等は、控訴人方法においてはその反応過程で無水ニコチン酸は生成しない、右事実は反応速度論からみても説明し得る旨主張し、右主張は、控訴人等において、控訴人方法と本件特許実施例2とを比較実験し、その結果(乙第九四号証)を根拠とするものであるところ、右主張は、次の理由から全く誤りである。
(イ) 反応速度定数は、使用する原料、反応温度、圧力、溶媒、その他の共存物質等の要素に依存する数値であり、使用する原料が同一で、同一目的物を生成する場合であつても、溶媒、共存物質等の他の要素により異なつた値となる。それ故、反応速度定数の差異は、必ずしも反応経路の差異を示していることにはならない。このことは、対比すべき二つの方法が共に同じ一次反応(反応にあずかる原料物質が一種類であつて、反応生成物の生成速度がその物質の濃度に比例する反応)であろうと、二次反応(反応にあずかる原料物質が二種類以下であつて、反応生成物の反応速度がそれ等物質の濃度の積に比例する反応、原料物質が一種類の場合にはその濃度の二乗に比例する)であろうと、あるいは三次以上の高次反応であろうと、全く変りないことである。
(ロ) 対比する二つの方法があつて、その両者が律速段階(反応全体の内最も遅い段階)となる反応経路を同一としている場合であつても、それぞれ共存物質が異なれば、両者の反応速度定数は異なつたものとなる。即ち、同じ律速段階となる反応経路を有する二方法においても、両者の反応速度定数が常に同じであるとはいえないのである。したがつて、反応速度定数が異なることをもつて反応経路が異なるかの如くいうことは誤りである。
(ハ) 控訴人等が、その実験の対象とした、控訴人方法と本件特許実施例2とは、そもそも、使用する原料において無水ニコチン酸とニコチン酸とが相違し、パラートルエンスルホン酸クロライドの有無、反応温度等の反応条件において、異なるものである。(ただ、ビタミンEの使用量と温度のみは同一条件で行われている。)
反応速度定数は、前述のとおり、使用する原料、溶媒その他の他の共存物質等により異なつたものとなるのであるから、両者が、無水ニコチン酸とビタミンEとの反応によるエステル化において共通していても、控訴人方法と本件特許実施例2とは、当然、その反応速度定数を異にする。したがつて、このように当然に相違する二つの反応速度定数を、そのままの形で比較すること自体、何等意味を持たない。
控訴人等は、その実施した実験(乙第九四号証)に基づき、控訴人方法の反応速度定数は二四であり、本件特許実施例2の反応速度定数は六であるというが、その数値自体の正否はさて置き、反応速度定数の前述の如き性質からすると、控訴人等が自ら算出した、右二つの反応速度定数の差異に格別の意味を持たせようとしても、右数値間の差異は、所詮右二つの方法が原料において無水ニコチン酸とニコチン酸の差異があること、およびパラートルエンスルホン酸クロライドの有無に差異があること、を表す以外の何物でもない。したがつて、控訴人等実施の右実験により、右二つの方法における各反応速度定数を比較してみたところで、控訴人方法が無水ニコチン酸とビタミンEが反応しビタミンEニコチン酸エステルを生成する事実を否定することはできない。
なお、反応速度定数は、単位濃度の反応物質を反応させたときの反応速度の数値に当るものであるところ、反応速度は、使用する原料、反応温度、圧力、溶媒、触媒その他の共存物質等の要素に依存するものであるから、結局、反応速度定数も、反応速度に関する右各要素に依存する数値ということになる。
(3) 控訴人等は、薄層クロマトグラフイーにおける、控訴人方法中の反応溶液と無水ニコチン酸との高さが異なり、この点から、右反応溶液中の物質が無水ニコチン酸と同一物質でないことが断定された旨主張する。
しかしながら、控訴人等の右主張は、全く理由がない。
薄層クロマトグラフイーにおいては、物質のスポツトの示す位置(Rf値で表わす。)は、単独の場合と共存物質が存在する場合とで、しばしば異なつたものとなる。
現に無水ニコチン酸純品の示す薄層クロマトグラフイーのスポツトの位置と、この無水ニコチン酸に控訴人方法の前記(1)および(2)の操作で得られる反応混合物を共存させたときに現われるスポツトの位置とは、相異なる。したがつて、無水ニコチン酸の単独で得られたスポツトの高さと控訴人方法の反応溶液で得られたスポツトの高さが違うことを理由にして、控訴人方法の反応溶液中の物質が無水ニコチン酸と同一物質でないと断定することはできない。
(4) 控訴人等は、控訴人方法における反応中間体はニコチノイル―P―トルエンスルホネート(以下単にTNという。)であつて、無水ニコチン酸でない旨主張する。
しかしながら、控訴人方法における無水ニコチン酸の生成は、控訴人等の右主張によつて何等否定されるものでない。
(イ) 控訴人等主張にかかる反応中間体が、控訴人等のいうTNであるか否かはさて置いても、右物質は、控訴人等の主張自体から明らかなとおり、控訴人方法とは全く関係のない原料を用いて控訴人方法とは全く無縁の反応により製造された物質であるから、右反応中間体としてTNと称する物質を捕捉し得たとすること自体本件の審理とは全く無縁のことである。
即ち、控訴人等は、反応中間体として予測した物質、TNを合成するため、わざわざニコチン酸クロライドとパラートルエンスルホン酸銀を、それぞれ別個に調整し、右両者を反応させて、TNと称する淡黄色柱状結晶を製造しているが、そもそも控訴人方法の反応過程における無水ニコチン酸の生成の有無が争われている本件において、控訴人方法以外の全くこれと無縁の方法によりTNと称する物質を製造し、これを捕捉したということ自体全く意味のないことである。
控訴人等の主張によるとしても、問題は、控訴人方法において控訴人等のいう中間生成物TNが生成するか否かということであつて、控訴人方法以外の方法においてTNが生成するか否かということではない。控訴人等が、控訴人方法の反応中間体は無水ニコチン酸ではなくTNであるというのであれば、控訴人方法の前記(1)、(2)の操作の後の時点でTNを捕捉し、そのTNが右方法の前記(3)、(4)の操作で、ビタミンEと反応し、ビタミンEニコチン酸エステルを生成するものであることを立証する以外にない。しかるに、控訴人等は、控訴人方法と無縁の方法においてTNと称する物質を捕捉したと述べているに過ぎないのであるから、そのような物質が何であれ、控訴人方法の中間生成物と何等関係を有しないことは、およそ論ずるまでもない。
なお、控訴人等がTNと称している物質自体、TNそのものであるか否か疑わしい。何故ならば、控訴人等は、右TNなる物質を、単に元素分析と赤外線吸収スペクトル分析のみによつて、これがTNであると結論しているだけであるところ、およそ物質の同定確認は、右二分析のみによつては到底なし得ないからである。
(ロ) 控訴人等の主張に反し、試薬P―ニトロアニリンは、ピリジン中で無水ニコチン酸と反応し、N―(P―ニトロフエニル)―ニコチン酸アミド(NPNAと称する。)を生成する。一方、控訴人方法の前記(1)、(2)の操作の後の時点で、右反応溶液に右試薬を添加すると、右無水ニコチン酸に右試薬を添加した場合と全く同じようにNPNAが得られる。右事実は、控訴人等の右主張に反し、かえつて、控訴人方法における無水ニコチン酸の生成を示すものである。
控訴人等
一 被控訴人の、当審における主張一1の内本件特許発明がビタミンEとニコチン酸とを結合させて新規なビタミンEニコチン酸エステルを創製することにある点は認めるが、その余の主張は争う。同一2の内本件特許発明の構成要件が被控訴人主張のとおりの(1)ないし(3)からなつている点は認めるが、その余の主張は争う。同一3(一)の事実は認めるが、同(二)、(三)の主張は争う。同二の内本件特許明細書の特許請求の範囲に「ビタミンEにニコチン酸又はその反応性酸誘導体を反応させることを特徴とするビタミンEニコチン酸エステルの製法」と記載されている点、控訴人方法がその具体的実施において、出発物質ニコチン酸をピリジンに溶解し、これにパラートルエンスルホン酸クロライドを加え、その後これにビタミンEを加えて反応を行わしめ、もつて目的物質ビタミンEニコチン酸エステルを得ている点、は認めるが、その余の主張は全て争う。
二1(一) 本件特許発明の特許請求の範囲については、前述のとおり、「ビタミンEにニコチン酸又はその反応性酸誘導体を反応させることを特徴とするビタミンEニコチン酸エステルの製法」と記載されており、これは、本件特許発明が次の二つの方法であることを示している。
(1) ビタミンEにニコチン酸を反応させてビタミンEニコチン酸エステルを生成せしめる方法。(以下直接法と称する。)
(2) ビタミンEにニコチン酸の反応性酸誘導体を反応させてビタミンEニコチン酸エステルを生成せしめる方法。
しかし、本件特許明細書の発明の詳細な説明には、「本発明は、……ビタミンEとニコチン酸を公知の方法、例えば酸クロライド法、酸無水物法などでエステル結合させることを特徴とする」と記載されているのであり、右説明の実施例1には、ニコチン酸クロライドにビタミンEを反応させる酸クロライド法、実施例2には、無水ニコチン酸とビタミンEを反応させる酸無水物法の各実施例が例示してあるにとどまり、ニコチン酸を遊離のままビタミンEと反応させる前記直接法については、何等それ以上具体的な記載はない。
(二) 特許法三六条四項は、特許明細書の発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が、容易にその実施をすることができる程度に、その発明の構成を記載しなければならない旨規定している。独占的実施権が保障される特許は、出願人が完成した発明につき、右明細書により、当業者が容易に発明を実施し得る程度に十分な開示をなすことを条件に、いわばその対価として与えられるものである。発明の開示に際し、自明な事項については省略することが許されるが、右自明な事項とは、出願時の技術水準において、更に文献調査実験等をして研究するまでもなく、当業者が周知の知見として知得しているため、あらためて、その点につき説明教示を加える必要がない事項をいうと解すべきである。
したがつて、前記法条は、右自明な事項でない限り、発明の開示は、平均的当業者が特許明細書の開示により、容易に発明を実施することができる程度に、発明の構成(化学物質の製法特許においては、原料、処理手段、目的物)の記載を命じたものというべきものである。
(三)(1) 本件特許明細書の発明の詳細な説明の前記記載によると、本件特許発明は、その方法自体は公知のもので格別新規な特許性はないが、目的化合物であるビタミンEニコチン酸エステルが新規な医薬として優れた性質を有する故をもつて特許されたものであり、所謂化学的類似方法の特許である。
右の如き、化学的類似方法の特許においては、その処理手段は公知の方法によることを特色とするのであるから、特許明細書の発明の詳細な説明中の実施例において、具体的な処理手段を特定し開示することは、特に重要性を持つのである。
(2) 特に本件においては、遊離のニコチン酸とビタミンEとを直接反応させてもエステル化反応が進行しないのであつて、処理手段に何等かの反応促進剤(縮合剤、触媒等)としての第三物質を添加して初めて反応が進行する点に特異性がある。
しかるに、本件特許発明においては、直接法につき、特許請求の範囲に、この反応促進剤(触媒等)を用いることの記載さえなく、実施例も挙示されていない。
即ち、本件においては、直接法がニコチン酸とビタミンEを直接反応させエステル結合させるために、いかなる方法をもつてするのか、即ち、反応促進剤(縮合剤、触媒等)を用いずとも直接ニコチン酸とビタミンEを反応させる方法があるのか、又は、これ等の反応促進剤を用いるのか、用いるとすれば、その際の反応促進剤はいかなるものをどのような方法で用いるのか等、数多くの公知のエステル結合の方法の中から具体的方法を、実施例を用いて開示する必要が大である。
このことは、化学の分野では、ある物質が順次反応する場合に、どのような物質が生成するか、理論的に予想することが困難で、実験のみがこれを明確にし得るという、化学反応の予見困難性からしても、当然要請されるといわねばならない。
(3) およそ、特許発明の効力のおよぶ範囲を認定するには、特許明細書に記載されたものの内、主観的な記載事項にとらわれることなく、当該特許発明者が真に解決したものが何であるかを探究し、出願当時に厳密にさかのぼつた平均的技術知識を有する当業者の客観性ある知識水準を想定して特許請求の範囲を読み、もつて、当該特許発明の技術的範囲を画定し、これに照らして、対象方法が当時実現困難視されていた技術を解決したものと認めるか否かを判断すべきである。
これを本件に即していうならば、控訴人方法が、本件特許発明の技術的範囲に属するか否か、換言すると、右方法が本件特許発明に抵触するか否かは、出願者の意図や特許庁の審査の経過ないしその意思解釈を考慮することなく、客観的に本件特許明細書の記載のみから公開された技術、即ち、出願時における当業者の平均的知識をもつて容易類推できたかどうかを、公知公用の部分を除外して新規な考案の趣旨を明らかにすべく、これを本件の如き化学的類似特許の特徴に照して、判断すべきである。
右判断に際して、重視されるべきは、次の事実である。
(イ) 本件特許発明においては、前記の如く、本件特許明細書の発明の詳細な説明に、直接法につき、いかにして直接にエステル結合するか、あるいはいかなる反応促進剤を用いるか等につき、全く記載がないこと。
(ロ) 世界的に権威のある化学文献抄録誌ケミカルアブストラクト誌上の昭和三六年頃までの記事には、ビタミンE又はニコチン酸に関し、反応性酸誘導体を原理とする成功例のみが収載されており、直接法は一例も見当らないこと。
(ハ) 直接法でビタミンEニコチン酸エステルの生成に成功した事例が全く存しなかつたこと、又、直接法では、右エステルの合成ができなかつたこと。
(ニ) 被控訴会社取締役研開本部長山岸敦においても、昭和五〇年六月二日当時、直接法による右エステル化法が困難であることを自認していたこと。
(ホ) 被控訴人が依頼した昭和薬科大学においてさえ、昭和五〇年当時、直接法ではビタミンEとニコチン酸のエステル結合が容易にできなかつたこと。
(ヘ) 昭和四七年一〇月三日出願された、オロチン酸ビタミンEエステルの製造法についての特許公報(乙第九二号証の三)の如く、特許請求の範囲に「オロチン酸(本件のニコチン酸に相当)又は、その反応性誘導体にビタミンEを反応させることを特徴とするオロチン酸ビタミンEエステルの製造法」と、その発明の詳細な説明には、「オロチン酸又は、その反応性誘導体にビタミンEを反応させるとは、公知のエステル化法、例えば、酸ハライド法、酸無水物法、直接縮合法等でエステル化することを指し」と、各記載され、かつ、直接法の具体的実施例、特に直接縮合法が「公知のエステル化法」として記載されているものと、本件特許発明の如く、直接法が特許請求の範囲に記載されながら、発明の詳細な説明に記載されず、かつ、直接法の具体的実施例が記載されていないものとは、根本的に、特許の技術的範囲が異なること。
(四) 以上の各点を総合すると、本件特許発明は、公知の方法を処理手段として用いる化学的類似方法の特許でありながら、直接法について具体的に開示されておらず、そのため、本件特許出願時における当業者は、本件特許明細書の記載のみでは直接法によるニコチン酸とビタミンEとをエステル化する方法を到底容易類推することができないというべく、したがつて、右直接法は、本件特許発明の技術的範囲に入らない、換言すると、控訴人方法は、本件特許発明に抵触しないというべきである。
又、控訴人方法は、後記のとおりその反応過程で無水ニコチン酸を生成しないから、原判決がいうような、控訴人方法中に本件特許発明の要旨が一体性を失うことなく含まれている、ということもない。
2(一) 被控訴人は、控訴人方法においては原料ニコチン酸がピリジン中でパラートルエンスルホン酸クロライドにより無水ニコチン酸(酸無水物)に変換され、生じた無水ニコチン酸がビタミンEと反応して、ビタミンEニコチン酸エステルを生成する、即ち、控訴人方法も、反応性酸誘導体を経由する方法であり、それ故、控訴人方法は、本件特許発明の実施例2をそのまま実施していることになる旨主張するところ、右主張は全て争う。
控訴人方法は、その反応過程において、無水ニコチン酸を生成しない。
(1) 被控訴人の右主張は、被控訴人において実施した、赤外線吸収スペクトル分析の結果(甲第三〇、第三一号証)に基づくところ、右分析結果によつては、その主張にかかる、控訴人方法の反応過程において無水ニコチン酸を生成するとの事実を証明することができない。
(イ) 被控訴人実施の右分析の結果(甲第三〇号証)においては、ニコチン酸について現われている吸収と無水ニコチン酸について現われている吸収が同結果であるのに、これについて考慮を払わないまま、性急に無水ニコチン酸と断定している。右結論は、赤外線吸収スペクトルの十分な解析によるとはいえない。
(ロ) 被控訴人実施の右分析の結果(甲第三一号証)においては、赤外線吸収スペクトルにおける使用不能領域(測定不能領域)が、全く無視されている。
全ての溶媒は、赤外線吸収スペクトルの少くとも数個所に強い吸収を持つており、その吸収のために利用できないスペクトル領域(使用不能領域)を持つているところ、控訴人方法は、ピリジン溶液中の反応が問題となつているので、ピリジンの使用不能領域が関係して来る。
しかして、ピリジンの使用不能領域は、3500cm-1―3000cm-1、1620cm-1―1420cm-1、1230cm-1―980cm-1、780cm-1―650cm-1、である故、ピリジンの右使用不能領域を無水ニコチン酸等本件で関係ある物質に当てはめてみる(乙第一〇三号証)と、被控訴人主張にかかる指紋領域の大部分は、右使用不能領域に隠れてしまう。例えば、無水ニコチン酸に関してみると、指紋領域における、無水ニコチン酸確認のための最も重要な波数1230cm-1―980cm-1および780cm-1―650cm-1は、いずれも、右使用不能領域により隠れてしまい、物質確認の指標とは全くなり得なくなつている。
右の点からして、被控訴人の前記分析の結果は、無水ニコチン酸の確認に対し、何等価値を持たない。
(ハ) 赤外線吸収スペクトルにおいて、あるグループ(例えば、水酸基とかニトロ基)に特有な範囲に現われ、強度も割に大きくて、そのグループの確認に有効な吸収帯のことを特性吸収帯と呼び、右特性吸収帯の位置や強度により、どのような基が、どのような状態で存在しているかが推定される。しかしながら、右特性吸収帯の利用も、それにより、あるグループの確認はできるが、更にそのグループ内のどの物質かという確認までには至らない。即ち、特性吸収帯は、未知物質のスペクトルの分析には便利であるが、しかし、右スペクトルの性質だけでは、この官能基について、それ以上のいずれであるかを知ることはできない。右のような場合には、これ等のいずれであるかを判定するには、右判定に役立つ他の吸収を詳細に検討したり、又、従来の定性反応や溶解度試験等を併用して判断しなければならない。
右見地に基づいて、被控訴人の前記分析の結果(甲第三一号証)における特性吸収帯について検討すると、右特性吸収帯のみでは、その官能基が確認されるにとどまり、本件反応溶液中には、結局、カルボニル基が存在することを示すに過ぎない。即ち、ニコチン酸、無水ニコチン酸、TNは、いずれも、右カルボニル基を持つのであるが、被控訴人の右分析の結果のみでは、本件反応溶液中に含まれる物質が右カルボニル基中のどの物質であるか区別することはできない。
被控訴人の右分析の結果について、更に注意すべきは、右分析が溶液中の物質の確認ということであり、しかも混合溶液中の物質の確認ということである。控訴人方法によつて生じる混合溶液中には、溶媒としてのピリジンのほかに、ニコチン酸、パラートルエンスルホン酸クロライド等のほか、反応に通常生ずる副生物が存在する。したがつて、本件赤外線吸収スペクトルには、溶媒としてのピリジンによる前記使用不能領域による影響があるのはもとより、更に多数の共存物質の吸収も重なつて出るため、一層その分析は困難となり、物質の同定確認は困難の度を増すといわねばならない。
結局、赤外線吸収スペクトルを用いて、混合溶液中の単一物質を同定確認することはできないのであり、又、特性吸収帯および指紋領域の両吸収帯の同定確認ができなければ、単一物質を同定確認することはできない。
更に、被控訴人において、無水ニコチン酸の特性吸収帯と主張する吸収帯が、無水ニコチン酸に限られず、TNにも共通であること、後述のとおりである。
(なお、甲第三〇号証は、その内容において、甲第三一号証の追試としての意味を持つものであるから、甲第三〇号証に記載された結論に対しては、甲第三一号証について述べたところがそのまま妥当する。更に付言するならば、甲第三〇号証には、その収率計算において致命的な欠点がある。即ち、甲第三〇号証によれば、ビタミンEニコチン酸エステルの収率は七二・七パーセントであるところ、右収率は、無水ニコチン酸の生成量とパラートルエンスルホン酸クロライドの消費量のモル比が一対一・六ないし一・七であることを根拠に算出されたものである。しかしながら、右計算は、化学常識上およそ考えられない非常識なものである。理論モル比一対一の収率は一〇〇パーセントであるから、甲第三〇号証の如く、精製されたパラートルエンスルホン酸クロライドおよび脱水したピリジンを用いた際の収率も、これと同じでなければならないはずである。しかるに、甲第三〇号証によると、一対一・六ないし一・七のモル比の場合の収率は、一一六・三パーセントないし一二三・六パーセントと計算される。右計算は、逆にいえば、理論収率において一〇〇パーセントであるものが、一一六・三ないし一二三・六パーセントにもなることになり、全く化学的には説明がつかず、その常識をこえるものである。この点からしても、甲第三〇号証は、控訴人方法において無水ニコチン酸が生成するという事実に対し、何等証拠価値を持たないというべきである。)
(2) 控訴人方法においては、その反応過程で、無水ニコチン酸を生成しない。右事実は、反応速度論からも説明できる。
(イ) 化学反応の起る仕組を理解する適切な手段として、反応速度論がある。
一般に、化学反応は、一つの反応釜においても、反応式に示されるが如き一段階で完結するものでなく、いくつかの段階の反応から成立つている場合が多い。これ等の各段階の反応は、それぞれ異なった反応速度で進行するが、その内最も遅い反応(律速段階)が、この反応全体の反応速度を規制する。
そして、この全体としての反応速度は反応速度式で表わされ、反応速度定数の大小をもつて、各反応の速度を比較することができ、化学的常識として、反応速度が異なる場合は、反応そのものが全く異なつていると判断できるのである。
(ロ)(i) 控訴人等において実施した実験によれば、控訴人方法も本件特許発明実施例2も、それぞれの持つ反応速度定数値がほぼ一定であるから、共に二次反応であることが確認された。(右実験結果は、乙第九四号証に記載)
ここにいう二次反応とは、その生成物の生成速度が、原料成分中の少くとも二つの分子種の濃度の積によつて決まる場合を指すが、ここで重要なのは、「二つの分子種」という点である。
控訴人方法においては、ニコチン酸、パラートルエンスルホン酸クロライドとビタミンEとの「三つの成分素」が用いられている三分子反応でありながら、反応次数は二次である。そして、この反応次数が二次であるということは、控訴人方法と本件特許実施例2とが、共に二次反応であるところから、右両方法における反応速度定数の比較が可能であることを意味する。
(ii) しかして、右実験結果によれば、控訴人方法の反応速度定数は約二四、本件特許実施例2のそれは約六であつて、反応の進行は、控訴人方法の方が格段に速い。右反応速度定数は、前述のとおり、反応全体内の律速段階の反応速度によつて支配されるところ、本件特許発明実施例2では、その反応において反応速度定数値を六に規制する律速段階が存在することを意味する。他方、控訴人方法の反応速度定数値は、右実施例2よりも大きく、右実施例2に含まれる律速段階は存在しない。即ち、もし、控訴人方法の反応過程において、無水ニコチン酸が生成されるならば、控訴人方法においても、反応速度定数値は、六、又は、少くとも六以下にならなければならない。しかるに、控訴人方法における反応速度定数値は、前述のとおり、約二四であるから、控訴人方法中では無水ニコチン酸が生成しないということになる。
控訴人方法と本件特許発明実施例2の反応速度定数値が、右の如く異なるということは、右両反応は、単に反応が異なるというにとどまらず、全く反応経路が異なるということを示している。
なお、反応速度と反応速度定数とは異なる。
反応速度定数は、その定数という用語が示すとおり、温度や濃度とかの条件が異なつても、算出されるものであつて、しかも、一次式とか二次式とかの同一次式の反応であれば、この定数を比較することによつて、その違いから反応機構を探ることができるものである。したがつて、右反応速度定数は、使用する原料、反応温度、圧力、溶媒、触媒等に依存する数値ではない。右使用する原料、反応温度、圧力、溶媒、触媒等の反応条件によつて変化するのは反応速度である。したがつて、反応速度と反応速度定数を混合することは許されない。
(3) 更に、加えて、控訴人等において実施した、薄層クロマトグラフイーによる実験によつても、控訴人方法の反応過程に無水ニコチン酸が生成していないことが確認された。(右実験結果は、乙第一一九号証に記載)
薄層クロマトグラフイーにおいては、物質により展開された後の示す点の高さが同一である場合には同一物質であることが推定されるところ、右実験において、この種の実験に通常用いられる薄層クロマトグラフイー用のシートを使用し、これに無水ニコチン酸と控訴人方法中の反応溶液を並べてスポツト(しみ込ませること)し展開させた結果、右両者の高さは、全く異なつた。
右実験の結果は、薄層クロマトグラフイーの右効用からみて、控訴人方法中の反応溶液は無水ニコチン酸と同一物質でないことを示すものである。
(4) 控訴人方法の反応過程において生成する反応中間体は、ニコチノイル―P―トルエンスルホネート(以下単にTNという。)である。即ち、控訴人等は、実験により、控訴人方法の反応溶液中の物質を捕捉し、それが無水ニコチン酸ではなく、新規物質TNであることを証明できた。
(イ) 控訴人等は、実験によりTNを合成した。(右実験については、乙第一〇九号証に記載)
右実験の要点は、次のとおり。
(i) ニコチン酸からクロライドの合成。
ニコチン酸から、常法により、ニコチン酸カリウムを作出し、これとオギザリンクロライドから、ニコチン酸クロライドを作出。
(ii) パラートルエンスルホン酸銀の合成。
硝酸銀から酸化銀を作出し、これとパラートルエンスルホン酸を反応させ、銀塩を作出。
(iii) 右(ii)と(i)を反応させ、淡黄色柱状結晶を得た。
なお、右実験において、原材料等が控訴人方法のとおりでないことは関係がない。蓋し、右実験は、TNが合成できるか否かの実験だからである。
(ロ) 控訴人等は、右物質がTNであることを、次の方法により確認した。
(i) TNの構造の場合の分子式である、C13H11O4NSの元素の値と実測値が一致する。
(ii) ヌジヨール法で赤外線吸収スペクトルを測定したところ、その結果は、TNの構造と矛盾しない。
なお、右赤外線吸収スペクトルの測定によると、TNにおいても、1800cm-1、1738cm-1に吸収を示す。このことはTNも無水ニコチン酸と同様に、1800cm-1と1738cm-1に吸収を有することを示すものである。したがつて、右吸収は、無水ニコチン酸のみのもの特性吸収帯でなく、TNの特性吸収帯でもあることを示し、被控訴人の、右特性吸収帯は無水ニコチン酸のみのものであるとする主張が誤りであることを証明している。
(iii) 試薬P―ニトロアニリンによる反応。
右試薬は、TNと強く反応し、N―(P―ニトロフエニル)ニコチン酸アミドを生ずるが、無水ニコチン酸とは全く反応しない。右試薬をTNでなく、控訴人方法における反応溶液に反応させたところ、TNの場合と同じ反応を示した。
(iv) 試藤DBC(二・六―ジ―三級―ブチル―P―クレゾール)による反応。
試薬P―ニトロアニリンに代り試薬DBCを用いて実験した結果、控訴人方法の反応溶液中には無水ニコチン酸は存在せず、TNが存在することが確認された。(右実験結果は、乙第一五一号証の一、二に記載)
以上の結果、控訴人方法の反応中間体は、TNであつて、無水ニコチン酸でないことが証明された。
なお、TNは、新規物質であり、その分子式、構造式等は、別紙のとおりである。
(証拠関係)<省略>
理由
一 当裁判所も、被控訴人の本訴請求は全てこれを認容すべきものと判断するが、その理由は、次に付加訂正するほかは原判決の理由説示と同じであるから、これを引用する(但し、原判決二三枚目表一〇行目(編注、九巻一号七〇頁八行目)の「カルボン酸を」とあるのを「カルボン酸と」と訂正する)。
二 被控訴人において、控訴人方法は本件特許発明の構成要件の全てを具備する、したがつて、右方法は本件特許発明の技術的範囲に属し、本件特許発明の実施に相当する旨主張する。よつて、先ず、この点につき判断する。
(一) 本件特許発明がビタミンEとニコチン酸とを結合させて新規なビタミンEニコチン酸エステルを創製するにあること、本件特許明細書の特許請求の範囲に「ビタミンEにニコチン酸又はその反応性酸誘導体を反応させることを特徴とするビタミンEニコチン酸エステルの製法」と、右明細書の発明の詳細な説明に「本発明は、……ビタミンEとニコチン酸を公知の方法例えば酸クロライド法、酸無水物法などでエステル結合させることを特徴とするビタミンEニコチン酸エステルの製法に関するものである」と、各記載されていること、本件特許発明の構成要件が、(1)原料(イ)ビタミンE(ロ)ニコチン酸又はその反応性酸誘導体、(2)処理手段右(イ)と(ロ)を反応させる、(3)目的物質ビタミンEニコチン酸エステル、から成つていること、控訴人方法が原判決添付目録(同上、八九頁)記載のとおりであること、即ち、控訴人方法は、(1)ニコチン酸をピリジンに加える、(2)右(1)で得られた液を攪拌しながらこれにパラートルエンスルホン酸クロライドを加える、(3)右(2)で得られた液にビタミンEを加える、(4)右(3)で得られた液を室温で一時間攪拌する、との操作によつて行われること、したがつて、控訴人方法が、(1)′原料(イ)ビタミンE(ロ)ニコチン酸、(2)′処理手段右(イ)と(ロ)をパラートルエンスルホン酸クロライドの存在下に反応させる、(3)′目的物質ビタミンEニコチン酸エステル、から成つていること、は当事者間に争いがない。
(二) 本件特許明細書の発明の詳細な説明に、前記のとおり「本発明は、……ビタミンEとニコチン酸を公知の方法例えば酸クロライド法、酸無水物法などでエステル結合させることを特徴とするビタミンEニコチン酸エステルの製法に関するものである」と記載してあり、その実施例1として、ニコチン酸クロライドにビタミンEを反応させる酸クロライド法、実施例2として、無水ニコチン酸とビタミンEを反応させる酸無水物法の各実施例が示してあること、それ故、右発明の詳細な説明においては、ニコチン酸の反応性酸誘導体としてニコチン酸クロライドと無水ニコチン酸が例示されていること、しかし、ニコチン酸を遊離のままビタミンEと反応させる場合(これを直接法という。)については、右発明の詳細な説明中に何等それ以上具体的な記載がされていないこと、は原判決認定(同判決二一枚目表一行目「成立に争いのない」から同末行「ていない。」まで(同上、六八頁一一行目から一七行目まで)。)のとおりである。
(三) 特許発明の権利範囲(技術的範囲)の確定に当つては、特許明細書中の特許請求の範囲の記載のみならず、当該特許発明の性質、目的、又は、右明細書中の発明の詳細な説明の記載をも勘案して、実質的にその特許発明の要旨を認定するのを相当とするところ、本件特許明細書の特許請求の範囲および発明の詳細な説明についての前記各記載からすると、本件特許発明の要旨は、ビタミンEに、ニコチン酸をニコチン酸クロライドあるいは無水ニコチン酸等の反応性酸誘導体に変えて反応させ、よつて、ビタミンEニコチン酸エステルを生成せしめる方法であると解するのが相当であり、本件特許明細書全体の記載内容および成立に争いのない甲第二号証(本件特許公報)から認められる、本件特許発明がビタミンEのニコチン酸エステルの製造を目的とするものである点を総合すると、本件特許請求の範囲についての「ニコチン酸又はその反応性酸誘導体」なる記載は、二つの発明を並列的に示したものではなく単一の発明思想を実施方式を借り表現したものと解するのが相当である。
右説示に反する、控訴人等の、この点に関する主張は、理由がなく採用することができない。
2(一) 控訴人方法の特徴が、
(1) ニコチン酸一・五キログラムをピリジン一〇リツトルに加え、攪拌しながら、これにパラートルエンスルホン酸クロライド二・三キログラムを加える(これを前段の操作という。)
(2) 右反応混合物に、ビタミンE五・〇キログラムを加え、室温で一時間攪拌を続ける(これを後段の操作という。)
にあること、控訴人方法において用いられる、パラートルエンスルホン酸クロライドが、エステル化反応における脱水剤又は縮合剤として使用されているものと解されること、各種実験の結果(成立に争いのない甲第一二ないし第一六号証、第二八号証、第三〇ないし第三二号証)を総合すると、結局、控訴人方法においては、その前段の操作により、ピリジン中のニコチン酸の大部分が、縮合剤として加えられるパラートルエンスルホン酸クロライドの作用により無水ニコチン酸を生成し、右無水ニコチン酸と他になお残つている若干のニコチン酸とパラートルエンスルホン酸クロライド等から成る混合反応液中に、後段の操作として、ビタミンEが加えられることにより、ビタミンEニコチン酸エステルが生成すると認め得ること、就中右各種実験の内被控訴会社の昭和五一年六月一日付実験報告書(甲第三一号証)には、同会社の右実験担当者が、右実験の結果により、控訴人方法において、パラートルエンスルホン酸クロライドを加えた後に得られた反応混合物を試料として赤外線吸収スペクトルを測定し、測定可能領域に現れた一一個の吸収帯につきその全てを解析して、それ等の吸収帯が如何なる物質に由来するものであるかの検討をなし、この反応混合物中に含まれる物質が、ニコチン酸、パラートルエンスルホン酸クロライド、無水ニコチン酸、パラートルエンスルホン酸であることを確認し、特に、無水ニコチン酸については、その特有吸収帯の全てである、1800cm-1、1730cm-1、1330cm-1および1290cm-1を、パラートルエンスルホン酸クロライドを加えた後の反応混合物の赤外線吸収スペクトルにおいて確認し、更に、右実験の解析により、パラートルエンスルホン酸クロライドを加えた後の反応混合物を減圧濃縮して得られる黄褐色固形物を試料とした赤外線吸収スペクトルが、減圧濃縮前の試料の赤外線吸収スペクトルとその一一個の吸収帯において変りがないことを確認し、減圧濃縮の前後において反応混合物の成分に変化のないことを結論した旨記載されていること。しかして、被控訴会社の昭和五〇年一二月二六日付実験報告書(甲第一三号証)により、右減圧濃縮によつて得られる物質が無水ニコチン酸であることが既に確認されていること、東京大学農学部農芸化学科山内邦男教授等実験報告書(甲第三〇号証)には、「ニコチン酸一・五キログラムをピリジン一〇リツトルに加え、攪拌しながらこれにパラートルエンスルホン酸クロライド二・三キログラムを加え、その一〇分後ビタミン五・〇キログラムを加え、室温で一時間攪拌を続ける。」というビタミンEニコチン酸エステルの製造法についての実験方法として、(1)15gのニコチン酸(東京化成工業、G・R)を300ml容平底フラスコに採り、これにピリジン(和光純薬、G・R)100mlを加え、マグネテツクスターラーで攪拌しながら、23gのパラートルエンスルホン酸クロライド(半井化学薬品、G・R)を加えて、反応を開始した(第一段階)。(2)次に第一段階の反応開始後にビタミンE(dl―α―トコフエロールRoche社製)50gを加え、一時間攪拌を続けた(第二段階)。右(1)、(2)の実験を全て室温にて行い、赤外線吸収スペクトルによる反応成分の分析による測定を行つたうえ、第一段階に関し、反応時間五分および一〇分におけるニコチン酸消費量と無水ニコチン酸生成量について、そのモル比を計算すると、
(0.122-0.029):0.045……5分後
(0.122-0.021):0.050……10分後
となり、約二対一であつて、これは反応式によるモル比と一致することを確認し、第一段階で、ニコチン酸の約八二パーセントが無水ニコチン酸に転換し、無水ニコチン酸に転換されたニコチン酸の量と未変化のニコチン酸の量との合計は、使用したニコチン酸の量の九九・二パーセントとなること、これによりニコチン酸は無水ニコチン酸のみに転換したこと、無水ニコチン酸生成量とパラートルエンスルホン酸クロライド消費量についてモル比を計算すると、約一対一・六ないし一・七となること、これが理論比一対一と一致しないのは、使用したパラートルエンスルホン酸クロライドは特級品であるが、それ自身不安定な試薬であるため、既に一部はパラートルエンスルホン酸に変換していたことと、使用した市販ピリジン(G・R)は水約〇・二パーセント(〇・〇一モル)を含有するものであるので、パラートルエンスルホン酸クロライドの一部がパラートルエンスルホン酸に変換したと考察されること、第二段階に関し、反応時間七〇分(ビタミンE添加六〇分後)におけるビタミンEニコチン酸エステルの収率は七二・七パーセントであつたことを確認した後、結論として、前記製法は、第一段階において、ニコチン酸とパラートルエンスルホン酸クロライドとが反応して無水ニコチン酸が生成する、第二段階において、第一段階で生成した無水ニコチン酸がビタミンEと反応してビタミンEニコチン酸エステルを生成する、という反応によるものである、以上の報告が記載されていること、被控訴会社の昭和五一年六月八日付実験報告書(甲第三二号証)には、同会社の右実験担当者において、先ず実験1として控訴人方法の追試を行い、これにより得られたビタミンEニコチン酸エステルが46.1gであることを赤外線吸収スペクトル分析、核磁気共鳴スペクトル分析および質量スペクトル分析により同定し、ビタミンE50gの全てがニコチン酸と反応してビタミンEニコチン酸エステルに変換されたとき(即ち、収率一〇〇パーセントのとき)の量が62.2gになることを算出し、ビタミンEから計算した精製後のビタミンEニコチン酸エステルの収率が七四・一パーセントとなることを確認したうえ、次いで、実験2として、控訴人方法における反応と同じ条件下で、控訴人方法のニコチン酸にかえて無水ニコチン酸を用いる実験を行い、得られたビタミンEニコチン酸エステル44.9gを右実験1の場合と同じく赤外線吸収スペクトル分析、核磁気共鳴スペクトル分析および質量スペクトル分析により同定し、右実験1の場合と同様の方式により精製後のビタミンEニコチン酸エステルの収率を求めたところ、七二・二パーセントとなつた旨記載されていること、右実験結果から、右実験1による収率七四・一パーセントと実験2による収率七二・二パーセントとは一致しないが、大差なく、近似しているといえること、以上の事実は、原判決認定(同判決二六枚目裏四行目(編注、九巻一号七三頁一行目)「三被告方法の検討」から同三七枚目裏末行(同上、八二頁一二行目)「られない。」まで、および同四一枚目表七行目(同上、八五頁六行目)「(一三)、以上の事実」から同裏二行目(同上、八五頁一〇行目)「が出来る。」まで。)のとおりであるところ、原判決が右引用にかかる部分認定のため挙示した各証拠に、当審において提出された、原本の存在、成立とも争いのない甲第五三、第五四号証、第五五号証の一、当審証人貴島静正の証言および弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五五号証の二、右証人の証言を付加する。
そして、右認定に反する、当審証人中山修二の証言、乙第一五九号証の一ないし三中の供述記載は、右各証拠と対比してにわかに信用することができず、他に控訴人方法の反応過程および、その中間生成物に関する右認定を覆えすに足りる的確な証拠はない。
(二) 即ち、
(1) 当審証人中山修二の証言により真正に成立したものと認められる乙第一四三号証(控訴会社藤本製薬製造部藤本導太郎外一名作成の昭和五四年五月二五日付実験報告書)には、右文書の作成者等において、控訴人方法前段の溶液中にどのような反応生成物ができているかを赤外線吸収スペクトルの分析により推認する実験を行い、次なる結果を得た、即ち、控訴人方法前段の溶液に対する赤外線吸収スペクトルの測定範囲を4000~400cm-1までと巾広くしたうえ、その吸収帯中ピリジンの溶媒の測定不能領域を除き、指紋領域をも含めて、2420cm-1の範囲まで読み取つたところ、二〇個の吸収波数を得た、右二〇個の波数の内出発物質であるニコチン酸とパラートルエンスルホン酸クロライドの標準試料の特有吸収帯を除外したところ、2970cm-1、2875cm-1、1800cm-1、1738cm-1、890cm-1、600cm-1、なる六個の波数を得たので、右六個の波数につき、これを既に検知されている、標準試料無水ニコチン酸と同ニコチノイル―P―トルエンスルホネート(以下単にTNという。)の特有吸収帯の波数(右両者の波数は、1800cm-1、1738cm-1、600cm-1において一致する。)と比較した、右比較によると、右六個の波数は、無水ニコチン酸とTNに、ほぼ共通しているが、この内特に1800cm-1、1738cm-1、600cm-1が、右赤外線吸収スペクトル上に強く出ていた、以上の結果から、控訴人方法前段の溶液についての赤外線吸収スペクトルで無水ニコチン酸とTNとを区別することはできない、旨記載されている。
右文書の右内容は、前記認定の根拠となつた各実験の結果、就中甲第三〇、第三一号証記載の実験結果の信憑性を疑わしめ、ひいては、控訴人方法の反応過程およびその中間生成物に関する右認定を左右するかの如くである。
しかしながら右乙第一四三号証記載の右実験結果が、右の如く、控訴人方法の反応過程および中間生成物に関する右認定を左右し得るためには、右認定が赤外線吸収スペクトルの分析結果のみに基づいて行われたことを前提としなければならないところ、右認定は、前記のとおり、赤外線吸収スペクトルの分析を含む各種実験の結果に基づき行われたものであつて、決して、赤外線吸収スペクトルの分析のみに基づいて行われたものでない。赤外線吸収スペクトルによる反応生成物の確認に限界があるにしても、右方法が有効な一方法であることは、控訴会社藤本製薬の実験担当者自身、後記乙号証の記載内容から明らかな如く、赤外線吸収スペクトルを生成物質の確認に使用していることから明らかである。
してみれば、右乙第一四三号証の右実験結果は、右認定の根拠となつた前記各種実験中の一部分に関するものというほかないし、まして、右に認定した、控訴会社藤本製薬の実験担当者自身の赤外線吸収スペクトルに対する信頼度を考えるならば右第一四三号証の記載内容は、後記乙号証の記載内容と矛盾するというほかなく、右内容は、未だ、控訴人方法の反応過程および中間生成物に関する前記認定を左右するに至らない。
(2) 当審証人中山修二の証言により真正に成立したものと認められる乙第一〇三号証(控訴会社藤本製薬製造部藤本導太郎作成の昭和五三年一月三〇日付報告書)、第一〇五号証(右同藤本導太郎外一名作成の昭和五三年一月二六日付実験報告書)には、前者につき、甲第三〇号証の赤外線吸収スペクトルの分析中物質の確認のための指紋領域は、ピリジン測定不能領域との関係上、1300~1230cm-1、980~780cm-1の範囲だけである旨の、後者につき、ピリジン中に存在するニコチン酸を赤外線吸収スペクトルにより確認する実験を行つた結果、ニコチン酸の特性吸収帯1415cm-1、1330cm-1、および1290cm-1等がそれぞれ認められた、このことから、ピリジン中に存在するニコチン酸を定性的に確認できる旨の、各記載がある。
しかしながら、右乙第一〇三号証の記載内容は、控訴人方法の反応過程および中間生成物に関する前記認定の根拠の一部である甲第三〇号証に対する、しかも、その記載中赤外線吸収スペクトルの分析に関し、その実験方法を非難するにとどまると解されるし、右第一〇五号証については、その記載内容からして、その立証目的は、結局、控訴人方法前段の操作による反応溶液の赤外線吸収スペクトルには、ニコチン酸と無水ニコチン酸の共通の吸収帯が存する故、赤外線吸収スペクトルだけからは、右反応溶液中に無水ニコチン酸が生成したとは断定できないとの点にあると解されるところ、そうであるならば、右第一〇五号証に対しても、乙第一四三号証に関する前説示が、そのまま妥当するというべきである。
よつて、右乙第一〇三号証、第一〇五号証の、各記載内容も、控訴人方法における反応過程および中間生成物に関する前記認定を何等左右するものでない。
なお、控訴人等は、甲第三〇号証中の収率計算につき、右文書記載の実験結果によれば、無水ニコチン酸の消費量とパラートルエンスルホン酸クロライドの消費量についてのモル比は一対一・六ないし一・七となつていて、理論比一対一となつていない、そのため、右モル比一対一・六ないし一・七の場合の収率は一一六・三パーセントないし一二三・六パーセントと計算され、これはおよそ化学常識上考えられないことである旨主張するので、この点につき付言する。
確に、甲第三〇号証中に、控訴人等主張のとおり、無水ニコチン酸の生成量とパラートルエンスルホン酸クロライド消費量のモル比が一対一・六ないし一・七となる旨記載されている。
しかしながら、右甲第三〇号証を詳細に検討すると、右文書作成者が、ビタミンEニコチン酸エステルの収率を七二・七パーセントと認定したのは、同号証中の第一表欄外に記載されているとおり、用いたビタミンEの使用量に基づいて、得られるべきビタミンEニコチン酸エステルの理論量を一〇〇パーセントとし、実際に生成したビタミンEニコチン酸エステルの量を反応時間毎(一五分、二〇分、三〇分、四〇分、五〇分、六〇分、七〇分)に測定し、その結果、反応時間七〇分におけるビタミンEニコチン酸エステルの収率が七二・七パーセントになる旨算出したこと、したがつて、右収率七二・七パーセントは控訴人等主張にかかるモル比を根拠として導出されたものでないこと、が認められるし、更に、前記二2(一)において認定したとおり、右甲第三〇号証の作成者は、無水ニコチン酸の生成量とパラートルエンスルホン酸クロライド消費量のモル比が、控訴人等主張の如く理論比一対一とならないことを是認したうえで、右モル比が理論比と一致しない原因につきその考察をおよぼしているのであり、かかる点からすれば、右甲第三〇号証の作成者は、同人において実施した実験結果に対し何等理論的修正を加えることなく、実験の結果をあるがままの形で右文書に記載したと解される。
してみれば、甲第三〇号証は、控訴人方法の反応過程および中間生成物に関する証拠として、十分なる証拠価値を有するというべく、控訴人等の、この点に関する主張は、理由がなく採用することができない。
(3) 当審証人中山修二の証言により真正に成立したものと認められる乙第九四号証(控訴会社藤本製薬研究部中山修二外三名作成の昭和五二年一〇月三一日付実験報告書)には、右文書の作成者等において行つた、ビタミンEニコチン酸エステルの合成において、ニコチン酸および無水ニコチン酸とビタミンEとの反応速度の比較試験につき、次なる記載がある。
実験方法
実験A
ピリジン40mlにニコチン酸3.1gを入れ、攪拌懸濁させ液温を50℃に保ち、パラートルエンスルホン酸クロライド4.8gを加えた。引続き別容器で50℃に保温したビタミンE10.8gのピリジン10ml溶液を加えた時点で時計を始動し、1、3、5、10、15、20、30、40、50、60分後にサンプリングして水の中に注入し、反応を停止させ分析用試料とした。
実験B
ピリジン40mlに無水ニコチン酸5.7gを加えて液温を50℃に保ち、予め50℃に保温したビタミンE10.8gのピリジン10ml溶液を加えた時点で時計を開始し、実験Aと同様にしてサンプリングした。
分析方法
分析用試料の油状物質を取り、エタノールに溶解して高速液体クロマトグラフイーにより分析し、ビタミンEニコチン酸エステルの組成比(モル比)を求めた。
そして、反応速度定数として、実験Aにつき約二四、実験Bにつき約六・三なる結果を得た。
考察
控訴人方法が無水ニコチン酸を経由する酸無水物と同じ経路を通つて進行すると仮定するならば、二次反応の反応速度式で表わされ、反応条件を同一にすることで反応速度定数はほぼ同一、又は控訴人方法はそれ以下であると考えられるが、実験Aの反応速度定数は約二四、一方、実験Bのそれは約六・三と実験Aの方がはるかに大である。本来、ビタミンE、遊離のニコチン酸、パラートルエンスルホン酸クロライドの三次反応と考えられる控訴人方法に準じた実験Aが、二次反応の反応速度式でほぼ一定の反応速度定数値を示し、その反応速度定数値が実験Bのそれと比較してはるかに大きく、又、ビタミンEニコチン酸エステル生成率にも顕著な差が見られるということは、遊離のニコチン酸とパラートルエンスルホン酸クロライドとにより高い反応性を有する物質が生成し、それがビタミンEと反応するため、みかけ上、二次反応経路を取るものと考えられる。このことは、控訴人方法と酸無水物法との反応経路の相異を明示しているものである。
結論
本実験の反応速度定数、ビタミンEニコチン酸エステル生成率等により考え、控訴人方法が無水ニコチン酸を経由している反応でないことが明らかである。
右記載と成立に争いのない乙第一〇一号証に記載されている、反応機構の解明に役立つ知見の一つは、反応速度およびこれに対する温度および濃度の影響であるとの点を合せ考えると、控訴人方法と本件特許発明実施例2とは、その反応機構を異にし、控訴人方法は無水ニコチン酸を経由する反応ではない、といい得るかの如くである。
しかしながら、成立に争いのない甲第四二号証、第六一号証、当審証人貴島静正の証言および弁論の全趣旨を総合すると、反応速度は、原料組成、触媒、溶媒、圧力、あるいは温度等の反応条件によつて変化すること、反応速度定数も、結局は、反応速度に関する右各要素に依存する数値であるといえること、が認められるところ、右認定からすれば、実験Aの反応速度定数が控訴人方法のそれと、実験Bの反応速度定数が本件特許発明実施例2のそれと、各一致するためには、実験Aの実験条件が控訴人方法の反応条件と、実験Bの実験条件が右実施例2の反応条件と、各一致せねばならない。
しかるに、右乙第九四号証から認められる、右文書記載の実験における条件設定は、1、控訴人方法の室温と右実施例2の100℃に対し、その間の50℃とする、2、ピリジンに対するビタミンEの濃度は、控訴人方法において1.16モル/lであり、右実施例2は0.33モル/lであるが、本実験では0.5モル/lとし、ピリジン以外の原料も全て同モルを使用する、というにあり、当事者間に争いのない、控訴人方法は、ニコチン酸一・五キログラムをピリジン一〇リツトルに加え、攪拌しながらこれにパラートルエンスルホン酸クロライドを加え、室温で一時間攪拌を続けるという反応条件と、前掲甲第二号証から認められる、右実施例2は、一リットルの三頸コルベンにビタミンE(dl―α―トコフエロール)一〇〇グラム無水ニコチン酸一二〇グラム、ピリジン七〇〇グラムをとり煮沸水浴中五~七時間攪拌する、という反応条件とは異なること明らかである。
反応速度および反応速度定数に関する右認定からすれば、結局、実験Aの反応速度定数と控訴人方法のそれと、実験Bの反応速度と右実施例2のそれとが、一致するとはいい得ない。しからば、右乙第九四号証が、実験Aと実験Bの反応速度定数の相違のみに基づき、控訴人方法と右実施例2の反応経路は異なると結論しているのは失当というほかない。
加えて、前掲甲第三二号証、同乙第一〇一号証、当審証人貴島静正の証言によれば、反応速度論は、化学反応機構解明に役立つ知見の一つであること、反応速度は、前記の如く反応条件によつて変化するので反応速度のみからは反応の中間において如何なる物質が生成したかを結論することができないこと、右証人は、その実施した実験の結果(甲第三二号証)により、無水ニコチン酸にパラートルエンスルホン酸クロライドを加え更にビタミンEを加え室温で一時間反応させた場合と控訴人方法そのままを実施した場合を比較したところ、一時間後に集積するビタミンEニコチン酸エステルの量が、右両者ほぼ同じであることを確認し、結局、右両場合には、その反応速度は同じであると結論したこと、が認められるのであり、右認定に照らしても、右乙第九四号証が、実験Aと実験Bの反応速度定数の相違から、控訴人方法は無水ニコチン酸を経由している反応でないこと明らかであると結論付けているのは失当というほかない。
以上の認定説示からして、いずれにせよ、右乙第九四号証の記載内容は、控訴人方法の反応過程および反応中間体に関する前記認定を左右するまでには至らない。
(4) 当審証人中山修二の証言により真正に成立したものと認められる乙第一一九号証(控訴会社藤本製薬製造部藤本導太郎作成の昭和五三年二月八日付実験報告書)には、右作成者において行つた、控訴人方法前段の操作における反応生成物を薄層クロマトグラフイーによつて確認する実験につき、次なる記載がある。
実験
乾燥窒素気流下、薄層クロマトグラフイー(メルク製アルミニユムシートシリカゲル60F254を使用。)に試料(控訴人方法前段の操作による反応溶液、無水ニコチン酸。)をスポツトし、乾燥ピリジンにて展開乾燥後ヨード蒸気、あるいはプロムクレゾールグリーン(BCG、ただし、BCG40mgをエタノール40mlに溶かし、次に青緑なるまで希薄NaOH液を加えたものを使用。)を噴霧することにより呈色を行い、その位置を確認。
結果
ヨードあるいはBCGの呈色により、いずれも控訴人方法前段の操作によつて得られる生成物は、明らかに異なつた位置に現われることが認められる。これは、控訴人方法前段の操作における反応生成物が無水ニコチン酸とは全く異なる物質である確たる証拠となる。
右記載からすると、控訴人方法前段の操作による反応溶液中には無水ニコチン酸が生成しておらず、右生成物は無水ニコチン酸以外の物質であるかの如くである。
しかしながら、成立に争いのない甲第五一号証、当審証人貴島静正の証言により真正に成立したものと認められる甲第五二号証、右証人の証言を総合すると、薄層クロマトグラフイーにおいて、物質のスポツトの示す位置(Rf値で表わす。)は、同一物質であつても、単独で存在する場合と共存物質が存在する場合とでは必ずしも同一位置を示すとは限らないこと、右証人において、無水ニコチン酸および控訴人方法前段の操作によつて得られる反応溶液を用いて次なる薄層クロマトグラフイー実験を行い、次の結果を得たこと、
試料
無水ニコチン酸100mgを乾燥ピリジン(関東化学製試薬特級品をKOHで乾燥後蒸留したもの、水分含量0ppm)1mlに溶解する。(A液)
控訴人前段の操作により反応溶液を作る。(B液)
展開
乾燥窒素気流下、クロマトグラフイー用薄層板(メルク社製アルミニウムシートシリカゲル60F254)に次の試料をスポツトし、乾燥ピリジンにて展開し、乾燥後ヨード蒸気あるいは呈色用プロムクレゾールグリーン試薬、プロムクレゾールグリーン40mgをエタノール40mlに溶かし、次に青緑になるまで希薄NaOH液を加えたもの)を噴霧することにより呈色を行い、その位置を確認する。
(a) A液2μl、(b) A液1μlとB液1、μl(c) B液2μl
結果
(a) 右(a)(無水ニコチン酸単独のもの)は、右(b)、(c)に比べ、最も高い位置に展開されている。
(b) 右(b)(無水ニコチン酸に控訴人方法前段の操作による反応溶液が添加されたもの)は、B液の影響によつて、右(a)よりも低い位置に展開されている。
(c) 右(c)(控訴人方法前段の操作による反応溶液)も、右(a)より低い位置に展開されている。
(d) 無水ニコチン酸単独の示す薄層クロマトグラフイーのスポツトの位置と無水ニコチン酸が控訴人
前段の操作による反応溶液中の物質と共存したときに示す薄層クロマトグラフイーのスポツトの位置とは明らかに異なる。即ち、両者のスポツトは同一の高さには現われない。
右実験の結果から標準の無水ニコチン酸であつても控訴人方法前段の操作による反応溶液を添加した場合には、標準の無水ニコチン酸のスポツトの位置よりも低くなるのであるから、右反応溶液のスポツトの位置が、標準の無水ニコチン酸のスポツトの位置より低いからといつて、そのことから直ちに、右反応溶液中に無水ニコチン酸が生成されていないとは断定し得ないこと、が認められる。
右認定に照らすとき、右乙第一一九号証の記載内容は、直ちに信用することができず、右乙第一一九号証も又、控訴人方法における反応過程および中間生成物に関する前記認定を左右するまでに至らない。
(5) 当審証人中山修二の証言により真正に成立したものと認められる乙第一〇九号証(控訴会社藤本製薬研究部中山修二外二名作成の昭和五三年三月二七日付実験報告書)、第一五二号証(右会社製造部藤本導太郎外一名作成の昭和五四年六月一三日付実験報告書)には、右各文書の作成者等は、実験の結果、新規物質TNの合成に成功したこと、TNの分子式、形状、融点、構造は、別紙のとおりであること、が記載されているところ、次の乙号各証(いずれも、右証人の証言により真正に成立したものと認められる。)には、次なる趣旨の記載がある。(なお、本件争点は、控訴人方法における中間生成物が無水ニコチン酸であるか否かにあり、右中間生成物がTNであるか否かの確認ではない。したがつて、控訴人等の主張する新規物質なるものが真実TNであるか否か確定することは、本件争点の解決にとつて重要でないと解する。それ故、以下乙号証の検討も、右観点に立つて行うこととする。)
(a) 乙第一一六、第一一七号証(控訴会社藤本製薬研究部中山修二外二名作成の昭和五三年四月一日付および同月二八日付の各実験報告書、なお同月二八日付分は、同月一日付分の追加報告書)
右実験は、TNをピリジン溶液としたときの赤外線吸収スペクトルを測定して、これと無水ニコチン酸の赤外線吸収スペクトルを比較するのを目的とするところ、右両者の赤外線吸収スペクトルについて、1800~1700cm-1附近の吸収位置を比較すると、いずれも1800cm-1と1738cm-1の同位置に吸収がみられ、右1800cm-1および1738cm-1の赤外線吸収スペクトル吸収をみただけでは、無水ニコチン酸とTNの識別は全く不可能なことがわかつた。
(b) 乙第一一〇号証(控訴会社藤本製薬研究部中山修二外二名作成の昭和五三年三月二九日付実験報告書)
右実験は、TNを用いピリジン溶媒中でビタミンEとの反応性と安定性についての実験であるところ、その結果として、TNは、ピリジン中でビタミンEに対して強い反応性を有し、僅か一分間で約九割が反応し、一〇分後にはほぼその反応は完了すること、TNをピリジンに溶解後三〇分を経過しても強い反応性を保持していることから、TNのピリジン溶液は比較的安定していること、を確認した。
無水ニコチン酸では、ビタミンEに対して、50℃でも、一分後に〇・二割、一〇分後でも二割しか反応していない(この点は前掲乙第九四号証による。)から、TNと無水ニコチン酸の反応速度には格段の差があり、このことは、反応速度から控訴人方法が無水ニコチン酸を経由しない別の機構によるとの証明が正しいことを支える重要な証拠である。
(c)(イ) 乙第一一一号証(控訴会社藤本製薬研究部中山修二外二名作成の昭和五三年三月三一日付実験報告書)
右実験は、ピリジン中で無水ニコチン酸と反応しないP―ニトロアニリンを用いて、控訴人方法中の中間反応体を補捉し、無水ニコチン酸とは異なることを証明しようとするものである。なお、比較のため、TNも合せて実験する。なお、以下ピリジンをP、ニコチン酸をN、無水ニコチン酸をNN、パラートルエンスルホン酸クロライドをT、P―ニトロアニリンをA、各略記する。
実験A……P10ml、NN1.14g、A0.69g
実験B……P10ml、T0.95g、N0.62g、A0.69g
実験C……P10ml、TN1.39g、A0.69g
反応物質は全て0.05モル相当量を、又、溶媒のピリジンは10mlを使用し、25℃で一時間攪拌した。その後、次のように操作。
実験A……沈澱が生成しなかつたので、ピリジン溶液に水を加え、クロロホルムで抽出しクロロホルム層をとり水洗して乾燥硫酸ナトリウムで脱水し、薄層クロマトグラフイー用試料とする。
実験B……生成した沈澱を濾集し水洗した後、メタノールで再結晶すると融点252~4℃の黄色針状結晶0.88gを得た。
実験C……(i)実験Bと同様の操作をして、黄色針状結晶1.06gを得た。
(ii)(i)の濾液について実験Aと同様、薄層クロマトグラフイーを行つた。
実験BおよびCで生成した沈澱は、N―(P―ニトロフエニル)ニコチン酸アミド(NPNA)と考えられるので、Walker等の方法により標品としてNPNAを合成した。
実験BおよびCで得られたNPNAは、いずれも黄色針状結晶で、融点は、252~4℃を示し、NPNAと混融試験で融点降下はみられなかつた。又、これ等の結晶についてヌジヨール法で赤外線吸収スペクトルを測定したところ標品と一致した。クロロホルム抽出液の濃縮物を薄層板にスポツトして、アセトン―クロロホルム(一対一)混液で展開して薄層クロマトグラフイーを行つた。比較同定のため、AおよびNPNAを並行して展開した。実験Aでは、NPNAは確認できなかつたが、実験Cでは確認された。
実験および分析結果、NPNAの生成率は、次のとおり。
実験A……〇パーセント
実験B……七二パーセント
実験C……八七パーセント
P―ニトロアニリンは、ピリジン溶媒中で無水ニコチン酸とは反応しない(実験Aより)が、控訴人方法に準じた実験では生成物を得る(実験Bより)。
これ等の実験は、控訴人方法には無水ニコチン酸とは異なる反応中間体が存在し、P―ニトロアニリンによりそれを捕捉したものである。即ち、控訴人方法の反応溶液中には無水ニコチン酸より反応性に富む反応中間体の存在が確認された。ニコチノイル―Pトルエンスルホネートとの反応性(実験Cより)をみると、控訴人方法の反応溶液中にもこのTNと同様の構造の中間体が存在するものと推定される。
(ロ) 乙第一二二号証(大阪薬科大学薬品製造学助教授栗原拓史作成の昭和五三年一〇月三一日付実験報告書)
右実験の目的は、無水ニコチン酸とP―ニトロアニリンが、ピリジン溶媒中25℃、一時間で反応し、N―(P―ニトロフエニル)ニコチン酸アミドを生成するか否かを検討する点にある。
乾燥ピリジン10mlに精製した無水ニコチン酸1.14g(〇・〇〇五モル)を加え、次いでP―ニトロアニリン0.69g(〇・〇〇五モル)を加え、25℃で一時間攪拌した。
一時間反応後も、黄色透明溶液で析出物は全く認められなかつた。次いで反応液を150mlの氷水中に注ぎ、析出する結晶を濾取、乾燥してP―ニトロアニリン0.612gを回収した。(回収率八八・五パーセント)
無水ニコチン酸は、ピリジン溶媒中25℃、一時間の反応条件では、P―ニトロアニリンと反応してN―(P―ニトロフエニル)ニコチン酸アミドを生成することはない。
(d) 乙第一五一号証の一(控訴会社藤本製薬製造部藤本導太郎外一名作成の昭和五四年六月一三日付実験報告書)
右実験の目的は、控訴人方法前段の操作、TNおよび無水ニコチン酸(以下NN)とフエノール誘導体(二、六―ジ―三級―ブチル―P―クレゾール)(以下DBC)の反応試薬を用いて反応させる点にある。
実験方法
実験A
ピリジン20mlにニコチン酸(以下N)1.23g(〇・〇一モル)、次いでパラートルエンスルホン酸クロライド(以下T)1.9g(〇・〇一モル)を加えて溶解させる。次にDBC2.20g(〇・〇一モル)を加え、攪拌還流下一時間反応させる。反応後、反応液を室温にまで冷却し、水20mlを加え、次いでクロロホルム50mlを加え振とうした後、クロロホルム層を分液する。クロロホルム層を1N―HCl約10mlで二度洗浄した後水洗する。次に1N―NaOH約20mlで二度洗浄し、その後水洗する。クロロホルム層を芒硝で乾燥した後、クロロホルムを減圧留去する。褐色の残渣を得る。(試料A)
実験B
ピリジン10ml、TN1.38g(〇・〇〇五モル)を加え、次いでDBC1.10g(〇・〇〇五モル)を加えた後攪拌下一時間還流させる。反応後実験Aと同様に操作し、赤褐色の残渣を得る。(試料B)
実験C
ピリジン20ml、NN2.28g(〇・〇一モル)を加え、次いでDBC2.20g(〇・〇一モル)を加えた後、攪拌下一時間還流させる。反応後実験Aと同様に操作し、白色結晶を得る。(試料C)
右試料A、B、Cにつき、その生成物を次の方法で分離。
(i) 薄層クロマトグラフイーの結果、Rf値0.46に生成物のスポツトが確認でき、ニコチン酸―(4―メチル―2.6―ジ―三級―ブチル)フエニルエステル(以下NPE)のRf値と一致した。
生成物のRf値 試料A……〇・四六
試料B……〇・四六
試料C……なし(存在せず)
なお、NPEのRf値は〇・四六
(ii) 試料A、Bの薄層クロマトグラフイーでRf値〇・四六に確認された生成物を、カラムクロマトグラフイーで分離抽出した。右分離抽出後の試料A―d、試料B―dについて赤外線吸収スペクトルを測定した。
(iii) 赤外線吸収スペクトルの測定の結果、試料A―d、試料B―dの赤外線吸収スペクトルの吸収波数は、NPEのそれと一致し、試料A―d、試料B―dとNPEとが同一生成物であると推定できる。
試料CとDBCの赤外線吸収スペクトルの吸収波数は、同一であつた。
以上の結果、
実験Aおよび実験Bからは、同一生成物NPEが得られた。
実験Cからは、DBCが回収されて、実験Aおよび実験Bの如き同一生成物NPEを得られなかつた。
右結果から、控訴人方法前段の操作における中間反応体は、TNと同一と推定できる。
(e) 乙第一四五号証(控訴会社藤本製薬製造部藤本導太郎作成の昭和五四年六月一三日付実験報告書)右実験の目的は、ピリジン―d5を溶媒に用い、ニコチン酸とパラートルエンスルホン酸クロライドとの反応によつて生じる生成物を核磁器共鳴スペクトル(以下NMRという。)により確認することにある。
標準試料パラートルエンスルホン酸クロライド、ニコチン酸、TN、無水ニコチン酸を、ピリジン―d5中約一〇パーセントに調整し、NMRスペクトルを測定。
ニコチン酸48mgとパラートルエンスルホン酸クロライド75mgをピリジン―d5 1mlに溶解し、一〇分後にNMRスペクトルを測定。
得られたスペクトルからそれぞれの化学シフト(PPm)を記録すると次のとおりとなる。(ただし、関係分のみを抜すい。)
TN Ha9.62、Hb9.04、Hc8.51、Hd7.51、Ha′8.33、Hb′7.22、Hc′2.20
無水ニコチン酸 Ha9.60、Hb900、Hc8.48
試料 19.02、9.62、9.04、8.55、8.37、8.06、7.58、7.40、7.26、2.28、2.22
結論
各物質のNMRスペクトのと化学シフト(PPm)を表にし、表中で、控訴人方法前段の操作の出発原料のシフトと思われるものを除いたもの(A)とし、右(A)のシフトにより控訴人方法前段の操作で推定される中間生成体NN、TNのシフトを推定して物質名を表わすと、次のとおりとなる。(ただし、関係分のみを抜すいし、試料をステツプ1と略記する。)
PPm
T
N
N
N
ス
テ
ッ
プ
1
(A)
(B)
2.22
2.22
2.22
TN
2.28
7.26
7.26
7.26
TN
7.40
7.40
TN
か
NN
7.58
7.58
TN
8.37
8.37
TN
8.48
8.51
8.58
9.00
9.04
9.04
TN
9.60
9.62
9.62
TN
9.72
19.02
NMRスペクトルの推定からTNが推定できる。 控訴人方法前段の操作には、化学シフト19.02を除いて、2.22、2.26、7.26、7.58、8.37、9.04、9.62、のTNを推定できる化学シフトがある。
ただし、8.06は、パラートルエンスルホン酸の8.54より、8.55は、ニコチン酸の8.58より、9.72は、ニコチン酸の9.77より来たと推定する。
以上の乙号各証の記載内容からすると、控訴人方法前段の操作による中間生成物は無水ニコチン酸ではなく、無水ニコチン酸以外の物質TNであるかの如くであり、したがつて、又、控訴人方法における反応過程および中間生成物に関する前記認定も、これ等によつて、左右されるかの如くである。
しかしながら、当審証人貴島静正の証言により真正に成立したものと認められる甲第四四、第四五号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第六三号証から、次の各事実が認められる。
(a) 甲第四四号証(被控訴会社研究開発本部製薬研究所浜村吉三郎外一名分析研究所森豊外二名作成の昭和五三年六月一付実験報告書)記載の実験。
右実験の目的は、無水ニコチン酸とP―ニトロアニリンとは反応するか否か、右反応が起つた場合、その反応生成物は何かを、ピリジン10mlをとり、25℃の恒温槽中で攪拌しながらニコチン酸0.62gを加え懸濁させる、続いて、パラートルエンスルホン酸クロライド0.95gを加える、そして、一〇分経過後、P―ニトロアニリン0.69gを加える、一時間反応させた後生成した結晶を採取する、なる方法で確認することにある。
実験I(無水ニコチン酸とP―ニトロアニリンを反応させる実験)
反応容器に、ピリジン10mlを入れ、その容器内の空気を乾燥アルゴンで置換えする。次に、右容器を25℃の油浴中に入れ、内容物を攪拌しながら、これに無水ニコチン酸1.14gを加え、次いでP―ニトロアニリン0.69gを加えて一時間攪拌する。生成する結晶を吸引濾過により採取する。得られる結晶を蒸留水100mlで三回洗浄し、次にメタノール200mlを用いて再結晶する。
実験II(前記方法の実験)
反応容器に、ピリジン10mlを入れ、その容器内の空気を乾燥アルゴンで置換する。次に、右容器を25℃の油浴中に入れ、内容物を攪拌しながら、これにニコチン酸0.62gを加え、次ぎにパラートルエンスルホン酸クロライド0.95gを加え、一〇分間攪拌した後、これにP―ニトロアニリン0.69gを加えて一時間攪拌する。生成する結晶を吸引濾過により採取する。得られる結晶を蒸留水100mlで三回洗浄し、次にメタノール200mlを用いて結晶する。
実験の結果
実験Iより、淡黄色針状結晶0.43gを得た。(試料I)
実験IIより、淡黄色針状結晶0.47gを得た。(試料II)
試料I、IIの分析の結果は、次のとおり。
(i) 融点
試料I……274―6℃、試料II……274―6℃
試料I、IIの融点は、標品N―(P―ニトロフエニル)ニコチン酸アミドの融点に一致した。
(ii) 赤外線吸収スペクトル
試料I、IIについて、ヌジヨール中で測定を行つたところ、右各試料のスペクトルは、N―(P―ニトロフエニル)ニコチン酸アミド標品のスペクトルに一致した。
結論
無水ニコチン酸は、P―ニトロアニリンと反応する。
右反応の生成物は、N―(P―ニトロフエニル)ニコチン酸アミドである。
前記方法で得られる反応生成物は、N―(P―ニトロフエニル)ニコチン酸アミドである。
(b) 甲第四五号証(東京大学薬学部教授広部雅昭外一名作成の昭和五三年九月一八日付実験報告書)記載の実験。
実験の目的
無水ニコチン酸とP―ニトロアニリンは反応するか否か、右反応が起つた場合、その反応生成物と甲第四四号証記載実験IIで得られる生成物とは同一か否か、を確認することにある。
実験I
反応容器に、乾燥ピリジン10mlと無水ニコチン酸1.14gを入れ、次でP―ニトロアニリン0.69gを加え、25℃で一時間攪拌する。析出物を濾取し、水50mlで二回洗浄し、メタノール150mlから再結晶し、減圧乾燥する。
実験II(甲第四四号証記載実験IIの追試実験)
反応容器に、乾燥ピリジン10mlとニコチン酸0.62gを入れ、続いて攪拌下にパラートルエンスルホン酸クロライド0.95gを加える。一〇分後、P―ニトロアニリン0.69gを加え、25℃で一時間攪拌する。析出物を濾取し、水50mlで二回洗浄し、メタノール200mlから再結晶し、減圧乾燥する。
実験の結果
実駅Iより、淡黄色針状結晶0.31gを得た。(試料I)
実験IIより、淡黄色針状結晶0.32gを得た。(試料II)
なお、二番結晶まで繰返えしの採取を行うと、実験Iでは総計0.44gが、又、実験IIでは総計0.46gが、各得られた。
試料I、IIの分析
(i) 融点
試料I……259°~260℃、試料II……258°~259℃
更に、試料I、IIの混合物を用い、混融試験を行つたところ、融点は、259°~260℃を示し、融点降下は認められなかつた。
(ii) 赤外線吸収スペクトル
試料I、IIについて、ヌジヨール中で測定を行つた。
(iii) 元素分析
試料I、IIについて元素分析を行い、次の実測値を得た。
試料I……C五九・一〇パーセント、H三・七三パーセント、N一六・九八パーセント
試料II……C五九・三一パーセント、H三・七八パーセント、N一六・九六パーセント
(ⅳ) 核磁気共鳴スペクトル分析
試料I、IIにつき、重水素化ジメチルスルホキサイド中で核磁気共鳴スペクトル分析を行つた。
考察と結論
(i) 試料Iは、後記のとおり同定されるから、無水ニコチン酸は、P―ニトロアニリンと反応する。
(ii) 無水ニコチン酸とP―ニトロアニリンとの反応により得られる生成物と前記方法で得られる生成物とは、以下の理由から同一である。
試料I、IIの融点、元素分析値、赤外線吸収スペクトル。核磁気共鳴スペクトル、は一致している。(なお、試料I、IIの混融試験の結果が融点降下を示さないから、右の如く右両者の融点は一致すると結論できる。)
(iii) 無水ニコチン酸とP―ニトロアニリンとの反応により得られる生成分は、以下の理由により、N―(P―ニトロフエニル)ニコチン酸アミドである。
一般に、有機酸無水物(本反応では無水ニコチン酸)とアミン(本反応ではP―ニトロアニリン)との反応により、有機アミドが得られる。したがつて、本反応により得られる生成物は、N―(P―ニトロフエニル)ニコチン酸アミドと予測される。
試料Iの赤外線吸収スペクトルはN―(P―ニトロフエニル)ニコチン酸アミドの赤外線吸収スペクトルとして与えられているスペクトルと一致する。
試料Iの元素分析値は、N―(P―ニトロフエニル)ニコチン酸アミドの元素分析の理論値に一致している。
N―(P―ニトロフエニル)ニコチン酸アミドの理論値C五九・二九パーセント、H三・七〇パーセント、N一七・二八パーセント
試料Iの核磁気共鳴スペクトルは、N―(P―ニトロフエニル)ニコチン酸アミドの化学構造を支持している。
(c) 甲第六三号証(被控訴会社研開本部貴島静正外二名作成の昭和五四年七月一七日付実験報告書)記載の実験。
右実験の目的は、無水ニコチン酸がパラートルエンスルホン酸クロライドの存在下でDBCと反応するか否か、右反応が起つた場合に、その反応生成物は何か、を調べることにある。反応容器に、ピリジン10mlを入れ、無水ニコチン酸1.14g(〇・〇〇五モル)とDBC1.10g(〇・〇〇五モル)とパラートルエンスルホン酸クロライド0.48g(〇・〇〇二五モル)を加えた後、攪拌下一時間還流させる。反応後、反応液を室温にまで冷却し、水10mlを加え、次で、クロロホルム25mlを加えて振とうした後、クロロホルム層を分液する。
クロロホルム層を1N―HCl約5mlで二度洗浄した後水洗する。次に1N―NaOH約10mlで二度洗浄し、その後水洗する。クロロホルム層を芒硝で乾燥した後、クロロホルムを減圧留去する。右操作により褐色の残渣が得られた。
右褐色の残渣を試料としてヌジヨール中における赤外線吸収スペクトルを測定した。
右測定の結果
無水ニコチン酸は、パラートルエンスルホン酸クロライドの存在下で、DBCと反応する。
右反応で得られた生成物は、次の理由により、NPEであると推定される。
右褐色の残渣のヌジヨール中における赤外線吸収スペクトルは、乙第一五一号証の一の実験Aで得られている褐色の残渣(試料A)のヌジヨール中における赤外線吸収スペクトルと一致している。又、本赤外線吸収スペクトル中には、乙第一五一号証の一においてヌジヨール中におけるNPEの赤外線吸収スペクトルとして与えられているスペクトルがみられる。
以上認定の実験結果によれば、前記乙号証中無水ニコチン酸がP―ニトロアリニンやDBCと反応しないとする実験結果(乙第一一一号証、第一五一号証の一)は、その点で既に信用することができない。
又、乙第一一六号証、第一一七号証については、同号証自体、その結論から明らかなとおり、控訴人方法前段の操作における反応溶液中にTNが存在し、無水ニコチン酸は存在しないと断定している訳ではないから、控訴人方法の反応過程および中間生成物に関する前記認定を左右するものでない。
乙第一一〇号証については、反応速度に関する前記認定説示がそのまま妥当し、右認定説示に照らし、にわかに信用することができない。
乙第一二二号証の記載内容は、右認定にかかる(a)、(b)の実験内容(甲第四四、第四五号証)と対比して、にわかに信用することができない。
乙第一四五号証については、右記載内容を詳細に検討すると、次の事実が認められる。即ち、右記載中実験の結果として、各物質のスペクトルから、それぞれの化学シフトを表示した際、TNについては、Ha9.62、Hb9.04、Hc8.51、Hd7.51、Ha′8.33、Hb′7.22、Hc′2.20としながら、表にまとめ、控訴人方法前段の操作と比較するに当り、その化学シフトを、2.22、7.26、7.58、8.37、8.51、9.04、9.62と表示していること、右表示にかかる、2.22、7.26、7.58、8.37、なる化学シフトは、実験の結果から判明した化学シフトと相異すること、右表中に表示されたTNの右化学シフトは、控訴人方法前段の操作にTNが存在することを推定せしめる重要な役割を持つていること、しかるに「右表示の相異につき、右文書自体に何等の理由も記載されていないこと、(なお、当審証人中山修二も、この点につき何等合理的理由を供述することができなかつた。)である。
右認定からすれば、右文書が実験報告書であるからして、右表示の相異は単なる誤記として看過されるべき性質のものでなく、右実験の結果に重大な影響をおよぼす欠陥というほかなく、この点で、既に、乙第一四五号証の記載内容は信用することができない。
叙上の認定説示からして、右乙号各証の記載内容も、控訴人方法の反応過程および中間生成物に関する前記認定を、何等左右するものでない。
(三) 上来の認定説示を総合すると、控訴人方法は、ピリジン中のニコチン酸が縮合剤として加えられるパラートルエンスルホン酸クロライドの作用により無水ニコチン酸に変換され、その無水ニコチン酸が次に加えられるビタミンEと反応し、ビタミンEニコチン酸エステルを生成すると解するのが相当である。
3(一) ところで、特許法三六条四項は、明細書の発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に、その発明の構成を記載しなければならない旨規定しているところ、右規定は、自明の事項(出願時の技術水準において、更に文献調査、実験等をして研究するまでもなく、当業者が周知の知見として知得しているために、改めてその点につき説明教示を加える必要がない事項)でない限り、発明の開示は、平均的当業者が明細書の開示により容易に発明の実施をすることができる程度に発明の構成の記載を命じたものであると解すべきである。蓋し、特許権による独占の利益は、新規な技術的思想の創作を明細書に記載して一般に公開し、技術の進歩に貢献したことへの報償として与えられるからである。
そして、前記認定説示の如き、明細書において発明の詳細な説明が当該特許発明の権利範囲を定めるについて果す役割からするならば、右権利範囲も又、明細書による公開の範囲と符合すると解するのが相当である。
(二) そこで、控訴人方法が本件特許発明の権利範囲(技術的範囲)に属するといい得るためには、本件特許発明実施例2が控訴人方法をも併せて、その明細書、とりわけ発明の詳細な説明において公開しているといい得なければならない。
よつて、この点について判断する。
(1) 控訴人方法が本件特許発明実施例2に比して異なる点は、次のとおりである。
(a) 控訴人方法においては、室温で行われ、その反応中の攪拌に要する時間は一時間である。右実施例2における右攪拌時間は五ないし七時間であり(原判決四四枚目表五行目「被告方法が」から同八行目「る」まで(同上、八七頁一二行目から一三行目まで)。)、成立に争いのない甲第五六号証からは、その温度は九五度ないし一〇〇度であることが認められる。(なお、同号証によれば、室温は二五度から三〇度であることが認められる。)
(b) 控訴人方法では、精製物の収率が七四・一パーセントであり、収率においてそれほど劣るものでない(原判決四四枚目表三行目「被告方法は」から同五行目「劣るものでなく」まで(同上、八七頁一一行目から一二行目まで)。)。一方、前掲甲第五五号証の一によれば、右実施例2では収率九一パーセントである旨本件特許明細書に記載されているが、右収率は所謂粗収率であることが認められるところ、控訴人方法と同じ意味での収率についてはこれを認めるに足りる証拠がない。
(c) 右甲第五五号証の一によれば、控訴人方法ではビタミンEとニコチン酸の使用比が同モルであること、右実施例2では無水ニコチン酸をビタミンEの少なくても二倍使用していること、が認められる。
(d) なお、ビタミンEが反応する際に、反応の場に存在するものが、控訴人方法においては、ピリジン中に右方法前段の操作により存在する、無水ニコチン酸のほか、若干のパラートルエンスルホン酸クロライド、遊離のニコチン酸等であるのに対し、右実施例2では、ピリジン中の無水ニコチン酸だけであること、は原判決認定(同判決四一枚目裏八行目「ビタミンEが」から同末行「だけである。」まで(同上、八行目から一五頁一四六行目まで)。)のとおりである。
(2) 続いて、本件特許発明実施例2が、右認定の如き相違点を有する控訴人方法をも併せて、特許法三六条四項所定の開示をしているか否かを判断する。
(a) 被控訴人において、右実施例2は控訴人方法をも併せて開示している旨主張し、右主張にそう証拠として、成立に争いのない甲第五三号証、当審証人貴島静正の証言、原審鑑定人松井正直の鑑定結果があるが、右各証拠は、後掲各証拠およびその認定に照らし、にわかに信用することができず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。(成立に争いのない甲第一二号証も本件特許発明の出願時、エステル結合反応として控訴人方法と類型を同じくする反応が存在したことを認め得るにとどまる。)
(b) かえつて、成立に争いのない乙第四号証、第九号証、第七八号証、第九二号証の三、第一五九号証の一(同号証については原本の存在も争いがない)を総合すると、次の各事実が認められる。
(i) ケミカルアブストラツク誌第六二巻第一〇四一七C欄(一九六五年)に本件特許発明が抄録された以前においては、所謂酸クロライド法および酸無水物法によるビタミンEカルボン酸エステルの合成方法がほとんど大部分であつて、所謂直接法とみられる合成方法の記載はみあたらない。
又、同誌第一巻(一九〇七年)から第六三巻(一九六四年)までの、ニコチン酸誘導体の合成方法に関する記載中に、複素環式化合物におけるニコチン酸の反応において触媒法および直接法の記載はなかつた。
(ii) 昭和四七年一〇月三日出願された、オロチン酸ビタミンEエステル製造法の特許発明においては、その特許請求の範囲に、「オロチン酸または、その反応性誘導体にビタミンEを反応させることを特徴とするオロチン酸ビタミンEエステルの製造法」と、その発明の詳細な説明には、「オロチン酸または、その反応性誘導体にビタミンEを反応させるとは、公知のエステル化法、例えば、酸ハライド法、酸無水物法、直接縮合法等でエステル化することを指し」と各記載されている。したがつて、右特許発明においては、直接法の具体的実施例が記載されている。
(iii) 被控訴会社取締役研開本部長山岸敦が、昭和五〇年六月二日当時、同会社においても本件特許発明の出願時考えられる縮合剤として例えばパラートルエンスルホニルクロライドによつて収率四〇パーセント程度の目的物の生成をみているが、この方法は、当然工業的にも、収率の点でも優れているとはいえない旨認めている。
(c) 右認定事実に、前記認定にかかる、本件直接法については本件特許明細書の発明の詳細な説明に具体的記載がされていないこと、を合わせ考えると、本件特許発明実施例2が、特許法三六条四項に関する前記説示を完うする程度に、控訴人方法までを併せて開示しているとは認め難く、この点からして、控訴人方法が、本件特許発明の権利範囲(技術的範囲)に属するということはできない。
三 しかしながら、被控訴人の、当審における主張には、控訴人方法は本件特許発明の利用である旨の主張を含んでいると解されるので、以下、この点について判断する。
1 対象方法が、特許発明の利用か否かは、同方法が当該特許発明の要旨全部を含みこれに新たな技術的要素を付加したものであるか否か、換言すれば、同方法中に、当該特許発明の要旨が一体性を失うことなく存在しているか否か、によつて決せられる、と解するのが相当である。
2(一) 控訴人方法が本件特許発明実施例2に対して有する相違点は、縮合剤としてパラートルエンスルホン酸クロライドを選んで用いたことによると推認されること、パラートルエンスルホン酸クロライドの一般的用途は公知であつたが、これを用いて、ニコチン酸とビタミンEを反応せしめてエステルを生成せしめる技術は新規で、この点が控訴人方法における最大の特徴をなしていると認められること、は原判決認定(同判決四五枚目表四行目「被告方法における」から同一〇行目「認められる。」まで(同上、八八頁八行目から一一行目まで)。)のとおりである。
(二) しかしながら、前記認定にかかる、本件特許発明の要旨、控訴人方法における、原料物質、反応過程および中間生成物、生成目的物、を総合すると、控訴人方法における、パラートルエンスルホン酸クロライドの使用は、控訴人方法全体からみれば、技術的には、本件特許発明の要旨に対する、いわば附加的操作の域を出でず、控訴人方法中には、本件特許発明の要旨が一体性を失うことなく存在している、したがつて、控訴人方法は、本件特許発明の利用であると解するのが相当である。
しからば、控訴会社藤本製薬の控訴人方法を用いる行為は、本件特許権を侵害するものであるというほかない。
四 以上の次第で、原判決は正当であり、本件控訴は全て理由がない。
よつて、本件控訴をいずれも棄却し、控訴費用につき民訴法九五条、九三条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 大野千里 岩川清 鳥飼英助)
別紙
名称 ニコチノイル―P―トルエンスルホネート
分子式 C13H11O4NS
形状 淡黄色柱状結晶(エーテルより)
融点 92~95℃
構造式
以上