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大阪高等裁判所 昭和53年(う)1373号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

論旨は、原判示第一事実に関するものであつて、要するに、被告人は、今井信夫との話合により同人をかばうため警察へ出頭し本件事実の取調べを受け、これを認める供述をしたのであるが、右は虚偽の供述であつて、真実は本件事実に関与していなかつたものであるから、右事実につき被告人は無罪であるというのである。

そこで、所論にかんがみ記録を精査し当審の事実調べの結果を併せ検討する。

被告人が当初原判示第一事実を含む全事実を認めていたため原審は第一回(昭和五一年一一月一一日)から第三回(同五二年六月一〇日)までの公判を開いて審理し弁論を終結したが、同月三〇日弁護人谷口茂高から原判示第一事実を争うとの理由で弁論再開請求がなされたので第四回公判(同年七月二日)を開き弁論を再開し(右弁護人の辞任等により同日現在弁護人不在の状態にあつた。)、同月一八日新に国選弁護人を選任し、以後第一二回(同五三年六月一六日)までの公判を重ねて証拠調を行つて結審し、第一三回公判(同年七月二〇日)において原判決が言渡された。

被告人は、第三回公判までは原判示第一事実を認め争わなかつたが、再開後はこれを争い、「右事実を認めたのは、今井信夫から頼まれ、『昭和五一年二月四日に村上義孝に譲渡した覚せい剤の仕入先を警察に言いたくないから、お前から仕入れたことにしてくれ。(お前が右のように言つて警察に出てくれたら)ちやんと保釈で出してやるし、生活の方の面倒も見てやるから。』と言われたからである。それで、同年八月二日天満警察署へ出頭して逮捕、勾留され、原判示第一事実を認める供述(判示日時場所において今井信夫に覚せい剤三〇グラムを譲渡した旨の供述)をしたのであるが、真実はそのような事実がなかつたのである。」旨の供述をするに至つたところ(今井信夫も再開後の七ないし九回公判にこれを裏付ける供述をしている。)、原判決が右供述を措信せず被告人を有罪としたが、これは、被告人の従前の供述(公訴事実を認める)を措信すべきものとし、更にこれに符合する今井信夫、村上義孝の各供述調書(検察官、司法警察員)等によつたものと認められる。そこで前記「虚偽供述」とする被告人の言い分につき、ひいては右新旧両供述につき、その信用性如何を検討する。

(一) 記録並びに原審、当審で調べた証拠によれば、今井信夫は、昭和五一年一月一〇日頃から他より覚せい剤を仕入れ、これを被告人を通じて密売していた事実が認められるところ、(今井自身の供述は昭和五二年一〇月を境にしてそれ以前と以後でその内容を大きく変更するに至つている。)同年六月頃から同五二年九月頃までの警察、検察庁における取調べに対して同人は、「昭和五一年五月頃から被告人に勧められて覚せい剤密売を始めたが、それ以前には密売をしていない。同年二月四日の村上義孝への一〇グラムの譲渡は、たまたま被告人より依頼されて行つていた小切手取立交渉の過程で、その相手村上義孝から覚せい剤を売つて儲けて返済するので世話して欲しいと頼まれ、被告人が劉より預かり所持している覚せい剤のことを思い出し、その場で被告人に連絡して持参させ、それを右村上に譲渡してやつただけであつて、当時未だ自己の計算で覚せい剤密売はしていなかつた。」旨の供述をしていたが、同五二年一〇月七日付司法警察員調書において、(従前の供述をひるがえし)始めて同五一年一月一〇日頃より覚せい剤密売を被告人を使つてしていたことを認める供述をするに至つた。すなわち、右調書によると、今井は右一月一〇日頃から二日おき位に毎回三〇乃至五〇グラム位の覚せい剤を仕入れ、これを被告人に渡して小売りしていたこと、本件の二月四日(村上義孝に一〇グラム譲渡した)の五日程前にも一〇〇グラムの覚せい剤を仕入れた事実があり、しかも同じ右二月四日にこの(一〇〇グラム)中より一〇グラムを村上浩然にも自ら直接譲渡した事実があることなどが認められる。右事実によれば今井は夙に本件以前(昭和五一年一月初め)から覚せい剤を手広く扱い、密売元として他の仕入先より多量に仕入れて売人を使つて流していたものであり、被告人(及びその妻)は今井に使われていた売人の一人であつたと認められる。してみると、右今井と被告人との当時の間柄、ことに手持の覚せい剤の中から十分譲渡し得る余裕のあつた筈の当時の今井の側から見ても、本件三〇グラムの覚せい剤を今井が被告人から入手する(そして村上に交付する)というのは、とりわけ、今井供述にあつては(後で判明したように)今井自身の前記密売状況特にその仕入れルートを秘匿していることと考え併せてにわかに信じ難い点があるものと言わざるを得ない。

そして、この点は、本件捜査の端緒となつた後記村上義孝の供述内容との関連においても、問題となつてくるのであるが、そのことは後で言及する。

又、被告人についても、証拠によれば、覚せい剤を常用していた被告人は二月八日(本件の四日後)に僅か0.2グラムの覚せい剤を自己使用のため一万円(グラム当り五万円)で買受けている事実があり、この事実から窺われる当時の被告人の生活実態(0.2グラムの自己使用分に事欠き一々買つていた)と前記今井との関係に徴し、二月四日に被告人が三〇グラムの覚せい剤を持つていて、これを全部そつくり今井に譲渡したということは、いかにも不釣合の感を免れず、二月四日当時果して本件三〇グラムの覚せい剤が被告人の手に所持されていたかどうか、そのこと自体、被告人の側から見ても、矢張り、疑えば疑わしく思われてくる点である。

したがつて、本件訴訟事実に添う被告人及び今井信夫の前記各供述調書はその内容自体についても二月四日当時及びその前後における被告人と今井をめぐる客観的諸状況に照らし疑問の存するところと言わなければならない。

(二) そこで次に、被告人、今井信夫及び村上義孝の各供述調書の内容を比較し、その各供述の変遷の経緯とその相互関係を検討することにする。

まず最初に捕つた村上義孝の当初の供述は「二月四日今井組事務所で今井から覚せい剤一〇グラムを譲受けた。今井は事務所内の金庫から取出した覚せい剤中より一〇グラムを量つてそれを小さいビニール袋に入れて渡してくれた。」とするものであつたが(昭和五一年三月一九日付、同月二三日付各司法警察員調書)、次いで右事実に関し勾留された今井が取調を受け村上に渡した覚せい剤の出所を追究され、「村上に渡した覚せい剤は今井組事務所から被告人に電話して持参させたものである。被告人は自転車に乗つて三〇グラム持つて来た。その中から一〇グラムを村上の家へ行つて譲渡した。」(同年七月二〇日付司法警察員調書、同月二二日付検察官調書)と、その授受の状況について村上とくいちがう供述をしたため、再度取調(これは、村上の当審証言によると、同人に対する右一〇グラムに関する事件の第一審判決後である)を受けるに及び村上は、今度は従前供述を翻えし、右今井供述に添う供述をするに至つた経緯(七月二二日付司法警察員調書、七月二三日付検察官調書)が認められる。そして、その後以上と同旨(但し、被告人が自転車で来たとの供述はなくなつている。)の今井の同月二四日付、同月三一日付各司法警察員調書、同月二六日付検察官調書が作成されたのち、同月二八日今井は保釈となつた。その直後今井と接触した被告人は、同年八月二日自ら天満署へ出頭し逮捕、勾留されて取調を受け、「二月四日今井から隣家の中西方に電話があり(私方には電話がない。)事務所に電話をくれということなので電話をすると、今井が覚せい剤を持つて来いと言うので、タクシーで三〇グラムを持つて行つて事務所前でクラクシヨンを鳴らし、出て来た今井に渡した。後から電話してくれと言われたので、家に戻りすぐ電話すると、代金は俺が責任を持つと言つていた。右一〇グラムを含む四〇グラムの覚せい剤は劉永桃という男から三〇万円のかたに拳銃、実包等と共に預つたものである。代金は二月七、八日頃と二月一五日頃の二回に今井から受取つた。」と述べるに至り、(同年八月三日付、同月六日付、同月七日付各司法警察員調書)次いで、これを受けてか今井は「一月下旬頃、被告人の家に行つた際被告人から、劉が覚せい剤を置いて行つたと言つて見せられたことがある。それで二月四日村上から覚せい剤の世話を頼まれた時これを被告人に伝えて持参させた。代金は二月八日と一〇日に支払つた。」と述べており、以上が、今井供述の同年九月に至るまで(その後、今井は供述を変えたが)の概要であつた(同年八月一〇日付検察官調書、尚同人の七月三一日付司法警察員調書では、代金は二月八日に支払つたとされていた。)。次いで、更に被告人が「一月下旬今井が私方に来た際、劉より預つた覚せい剤の話をし、その処分の相談をしたことがある。覚せい剤の代金は二月八日と一〇日に受取つた。」旨供述し(同年八月一一日付検察官調書)、今井の供述に符合させるに至つている。右のように三人三様の供述の変遷があるが、右各変遷の先後関係を辿つて比較してゆくと、そこに或る相互関係、特に、村上、被告人ともその供述の変遷に、今井供述との相関関係のあることが注目される。端的にいつて、まず村上供述の変更、次いで細部についての被告人、今井両供述の間の相互修正の過程を経て、結局、今井供述へ符合するに至つていることが認められる。そして、各供述の以上の如き符合に至る過程には或る種の作為が感ぜられないではないのである。ことに村上の供述変更は、同人に対する第一審判決後に今井の供述に合わせるためになされた疑いが濃厚であつて、今井が村上の目の前で金庫より覚せい剤を取り出し量つて渡したとする当初の供述と、これを今井が他所に電話して持つて来させたものを受取つたとする供述への変更は、余りに唐突であつてその変更理由が明らかでなく(どちらにせよ村上の立場から見れば何の利益もないことであるから、同人が当初から、その点について嘘を言う理由は考えられない。)、しかもそれは単なる記憶違いで片付けられる性質のものではなく、変更自体に何か不自然なものが感ぜられるのであつて、そこには捜査官の質問に対する(何らかの原因による)村上の意識的迎合を想定し得ないではない。まして、この点は、当審における村上の証人としての証言をも併せ考えると一層その感を深くしない訳には行かないのである。

そして、被告人、今井、村上三者の供述が一応符合するに至つた後においても本件覚せい剤授受状況の細部になると三者のいうところ必ずしも一致せず、例えば自転車で来たのかタクシーで来たのか、電話の具体的連絡方法等、依然として当事者間にくいちがいや不統一の部分が残つているのである。

これを要するに、少くとも次の点は被告人の自供調書の信憑性評価の上から、特に注目すべきものと思われる。

(1) 被告人の自供(公訴事実に添う)をはじめた時期は恰も今井供述では昭和五一年五月以降の密売のみを認め、今井としては本件当時の密売を秘匿しようとしていた段階にあたること、

(2) 村上供述では、当初、今井が三〇グラムを出して量つて渡したことを供述しながら、七月二二日以降、前記今井供述がはじまつてからはこれに符合する内容に一変するに至つていること、

(3) 今井はその後(昭和五二年一〇月以降)詳しく自己の密売についても語るようになつたがその全供述を通じて浮び上つてくる密売元としての今井の実体像に照らすと、村上供述では当初のそれ(三月二三日付供述調書)が最も今井の実体に触れた取引状況を語るものと認められること、

このように見てくると今井との打ち合せによる虚偽供述であるとする被告人の言い分も単に否認のための否認として、これを無下に一蹴し去りがたいものがあるといわざるを得ない。

(三) それでは、果して被告人と今井との間に、右打ち合せの可能性を裏付けるものがあるかどうか。この点については次の事実が認められる。

すなわち、七月二八日保釈となつた今井と被告人はその直後に接触した事実があり、そのあと八月二日天満署に出頭して取調を受けるに至つていることが認められる。右八月二日被告人が天満署に出頭した事情についても当時被告人の妻は近畿麻薬取締官事務所に捕つており、被告人は妻との共犯として追われていると考え逃げ回つていたのであるから、単に妻の釈放のため出頭するのであれば右事務所へ出頭すれば足りるのに、今井の弁護人谷口茂高に伴われ今井を取調べた天満署(今井は、村上義孝への覚せい剤譲渡の事実により天満署に七月一六日より二八日まで勾留されていた。)へ出頭したことは、出頭前における今井、被告人接触の事実と相まち両者間における本件に関する何らかの打合わせの存在を推測し得るものがあるし、(原審再開直後に右谷口茂高弁護人が辞任し以後国選弁護人の立会のもとに審理がなされた)更に右両者の会見の際立ち会つたという伏見義明の原審証言によつても、この間の消息を裏付けることができる。

しかも、七月二八日今井の保釈出所から八月中、両者の接触のあつた時期は正に前記のとおり今井は本件当時の自分の密売の事実及び仕入ルートを極力秘匿しようとしていた時期であつて、被告人が今井供述に符合する虚偽供述をすることは、すなわち今井のために当時の密売仕入ルートを秘匿するのに役立つことになり、今井は今井なりに、そして被告人はまた被告人なりに夫々の打算による狙いや目的に合致し、両者の利害が一応完全に一致していた時点であつたといえるのである。その意味において、右虚偽供述の動機の点についても被告人には充分これを肯認し得るところといわねばならない。そうすると、前記「虚偽供述」とする被告人の言い分も、それなりの合理性を有することになりしたがつて、無下にこれを否定しきれないものがあるといわざるを得ない。

以上(一)ないし(三)に検討したところに徴すると、(もつとも、一面において右両者間の供述打合わせなるものも、簡単にすぎ、その時期や内容についても、必ずしも明らかでなく又今井が述べる真実の覚せい剤の仕入先なるものの信用性についても、必ずしも疑問の余地がないとはいえないが、)前記のとおり被告人の自供調書は内容的にも真実に符合しないと思われる点や疑問点が余りに多く、しかもすでに見て来たとおりの状況証拠に徴し今井との打ち合せによる虚偽供述の疑も拭い去りがたいものがある以上もはや、これを積極的認定の資料とするには躊躇せざるを得ない。そうすると、原判決が原判示第一事実の証拠として挙示する原審第一回公判調書中の被告人の供述部分、被告人及び今井信夫の各供述調書並びに村上義孝の検察官及び昭和五一年七月二二日付司法警察員調書(以上の供述調書には謄本を含む。)はいずれも、措信し難いものと言うべく、そして、右証拠を除くその余の原判決挙示の証拠によつては、もはや原判示第一事実はこれを認定するに由なく(かえつて原判決挙示の村上義孝の昭和五一年三月二二日付司法警察員調書謄本によれば同事実は否定されることになる。)、記録及び原審、当審において取調べた証拠を精査し検討するも右判断を左右すべきものはない。結局、右事実についてはこれを認めるに足る犯罪の証明が十分でないことに帰するから、右事実を認めた原判決は事実を誤認したものと言わざるを得ない。

(西村哲夫 藤原寛 笹本忠男)

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