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大阪高等裁判所 昭和53年(ネ)323号 判決 1981年1月30日

控訴人 国

代理人 上原健嗣 大江保 河本正

被控訴人 武田美恵子 ほか一名

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は、被控訴人武田美恵子に対し金一一〇万円、被控訴人武田三郎に対し金四〇万円及びそれぞれこれに対する昭和五〇年一〇月七日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを一〇分し、その九を被控訴人らの負担とし、その一を控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人らの請求はいずれも棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

一  主張

当事者双方の主張は、以下のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  控訴人

(1)  原判決五枚目裏末行の「取得していない。」に続けて左のとおり付加する。

「すなわち、受遺者の遺贈を受くべき地位が法的保護に値する利益として成立するのは、適式な遺言が存し、かつ、遺言者が死亡したときであり、それ以前においては、受遺者は、将来遺贈の目的物たる権利を取得することの期待権すら持つていないのである。本件では、公証人の過失が介在したにせよ、適式な遺言自体がされていないから、遺贈を受くべきであつたとする被控訴人らの地位につき、法的保護に値する利益の存在を認める余地はない。また、遺言公正証書は、遺言者の嘱託により作成されるものであるから、受贈予定者は、公証人に対し適式な公正証書の作成を請求しうる立場になく、ただ適式な遺言公正証書が作成された結果として、始めて遺贈を受けられる期待的地位を取得するにとどまるのであつて、適式な遺言がなされる前にこれを期待する地位とか、適式な遺言がなされたならば遺贈を受けられたであろう地位とかいうものは、法的保護に値する利益とは解されない。

(2)  原判決六枚目表末行の「その取得」から同裏一行目までを左のとおり改める。

「その主張を譲歩し和解をしたもので、右譲歩分は、被控訴人らが自らの判断で受贈財産の一部を放棄したものである。したがつて、右和解のため被控訴人らにその主張のような損害があつたとしても、それは自ら選択した行為により生じたもので、本件公正証書が無効となつたことと相当因果関係にたつ損害ではない。」

(3)  原判決六枚目裏九行目の「前記第三、(一)記載のとおり」とあるのを左のとおり改める。

「前記第三、一、(一)記載の事実のほか本件では死因贈与が有効に存続しているのにかかわらず、被控訴人らが和解において不当に大きく譲歩してその損害を増大せしめたのであつて、以上の点につき」

(4)  被控訴人武田美恵子は、原判決添付物件目録(一)記載の荻野商店株式一万株、被控訴人武田三郎は、同目録(二)記載の前同株式五〇〇〇株につき、いずれも俊一から昭和四五年五月贈与を受け株券の譲渡を受けていた。したがつて、本件公正証書が無効であつたとしても、右各株式に関し被控訴人らにその主張のような損害を生ずる余地はない。

2  被控訴人ら

(1)  控訴人主張の前示1(4)の事実のうち、被控訴人らが俊一から控訴人主張の各株式をその主張のころ贈与を受け株券の譲受を受けていたことは認めるが、その余の点は争う。右株式の譲渡については、荻野商店の取締役会の承認の決議を要する旨の制限があるところ、右決議を経ていなかつたから、完全に譲渡されてはいなかつた。そして、右贈与の効力も他の相続人らが否認していたもので、そのことを含めて和解をした。

(2)  被控訴人らが、控訴人主張の訴訟事件で他の相続人らと和解した経緯は、次のとおりである。すなわち、被控訴人らは、同訴訟事件において、本件公正証書作成のあと死因贈与があつた旨の主張をなし、できるだけ訴訟を有利に進めるため、俊一の贈与の意思表示と被控訴人らの受諾の意思表示の存在を強調してはいた。しかし、右死因贈与があつたとした当時、俊一は、あくまで右公正証書による遺言をなす意思であつて死因贈与をなす意思ではなかつたうえ、被控訴人らは、右公正証書の作成中席を外させられており、最後に俊一に「有難う」と言つたのも遺言の内容に感謝したにとどまるというのが真相であつたから、裁判所に死因贈与の成立を認めさせることは、事実認定や法理論において極めて困難であつた。そして、相手方訴訟代理人から仮定的に死因贈与契約の取消の主張がなされたあと、裁判所から強く和解を勧告されたので、被控訴人らは、右勧告の線にしたがい裁判外の和解をしたもので、右和解の内容は被控訴人が任意に選択したというよりむしろ判決に類する裁判所の判断にしたがわされたものとみるべきものである。

三  証拠 <略>

理由

一  京都地方法務局所属公証人訴外太田信博(以下「太田公証人」という)は、その公証人役場において、昭和四五年三月二四日荻野俊一の嘱託により遺言公正証書を作成したが、そのさい、証人の立会なくしてこれを行つたため、右俊一が同四六年一月三日死亡してその相続が開始したけれども右公正証書による遺言が無効となつたことは当事者間に争いがない。

そして、<証拠略>を総合すると、次の事実が認められる。

1  俊一の本件公正証書による遺言の内容は、同人の財産につき、妻はなに対し宅地三筆、建物一筆、長男栄一に対し宅地一筆、建物二筆のほか株券、長女の被控訴人武田美恵子に対し原判決添付物件目録(一)記載の土地、建物及び株券、その夫の被控訴人武田三郎に対し同目録(二)記載の株券をそれぞれ遺贈するというものであつた。

2  しかし、俊一の死後、被控訴人武田美恵子以外の俊一の相続人七名は、昭和四六年二月ころ被控訴人らを被告として京都地方裁判所福知山支部に本件公正証書の無効確認を求める訴を提起し(同庁昭和四六年(ワ)第四号、第一二号、以下「別件本訴」という)、これに対し被控訴人らは、同年六月九日右相続人ら七名を反訴被告として同庁に本件公正証書と同一内容の死因贈与があつたことを請求原因として前示目録(一)記載の不動産につき所有権移転登記手続、同(一)(二)記載の株券につき所有権確認を求める反訴を提起した(同庁昭和四六年(ワ)第二一号、以下「別件反訴」という)。

3  そして、別件本訴については、前示裁判所で昭和四六年七月九日本件公正証書の作成につき証人の立会がないのでその方式を欠くものとして、これが無効を確認する旨の被控訴人ら敗訴の判決が言渡され、同判決は同月二五日確定したが(以上の点は当事者間に争いがない)、別件反訴については、その後も同庁で審理が進められていたところ、担当裁判官の勧告もあつて同五〇年三月二〇日当事者がいずれもその主張を譲歩した和解案の基本事項に合意したうえ、同年七月一〇日右基本事項に沿う裁判外の和解(以下「別件和解」という)が成立し、その後被控訴人らは、別件反訴の取下をした。

二  前示認定の事実によれば、太田公証人は、控訴人国の公権力の行使に当る公務員たる公証人の職務の執行として本件遺言公正証書を作成したものというべきところ、被控訴人らは、同公証人がその職務上守るべき注意義務に違反して立会証人なく右公正証書を作成し同証書による遺言を無効ならしめ、よつて被控訴人らに対し、右遺言が有効であれば得られた筈の財産上の利益と別件和解により得た利益との差額相当額及び弁護士費用相当額の損害並びに精神的損害を違法に加えたものであると主張するのに対し、控訴人はこれを争うので検討する。

1  控訴人は、俊一及び被控訴人らが、立会証人なく作成される遺言公正証書が無効となることを承知しながら、敢て太田公証人に対し本件公正証書の作成を要請したものであるから、同公証人の行為に違法性または過失がないと主張する。しかし、およそ公証人は、当事者その他の関係人の嘱託により公正証書を作成するに当つては、その内容が公証人法二六条により証書を作成することができない事項に当らないことを確認するほか、証書の作成の方式として民法その他の法令により証人等の立会を要するとされているときはその立会を得て適式な公正証書を作成すべき職務上の注意義務があるというべきであつて、遺言公正証書の作成には証人二人以上の立会が要件となつているのであるから、右証人の立会を欠く遺言公正証書の作成を嘱託された場合には、右証人の立会あるまで証書の作成を拒絶すべきであり、以上の措置をとることなく証書を作成することはその職務上の注意義務を怠つた重大な過失があるというべきであり、これによつて他人に損害を加えたときは、国はこれを賠償する責に任ずべきである。したがつて、仮に、俊一らが控訴人の主張するような事情のもとに本件公正証書の作成を要請したとしても、同公証人の行為に違法性又は過失がないものとはいえないから、控訴人の前示主張はそれ自体理由がない。

2  つぎに、控訴人は、本件では適式な遺言自体がされていないから被控訴人らはなんらの法的利益を取得していないこと及び受贈予定者がその固有の権利として公証人に対して遺言公正証書の作成を請求できる地位にないことからみて、本件遺言が無効に帰したことにより被控訴人らにはその法的利益が侵害される余地はない旨の主張をするので検討する。およそ公正証書による遺言の制度は、国の公務員たる公証人が関与して、遺言者の嘱託により遺言の内容が遺言者の真意に基づく適法なものであることを確認したうえ、遺言が真意に出たものであることを証明するため証人二人以上の立会を得るなど所定の方式を遵守して遺言の内容を公証することを目的とするものであり、併せて、遺言が真意に出たか否かにつき遺言者の死亡後に生ずることあるべき受遺者や相続人間の紛争を防止することを目的とするものである。そして、公正証書による遺言は、遺言者の生前においては、受贈予定者になんらかの法的な権利・利益を取得させるものではないが、遺言者が死亡したときは、それが遺言者の真意による適法なものであり、かつ、所定の方式が遵守されている限りその効力が生じ、受遺者は遺贈の目的物につき所有権を取得するに至るのである。したがつて、遺言者がその意思に基づく適法な遺言につき公証人に公正証書の作成を嘱託したのにかかわらず、公証人がその職務上の注意義務に違反して証人二人以上の立会を求めることなく証書を作成したため、遺言者が死亡して遺言の効力が生ずべかりし時期が到来したが当該遺言の効力が生ぜず、受贈予定者において、遺贈の目的物につき所有権を取得できなかつた場合は、公証人がその職務上の注意義務を遵守し適式な証書を作成しておれば遺言者の死亡により当然得られたであろう受贈予定者の法的利益が、公証人の注意義務違反の行為があつたためこれを得られなかつたのであるから、公証人の重大な過失により受贈予定者の右法的利益が侵害されたというべきであつて、このことは、受贈予定者が、遺言者の生前になんらの法的な権利・利益を取得していないこと及び公証人に対して遺言公正証書の作成を請求できる地位を有しないこととは別個の問題である。よつて、控訴人の前示主張も採用できない。

3  さらに、控訴人は、本件公正証書が作成された直後、俊一と被控訴人らとの間で本件遺言と同趣旨の死因贈与契約が締結されていたから、被控訴人らには本件遺言が無効に帰したことによる損害が生じていないと主張するから検討する。

<証拠略>を総合すると、次の事実が認められ、この認定を動かす証拠はない。

(1)  俊一は、生糸問屋業を営む株式会社荻野商店の代表取締役として従業員一・二名を使用し多年その事業を主宰し、自己所有の原判決添付別紙目録(一)記載の土地、建物を居宅兼同会社営業所としていたが、本件遺言当時、同会社の発行済株式三万株は、俊一が二万株、その長男栄一並びに被控訴人武田三郎が各五〇〇〇株宛を所有しており、同会社は俊一の個人企業的な色彩が強かつた。

(2)  俊一は、明治二六年生れの高令で、昭和四二・三年ころから健康も勝れず妻はなと二人暮しであつたところ、他の子女はいずれも独立して生計をたて前記会社の経営を手伝う見込がなかつたので、近くに住む被控訴人ら夫婦にその協力を求めた結果、被控訴人武田三郎は、昭和四四年二月に約二〇年間勤めていた関西電力株式会社を退職し、それ以後被控訴人らが俊一の助言を得ながら前記会社の経営に専従するに至つた。

(3)  そして、俊一は、昭和四四年秋ころ、死後の前記荻野商店の事業は被控訴人らに継がせることとし、そのため同会社株式の大半及びその営業所である前示(1)の土地、建物等を被控訴人らに与え、その他の資産を妻はな及び長男栄一に与える旨の遺言をする意向を固め、被控訴人らにその旨を伝えて遺言の方法を太田公証人に尋ねさせた結果、公正証書による遺言の方法が後日の紛争を避けるため最も適していることを知らされたので、被控訴人らを通じ二・三回太田公証人とその手続を打ち合わせ、かつ、被控訴人らの協力を得て自己の資産の明細のメモを事前に用意しておいた。

(4)  その後俊一は、昭和四五年三月二四日福知山市字大田二二九番地の二所在の太田公証人の役場に赴き、同公証人に対し本件公正証書の作成を嘱託したものであるが、被控訴人らは、当日歩行が困難であつた俊一を自動車で同役場に連れて行き、約二時間に亘り俊一が前示メモによつて遺言の内容を口述し太田公証人がこれを書き取る間、終始二・三メートル離れた場所でその様子を見聞していたところ、太田公証人は、当日立会を予定していた塩見某ら二名の証人の立会がないまま右公正証書の作成手続を終えた。そして、俊一は、当日被控訴人らに与えるべき財産の内容を具体的に決定したことでもあり、右手続終了の直後、改めて、被控訴人武田美恵子に対しては原判決添付目録(一)記載の不動産及び株式、被控訴人武田三郎に対しては同目録(二)記載の株式をそれぞれ自己が死亡した場合に無償で与える旨を告げ後事を託し、これに対し被控訴人らは、「有難うございます」と謝辞を述べ、俊一の右申出を応諾する意思を表明した。

ところで、遺言は単独行為であり死因贈与は贈与者と受贈者の合意を要する行為であるから、方式に瑕疵ある遺言を死因贈与に転換する余地のないことはいうまでもないが、方式に瑕疵ある遺言がなされた機会であつても、これとは別に、死因贈与契約の成立に必要な合意がある限りその効力を認めることは妨げないと解するところ、上記認定の事実によれば、俊一は、本件公正証書が作成されたあと、これとは別に、自己が死亡することを条件に被控訴人武田美恵子に対し前示目録(一)記載の土地、建物及び株式、被控訴人武田三郎に対し同目録(二)記載の株式をそれぞれ贈与する旨の意思表示をなし被控訴人らがこれを承諾して死因贈与契約が成立したものというべきである。

しかし、<証拠略>を総合すると、前示一、2、3記載の別件反訴事件において、同記載の俊一の相続人七名は、被控訴人らに対し右死因贈与につき取消権を行使する旨の主張をしていたことが認められるので、その効果につき考える。およそ、死因贈与は不要式の契約であるから、遺贈に関する民法一〇二二条が準用され、贈与者は、書面による死因贈与をした場合でも、いつでもその全部又は一部を取消すことができるが、贈与者が死亡した場合における相続人は、民法五五〇条の趣旨にかんがみ書面によらない死因贈与を取消すことはできるけれども書面による死因贈与を取消すことは許されないものというべきであり、また、同条にいわゆる書面とは、贈与者の贈与の意思が受贈者に対する関係で書面に表示されていることをもつて足り、当該書面をもつて贈与契約がなされたことあるいは贈与契約と同時に作成されたものであることを必要としないと解される。本件につきこれをみるに、<証拠略>を総合すると、本件公正証書には、俊一において、自己が死亡した場合に、被控訴人武田美恵子に対し前示目録(一)記載の土地、建物及び株式、被控訴人武田三郎に対し同目録(二)記載の株式をそれぞれ贈与(遺贈)する旨の意思が表示され、その末尾に自己の署名及び捺印をしていることが認められるので、これによつて書面による死因贈与があつた場合にあたるものというべきであり、俊一の相続人七名による前示死因贈与の取消は許されないと解するのが相当である。

そうすると、本件公正証書による遺言の効力は生じなかつたけれども、俊一の死亡により前示死因贈与契約に基づき被控訴人武田美恵子は前示目録(一)記載の土地、建物及び株式、被控訴人武田三郎は同目録(二)記載の株式につきそれぞれ所有権を取得するに至つたというべきである。そして、<証拠略>を総合すると、別件反訴係属中になされた別件和解の内容は、右死因贈与の目的物件を含む俊一の相続財産を換価した金六八四四万六八八六円のうち、被控訴人らがその三〇パーセントの金二〇五三万四〇六六円を取得し、他の相続人らが残余の七〇パーセントを取得するというものであつたことが認められる。被控訴人らは、右和解は、自己の任意の選択というよりむしろ担当裁判官の判断にしたがわされたものであると主張するが、右主張に沿う<証拠略>はにわかに措信できず、却つて<証拠略>を総合すると、本件死因贈与の目的物件の価格四七五五万六〇六〇円弱は俊一の相続財産の約六九パーセントに相当し、他方、被控訴人武田美恵子の法定相続分は四五分の八(一七パーセント強)となるが、相続人が多数あるため、俊一の意思によるとはいえ、右死因贈与は相続人間に実質的に著しい不平等を招いていることがあるため、別件反訴における担当裁判官において、以上の諸点を考慮し被控訴人らの取得分を三〇パーセントとする和解案を勧告したものと推認されないではないところ、被控訴人らは、別件反訴において十数回の弁論を重ね、かつ数回の和解期日を経たのち、同事件代理人弁護士と相談のうえ、自己の任意の判断によりその主張を譲歩して別件和解をしたものであることがうかがわれる。したがつて、本件死因贈与の目的物件の価格と別件和解による被控訴人らの取得分の差額相当額は、被控訴人らが任意にその権利を放棄したものというべきであるから、本件公正証書による遺言が無効となつたことと相当因果関係にたつ損害といえないことは明らかである。

そこで、弁護士費用及び慰藉料に関する被控訴人らの主張につき検討する。およそ被相続人がその生前に公正証書による遺言のほかこれと同一内容の死因贈与をしていたとしても、被相続人の死後これに関する紛争が生じた場合、前者に比し後者を立証してその効果を享受することがより困難で繁雑な手続を要することは明らかである。そして、前説示の事実、<証拠略>を総合すると、被控訴人らは、俊一からその営業の後事を託され、被控訴人武田三郎は、多年勤務していた会社を退職し俊一の後継者として妻の被控訴人武田美恵子と共同して右営業に専念しており、これに応えて俊一が本件遺言をしていたのであるが、俊一の死後、本件遺言が太田公証人の重大な過失行為の介在により無効に帰したため、前示死因贈与の効果を実現するため弁護士に委任して別件反訴の提起を余儀なくされ、昭和四六年六月ころ同弁護士との間で、別件本訴及び別件反訴を含め勝訴額の一〇パーセント相当額を支払う旨の報酬契約を結んだこと、本件遺言ないし死因贈与をした俊一の意思表示にはなんら瑕疵はなかつたのであるが、被控訴人らは、右遺言が有効であつた場合に比し右死因贈与の有効なことを立証するためより多くの日時と煩瑣な手続を強いられ、その間前示営業の経営に著るしい支障を生じ少なからぬ精神的苦痛を蒙つたことが認められるところ、これらの事実に本件にあらわれた諸般の事情を勘案すれば、前示弁護士報酬のうち太田公証人の本件不法行為と相当因果関係にたつ損害は被控訴人武田美恵子の主張する金七〇万円を下らないものというべきであり、また、右不法行為により被控訴人らの蒙つた精神的苦痛を償う金額は各金四〇万円が相当と解される。

よつて、控訴人は、太田公証人の不法行為に基づく損害として、被控訴人武田美恵子に対し弁護士報酬相当額金七〇万円、慰藉料金四〇万円以上合計金一一〇万円、被控訴人武田三郎に対し慰藉料金四〇万円をそれぞれ支払う義務があるというべきである。

三  そこで、控訴人の抗弁につき検討する。

1  過失相殺の抗弁について

控訴人は、俊一において証人の立会を欠く本件公正証書による遺言は無効となることを知りながら敢て同証書の作成を太田公証人に嘱託したものであると主張するが、右主張に沿う<証拠略>は措信できず、却つて<証拠略>によれば、俊一は、公正証書による遺言には証人二名以上の立会を要することは承知していたが、太田公証人において証人二名には後刻これを読聞け署名捺印せしめることで足る旨告げたのでこれを信じていたことがうかがわれるのであつて、前説示の公証人の職責及び俊一の地位、職業に照らすと、俊一が同公証人の言を信じ証人の立会のないまま右公正証書の作成を嘱託した行為に過失があつたものとは解されないし、その他被控訴人らに過失があつたことを認めるに足る証拠はないから、控訴人の右主張は採用できない。

2  消滅時効の抗弁について

本件不法行為により生じた前説示の弁護士報酬、慰藉料に関する損害は、本件公正証書による遺言が無効に帰したことにより生じたものであり、その損害の発生を知つたときとは右遺言が無効に帰したことを知つたときで、かつ、弁護士報酬に関しては前示報酬契約を結んだときであり、この場合、損害を知つたとするためには損害の額を知ることを要しないところ、前説示の事実関係のもとでは、右損害賠償請求権の消滅時効は、遅くとも控訴人の主張する本件公正証書の無効確認請求を認容する別件本訴判決が確定した昭和四六年七月二五日から進行を始め、同日から三年後の同四九年七月二五日の経過により時効が完成したものというべきである。

四  よつて、時効利益の放棄に関する被控訴人らの再抗弁につき検討する。

<証拠略>を総合すると、被控訴人らは、別件反訴訴訟代理人弁護士小林義和を通じ昭和五〇年三月ころ控訴人の係官である京都地方法務局総務課長(又は同局次長)に対し、口頭で本件不法行為に基づく損害賠償の請求をしたところ、控訴人の右係官は、合計金一五〇万円を限度として被控訴人らにこれが賠償の義務を認めたがこれを上廻る請求金額の支払を拒絶したため、被控訴人らにおいて同年九月二九日本訴を提起したこと、控訴人の右係官は、右賠償金一五〇万円につき被控訴人らに各支払うべき内訳に固執せずその割合は被控訴人らの主張にしたがう意向であつたことがうかがわれる。そうすると、控訴人は、前示係官を介し本件不法行為による損害賠償として、被控訴人武田美恵子に対し金一一〇万円、被控訴人武田三郎に対し金四〇万円、以上合計金一五〇万円の債務を承認したものというべきであり、この場合、控訴人において時効完成の事実を知らなかつたとしても、信義則に照らし、その後その時効を援用することは許されないと解すべきである(最高裁昭和三七年(オ)第一三一六号、同四一年四月二〇日大法廷判決参照)。

よつて、控訴人の前示消滅時効の抗弁は採用できない。

五  以上のとおりであるから、被控訴人らの本訴請求は、控訴人に対し、被控訴人武田美恵子は金一一〇万円、被控訴人武田三郎は金四〇万円及びそれぞれこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和五〇年一〇月七日から各支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるが、その余の請求は理由がないので失当としてこれを棄却すべきであるから、これと結論を異にする原判決を主文のとおり変更し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 首藤武兵 丹宗朝子 西田美昭)

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