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大阪高等裁判所 昭和53年(う)667号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

よつて案ずるに、当審で取り調べた大阪高等検察庁検察官事務取扱検事丸谷日出男作成の報告書によると、昭和四三年四月四日約五〇億円に上る負債を残して倒産した京阪神土地株式会社代表取締役山田正光に対する同会社関係事件を捜査していた神戸地方検察庁が、同会社倒産後、米田義明がいち早く同会社事務所に乗り込み、右山田正光に対して六億九四〇〇万円の貸金があると主張して、自ら債権者代表と名乗り、大口融資の金融機関や同会社の分譲宅地を購入している一般債権者との応待、接渉を一手に引き受ける状態が続くなど、同人が同会社の乗つ取りを画策しているのではないかとみられる向きもあつたところから、同会社関係事件の捜査の進展に伴つて、その実態を究明し同人を検挙すべく内偵に乗り出す一方、同人については恐喝、詐欺等の事件が相当数伏在しているものと思料されたところから、過去数年間に同人が関与した不動産金融及び不動産売買につき内偵を進め関係資料を収集して検討を加えているうち、兵庫県警察本部捜査四課が内偵捜査中であつた本件について犯罪の成立が確信されるに至つたこと、そこで、同年七月二日、神戸地方検察庁において同人を逮捕するとともに、捜査四課の協力を得て、関係先での押収捜索、関係者の取調を実施するなど本格的捜査に乗り出し、同課において同月六日に被告人を、同月一〇日に弘瀬斉をそれぞれ共犯者として逮捕し、各勾留のうえ取り調べた結果、本件は米田義明、被告人、弘瀬斉の三名共謀による犯行であるとして公訴提起されたものであることが認められる。以上認定の事実によると、本件は、告訴、告発が捜査の端緒になつた事件ではなく、上記の経緯で、事件発生の約六年後に捜査が開始されたものであり、被告人は米田義明に関する事件の関連被疑者として検挙されるに至つたものであることは所論のとおりであるが、原判決挙示の証拠によると、被告人及び弘瀬斉の原判示恐喝未遂の事実は優に肯認しうるところであつて、捜査官において被害者その他の関係者を誘導して恐喝にあたる事実を供述させたとの事実の認められないことはもとより、原判示犯行の罪質、動磯、態様などにかんがみると、本件捜査における上記の経緯を参酌しても、本件の犯情が軽微であつて起訴猶予すべき十分な理由のある事案であるとは考えられず、本件公訴を提起した検察官の裁量に著しい不当があるものとは認められない。本件につき公訴を棄却することなく有罪判決を言い渡した原審の措置は相当であつて、なんらの違法もない。論旨は理由がない。

同第二点について

論旨は、要するに、本件は、昭和四三年七月二六日の公訴提起から昭和五二年一二月二六日の判決宣告まで、九年五か月もの長期の審理期間を要し、しかもその間、昭和四八年二月一五日の四の第四一回公判から昭和五〇年一〇月二日の四の第五七回公判までと、同日から昭和五一年九月八日の四の第五八回公判までの二回にわたり、長期の審理中断期間があつたため、公訴提起が公訴時効の宗成直前になされたこととあいまつて、被告人及び証人の記憶の減退、関係人の死亡などで被告人の防禦権の行使に障害を生じたほか、被告人は取調を受けた昭和四三年七月初めころより原判決の宣告まで九年六か月もの長期間にわたり、被疑者又は被告人として有形無形の社会的不利益を受けているところ、かかる事態は迅速な裁判を受ける権利を保障した憲法三七条一項に違反するものであるから、本件については免訴の判決を言い渡すべきであつたのに、これをしなかつた原判決には訴訟手続の法令違反がある、というのである。

よつて案ずるに、記録によると、本件は、公訴の提起から原判決の宣告まで、九年五か月を要しており、その間、所論指摘の審理中断期間のあつたことが認められる。しかし、具体的刑事事件における審理の遅延が憲法三七条一項の迅速な裁判の保障条項に反する事態に至つているか否かは、遅延の期間のみによつて一律に判断されるべきではなく、遅延の原因と理由などを勘案して、その遅延がやむをえないものと認められないかどうか、これにより右の保障条項がまもろうとしている諸利益がどの程度に害せられているかなど諸般の情況を総合的に判断して決せられなければならないのであつて、たとえば、事件の複雑なために、結果として審理に長年月を要した場合などはこれに該当しないと解すべきであり、また、事実関係を共犯者と合一に確定するという要請も無視しがたいところというべきである(最高裁判所昭和四五年(あ)第一七〇〇号同四七年一二月二〇日大法廷判決・刑集二六巻一〇号六三一頁、同昭和五〇年(あ)第七八八号同五三年九月四日第二小法廷決定・刑集三二巻六号一六五二頁参照)。

そこで、叙上の観点から本件をみるに、記録によると、本件公訴事実は、被告人、米田義明、弘瀬斉の三名が共謀のうえ、昭和三七年一〇月初旬から同年一一月初旬までの間、再三にわたり、姪子武夫、熊木貞夫ら本件被害者を脅迫し、原判示の土地建物を米田義明に譲渡する旨を承諾させ、同人名義に所有権移転登記を完了してこれを喝取した、という恐喝の事案であつて、それじたい単純、簡明な事件でなかつたうえ、犯行後六年余を経て起訴された古い事件で、しかも被告人らが共謀、恐喝の意思、脅迫行為を否認するなど公訴事実を争つたため、関係者の証人調を必要としたなど審理にかなりの期間を要する事案であつたこと、また、被告人に対する公訴事実は本件のみであつたが、本件の共犯者として起訴されていた米田義明については、本件のほか、法人税法違反、恐喝、背任、公正証書原本不実記載同行使、詐欺、預金等に係る不当契約の取締に関する法律違反、強要、所得税法違反というそれぞれ複雑困難な内容の多数の訴因が他にあり、これに関連する被告人が他に更に三名いたこと、原裁判所は、本件を含むこれら事件を六つのグループに分け、併行して審理を進めることとしたが、米田義明がそのうち五つのグループに関係していたため、本件のみの審理を促進して行くことは困難な事情にあつたこと、本件については、昭和四三年一〇月一七日に第一回公判が開かれて以来、三〇回の公判期日を経て、昭和五二年一二月二六日に判決宣告に至つているのであるが、その間延一八名の証人調、書証及び証拠物の取調、被告人質問が実施されていること、所論指摘の第一回の審理中断は、検察官及び弁護人の各立証が一応終了した昭和四八年二月一五日の四の第四一回公判から始まつており、二年八か月の中断期間を経て昭和五〇年一〇月二日には四の第五七回公判が開かれているが、同公判においては裁判官の交替による公判手続の更新がなされただけで、その後昭和五一年九月八日に開かれた四の第五八回公判まで、一一か月にわたる第二回目の審理中断期間があること、右のように審理が中断した理由については、記録上明白ではないが、別グループの審理の終了を待ち、判決宣告を米田義明に対するのと同時にして、事実関係を合一に確定したいとの配慮によるものと推測できること、被告人に対する判決宣告は、結局、米田義明の別件審理の終了を待つことなく、同人に先き立つてなされていること、以上の事実が認められる。

そして、これらの事実によると、本件審理遅延の主たる理由は、本件事案の内容が複雑でその審理じたいにかなりの期間を要したことのほかに、多数の別件を有する米田義明に対する事件を本件と併合審理したことにあると考えられるところ、かかる原審の措置は、事実関係の合一確定の要請、訴訟経済の観点等からやむをえないところであり、また、所論指摘の審理中断は、主要な証拠調終了後に生じているのであるから、これによつて被告人の防禦に特段の支障があつたものとは考えられない。してみると、本件においてはいまだ憲法三七条一項に定める迅速裁判の保障条項に反する異常な事態に立ち至つたものとして免訴の裁判をすべきでないことは明らかである。原判決には所論の違法はなく、論旨は理由がない。

(石松竹雄 岡次郎 久米喜三郎)

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