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大阪高等裁判所 昭和53年(う)163号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

三そこで、まず侵害の急迫性の点について考えてみるのに、刑法三六条にいう「急迫」とは、法益の侵害が現に存在しているか、または間近かに押し迫つていることを意味するところ(最高裁判所第一小法廷昭和二四年八月一八日判決・刑集三巻九号一四六五頁、同第三小法廷昭和四六年一一月一六日判決・刑集二五巻八号九九六頁等参照)、本件の場合、実父らの制止によつて前記正豪の被告人に対する加害行為が一旦は終了したことは、原判示のとおりであるとしても、前記認定のとおり、当夜被告人が右正豪に刺創を負わせるに至るまでの間、正豪が被告人に加えた暴行は、当夜のみならずかねてからの被告人の態度や素行に非難されるべき点が全くなかつたわけではないことを考慮に入れてみても、実の姉に対するものとしては、理不尽な、一方的にして執拗かつ過度のものであつて、正豪は、以前にも被告人に暴行を加えたことがあり、粗暴でしかも執拗なところがうかがわれ、父親らに制止されたからといつて、その興奮を容易に押えがたい状況にあつたものと考えられ、現に、その後被告人を威迫しようと台所で包丁を探し、数分を経るか経ないうちに再び被告人を腕力に訴えてでも家から追い出してしまおうと、その居室に乗り込み、前認定のごとき挑発的な言辞、挙動に及んでいることが認められるのであつて、右実父らの制止により右正豪の被告人に対する攻撃意思及び両者間の対立・緊張関係がにわかに終熄したものと見ることはできず、表面上一旦は納まつたように見えながら、依然継続し、くすぶり続け、些細なことを契機に直ちに再燃する状況にあつたものというべきであり(仮に、被告人が右のごとき包丁を持ち出していなかつたとするならば、正豪は、前同様手ひどい暴行を加えて実力でもつて被告人をその居室から屋外へ引きずり出したであろうことを十分推測し得るのである。)、正豪か、姉とはいえ世帯を別にしてもいる被告人の居室に、右のような意図で立入つたこと自体、すでに不法な侵害行為といえないわけではなく、しかも被告人に挑発的な言動、態度をとつて殴りかかろうとする気勢を示すに至つては、侵害がまさに差し迫つた状況、すなわち侵害が急迫した状態にあつたものと認めるのが相当である。ちなみに、右のような事態は、原判決も判示するとおり、被告人の予期するところであつたことが認められるが、被告人にその機会を利用し、積極的に右正豪に対して加害行為に及ぼうとするまでの意思はなかつたものと認められることは、次項四において説示するとおりであり、証拠上、他に特段の事情も認められない本件においては、右の一事から直ちに急迫性を失うものとは解されない(前記最高裁判所第三小法廷判決、同第一小法廷昭和五二年七月二一日決定・刑集三一巻四号七四七頁参照。)

四次に、原判決は、被告人の本件行為が、咄嗟に正豪の機先を制して反撃に出たものであつて、防衛の意思を欠くと判断している点について考慮すると、なるほど、その局面を単に外形的に捉えるかぎり、そのように見ることができないわけではないけれども、相手方の加害行為に憤激するなどして反撃を加えたからといつて、直ちに防衛の意思を欠くものとはいえず(前記最高裁判所第三小法廷判決参照)、急迫不正の侵害に対し自らの権利を防衛するためにした行為である以上、同時に侵害者に対する攻撃的な意思に出たものであつても、刑法三六条の防衛行為に該るものと解されるところ(最高裁判所第三小法廷昭和五〇年一一月二八日判決・刑集二九巻一〇号九八三頁参照)、本件においては、被告人に、当夜前記正豪から甚しき暴行及び耐えがたい一方的な誹謗を受けたことから、同人に対する憤激あるいは憎悪の念があつたことも否定しがたく、本件行為に及んだのち、前記包丁を取り上げようとした妹睦子らに対し「止めても無駄や、やるいうたらやるんやからどき。」などと申し向けていることにもこれがうかがわれるが、右の言辞は、すでに正豪に組敷かれた後、孤立無援の興奮状態において発せられたもので、これから直ちに防衛意思の存在を否定し去ることはできず、また、正豪の受けた傷は、左胸部の上方、ほぼ水平に、長さは約四センチメートルで胸腔内に達しているとはいえ、深さは約二センチメートルにとどまる刺切創であることが認められ、証人吉田正豪の当審公判廷における供述によれば、正豪は右包丁で刺される瞬間腰を後ろに引いたことがうかがわれることを考慮に入れてみても、専ら、あるいは意識的な加害の意思をもつて突き刺したものにしては軽度であり、さらに、被告人の方が正豪に向つて駆け寄つたものであるにしても、司法警察員作成の昭和五二年八月一九日付実況見分調書などによれば、当初の被告人と正豪との間の距離はせいぜい二メートル余りであつたことがうかがわれ、証人として出廷した正豪は原審及び当審各公判廷において否定しているけれども、同人の興奮状態等当時の状況からみて、同人の方からも被告人に向つて行つたものと推認されないでもなく、むしろその方が自然の成行きであるとも考えられ、いずれにせよ、被告人が正豪に向つて駆け寄つて行つたといつてもわずかの距離、歩数であつたことがうかがわれるのであつて、本件発生の際の両者の挙動等前記一、において認定のような諸情況にも照らし、被告人が右のような憤激の情、憎悪の念に駆られ、偶々再度正豪が被告人の居室に入つて来た機会をとらえて、専ら加害の意思のもとに積極的に正豪に対する加害行為に及んだものと認めることはできず、むしろ、この点に関しては、被告人の弁解のとおり、自己防衛の強い意識のもとに、咄嗟に機先を制して本件のごとき所為に出たものと見るのが、事案に則した合理的な見方であると考えられるのである。すなわち、被告人に正豪に対する前記のような憤激の情、憎悪の念があつたことを前提にしてみても、防衛意思の存在したことを否定すべき特段の事情があつたものとは認めがたく、少なくとも防衛意思の併存は否定しがたいものといわなければならず、被告人に防衛意思がなかつたものとする原判決の認定判断は、たやすく首肯することができない。<中略>

六以上を要するに、被告人の本件所為は刑法三六条二項にいう防衛の程度を超えた行為、すなわち過剰防衛行為として問擬すべきものであつて、所論の正当防衛の主張自体は理由がないが、侵害の急迫性ないしは防衛意思の要件を欠くとした結果、正当防衛は勿論、過剰防衛の成立をも否定した原判決は、事実を誤認しひいては刑法三六条の解釈適用を誤つたものというべく、右の違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れない。論旨は結局右の限度で理由がある。<中略>

被告人の判示所為は、刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、右は過剰防衛行為であるところ、前叙のような経緯・事情、ことに、被告人は本件所為に至るまで、全く無抵抗であつたにも拘らず、前記正豪から、鼻血を出し顔面が腫れあがるほどの、一方的にして執拗かつ過度の理不尽ともいうべき暴行を受けた上、なおも暴行を加えられて家から追い出されかねない事態に直面し、思い余つて本件のごとき所為に及ぶに至つたもので、甚だ同情すべきものがあり、深夜、相当に気が強いとはいえ孤立無援の女性の身であつてみれば、防衛行為として相当性の範囲を逸脱したものではあるが、被告人が右のような所為に出たのもある程度までは止むを得なかつたものと考えられ、必ずしも強く非難することはできないこと、本件は、もとはといえば、姉弟間の家庭内における対立に端を発する、いわば兄弟喧嘩の度を過したものであつて、幸いにして正豪の生命には別条もなく大事には至らずに済み、同人も複雑な心境にありながら、自らの非を認め、被告人に対しては寛大な処分を望んでいること、被告人には前科前歴もなく、正豪を傷つけたことについては反省後悔しており、現在は実父方を出て一人暮しをしながら会社勤めを続けていることなど、諸般の事情を総合斟酌してみると、被告人に対しては刑の免除をするのが相当である。

(原田修 大西一夫 龍岡資晃)

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