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大阪高等裁判所 昭和54年(ネ)187号 判決 1980年3月14日

控訴人、附帯被控訴人(以下控訴人という。)

大阪府

右代表者知事

岸昌

右代理人

道工隆三

以下三名

被控訴人、附帯控訴人(以下被控訴人という。)

杉山彬

右代理人

阿部甚吉

以下一〇名

主文

本件控訴及び附帯控訴をいずれも棄却する。

差戻前の第二審、第三審及び差戻後の第二審における訴訟費用はこれを二分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一大阪府警察本部警備部警備課(以下「警備課」という。)及び枚岡署は、昭和四〇年四月二五日枚岡市し尿処理場設置反対運動にともなう威力業務妨害、水利妨害、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反事件の被疑者として、地元住民である訴外浜口嘉男、同竹中愛和、同山口重太郎、同山本磯次の四名を逮捕し、それぞれ布施警察署、寝屋川警察署、河内警察署、枚岡警察署に分散留置したこと、大阪弁護士会に所属する弁護士である被控訴人は、遅くとも同日午後四時三〇分頃に布施署を訪れ、同署に留置されている浜口嘉男の弁護人として同人との接見を申し入れたところ、浜口の取調べを担当していた警備課に所属する警察官である友田但馬は直ちに接見することを許さず、結局被控訴人が浜口と接見することができたのは約四時間後の同日午後八時二五分から三五分までの一〇分間であつたことは当事者間に争いがない。

二被控訴人は、友田及び同人の上司で警備課に所属する警察官宮里長喜が被控訴人の接見申入れに対してとつた措置は、弁護人の接見交通権を違法に侵害するものである旨主張するので、以下検討する。

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  前記被疑事実の内容は次のとおりである。旧枚岡市(現在東大阪市に統合)では、昭和三八年、三九年度を継続事業年度とするし尿処理場建設計画の実施がすすめられ、昭和三八年頃から市内各地に建設予定地を物色していたが、その都度地元住民の反対にあい候補予定地の変更を余儀なくされ、最後に昭和三九年夏頃市内布市町味岡地区が建設地として選ばれた。地元の布市町、元町の住民の中には右建設に反対する者が多く、これら地元住民によつて昭和三九年秋頃「し尿処理場建設反対期成同盟」が結成され、市当局との折衝が続けられたが、年度内着工の必要に迫られた市は、昭和四〇年三月一五日地元住民の反対を押し切つて建設工事に着手した、ところが、翌一六日この地方が季節外れの大雪に見舞われ、その翌一七日、この雪どけ水が本来ならば味岡地区の唯一の排水路である通称「橋本の樋」を通つて他へ流れ出るべきところ、何者かによつてその橋本の樋の堰板が田植等の時期でもないのに閉じられたため、味岡地区一帯に溢れ出し、浸水状態となつた。これを見た反対同盟の地元住民は、この状態を利用して工事の進行を妨害しようと企て、橋本の樋から水が流出しないように古畳、土などを用いて水をせき止めるための補強工事をし、よつてこの地区一帯を舟が浮ぶ程の浸水状態としたが、これが水利妨害行為であり、市から工事を請負つていた株式会社音川組の業務を威力をもつて妨害したことになるというのである。さらに三月一九日枚岡市が味岡地区に浸水した水をポンプを用いて同地区西側に沿つて流れる鯰尾川に排水しようとしたところ、反対同盟の地元住民は、市側の排出する水を逆に再び味岡地区内にポンプを用いて汲み入れようと企て、そのため鯰尾川の右岸堤防の上部をスコツプ等で削つたが、これが数人共同して器物を損壊したことになるというのである。

2  大阪府警察本部ではこの事件を本部指揮事件として捜査を開始し、三月一九日地元の枚岡署に捜査本部を設置し、捜査本部には枚岡署の次長高井岩太郎警部が就任し、枚岡署から高井警部を含む九名、府警本部から警備課の宮里長喜警部補を班長とする宮里班五名をもつて捜査本部を構成した。犯罪捜査規範(昭和三二年国家公安委員会規則第二号)によれば、このような場合、犯罪捜査を統一的、組織的にすすめるため捜査を主宰する捜査主任官を定めることになつており、本件では高井警部が捜査主任官に任命され、宮里はその補佐官という立場であつた。しかし、高井は枚岡署次長としての職務もあり、常時本件し尿処理場建設反対にともなう事件の捜査に専念するわけではなく、他方宮里は公安労働事件を含むこの種事件の捜査を専門とする警備課に所属し、同課から派遣されて枚岡市に泊り込みで本件捜査に専念していたので、実質的には捜査主任官の補佐官である宮里が、府警本部の指示等を受けながら本件犯罪捜査の指揮をとつていた。

捜査当局は、本件事件の性質に鑑み任意捜査を原則とし、不拘束被疑者三二名、参考人七〇名程を取調べたが、前記四名を含む六名の被疑者は捜査当局の度々の任意出頭要請にも応じなかつたため、捜査本部は、事件発生後一か月以上を過ぎた四月二四日の夕刻右六名の者に対する通常逮捕状を取得し、翌二五日これを執行することとした。四月二四日夜捜査本部のある枚岡署において捜査会議が開かれ、その席上捜査主任官から各捜査員に対し、翌日四名の者を逮捕して分散留置する旨、その割当、取調の要点等についての説明がされた中で、各被疑者に対し弁護人又は弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者(以下単に弁護人という。)から接見の申出があつた場合、捜査主任官が刑事訴訟法三九条三項に基づく具体的な接見の指定をするので、担当捜査員は必ず捜査本部に連絡しその指示を受けることが指示された。そして、被疑者を逮捕し取調べる各捜査員に対し、通常逮捕手続書、弁解録取書等の各用紙とともに、接見指定に関する書面として「司法警察職員捜査書類基本書式例の制定について」と題する警察庁次長及び刑事局長通達(昭和三六年七月一五日警察庁乙刑発第四号)に定める書式第二〇号(以下二〇号様式という。)、同第二一号(以下二一号様式という。)の各用紙に捜査主任官高井岩太郎押印の署名押印のある原本及びその謄本を含めて各三通ずつが交付された。

3  被疑者留置規則(昭和三二年国家公安委員会規則第四号)には、刑事訴訟法三九条三項の接見指定は捜査主任官がなし得るものと規定され、本件においては右規則に基づき捜査全般の指揮をとる捜査主任官において同条項の接見指定についての判断をすることとし、各担当捜査員が独自の判断でこれをすることを禁じたものである。そして、従前接見指定に用いられていた文書が前記二〇号、二一号様式の書面であるが、二〇号様式は、「接見又は授受に関する指定」と題する書面で、弁護人との接見については別に発する指定書のとおり指定する旨記載され、二一号様式は「指定書」と題する書面で、右半分が具体的な接見の日時、場所を指定するようになつており、左半分が接見の結果を記載するようになつていた。この書式例に関する通達は、もともと検事総長の刑事訴訟法一九三条に基づく一般的指示に基づいて発せられたものであり、当時検察官が身柄の送致を受けた被疑者につき刑事訴訟法三九条三項の接見指定をする場合、二〇号様式を被疑者、弁護人、監獄の主務者に各一通ずつ交付して同条項に基づく接見指定のあることを予告し、二一号様式をもつて具体的な接見の日時、場所等を指定していた。この二〇号、二一号様式による接見指定は、接見を指定する検察官と現実に被疑者の身柄を拘束している監獄あるいは代用監獄とが他官庁に属し連絡が不十分であるため、相互の意思連絡を明確にするための手段としては便宜であつたが、他方その現実の運用において、二〇号様式でもつて弁護人の接見交通を事実上一般的に禁止し、二一号様式によつて個別的に接見を許可するという結果になることもあり、弁護人の接見交通権を不当に侵害するという理由で、検察官の指定書による接見指定については各地弁護人との間で紛争が発生する状況にあつた。しかし、この書式例に関する通達は、共通の書式を使用することが互に協力して捜査を担当する者の間では便宜であるという趣旨で発せられたのであり、その取扱要領第一には、この二〇、二一号様式は必ずしもこれによることを要しないと定められていて、大阪府警において捜査主任官が接見指定をする場合に二一号様式を用いることは殆んどがなかつた。すなわち、捜査主任官が接見指定をする場合、担当捜査員に二〇号、二一号様式を各三通ずつ持参させ、被疑者を逮捕、引致した段階で二〇号様式が被疑者、留置責任者及び弁護人に各一通ずつが交付されるが、具体的な接見の日時の指定については、捜査主任官が弁護人と直接会い、あるいは電話連絡等によつて協議したうえ口頭で指定し、その旨を留置先の担当捜査員に電話等で連絡するだけで足りるものとされ、捜査主任官が接見指定をする場合には弁護人が二一号様式の指定書を持参しなければ接見できないという取扱いではなかつた。捜査主任官と被疑者の留置先(殆んどが警察署内の代用監獄であつた。)とは同一の官庁内であるので、その意思連絡は文書によらなくとも十分確実であり、二一号様式は一応捜査主任官が作成するものの、せいぜい担当捜査員がこれを所持し、捜査主任官から右のとおり接見指定の連絡があつた場合、その接見時間(何時から何時までの間に何分間というように指定される。)を記載し、接見後現実に接見した時間等を記入し、これを捜査記録の中に編てつする取扱いであつた。したがつて、被疑者の身柄が検察官に送致された場合は別として、検察官送致までの段階において、弁護人が二一号様式のような指定書を持参しなければ接見を拒否されたという事例は大阪府警管轄下においてはなく、昭和三五年から昭和四五年までの間、大阪府警において被疑者を逮捕して検察官送致をするまでの間刑事訴訟法三九条三項による接見指定をした事件は一〇三件あるが、二一号様式が弁護人に交付されたのはそのうち四件に過ぎず、しかもこれらは、いずれも弁護人が直接捜査本部を訪れ、捜査主任官が具体的接見指定をした際、弁護人が被疑者の留置先で円滑に接見できるように予め捜査主任官の発する指定書の交付を弁護人の方から求めた場合であつた。

4  友田但馬は、府警本部警備課宮里班の一員として本件捜査に従事し、四月二五日午前一〇時四〇分浜口嘉男を同人の自宅で逮捕し、午前一一時五分布施警察署に引致し、被疑者に弁解の機会を与えて弁解録取者を作成し、留置手続をとつたうえ留置し、捜査本部に報告したが、その際浜口は弁護人選任については弁護人はいらないということであつたのでその旨をも報告した。そして、友田は午後一時頃昼食を終えた後、同じ警備課所属の宮谷養人巡査を補助者として取調べを開始し、まず一時間程で浜口の身上関係に関する供述録取書を作成し、続いて三月一七日、三月一九日の事件と順を追つて取調べを進めていつた。右取調べ当日は日曜日であつたので布施署二階の警備係の部屋を取調室に使用し、友田が尋問、口授し、宮谷が録取するという方法で取調べが行われた。宮里は、四月二五日は朝から枚岡署の捜査本部につめ、昼頃までには浜口が布施署に、竹中愛和が寝屋川署に、山口重太郎が河内署にそれぞれ逮捕され引致されたとの報告を受け(山本磯次が枚岡署に逮捕、引致されたのは同日午後五時頃である。)、そのうち竹中が被控訴人を弁護人に選任する旨意思表示をしていたとのことであつたので、その旨を伝えるべく、被控訴人が所属する加藤充法律事務所に電話した。しかし、同日は日曜日で同法律事務所は不在であり、被控訴人を弁護人に選任しようとする被疑者も連絡先を知らず、宮里は、やむなく加藤弁護士の自宅に電話を入れ、同弁護士の妻に対し、竹中が逮捕され寝屋川署に留置されているが、同人は被控訴人を弁護人に選任する意向なので連絡のとれ次第至急その旨伝えてもらうとともに、枚岡署にいる宮里に連絡してほしい旨伝え、同時にそれまでの捜査でし尿処理場建設反対運動に加藤法律事務所が深くかかわつていることは明らかであつたので、他に浜口、山口の二名が逮捕留置されていることも伝えた。

5  被控訴人は、同日午後二時頃自宅へ帰り、電報で急用のあることを知り、一旦加藤法律事務所へ行き、そこから同弁護士の自宅に電話し、前記三名が逮捕され各署に分散留置されていることを知らされた。

加藤法律事務所では、反対期成同盟が結成された昭和三九年秋頃からし尿処理場建設反対運動の相談に乗り、昭和四〇年三月一五日の強行着工以後は、被控訴人も地元住民の運動を支援し、三月二〇日には枚岡署の捜査本部に地元住民とともに赴いて本件捜査の不当を訴え、四月一二日には工事禁止の仮処分を申請するなどしていた関係から、被控訴人としては本件強制捜査を意外とするとともに極めて不満であるとの感情を抱いていた。そこで、当日(四月二五日)午後三時三〇分頃、被控訴人は捜査本部の宮里に電話をし、逮捕された三名の氏名、留置先、被疑事実を確認したうえ、捜査当局が日曜日に逮捕し、弁護人が被疑者と接見するには極めて不利な分散留置をしたことを非難するとともに、早期に三名全員と接見できるようにまず布施署から廻る旨宮里に伝えた。宮里は、被控訴人を弁護人に選任する意思を表明しているのは竹中だけであると告げるとともに、被疑者との接見については捜査本部が指定するので、捜査本部の接見指定を受けないかぎり直接留置先に行つても接見することはできない旨伝えた。このことから被控訴人と宮里との間で刑事訴訟法三九条の解釈をめぐつて論争が始まり、一連の捜査当局の措置に憤慨していた被控訴人は「ぼくはきみの許可を得て接見するんではないんですよ。」と語気荒く言うと、宮里も「きみとはなんだ」とやり返えし、収拾がつかなくなつたため、一刻も早く被疑者との接見を求める被控訴人は、とにかくこれから布施署へ行く旨告げて宮里との電話でのやりとりを中断し、布施署へ赴いた。一方宮里は、直ちに布施署の友田に電話し、被控訴人がそのうち布施署へ行くが、同署に留置されている浜口は弁護人選任の意思を表示していないので、再度その意思を確認すること、もし浜口が被控訴人を弁護人に選任する場合は、かねて指示のとおり捜査本部で接見指定をするので、被控訴人にはその旨説明し、捜査本部の接見指定を受けるように伝えること等を指示した。

6  被控訴人は、宮里との右電話でのやりとりから布施署において直ちに被疑者と接見することを妨げられるのではないかと予測し、このような場合、準抗告等の手段に訴えるより裁判官に事実上勧告してもらうのが最も効果的であるということを同僚から聞いたことがあり、大阪地方裁判所の令状部に裁判官の在庁時間を尋ねたところ、午後四時三〇分までということであつたので、時間が切迫し過ぎ、右勧告をしてもらう余裕もないまま接見をめぐる論争となることを予想し、これにそなえて六法全書を携帯し、午後四時過頃布施署に到達した。布施警察署には当日宿日直勤務の警察官一〇名足らずが出勤しているだけで、玄関を入つた公廨には二名の公廨勤務の警察官がいたほか、友田の依頼で成沢巡査が被控訴人の来署を待ち受けていた。被控訴人は、成沢に来署の趣旨を告げ、担当捜査官への取次を頼み、成沢は二階警備係の部屋で取調べをしていた友田に被控訴人が来署していることを取次いだ。連絡を受けた友田は一階公廨に降りて行き被控訴人とは初対面であつたので相互に簡単な自己紹介をし、被控訴人は直ちに浜口との接見を申入れた。友田は浜口は弁護人を選任しないとの意思である旨告げると、被控訴人は自己の名刺を渡して再度浜口の意思を確認するよう求め、被控訴人から名刺を受取つた友田は、これをもつて二階警備係の部屋で取調べを受けていた浜口に再度意思確認をしたところ、浜口は被控訴人を弁護人に選任する旨意思表示したので、隣の防犯係の部屋からその旨宮里に電話連絡し、公廨にいる被控訴人にも同趣旨を伝えた。そこで被控訴人は直ちに浜口との面会を申入れると、友田は、宮里の指示どおり、被疑者との接見は捜査本部が指定することになつているので、捜査本部の捜査主任官の指定を受けてほしい旨告げ、その場での接見を断つた。各被疑者との接見を急ぐ被控訴人は、これから他にも回る必要があるので枚岡署の捜査本部まで行つて接見指定を受ける時間的余裕はないこと、捜査主任官による接見指定の制度は警察内部の規定であつて弁護人を拘束するものではないこと、憲法及び刑事訴訟法の規定によれば弁護人は被疑者と直ちに会う権利があること等を六法全書を示すなどして訴え、直ちに浜口と接見することを申入れたが、友田は、前記趣旨をくり返えすだけで「捜査主任官の指定を受けるか、あるいは指定書を持つてこなければ会わせない。」とも言つた。そのことから、指定書の運用について日頃不満を抱いていた被控訴人は、指定書を持参しなければ接見できないというようなことが刑事訴訟法のどこに書いてあるなどと言つて友田に激しく迫り、友田が「指定書を持参しなければ絶対に会わせないとは言つていない。とにかく捜査本部の接見指定を受けてもらいたい。」と弁明したが、被控訴人は、これを耳をかさず指定書を要求した友田の態度を執拗に非難し、あくまでも接見を拒否する同人の態度に業をにやし、公廨北側(正面玄関から右側)の通路から西側(奥)の中庭へ通ずる扉に向つて歩き出し、同所を通つて二階警備係室にいる浜口に実力で面会しようと試みた。友田は、あわてて被控訴人を追いかけ、前記扉の前に両手を広げて立ち塞がり、大声で制止し、なおも前進してくる被控訴人の胸付近を両手で突くなどして押し返えし、「きみはぼくの接見交通権を妨害するのか。面会させろ。暴力を振うのか。」などといいながら前進しようと被控訴人ともみ合つた。署内に待機していた布施署員らも騒ぎを聞きつけて公廨付近に出てきたが、同署員らは、本件捜査には全く関係なく、紛争の内容も十分知らなかつたため友田に応援するというわけではなく、二人を傍観する態度であつた。友田は、前記扉を外側(中庭の側)から閉めたうえ付近にいた布施署員に被控訴人が同所を通つて二階に上らないように監視を頼み、二階防犯係の部屋から電話で宮里に、右被控訴人とのやりとりの状況及び被疑者浜口の取調べ状況(三月一七日の事件について共謀関係を除き犯行を認めていた。)を報告し、再び浜口の取調べを続けた。被控訴人は、公廨で布施署員らに友田の措置が不当であることを声高に訴えたので、公廨勤務の布施署員から静かにするように注意を受けるとともに「枚岡署に電話をするから捜査本部と打ち合せしたらどうか。」との申し出も受けたが、これを断つた。そのうち被控訴人が布施署玄関付近に出て行つたので、監視を頼れていた布施署員は被控訴人は帰宅したものと思つて立去つた。なお、友田とのもみ合いで被控訴人は治療四日を要する左手背挫創の傷害を負つた。

7  騒ぎが一段落し、監視の布施署員が立去ると、被控訴人は、逮捕されている被疑者はこのような事態に不慣れな農民であり一刻も早く面会の必要があること、友田は捜査本部の指示どおりにしか接見に応じない態度であるし、捜査本部の接見指定をうかつに受けると遅い時刻を指定され、準抗告による取消を求めても事実上早期の面会は不可能になること等を考え、実力をもつて浜口に面会しようと企て、公廨横の通路を布施署員の隙をついて通り抜け、二階に上り浜口が取調べを受けている警備係室の前の廊下まで行き、引き戸越しに大声で「弁護士の杉山だ。浜口さんいるか。」と呼んだ。友田は、廊下に出るなり取調中であるので来てもらつては困る旨告げて退去を求めると、被控訴人は面会する権利があるといつてこれに応じようとしないので、大柄な友田(身長一七七センチメートル)は、小柄な被控訴人(身長一五九センチメートル)を左側から抱きかかえ、階段降り口から中間の踊り場まで運び、さらにそこから下に降そうとすると、被控訴人は、踊り場にある階段の手すりを支える支柱にしがみつき、降りまいと抵抗したためもみ合いとなり、被控訴人が右手にしていた腕時計が外れて落ちた。友田は、騒ぎを聞いてかけつけた布施署の成沢巡査に落ちた腕時計の修理を頼み、さらに被控訴人の手を掴むなどして公廨まで連れ戻し、再び二階に戻つて防犯係の部屋から捜査本部に電話をかけ、宮里に右状況を報告した後、浜口の取調べを続けたが、布施署の当直主任から被控訴人との応接を求められたので、再び公廨に降り、被控訴人と接見指定について話し合つた。その頃になると双方とも冷静さを取り戻し、公廨長椅子に座つて話を続けたが、被控訴人が「友田さん妥協しよう。五分でもいい、選任書をとるだけだから会せてくれ。」と頼むと、友田は、「とにかく会うことについては私一存ではいかないから、捜査本部に接見の指定を受けてくれ。」と答え、「捜査本部の方に電話をするから納得のいくように指定を受けてもらいたい。」といつて自ら公廨にある警察電話で枚岡署の捜査本部に電話し、宮里を呼び出して受話器を被控訴人に渡した。被控訴人は宮里に対し「指定書がなければ面会させないのか、これから枚岡署まで指定書を取りに来いというつもりか。君は接見を禁止する気か。」等といつて指定書に拘泥して非難すると、宮里は「接見を禁止するとは一言も言つていない。指定書がなくても接見はできる。先程私が接見時間を指定しようとしたときどうして一方的に電話を切つたんだ。」ともつぱら最初の電話における被控訴人の態度を非難することに終始し、結局双方の間で接見指定についての具体的協議はされず、議論がかみ合わないまま、被控訴人の方から電話を切つた。被控訴人は、浜口との接見ができるように事態が進展しないので、他に応援を求めるため午後五時三〇分頃一旦布施署を出た。

8  被控訴人は、布施署に近い近畿日本鉄道小坂駅付近の公衆電話から、東中法律事務所の仲重弁護士及び日本共産党東部地区委員会の事務所にいた萩原正幸に布施署での出来事を概略説明し、応援に来ることを求めるとともに、毎日新聞社にも事情を訴え、さらには裁判官の勧告を求めるため大阪地方裁判所令状部の総括裁判官の自宅の電話番号を確認しておいた。仲重弁護士は来客のため直ちに手が離せず、枚岡署の宮里に事実の確認と抗議の電話をしたが、萩原は、直ちに小坂駅前で被控訴人と落ち合い、そこえ偶々通りかかつた反対期成同盟の地元住民である川西、大西の両名が合流し、午後六時過頃被控訴人らは再び布施警察署を訪れた。被控訴人は、公廨受付の警察官に友田巡査部長への取次を頼んだが、捜査本部の接見指定がない限り会つても無駄であるとの友田の返答であつたので、直接二階取調室の方へ向つた。布施署員隅元巡査はこれを制止し、被控訴人以外の三名は二階へ通ずる階段付近でとり押えられたが、被控訴人は、布施署員の制止を振り切つて二階へ駆け上り、再び警備係室の前の廊下で「浜口さんいるか、がんばれよ。」と大声をあげた。友田は、廊下へ出るなり「接見させないとは言っていないんだからそんな強引に入つてきてもらつたら困ります。」などといつてその場からの退去を求め、これに対し被控訴人は、「すぐ会う権利がある。とにかく会せろ。」と言つて接見を求めた。その場に駆けつけた布施署員も「ここんところはいつたんお帰りになつたらどうですか。」と勧告したが、被控訴人は同署員の方に向きをかえ、「この問題は弁護人の重要な接見交通の問題であるから、あなたがたはしばらく見ておつてほしい。」と答えていると、友田は、矢庭に被控訴人を背後から両脇に両腕を差し込んで抱え上げ、階段の踊り場まで運び、側にいた布施署員に被控訴人が再び二階へ上らないように監視を頼んで二階へ引きあげた。そして、友田は防犯係の部屋から枚岡署に電話し、宮里に対し、右のような事情を報告するとともに、浜口の取調べは度々中断して進まず、このような事態は自分の手に負えないこと、宮里が早急に布施署へ来て事態を解決してもらいたい旨要請した。宮里は友田に浜口の取調べ状況を尋ね、その頃浜口の取調べは三月一七日の水利妨害、威力業務妨害の被疑事実については自白調書が作成され、三月一九日の暴力行為等処罰ニ関スル法律違反事件については自白調書が作成されつつある段階であつたので、友田はその旨宮里に報告した。

9  友田からの報告を受けた宮里は、直ちに布施署にいる被控訴人を電話で呼び出し、捜査を妨害するのかと難詰し、どうして接見させないのかと反論する被控訴人に対し、「接見の指定をしようとするのにさつきどうして電話を切つた。」とくり返えし、接見についての具体的な協議に入らないまま被控訴人から電話を切つた。友田は、午後七時頃布施署の成沢巡査を通じて枚岡署の宮里に再度布施署に早急に来るように依頼したところ、宮里は既に枚岡署を出ているということであつた。被控訴人は、いつまでも浜口との接見が実現しないので、午後七時過頃かねて確かめていた大阪地方裁判所令状部総括裁判官の自宅に電話して実情を訴え、同裁判官は電話口に友田を呼び出し、事実を確認するとともに、なるべく早く弁護人に接見させるように勧告し、友田も、既に宮里が布施署に向つていることなどから、早急に接見させることができる旨答えておいた。

10  午後七時三〇分頃宮里は、布施署に到着し、同署玄関付近で支持者らとともに待ち受けていた被控訴人からの話しかけを一旦断り、署内で友田ら関係者から事情を聴取し、友田には浜口の取調べ状況を聞いたうえ、弁護人と接見させるので取調べはなるべく早く切りあげるように指示し、署長室で接見について話し合うため被控訴人を招いた。被控訴人は、宮里と電話におけると同様の無意味な論争を続けては接見時間が遅れることを恐れて単身で署長室へ入ることを躊躇していたが、そこへ仲重弁護士も到着したので、同弁護士とともに署長室へ入つた。被控訴人の仲重弁護士に対する説明によると捜査当局は二一号様式の指定書を持参しないと被疑者と接見させないということであつたので、仲重弁護士は、被控訴人とともにそのような捜査当局の措置を非難したところ、宮里は、前記3のような指定書の取扱いを説明し、「指定書がなければ面会できないということはなく、枚岡署まで指定書を取りに来いと言つたことは一度もない。普通の場合は弁護人と電話で連絡して指定し、別に指定書を持参しなくてもさしつかえない。ただ弁護人がたまたま捜査本部に来たときに指定書を渡すこともある。」旨応答し、それまでの電話でのやりとりと同様議論が全くかみ合わなかつた。そのうち、浜口の取調べを終えた友田から接見の準備ができたとの報告があつたので、被控訴人及びその場で選任手続を終えた仲重弁護士は、午後八時二五分から三五分までの一〇分間という宮里の接見時間の指定に基づき、浜口と右時間接見した。

11  被控訴人は、その後寝屋川署の竹中愛和、河内署の山口重太郎と接見し、接見を終えたのは午後一〇時五〇分であつたが、これらの接見について宮里からの連絡で各留置先で問題なく行われた(被控訴人は山本磯次の逮捕の事実を知らなかつた。)。右四名の逮捕者はいずれも勾留請求されず、また公判請求された者はそのうち浜口、竹中の両名だけであつた。浜口の取調べは当日午後一時頃から午後七時三〇分分頃までの間用便、喫煙の時間を除いて特別に休けい時間をもうけずに行なわれたが(夕食は接見後であつた。)、その日に作成された供述録取書三通はいずれも公判において証拠調請求されず、他方捜査当局は、既に右逮捕までに犯行当日犯行の現場を撮影した多数の写真を取得していた。

以上の事実が認められ、前掲証人宮里長喜、同友田但馬の各証言及び被控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。特に、被控訴人は、友田及び宮里らが被控訴人に対し指定書の持参を要求し、これをたてに一貫して浜口との接見を拒否した旨主張するが、前記3認定のとおり、大阪府警においても検察庁で使用されている共通の様式の指定書が存していたが、警察における身柄拘束の段階では極く一部の例外を除いて指定書を使用した接見指定はされていなかつたのであるから、宮里及び友田があくまで指定書の持参を要求したなどとは特段の事情のない限り考えられないことであり、前記認定の経緯に照してもそのような首肯するに足る特段の事情は認められない。現に前記10のとおり、被控訴人を応援するため布施署を訪れた仲重弁護士も、「宮里は布施署において指定書を要求したことはないと主張し、被控訴人との間の議論は全くかみ合つていなかつた。」旨証言しているのである。そうすると、前記のとおり友田と被控訴人との間のやりとりで、指定権限を有しない友田が「捜査本部の接見指定を受けるか、指定書を持参してほしい。」旨告げたことに対し、かねがね捜査機関(現実には検察官への身柄送致後に限られる。)の指定書をめぐる取扱いに不満を抱いていた被訴控人が、その言葉じりをとらえて執拗に攻撃したものであつて、指定書を持参しないことを唯一の理由に友田が接見を拒否した事実は認められない。

三ところで、刑事訴訟法三九条一項は、身体の拘束を受けている被告人又は被疑者は弁護人(弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者を含む。)と立会人なくして接見し又は書類若しくは物の授受をすることができる旨規定している。この弁護人との接見交通権は、抑留、拘禁の要件を定めた憲法三四条前段に由来し、身体の拘束を受けた被告人又は被疑者が単に形式的に弁護人を依頼する権利を与えられるというだけではなく、実質的にもその弁護を受けることを保障したものであつて、この接見交通権は、身体の拘束を受けた被告人又は被疑者にとつて刑事手続上最も重要な基本的権利に属するとともに、弁護人にとつても与えられた数々の権限の中でも固有権に属しかつ最も重要なものの一つといえる。したがつて、刑事訴訟法三九条三項が、捜査機関は「捜査のため必要があるときは、」公訴の提起前に限り右接見又は授受に関しその日時、場所及び時間を指定することができると規定し、弁護人の接見交通権に制限を加えることのある場合を定めた規定の解釈は、接見交通権を保障した趣旨及びその保障が憲法に由来することに鑑み、厳格に解すべきである。そうすると、捜査機関のする接見等の日時等の指定はあくまで必要やむを得ない場合に限られる措置であつて、被疑者が防禦の準備をする権利を不当に制限することは許されず(同項但書)、捜査機関は、弁護人等から被疑者との接見の申出を受けたときは原則として何時でも接見の機会を与えなければならないのであり、現に被疑者を取調中であるとか、実況見分、検証等に立会わせる必要がある等捜査の中断による支障が顕著な場合のみ、接見等の日時の指定をすることができるのであつて、その場合でも弁護人等と協議してできる限り速やかな接見のための日時を指定し、被疑者が防禦のため弁護人等と打ち合せることのできるような措置をとるべきである(最高裁判所昭和四九年(オ)第一〇八八号同五三年七月一〇日第一小法延判決、民集三二巻五号八二〇頁参照。)。控訴人は、この「捜査の必要」とは、単に被疑者を現実に取調べている場合のみならず、接見等により被疑者の取調べが妨げられるとか、証拠隠滅等の虞がある等捜査全般の必要性等をも含むと解すべきである旨主張するが、叙上のところからして右主張を採用することはできない。

四ところで、本件捜査機関によつて弁護人の被疑者との接見交通について指定書の持参を要求され、これを所持しなかつたため接見を拒否された事案でないことは前記のとおりである。本件は、警察の内部規則である前記犯罪捜査規範に基づき、刑事訴訟法三九条三項による接見指定を現実に身柄を預る各留置先の担当捜査員でなく、捜査主任官が接見指定することとされていたところ、留置先の担当捜査員に直接被疑者との接見を申出た弁護人が、捜査主任官の接見指定がないという理由で約四時間にわたつて接見を拒否されたという事案である。捜査機関から内部規則で刑事訴訟法三九条三項の接見指定の権限を捜査全般の指揮をとる捜査主任官に集中させることは、その調方が同条項の適切な判断をなし得るという合理的理由もあり、その運用において弁護人の接見交通権を実質的に侵害するものでない限り直ちに違法、不当ということはできず、そのために必要となる捜査官側の意思連絡等の関係から弁護人が多少の不便を受けることがありうるのはやむをえないところと考えられる。しかし、権限のない担当捜査員に接見を申出た弁護人は、改めて権限を有する捜査主任官に接見を申出、直接協議して具体的接見の日時等についての指定を受ける必要はないのであつて、そのような手続は弁護人が自ら進んで行う場合は格別、そうでなければ申出を受けた担当捜査員が捜査主任官と連絡をとるなどして速かになすべきことである。前記6の事実によると、友田は、被控訴人から接見の申出を受けるや、当初はあたかも被控訴人にその義務があるかのように、捜査本部の捜査主任官の接見指定を受けるように告げるだけで、自ら速やかに捜査主任官に被控訴人の意思を伝えて接見指定がされるように配慮したとは言い難いところがあり、果して友田の行為が適切であつたといえるかについては疑問のあるところではある。しかし、友田は、その後度々捜査主任官の補佐官であり実質上の捜査主任官といえる宮里警部補に布施署での出来事を電話で報告するとともに、電話による宮里と被控訴人との協議の機会を作り(前記6、7参照)、最終的には宮里に布施署への来署を求めて被控訴人との紛争を解決するように求めているのであつて(前記8参照)、必ずしも担当捜査員としての義務を怠つていたものということはできない。それゆえ、捜査主任官の指定のないことを理由として接見を拒んだ友田の行為を違法とすることはできない。

なお、被控訴人は、前記6以下認定のとおり、友田が自力をもつて浜口に面会しようとした被控訴人を三回にわたり実力で阻止した行為は、暴力をもつて弁護人の接見交通権を侵害するものである旨主張する。しかし、弁護人の被疑者との接見交通権はこのように実力をもつて接見する権利を含むものではないことは明らかであり、前記認定の事実によれば、被控訴人のこのような行為は、被疑者と早期の接見交通の実現を願う余りとはいえ、穏当を欠き、本件事態を混乱させた一因ともいえ非難されるべきである。これに対し友田が現に取調べ中であることを理由に浜口と実力をもつて面会しようとする被控訴人を制止したことは、その態様に照らしやむをえない行為と認められるから、この点に関する被控訴人の主張は採用しない。

五右のとおり、刑事訴訟法三九条三項の接見指定の権限を捜査主任官に集中することは是認されるとしても、右接見指定のないかぎり担当捜査員をして弁護人と被疑者との接見を許させないものとすることは、事実上接見を一般的に禁止したうえで接見指定によりこれを解除することに等しく、このような場合捜査主任官としては接見を求める弁護人に速やかに接見指定をしないかぎり、右接見指定をしない捜査主任官の措置は違法というべきである。

本件についてこれをみるに、宮里は、午後三時三〇分頃電話で被控訴人が三名の拘束被疑者と接見する意思のあることを知り、午後四時過頃には友田からの報告で、浜口が被控訴人を弁護人に選任する意思を表示していて被控訴人が浜口との接見のため布施署に来ていることを知つており、さらには前記7、9のとおり二回にわたり布施署にいる被控訴人と直接電話で話す機会があつたのにいずれも接見指定についての具体的な協議をすることなく終始し、なんら接見指定をしていない。この点について控訴人は、接見指定は弁護人と事前に協議したうえでするのが大阪府警における従前からの慣行であつて、これを捜査機関が一方的にするのは弁護人との信頼関係を破壊することになるので、宮里はこれを避けたと主張し、前記証人宮里の証言中には同旨の供述がある。また、被控訴人が布施署からの二回にわたる宮里との電話連絡を自らが切つたのは、前記7のとおり、宮里との事前協議に応じて不利な時間を指定されると、準抗告の手続を踏んだとしても被疑者と早期に接見することができなくなるので、右の指定を受けることを避けようとの意図に出たものであることが認められる。捜査機関が右の指定をするに先立つて弁護人と協議をすることは至当なことであるといえ、また宮里に事前協議の意図があつたとしても、被控訴人の態度から推してその具体的協議に入れなかつたその間の事情は理解できないではなく、現に取調中の被疑者に捜査員の制止をふり切つて実力で接見しようとしたなどの被控訴人の行動が、いたずらに被控訴人と友田ないしは宮里との紛争を深刻にし、接見指定についての具体的協議ないしはその指定に入る以前の事柄について被控訴人と宮里との間で論争がくりかえされ、時間が空費されることになつたものと認められる。しかしながら、とにかく弁護人である被控訴人が被疑者の留置場所に出向いて接見を申出ているのであつて、そのことは宮里には明らかなことなのであり、被控訴人との協議を遂げることは事実上不可能と見込まれた本件においては、被疑者の身柄を拘束している捜査機関としては、ただちに弁護人に接見をさせない以上速やかに友田を通じるなどして被控訴人に具体的な接見指定をすべきであつたものというべきである。

前記事実によれば、結局被控訴人が浜口と接見したのは午後八時二五分であり、当初被控訴人が布施署に出向いたのは午後四時すぎであつたから、その間に約四時間が経過している。浜口が逮捕されて布施署に引致されたのは午後一一時五分であり、その後友田による取調べが行われ、かつその取調が被控訴人の前記行動によつて中断されるなどのため捜査に支障をきたしたと思われる点を考慮しても、捜査機関としては、いわれなく具体的な接見指定をしないで接見を右のとおり遅延させたものとの非難を避けることはできないというべきである。

なお、控訴人は、「宮里が一方的に接見の指定を行つたとしてもその時間は現実に接見可能となつた時間とそれ程変るものとは考えられず、その意味では本件において接見交通権の侵害はない。」とも主張する。しかし、前記事実関係に照らせばいかなる意味においても午後八時二五分より早い段階での接見が認められる余地がなかつたということはできないばかりでなく、とにかく、捜査機関は事実上一般的に禁止した接見を速やかに解除しないで被控訴人の接見が実現するまでの接見を遅延させたのであるから、右接見の遅延は正当の根拠を欠くものといわざるを得ず、捜査機関側はその責を免れることはできないというべきである。

以上によれば、被控訴人の接見要求に対し速やかに日時等の指定をしなかつた指定権限を有する捜査主任官、その補佐官であり実質上の捜査主任官である宮里あるいは捜査本部の措置は違法といわざるを得ない。よつて被控訴人は、宮里らの違法な権限行使によつて弁護人として重要な権利である被疑者との接見交通権を侵害されたのであるから、控訴人は被控訴人に対しこれによつて被つた精神的損害につき賠償の責任がある。

前記認定のような経緯で接見交通権を侵害された状況、接見交通権の重要性、接見を妨げられた時間その他の諸般の事情を斟酌すると、被控訴人が本件で接見交通権を侵害されたことに対する慰藉料は一〇万円を相当と認める。

六以上によれば、被控訴人の主位的請求は、控訴人に対し金一〇万円の支払を求める限度で理由があり、その余は失当として棄却すべきである。

そうすると、原判決中これと同旨の主位的請求に関する部分は相当であり、これを不当とする本件控訴及び附帯控訴はいずれも理由がない。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(朝田孝 川口冨男 大石一宣)

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