大阪高等裁判所 昭和53年(ネ)299号 判決 1983年1月28日
控訴人(被告)
大谷小春
外八名
控訴人・附帯被控訴人(被告)
川﨑嘉一
外四名
右一四名代理人
松田繁雄
外一名
被控訴人・附帯控訴人(原告)
国
代理人
高田敏明
外六名
主文
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人の各請求を棄却する。
三 本件附帯控訴を棄却する。
四 訴訟費用は、附帯控訴費用を含め、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
一本件土地を含む本件三角地帯の形式について
1 次の事実は当事者間に争いがない。
(一) 本件土地は日野川が琵琶湖に流入する河口部付近の堤外地(堤防の流水側の土地)にあつて、右岸堤防と流水敷とに挾まれたほぼ三角形をなす地帯(本件三角地帯)の中に存在し、河川区域とされている土地であること。
(二) 日野川は大正年代中期ころまでは旧大字佐波江字松風の南側で通称「古川」と通称「新川」とに分岐し、古川は西流して琵琶湖に流入し、新川はいつたん北上したのち東方に屈曲し琵琶湖に流入していたところ、本件三角地帯は現在の日野川左岸と地続きであつたため、近隣の四七六番ないし四八五番の土地とともに旧大字佐波江字北中島に属しており、新川の流心が旧大字佐波江と旧大字野との境界となつていたこと。
(三) 新川の川岸は大正年代中期ころ豪雨出水によつて決壊し、その後河川工事が施工され、新川の新水流に沿つて両岸に堤防が構築され、一方、東流及び古川はいずれも涸渇したこと。
(四) 右堤防の建設工事にあたり、重之がその所有地を右堤防の敷地として被控訴人に譲渡し、他方、被控訴人から涸渇した東流及び古川の河川敷の一部の所有権を取得したこと。
(五) 本件三角地帯を含む旧大字佐波江の全土地は大正年代中期ころまではすべて重之の所有であつたが、重之の死亡後、本件三角地帯を除き右土地のすべてが貞之の所有となつたこと。
2 そして、右当事者間に争いのない事実及び<証拠>を総合すると、本件三角地帯の形成について次の事実が認められ、この認定に抵触する証拠はない。
(一) 新川の川岸の前記決壊は大正六年ころ四六七番の土地付近の北岸で生じ、同川は本件三角地帯一面に氾濫し、同年に二、三回、翌年に二、三回、翌々年にも出水があつて流水敷が広がり、本件三角地帯の田及び同地帯北方の松林も押し流されたため、その付近は扇状の河口として流水域を含む河原となり、新川がほぼ北上したままで琵琶湖に流入するようになつたので、東流及び古川は流量が減少した。
(二) そこで、被控訴人は、大正九年ころ新川について前記1の(三)の河川工事を施工したが、右工事は新川の新水流の両側に堤防を構築するもので、その右岸堤防は本件三角地帯の東側に沿つて湖岸に近い四七五番と四八五番の両土地に存在したため、本件三角地帯は堤外地となつて、その東方四八五番地とは右堤防で区画される状態となり、他方、古川と東流は河水の流入口をふさがれたので、いずれも廃川となつた。
(三) 被控訴人が、前記1の(三)のとおり、新川の新水流両岸の堤防工事を施工するにあたり、重之から右堤防の敷地の所有権を譲り受ける代わりに同人に譲り渡した廃川敷は、東流の流心から北側の部分及び古川のうち佐波江地区内の部分全部と、それより上流の分岐点までの部分の北側約半分であつた。
(四) 重之は前記東流の廃川敷を入手後間もなくして本件三角地帯の東側に位置する萱原の四七七番ないし四八二番六筆の土地を人を雇つて右東流の廃川敷とともに開墾したが、その際右岸堤防の四七五番と四八五番の両土地間にあつた部分の盛土を右開墾に利用したため、右堤防は四七二番と四七六番の両土地間付近までしか存在しなくなつた。
(五) その後新川の新水流は、本件三角地帯付近では真直ぐに流れるようになるとともに、徐々に西側に寄つて行き、昭和一五年ころにはほぼ現在のような左岸沿いの水流となり、また、出水のたびに上流の山から大量の土砂が流出したため、東側の本件三角地帯付近には寄洲ができ、高い所は島状になつて萱が、低い所は湿地帯となり水が溜つて芦がそれぞれ茂るようになつた。
二交換による被控訴人の本件土地所有権取得の有無について
被控訴人は、前記日野川の氾濫によつて本件土地三角地帯付近が流水下に没し、その後の河川工事によつて東流と古川が廃川となつたころ、重之との間において、被控訴人所有の東流の廃川敷地のうち流心から北側約半分及び古川の廃川敷地の大部分と、重之所有の新水流両岸の堤防敷地及び本件土地を含む本件三角地帯付近の土地との交換契約を締結することによつて、本件土地の所有権を取得した旨主張するので、この点について判断するに、<証拠>中には、右主張に沿う記載及び供述部分があるが、<証拠>は、その供述者である鈴木信一及び貞之がいずれも原審証人として本件三角地帯までもが交換の対象となつたことを否定する旨の証言をしているところ、右証言に比べてより信用できるものと認められる特段の事情もないので、措信できず、<反証排斥略>。
したがつて、被控訴人の右主張は採用することができない。
三重之は貞之の放棄による被控訴人の本件土地所有権取得の有無について
1 まず、被控訴人は、重之又は同人の家督相続人である貞之が大正年代中期ころから昭和一八年ころまでの間に本件土地を全く維持管理することなく放置してその占有及び所有権を放棄し、その結果、本件土地は無主の不動産として被控訴人の所有となつた旨主張するので、この点について判断する。
(一) <証拠>を総合すると、次の事実が認められ<る。>
(1) 佐波江地区では新川の河川工事後は、本件三角地帯に生育した萱や芦を第三者に入札させて売却し、地区の経費に充てていた。
(2) 重之は前記のとおり東流の廃川敷の北側約半分を入手後間もなく人を雇つて本件三角地帯の東側に位置する萱原の四七七番ないし四八二番の六筆の土地を右廃川敷とともに開墾したが、その際本件土地三角地帯の土地には手を付けず、その後井狩家の当主となつた貞之や、同家のために佐波江地区の同家所有の土地の管理を行なつていた管理人通称「総代」(以下「総代」という。)らも本件三角地帯内の土地に対しては、特に管理行為をすることもなく、同地区が行なつていた前記萱や芦の処分に対しても異議を述べなかつた。
(3) 佐波江農業実行組合(以下「実行組合」という。)は、昭和一六、七年ころ食糧増産の国策に従い、本件三角地帯を開墾することとなり、県の耕地課から開拓の許可を、土木課から河川敷占用の許可をそれぞれ得たうえ、組合員から出資を受けて開拓費用に充て、組合員のうち右土地の耕作を希望した大谷宗一郎及び大谷繁の兄弟に開墾作業を担当させたところ、昭和一九年本件三角地帯の開墾がほぼ完成したので、右開墾地を右両名に当初の五年間は小作料を免除することとして耕作させた。実行組合は昭和一八年一二月七日と昭和一九年六月一日に被控訴人から開田工事事業助成金の交付を受けたので、このうちから組合員に対し出資金相当額を払い戻し、また開墾担当者である大谷兄弟には事業担当者補助金を支払つた。
(4) 実行組合は右開墾事業の実施・開墾地の小作関係の処理・助成金及び補助金の支払を貞之の同意承諾なくして行ない、また、それ以降も、小作料その他土地使用の対価の支払をしなかつたが、同人及び井狩家の土地管理に従事する総代らからこれらに対し異議や苦情はなかつた。
(5) 実行組合はその後も県の土木課から本件三角地帯について河川敷の占用許可を受け、大谷兄弟らが実行組合名義で県に対し河川敷使用料を支払つて右耕作を継続した。
そして、右認定の各事実についてみると、これらは重之又はその相続人である貞之が大正六年ころの日野川の氾濫後、昭和一八、九年ころまでのいずれかの時期において本件土地を含む三角地帯の土地の所有権を放棄したことを一応うかがわせるに足りる事情とみられないではない。
(二) しかしながら、他方、<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、この認定に抵触する証拠はない。
(1) 井狩家は戦後の農地改革までは佐波江地区を含め合計約六〇ヘクタールの農地のほか、多くの山林・原野等を所有する大地主で、特に佐波江地区は同家が天保年間に琵琶湖岸を干拓して造成した地域で、田・畑等の農地のほか、山林・原野・宅地等の私有地一切を所有しており、同地区内に居住する者の多くが同家所有の農地を小作していたが、同地区内の状況としては琵琶湖岸の波打ち際に沿つて帯状に存在する官有地の南側に同家所有の帯状の防風林・原野と続き、更にその南側に同家所有の田・畑・原野・雑種地・宅地等が混在していた。
(2) 重之及び貞之ら井狩家の当主は、その所有地について地区ごとに総代を置いてこれにすべての管理を委ね、必要に応じて右管理状況につき報告を受けるほかは、毎年一二月下旬に収納した小作米を台帳と照合してその収納を確認していたが、小作人らが前記湖岸の防風林に立ち入つて立木の下枝を燃料として伐採することを容認するのはもとより、原野・雑種地等を開墾して田・畑にすることも黙認し、これら田・畑については収穫があるようになつて始めてこれを開墾した者の小作地とし、収穫で開墾費用を償つたのち、適当な時期から小作料を徴することとしていた。
したがつて、重之及び貞之らは、その所有の荒地に繁茂した萱や芦を小作人ら住民が刈り取つてこれを収得しても、また、地区の代表者が一括して第三者に売却し、その代金を地区の経費に充てたとしても、これを逐一知るはずがなく、たとえこれを知つたとしても異議を述べたり抗議したりするようなことは考えられなかつたし、その所有の荒地を開墾して農地にすることなく、これを未利用のまま放置していたとしても特に異とするような状況にはなかつた。
(3) 実行組合が昭和一六、七年ころ食糧増産の国策に従い、被控訴人からの助成金をあてにして本件三角地帯の土地の開田工事をするにあたり、貞之の承諾を得ることなく右工事に着手したのに対し、同人又は同人の総代もこれに異議や苦情を述べなかつたが、これは右工事が食糧増産という国策にかかわることであり、その遂行に支障のあるかのような私権の主張ははばかられた時代のことであつたこともさることながら、井狩家の従来からの土地管理の方針や、右土地の状況にかんがみてのことであつて、それ以上のものではなかつた。
(4) 本件土地の登記簿上の地番は、農地改革の際、航空写真に基づき新たに付されたもので、その旧地番は、二番、二番の一ないし三、五、三番、三番の一、二、四番にほぼ該当するものと考えるが、右地番の付された土地については重之の共有持分登記及び貞之の所有権取得登記が各経由されており、昭和三八年一二月五日地目を雑種地から川成とする表示変更登記と同年一一月一日買収を原因とする貞之から県あての所有権移転登記が各経由されている。
(5) 重之は本件三角地帯の北側に隣接し、琵琶湖岸の被控訴人所有地に南接して原野及び山林を所有しており、大正年代中期の日野川の氾濫によつて右山林上の松林(防風林)も流水域となつて押し流され、その後本件三角地帯付近に寄洲ができ、高い所が島状となるに伴い、右松林跡もほぼ同様の状態となつたが、重之又は貞之は右松林跡に対する所有及び占有は従前どおりで、登記簿上は一番五の山林として昭和三八年一二月二一日自作農創設特別措置登記令一四条一項により登記用紙が閉鎖されるまで前同様重之の共有持分登記及び貞之の所有権取得登記がそれぞれ経由されていた。
(6) 重之は、日野川の前記氾濫により、本件三角地帯を含む現在の堤外地のうち、流水域となつた部分については免租願を出し、貞之が井狩家の当主となつたのちも引き続いて右願を出して課税を免れていたが、同人らも本件三角地帯については、後記2の(一)の(2)に認定の農地買収があるまでは当然自己の所有に属するものと考え、右措置を取らなかつた。
(三) そして、右(二)の各認定事実によると、たとえ前記(一)の各認定事実が認められるからといつて、これをもつて直ちに被控訴人主張のように、重之又は貞之が大正年代中期から昭和一八年ころまでの間に、本件土地の所有権を放棄したものと認めるのは早計にすぎるものといわなければならないし、他に被控訴人の前記主張事実を認めるに足りる証拠もないから、被控訴人の前記主張は採用することができない。
なお、被控訴人は、昭和五三年一月九日近江八幡簡易裁判所において、貞之と、重之が大正年代中期に本件土地の所有権及び占有権を放棄し、以来被控訴人がその所有権を取得し、占有を継続してきたことを確認する旨の起訴前の和解をしているのであるから、重之が本件土地の所有権を放棄し、その結果被控訴人が本件土地の所有者となつたことは明らかである旨主張し、<証拠>によると、右主張のような起訴前の和解が成立している事実が認められるが、たとえ貞之が被控訴人と、被控訴人主張の和解をしたとしても、右和解内容は和解当事者でない控訴人らに対しその効力がないので、右和解内容の真否について検討を要するところ、右内容が真実であるとは、当審証人井狩貞之の証言及び前記認定の各事実に照らしたやすく認め難いところであるから、右主張は採用することができない。
2 次に、被控訴人は、昭和二四年本件土地付近の土地について農地改革が行なわれたころ、貞之が本件土地の所有権を放棄し、その結果、被控訴人が右土地の所有権を取得した旨主張するので、この点について判断する。
(一) 前記1の(二)で認定の事実に合わせ、<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、この認定に抵触する証拠はない。
(1) 被控訴人は、戦後の農地改革にあたり、日野川の堤外地内にある貞之所有の農地をも買収したうえ、これらを小作人らに売り渡すこととなり、北里村農地委員会がその計画の立案に当つたが、右堤外地については登記簿上の地番との関連があいまいであつたため、同委員会は農地に限り航空写真に基づいて新たに区画割りをし、順次地番を付していつた結果、本件土地については、後日付された枝番を除き、別紙物件目録記載の地番となつた。
(2) 本件三角地帯には四七二番及び四七四番の土地が含まれていたが、被控訴人は昭和二三年七月二日貞之から本件土地及び右四七二番・四七四番の土地を買収したところ、昭和二四年六月六日本件土地については、これが官有地であるとの理由で右買収を取り消し、同人に支払つた右土地買収の対価を国庫に戻入させたのに対し、右四七二番・四七四番の土地については同人の所有地で官有地に該当しないとして、右買収が維持され、その後当時の耕作者であつた大谷宗一郎に売り渡され、昭和二五年六月一五日自創法の規定による政府売渡を原因として保存登記が経由された。
(3) ところで、本件三角地帯内の土地について、本件土地を官有地、四七二番・四七四番の土地を私有地とする特別の事情も見当らなかつたにもかかわらず、右差異を設けたのは、本件三角地帯を開墾の際、その中には新川の氾濫前から井狩家所有の二筆の田が登記されていたことを知つた実行組合関係者が、開墾地総面積一町五反一畝四歩のうち右二筆の田の合計面積二反一畝九歩を私有地として取り扱つたことから、右農地改革の際右二筆の田が四七二番・四七四番の土地に該当するとしてこれを貞之の所有地としたことによるものであるが、新川氾濫後の本件三角地帯の状況から、本件土地を官有地であるとする以上、右氾濫前の地目によつて右二筆の土地についてのみ取扱を異にすることには合理性がなく、このことは右開墾に当つた実行組合関係者及び農地改革に当つた農地委員が本件土地を官有地とした判断に十分な理由がなかつたことを示したことにほかならなかつた。
(4) 前記認定のように当時本件土地及び四七二番・四七四番の土地を小作していた大谷宗一郎及び大谷繁は、農地改革によつて本件土地の所有権を取得できなかつたので、実行組合はその後も県の土木課から本件三角地帯の土地について河川敷の占用許可を受け、大谷両名は実行組合名義で県に対し河川敷使用料を支払い、昭和三〇年に実行組合が佐波江町農事改良組合に事務を引き継いで解散後は、同組合が実行組合に代わつてその事務を担当し、右改良組合は昭和三七年一一月一五日付申請に基づく昭和三九年三月末日までの間右占用許可を得ていた。
(5) 県は昭和三四年九月の台風災害による日野川堤防決壊についてその復旧助成事業を行なうにあたり、同川堤防の私有地を買収することとなり、本件土地について調査したところ、右土地については登記がなく、また近江八幡市役所備付の土地台帳にもその記載がなかつたが、登記所備付の土地台帳には所有者を貞之として記載されていたので、右土地も買収の対象として更に調査中、県土木事務所の係員から「本件土地は官有地であるから買収する必要がない。」との指摘を受けたため、本件土地を右買収の対象から除外した。しかし、本件土地の旧地番と考えられる二番、二番の一ないし三、五、三番、三番の一、二、四番については前記1の(二)の(4)のとおり、登記簿上昭和三八年一二月五日付で地目を雑種地から川成に変更し、県がこれらを買収した旨の各登記が経由された。
(6) 本件土地のうち、別紙物件目録記載(一)ないし(六)の土地は大谷繁が開墾後引き続いて耕作し、同(七)ないし(九)の土地は大谷宗一郎が開墾し、その後岡野止十郎が耕作し、同(一〇)、(一一)の土地は四七二番・四七四番の土地とともに大谷宗一郎が開墾後引き続いて耕作し、昭和三六年一〇月中ころ同人の死亡により、その後は同人の相続人である控訴人大谷忠男は耕作していたが、本件土地については登記所の土地台帳に記載されていたところから、うち(一)ないし(六)の土地について昭和四〇年七月二六日大谷繁が、うち(七)ないし(九)の土地について同日岡野止十郎が、うち(一〇)、(一一)の土地について昭和四三年一二月二日控訴人大谷忠男が、それぞれ地目を田として保存登記をした。
(7) 本件土地については昭和三七年度までは固定資産税が課せられなかつたが、昭和三八年度からそれぞれの所有名義人に対し同税が課せられていたところ、昭和四七年三月一〇日に至り、昭和四三年一月二六日河川区域所属を原因として従前の田から河川区域に地目の変更登記が経由されたのに伴い、昭和四八年度以降は同税の賦課もなくなつた。
(8) 重之及び貞之は前記農地買収があるまでは前記1の(二)の(6)に認定のように本件三角地帯は当然自己の所有に属するものと考え、この部分については流水域下と異なり免租願も提出していなかつたが、右農地買収以降は、本件土地の所有権を喪失したものと判断し、その後は本件土地を管理することなく現在に至つている。
(二) そして、右認定の事実関係によると、貞之は本件土地に対する右認定の農地買収に際し、右土地が被控訴人によつて被控訴人の所有地(官有地)とされた際、このことによつて自己の所有権を喪失したものと誤信して、その後本件土地に対する所有権の主張をしなくなつたものであることが明らかというべきである。
しかしながら、所有権の放棄は相手方のない単独行為であるから、少なくともその意思が一般に外部から認識できる程度になされることが必要であつて、そのためには不動産についてはその旨の登記のなされることが望ましいことはいうまでもないところであるが、いずれにせよ右放棄は放棄者の積極的意思に基づくことが必要であるところ、前記認定の事実関係をもつてしても、貞之は、前記のとおり本件土地の所有権を喪失したものと誤信して、その後本件土地に対する所有権の主張をしなくなり、右土地をそのまま放置しているものにすぎず、みずから積極的にその所有権を放棄したものとは明示・黙示を問わず到底認め難いから、右認定の事実関係によつて、貞之が本件土地の所有権を放棄したものと認めることはできない。
(三) そして、他に貞之が右時期において本件土地の所有権を放棄した事実を認めるに足りる証拠もないから、被控訴人のこの点についての主張もまた失当たるを免れない。
四結論
以上説示の次第であつてみれば、被控訴人の本件土地についての所有権取得原因はすべて認めることができず、被控訴人は本件土地の所有者と認められないから、被控訴人が本件土地の所有者であることを前提とする被控訴人の控訴人らに対する本訴各請求は、その余の判断に及ぶまでもなく、いずれも失当として棄却を免れないものといわなければならない
よつて、右判断と異なる原判決は不当で、本件控訴は理由があるから民訴法三八六条によつて右判決を取り消し、本訴各請求を棄却し、右請求中の明渡部分について仮執行宣言を求める本件附帯控訴は理由がないから同法三八四条によつてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(島﨑三郎 高田政彦 古川正孝)