大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)526号 判決 1977年12月16日
控訴人(附帯被控訴人)
村井千栄子
控訴人(附帯被控訴人)
吉村美代子
右両名訴訟代理人
三谷武司
外二名
被控訴人
藤井楢一
右訴訟代理人
島秀一
主文
原判決中、控訴人ら敗訴部分を取消す。
被控訴人の第二次及び第三次請求並びに附帯控訴をいずれも棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
第一 申立
一、控訴人ら
1 (本案前)
原判決を取消す。
本件訴を却下する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
2 (本案)
主文一ないし三項同旨
二、被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 (附帯控訴)
原判決中、被控訴人敗訴部分を取消す。
被控訴人に対し、控訴人村井千栄子は原判決別紙物件目録記載第一物件につき、控訴人吉村美代子は同第二物件につき、それぞれ昭和一〇年一一月一九日売買又は交換を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
3 (当審において追加した第三次請求)
訴外国に対し、控訴人村井千栄子は右第一物件につき、控訴人吉村美代子は右第二物件につき、それぞれ昭和一〇年一一月一九日寄附を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
4 訴訟費用は第一、二審とも控訴人らの負担とする。
第二 主張及び証拠
当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりである(<原判決訂正部分省略>)。から、これを引用する。
一、控訴人らの主張
1 本案前の主張
被控訴人は、四〇二番及び五五三番のため池の権利主体は大字磯野(以下、磯野部落という。)である、と主張するが、当時の甘田川改修工事に関する書類には、磐園村長が磯野共有地管理者として表示されているから、右ため池の権利主体は磐園村(合併により現在の大和高田市)である。
従つて、仮に被控訴人主張の如く改修工事により本件各土地が国に寄附ないし買収されたとすれば、国からこれを譲り受けた権利主体は旧磐園村、すなわち現在の大和高田市であるから、本件訴訟は同市がこれを提起すべきものである。
また、主張のように、磯野部落の構成員である部落民の総有(共有)であるとすれば、その構成員全員が共同で訴を提起することを要するから(固有の必要的共同訴訟)、被控訴人個人が単独で提起した本訴はこの点においても、当事者適格を欠き不適法である。
2 本案(請求原因)に対する反論
(一) 被控訴人は、前記ため池の一部が甘田川改修工事により潰地となつたため、その代償とし国が控訴人ら所有の本件各土地を買収の上、磯野部落にこれを売買又は交換により譲渡した旨主張するが、当時(昭和一〇年頃)右のため池の一部及びその周辺の土地が分筆されて、内務省に寄附を原因とする所有権移転登記がなされているのに、本件各土地についてはその旨の登記も全くなされていない(本件四〇〇番二及び四〇一番四が分筆されたのは、右工事以後の昭和二九年五月七日である。)ので、この一事からしても、本件各土地が当時国に寄附ないし買収されなかつたことは明らかである。
(二) 被控訴人は、本件各土地の時効取得を仮定的に主張するが、磯野部落という極めて暖昧な人的集団が果してどのように現実の引渡を受け、かつ占有を継続してきたのか、証拠上も全く明らかでない。
本件各土地はその北側に接続する控訴人ら所有の三三九番一、四〇〇番一及び四〇一番一の田に灌漑するため掘さくされたものであつて、専ら控訴人らのみがこれを農耕用の灌漑池として使用し、その補修、清掃等も吉井組に請負わせてこれを行つてきたものである。
(三) なお、被控訴人は、前記改修工事により本件各土地は四〇二番一のため池と合体して一個のため池になつた、と主張するが、右工事前の旧地籍図等によると、四〇二番のため池の北側には里道が存在し、その里道の北側が分筆前の三九九番及び四〇〇番であり、四〇二番の南側は里道を経て甘田川に至つていたが、改修工事後の新地籍図では、本件三九九番二と四〇〇番二の南側は道路になり、更にその道路の南側は甘田川であることが明らかであり、かつ現況もそのようになつているから、被控訴人が磯野部落の総有であると主張する四〇二番(分筆により同番一、二)のため池は、右改修工事によりすべて道路敷ないし河川敷となつたものである。
(四) 仮に、そうでないとすれば、控訴人らないしその先代は、本件各土地をため池に掘さく後、遅くとも昭和一二年一月一日以降これを所有の意思で平穏、公然と前記(二)のとおり占有してきたから、二〇年を経過した昭和三二年一月一日時効によりその所有権を取得した。
二、被控訴人の主張
1 控訴人らの本案前の主張について
四〇二番及び五五三番のため池は、磯野部落の構成員である部落住民(約六、七〇戸)の総有(共有)に属するものである。すなわち、右ため池は古くから磯野部落の住民が専ら農耕用の灌漑池として事実上これを支配、管理してきたものであつて、明治以降もいわゆる部落有財産としてそのまま残され、公簿上も「大字磯野共有地」と明確に表示されている。
控訴人らは、<証拠>に管理者として磐園村長名義の記載があることから、右ため池の権利主体は磐園村である、と主張するが、右記載は単に村長名義を形式上使用したにすぎず、右ため池が村有に帰した事実は全くない。
しかして、磯野部落の組織、運営管理及び構成員の範囲等に関しては、すべて長年の慣習的規範により律されており、その代表者である総代に被控訴人が選任されている。
従つて、本訴登記請求については、不動産登記法上磯野部落にその登記適格がないので、総代である被控訴人が本訴を提起した次第である。
2 第一次請求原因の補充主張
本件各土地は昭和一〇年一一月一九日に国が控訴人らから寄附(実質は買収)によりその所有権を取得し、次で同日国から磯野部落が売買又は交換によりこれを取得したものである。
従つて、第一次請求は、本件各土地の中間取得者である国に異議がないので、控訴人らから国に対するその所有権移転登記(中間登記)を省略して、直接磯野部落の代表者である被控訴人に所有権移転登記手続を求める趣旨である。
3 第三次請求の原因
仮に、右中間省略の登記が許されないとすれば、被控訴人は国に対する登記請求権に基づき、国に代位して控訴人らに対し、第三次請求の趣旨のとおり各登記手続を求める。
4 控訴人ら主張の時効取得に関する事実は否認する。
三、証拠<略>
理由
一本案前の主張について
控訴人らは、被控訴人の提起した本訴登記請求は当事者適格を欠き不適法である、と主張するので、先づこの点につき検討する。
<証拠>を綜合すると、四〇二番及び五五三番のため池はもと官有地であつたが、古く明治以前から長年の間、大字磯野の部落住民が専ら農耕用の灌漑池として事実上これを管理、支配してきたことから、明治二五年六月二八日に民有地として磯野部落に払い下げられたこと、そして、登記簿上や旧土地台帳にも「大字磯野共有地」と各表示されていること、磯野部落は旧磐園村大字磯野に在住して農業に従事する部落民(現在約七〇余戸)をもつて構成された共同財産の利用管理を目的とする集団であつて、その役目は代表者である総代一名と協議員八名(任期二年)で組織され、いずれも構成員全員の選挙により選出される慣習になつていること、そして、右ため池の実際上の管理に当つては、構成員のうち直接これを利用する者がその下部組織として水利組合を構成(総代が組合委員長を、協議員が組合委員を各兼務)し、右組合がその運営(水利、水替費用の負担、徴集及び夫役の割当等)を行つていること、被控訴人は右部落の総代兼組合委員長であり、控訴人吉村の先代倉吉はかつて協議員をしたこともあり、現在同控訴人夫実蔵も部落の構成員兼組合員であることが認められる。
もつとも、<証拠>によると、昭和九年頃施行された高田川(支流の甘田川を含む。)改修工事により前記ため池の一部が潰池となつた際、磐園村長が磯野共有地管理者として、これに関する意見書(部落総代と連署)及び承諾書を奈良県知事宛に提出していることが窺われるが、一般に部落有名義で登記されている入会林野等を処分したり、個人に分割する場合に、部落は法人でないからその名で分筆や移転登記をすることができず、またその構成員である部落民全員の名でこれを行うことも登記手続上問題があるので、便宜上市町村長を財産管理人としてその名で行う事例はしばしばみられるところであつて、現に磯野部落の場合も、当審証人西川宗宏の証言によれば、部落有の宅地については大和高田市の名義を借りて登記していることが窺われるから、前記意見書等が磐園村長名義で作成、提出されているのは、いわば便法にすぎないとみるのが相当である。
以上認定の事実からすると、前記ため池は磯野部落の構成員全員の総有に属するもので、かつ右部落は民訴法四六条のいわゆる権利能力なき社団であるということができるところ、本訴は本件各土地が右部落の構成員の総有に帰したことを理由として、その代表者である被控訴人への所有権移転登記手続を求めるものである。
ところで、このように権利能力なき社団の資産である不動産が構成員全員に総有的に帰属している場合、その公示方法としては、従来から社団の代表者個人名義に登記することが行われているが、これは不動産登記法がかかる社団自体に登記適格を認めていないことや構成員全員が登記することも、その変動が予想される場合に常時真実の権利関係を公示することが困難であることなどの事情によるものであるが、本来、社団構成員の総有に属する不動産は、構成員全員のために信託的に社団代表者個人の所有とされたものであるから、代表者は右の趣旨における受託者たるの地位において自己名義に登記することができるものと解するのが相当である。
そうすると、被控訴人が磯野部落の代表者(総代)として提起した本件登記請求の訴は、当事者適格に欠けるところがないから、控訴人らの本案前の主張は理由がない。
二第一次請求について
被控訴人は、本件各土地は国が昭和一〇年一一月一九日に控訴人らから寄附(実質は買収)によりその所有権を取得し、次で同日磯野部落が国から売買又は交換によりこれを譲り受けたものである、と主張するので、この点につき判断する。
1 <証拠>を綜合すると、昭和九年頃国(当時の内務省)が奈良県に施行させた高田川改修工事の際、その支流である甘田川の一部付け替え工事のため、磯野部落有の前記ため池の一部(五五三番の北側部分と四〇二番の西側部分、原判決添付図面参照)の提供を求められたこと、そこで、磯野部落は右工事により潰池となる五五三番のうち六一一平方メートル(分筆により同番三)と四〇二番のうち六二平方メートル(分筆により同番二)の合計六七三平方メートルにつき、その代償として四〇二番の北側に隣接する同一面積の土地、すなわち当時控訴人村井の先代村井甚七所有の三九九番と控訴人吉村の先代吉村倉吉所有の四〇〇番、四〇一番の各土地(田)の南側部分(本件各土地に当る部分)をため池として掘さくすること等を条件に前記ため池部分の河川敷編入を承諾したこと、そこで、奈良県は四〇二番の北側の畦道をはさんでこれに隣接する本件各土地部分を掘さくしてため池にしたこと、そして、本件各土地は昭和一一年一二月三日及び四日付で土地台帳上ため池として分割手続をそれぞれ経ていることが認められる。
2 しかしながら、本件に顕われた全証拠によつても、当時国が控訴人らの各先代から本件各土地を寄附ないし買収により取得したことを認めるに足りる的確な資料は全く存しない(当審における奈良県土木部河川課に対する調査嘱託の結果によつても、前記改修工事に関する計画書及び実施設計書等は同県に保管されているが、本件各土地の寄附ないし買収に関する書類については一切存しないことが窺われる。)。
却つて、<証拠>によれば、右改修工事により河川敷となつた五五三番三及び四〇二番二のため池のほか、その附近の控訴人吉村先代倉吉所有の四〇一番二、同番三や大西正之助所有の四〇三番については、当時いずれも登記簿上寄附による内務省への所有権移転登記がなされ、かつ土地台帳にもその旨記載されているにも拘らず、河川敷とならなかつた本件各土地についてはかかる登記、記載がなく、依然として控訴人ら各所有のままに表示されていることが窺われ、このような公簿上の関係からみると、奈良県としては、磯野部落の要望で本件各土地をため池に掘さくしたものの、それが控訴人ら個人の所有地であり、しかも、河川敷にもならなかつたことなどの事情から、結局これを買収するまでには至らなかつたものと推認される。
もつとも、<証拠>によると、村島貞が四〇〇番と四〇三番を大西正之助に売つた際の昭和六年一一月二七日付売渡証の末尾に「昭和一〇年一一月一九日寄附により内務省のため所有権移転登記済」の記載があり、右記載からすれば、一見四〇〇番についても内務省に寄附されたように窺えないこともないが、同番の土地はその後昭和七年一二月一七日に大西から更に控訴人吉村の先代倉吉に売り渡され、その旨の所有権移転登記がなされていることが前記乙第三号証により明らかであるから、右記載は結局四〇三番についての「登記済証」にすぎないものとみるべきである。
3 なお、被控訴人は、本件各土地は前記掘さくにより四〇二番一(四五九平方メートル)のため池と合体して一個のため池となつた旨主張し、<証拠>を綜合すると、分筆前の四〇二番のため池と三九九番、四〇〇番の田は里道をはさんで南北に接し、四〇二番の南側は甘田川に接していたが、その後前記改修工事により本件三九九番二及び四〇〇番二の南側は道路になつており、その道路の南側は甘田川に接していることが窺われ、しかも、本件各土地及び四〇二番一のため池が公簿上においても一筆ごとに各別に表示、登記されていること(土地の個数は公簿上の区分によつて定まるのが原則)等に徴すると、本件各土地が被控訴人主張の如く四〇二番一と合体して一個のため池となつたと即断することはできない(<証拠>の写真によつても未だこれを認めるに足りない。)。
以上の次第で、国が控訴人ら所有の本件各土地を寄附ないし買収により取得した事実は結局認め難いから、これを前提とする被控訴人の第一次請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がない。
三第二次請求について
被控訴人は、磯野部落の構成員が本件各土地を部落民全員ないし部落自体の共有地(いわゆる共有の性質を有する入会地)であると信じて占有してきたから、その所有権を取得した旨主張するが、このような団体的占有によつて個人的色彩の強い民法上の共有権が時効取得されるとはたやすく認め難いところであり(最高裁昭和四一年一一月二五日第二小法廷判決、民集二〇巻九号一九二一頁参照)、この点、前掲証人西川らの各証言及び被控訴人本人の供述によつても、その占有が排他独占的なものであるとは到底認められない。
却つて、<証拠>によれば、本件各土地の北側に接続する控訴人村井所有の三三九番一の田は上田七継(磯野部落の構成員兼水利組合員)が小作しており、控訴人吉村所有の四〇〇番一及び四〇一番一の田は夫実蔵が、昭和三〇年頃寺田幸次に売却後は同人が各耕作しており、本件各土地がため池に掘さくされてからは、右上田らが専らこれを前記農耕用の灌漑池として使用管理していることが窺われるから、被控訴人の取得時効を原因とする第二次請求も理由がない。
四第三次請求について
被控訴人の主張する第三次請求の原因は、第一次請求のそれと同じく本件各土地の寄附ないし買収を前提とするものであるところ(第一次請求は中間省略の登記請求、第三次請求は代位による登記請求)、右前提事実が認められないことはすでに説示したとおりであるから、第三次請求も理由がないことに帰する。
五よつて、原判決中、被控訴人の第一次請求を棄却した部分は相当であるが、第二次請求を認容した部分は失当であるからこれを取消し、被控訴人の第二次及び当審における第三次請求並びに附帯控訴をいずれも棄却することとし、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(白井美則 永岡正毅 友納治夫)