大判例

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大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)777号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

二わが国において従来から行なわれている無尽講ないし頼母子講と呼ばれる本件のような講は、相互扶助の精神に基づき、融資などの便をうるために多数の者が集合して定期に少額の講掛金を払込み、毎回落札会員に落札金を貸与し、順次これを全員に及ぼすもので、次の二つの類型がみられる。一つは①講元などが自分の事業として会員を募集し、自分の責任で運営するもので、他は②会員が一団となつて協力して、全員の事業として運営するものである。両者の主要な差異は講元その他の講の業務執行人が、満会になつても掛戻債務の回収不能などにより講金の交付を受けられない者に対し、自己の負担で講金支払の責任があるかどうかによつて区別され、講規約その他に特別の定めがない限り、業務執行人はこのような個人責任を負わないのであつて、原則として前示②の会員全員の共同事業で組合的性質を有する講であるとみるべきである(大判明三〇・一二・一二民録三輯一一巻一〇頁、大判昭一三・六・一〇新聞四二九八号一二頁など参照)。

三控訴人は本件の講が講親ないし講元である被控訴人が個人の事業として行なう前示①の講であつて、被控訴人が個人の負担で講金支払の責任を負う契約ないし慣行があると主張し、仮定的主張として、被控訴人が本件講の講員全員に対して講掛金、掛戻金が未回収の場合にも講金の支払をなす旨保証したこと、或いは本件講のような在日韓国人相互間の頼母子講では、講親ないし講元が個人的に右講金の支払義務を負担する慣習がある旨主張するが、その主張に副う前示引用の原判決で排斥した各証拠及び当審証人呉興兆の証言、当審における控訴人玉井政夫本人尋問の結果の各一部はにわかに措信できず、他にこれを認めるに足る的確な証拠がない。

なお、<証拠>によると、在日韓国人相互間の講では、原則として講元ないし講親が講金の支払について個人的に無限責任を負う場合が少なくないことを窺わせないではないが、<証拠>によると、講親が右の責任を負う場合と負わない場合があることが認められるし、<証拠>によると、講親になるのは必ずしも資産の有無によるわけではなく、本件講における被控訴人のように、事業に行詰まり一時営業資金を必要とする資力の乏しい者が親となつて講を始める場合も少なくないことが認められるのであつて、これらの事実を総合すると、在日韓国人間で行なわれる頼母子講においても、講親が掛込金や掛戻金等の支払につき自己が一切の最終責任を負い、すべての危険を個人的に負担するという慣行ないし法的確信のある慣習法が成立しているとは認められないし、本件全証拠によつてもこれを認めるに足りない。また、控訴人は、本件講を含む在日韓国人間の講において、講親が第一回の掛込金全部を親金として無利息で使用し、しかも毎回の配当金を他の講員とともに平等に取得できる利益を得ているから、講親において掛込金ないし掛戻金不払による講金支払について無限責任を負うのは当然のことである旨主張するが、第一回の掛込金全部を親金として無利息で使用できる利点は、わが国における組合的講においても講の業務執行事務の代償として広く行なわれており、本件講にのみみられる特異な形態ではなく、また、親金使用の利益は業務執行の労務とは均衡がとれるけれども、これと掛込金、掛戻金不払による講金支払についての無限責任との間には著しく経済的不均衡が生じ、合理的なものとはいえないから、控訴人の右主張は採用できない。

四控訴人は予備的請求原因として、仮定的に「本件講会の講元たる被控訴人は、他の講員より集金した掛戻金を有するので、控訴人に対し、控訴人の掛金四八〇万円を支払う義務がある」旨主張し、講金四八〇万円と最終講開催日以降の遅延損害金の支払を求めている。ところでこの請求原因事実からは、一応、被控訴人個人に対する責任を追及する請求であると受け取れるけれども、これを組合的性質を有する本件講自体に対する請求を被控訴人個人名義をもつて請求しているものとも解し得る。即ち、頼母子講自体が民訴法四六条に照らし当事者能力を有するとしても、講元など講管理人に講金ないし落札金請求訴訟の被告としての当事者適格を認めて差支えないからである(大判昭三・五・二新聞二八七八号一二頁、なお、最判昭三五・六・二八民集一四巻八号一五五八頁参照)。したがつて、この両請求の当否について順次検討する。

(一) 被控訴人個人に対する講金返還請求について

本件講が組合的性質を有する頼母子講で、その講元ないし講親である被控訴人は講の業務執行人ないし講管理人にすぎず、掛込金、掛戻金、講金等の支払につき個人的に無限責任を負担するものでないことは前示のとおりであつて、掛戻金の集金の有無にかかわらず、被控訴人は講と離れた個人として講金支払の義務を負うものとはいえないから、その余の判断をするまでもなく、右の趣旨の請求は失当である。

(二) 本件講自体に対する講金返還請求について

1本件講自体に対する講金返還請求は、被控訴人個人に対する請求の予備的請求としてなされており、主観的予備的請求の性質を帯有するものである。一般に主観的予備的請求は、予備的な被告とされる者の訴訟上の地位を著しく不安定、不利益にするものとして広くこれを許容することはできないが(最判昭四三・三・八民集二二巻三号五五一頁参照)、本件のように同一人に対し、個人責任を追及する請求とともに組合的講の業務執行人としての講自体に対する請求を予備的に併合して請求することを許しても、前示のような被告の訴訟上の地位を不安定、不利益にする弊害は乏しいからこれを許容して差支えないものと考える。

2 被控訴人において本件講が解散等により終了したとの主張、立証をしない本件においては、本件講がなお存続しているものといわねばならないところ、講が存続している以上、講自体としては掛込金、掛戻金の集金いかんにかかわらず、未取口講員たる控訴人に対し、講金およびこれに対する遅延損害金を支払う義務があるといわねばならない。

3、<省略>

4、したがつて、本件講自体は控訴人に対し、本件講金(掛金)四八〇万円、及びこれに対する最終講開催日の翌日である昭和三八年一一月一日から完済まで民法所定年五分の遅延損害金を支払うべき義務があるといわねばならない。もつとも、右の請求は講自体に対するものであつて、被控訴人は講の業務執行人として自己の名において被控訴人(被告)となり敗訴したわけであるから本件判決をもつて、自己の個人財産に対し強制執行を受けることはない(東京控判昭七・一二・二七新聞三五一五号六頁)。

(下出義明 村上博巳 吉川義春)

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