大阪高等裁判所 昭和53年(ネ)1354号 判決 1979年3月30日
主文
原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
(申立)
控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」との判決を求めた。
(主張および証拠関係)
左記当審における証拠関係を付加するほか、原判決事実摘示のとおりである。
(証拠関係省略)
理由
一、本件手形の成立の真正について。
1、本件手形(甲第一号証)の振出人欄の控訴人名下の印影が控訴人の銀行取引印の印影であることは当事者間に争いがない。
2、成立に争いのない甲第三号証、同じく乙第一号証の一、二、同第二号証と原審証人岩上幸治、同林邦子の各証言と原審における控訴人本人尋問の結果を総合すると次の事実が認められ、これに反する証拠はない。
(1) 訴外大一工機株式会社(以下大一工機という)の代表取締役であつた訴外岩上幸治(以下岩上という)は、控訴人と大学の先輩、後輩の間柄で、昭和五〇年夏ころより控訴人の手形を借用して、資金の調達を図ることを繰り返えしていた。
(2) そのやり方は、控訴人が取引銀行(第一勧業銀行堺筋支店)から発給を受ける控訴人の手形用紙の振出人欄に、その都度控訴人又はその意を受けた林邦子(当時控訴人の事務員であり且つ内縁関係にあつた者で、昭和五三年五月控訴人と結婚して小野と改姓した。以下便宜林と呼称する)から控訴人の印鑑を押捺して貰い(もつとも、当初は署名を貰つていた時期もあつた)、金額欄や満期日その他の記載事項は後岩上が自由に記入して大一工機の裏書をし、割引を受けて金融を得ていた。
(3) ところが、本件手形の用紙は右控訴人の手形用紙ではなく、大一工機が控訴人と同じ取引銀行から自己のために発給を受けていた手形用紙である。
3、ところで、原審および当審証人岩上幸治は、右本件手形用紙が常の如く控訴人の手形用紙が用いられていないことにつき「昭和五二年六月二八日に、控訴人の事務所へ行つて林に手形を三枚貸して貰い度いと頼んだ。林は手形用紙を取引銀行から貰つてくることを自分に依頼して控訴人の印鑑を託したが、自分はその使いを直ちに大一工機の従業員である羽里一美に命じて右印鑑を羽里に渡し、他用で外出した。三時間ほどして外出先から帰つてくると三枚の手形用紙(控訴人の印鑑は押捺されていない)が自分の机上に置いてあつたが、急にもう一枚の手形が必要であつたことを思い出し、手元にあつた大一工機の手形用紙一枚を右三枚に加えて都合四枚の手形用紙を控訴人事務所(同じ建物の向いの室)へ持参し、右四枚の振出人欄に林から控訴人の印鑑を押捺して貰つた。右大一工機の手形用紙の分が本件手形である」と述べている。
4、ところが当審証人小野(旧姓林)邦子はこの点につき「その日岩上から手形を貸してくれと頼まれたので、岩上に控訴人の印鑑を渡して取引銀行から手形用紙を貰つてくることを依頼した。やがて右羽里が控訴人の手形用紙四枚と右印鑑を持つて来た。そこで岩上からは三枚が必要と聞いていたので内一枚を手元に保管し、三枚の各振出人欄に控訴人の印鑑を押捺して大一工機の事務所へ届けた。岩上が控訴人事務所へ四枚を持参した憶えはない」と真向から対立した供述をしている。
5、すると若し右当審小野(林)証言のとおりとするならば、本件手形の振出人欄の控訴人の印影は、岩上が手形用紙を取引銀行へ取りに行くことを依頼されて控訴人の印鑑を預かつた際押捺した疑が強くなつてくるので、前記1による本件手形(甲第一号証)の成立の真正の推定を覆えし得るか否かは、ひとえに、右岩上証言と当審小野(林)証言とのいずれを信用すべきかにかかつてくる。
6、しかるところ、岩上証言には、(1)僅かに三時間ほどのうちに本件手形も必要であることを思い出したという点で、他の三枚の手形(前掲小野証言により、乙第五ないし第七号証と認められる)の金額と本件手形の金額と対比するに、本件手形の金額が一番大きいのに、これを忘れていたというのは不可解であること、(2)始めに三枚と頼んでおいて、四枚にして印を貰いに行つたのに、その一枚増えていることに林が気付かなかつたというのも不自然であること、(3)岩上は林に右四枚の手形の押印を求める際、敢えて内一枚が大一工機の手形用紙であることを秘していたと述べ、その理由として「担保に入れるので直ぐ返えせると思つていたのと、良心の呵責から言えなかつた」と釈明しているが、前記のように三枚を四枚に増やしたことで既に気付かれる可能性があることを考えれば、いかにも不可解な弁解であること、(4)そのように控訴人の手形用紙でない手形用紙を用いることを林に知られたくないのなら、一枚分の不足に気付いた時に、念のため羽里に銀行から持ち帰つた手形用紙の枚数を確めるなり、控訴人事務所へ行つて一枚余分がないかを確めるなりしそうなものと思われるのに、そういうこともしていないこと、など不審な点が多いうえ、(5)当審小野(林)証言によると、岩上は後日本件手形についてのみ、支払期日前に被控訴人と話し合つてくれるように依頼して来ていること(この点、当審岩上証言では本件手形については、「耳」が残つていなかつたから、連絡したというが、甲第一号証と原審岩上証言によれば、本件手形についても「耳」は岩上の手元には残していたのであり、それを控訴人の方へ渡していなかつたとすれば、やはり、本件手形の用紙を控訴人のものを用いなかつたことで、振出の事実を隠していたためと考えられないでもない)に徴し、その信用性には疑問をさしはさまざるを得ない。
7、これに対し、当審小野(林)証言は、当審証人羽里一美の証言およびこれによつて成立の認められる乙第三号証により、当日羽里が四枚の用紙を受領してそのままこれを控訴人事務所へ届け、押印前のものを大一工機の事務所へ持ち帰つたものではない点において一応の裏付けがあり、たやすく排斥し難いのである。(なお、原審における林証人の証言中には、六月二八日に、銀行へ手形用紙を取りに行つたのは自分であり岩上に印は預けていない旨の供述が存するが、右は乙第三号証と当審証人羽里一美の供述に照らし、当審で述べるとおり、思い違いであつたと認められる。)
8、以上の次第であるから、前記岩上証言はたやすく措信し難く、従つて、本件手形(甲第一号証)の控訴人の押印は岩上が勝手にした疑いが強く、その印影が控訴人の印鑑によるものであることによる成立の真正はたやすく推定できないものとしなければならない。
二、しかして、前記のとおり控訴人は大一工機に貸す手形は、控訴人の手形用紙に控訴人又は林が自ら押印したものに限つていたというのであるから、大一工機の手形用紙に岩上が勝手に控訴人の印鑑を押捺した疑が強い本件手形の振出が控訴人の意思に基づいてなされたものとはたやすく認められない。
三、よつて本件手形が控訴人の意思に基づいて振出されたことを前提とする被控訴人の本訴請求は爾余の点を審究するまでもなく失当として排斥を免れない。すると被控訴人の本訴請求を正当として認容した原判決は不当であつて本件控訴は理由があるので民訴法三八六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。