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大阪高等裁判所 昭和54年(う)270号 判決 1980年11月28日

本籍

奈良県高市郡明日香村大字豊浦五四番地

住居

大阪府南河内郡狭山町西山台三丁目一五番ノ一

金融業、不動産業

嶋本利彦

大正一四年一〇月六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五三年一二月二五日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 松本勝馨 出席

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役八月および罰金一五〇〇万円に処する。

右罰金を完納できないときは金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人石川元也、同花村哲男連名作成の控訴趣意書及び「書証の取調請求と控訴趣意の補充」と題する書面記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官松本勝馨作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点(理由不備の主張)について

所論は、原判決は「罪となるべき事実」として、昭和三八年、三九年、四〇年の各年度における所得金額、これに対する所得税額とこれらをいずれも過少に虚偽記載した所得税確定申告書を提出した事実をあげ、各年度のほ脱税額を摘示するとともに、「証拠の標目」欄の末尾に「本件の税額計算書、検察官の主張と異なる貸金利息の分についての一覧表及び利息の計算上複雑なものについての内訳はいずれも別紙のとおりである。」と記載して別表を付しているが、原審で被告人側は控訴趣意第二点において主張しているように、各年度の貸金利息、家賃収入及び不動産売上所得額について詳細な理由を付して争っていたのであるから、これに応答する程度の理由を付すべきであるのに、貸金利息については「実際受領額」と摘示するのみで、その他の所得に関する主張に対してはこれを排斥した理由を何ら示していないから、原判決は実質的に刑事訴訟法三七八条四号前段の判決に理由を付さなかった場合に当るというのである。刑事訴訟法四四条一項、三三五条一項により有罪の判決を言渡す場合には「罪となるべき事実」、「証拠の標目」、「法令の適用」を示さねばならないが、証拠により「罪となるべき事実」を認定した理由を説明することを要求するものではないから、所論指摘の主張を排斥した理由が一々示されていないからといって、原判決に理由を付さなかった違法があるとはいえない。所論は理由がない。

控訴趣意第二点(事実誤認の主張)について

所論は、原判決が認定した昭和三八年度、三九年度、四〇年度の各貸金利息、不動産関係収入等について事実の誤認があるというので、以下所論の順序に従って判断する。

一の(一)原田忠亮に対する貸金利息について

原判決は原田に対する昭和四〇年度の貸金利息収入を検察官主張のとおり八〇万円と認定しているところ、所論は、原田から利息として受領した八〇万円のうち四〇万円は元本の返済に充当した担保物件処分の経費として支払ったから、利息収入はその差額四〇万円であるというので検討すると、原田忠亮の大蔵事務官に対する質問てん末書(以下、大蔵事務官に対する質問てん末書は単に質問てん末書と略称する。)及び原審第四二回公判調書中の証人川島靖の供述部分(以下、原審公判調書中の証人の供述部分は原審公判廷における証人の供述と表示する。)、同第五五回及び第五六回各公判廷における証人有井日出子の各供述によれば、右担保物件処分の経費とは、代物弁済として取得した不動産の移転登記手続費用、立退料等をいうものと認められるが、右のような経費は、被告人が不動産の取得に要した費用として別科目により別個に算定されるべきもので、収入利息から控除すべきものではないから、八〇万円全額を利息収入と認めた原判決には所論のような事実の誤認はない。

一の(二)西村止才之亮に対する貸金利息について

原判決は西村に対する昭和三八年度の貸金利息収入を検察官主張の五一八万一四九二円のうち三七二万四〇〇〇円(実際受領額)と認定しているところ、所論は、被告人は昭和三六年一二月中旬西村に対し六〇〇万円を利息月三分、弁済期昭和三七年三月一〇日の約定で貸付け、その後一部弁済や貸し増しがあって昭和三八年一月一日現在における元利金合計は六一五万円となったが、その後同年一〇月一四日七四六万円の返済を受けたのでその差額一三一万円の利息収入があったことになるが、これは昭和三七年度の利息収入というべきである、というので検討すると、押収にかかる念書及び付属書類(当庁昭和五四年押第一三〇号の二〇)、登記簿騰本、原審第一九回公判廷における証人西村止才之亮、同第三九回公判廷における証人川島靖、同第五二回公判廷における証人東芳男の各供述によれば、被告人の西村に対する昭和三八年一月一日現在の貸付残元本は六一五万円であったところ、西村は同年六月二〇日元利金あわせて額面七四六万円の約束手形を被告人に交付し、同年一〇月一四日までに三回にわたり現金で七四六万円を支払ったことが認められる。原判決は西村の取引銀行の出金状況から原判示の実際受領額を認定したものと思料されるが、前示証人西村の供述によれば、同人の取引銀行である七福相互銀行豊岡支店から昭和三八年四月一八日五四万円、但馬銀行城崎支店から同年六月二〇日五〇万円、同月二四日四〇万円、同年七月二〇日五〇万円、但馬信用金庫城崎支店から同年八月一三日五〇万円、同年一〇月一四日一三一万円、同月二二日四七万四〇〇〇円(以上合計四二二万四〇〇〇円)の出金があったが、右金員は、西村が当時被告人を含めた債権者に対する支払いのために出金したものであることが認められるので、右金員のうち幾らが被告人に対する支払いに当てられたものか確定できず、右金員をすべて被告人の利息収入と認めることはできない。所論は、原判決の認定額算定の根拠が明らかでなく、前示一三一万円は昭和三七年度の収入利息と認めるべきであるというが、原判決は約定の利率により算定した収入すべき金額を収入利息と認定したものではなく、実際受領額によって認定していることは原判決の記載に照らし明白であるから認定根拠が明らかでないとはいえず、昭和三八年度における利息の実際受領額をもって収入利息と認定する限り、それが昭和三七年度における収入利息といえないことは明らかである。従って、西村に対する昭和三八年度の利息収入は前示七四六万円から六一五万円を差引いた一三一万円(実際受領額)と認められ、所論は右の限度で理由がある。

一の(三)川原建設に対する貸金利息について

原判決は川原建設に対する昭和三八年度の貸金利息収入を検察官主張の七五六万九五五〇円のうち四八六万四七二九円(実際受領額)、昭和三九年度の貸金利息収入を検察官主張のとおり二四〇万一五二〇円とそれぞれ認定しているところ、所論は、昭和三八年度の貸付元本額、利率については争わないが、被告人は利息として一一九万七七三〇円を受取ったに過ぎず、昭和三九年度の利息収入はないのに、原判決が何を根拠として実際受領額をそれぞれ判示のように認定したか理解できないというので、まず昭和三八年度分について検討すると、押収にかかる金銭出納簿二冊(前押号の一)、同支払済小切手及び手形一綴(同押号の二)、同手形発行控一綴(同押号の三)、川原八郎の質問てん末書、大蔵事務官作成の調査書(本件記録八冊目のもの。以下、銀行調査書と称する。)、同調査書(本件記録三冊目のもの。以下、元帳と称する。)によれば、被告人は昭和三七年三月頃川原建設に対し四〇〇万円を利息日歩二〇銭の約定で貸付けたのを始めとし、昭和三八年一月一日現在繰越残元本が七七〇万円であったところ、原判決の別紙「貸付先川原建設株式会社川原八郎」分に記載のようにその後たびたび貸し増し、一部返済、値引きなどがなされたが、その間昭和三八年一一月一八日近畿相互銀行阿倍野支店(以下、近相阿倍野と略記する。)の被告人の坂井魁名義の口座に一五万円入金、同年八月一二日三〇万円を貸付けたとき二四〇〇円天引、同年八月二〇日四〇万円を貸付けたとき一万三六〇〇円天引、同年一〇月二一日四二万円貸付けたとき一万四二八〇円天引、同年一一月八日二一〇万円貸付けたとき実業信用組合王子支店(以下、実業王子と略記する。)の被告人の仲野進司名義の口座に九万七二〇〇円入金、同年一二月一四日八〇万円貸付けたとき同年度分の利息として計上される一八日分の二万八八九七円天引、同年一二月二〇日一〇〇万円を貸付けたとき同年度分の利息として計上される一二日分の二万五五三二円天引があったこと、川原建設は同年一二月一七日借受金の返済として一、〇〇〇万円を支払ったが、前示別紙に明らかなように同日現在残元本は五四六万七一八〇円であるので、その差額四五三万二八二〇円は利息収入とみるべきであり、前示一五万円と九万七二〇〇円は手形書換えのとき支払われた利息と認められるから、以上を合計すると原判示のように実際受領額は四八六万四七二九円となり、原判決には所論のような事実の誤認はない。所論は、後になって残元本、利息の未収が確定的となったときは、その金利発生時において貸倒れの処理をしても不合理ではない、というが、一般に税法上ある年度の課税対象としての所得金額の確定は、利息債権の発生時をもって当該年度の利息収入が生じたと解され、未収利息も既に履行期が到来した以上、債務免除、履行期の延長などがなされて当該年度に収受されないことが確定したものでない限り、これを税法上の収入金額と見るべきであり、その後において未収利息が確定的に回収されない事態が発生したときは、右のような事態の発生した年度の損金として計上すべきものであって、本件においては実際受領額をもって昭和三八年度の利息収入を認定したのであるから、その後の貸倒れを右利息収入から差引くべきでないことは明らかであり、所論は理由がない。

つぎに、昭和三九年度分について検討すると、前示各証拠によれば、前示別紙に明らかなように、昭和三九年一月三一日一七〇万円を貸付けたとき同年二月一〇日までの利息四万四二〇〇円天引、同年二月一七日に同月一一日から同年三月一〇日までの利息一〇万二〇〇〇円の入金、同年二月一〇日一〇二万円を貸付したとき一万八三六〇円天引、福徳相互銀行玉出支店(以下、福徳玉出と略記する。)の被告人の林艶子名義の口座に同年二月五日、同年三月五日各一一万円宛入金、福徳玉出の被告人の西沢俊一名義の口座に同年五月五日、同月二〇日、同年六月五日各一一万円宛入金、同年二月一七日八〇万円を貸付けたとき九万九二〇〇円天引、同年三月五日一八〇万円を貸付けたとき一二万二四〇〇円天引、同月一〇日三〇〇万円を貸付けたとき一九万八〇〇〇円天引、同月一〇日一六万八〇〇〇円を貸付けたとき一万八〇〇〇円天引、同月一四日一三〇万円を貸付けたとき八万八四〇〇円天引、同月一六日二五万四〇〇〇円を貸付けたとき五万四〇〇〇円天引、同年六月五日一〇万円を貸付けたとき四八〇〇円天引、同月一一日二五万円を貸付けたとき六〇〇〇円天引したことが認められ、前示各証拠によれば他にも同年二月八日貸付けた八〇万円に対する利息として同月一七日前示林艶子名義の口座に五万円が入金(前示二月一七日の一〇万二〇〇〇円と右五万円の計一五万二〇〇〇円が右口座に入金になっている。)されていることが認められ、これに前示昭和三八年一二月一四日八〇万円を貸付けたとき昭和三九年度分の利息として計上される一九日分の三万〇五〇三円の天引、昭和三八年一二月二〇日一〇〇万円を貸付けたとき昭和三九年度分の利息として計上される三五日分の七万四四六八円の天引及び未収利息のうち利息制限法超過部分は課税対象となる「収入すべき金額」とはいえない(昭和四六年一一月一六日第三小法廷判決、刑集二五巻八号三八七頁参照)から、前示別表記載の利息制限法の法定限度額内における未収利息一〇九万四二六九円を加算した二五五万四六〇〇円が昭和三九年度の貸金利息収入というべきであるが、検察官は二四〇万一五二〇円を主張しているので、その限度内で認定した原判決には所論のような事実の誤認はない。

一の(四)新和工業に対する貸金利息について

原判決は新和工業に対する昭和三八年度の貸金利息収入を検察官主張のとおり二六五万三六〇〇円と認定しているところ、所論は、被告人は新和工業に対し昭和三八年三月一一日八〇万円を利息月六分の約定で貸付け、同年一二月二四日返済を受けたが、その間受取った利息は四五万円であるというので検討すると、元帳、銀行調査書、西田稔の大蔵事務官に対する供述書及び同添付の登記簿騰本によれば、新和工業は被告人から不動産を担保として昭和三八年三月一一日六〇〇万円を利息月六分の約定で借受け、同年六月一四日一一〇万円、同年九月二六日二〇〇万円、同年一二月二四日二九〇万円を支払い元本の支払いを了したが、その間約定利息を支払っていたことが認められるので、右利息合計が二六五万三六〇〇円となることは計数上明らかである。なお、所論は、右六〇〇万円は山鹿運輸に貸付けたもので新和工業に貸付けたものではないというが、前示証拠によれば、本件担保物件となっている不動産に被告人を権利者とする六〇〇万円の昭和三八年三月一一日付金銭消費貸借契約による代物弁済予約の仮登記があること、新和工業から実業王子の被告人の芳賀久名義の口座に同年六月一四日一一〇万円、近相阿倍野の被告人の左近三郎名義の口座に同年九月二六日二〇〇万円が入金されていることが明らかであるから、右六〇〇万円は新和工業に対する貸付金と認めるのが相当であり、原判決には所論のような事実の誤認はない。

一の(五)和田吉郎に対する貸金利息について

原判決は和田に対する昭和三八年度の貸金利息収入を検察官主張のとおり六三万円と認定しているところ、所論は、貸付元金、利息額については争わないが、利息の支払いとして受取った山中日吉振出名義の額面二八万五、〇〇〇円の約束手形は不渡りとなったからその分を免除したため、貸金利息収入は四〇万円であるというので検討すると、元帳、銀行調査書、原審第二〇回公判廷における証人和田吉郎の供述によれば、和田は昭和三八年五月頃被告人から一五〇万円を利息月六分の約定で借受け、一か月九万円の利息を三、四か月分支払ったほか延滞利息分として同年一二月六日山中日吉振出にかかる額面二八万五〇〇〇円の約束手形を交付しているから、少くとも同年六月分から同年一二月分までの利息の支払いがあったものと認められ、また前示各証拠によれば右約束手形が不渡りとなったのは昭和三九年度であることが明らかであるので、その後二八万五〇〇〇円を免除したとしても、前示一の(三)で述べたように、それは昭和三九年度の損金として処理すべきものであり、原判決には所論のような事実の誤認はない。

一の(六)山鹿運輸建設に対する貸金利息について

原判決は山鹿運輸建設に対する昭和三八年度の貸金利息収入を検察官主張のとおり五九五万五七七八円と認定しているところ、所論は、被告人は山鹿運輸建設に対し昭和三八年八月三一日まで計二二六八万四七四二円を貸付けたが、これに対し同年一〇月三〇〇万円、同年一一月二一〇〇万円の弁済を受け、その差額一三一万五二五八円を利息として収受した他に小切手等により二〇万八七四二円の支払いを受けているので、以上合計一五二万四〇〇〇円が利息として受取った金額であるというので検討すると、銀行調査書、原審第二三回公判廷における証人田村岩五郎及び同第四一回公判廷における証人川島靖の各供述、西田稔の大蔵事務官に対する供述書によれば、被告人は山鹿運輸建設に対し昭和三八年八月三一日現在二二六八万四七四二円を利息月六分の約定で貸付けていたが、同社から同年一〇月頃三〇〇万円、同年一一月頃二一〇〇万円の支払を受けたほか、近相阿倍野の被告人の田中惣一名義の口座に昭和三八年一月三〇日二〇万円、実業王子の被告人の芳賀久名義の口座に同年三月二日四二万円、同年四月九日一〇万円、同月二七日七二万円、同年五月二七日三万円、同年六月一三日四三万〇九二〇円、同月二二日二〇万円、同年七月一〇日三〇万六〇〇〇円がいずれも入金となっていること、山鹿運輸建設の代表取締役であった田村岩五郎が被告人に提供していた不動産の担保を解くため(登記簿上被告人所有名義となっていたため形式は売買契約)、西田稔が昭和三八年一一月末頃二〇〇万円を支払っていることが認められるので、以上合計二八四〇万六九二〇円から貸金二二六八万四七四二円を差引いた五七二万二一七八円が昭和三八年度の利息収入(実際受領額)と認められるので、原判決には事実の誤認があり、所論は右の限度で理由がある。

一の(七)錦城スーパーに対する貸金利息について

原判決は錦城スーパーに対する昭和三八年度の貸金利息収入を検察官主張のとおり七四九万円と認定しているところ、所論は、被告人は錦城スーパーに対し昭和三八年九月一七日八尾市本町所在の不動産を代金一八五〇万円(うち五〇〇万円は現金、残一三五〇万円は手形)で売却し、同年一二月二五日右手形金は決済されたが、その間被告人が受取った利息は八〇万円に過ぎないというので検討すると、元帳、銀行調査書及び原審第二二回公判廷における証人五島深諦の供述によれば、被告人は錦城スーパーに対し昭和三八年六月二〇日八尾市本町所在の不動産を代金二〇〇〇万円で売り渡したが、錦城スーパーにおいては即時代金の支払いができなかったため同日から少くとも日歩二〇銭の割合による利息を支払っていること、代金として同年一二月一八日実業王子の被告人の仲野進司名義の口座に五〇〇万円、同月二五日福徳玉出の被告人の坂井魁名義の口座に六〇〇万円が入金になったほか、別途同日九〇〇万円が支払われ代金が決済されたことが認められるので、二〇〇〇万円に対する昭和三八年六月二〇日から同年一二月一八日までの日歩二〇銭の割合による利息が七二八万円、残一五〇〇万円に対する同月一九日から同月二五日までの同利率による利息が二一万円となることは計数上明らかであるから、以上合計七四九万円が貸金利息収入と認められる。なお、錦城スーパーから実業王子の被告人の仲野進司名義の口座に昭和三八年九月一七日八一万二五〇〇円、同年一二月一八日二一五万五〇〇〇円、近相阿倍野の被告人の坂井魁名義の口座に二〇万円がそれぞれ入金され、同年一二月二五日代金決済がなされた際五島深諦が残代金のほか現金八〇万円を支払っていることが認められるところ、これらはいずれも利息金の支払いと思料されるので、これらの事実は前記認定を裏付けるものである。もっとも、弁護人提出の契約書には昭和三八年九月一七日錦城スーパーの経営者木村春雄、本件売買契約の仲介人と思料される豊川八郎、被告人の三者の間で錦城スーパーに対する債権額一八五〇万円のうち被告人の持分一三五〇万円、豊川八郎の持分五〇〇万円とする旨の記載があるが、右契約書は本件不動産の売買契約書ではなく、同日付豊川八郎作成の念書、同年一一月二五日付錦城三作成の確約書等に記載された金額とも相異しており、これらの証拠をもっては前記認定を左右することはできない。従って、昭和三八年度の錦城スーパーに対する貸金利息収入を七四九万円と認めた原判決には所論のような事実の誤認はない。

一の(八)扶桑商工に対する貸金利息について

原判決は扶桑商工に対する昭和三八年度の貸金利息収入を検察官主張のとおり三〇〇万円と認定しているところ、所論は、被告人は扶桑商工に対し昭和三八年一月現在で一〇〇〇万円を利息月六分で貸付けていたが、同年二月上旬までに利息として八〇万円を受取ったのみで、その余の利息は約束手形で交付されたが、同年五月頃同社が倒産したので一切支払いを受けていないというので検討すると、銀行調査書、淀野正一の質問てん末書、同人の大蔵事務官に対する供述調書によれば、扶桑商工から近相阿倍野の被告人の田中惣一名義の口座に昭和三八年一月一〇日六〇万円、同年二月七日六〇万円、同月二七日六〇万円、実業王子の被告人の芳賀久名義の口座に同年三月一日四八万円、同年四月一一日三六万円、同年五月一〇日三六万円(以上合計三〇〇万円)がいずれも入金されていることが認められるので、扶桑商工に対する昭和三八年度の貸金利息収入を三〇〇万円と認定した原判決に所論のような事実の誤認はない。

一の(九)大貴建設機械に対する貸金利息について

一の(十)ヨドノ産業に対する貸金利息について

原判決は大貴建設機械に対する昭和三八年度の貸金利息収入を検察官主張の二五二万四四〇〇円のうち一九二万円(実際受領額)、昭和三九年度の貸金利息収入を検察官主張の三〇九万〇六一〇円のうち二〇七万円(実際受領額)、昭和四〇年度の貸金利息収入を検察官主張のとおり二二四万四五三〇円とそれぞれ認め、ヨドノ産業に対する昭和四〇年度の貸金利息を検察官主張のとおり一八三万六六二六円と認定しているところ、所論は、前示扶桑商工が昭和三八年五月倒産した後同年六月一日設立された大貴建設機械がその債務を引継いだが、被告人は同社から昭和三八年中に利息として一〇〇〇万円に対する日歩二〇銭の割合による二七日分の五四万円を、昭和三九年中に同じく利息として四四日分の八九万円を、昭和四〇年中に同じく利息として四〇日分の八五万円をそれぞれ受取ったに過ぎないというので検討すると、銀行調査書、前示淀野正一の質問てん末書及び供述調書、原審第四三回公判廷における証人川島靖の供述によれば、淀野正一は昭和三三年頃設立した前示扶桑商工が昭和三八年五月倒産した後同年六月一日大貴建設機械を設立して扶桑商工の債務を引継ぎ、大貴建設機械が昭和四〇年五月三一日倒産した後ヨドノ産業を設立して大貴建設機械の債務を引継いだが、同人は被告人に対し昭和三八年中に利息として前示一の(八)の三〇〇万円を含め四九二万円を支払っていることが認められるので、その差額一九二万円は大貴建設機械からの利息収入と認定するのが相当である。つぎに、昭和三九年中に同人は被告人に対し利息として二〇七万円を支払ったことが認められる。さらに、被告人は大貴建設機械に対し昭和四〇年一月現在利息月六分の約定による七五〇万円の貸付残元本があったが、同年五月一日現在残元本が六〇〇万円となったこと、淀野正一は被告人に対し昭和四〇年中に利息として四八八万円を支払っているので、同金員のうち昭和四〇年一月分から同年四月分までの元本七五〇万円に対する月六分の割合による利息金合計一八〇万円(月額四五万円)、元本六〇〇万円に対する同年五月分の利息三六万円、以上合計二一六万円は大貴建設機械からの利息収入と認めるのが相当であり、その余の二七二万円はヨドノ産業からの利息収入と認められるから、昭和四〇年度の大貴建設機械に対する貸金利息収入を二二四万四五三〇円と認定した原判決には事実の誤認があるといわなければならないが、昭和四〇年度のヨドノ産業に対する貸金利息については検察官は一八三万六六二六円と主張しているので、その限度で認定した原判決には事実の誤認はない。

一の(十一)高松雅文に対する貸金利息について

原判決は高松に対する昭和三八年度の貸金利息を検察官主張の一八一万二三四四円のうち一三五万八一〇〇円(実際受領額)と認定しているところ、所論は、被告人の貸金利息は五〇万円であるとし、原判決の認定根拠が明らかでないというので検討すると、銀行調査書、貸付金と題する書面、大宮彰の質問てん末書、原審第四六回公判廷における証人川島靖の供述によれば、被告人は高松に対し昭和三五、六年頃から利息月六分の約定で金員を貸付けていたが、昭和三八年一月二六日現在貸付残元本が一〇〇万円であったこと、原判決の別紙「貸付先高松雅文」分に記載のように同人から実業王子の被告人の芳賀久名義の口座に昭和三八年一月二六日六万円、同年二月二八日六万円、同年四月二三日六万円、同年五月二九日六万円、同年六月二九日六万円、同年七月二二日六万円、同年八月二二日六万円(計四二万円)がそれぞれ入金されており、右は元本一〇〇万円に対する月六分の割合による利息と認められるから、同年三月分については被告人の銀行口座への入金の記載がないが右前後の入金状況から考え、三月分も月六万円の利息が支払われたと認められ、高松雅文に対しては、ほかにも高松悦子、森重建材振出にかかる約束手形、小切手を割引き融資していたが、昭和三八年二月から同年八月二九日までに高松悦子振出名義の約束手形等額面合計三三五万円、森重建材振出名義の約束手形等額面合計一一二八万五〇〇〇円(以上合計一四六三万五〇〇〇円)を月六分の割合による利息を天引きして割引き、右天引額は合計八七万八一〇〇円であることが認められるから、高松雅文に対する昭和三八年度の貸金利息収入は前示昭和三八年一月分から八月分まで毎月六万円宛の利息収入四八万円と右天引分八七万八一〇〇円を合算した一三五万八一〇〇円となり、原判決には所論のような事実の誤認はない。

一の(十二)小山こと姜大奎に対する貸金利息について

原判決は姜に対する昭和三八年度の貸金利息収入を検察官主張の二五一万四二〇〇円のうち一三五万四〇〇〇円、昭和三九年度については検察官主張の五三八万八〇〇〇円のうち四五八万円とそれぞれ認定しているところ、所論は、まず昭和三八年度分につき元本、利率は争わないが、収入利息として九〇万円を受取ったのみで、残余は昭和三九年六月二二日代物弁済により清算したとき免除したというので検討すると銀行調査書、姜大奎の質問てん末書によれば、被告人は姜に対し、利息先払、利率日歩二〇銭の約定で昭和三八年二月二四〇万円、同年三月一五〇万円、同年四月一五〇万円を貸付け、同年五月一五〇万円の返済を受け、さらに同年五月二〇〇万円、同年九月一五〇万円、同年一〇月一五〇万円二口(計三〇〇万円)を貸付けているので、天引額が合計七一万四〇〇〇円となることは計数上明らかであり、ほかに姜から実業王子の被告人の芳賀久名義の口座に昭和三八年六月一一日一〇万円、同年一一月二八日二七万円、近相阿倍野の被告人の坂井魁名義の口座に昭和三八年一二月二七日二七万円(計六四万円)が入金されているので、以上合計一三五万四〇〇〇円が姜に対する昭和三八年度の貸金利息収入と認められ、原判決に所論のような事実の誤認はない。つぎに所論は、昭和三九年度分につき、姜に対する貸付金は昭和三九年六月二二日代物弁済によって決済されたが、昭和四一年一月二八日右代物弁済によって得た物件を二〇〇〇万円で売却したので、結局二七〇〇万円の支出に対し七〇〇万円の貸倒金を出したことになり、昭和三九年度の貸金利息収入を認めるべきではないというので検討すると、前示一の(三)で述べたように事業所得算定の基礎となる収入金額について所得税法が権利確定主義をとっていること、貸倒れが生じたときはそれによって生じた損失を損金として所得計算に際し計上できることは勿論であるが、貸倒れ損失として計上するためには債権の取立不能若しくは放棄の事実が同年度において既に確定的に発生したものであることを要すると解すべきであるから、所論は理由がない。しかし、前示各証拠によれば、被告人は姜に対し、前同様の約定のもとに昭和三九年一月五〇〇万円、同年三月八〇〇万円、同年四月一〇〇万円、同年七月三〇〇万円を貸付けているので、その天引額が計一〇二万円であることは計数上明らかであり、他に同人から福徳玉出の被告人の林艶子名義の口座に昭和三九年一月二〇日三〇万円、同月二五日二七万円、同年二月二〇日五七万円、同月二六日五〇万円(計一六四万円)が入金されていることが認められるので、以上合計二六六万円が同人に対する昭和三九年度の貸金利息収入とみるべきである。原判決は右利息収入として実際受領額四五八万円を認定しているが、関係証拠を総合しても右金額を認定することができず、前示のように二六六万円と認定すべきであるから、原判決には事実の誤認があり、所論は右の限度で理由がある。

一の(十三)飯田幸一に対する貸金利息について

原判決は飯田に対する昭和四〇年度の貸金利息収入を検察官主張のとおり一一〇万円と認定しているところ、所論は、要するに、松葉行雄所有の宅地を飯田幸一の妻飯田マスエに譲渡するにつき、被告人が一七〇万円、同女が六〇万円を出し計二三〇万円を松葉に支払い、被告人は右一七〇万円の支出に対する代償として飯田幸一の丸井甚助に対する二四〇万円の債権の譲渡を受けたのであるから、その差額七〇万円が被告人の利息収入であるというので検討すると、元帳、清水勇の質問てん末書、同人作成の確認書、原審第三三回公判廷における証人飯田マスエの供述によれば、被告人は昭和四〇年一月一日現在株式会社新日本住宅に対し飯田幸一を連帯保証人とする一九〇万円の貸付残債権があり、同社の造成した宅地を担保にとっていたところ、同年三月頃同社が倒産し、その後飯田も死亡したので、同人の妻飯田マスエ、右会社の代表取締役清水勇、被告人ら関係者間で協議のうえ、飯田マスエは被告人に対し、飯田幸一の丸井甚助に対する二四〇万円の債権を譲渡するとともに現金六〇万円を支払うことによって、前示一九〇万円を弁済したこととし、同時に被告人が担保にとっていた前示宅地を同女の所有名義とすることによって右三者間の貸借関係を清算することとし、同年五月二四日右飯田幸一の丸井甚助に対する債権の譲渡を受け、同年六月三〇日マスエから現金六〇万円の交付を受けたことが認められるので、被告人が取得した二四〇万円の債権と現金六〇万円(計三〇〇万円)から一九〇万円を控除した一一〇万円は昭和四〇年度の飯田幸一に対する貸金利息収入というべきである。右の点に関する原審第四五回公判廷における証人川島靖の供述は措信できず、原判決には所論のような事実の誤認はない。

一の(十四)秋本博司に対する貸金利息について

原判決は秋本に対する昭和三八年度の貸金利息収入を検察官主張のとおり八〇万円と認定しているところ、所論は、被告人は同人から昭和三八年中に利息として八〇万円を受領したが、貸付元本二〇〇万円は未回収のまま昭和五〇年和解によって二〇万円を受領し残額は免除したから、右八〇万円は昭和三八年度の利息収入と認めるべきではないというので検討すると、昭和五〇年度における貸倒れとして計上するのは格別、昭和三八年度において貸倒れを認めるべきでないことは前示一の(三)で説明したとおりであるから、同人に対する昭和三八年度の貸金利息収入を八〇万円と認定した原判決には事実の誤認はなく、所論は理由がない。

一の(十五)北野博に対する貸金利息について

原判決は北野に対する昭和三八年度の貸金利息収入を検察官主張の一四〇万円のうち六五万六〇〇〇円(実際受領額)と認定しているところ、所論は、被告人は同人から昭和三八年中に利息として九万円を受領したのみであるというので検討すると、銀行調査書、佐々木善治郎の質問てん末書(二通)、原審第五三回公判廷における証人佐々木善治郎及び第四四回公判廷における証人川島靖の各供述によれば、北野は佐々木善治郎の紹介で昭和三八年五月頃、自己の所有する大阪市都島区東野田八丁目六二番地の建物を担保として被告人から利息日歩二〇銭の約定で当初一〇〇万円を借受け、その後数回借り増しをして同年末頃には計約四〇〇万円を借受けていたこと、北野から利息として実業王子の被告人の仲野進司名義の口座に昭和三八年一一月九日五万三〇〇〇円、近相阿倍野の被告人の坂井魁名義の口座に同年一一月二九日二〇万円、同年一二月一〇日二〇万円、同日九万円、同月二六日一一万三〇〇〇円(以上合計六五万六〇〇〇円)の入金があったことが認められるので、北野に対する貸金利息収入を六五万六〇〇〇円(実際受領額)と認定した原判決には所論のような事実の誤認はない。

一の(十六)古市建設に対する貸金利息について

原判決は古市建設に対する昭和三八年度の貸金利息収入を検察官主張の五七万六二二〇円のうち四〇万四〇〇〇円(実際受領額)を認定しているところ、所論は、古市建設に対する貸金はなく、甲陽産業に対する二〇〇万円の貸付けの担保として古市建設振出にかかる額面合計二〇〇万円の手形三通を受領したが、回収できたのは一七四万六〇〇〇円で貸金利息はなかったというので検討すると、銀行調査書、原審第一四回公判廷における証人川又頼政の供述、振替伝票二一枚、長井幸治の質問てん末書によれば、古市建設は自己振出の融通手形により甲陽産業を通じて被告人から昭和三八年中に三〇〇万円を借受けていたことが明らかであり、古市建設振出の約束手形が実業王子の被告人の芳賀久名義の口座に昭和三八年九月二八日五五万円、同年一〇月一七日四五万円、近相阿倍野の被告人の坂井魁名義の口座に昭和三八年一一月二五日一〇〇万円、同年一二月二五日一〇〇万円、福徳玉出の被告人の西沢俊一名義の口座に昭和三九年五月九日四〇万円、同月一一日二五万円が振込まれていることは、被告人から古市建設に対する貸付けの事実を裏付けるものである。しかして、前示振替伝票によれば、昭和三八年度において日歩二〇銭の割合による利息四〇万四〇〇〇円が支払われていることが認められるから、古市建設に対する昭和三八年度の貸金利息収入を四〇万四〇〇〇円(実際受領額)と認定した原判決に所論のような事実の誤認はない。

一の(十七)綿野潔に対する貸金利息について

原判決は綿野に対する昭和三八年度の貸金利息収入を検察官主張の一九八万二五〇〇円のうち一九五万八五〇〇円(実際受領額)、昭和三九年度の利息収入を検察官主張の七二万円のうち六三万円(実際受領額)とそれぞれ認定しているところ、所論は、綿野に対する昭和三八年度の貸金利息収入は、荒井澄雄が綿野に八〇〇万円を貸付けるに際し、これを仲介した被告人が仲介料として月二分の割合による計二五万六〇〇〇円を受領したに過ぎず、昭和三九年度の利息収入は、被告人が荒井の綿野に対する貸金残債権一〇〇万円の譲渡を受け、これに対する月六分の割合による昭和三九年六月中旬から同年一二月末までの利息として四〇万円を受取ったに過ぎないというので、まず昭和三八年度分について検討すると、銀行調査書、丸井甚助の質問てん末書、原審第三六回公判廷における証人綿野潔の供述によれば、被告人は丸井甚助の紹介で綿野に対し昭和三八年六月に八〇〇万円を利息先払い、月六分の約定で貸付け、同年八月一〇〇万円、同年一〇月六〇〇万円の元本返済を受けたことが認められるので、昭和三八年度における収入利息は原判決別紙「貸付先綿野潔」分に記載のように一九五万八五〇〇円となることが明らかである。(なお、同別紙中実際収入利子昭和三八年一一月九日二一〇〇円、同年一二月二〇日六四〇〇円とあるのは、綿野から実業王子の被告人の仲野進司名義の口座及び福徳玉出の被告人の坂井魁名義の口座にそれぞれ入金されていることを示すものであることは銀行調査書によって明らかであり、同年一二月分の実際収入利子として三万円を計上したのは、実際収入した日が明らかでないため一二月の中間日と確定し、一か月六万円の利息のうち三万円を計上したものと認められる。)。つぎに昭和三九年度の収入利息については昭和三九年一月現在残元本は一〇〇万円であるところ、綿野から福徳玉出の被告人の西沢俊一名義の口座に昭和三九年七月二八日、同年九月一五日、同年一〇月一七日各六万円が入金されていることが認められ、同金員は元本一〇〇万円に対する月六分の割合による利息と考えられるから、遅くとも同年一〇月分までは毎月六万円の利息の支払いがなされていたと認定するのが相当であり、ほかに昭和三九年度の収入利息として繰越し計上される前示六万円の半額三万円を加算すれば、前示別紙記載のように昭和三九年度の収入利息は六三万円となり、右両年度の利息収入について原判決には所論のような事実の誤認はない。

一の(十八)荒井澄雄に対する貸金利息について

原判決は荒井に対する昭和三九年度の貸金利息収入を検察官主張のとおり二八八万円と認定しているところ、所論は、荒井に対する貸金は一年間もの長期にわたるものでなく、延べ一〇五日間くらい貸付けたもので、利息は一四〇万であるというので検討すると、元帳、銀行調査書、原審第二五回公判廷における証人荒井澄雄、同第四二回公判廷における証人川島靖の各供述によれば、被告人は荒井に対し昭和三九年五月二五日一〇〇〇万円を貸付けたこと、荒井の貸付先である村井建設振出の小切手で福徳玉出の被告人の西沢俊一名義の口座に昭和三九年七月二九日一三二万円、浪速信用組合東天下茶屋支店(以下浪信東天下茶屋と略記する。)の被告人の仲野利彦名義の口座に同年一〇月二六日一七四万円が入金されていることが認められ、利率については前示各証言では少くとも月四分以上であったことを認め得るに過ぎないが、計数上元本一〇〇〇万円に対する日歩二〇銭の割合による昭和三九年五月二五日から同年七月二九日までの利息が一三二万円となるので、前示一三二万円と符合し、同じく同月三〇日から同年一〇月二四日までの利息が一七四万円となり前示一七四万円とほぼ符合すること、被告人は一般に利息月六分若しくは日歩二〇銭で金員を貸付けていることなどを考えると、利息の約定は日歩二〇銭であると認めるのが相当であるから、前示入金された一三二万円及び一七四万円(計三〇六万円)は荒井に対する昭和三九年度の収入利息と認めるべきであるが、検察官は二八八万円を主張しているので、その限度で認定した原判決には所論のような事実の誤認はない。

一の(十九)丸井甚助に対する貸金利息

原判決は丸井に対する昭和四〇年度の貸金利息収入を検察官主張のとおり七八五万四三五六円と認定しているところ、所論は、原判決が昭和三九年度の利息収入について月六分の割合による利息を認定していないのに、昭和四〇年度分について月六分の割合による利息収入を認定したのは矛盾しており、貸金利息は二三〇万円であるというので検討すると、原判決が昭和三九年度の利息収入を月六分の割合による金利計算によらず、実際収入利息と利息制限法の法定限度内の未収利息を加算して認定していることは原判決の別紙「貸金利息一覧表」中昭和三九年度丸井甚助の欄及び同別紙「貸付先丸井甚助」分の計算書の各記載によって明らかであるところ、元帳、銀行調査書、丸井甚助の質問てん末書、押収にかかる鈴蘭台センター記録綴(前同押号の一六)、同大学ノート(同押号の一七)、同不動産売買契約書及び領収証(同押号の一八)、同メモ四綴(同押号の一九)によれば、被告人の丸井に対する貸金残元本は昭和四〇年一月一日現在三二八六万円であるが、その後同人から利息として約束手形で同年一月二〇日一九四万円、同年二月二〇日二〇五万円、同年三月二〇日二一八万円(計六一七万円)が支払われ、他に浪信東天下茶屋の被告人の仲野利彦名義の口座に同年一月二〇日一一万八〇九六円、同年二月二〇日一二万円、同年三月二〇日一三万一八六〇円(計三六万九九五六円)が入金となっていること、手形書換により元本に組入れられた利息が昭和三九年八月二〇日六六万円、同年一〇月二〇日一一〇万円、同年一一月二〇日一七五万円、同年一二月二〇日一八六万円(計五三七万円)あり、これは手形書換による未収利息であるが、前示一の(三)で述べたように利息制限法超過利息は未収である限り課税対象となる「収入すべき金額」とはいえないから、昭和三九年度においては未収利息のうち収入すべき金額として法定限度内の三七万一五四九円を計上しているところ、丸井に対する元利債権は昭和四〇年六月二〇日代物弁済により決済されたので、その時点で利息制限法超過利息も現実に収受されたこととなり、右五三七万円から三七万一五四九円を控除した四九九万八四五一円が昭和四〇年度の収入利息と認められる。従って、前示六一七万円、三六万九九五六円、四九九万八四五一円を加算した一一五三万八四〇七円が昭和四〇年度における利息収入というべきであるが、検察官は七八五万四三五六円と主張しているので、その限度で認定した原判決には所論のような事実の誤認はない。

二の(一)株式会社双葉からの家賃収入について

原判決は株式会社双葉からの昭和三八年度、三九年度、四〇年度の各家賃収入を検察官主張のとおり各六万円(計一八万円)と認定しているところ、所論は、被告人が同会社から受領した右各年度各六万円の家賃は、被告人が建物所有者から賃借した家賃額のまま同会社に賃貸しているから家賃収入とみるべきではないというので検討すると、賃料収入と経費支出は別の勘定科目として別個に計上されるものであり、原審第一四回公判廷における証人前田善蔵の供述、同人作成の確認書、振替伝票、被告人の昭和四二年二月七日付検察官に対する供述調書によれば、被告人は右会社から昭和三八年度、三九年度、四〇年度に各六万円(計一八万円)の家賃収入を得ていること、被告人が金融業を営むにつき右各年度中に家賃、交通費、印紙代、通信費、用紙代等で毎月二〇万円、他に貸金の取立に必要な費用として年間一二〇万円の経費を要すると認められるところ、原判決は右各年度に支払った諸経費(家賃を含む)として年間三六〇万円を計上していることが明らかであるから、原判決には所論のような事実の誤認はない。

二の(二)東芳男からの家賃収入について

原判決は東から昭和三八年度の家賃収入として検察官主張のとおり三九万円(ただし、大阪市南区宗右エ門町四九所在家屋の家賃二四万円と神戸市兵庫区大開通り一〇-八所在家屋の家賃一五万円を加算したもの。)、三九年度の家賃収入として同じく二四万円(右宗右エ門町所在家屋の家賃)、四〇年度の家賃収入として同じく一二万円(同家屋の同年一月分から六月分までを加算したもの)をそれぞれ認定しているところ、所論は、昭和三八年一月以降東からは全く家賃の支払を受けていないから家賃収入を認めるべきではないというので検討すると、原審第四六回公判廷における証人川島靖、同第五二回公判廷における証人東芳男の各供述によれば、東は昭和三四年頃から大阪市南区宗右エ門町四九所在家屋を賃借し、同所で飲食業を営んでいたところ、被告人は昭和三五、六年頃同家屋の所有権を取得して賃貸人の地位を承継したこと、東は経営に行き詰り、昭和三七年七、八月頃からは月額二万円の家賃の支払いも滞る状態となり、被告人の勧めもあって遅くとも昭和三八年一月には同店を閉め、同時に被告人から被告人所有の神戸市兵庫区大開通り一〇-八所在家屋を賃料月額二万五〇〇〇円の約定で新たに賃借し、同所で飲食業を営んだが、同年六月頃には再び経営不振となり、同年七月以降は同店を閉め、その後相当長期間所在をくらましていたことなどの事実が認められるので、右の事実に徴すると、南区宗右エ門町所在家屋についての賃貸借契約は、昭和三八年一月に合意解約されたものと認めるのが相当であり、被告人の昭和四一年一〇月一四日付質問てん末書は前示各証拠に照らし措信できない。そうだとすると、原判決は昭和三八年度における東からの家賃収入として兵庫区大開通り所在家屋の賃料一五万円を認定した点では正当であるが、南区宗右エ門町所在家屋の賃料昭和三八年度、三九年度各二四万円、同四〇年度一二万円を認定した点で事実の誤認があるといわねばならず、所論は右の限度で理由がある。

二の(三)、(四)鈴蘭台センターの賃借人竹中みよ他三三名からの家賃収入及び竹中みよ他三五名に対する同センターの売上代金収入について

原判決は竹中みよ他三三名からの昭和四〇年度の家賃収入として検察官主張のとおり一九六万五七五〇円、竹中みよ他三五名に対する不動産売上収入として検察官主張のとおり二七五四万五〇〇〇円、右不動産の取得価額として検察官主張のとおり一五六五万二九三一円といずれも認定しているところ、所論は、まず同センターは丸井甚助の所有であり、右各収入を被告人の所得と認定するのは誤りであるというので検討すると、元帳、銀行調査書、原審第二八回公判廷における証人高橋利一及び同橋岡正、同第二九回公判廷における証人川口義昭及び同若林春子、同第三〇回公判廷における証人衣奈邦夫、同第三六回及び第六八回公判廷における証人綿野潔の各供述、高橋利一作成の回答書、丸井甚助及び神野友明の各質問てん末書、川口義昭、若林春子、衣奈邦夫、橋岡正、竹中みよ、長野満、平岡春枝、市野忠雄、大西かほる、坂口国勝、藤本茂、津崎健治、伊達勘治、前川総一、奥開健三、山村美代子、下浦勲、高木善蔵、太田亀野、朝野勲、上川浩司、増本源一、枝川健治、有限会社永田園、中川一、右近信一、若林睦、伊藤孝之、原ひさ子、中野汪子、太田政次、日本電子サービス株式会社、国分和子(代理石田徳雄)、神野善造、入江みつ子各作成の確認書、鈴蘭台センター記録綴(前同押号の一六)、被告人の昭和四二年二月九日付検察官に対する供述調書などを総合すると、丸井甚助は被告人から金員を借り受けて神戸市兵庫区山田町東谷所在の土地を購入し、昭和四〇年一月から四月にかけて同地上に市場(鈴蘭台センター)を建設したが、その間資金に窮する都度被告人から金員を借り受け、同年四月二〇日現在被告人に対し元利合計三八五三万円の債務を負担するにいたり、その後同センター内店舗入居申込者から受取った敷金などをもって弁済に当てていたが、結局同センターの経営に行き詰まり同年六月二〇日現在における元利合計二〇一一万二〇〇〇円の債務の代物弁済として、同日被告人に対し同センターの敷地のうち同人の妻所有名義の土地(一部はすでに被告人所有名義であった。)と地上建物を提供したこと、同センター内の各店舗は同年五月から賃借人が使用することとなり、竹中みよ他三三名が同月分から同年九月分までの賃料を支払い、その総額は一九六万五七五〇円であったこと、被告人は右代物弁済によって所有権を取得した後同年九月三〇日頃右各店舗を賃借人竹中みよ他三五名に対し、同人らがすでに丸井に支払っていた敷金を代金額に含めるなどして売却し、その代金総額が二七五四万五〇〇〇円であったことなどの事実が認められ、被告人と合資会社高橋ふとん店間の昭和四〇年九月二七日付不動産売買契約証書中に売主として被告人が表示されていることは被告人が所有者として当該店舗を売却していることを裏付けるものであり、前示証人綿野潔の供述中右認定に符合しない部分は措信できない。右認定の事実によれば、原判決が昭和四〇年度の鈴蘭台センター売上収入として二七五四万五〇〇〇円を認定した点で事実の誤認はないが、被告人が所有権を取得した昭和四〇年六月二〇日の前日までの家賃を被告人の家賃収入と認めることはできないから、同月二〇日から九月分までの家賃を被告人の収入とみるべきところ、前示各証拠によれば、賃借人竹中みよ他三三名の五月分及び六月一九日までの家賃合計は五二万六〇三三円となるので、被告人の鈴蘭台センターからの昭和四〇年度の家賃収入は前示一九六万五七五〇円から右五二万六〇三三円を控除した一四三万九七一七円となり、この点で原判決には事実の誤認がある。つぎに所論は、原判決は右不動産の取得価額として丸井に対する貸金一五九〇万〇九三一円と同額の金額を認定しているが、同人に対する右貸金のほか被告人が丸井に代わって支払った大工、建材店等に対する支払を加えると少くとも三五〇〇万円を下らないから、これをもって取得価額と認定すべきであるというが、右のような代払いは丸井に対する別個の貸付債権若しくは求償債権と認めるべきで、取得価額に計上するのは相当ではなく、前示証拠によれば、鈴蘭台センター内店舗のうち一部売れ残りがあり、その部分の評価額は四四五万九〇六九円と認められるから、前示債権額から右四四五万九〇六九円を控除した一五六五万二九三一円が前示売上げ部分に対応する取得価額と認められるので、右不動産の取得価額として右金額を認定した原判決には所論のような事実の誤認はない。

以上判断したように、結局原判決は、昭和三八年度の貸金利息収入につき二六四万七六〇〇円、家賃収入につき二四万円を、昭和三九年度の貸金利息収入につき一九二万円、家賃収入につき二四万円を、昭和四〇年度の貸金利息収入につき八万四五三〇円、家賃収入につき六四万六〇三三円をそれぞれ多額に認定した点で事実の誤認があり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、量刑不当の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、大阪市阿倍野区阿倍野筋七丁目七一番地において貸金業並びに不動産売買業を営んでいたものであるが、所得税を免れようと企て、

第一、昭和三八年度における所得金額は五五三一万二六八〇円、これに対する所得税額は三二四八万四三七〇円であるにもかかわらず、貸金利息、不動産売上収益等を除外する不正行為により、右所得金額中五四〇三万三六八〇円を秘匿したうえ、昭和三九年三月一六日、大阪市阿倍野区阿倍野税務署において、同署長に対し所得金額が一二七万九〇〇〇円、これに対する所得税額が一九万〇一七〇円である旨過少に虚偽記載した同年度の所得税確定申告書を提出し、よって同年度分の所得税三二二九万四二〇〇円を免れ(ほ脱税額算定の根拠は、別紙昭和三八年税額計算書記載のとおりである。)、

第二、昭和三九年度における所得金額は一八一六万一七三六円、これに対する所得税額は八五二万七〇一〇円であるにもかかわらず、前同様の不正行為により、右所得金額中一六六九万四七三六円を秘匿したうえ、昭和四〇年三月一五日、前示阿倍野税務署において、同署長に対し、所得金額が一四六万七〇〇〇円、これに対する所得税額が二四万〇〇五〇円である旨過少に虚偽記載した同年度の所得税確定申告書を提出し、よって同年度の所得税八二八万六九六〇円を免れ(ほ脱税額算定の根拠は、別紙昭和三九年税額計算書記載のとおりである。)、

第三、昭和四〇年度における所得金額は四六三七万六〇七九円、これに対する所得税額は二六二六万七一五〇円であるにもかかわらず、前同様の不正行為により、右所得金額中四五九四万四〇七九円を秘匿したうえ、昭和四一年三月一五日、前示阿倍野税務署において、同署長に対し、所得金額が四三万二〇〇〇円、これに対する所得税額が三万三四五〇円である旨過少に虚偽記載した同年度の所得税確定申告書を提出し、よって同年度分の所得税額二六二三万三七〇〇円を免れ(ほ脱税額算定の根拠は、別紙昭和四〇年税額計算書記載のとおりである。)

たものである。

(証拠の標目)

判示全部の事実につき

一、原審第四三回公判調書中証人川島靖の供述部分

一、同第五二回公判調書中証人東芳男の供述部分

判示第一の事実につき

一、同第五三回公判調書中証人佐々木善治郎の供述部分を加えるほかは、原判決挙示の各証拠と同一である。

(法令の適用)

被告人の判示第一及び第二の各所為は、昭和四〇年三月三一日法律第三三号所得税法(以下、新所得税法という。)附則二条により昭和二二年三月三一日法律第二七号所得税法六九条一項に、判示第三の所為は新所得税法二三八条一項に各該当するところ、いずれも併科刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから懲役刑につき同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期、罰金刑につき同法四八条二項により各罪の罰金額を合算した金額の範囲内で処断すべきところ、本件犯行は昭和三八年、三九年、四〇年の三年度にわたり総計六六八一万円をこえる多額の所得税を免れたもので、多数の架空名義預金口座を設けて所得を隠匿するなど犯情悪質であり、動機にも格別斟酌すべき事由があるとは認め難く、その刑責を軽視できないが、今日まで更正本税として計八三二七万円余を全額納付し、重加算税及び延滞税の一部も納付ずみであることなどを考慮し、右刑期及び罰金額の範囲内で被告人を懲役八月及び罰金一五〇〇万円に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予し、被告人において右罰金を完納できないときは金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人に負担させることとじて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 児島武雄 裁判官 重富純和 裁判官 山田利夫)

税額計算書

<省略>

税額計算書

<省略>

税額計算書

<省略>

○ 控訴趣意書

所得税法違反被告事件

被告人 嶋本利彦

右被告事件について、昭和五三年一二月二五日大阪地方裁判所が言渡した判決について、控訴の趣意は次のとおりである。

昭和五四年四月二六日

右主任弁護人 石川元也

弁護人 花村哲田

大阪高等裁判所

第六刑事部御中

はじめに

本件公訴提起は、昭和四二年三月九日であり、昭和三八年度、昭和三九年度、昭和四〇年度における過少虚偽申告による所得税のほ脱を内容とする各所得税法違反が公訴事実となっている。

公訴事実と原審の認定した事実とを対比すれば次のとおりである。

昭和三八年 公訴事実 原審認定

所得金額 六六、九六八、三一二円 五八、二〇〇、二八〇円

所得税額 四〇、九八二、九〇〇円 三四、五〇五、六九〇円

ほ脱額 四〇、七九二、七三〇円 三四、三一五、五二〇円

昭和三九年

所得金額 二六、五九二、〇五七円 二〇、三二一、七三六円

所得税額 一三、四八三、九〇〇円 九、七二一、七二〇円

ほ脱額 一三、二四三、八五〇円 九、四八一、六七〇円

昭和四〇年

所得金額 五〇、六六七、八七六円 四七、一〇六、六四二円

所得税額 二九、二七一、四一〇円 二六、七七八、五七〇円

ほ脱額 二九、二三七、九六〇円 二六、七四五、一二〇円

合計

ほ脱額 八三、二七四、五四〇円 七〇、五四二、二三〇円

(差額一二、七三二、二三〇円)

しかして、原審の審理経過をみれば、第三七回公判(昭和四九年六月一一日)をもって、検察官請求の証拠調が終了し、第三八回公判(昭和四九年七月二六日)より弁護側の反証に入り、第六一回公判(昭和五二年五月一一日)をもって被告人本人質問も終了したところさらに交代した検察官よりの請求で第六二回から第六七回公判(昭和五三年一月一〇日)まで検察官の立証にあてられた。この間被告人側反証の中心であった川島靖証人が昭和五二年二月三日死亡したため、再反証をつくすことなく終結したという事情もある。

検察官の求刑は「懲役一〇月、罰金三、〇〇〇万円」であったが、原審は被告人に対し、「懲役八月、執行猶予二年。罰金二、五〇〇万円(換算一日五万円)旨の判決を言渡したのである。

しかして、原審で争いのあったのは各年度の事業所得中の貸金利息収入並びに昭和四〇年度事業所得中の不動産売上及び各年度の家賃収入であり、その争いある項目についての検察官主張の所得金額、被告人主張額並びに原審認定額は別紙(一)「貸金利息に関する争点と原判決の認定」と、別紙(二)「不動産関係に関する争点」記載のとおりである。

そして本件控訴の対象とした各項目及びその所得金額は別紙(三)記載のとおりである。

控訴趣意第一点

原判決には実質的に理由を附していない違法が存する。

原判決は「罪となるべき事実」において、前記のごとく各年度における所得金額、これに対する所得税額と過少に虚偽記載した事実をあげ各年度のほ脱額を適示するとともに、「証拠の標目」の最後に「本件の税額計算書、検察官の主張と異る貸金利息の分についての一覧表および利息の計算上複雑なものについての内訳はいずれも別紙のとおりである」として、別表が附せられている。

しかし、原審において被告人、弁護人がその所得金額を争ったのは次のとおりである。

すなわち、本書面添付別紙(一)のとおり貸金利息について昭和三八年-一八件、三九年-八件、四〇年-八件(合計二二名分)であり、同(二)のとおり、家賃収入三件、鈴蘭台センター関係の一群の家賃収入及び不動産売上であった。

ところが、原判決は右別紙(一)の関係につき、判決別表で昭和三八年-一二件、三九年-六件、四〇年-三件につき、検察官主張の金額を排斥しているが(この中には弁護人主張のとおりのものもあれば、独自の認定のものもある)、その何れについてもその理由は、ほとんどが「実際受領額」というのみである。そして、その余の被告人の争いについては、何らの説明せずこれを検察官主張のとおりと認めた。そして、別紙(二)の各争点については一言も理由も説明もなく、被告人主張を排斥し、検察官主張のとおり認定している。

なるほど判決書としては、「罪となるべき事実」と「証拠の標目」をあげれば最小限十分であるとの説もありうるがもともと本件の如き過少申告による所得税法違反事件においては、各収入項目、及び取引先毎にその所得額の隠匿が主張・立証せられなければならない性質のものである。

本件においてなるほど検察官は冒頭陳述別表において右各項目毎に、その額を明らかにしたが、その額も結局「年間トータル」の数字であって、それがいつ、どのようにして生じたかという明細は主張せられなかった。争いのない分についてはそれでよいであろう。

本件では被告人側において、この各項目別数額を認めまたは、積極的に被告人計算の数字を出して争っていた。本来なればこの争いある部分は右の根拠を明らかにしてのち被告人側で反論すべきものであった。(この点では弁護人側の手落ちは認める。)

原審も、この争いある部分については、右の各収入の根拠については、検察官に釈明を求め、その主張を明確にして立証をうながすべきであった。

しかし、原審はそうしたこともせず、かつ判決書でも僅かに「実際受領額」と理由を附したもののほかは、一切の説明もなく、検察官主張のとおりとしてしまった。

また右の「実際受領額」の説明にしても二番岡島米蔵の各年度所得額を被告人主張額どおり認めたものは別として、いかなる根拠で、これを認定したかの説明は全くない。

被告人、弁護人は詳細な理由を附して、これらの訴因を争っていたのであるからこれらに応答する程度の理由を附すべきであり、それを全くしなかった原判決は実質的に刑事訴訟法第三七八条第四号の「判決に理由を附せず」に該当するものと思料する。

当審において右各訴因については、検察官の釈明を求め、さらに審理をつくすべきことを求める。

控訴趣意第二点

原判決には次の通りの事実誤認がある。

認定額とあるは原審判決の認定額であり、被告人主張額とあるは、事実として認定さるべき金額である。証拠とあるは、被告人主張が認定出来る証拠を示したもので説明に必要な場合には、それとは別に証拠を指示することにした。

本件弁護人が事実誤認として控訴趣意を申述べるのは、別紙「貸金利息に関する争点と原判決の認定」の下段(注)に記載のとおりであり、以下の番号もこの番号による。

1. 原田忠亮

昭和四〇年度貸金利息について

認定八〇万円 被告人主張四〇万円

証拠四二回公判調書(供述) 証人 川島靖一枚-四枚

五五回 〃 証人 有川(左近)日出子 六枚目

五六回 〃 〃 二枚目より

利息として受領した八〇万円のうち元本の返済に充当した担保物件の処分の経費として四〇万円を支払ったことは右証拠で明らかである。

2. 西村止才之亮

昭和三八年度貸金利息について

認定 三七二万四〇〇〇円 被告人主張 0円

証拠第一九回公判調書(供述)証人 西村止才之亮

第三九回公判調書(供述)証人 (1)川島靖 七枚目

第五二回公判調書(供述)証人 東芳男 五枚目

被告人が最初西村止才之亮に貸付けたのは、昭和三六年一二月中頃で金六〇〇万円日利三分弁済期三七年三月一〇日の約で工場機械を担保としたところが西村は右金利を支払わず三七年三月一〇日頃元本一〇〇万円を返済したのみで引続き貸与した。昭和三七年八月二七日頃西村の代理人東芳男より右担保の機械が債権者に取られた旨の報告があり代りに城崎温泉の老舗「ゆとうや旅館」の敷地(兵庫県城崎郡城崎町湯島字愛宕三七三番地)に抵当権を設定し、同年一二月二六日に一一五万円を貸し増した。

その後、三八年一〇月に七四六万円の返還を受けた。しかして、元本との差額一三一万円が受領金利である。不足金利については、東芳男に同人に対する別途債権と合一して二五〇万円の手形を振出させたが右手形は不渡りになり未収のまゝである。原審で検察官は、三八年度金利として右六一五万円に対する三八年一月より返済まで月一割の利息収入を主張していたが原判決が実際受領額として三七二万四〇〇〇円の認定をしている。右認定額は如何にして計算された金額であるか明確でないが、証人西村止才之亮の証言によるも金利として一割を、東芳男に支払ったと云うのみで、西村止才之亮は東芳男を通じて他の数名の金融業者からも金を借りており、その一割が誰に渡されたのかも明確でなく、東芳男の証言からも被告人に一割の金利を支払ったと云う証言はない。

従って、かかる曖昧な証拠のみで金利三七二万四〇〇〇円を認定されることは承服し難い。

4. 川原建設

三八年貸金利息

認定 四八六万四七二九円 被告人主張 一一九万七七三〇円

三九年貸金利息

認定 二四〇万一五二〇円 被告人主張 〇円

証拠 第四三回公判調書(供述)証人 川島靖 二枚目

三八年度の貸付元本額、利率については検察側、被告人側で争いはない。原判決が実際受領額として四八六万四七二九円と認定したか理解し難い。

川島証言によれば三七年の六月か七月に四〇〇万位を貸付け、その後貸増して三八年初めから三月中頃迄の利息として一一九万七七三〇円を受取り(右証人一一枚目)その後は金利を手形に書きかえて行ったが右手形(最終総額一一二七万円)は不渡りになり元本も回収不能の為八尾本町のパチンコ店金剛会館の改造工事を、川原建設にやらせ、その請負代金より三五〇万円の返済を受けその他、南のバーの改造工事の斡旋をして、請負代金二〇〇万円中より一〇〇万円の返済を受けた(右証人調書五枚目)。

結局元本は右四五〇万円の回収が出来たのみで残元金、残利息等すべて未収になったものである。未収になった所謂貸倒れの時期については、明確な証拠がなく、さすれば右未収債権も現存しているものとして現在までの未収金利を算定せざるを得ないことになるが、如何にも不合理であり、刑事裁判においては後になって金利が未収になった時は、その金利発生時において、貸倒れの処理をしても不合理ではないと思う。

5. 新和工業三八年貸金利息

認定額 二六五万六、六〇〇円 被告人主張額 四五万円

証拠 第四二回公判調書(供述)証人川島靖 二〇枚目

被告人の新和工業(株)への貸付は昭和三八年三月一一日元本八〇万円利息六分で同年一二月二四日返済をうけた。その間の利息は四五万円である。判決が前記認定をなしたのは、新和工業(株)の代表者片山兼一外一名共有の不動産に被告人を権利者とする六〇〇万円の金銭消費貸借による代物弁済予約の仮登記が存することを根拠とするようである。

しかし右仮登記は次の通り他の債権の担保にすぎない。

即ち昭和三七年一二月当時被告人は山鹿運輸建設株式会社に貸金四〇〇万円を有し、同社所有の不動産を整理してこれの回収にあてることになっていた。ところが当時山鹿がその整理をするのに新和工業(株)に対する六〇〇万円の支払いをせねばならず山鹿はこの支払い分を被告人に追加貸出を求め、その担保として本件仮登記をするということで被告人はこれを山鹿に貸付けた。これを含め、被告人の山鹿に対する貸金は合計二、二六八万四七四二円に達したのである。そして右山鹿に対する貸金は不動産売却により回収され、これと同時に本件仮登記は無条件で抹消されたものである。以上の次第で、六〇〇万円の利息の計上は前記山鹿に対するものと二重の計上になる。

6. 和田吉郎

三八年貸金利息

認定六三万円 被告人主張 四〇万円

証拠二〇回公判調書(供述)証人 和田吉郎 八枚目

証拠三〇回公判調書(供述)証人 川島靖 二三枚目

貸付元金、利息額については、検察官、被告人間に争いはない。ただ利息の支払いとして受領した二八万五〇〇〇円の手形(振出人山中日吉)は不渡りとなり、その分を免除した。右不渡手形分について、二〇回公判廷で和田吉郎は支払っていると証言しているが、右和田吉郎はすべてについて記憶が曖昧であって弁済したとの証言も明確と云えず、弁済を証する領収書も、弁済と引換えに返還を受けた手形の提出もない。それに反し前記川島証言は、比較的に具体的であり、明確に証言しており措信できる。

7. 山鹿運輸建設

三八年度貸金利息

認定 五五九万五七七八円 被告人主張 一五二万四〇〇〇円

証拠 第二三回公判調書(供述)証人 田村岩五郎

証拠 第四一回公判調書(供述)証人 川島靖

被告人が山鹿運輸に貸付けたのは同年八月三一日までに合計二、二六八万四七四二円である。

これに対して山鹿運輸の田村岩五郎社長は担保に入れてあった右不動産の処分によって<1>三八年一〇月阪急生花市場より入金三〇〇万円<2>三八年一一月阪神電鉄よりの入金二、一〇〇万円をもって返済した。したがって被告人は合計二、四〇〇万円から右元金を差引いた一三一万五二五八円を利息として利得したことになるのであって、それとは別に小切手による支払いと現金による支払いがあり、合計一五二万四〇〇〇円を三八年分の利息として受取ったものである。

8. 錦城スーパー

三八年貸金利息

認定 七四四万円 被告人主張 八〇万円

証拠 第二二回公判調書(供述)証人 五島深諦

証拠 第四一回公判調書(供述)証人 川島靖

錦城スーパーに対して貸金はない。

被告人と錦城スーパーとの取引としては次のものが存する。

即ち、被告人は

<1> 八尾市本町六丁目八六番地

宅地一八一・四八平方メートル

<2> 同所 八七番

宅地 七六・一六平方メートル

<3> 同所 八六・八七平方メートル

家屋番号 八六番

木造セメント葺二階建店舗

床面積一階 六七・七五平方メートル

二階 一五・五〇平方メートル

の三物件を、その所有者金鐘より昭和三八年二月二〇日代物弁済で取得し、同年六月二〇日所有権移転登記手続をし所有していた。これを昭和三八年九月一七日錦城スーパーに売却し同年一二月二五日所有権移転登記手続をしたのである。この売買代金が一、八五〇万円であり、うち五〇〇万円が現金であり残る一、三五〇万円が手形で支払われた。

この手形による支払いが決済されて、同年一二月二五日所有権移転登記がされたのである。

原判決の認定によれば右物件の売買代金二〇、〇〇〇、〇〇〇円を手形で払い、その手形を落せるまで金利を払って待ってもらっていた。日歩二〇銭の割合による金利を払っていたとするようである。

右売買代金の二〇、〇〇〇、〇〇〇円を貸付金とし、右売買契約の成立時期を三八年六月二〇日を貸付日とし、その日より三八年一二月一九日手形の決裁が出来るまで日歩二〇銭の割合により金利を支払ったと認定したと云える。

しかし右は被告人提出の証拠と著しく相違する。即ち、被告人提出の本件物件の登記簿謄本によれば売買成立時期は昭和三八年九月一七日であり、右登記簿の記載は、被告人提出の契約書及び念書とも合致し、前記川島証人の証言と合致する。第二二回公判廷での証人五島深諦の証言は、同人が右売買契約のずっと後になって右会社の整理のために代表者になったのであって、余り正確に右事実を知っていたとは思わず信憑性がない。同人は、二〇〇〇万円の約束手形の満期ごとに、それ迄の日歩二七銭位の金利を支払って手形を書き換えていたと証言している(二二回公判調書(供述)証人五島深諦五枚目裏)。しかし、それらは豊川八郎を通じて支払われたとあり豊川八郎の手許で如何様な処理がされて被告人の手許に入ったのか不明である。

検察官の論告にある被告人の口座である実業/王子沖野進司に、三八年一二月一八日五〇〇万円、福徳/玉出坂井魁に、三八年一二月一五日六〇〇万円、実業/王子沖野進司に三八年九月一七日八一万二、五〇〇円、近相/阿倍野坂井魁に、三八年一一月二一日二〇万円、実業/王子沖野進司に三八年一二月一八日二一五万円入金があるとするが、五島証人の手形書換えの為の利息としては、日時も金額も合致しない。右の如く非常に不明確なこれらの証拠で被告人の三八年度貸金利息を七四四万円と認定されることは承服し難い。

9. 扶桑商工

三八年貸金利息

認定 三〇〇万円 被告人主張 八〇万円

証拠 第四三回公判調書(供述)証人川島靖一一枚目

扶桑商工の代表取締役は淀野正一であるところ昭和三七年五月から同人の依頼で貸付を始め、三八年一月の貸付金は一、〇〇〇万円、利息は月六分であった。利息は二月上旬までに八〇万円が支払われたのみで、その余は約束手形で交付されたが同年五月同社が倒産し、一切の支払いを受けていない。

そして右貸付元本については同年六月一日淀野正一を代表取締役とする大貴建設機械(株)がこれを引受けた。

10. 大貴建設機械(株)

三八年度貸金利息

認定一九二万円 被告人主張 五四万円

三九年度利息

認定二、二四四、五三〇円 被告人主張 八五万円

証拠 両年度について第四三回公判調書(供述)証人川島靖

前述の扶桑商工の倒産後、これを引継いだ大貴建設も三八年分は二七日分の利息(日歩二〇銭)五四万円を支払ったのみで、その金の利息分は手形で渡されたがすべて支払われていない。同じく三九年分は一、〇〇〇万円に対する四四日分の利息八八万円が収入となったのみである。

11. ヨドノ産業

四〇年度分代金利息

認定一八三万円 被告人主張 八〇万円

証拠第四二回公判調書(供述)証人 川島靖

ヨドノ産業も淀野正一を代表者とする会社で昭和四〇年五月三一日右大貴建設への貸付金を引継いだものである。淀野正一は昭和三八年当時扶桑商工の被告人に対する債務を担保するため浪速区塩草町の淀野所有の自宅及び工場並びに西成区西津守にあった工場及びアパートを抵当に入れていたがこれを右の大貴建設・ヨドノ産業に引継いでいた。四〇年分の利息としては、四〇日分八〇万円が支払われただけである。

その金の利息は支払われず結局抵当物件の処分で被告人は貸付元本一、〇〇〇万円を回収し、その金の利息はすべて放棄したのである。

12. 高松雅文

三八年貸金利息

認定 一三五万八、一〇〇円 被告人主張 五〇万円

証拠第四六回公判調書(供述)証人川島靖一六枚目

判決認定の金利は、元本を何時貸与して、何時返済を受けたと認定したのか不明である。川島証言にある(一五枚目裏)如く、一四六三万五、〇〇〇円に〇・〇六を乗じて八七万八、二〇〇の金利を算出している(判決添付の別紙高松雅文の頁)のは些が粗雑にすぎる。

13. 姜大奎

三八年貸金利息

認定 一三五万円 被告人主張 九〇万円

三九年貸金利息

認定 四五八万円 被告人主張 〇円

証拠第四四回公判調書(供述)証人川島靖 一枚目

証拠第四五回公判調書(供述)証人川島靖 一枚目

昭和三八年分の元本及び利率について争いはない。しかしこれは現実に支払われず、内九〇万円のみ入金した。残金は後記の代物弁済の際免除した。

この貸付により小山は

大阪市阿倍野区北畠一丁目二一番地の一

宅地 二五坪三合

同地工建物 三六坪三合

同所二一番地の二

宅地 七一坪七合

同地工建物六〇坪

を買い受け昭和三八年二月一四日に所有権移転登記をした。

しかし小山は事業に失敗したため被告人は右物件を代物弁済として昭和三九年六月二二日にその所有権をうけ、同日所有権移転登記手続をするとともに、一番抵当権者である福徳相互銀行に金八〇〇万を代物弁済した。

被告人は昭和四一年一月二八日この物件を金二、〇〇〇万円で売却したが結局二七〇〇万円の支出に対し七〇〇万円の貸倒金を出したことになりその旨の処理をした。貸倒年月日が四一年でも、これにより三九年度の金利の未収が確定したとすれば、刑事事件にあっては金利の利得を認めるべきでないことは弁論要旨記載の通りである。

16. 飯田幸一

四〇年貸金利息

認定 一一〇万円 被告人主張 七〇万円

証拠 第四五回公判調書(供述)証人川島靖 六枚目

〃 五〇回 〃 〃 五枚目

被告人が飯田マスエに六〇万円を持って来させ、被告人が一七〇万円を出し計二三〇万円を松葉に支払うことによって飯田の丸井甚助に対する二四〇万円の債権を取得している。

原判決の認定は飯田マスエの支出した六〇万円を被告人の利得としたものと思える。この六〇万円は松葉に渡されたものであって被告人の利得ではない。

17. 秋本博司

三八年貸金利息

認定 八〇万円 被告人主張 〇円

証拠 第三九回公判調書(供述)証人川島靖 一二枚目

第四二回 〃 〃 二六枚目

貸金利息として三八年度中に八〇万円受領し、五〇年一月五日に、担保権の処理として和解金二〇万円を受領している。しかし反面、貸金元本二〇〇万円が未回収になったものである。右元本二〇〇万円の担保として妻名義の土地建物を取っていたが、右担保権を実行しようとした所、土地も家屋も第三者に移転され第三者が入っていたため、担保権を実行出来ず放置しておいたところ、右土地家屋の前所有者から右担保権抹消の訴訟を提起され、五〇年一月五日に和解が成立し二〇万円を受領したが残額は免除した。貸金元本二〇〇万円が未回収になっても年度が違えば三八年度の利息は収益として計上すべきであるとして認定した。

原判決が不当であることは弁護人の弁論要旨に詳しく主張した。

18. 北野博

三八年貸金利息

認定 一六五万円 被告人主張 九万円

証拠 第四四回公判調書(供述)一〇枚目

金利が未収であることは検察官も認めるところであった。未収金利を脱税と認めるべきでないことは弁論要旨記載の通りである。

19. 古市建設

三八年貸金利息

認定 四〇万円 被告人主張 〇円

証拠 第三九回公判調書(供述)証人川島靖 一六枚目裏

弁論要旨一の一九に詳細に記載してある通り、古市建設に対する貸金はなく、甲陽産業へ二〇〇万を融資するにつき古市建設振出の手形五五万円、四五万円、一〇〇万円の三枚の手形を受取ったもので、右手形は、実際に落ちたのは、一〇〇万円(調査元帳二一九号八一七頁、三九年一月二五日欄)と五五万円(調査元帳二一九号八一七頁、三九年一月二五日欄)と五五万円(調査元帳二一九号八一七頁、五段、七段)でそれ以外に利息一九万六〇〇〇円(調査元帳二一九号八一七頁七段目)のみであって、二〇〇万円貸した被告人が回収し得たのは上記一七四万六〇〇〇円のみで、損失はあれ利益は皆無である。

20. 綿野潔

三八年貸金利息

認定 一九五万円 被告人主張 二五万六〇〇〇円

三九年貸金利息

認定 六五万円 被告人主張 四〇万円

証拠第三六回公判調書(供述)証人綿野潔一〇枚目及び二四枚目、第四二回公判調書(供述)証人川島靖六枚目

検察官の主張する綿野に対する八〇〇万円の貸金は荒井澄雄が貸したもので、被告人は、それを仲介したにすぎず、仲介料として月二分計二五万円を受取ったにすぎぬことは、前記証拠で明白である。昭和三九年の四〇万円は、右荒井の綿野に対する貸金残一〇〇万円を、被告人が譲渡を受け、それに対する月六分の割合の、三九年六月中頃より年末までの金利として受領したことが前記四二回公判調書(供述)一二枚目に明らかである。

24. 荒井澄雄

三九年貸金利息

認定 二八八万円 被告人主張一四〇万円

証拠第四二回公判調書(供述)証人川島靖 一五枚目

証拠第五〇回公判調書(供述)証人川島靖 一六枚目

原判決の認定額は昭和三九年五月二五日に一〇〇〇万円を月四分で貸与し、昭和四〇年の五月二七日まで貸したものと認定したと思われる。

しかし荒井澄雄は被告人を同業者であって、検察官主張の如く同業者より一年に亘って引継ぎ借ることはなく、川島証言にある如く、金が出来ればすぐ返済し不足した時に又借りる等して、金利の節減につとめたと見るのが常識に合する。川島証人の記憶では延一〇五日程貸していたと思われる(四二回一七枚目裏)。

25. 丸井甚助

四〇年貸金利息

認定 七五八万四、三五六万円 被告人主張 二三〇万円

証拠第四三回公判調書(供述)証人川島靖 二一枚目

原判決は、検察官の主張を全面的に認めているが、三九年度については、被告人主張を認め二〇〇万円を実際受領し、二〇万円を未収利息としているのであって未収利息の二〇万円の根拠が明らかでないが、少くとも月六分の金利の認定はしていないと思われる。しかりとすれば、四〇年度に月六分の金利である七五八万円を全額認定するのは矛盾である。

(不動産関係収入について)

各不動産所得のうち、家賃収入について、争いあるものは次の三つであるが、原審は別紙税額計算書の「不動産所得」の欄では何れも検察官主張のとおりの数字を認定している。

一、22.(原審検察官論告)の株式会社双葉よりの家賃収入について。

検察官は、昭和三八年分、三九年分、四〇年分、各六万円について(株)双葉が被告人より賃借して被告人に支払った家賃であると主張し、その被告人が所有者に支払った家賃は別途計上の諸経費のうちに計上してあるから、この分は不動産収入にあたるというのである。

原判決は、何らの判断を示していない。

なるほど、検察官主張の必要経費は、事業所得損益計算書(冒陳別表六頁、二六頁、四三頁)に各三六〇万円が計上されている。しかしながら、この必要経費は被告人の事業にともなう必要経費(家賃のことはのぞいて)を、被告人が毎月三〇万円位と述べたものにとどまる。

被告人の認識では、この事務所は所有者から賃借して、その家賃額のまま、(株)双葉に使用せしめているのであるから、これについては、収入も支出もないものと考えていたのである。

それを、一方で(株)双葉からの家賃を収入(不動産所得)とし、他方で所有者への支払いを事業所得の方の必要経費とするような形式的経理操作はしていなかった。

検察官の引用する被告人の供述調書(昭和四二年二月七日付検面調書)にしても、「金融業をやって行くについて、家賃、交通費・印紙代、通信費、用紙代など毎月二〇万円位かかっていました」、「訴訟或いは明渡しの執行の費用が;;各年間で一二〇万円、月当り一〇万円位かかっていると思います」という極めて概括的な供述であって、右の如き経理操作しているふしは全くうかがわれない。ここでの供述は家賃としては、差引ゼロであるから、それを考えずにいわゆる営業諸経費を並べたにすぎないとみるのが相当である。

二、23.(前同)東芳男の家賃収入

検察官は、

昭和三八年 二四万円(南区宗右エ門町) 一五万円(神戸市兵庫区) (冒陳別表二〇頁)

昭和三九年 二四万円(南区宗右エ門町)( 〃 三八頁)

昭和四〇年 一二万円( 〃 )( 〃 六四頁)

と各主張し、原判決も各不動産所得の総金額で検察官主張のとおり、これを認めているので、この分も検察官主張のとおり認めたものと思われる。

しかしながら、原審川島証人、東証人の証言のとおり、右の宗右エ門町の店舗は家賃滞納のため昭和三八年夏頃には明渡し神戸市兵庫区に別の店舗を貸したが何れも賃料の支払いをうけえなかったものである。

検察官も第五四回公判で、「東関係では家賃の未収分につき弁護人の主張のとおり認める」と述べていた。

原判決の実額主義の立場をとるならばこれについては、何れも収入なしとして、被告人の主張を認めるべきである。

三、鈴蘭台センター、各賃借人竹中みよほか三件の家賃収入

原審は、検察官主張のとおり、昭和四〇年分家賃収入として、一九六万五、七五〇円を認定した。被告人はゼロを主張する。

四、また、右鈴蘭台センターの不動産売上について

原審は、検察官主張のとおり、竹中みよほか三三件への店舗の売却代金二、七五四万円をそのまま認定した。被告人はこれもゼロと主張している。

しかしながら右の原審認定は何れも誤まっている。

(一) もともと、この市場「鈴蘭台センター」は、丸井甚助であり、この二つの収入をそのまま被告人に帰属せしめるのは誤まりである。

川島証人(原審第四三回公判)、綿野証人(第三六回、第六八回公判)の各証言で明らかなとおり、丸井は被告人から合計三、一三〇万円を借り受け、土地の買収、市場を建築したが大工、建材屋への支払いにも行きづまり、倒産するに至った。

そこで、これらの他の債権者への支払いを含め、全債権者の債権の支払にあてるため、任意整理の形で行うこととなり、最大の債権者である被告人が、いわば債権者委員長となって、右鈴蘭台センターを各賃借人に売却することにより各債権者への支払いに充当することとなったのである。

(二) したがって、右センター開店時昭和四〇年五月から売却時同年九月までの各賃借人からの家賃も当初は文字どおり家主たる丸井甚助に入金となり、同人の手から各支出に支払われていた。

丸井の経理が行きづまるに及んで、被告人が右債権保全の意味で、家賃の一ケ月分(昭和四〇年八月頃か)が、被告人使用の口座に振込ませたことが証拠上認められるけれどもこれも丸井より店舗売却による負債の返済という話の出たころのことであり、前記(一)の事実関係を否定するものではなく、これも前記各債権者への返済の一部分なのである。

原審は開店以来所有権移転までの全家賃収入を被告人の収入と認定したが、全く誤認である。

(三) そして、竹中みよ賃借人は何れも銀行融資をうけて、この店舗の所有権を取得したことが証拠上認められ、その支払代金の合計が二、七五四万五、〇〇〇円であることは争いがない。

ところで、原審はこれを被告人の個人収入としているが、その誤まりは前記(一)指摘のとおりである。

さらに原審はこれの取得原価として丸井に対する貸金一、五九三万〇九三一円という検察官の主張をそのまま認定しているが、これも誤まりである。

丸井に対する貸金は前記のとおり、三一三〇万円に達していたのでありそのほかに、被告人が丸井に代って、支払った大工、建材屋等への支払いが数百万円ある。(綿野証人の証言及び符号一四ないし一七の書証参照)

この合計額は少くとも三、五〇〇万円を超えるものであるから、これをもって売上原価と認定されなければならない。

そうすると、昭和四〇年における事業所得に関する原審認定は大きく誤まっているものといわざるをえない。

そして、結局被告人は丸井に対する前記 の貸金についてはその利息はもちろん収入なく、元本も相当部分回収しえなかったのである。

控訴趣意第三点

原判決の刑の量定は著しく重きに失する違法が存する。前記のとおり公訴事実の八、三二七万四、五四〇円の「ほ脱額」を根拠とする「懲役一〇月、罰金三、〇〇〇万円」の求刑に対し、原判決は、この「ほ脱額」で一、二七三万二、二三〇円を減じ、七、〇五四万二、三一〇円と認定したうえ、「懲役八月、執行猶予二年及び罰金二、五〇〇万円」を言渡した。

当審で事実誤認の主張(別紙(三)のとおり所得金額で七、七一三万八、七五九円に達する)が認められれば、右の「ほ脱額」はさらに減少するものであるが、そのことを一応別としても、原判決の殊に罰金額は不当に高額に過ぎるものである。以下その理由を述べる。

一、本件公訴事実中、昭和四〇年度所得の申告については、昭和四一年三月一五日の申告期限前の同年二月大阪国税局の査察をうけて、関係書類すべてを押収せられた。

したがって、被告人としては、昭和四〇年分所得の申告について、適正なる申告をしようにもすることができなかった。したがって、被告人側としては前年並みの申告をする以上に方法がなかったと言える。すでに申告期前にその年の分も含めて強制査察を敢えてして、適正申告を期待することには無理がある。

この昭和四〇年分については被告人としていかにも納得しかねると強く感じているところであり、情状として参酌せられたい。

二、被告人は、本件公訴事実に該当する年度分について、税務署長の更正処分もうけ、かつ多額の重加算税も課されている。

これに対して、被告人は右更正処分取消の訴訟を提起し、現に係争中であるか、同時に各税額について、逐次納入をしてきたところである。

いまその関係を明らかにすれば次表のとおりとなる。(原審提出の書証による。)

<省略>

したがって、この表によれば三年分の本税と重加算税の合計は原判決認定額により試算すれば、九、一七〇万四、三一〇円であるところ、これまで被告人はすでに八、五九〇万円を納めている。(原審弁論要旨の計算は計算ミスがあった。)未納額は五八〇万四、三一〇円にすぎない。なお若干の延滞税はあるがこれも僅少である。

そして当審で前記事実誤認の主張が或程度認められるだけで、右既納税額は納めすぎで還付をうけうることはいうまでもなかろう。

こうして、被告人はすでに更正額の三割という文字どおり重い重加算税を含めてほぼ全額を支払いずみである。検察官はこれを支払うべきは当然というが、やはり重加算税だけで、原判決認定額によっても二、一一六万二、〇〇〇円に達するこの負担は、すでに相当に重く処罰されているといえよう。

三、本件と類似の事例と思われる他事件についての最近の大阪地裁の判例と対比しても本件は重きに失する。

すなわち、本年三月一九日大阪地裁は関西の“市場王”といわれる脱税事件(昭和三九年から四一年の三年間で公訴事実一億三千万円-認定額九、九〇〇万円)並びに小売商業調整特別措置法違反罪の併合事件で求刑「一年、罰金四、〇〇〇万円」に対し、「懲役八月、執行猶予二年、罰金二、五〇〇万円」の判決をなしている。(当日の読売新聞夕刊参照)(編者注、登載省略)

一〇年裁判ということでは本件の方がより長期であり、その原因についても、検察官側の事情が大きく加わっている本件で、「ほ脱額」も原審認定で七、〇五四万円余という本件で同じ罰金二、五〇〇万円というのは、うなづかれない。

四、以上各事情を綜合すれば本件罰金は相当額減額されてしかるべきである。

別紙(一) 貸金利息に関する争点と原判決の認定(争いある部分のみ)

<省略>

(注) 本件控訴の対象は上記の1、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、15、16(40年分のみ)17、18、19(38年分のみ)20、(38、39年分)24(39年分)25(40年分)である。

別紙(二)

不動産関係に関する争点(原審認定はすべて検察官主張のとおり)

<省略>

別紙(三)

控訴審で事実誤認を主張する所得額

<省略>

別紙(二)の分

合計

<省略>

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