大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)84号 判決 1979年2月16日
控訴人 川淵静津子
<ほか三名>
右控訴人四名訴訟代理人弁護士 佐々木敬勝
同 塚口正男
同 西村元昭
被控訴人 輪島きよ子
右訴訟代理人弁護士 吉岡良治
同 津留崎直美
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
第一 控訴人ら代理人は、「原判決中控訴人ら敗訴部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。
第二 当事者双方の主張及び証拠関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりである(但し原判決三枚目裏初行の「内分秘」を「内分泌」と訂正し、同七枚目表四行目の「五五才で」の次に「、その職種からして」を、同五行目の「九・三年」の次に「以上」を、同六行目の「として」の次に「少なくとも」を各挿入し、同一〇行目の「となる。」を「を下らない。」と、同八枚目表七行目の「四四年」を「四五年」と、同一〇枚目裏末行の「診料」を「診療」と、同一一枚目表一〇行目の「血奨板」を「血小板」と各訂正し、同一二枚目裏九行及び一〇行目を「控訴人ら代理人は昭和五〇年五月一六日の原審口頭弁論期日において被控訴人代理人に対し、川淵医師の被控訴人に対する損害賠償債務について消滅時効を援用する旨の意思表示をした。」と改め、同一三枚目裏四行目の「争う。」の次に「但し控訴人ら代理人がその主張の日に消滅時効を援用する旨の意思表示をしたことは認める。」を挿入する。)から、ここにこれを引用する。
(控訴人らの主張)
一 三淵医師は、被控訴人に対し約三〇本の非経口鉄剤「フェジン」を注射したにすぎず、これは安全投与量を超えていない。
同医師が昭和四三年五月ごろから約八か月の間に被控訴人に対し約二〇〇本のフェジン注射をしたと認めるべき客観的な証拠はなく、客観的に明確な事実としてはわずかに次の四つが存するにすぎない。すなわち
1 川淵医師が昭和四三年に被控訴人に対し貧血症治療目的でフェジン注射をしたこと。
2 被控訴人は昭和四四年五月七日腰痛と皮膚の色素沈着を主訴として大阪厚生年金病院(訴外病院)内科に入院したこと。
3 訴外病院へ入院当時、被控訴人の顔面、四肢には色素沈着があり、筋力低下、筋圧痛が認められ、被控訴人は訴外病院の満谷医師の問診に対し、川淵医師から貧血症治療として朝夕フェジン注射を受けたと告知したこと。
4 訴外病院での諸検査の結果、被控訴人の体内には多量の鉄沈着が認められ、満谷医師は、被控訴人の鉄沈着の症状と鉄沈着をもたらすヘモクロマトージス等の他の疾患とを鑑別し、被控訴人の症状を医原性鉄沈着と診断したこと。
そして右の事実から、川淵医師が被控訴人に対し二〇〇本ものフェジン注射をしたとの事実は到底推認し得ず、原判決が右事実を認定したのは、被控訴人が医原性鉄沈着症に罹患している限り、その原因は川淵医師のフェジン大量投与による以外はないとの誤った前提に立ったことによるものであり、不当である。
また右事実の認定が誤りであることは次の理由からも明らかである。すなわち、被控訴人は昭和四三年五月からの八か月間に川淵医師以外の医師によって治療を受けていた可能性がある。被控訴人は八か月もの長期間にわたって川淵医院へ通院して治療を受けたのに症状の改善がないばかりか、悪化の一途を辿ったというのであるが、このような状態においても休日以外は毎日通院して注射を受けたということ自体異常で常識的に納得し得ない。川淵医師が八か月の間に被控訴人に二〇〇本ものフェジン注射をしたとするならば、一か月平均二五本の注射をしていたことになり、昭和四三年七月ごろには安全投与量を超え、間もなく被控訴人の顔面等の皮膚色素沈着が認められる筈であるが、被控訴人は皮膚の色素沈着に気付いたのは同四四年二月ごろであるというのであるから、川淵医師が前記のような大量のフェジン注射をした事実はなかったというべきである。
二 川淵医師の鉄剤投与と被控訴人の内分泌機能低下、脱力感、筋力低下、腰痛、歩行困難等との間には因果関係はない。
1 赤血球破壊等によってもたらされる内因性の鉄や、経口的、経静脈的に摂取された外因性の鉄が身体組織に過剰に沈着し(この状態をヘモジデロージスという。)ても、当該組織機能には何らの障害も生じない。医原性鉄沈着症と呼ばれる症状は治療目的の輸血、鉄剤の経口的投与もしくは静脈注射により過剰な鉄が肝臓、脾臓等の臓器、全身の細網内皮系細胞に沈着した状態をいい、これは外因性のヘモジデロージスであって、被控訴人が主張するような内分泌機能低下、筋力低下等をもたらすことはない。
2 ヘモクロマトージスは、肝硬変、糖尿病、皮膚の色素沈着を三主徴とする疾患で、全身組織への鉄沈着が合併する点でヘモジデロージスに類似するが、これとは異なり、衰弱、全身倦怠、筋力低下等の症状が伴う。これらの症状は肝硬変、糖尿病に基づくものであって、鉄沈着を原因とするのではない。
そして医原性鉄沈着症を含むヘモジデロージスは、当該患者が肝硬変に罹患していない限り、ヘモクロマトージスに移行することはないから、仮に川淵医師が被控訴人に対し大量のフェジン注射を行なったとしても、それによる鉄沈着症と被控訴人の主張する内分泌機能低下等との間に因果関係はない。
3 被控訴人は昭和三一年ごろ子宮筋腫、貧血症の治療を受けたことがあって、当時から足底部疼痛、腰痛、踝部けいれん等の症状があったもので、現在の被控訴人が主張する歩行困難等の症状が川淵医師の治療の後に生じたかどうかも疑しい。
(被控訴人の主張)
一 控訴人らの前記主張一中、冒頭部分及び被控訴人が昭和四三年五月から八か月の間に川淵医師以外の医師の治療を受けたことは否認し、その余はすべて争う。
控訴人らは、川淵医師が被控訴人に打ったフェジン注射の数についての原判決の認定を非難するが、被控訴人の発病に至る経過、症状の推移、満谷医師による検査内容、結果等からして原判決の認定した限度では失当とすべき点はない。
二 控訴人らの前記主張二はすべて争う。
1 被控訴人は川淵医師から貧血症治療の目的で大量の鉄剤の投与を受け、肝臓、副腎等の臓器を始め身体組織全部にわたって過剰な鉄が沈着し、このため肝腫大、色素沈着、副腎皮質機能障害等が起り、肝部圧痛、脱力感、筋力低下、腰痛等の諸症状が現われたものである(医原性鉄沈着症)。
2 ヘモクロマトージスは、肝硬変、糖尿病、色素沈着を三主徴とし、肝臓等の臓器の実質細胞の鉄沈着と組織障害を示し、衰弱、全身倦怠、貧血等を主症状とするが、肝硬変、糖尿病変のない鉄沈着症(ヘモジデロージス)であっても、ヘモクロマトージスにおける右症状と類似する症状を呈することがある。
被控訴人には肝硬変、糖尿病変はなく、鉄尿中排泄剤であるデスフェラールの服用によって被控訴人の筋力が回復した事実によっても鉄沈着によって内分泌障害が生じたことが知られる。
(証拠関係)《省略》
理由
一 川淵医師は、大阪市阿倍野区美章園において内科等を診療科目として医院を開業していたが、昭和四七年六月一七日死亡したこと、控訴人川淵静津子は川淵医師の妻、その余の控訴人は同医師の子であること、被控訴人は同四三年五月ごろから川淵医師の治療を受けていたことは当事者間に争いがない。
二 《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 被控訴人は、昭和二二年から大阪市阿倍野区美章園においてダンス教習所を経営し、兼ねてダンス教師をしてきたもので、医師の継続的な治療を要する疾患はなく、概ね健康であったが、同四三年五月ごろ、全身の倦怠感を覚え、近隣で内科、皮膚ひ尿器科を診療科名として開業していた川淵医師の診察治療を求めた。同医師は、被控訴人に対する問診等の結果被控訴人の倦怠感は貧血症によるものと診断し、その治療のため初診日の約一週間後から同年八月末ごろまで休診日(日曜、祝日、八月中旬の三日)を除き毎日含糖酸化鉄剤フェジン二%注射液一管(二ミリリットル、鉄四〇ミリグラムが含まれている。)を被控訴人の腕の血管(静脈)内に注射し、同年九月ごろからは一日当りのフェジン量を二管(四ミリリットル、鉄八〇ミリグラム)に増加し、同年一二月末ごろまで同注射を続けた。
なお、川淵医師が被控訴人の血液の赤血球中のヘモグロビン値を測定する検査等をして被控訴人を鉄欠乏性貧血症と診断したか、フェジン投与後検査をして貧血症の改善があったと診断したかを明らかにする証拠はない。
2 ところが、被控訴人は、同年一二月ごろから足底部、腰部痛を覚えるに至り、その旨を川淵医師に訴えたところ、同医師は鎮痛剤を注射投与したのみで、他に特段の検査、治療措置をとることなく、前記フェジンの投与を継続した。被控訴人は、やがて歩行困難に陥ったため、外科医師の診察を受け、腰椎がずれているとの診断(後記被控訴人の症状の推移、諸検査の結果にかんがみ疑問の余地がある。)に従って一時期腰部にコルセットを着用したことがあったが、腰痛、歩行困難の改善はなく、翌四四年二月ごろには顔面、手指の皮膚が黒ずんでいるのに気付いた。
その後、被控訴人は、心窩部痛があり、胃潰瘍と診断され、薬物治療を受けたり、同じころ微熱があり、軽い咳、痰が出ることがあったが、訴外病院(大阪厚生年金病院)での検査によって、軽度の慢性気管支炎の存することが判明した。
3 そして、被控訴人は、前記腰痛、歩行困難、皮膚の黒ずみ等が軽快しないので、外科的疾病を疑い、同年四月二四日訴外病院整形外科の診察を受け、歩行困難を訴えたが、X線撮影等の諸検査によって腰椎、脊椎に異常はないとされたが、皮膚に色素沈着があって代謝異常が疑われると診断され、これに従い同年五月一日から同病院内科に移り、同月七日入院し、満谷医師を主治医としてその診察を受けることになった。
被控訴人は、入院当初にあって、その顔面、四肢を始め全身の皮膚が黒色あるいは褐色を帯びた灰色で、スレート様の色素沈着が顕著にみられ、肝臓の腫大、肝臓及び筋肉の圧痛が著明で、歩行不能に近い状態(血圧、脈搏正常)にあり、被控訴人は、満谷医師の問診に対し、川淵医師から約八か月の間一日二本のフェジンの注射を受けたこと等を述べ、当時被控訴人の腕には多数回の注射痕によって皮膚及び皮膚下組織が硬化した部分が残存していた。
4 ところで、貧血症には、鉄欠乏性、悪性、再生不良性、溶血性等の種類があって、その中の鉄欠乏性貧血症とは赤血球中のヘモグロビンの合成に必要な鉄の欠乏により起るもので、鉄剤の投与のみによって速やかに回復するものである。
正常成人の身体内には約四グラムの鉄があって、そのほとんどが蛋白質と結合して存在している。食物中の鉄は主に十二指腸において吸収され、血液中で蛋白質「トランスフェリン」と結合し、体内各組織へ運搬される。この鉄運搬機能を果すトランスフェリンは正常人で血漿一デシリットル当り約三〇〇マイクログラムの鉄を結合し得る量が存在するが、通常はその三分の一が鉄と結合していて、血清中の鉄濃度は一デシリットル当り平均一〇〇マイクログラムである。このトランスフェリン濃度に値する鉄量を総鉄結合能(TIBC)といい、これと血清中の鉄濃度との差を不飽和鉄結合能(UIBC)という。
鉄欠乏性貧血症患者の血液中には低色素性、小球性赤血球が認められるのがその特徴であり、これが認められない場合でも血清中の鉄濃度、鉄結合能値の測定、骨髄の鉄染色によって他と鑑別し得る。鉄欠乏性貧血症患者に対し、貧血症の治療を目的として非経口鉄剤を投与する場合には被控訴人の請求の原因3(二)2中に記載された算式(原判決五枚目裏一一行目から一二行目まで)等によって算出される鉄量(被控訴人は当時体重が約四〇キログラムであったから、そのヘモグロビン値が正常人の約二分の一であったとして計算すると一・四八グラムと算出され、ヘモグロビン値が零であるとしても二・五グラムを超えることはない。)を限度とすべきである。
一般に、輸血、静脈内鉄剤注射によって必要量を超える鉄が身体内に投与されると、血液中のトランスフェリンと結合して身体各組織へ運搬され、そこで血管内の網状(細網)内皮系細胞によって顆粒状態でとらえられ、沈着するが、鉄量が同細胞の容量を超えて供給されると、臓器等の組織細胞にまで沈着が起り(肝臓、膵臓に起り易い。)、これによりあるいは他の疾患と合併して諸症状を惹起する(鉄中毒症、鉄蓄積症、鉄沈着症等と呼ばれる。)。身体内に吸収された鉄は、正常人であれ、鉄沈着症等の患者であれ、尿、汗等に含まれて体外へ排泄される量は一日当り約一・五ミリグラム以内であって、鉄排泄促進剤を使用しても、副作用の発現の虞のない範囲内の量にとどめる限り、一日当りの鉄排泄量は約一〇ミリグラムに増大するのみで、身体内に一〇グラムも鉄が沈着している場合はその有効性は疑わしい(満谷医師が被控訴人に投与したデスフェラールは肝機能障害等を招来する虞があって長期大量使用は期待し得ず、他に体内の鉄を排除減量する適切な方法は見出されていない。)。
これらの医学上の知識、経験則、検査技術は、昭和四三年当時内科学の高度に専門的領域に属するものではなく、専門内科医師はもとより、診察治療の実践者である一般内科医師が現に修得、保持しあるいは修得、保持すべきものであった。
5 「フェジン」とは、含糖酸化鉄製剤で、一管二ミリリットル中鉄四〇ミリグラムが含まれている静脈内注射用の二%液として市販され、その使用書には、適応症として本態性低色素性貧血、萎黄病、急・慢性出血による貧血、寄生虫性低色素性貧血が掲げられ、総投与量算出式を明示し、投与期間中定期的に血液検査を行ない、必要鉄算出量を投与しても効果が得られない場合投与を中止するなどの点に留意して過量投与のないよう注意書がなされている。
以上の事実が認められ、川淵医師が貧血症治療目的で被控訴人にフェジン注射を開始した時期及びその本数に関し、《証拠省略》中の右認定に反する部分は《証拠省略》並びに前記被控訴人の発病後の経過、症状の推移に照らしたやすく信用し得ず、注射本数に関し《証拠省略》は《証拠省略》に照らし信用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
控訴人らは、川淵医師の被控訴人に対するフェジン注射本数について次のように主張する。すなわち、同医師はフェジンの投与に当っては一ないし七本を一単位とし、患者に一単位の投与を終える毎に血液検査をなし、その結果さらに投与を必要と判断した場合にだけ注射を続けるという治療方法を採っていた。被控訴人の治療経過からみても被控訴人に対する注射本数が三〇本を超えることはあり得ない。また、同医師が治療を行なった患者のなかに被控訴人と同様の疾患に罹患した者はいないし、現行の健康保険制度の下では大量のフェジン注射による支払基金への報酬支払請求に対しては、保険点数制の関係でその支払がなされないから、同医師がフェジンを過剰投与する筈がない、と主張する。
しかし、昭和四三年当時の川淵医師の貧血症患者に対する治療方法、そのころ以後同四六年までにおける同医師の診療した貧血症患者(被控訴人を除く。)の有無、フェジン投与の有無、同医師の診療報酬請求に対する支払者又は審査機関の審査内容、結果等に関する事実を明らかにする的確な証拠はなく(原審における控訴人川淵静津子本人尋問の結果によって成立を認め得る乙第一号証及び同尋問結果によると、同控訴人は昭和四七年一〇月ごろ阿倍野保健所で被控訴人の診療録を含む川淵医師の患者の診療録、X線撮影写真等を焼却したことが認められる。)、控訴人らの右主張は憶測の域を出ず、前記認定を左右するものではない。
被控訴人は昭和四三年五月ごろから約八か月の間貧血症治療目的で川淵医師からフェジン注射を受け続けたこと、同四四年二月になって皮膚の色が黒ずんできたことに気付いたことは前記認定のとおりであるが、これをもって、川淵医師が被控訴人にフェジンを大量投与したとの事実認定を動かすことはできない。すなわち、一般に患者は、その病状が悪化の一途を辿っていても、医師を信頼し、その指示に従って継続して診察治療を受けるのを通常とし、医師の適切でない措置があった場合でも、特段の事情がないかぎり、患者が置かれた立場上、医師との診療契約を直ちに終了させることは期待し難いというべきである。そして《証拠省略》によると、身体内への過剰な鉄沈着に伴う皮膚の色素沈着は、通常極めて徐々に進行し、ほとんどの症例において初発時を確定し難いものであることが認められ、この事実に照らし、本件において、被控訴人が昭和四四年二月ごろ皮膚の色素沈着に気付いたとの事実は、川淵医師が同四三年五月ごろから被控訴人にフェジンを大量に投与したとの前記認定事実と矛盾するものではなく、前記認定を左右しない。
そこで、以上の認定事実及び前掲各証拠を総合すると、川淵医師は、昭和四三年五月ごろ被控訴人とその倦怠感の病状に関し診療(準委任)契約を締結し、これより善良な管理者の注意義務をもって当時内科医師一般が保持すべき水準の内科医学上の知識、技術、経験則を用いて被控訴人の病状につき有効、適切な治療をなすべき債務を負担したというべきである。被控訴人の倦怠感が鉄欠乏性貧血症によるものであっても、その治療目的としては最大限二・五グラムの鉄を含有する薬剤(当時の被控訴人の赤血球内のヘモグロビン値が零であっても、これ以上の鉄は不要であった。)を投与すれば足り、これ以上の鉄剤を投与することは治療目的からして不要であるばかりでなく、これが身体各組織に沈着し、これによりあるいは他の疾患と合併して鉄沈着症状等を惹起することが確実であったから、前記診療契約に基づく債務の本旨から川淵医師は、貧血症治療の目的で鉄剤を投与するに当ってはそれが過剰量にわたることを避けるべきことが要求されたのに、これに違背して約八か月の間に被控訴人にフェジン注射約三〇〇本をし、合計約一二グラムの鉄を投与し、医原性鉄沈着症に罹患させたことが認められる。これを要するに川淵医師には前記診療契約上の債務につき不完全履行があったというべく、控訴人らはこの債務不履行が川淵医師の責めに帰することができない事由によるとの主張、立証をしないから、これによって生じた損害を賠償すべき義務がある。
三 前記認定事実、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 満谷医師は、被控訴人の入院当初における問診、触診、諸検査の結果から被控訴人の皮膚の色素沈着、肝臓の腫大、肝臓、筋肉の圧痛、歩行困難等の症状はフェジンの過剰投与を原因とする体内各組織への鉄沈着によるものであろうとの一応の判断をしたが、なお皮膚科、放射線科等の医師の協力を得て、被控訴人について肝・胆道・膵機能検査、内分泌機能検査、血液化学検査、尿化学検査、肝生検、肝シンチグラム等の諸検査を行なった。
2 昭和四四年六月一七日の被控訴人の肝生検(肝組織の撮影は同年同月一〇日)では、被控訴人の肝臓は褐色で、肝臓内の毛細血管中の網状内皮系細胞(異物処理機能を有する。)及び肝細胞、クーパー細胞に弥漫性に顆粒状の鉄沈着があった。同年一二月五日の肝生検(肝組織の撮影は同年一一月二五日)では、鉄蓄積量がやや増加し、胆管中に鉄色素があったほか、前回と同様であった。
鉄代謝異常疾患の一であるヘモクロマトージス(皮膚の色素沈着、肝硬変、糖尿病を三主徴とする。)患者の肝臓にも鉄の沈着があるが、沈着部位は肝小葉を取り巻く肝細胞のみであり、右肝臓には肝硬変特有の肝臓繊維増殖がある。他方、被控訴人の肝組織像は明らかにこれと異なるものであって、体外から血管を通じて投与された鉄が血液中のトランスフェリンと結合して体内各組織へ運搬され、肝臓内にあって毛細血管中の網状内皮系細胞によって鉄顆粒としてとらえられ、同細胞に鉄が沈着したが、この容量を超えた鉄顆粒が肝細胞にまで沈着したものである。
3 昭和四四年五月七日から同四九年七月四日までに行われた血液化学検査では、被控訴人の血清中の鉄量、不飽和鉄結合能は別表記載のとおりである。この結果、被控訴人の血清中の鉄濃度は、鉄排泄促進剤であるデスフェラールの投与期間及びその後の一時期において低下傾向にあったが、正常人と比較して終始高値を持続し、血清中に鉄が過剰に存することを示している。
4 副腎皮質機能については、ACTH・Z検査、尿中の一七KSの測定検査によってその不全の有無を判定し得る。前者では副腎皮質ホルモン(ACTH)を投与して末梢血中の好酸球が減少する率を測定し、その減少率が七五パーセント以上を正常とし、後者では副腎皮質ホルモンの分解産物である一七KSが尿中に排泄される量を測定し、一日当り女子で五ないし一五ミリグラムが標準とされる。
被控訴人に対するACTH・Z検査では、末梢血中の好酸球の減少率は、昭和四四年五月八日が四五パーセント、同年六月一九日が零パーセント、同年七月二四日が七五パーセント、同年八月二九日が四一パーセント、同年一〇月二九日が三二パーセントであり、一日当りの一七KSの尿中排泄量は、同年五月一三日が二・三ミリグラム以下、同月三一日が二ミリグラム、同年六月二一日が二・六ミリグラム、同年七月二四日が〇・六ミリグラム、同年八月二九日が二・一ミリグラム、同年一〇月二九日が同五ミリグラムであって、両検査における測定値がいずれも前記正常(標準)値と比較して極めて低く、被控訴人の副腎皮質機能の低下があることを表わしている。
5 昭和四四年五月一二日被控訴人に対しぶどう糖五〇グラムを経口投与し、投与後三〇分、六〇分、九〇分、一二〇分の各時点での血糖量を測定する糖尿病検査では、被控訴人の血糖量(単位マイクログラムパーデシリットル)は、順次一三九、一五一、一八四、一二四であり、同年一二月一九日の同検査でも、同じく、一七〇、一二四、一〇四、九五であって、幾分か糖尿病の傾向はあるが、明らかな糖尿病であるとはいえない。
6 満谷医師は、被控訴人に対し、昭和四四年六月四日から同月二〇日まで、同年七月四日から同月一九日まで、同年八月九日から同月二三日まで、同四五年二月一四日から同月一八日までの各間に鉄排泄促進剤であるデスフェラールを一日当り一〇〇〇ミリグラム宛、同四五年二月一九日から同年三月三日までの間に同剤を一日当り五〇〇ミリグラム宛を投与した。
その結果、(一)被控訴人の一日当りの尿中の鉄排泄量はデスフェラール五〇〇ミリグラムに対し約五ミリグラム増加した。(二)被控訴人の全身の皮膚の色素沈着がやや薄くなった。(三)血清中の鉄濃度は一時的には上昇したが、長期的には低下の一般傾向を示した。(四)筋肉内にその約九八パーセントが含まれ、筋萎縮症等の筋疾患者にあって尿中排泄量が増加するクレアチン(正常人の一日当りの尿中排泄量は零ないし二〇〇ミリグラムである。)の一日当りの被控訴人の尿中排泄量は、デスフェラール投与前の昭和四四年六月二日では零であったが、投与中の同年六月一四日には二五五ミリグラム、投与後一か月以内の同年九月一六日には三七〇ミリグラムに増加したが、同年一二月には三二ミリグラムに戻った(デスフェラール投与中被控訴人の筋肉痛は増強した。)。(五)被控訴人は、デスフェラール投与前の昭和四四年六月四日において握力が右九・〇キログラム、左四・〇キログラムでその低下が顕著であったが、投与を繰返すうち次第に回復傾向が現われ、同四五年二月四日には右一九・五キログラム、左一五・〇キログラムまでに復し、これとともに歩行不能もしくは困難が回復し、起居動作も容易になったが、投与を停止すると再び握力の低下の兆しが現われた。
以上によって、被控訴人には筋自体の疾患はないが、筋肉内にも鉄が沈着していて(《証拠省略》によると、被控訴人の昭和四四年六月一〇日作成の大腿筋の鉄染色標本には稀ながら筋肉内に細顆粒状に鉄染色陽性物質が存することが認められる。)、これがデスフェラールの投与によって動員され、除去される過程で筋肉に何らかの影響を与えること、鉄の除去作用が進行するにしたがって被控訴人の筋力回復の現象がみられ、これによって鉄の体内組織への沈着が何らかの形で筋力低下の因をなしていることが明らかになった。
7 被控訴人は入院当初貧血症の進行はなく、昭和四四年六月初旬のBSP検査では肝炎、肝硬変もないことが明らかであった。
8 被控訴人は、昭和四五年三月二九日まで訴外病院に入院し、同日退院したが、その後も二週間に少なくとも一回の割合で訴外病院へ通院して満谷医師の治療、経過観察を受け、現在に至っている。
被控訴人は、訴外病院に入院中の治療によって歩行は可能となり、起居動作も容易になったが、その余の症状は入院当初からほとんど軽快しないで持続し、昭和四七年四月三〇日には回復の見込がないと診断され、同四八年八月二日までには肝機能障害も発現し、同四九年七月二六日の診察では、易疲労感、背部及び腰部痛、たちくらみ、動悸、肝腫大、肝部疼・圧痛、肝部圧迫感、筋力低下、副腎皮質機能低下、肝機能障害(前硬変型の慢性肝炎)等のほか、心筋障害、軽度の糖尿病が現われるに至っている。
以上の事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
前記1ないし8の認定事実を総合すると、被控訴人に生じた全身の皮膚の色素沈着、肝腫大、肝部の疼・圧痛、筋力低下、筋肉圧痛、腰部・背部痛、歩行困難(易疲労感等)、副腎皮質機能低下、肝機能障害(前硬変型慢性肝炎)の症状もしくは疾患(以下本件疾患という。)は、いずれも川淵医師の鉄剤フェジン投与(債務不履行)に基因するものと推認するのが相当である。
控訴人らは、鉄の体内組織細胞への沈着は当該細胞の障害をもたらすことはなく、本件疾患中色素沈着、肝腫大、肝部疼・圧痛を除く症状もしくは疾患の発現は川淵医師のフェジン投与行為と因果関係がないと主張するので検討する。
なるほど、《証拠省略》によると、鉄が身体組織細胞に沈着しても当該細胞の機能障害をもたらすものではなく、アルコール常用者、肝炎、肝硬変患者の場合に限ってヘモクロマトージスを発現させる虞があるにすぎないとの見解及びその根拠となる動物実験等が存すること、二七歳の女性が二か月の間に約九グラムの鉄剤を非経口投与され、またその間に一八〇〇ミリリットルの輸血を受けたところ、色素沈着は現われたが、肝機能、内分泌機能に障害がなかったとの症例の存することが認められる。しかし、《証拠省略》によると、①色素沈着、肝硬変、糖尿病を三主徴とするヘモクロマトージスは、右のほか心疾患、関節炎、内分泌症状(性欲減退)等がみられることのある疾患であって、その発生原因について近年遺伝的要因を重視する見解もあるが、その原因、発生の機序は医学的に未だ解明されるに至っていないこと、②輸血あるいは鉄剤の投与等によって過剰な鉄が体内に供給され、組織細胞に鉄が過剰に沈着した場合に、これがヘモクロマトージスにまで発展、進行するか、あるいは少なくともヘモクロマトージスと類似し、これと区別し難い病像を呈するに至ることがあるかについて、医学者間にも両論あり、これを肯定する見解にあっても、過剰な鉄の沈着がいかなる条件のもとでいかなる経過を辿って発展、進行するかを明らかにし得ず、また否定的見解は、組織細胞への鉄の沈着は当該細胞の機能障害をもたらさない(鉄の沈着が当然に当該細胞の機能障害をもたらすとはいえないことは広く承認されている。)ことを根拠とするが、ヘモクロマトージスの発生、進行と鉄代謝異常が関連するものであるのに、その発生原因等は解明されておらず、医学者の見解は帰一するところがないこと、③さらに被控訴人に存すると同様の症状、疾患が鉄剤の過剰投与によって生じた症例報告もあることが認められるのであって、控訴人らの右主張は採用し難い(要するに前示推認を覆えすに足りる反証はないといわねばならない。)。
四 前記認定事実に《証拠省略》を総合すると、被控訴人は、大正八年三月一〇日生れの女性で、昭和二二年ごろからダンス教習所を経営し兼ねてダンス教師をして本件医療事故前の昭和四三年四月以前においては医師による継続的な治療を要する等の特別な疾患はなく、概ね健康体として稼働し、総じて毎月七万円を下回らない純収入を得ていたところ、川淵医師の前記債務不履行によって本件疾患に罹患し、その治療等のため、昭和四四年四月一日から休業を余儀なくされ、また、肝腫大、肝部疼・圧痛、筋力低下、肝障害等の後遺症状によってその後ひきつづき稼働可能な全期間にわたって労働能力を一〇〇パーセントの割合で喪失したと認められ、このことと前記被控訴人の年齢、性別、本件医療事故直前ごろの健康状態、職業の特質、当裁判所に顕著な右の当時被控訴人と同年齢者の平均余命(七五歳を下るものではない。)及び賃金構造基本統計調査報告書(労働大臣官房統計情報部発表)中の年齢別勤労者構成等にかんがみると、被控訴人は、本件医療事故に遭わなければ、六七歳に達する昭和六一年までダンス教習所経営者兼教師として稼働し、稼働可能な全期間を通じて一か月少なくとも七万円の割合による純収入を得ることができたことが確実であったと認めるのが相当である。
そこで、これらに基づいて被控訴人の損害額を算出することとする。昭和四九年六月二〇日(被控訴人の控訴人らに対する請求日の前日)までの休業損害額及び逸失利益額の合計は、休業期間及び稼働不能となった期間の六三か月と二〇日に月間純収入七万円を乗じて得られる四四五万六六六六円であり、それ以降の逸失利益額の昭和四九年六月二一日における現価は、稼働可能期間一二年のホフマン係数九・二一五に年間純収入八四万円を乗じて得られる七七四万〇六〇〇円と算定し得る(以上合計一二一九万七二六六円)。
次に、前記認定事実によると、被控訴人は、長期間にわたって川淵医師から貧血症の診察治療を受けたが、同医師の内科医師としての基礎的な注意義務に違背する行為によって現代の医学によっては回復不能な、重篤な本件疾患に罹患し、そのため約一一か月の入院及び今後とも終生にわたる通院をして、治療、経過観察を受けるべきことを余儀なくされ、その後遺症によって、ダンス教習所経営者・ダンス教師を続けて職業人として生きるべき機会を絶たれたばかりでなく、常時安静を要し、日常生活にも不自由な身体状態に至らしめられたと認められ、被控訴人が筆舌に尽し難い程の精神的損害を被ったことはこれを容易に推認することができるところ、これに対し川淵医師及び控訴人らはこれまで被控訴人に対し何らの慰藉的措置をとったと認めるべき証拠はなく、その他本件に現われた被控訴人の年齢、性別、家族関係等の事情をしんしゃくすると、本件医療事故によって被控訴人が被った精神的損害に対する慰藉料は五〇〇万円を下るものではないと認めるのが相当である。
五 控訴人らの消滅時効の抗弁は当裁判所もこれを失当と判断するものであって、その理由は原判決(二三枚目裏一行目から九行目まで)と同一であるから、これを引用する。
また、控訴人らは、抗弁として、被控訴人は昭和四四年六月一七日ごろ医原性鉄沈着症と診断されていながら、本訴提起に至るまで川淵医師やその相続人である控訴人らに対し川淵医師の治療について異議を述べず、控訴人川淵静津子が診療録等を焼却した後に始めてなした本訴請求は信義則に反し許されない、と主張する。
思うに、医師法二四条によると、医師が作成した診療録は、病院又は診療所の管理者、医師において五年間保存しなければならず、本件の被控訴人の診療録は、前記川淵医師の治療期間に照らし、昭和四八年一二月末日まで保存されるべきであったところ、控訴人川淵静津子は昭和四七年一一月ごろ被控訴人の診療録等を焼却したこと前叙のとおりであって、《証拠省略》によると、被控訴人は遅くとも昭和四八年中には控訴人川淵静津子に対し診療録の閲覧を求めたことが認められ、控訴人らは診療録の保存につき法定期間を遵守すべかりしものであって、診療録の焼却後に被控訴人が本訴を提起したからといって信義に反するものということはできない。他に被控訴人の本訴請求が信義則に反すると認むべき証拠はない。控訴人らの右主張は採用に値しない。
六 右の次第(右損害額総計一七一九万七二六六円)で、川淵医師は被控訴人に対し一五五一万五六〇七円を下回わらない損害賠償債務を負っており、同医師の死亡によって控訴人らが法定相続分の割合で債務の承継をしたものであるところ、当裁判所もこの債務は控訴人川淵直秀については昭和四九年六月二八日、その余の控訴人については同年同月二〇日に履行期が到来したものであると判断するが、その理由は原判決(三一枚目裏末行から三二枚目裏六行目まで)と同一であるから、これを引用する。
七 そうすると、被控訴人の本訴請求は、その余の判断をするまでもなく、少なくとも原判決認容の限度において正当として認容すべく、本件控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九五条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山内敏彦 裁判官 高山晨 大出晃之)
<以下省略>