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大阪高等裁判所 昭和54年(う)1382号 判決 1980年11月06日

控訴人 原審弁護人

被告人 大東鉄線株式会社 外二名

検察官 北側勝

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、被告会社及び被告人松下隆博の弁護人渡邊俶治及同松浦陞次共同作成の控訴趣意書、同渡邊俶治作成の控訴趣意の意見補充書並びに被告人坪野正の弁護人米田實及び同辻武司共同作成の控訴趣意書にそれぞれ記載するとおりであり、これらに対する答弁は検察官北側勝作成の答弁書に記載するとおりであるから、いずれもこれらを引用する。

一、弁護人渡邊俶治及び同松浦陞次の控訴趣意第一の一、二、三について

論旨は、要するに、本件は被告人松下に対する業務上過失傷害罪の成否を問うべき事案であるにもかかわらず、原判決は人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律(以下公害罪法という)三条の解釈適用を誤つた結果、被告会社及び被告人松下に対し同法を適用して有罪を認定したものであるから、その誤りが判決に影響をおよぼすことは明らかである、すなわち、(一)公害罪法は、その立法の目的、法案審議の経緯に徴し、長期継続的な有害物質の排出による人の健康に対する危険を生じさせた者に対する処罰を目的とするから、右のような危険を前提とせず、即発的に実害を発生させた本件のような場合に適用されるべきものではなく、本件は単に業務上過失致傷の対象として判断されるにとどまる、次に(二)原判決は被告会社及び被告人松下の所為が公害罪法にいう「排出」にあたると判示するが、右「排出」の用語は、同法立案者の解説によると、大気汚染防止法等公害関係諸法令において用いられているのと同じ意味で用いられており、事業場の業務の過程において事業活動上当然に有害物質の排出が予測されるような場合において事業目的のための活動に際し、有害物質を発生させる発生施設からその排出口を通じ、自己の管理のおよばない場所に有害物質を不要物として放出、流出する行為と解されるから、事業活動に伴わないもの、もしくは事業活動に附随する活動であつても、本件のように発生施設以外の場所において排出口を通じないで排出する行為、その他「投棄」「散布」「飛散」「洩れ出し」「しみ出し」等の行為を対象とするものでない、更に(三)原判決は、公害罪法にいう「事業活動に伴つて」の定義について、「事業目的遂行のために必要な活動に随伴して」という意味であるとの前提に立ちながら、その範囲は事業活動に関連附随する一切の活動を含むものとし、本件における排水処理用の硫酸購入行為についても、事業活動にあたると判示するが、右「事業活動に伴つて」の用語は、同法立案者の解説によると、大気汚染防止法等公害関係諸法令において用いられているのと同じ意味で用いられており、工場及び事業場における事業活動をいとなむことによつて有害物質を発生させる場合と解されるから、本件のような被告会社が原材料を使用して機械を運転稼動することによつて製造活動するのでなく、被告会社でない薬品会社の薬品販売行為、また薬品会社から請負つた運送会社の薬品搬入行為を対象とするものでない、という。

そこで所論にかんがみ検討するに、公害罪法はその一条において処罰の対象とする公害の範囲を明らかにし、かつ、公害関係諸法規による行政規制と相まつて公害防止に資するものであることを宣言する。そして右公害関係諸法規は、正常な事業活動の過程で放出される有害物質の規制を目的とするものであるから、刑事法である公害罪法との間では、同一用語の概念の定義、解釈に際し、おのずから差異が生じることもあることを妨げるものではない。そうしてみると、公害罪法は、正常な事業活動において本来予定されている廃棄物のおよぼす害悪の発生のみを処罰の対象とするものであると解すべきでない。現実の被害ないし危険について加害者の刑事責任追及を目的とする法規と前叙行政規制を目的とする法規との間では、その解釈上おのずから差異があるからである。

以上の観点からみるに、公害罪法の処罰対象は、所論(一)の即発的ないし偶発的事故による加害行為を除くものではなく、右のような事故による加害行為で足りるのであつて、所論(一)のように長期継続的な加害行為みのに限られるものでないというべきである。次ぎに、公害法にいう「排出」についても、有害物質を含んだ製品を流通過程に置く場合を除き、工場、事業場における事業活動において、事業主体の行為によつて、その管理下にある有害物質を、管理されていない状態で工場、事業場外の公衆の生活圏内に放出する行為、例えば所論(二)のような投棄、散布、飛散、洩れ出し、しみ出し等を広く指すものとみるべきであつて、これを所論(二)のように発生施設以外の場所において排出口を通じないで排出する行為は除かれるべきであるとはいえない。更に公害罪法にいう「事業活動に伴つて」とは、本来の業務に伴う場合に限られるのでなく、附随的業務に伴う場合、あるいは事業活動の遂行上不可欠的作業等に伴う場合で足りると解すべきであつて、これを所論(三)のように狭く事業活動をいとなむことによる場合に限るべきであると解するのは相当でない。

そうだとすると、公害罪法に関し以上と同旨の解釈に立つて、被告人松下の原判示関係所為に対し、同法三条、被告会社に対し同法四条を適用した原判決はまことに正当であつて、所論のような法令の解釈適用の誤りはない。論旨は理由がない。

二、弁護人渡邊俶治及び同松浦陞次の控訴趣意第二について

論旨は、要するに、原判示貯蔵タンク及びこれに付帯する注入パイプ並びに注入口の設置管理義務は被告会社にあるものではなく、したがつて薬品注入時の安全確認義務は被告会社に存しないこと、また貯蔵タンク及びその付属施設を使用・利用する場合の管理義務は被告会社に存するものでない、すなわち、(一)貯蔵タンクの設置目的は、もつぱら薬品会社が運搬回数の減少を図るという労力負担の軽減の目的と、薬品販売の得意先を永続的に確保する目的に出たものであつて、被告会社の事業目的遂行にとつてそれが有効、かつ便宜であるとの理由によるものではない、(二)被告会社としては、薬品を購入し、それを、廃水処理のために使用する立場にあるとはいえ、薬品の混入による化学変化等についてまで知識を有するものではなく、購入した薬品について、それが設備の瑕疵により流出することのないよう、適正に貯蔵保管すれば足りるものであるから、貯蔵に至る搬入の方法及び形式に関しては、なんら管理、支配のおよばないところであり、かつ知り得ないところであり、また(三)貯蔵タンク及びこれに付帯するパイプ等設備の維持管理は、提供した原判示三徳薬品株式会社(以上三徳薬品という)の側の義務に属し、また搬入時の立会は、運転者らの交替により初めて搬入したタンクローリーの運転手の場合、その注入すべき場所を指示するのみで、それ以後はすべて搬入者側にまかせて、購入者は、注文量に相当するものがタンク内に入れられているかどうかを確認するに過ぎない、(四)被告会社の廃水処理場入口は、通常施錠されているものの、産業廃棄物の廃棄業者が搬出に来る日については朝から開放されたままになつており、薬品運搬のタンクローリー運転者は、被告会社の設備を熟知していれば、貯蔵タンク内への薬品注入開始後初めて被告会社事務所に納品伝票を持参して薬品納入を告知するという事実上の慣行が存在し、そのような場合には、被告会社従業員が立会うこともできないまま薬品搬入が行なわれるのであり、もし右搬入に際し本件のような事故が発生しても、被告会社に対し公害罪法違反の罪責を追及し得ないのに反し、本件事故の際には、前記入口が施錠されていたため、職制上の資材受入担当者でない被告人松下が右入口を開放し、たまたま薬品納入に立会い、傍にいたに過ぎないから、本件事故が被告会社の「事業活動に伴つて」発生したとして、被告会社及び被告人松下に対し公害罪法違反の罪責を追及し得ない、更に、(五)被告人松下に、注入口の正確な結着について事実上監視義務が存するとしても、本件注入行為は、被告人坪野によつて行なわれたものであつて、事業主体である被告会社の作為又は不作為によつて管理されていない状態で塩素ガスが放出されるに至つたものではなく、また塩素ガスの発生・拡散による被害の増大は、異常事態発生に気づきながら、硫酸注入を中止すべきであるのにこれを怠つた被告人坪野の注意義務懈怠が原因である、しかるに、被告会社及び被告人松下に対し原判示公害罪法違反の犯罪事実を認定した原判決は事実を誤認し、これが判決に影響をおよぼすことは明らかである、という。

そこで所論にかんがみ記録を調査し、かつ、当審における事実の取調の結果をも総合して検討するに、原判示挙示の関係証拠によつて被告人松下に対する原判示関係犯罪事実を優に肯認し得る。

すなわち、右同証拠によると、被告人松下は、当時被告会社倉庫班長代理兼第二工場廃水処理場責任者であるところ、職制上の資材受入担当者でないとはいえ、同担当者のいる事務所が廃水処理場と離れているため、薬品搬入の運転手から求められれば、事実上右搬入に立会つていたものであるが、原判示のような同処理場内設置の貯蔵タンクへの稀硫酸の納入方法、同タンクに接続されるパイプの注入口及び次亜塩素酸ソーダ用パイプの注入口の各位置、材質、色彩、各パイプの薬品名の表示は、読めるものの薄くなつていたこと、同処理場入口の扉を開いた場合、硫酸注入口が見えにくいこと、薬品搬入のタンクローリーの運転手のことごとくが同処理場の設備、薬品納入場所を必ずしも知悉していなかつたことのほか、前記各注入口について、かつてはいずれにも薬品名表示の木札が取りつけられていたが、いつの間にか硫酸表示の木札がなくなり、次亜塩素酸ソーダ表示の木札のみが残つていたこと、本件事故発生以前の実験の結果、稀硫酸と次亜塩素酸ソーダとが混合すると、塩素ガスが発生すること及び被告会社への被告人坪野の薬品搬入の回数が少ないことをそれぞれ知つていたことが認められる。

右認定に徴すると、関係証拠によつて、被告人松下は、原判示のとおり被告会社従業員として、被告人坪野から納品伝票を受取り、廃水処理場入口の扉を開き、同被告人の稀硫酸搬入に立会うこととなつたことが認められる以上、たとい当時の被告会社の薬品受入状況が所論(三)(四)のとおりであつたにせよ、硫酸貯蔵タンク及びこれに接続されるパイプの注入口と被告人坪野のタンクローリーのホースとの結着が誤つていないか、確実になされているか否かを確認したうえ、自ら又は被告人坪野に指示して注入口のコツクを開いて注入作業を開始し、注入中にも異常がないか否かを監視し、もし事故が発生し、又は発生するおそれが生じたときは直ちに適切な処置をとり得るよう留意すべき注意義務があつたものというべきである。この点に関する原判決の右と同旨の判断は適切である。たとい、右貯蔵タンク及びこれに接続されるパイプ等は、所論(一)の目的で設置されていたとしても、原判決挙示の関係証拠、殊に被告人松下の検察官に対する昭和五一年七月五日付、西戸勲の検察官に対する同年四月一四日付、同年七月六日、渡辺稔之の検察官に対する同年七月一日付各供述調書に徴しても、被告会社がこれを支配、管理するものであるから、前記判断はなんら左右されない。この点に関する所論(二)はとうてい採り得ない。また原判決挙示の関係証拠によると、被告会社の稀硫酸受入れは、その事業活動をいとなむことによつて生じるシアン及び酸を含んだ有害廃水を中和処理するため、事業活動に附随的もしくは不可欠的に行なわれる作業であるから、被告人松下は、たとい所論(四)のようにたまたま同作業に関与したとしても、前認定の注意義務を免れ得るものでない。この点に関する原判決の右と同旨の判断もまことに適切であり、これに反し所論(四)にはとうてい賛成し得ない。

そして原判決挙示の関係証拠によると、本件事故の原因となつた稀硫酸搬入時における被告人松下及び同坪野の両名間の接触状況は原判決が詳示するとおりであること及び稀硫酸の誤注入による塩素ガス発生につき、被告人松下はこれに直ちに気づかず、原判示のように右塩素ガスが公衆の生活圏内に拡散され多数の住民に傷害を負わせたことが認められるから、同被告人が前認定の注意義務を尽していれば、被告人坪野のパイプ注入口への誤接続、誤注入、これによる塩素ガスの発生・拡散、被害の発生を容易に防止し得たことは明らかであるというべく、したがつて本件事故は、被告人松下の右過失が被告人坪野の原判示関係注意義務懈怠による過失と相競合して発生したものと認められる。この点に関する原判決の右と同旨の判断もまたまことに適切であり、これに反し、所論(五)にはとうてい賛同し得ない。

以上のとおりであるから、原判決の被告人松下及び被告会社に対する犯罪事実の認定は正当であつて所論のような事実誤認のかどはない。論旨は理由がない。

三、弁護人米田實及び同辻武司の控訴趣意について

論旨は、要するに量刑不当を主張し、被告人坪野は硫酸納入に際し被告人松下に対し原判示次亜塩素酸ソーダ注入口につき硫酸の注入口に間違いないかと確認して注入作業を開始したものであること、被告人坪野は被告人松下の黙示的な指示によつて次亜塩素酸ソーダの注入口を硫酸の注入口と確信して注入を開始したものであること、薬品の納入作業はタンクローリー車の運転手と受入側担当者とが分担して行なうものであり、現実には右作業を運転手がサービス的に直接行なうとしても、それは受入側担当者の立会のもとでその指示に基づいて行なう両者の共同作業である、本件事故は被告人坪野の過失と被告人松下の過失との競合により発生したものであるとともに、その最大原因は被告会社の注入口等薬品受入設備の不備、受入業務に対する人的配置や管理態勢がずさんであったことによる、被告人坪野は注入開始後やむを得ない事情から被告会社第二工場廃水処理場を離れた間に塩素ガスが発生し、自らがガス吸引により意識を失つたため被害の拡大防止方策を講じ得なかつたこと、被害の程度も比較的軽かつたこと、被害の弁償についても被害者らと被告会社との間で示談が成立し、賠償金が支払われていること、被告人坪野も出来る限り償いをするつもりでいることを考慮すると、被告人坪野に対する原判決の量刑は被告人松下に対するそれと比較すると重過ぎる、という。

そこで所論にかんがみ記録を調査して検討するに、本件は、被告人坪野が原判示廃水処理場への硫酸搬入を本件以前僅か一回行なつたのみであつて同処理場内の電源の所在さえ憶えていない程同処理場内の設備を熟知していなかつたにかかわらず、被告人松下と雑談をかわすなどして硫酸注入口につき同被告人に対し明確にこれを確かめることなく独断で次亜塩素酸ソーダ注入口を硫酸注入口と早合点し誤注入を行なつたことに基因して発生した塩素ガスによつて広範な地域にわたり一一九名もの住民に対し加療一日ないし一三九日間を要するガス吸引による急性上気道炎等の傷害を負わせた事案であつて、これによると、被告人坪野の業務上過失致傷の罪責は、本件事故が被告人松下の注意義務懈怠による過失と相競合して発生したとはいえ、軽々に看過し得ないものがあるから、所論諸事情、殊に被告会社の薬品受入業務に対する人的配置、管理態勢及び物的施策の不完全さを考慮しても、被告人坪野に対する原判決の禁錮一年、三年間執行猶予の量刑が被告人松下に対する原判決の禁錮一〇月、二年間執行猶予の量刑と均衡を失し重過ぎるとはとうてい考えられない。論旨は理由がない。

四、よつて刑訴法三九六条により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉川寛吾 裁判官 西田元彦 裁判官 重吉孝一郎)

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