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大阪高等裁判所 昭和52年(行コ)30号 判決 1978年3月30日

控訴人 河本流水

被控訴人 京都地方法務局嵯峨出張所登記官

訴訟代理人 中山道則 河田穣

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一申立

一  控訴人(擬制陳述)

原判決を取消す。

控訴人が原判決別紙目録記載の建物につき、昭和五二年二月二三日受付第四四二三号をもつてした抵当権設定登記抹消登記申請及び同日受付第四四二四号をもつてした所有権移転登記申請に対し、被控訴人がそれぞれ同年三月七日付で却下した処分をいずれも取消す。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文同旨

第二当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりである(但し、原判決四枚目裏六行目の「成立」とあるのを「原本の存在及び成立」と訂正する。)から、これを引用する。

控訴人の補充主張

別紙(一)、(二)記載のとおりである、

理由

一  当裁判所も、控訴人の本訴請求は失当として棄却すべきであると判断するものであつて、その理由は次に付加するほか、原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する。

意思表示を命ずる判決は、その性質上直接強制に馴染まず、間接強制もまた迂遠で実効性に乏しいところから、法はその執行方法につき、当該判決の確定をもつて執行があつたものと擬制し、特段の執行手続を要しないとしたのである(民法四一四条二項但書、民訴法七三六条)。

このように、判決の確定により当然に意思表示があつたと看做される点において、形成判決に類似するが、形成判決では民訴法七三六条のような規定を待つまでもなく、判決自体の効力として直接一定の法律関係が形成され、執行という問題は起る余地がないけれども、意思表示を命ずる判決は給付判決であり、給付判決であるからこそ、その給付の実現方法としての執行が問題になり、その方法として民訴法七三六条の特別な執行取扱規定が設けられたのである。

従つて、この種の債務名義には、現実の執行(狭義の執行)手続は特に要求されないが、少くとも、これが行われたのと同じ効果を生じさせる効力、つまり狭義の執行力を有することが必要と解される(執行力がなければ、執行そのものは勿論、これに代る執行の擬制も許されない筋合である。)。

そこで、給付判決や確定判決と同一の効力を有する和解、認諾調書等に執行力があることはいうまでもないが、問題は本件のような仲裁判断についてまでこれを認めることができるか否かである。

なる程、仲裁判断も当事者間では確定判決と同一の効力を有するものであるが(同法八〇〇条)、本来、執行権は国家に専属し、その行使は国家権力に基づく行為であるから、その執行力を付与される債務名義は国法に適合してなされたものでなければならないところ、仲裁判断は私的な紛争解決方法で、その権威は当事者の合意に由来するのみで、国法に適合してなされたという保証はないのである(この点が、裁判所の画接関与のもとで成立、作成される和解調書等と同列に論じられないところである。)。それ故、仲裁判断だけでは執行力を有するとは解されず、その内容を国家に専属する執行権の行使により実現するためには、更に国法による執行力の付与が必要となり、同法八〇二条の執行判決の制度は正にこの要求を満たすものである。

そうすると、本件の如く意思表示を内容とする仲裁判断についても、裁判所の執行判決があつてはじめて執行力が付与され、これにより執行が擬制(意思の陳述が擬制)されるにいたると解するのが相当である。

以上の次第で、当審における控訴人の補充主張もすべて独自の見解であつて、到底採用の限りでない。

二  よつて、これと同旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから棄却し、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 白井美則 永岡正毅 友納治夫)

別紙一

(一) 仲裁判断に狭義の執行力があるか?

1 狭義の執行力というのは、判決や調書等にしめされた給付義務を、強制執行手続によつて実現できる効力のことをいうのであつて、だからと言つて、給付を命じた仲裁判断であつても、給付義務の性質上強制執行に適しないものであるときには、この執行力を有しないとされるのであり、所謂、狭義の執行力が必要とはせられないのである。

2 民法四一四条二項が規定するのによると、「法律行為を目的とする債務」とせられるところの不登法二七条中の判決というのに包含される仲裁判断は、強制履行するのに適さないために(民法四一四条一項但書)代替執行の一方法としての代用判決のなかに包含されること当然の帰結である。所謂、同法条一項本文として定められているように、「強制履行ヲ裁判所ニ請求スルコトヲ得」とあるの強制履行というのを如何に解するかは問題であるが、同条二項との衝突を来たさぬようにするためにも又、間接強制の方法は債務者の人格尊重の面からみて他の方法に劣るとも考えられるので直疲強制執行と同義に解するを妥当とせられるので、その結果として、直接強制執行をしか債権者は裁判所に対して請求することは許されない。それ故、この直接強制執行というのには全く当て嵌まらない代用判決又は之に包台されるものすべては、そのことからしても強制執行するのを必要としないことをその拠り所とする。この本質というものを確立維持してこそ法の秩序を認めることができるのである。

法律行為を目的とする債務については、それをすることを命ずる裁判が確定するのと同時に、それが意志表示することを命ずる旨の裁判であるときは意思表示を債務者がしたることとみなされるのであり、それ自体強制執行したと同視されるものである(民法四一四条二項但書及び民訴法七三六条前段参照)。だから、この裁判又は之と同視される効力のあるものはすべて狭義の執行力を有するという訳であり、之に反する解釈はその解するものの独自の見解であるにすぎない。蓋し、判例法も、大審院の明治四一年一二月二三日判決〔民録一四輯一三二八頁〕をはじめとして、別紙として原告が明示する如くに、原告が右に述べたのと全く同旨の立場に終始立脚しており、そのところによつても、「登記手続を命ずるとの裁判が確定する以上に之を強制執行することは不要である」とするは明白である。

(二) 仲裁判断につき執行判決を付与する必要の有無について。

1 原告が右に叙述するように、前述の不登法二七条中の「判決」というのに包含されるとした趣旨の仲裁判断であるときに限つて、強制執行することは全く必要とされないものであるし、之と反する解釈をするための根拠法案は関係諸法令のいずれにもないのであつて、ましてや、民法四一四条二項但書ならびに民訴法七三六条の各法条そのものを精査してみても、斯かる根拠法条とせられるべき例外も又除外とても認められるものが皆無なのである。

2 民訴法八〇二条一項は、仲裁判断によるの強制執行については執行判決を必要とすると定めておるのだが、凡そ、執行判決を目して執行力を付与する訴訟上の形成判決と捉える通説に立脚して原告が考えるならば、前叙した如くに、強制執行をする必要とてないことが明確な本件仲裁判断には、これから後に強制執行をするためのことに備えて「其許ス可キコトヲ言渡シタルトキニ限リ」その強制執行をすることができると定めた民訴法八〇二条一項が適用せられねばならないとは到底断ずべきでないのである。

そうして、仲裁判断による強制執行をするのには執行判決を必要とするとして原判決が其の理由を判示したのに対しての原告の見解を因みに述べること次のとおりである。

3 本件仲裁判断がその原本を所轄裁判所へ適法に寄託されると、その主文内容事項につき既判力を付与せられて(民訴法一九九条一項、七九九条及び八〇〇条)、其の仲裁手続は完了したとされる。したがつて、其の一の裁判とせられる仲裁判断のもつ権威は、それの付記理由が裁判所と雖も之に拘束されるのであつて(大審院明治三九・一〇・二六判決〔録集一二輯一三五三頁〕)、当事者各自もそれに服従することを義務づけられるために、その理由付記を不当とするとしては仲裁判断取消を訴求することはできないとせられる(大審院昭和三・一〇・二七判決〔民集七巻一一号八四八頁仲裁五〇〕)ところに於いて確保せられておるのである。それで、若しも仲裁人が仲裁判断をするに際し、その付記理由中において仲裁判断取消事由はないという判断を示したとすれば、たとえ当事者が該仲裁判断につき取消事由があるとして仲裁判断取消を訴求しても之を審判する裁判官としては、これが請求を棄却する判決しかすることは許されないのである。それよりも、本件仲裁判断について若し当事者が仲裁判断取消を訴求しても、もともと強制執行をする必要のないものである点にあつて執行適格を有せず、之を理由として請求却下の判決をこそせられる筋合いのもので、これより他に出でるものではない。このことからしてみるに、本件仲裁判断については執行判決あるを要するまでもなく、狭義の執行力があること前叙のとおりである。

したがつて、本件仲裁判断には広狭義ともの執行力があるというべきであるから、これに反する原判決の判示理由は、法の解釈の本義ならびに判例法に悖反するの違法あるものである。

別紙二

一 原審が判示せる「狭義の執行力」というのは、本来の意義の執行力は、仮執行宣言付判決或は保全命行の判決を除き、給付判決を命じたそれの裁判確定してはじめて生ずるとせられるのその執行力を有するといわれるものであつて、他に之に属するとされるものはない。

したがつて、確定裁判と同視される仲裁判断について狭義の執行力を欠くとせられる根拠となるものは何一つとして存しないのである。

二 仲裁判断に於いて給付的内容事項とされておつても、執行判決がなければ強制執行することができないということは原告も之を然りとするが、然し、本件仲裁判断の如き場合にまでそのことがズバリと当嵌まるものでないことは、原告がさきに論証主張せるとおりである。

三 原番は、本件仲裁判断につき広義の執行力が無いとは判示しておらず、そのことからすると、斯かる執行力のあることを容認しており、原告はそのことを不服としてはおらないからして、御庁も、本件仲裁判断に広義の執行力がないと判断してはならない拘束をうけておるのである。因みに、本件仲裁判断の如き仲裁判断には広義の執行力が無いということを唯一の理由根拠として、「仲裁判断に執行判決を欠くときは強制執行することはできない」として、仲裁判断にのみ基いては登記手続することができないとみるのが登記実例ならびに学説であるが、その論旨とするところが正当ではないこと右に述べたとおりであり、原告のこの主張要旨と同説のものに現に染野義信日本大学法学部教授の『国語民事訴訟法』(自由国民社発行)四七二頁に於いての民事訴訟法七二六条の〔注解〕中に、

「ここには「判決」だけをあげているけれども、外国判決・仲裁判断または和解調書などもそれが意思表示をすることを内容としている場合は、阿じように取り扱つてよい」

と述説されているのである。

四 さて、仲裁判断と同じく確定判決と同視される和解調書についてであるが、それが意思表示としての登記手続をするというのを内容とする限りでは、次に掲げる判例のように、該和解調書を添附してその命ずるとおりの登記申請を所轄登記所に対して為す不動産登記法二七条に則る単独申請であつても、所詮それは該和解調書に基づく強制執行ではなくて、不動産登記法に定められるに則つてする一の手続であるにすぎないし、それを言葉を代えて表現するならば、確定判決又は之と同視せられるものであるそれが存在する場合に、かと言つてそれに付与された効力にあるのではない所謂広義の執行力があるの作用として捉えられるが、これが本件仲裁判断についてもあることを原判決が判示した点では原告も之を高く評価するのであり、したがつて、前示登記実例および学説は全くその前提となる根拠を欠いていることになつた。

判例 (傍線は原告がする)

1 大審院昭和九・一一・二六決定〔民集一三巻二一七九頁〕「不動産登記法第二十七条ハ判決又ハ相続ニ因ル登記ハ登記義務者ノ協力ヲ俟タス登記権利者ノミニテ之ヲ申請シ得ヘキ旨規定シ……略……和解調書ノ記載カ債務者ニ対シ登記手続ヲ命シタル場合ニ於テハ債権者ハ之ニ基キ申請書ニ和解調書ノ正本ヲ添附シ単独ニテ調書記載ノ如キ登記手続ノ申請ヲ為シ得ヘク此ノ場合債務者ニ登記手続ヲ命シタル和解調書ノ強制執行トシテ之ヲ為スコトヲ要せセサルモノトス」

2 東京高裁民五部昭和三三・一二・一〇決定〔判例タイムズ八九号〕「右和解調書の記載は確定判決と同一の効力を有するから、民事訴訟法第七百三十六条の規定により右和解書が成立すると同時に右意思の陳述があつたものとみなされるので、その後において意思の陳述の強制執行をする余地はない。……略……和解調書成立後登記までの間の手続は登記義務者以外の者が不動産登記法に定めるところに従つてなす登記の手続であつて、和解調書に基く強制執行の手続ではない。」

なお、原告が第一回準備書面にてその九頁の一行目から二行目にかけて述べたる「別紙として原告が明示する如くに」とあるの部分は之を削除割愛することとする。

五 要するに、本件仲裁判断も和解調書と同じく確定判決と同視されるからして(民訴法八〇〇条)、登記手続を命ずる内容事項であるというのであつてみれば、和解調書の場合と取扱いを異にすべきでないこと原告がこれまでに主張すること竝に引用判例学説の要旨にてらして明白である。そのことは、菊井維大著『強制執行法(総論)』(法律学全集)の二頁七行目以下に於いて「裁判に基づく国家の行為といの点で、裁判に基づく強制執行と相似性があるだけで、国家が強制力を用いる余地は理論的にも実際的にもないし、また請求権の実現が図られるのでもないから、強制執行に属しない」といい、又、岡垣学著『強制執行法概論』二頁一六行目以下に「これらはいずれも裁判がその内容に適合する本来的な効果を生ずることを意味するにとどまり、強制力の行使による給付請求権の実現とは無関係であつて、強制執行の観念に属するものではない」といわれてあるのに鑑みても、当然のことである。わけても、執行判決訴訟が、本件仲裁判断の内容が強制執行に適するか否かをも審理されることを求めて起訴されるというのであつてみれば、はじめから強制執行に属しないことが分明しておるものを強いてこの起訴を為さしめるはそれ自体判決請求の必要性を逸脱せしむるものであつて、斯くては、本件仲裁判断につき執行判決を得ることをまで法は要請しておると考えることは直ちに組し得ないのである。ましてや、所轄登記所は執行機関ではないとあつてみれば尚のことである。

六 してみると、民法四一四条と民訴法七三六条前段との関係において、強制履行が強制執行そのもののみを指すかどうかはさて措くとして、確定判決でなくても法令上確定判決と同視せられる本件仲裁判断は、それ自体狭義の執行力をもつものである。蓋し、強制執行の観念に属する余地のない本件仲裁判断において、債務名義でなくても之を狭義の執行力なしとし去つてしまう訳にいかないからである。

七 原審は、原判示するところによると、

「不登法二六条の趣旨より右意思表示は登記官へ到達することが必要であるところ、民訴法七三六条は給付判決の狭義の執行力に基づく執行完了擬制を定めるが、右登記官への到達まで擬制するものでない」(理由三項1号)

とのことなので、この点につき原告は、民訴法七三六条が登記官への到達まで擬制するのでないという部分に関聯する問題を検討してみる。

イ 登記は不動産取引に関する公示方法であつて、効力発生要件となるものではない(民法一七七条)。

ロ 登記は、原則としてその申請者の真正な意思に基づいてのみ登記申請原因事由の有無に拘らず公示方法としての効力をもつにすぎない。

ハ 不登法四九条三号の規定にてらすと、同法二六条は当事者出頭主義を定めたとみるべきである。

ニ 登記申請行為とは、登記申請人が登記所に対し、一定内容の登記をなすべきことを要求するところの私人のなす公法上の行為ではあつても、法律行為ではない。

ホ 不登法二七条そのものは、登記手続上の登記権利者が登記義務者に対して有する登記請求権の強制実現の場合について規定するのに止まるとされるが、それは登記申請手続に関する限りでは、登記申請の登記所への到達を法定するの広義の執行の手続を定めたものである。

ヘ 本件仲裁判断を添附してする登記申請において、そのことを以つて登記官への到達があつたということをまで擬制するいわれはない。とするに考えて合わすも、右判示理由は正当であるとするには原告も決してやぶさかではない。

八 結論

(一) 民訴法七三六条は、原判決が判示するなかにいうところの「判決」等が給付判決のすべての狭義の執行完了擬制を定めるのではなくて、同じ給付判決でも意思表示を内容とするものについてのみの狭義の執行の完了が擬制せられたのであり、その狭義の執行は完了したことをしめすに他ならない。然るに、その擬制時にその命ずる意思表示そのものの実現をさせることは最早之を必要とするのでなく、あらためて狭義の執行力の発生を促がす理由となるものが何一つとしてなく且つその法律上の要請に応え得る必要性とても皆無である。

(二) 右「判決」等という概念のなかには、本件仲裁判断も包含して解されるものであること自体は、原判決も、不登法二七条にいう判決が如何なる範囲に限定するかにつき判示理由三項一号中において(5葉目裏の4行目乃至8行目)、之を是認明記しており、されば、確定判決と同視されるに至つた時点すなわち本件仲裁判断の原本が京都地方裁判所民事部を管轄裁判所として寄託せられたる昭和五一年一月二五日に本件仲裁判断に於ける意思表示を命ずる部分の内容事項につき狭義の執行力が発生するのと同時にそれによるの執行を完了したことになるとしたものであり(民訴法一九九条一項、七九九条及び八〇〇条、七三六条前段)、民訴法七三六条後段のような例外規定に該当するものでもなく、又、斯かる取扱いをされないといつたことを明規する除外理由としてもない。

(三) したがつて、判示理由中に、右より後の箇所において、本件仲裁手続には狭義の執行力がない云々として述べることは右に是認明記したと原告がしめしたのとは根本的に相反したことをしめす矛盾そのものであつて失当である。それ故に、本件仲裁判断につき執行判決をさらに必要とすることは、結局、理由がないというに帰するので、これに反する原判決の判決理由記載部分は失当であるというべきである。

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