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大阪高等裁判所 昭和54年(行コ)54号 判決 1981年4月22日

大阪市住吉区上住吉町一八一番地

控訴人

住吉税務署長

岸田富治郎

右訴訟代理人弁護士

松田英雄

同復代理人弁護士

小藤登起夫

指定代理人 小林敬

本落孝志

堀尾三郎

工藤敦久

大阪市住之江区西加賀屋二丁目八番一六号

被控訴人

谷口和義

右訴訟代理人弁護士

鈴木康隆

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  控訴人が被控訴人に対し昭和四一年七月一九日付でした、被控訴人の昭和四〇年分所得税の総所得金額を五八万六四八〇円(控訴人の異議決定及び大阪国税局長の裁決により各一部取消された後の金額)とする更正処分のうち、三四万七三六五円を超える部分を取消す。

2  被控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

1  控訴人の主張

(一)  原判決は、理由中で、控訴人が主張したところの推計の基礎となった同業者岡山義子(以下「本件同業者」ともいう。)と被控訴人との類似性を否定し、本件同業者の差益率をそのまま採用して被控訴人の収入金額を推計することはできないとしたうえ、被控訴人に適用すべき差益率は、右本件同業者の差益率の約七割見当である旨説示している。しかしながら、被控訴人と本件同業者との類似性を否定したこと及び右本件同業者の差益率の約七割をもって被控訴人に適用すべき適正な差益率であるとしたことは、いずれも次のとおり相当でない。

(1) 原判決は、理由中で本件同業者と被控訴人との類似性を否定した根拠として、業種等一〇項目のうち、殊に店舗面積、値引き・特売、開業年次の三項目の差異を掲げているが、右店舗面積及び開業年次は経営分析的にみて差益率に大きな影響を与える要因とは考えられない。仮に右二項目が差益率に大きな影響を与えるとすれば、立地条件についてもそれらと同程度に差益率に影響を与えるものと考えられるが、立地条件については被控訴人の店舗が公設市場に近接している等のことから本件同業者に比較して有利であるとみられるが、原判決はそのことを無視している。

(2) また、本件同業者の差益率(二一・九五パーセント)の約七割(一五パーセント)をもって被控訴人に適用すべき適正な差益率であるとすることについて、原判決はそれを首肯し得るような具体的な根拠を示していない。

(二)  原判決の差益率認定の合理性について

(1) 原審は、差益率に影響を与える項目(要因)として、業種等一〇項目について対比検討のうえ、殊に店舗面積等三項目の類似性の有無を重視して判決されたことがうかがえる。

(2) そこで、右各項目の差益率に与える影響について、次に検討する。

(ア) 原審で前記重視したとうかがわれる三項目のうち、店舗面積及び開業年次については、差益率に対し、いずれもそれほど大きな影響を与えるものではない。そればかりか、右店舗面積等は、売上金額に対して与える影響は大きいものの、それらが差益率に与える影響は直接的には何もなく、間接的に販売価格ないし仕入価格を介してあるにすぎないものである。

(イ) 差益率に対して影響を与える前記三項目(要因)について、その影響過程を考察すると、店舗面積及び開業年次は、一次的に値引き・特売に対して影響を与え、値引き・特売が右影響を受けた程度に従って、二次的に差益率に影響を与えるものである。

したがって、店舗面積及び開業年次と値引き・特売とは、右一次的な過程において原因と結果の関係にあり、両者の差益率に対する影響を検討するとき、それぞれ併列的な要因として比較することなく、前者又は後者のいずれかの項目又は項目群ごとに比較すべきである。

(ウ) 原判決の理由中で、被控訴人と本件同業者の類似性に関連して比較検討されている一〇項目の差益率に対して与える影響過程を図示すると、別図のとおりになるものと考えられる。

そうすると、右各項目の類似性を併列的に比較したのでは、右両者の差益率の高低を正確に判断できないといえる。そして、前記一〇項目のうち、差益率に直接大きな影響を与える項目は、販売方法・店頭表示価格と値引き・特売の二項目に限定される。また、これら二項目に影響を与える項目に、取扱商品や立地条件等の項目があり、仮に、店舗面積及び開業年次が差益率に多大の影響を与えるとしても、この次元である。

したがって、差益率の高低ないし同一性を検討する場合は、まず、それに直接影響を与える販売方法・店頭表示価格及び値引き・特売の二項目について検討し、これが不可能なとき又はその結果が不明確なとき若しくは補完的に、右二項目に影響を与える他の項目について各次元ごとにその影響を検討していくのが、正しい検討方法(順序)であると考えられる。

(三)  被控訴人と本件同業者との類似性

右類似性について、立地条件、店舗面積等、開業年次、値引き・特売に関し、原審の主張を次のとおり補足する。

(1) 立地条件

被控訴人の出店する加賀屋商店街は、本件同業者の出店する粉浜商店街に比べ、その商店街自体は新しくできたものの、その他の事情を考慮すると、むしろ被控訴人の店舗の方が、右本件同業者の店舗よりも立地条件は優位にある。

(ア) 両者加盟の各商店会地区の商店街形成についてみると、原判決は、理由中で加賀屋商店街は昭和三三年ころに、粉浜商店街は大正末期にそれぞれ形成されたと認定しているところ、両商店街とも、右各時期において昭和四〇年当時の店舗数等で商店街が形成されていたものではなく、両商店街とも右形成後、更に発展して昭和四〇年には、当初形成された商店街よりも広範囲の地域、より多い店舗数、整備された設備等を擁するに至ったものである。

ちなみに、被控訴人は昭和四〇年当時加賀屋商店街にある加賀屋本通共栄会(以下「共栄会」という。)に加入していたところ、同会は昭和二七年に組織されている。なお、共栄会の商店街に隣接し、かつ、共栄会と同じ加賀屋市場商店街連合会(昭和四〇年当時、商和会)の構成員である加賀屋公設市場は、昭和一六年に開設されている。一方、本件同業者は、前記四〇年当時粉浜商店街にある粉浜本通会に加入していたところ、同会は昭和二五年ごろ以前から組織されていたものの、商業振興活動を始めたのは同四七年以降のことで、右四〇年当時同会は共同売出し、共同宣伝等の活動は、まだしていなかった。また、右両商店街における各商店会等の連合体は、共栄会が加盟する加賀屋市場商店街連合会(商和会)が昭和三九年ごろに、そして粉浜本通会が加盟する粉浜地区商業協同組合が同四五年ごろにそれぞれ結成されている。以上のとおり、粉浜商店街のうちで歴史が古いのは、粉浜商店街振興組合(通称、商栄会)地区だけであって、その他のところは、粉浜本通会地区も含めて、昭和三〇年ごろまでは店舗が揃っておらず、商店街としては新興である。

(イ) 商店街の環境整備等についてみると、

(あ) 前記両商店会地区の道路は、被控訴人の加入する共栄会の方は直線形態で、幅八メートルであるが、本件同業者の加入する粉浜本通会の方は同人の店舗(昭和四六年ころ以前の屋号ミキヤ)の前あたりで曲っているうえ、幅は四メートル(一部三・八メートルの箇所もある。)で共栄会の半分以下である。

(い) アーケードの設置について、一時期、各商店街はその設置時期の早さ、規模等を競い、右アーケードの設置は、買物を快適にする等顧客を当該商店街へ吸引することに大いに役立つところ、共栄会は昭和三三年にアーケードを設置しているが、粉浜本通会は昭和四〇年当時、まだそれを設置しておらず、それを設置したのは共栄会より一八年後の昭和五一年三月であり、被控訴人の言葉を借りると、粉浜本通会の商店街は、共栄会の商店街に比べ「新興商店街」である。

(う) 店頭小売りによる売上高は、顧客数に比例するが、その基になるものは、店舗前を通行する人の数である。ところで、被控訴人の店舗の位置は加賀屋商店街の中心部にあり、その通行人の数は同商店街中で最も多い。他方、本件同業者の店舗の位置は商店街の北寄りのかかりにあり、その通行人の数は同商店街の中で一番多い粉浜市場付近の一〇分の一程度である。

(え) 客層について、被控訴人は「粉浜商店街は、高級住宅地帝塚山を控え、比較的高級品が売れる名門商店街であり、南海難波駅にある高島屋デパートとその商品販売を競っているが、加賀屋商店街の方は、九州などからの炭坑離職者などの労働者が中心の住宅地を控え、あまり高級品は売れず、比較的安いものがよく売れるところである。」旨主張している。

ところで、粉浜商店街と加賀屋商店街とは、距離的にあまり離れていないところから互いに競合関係にあり、両商店街付近の東加賀屋、中加賀屋、粉浜各町が商圏としても重なっているし、被控訴人が高級住宅地と指摘する帝塚山地区には南海電鉄上町線帝塚山四丁目駅付近に帝塚山商店街があり、そして同地区の位置は住吉区だけにとどまらず、阿倍野区にも及んでおり、そこの住人は、帝塚山、粉浜両商店街のほかにも阿倍野区等の各商店街へも買物に出かけるところから、同地区から粉浜商店街へ買物にくる顧客は、同地区住人の一部であり、その顧客の同商店街顧客中に占める割合は低く、帝塚山地区からの顧客が粉浜商店街の性格を大きく変えるものではない。そのことは、昭和四〇年当時、被控訴人と本件同業者と共に取引していた訴外株式会社バウの細見総務部長の「両商店街はよく似たものである。」旨の証言にも表われている。外観的にみると粉浜商店街は食料品店と市場とが一緒になったような商店街であり、むしろ加賀屋商店街の方がきれい(立派)である。また、粉浜商店街が高島屋デパートと商品販売を競っているとしても、粉浜地区の住人が南海電鉄を利用して高島屋デパートへ買物に出かけることがあっても、同電鉄の普通電車だけしか停車しない粉浜、住吉公園(現住吉大社)の各駅を利用して、難波駅周辺の南区、浪速区等の住人が粉浜商店街へ買物にくることは一般的になく、仮に堺、泉南地区から買物にくる顧客があっても、それは右住吉公園駅で下車して粉浜商店街振興組合(通称商栄会)地区の南端入口からやってくるので、その顧客らは連続する商店街で最も北端に位置する粉浜本通会地区まで来るわけではない。一般的に消費者は、高級品や専門品はデパートや品揃えの十分な都心の商店街で、その他の品物は地元の商店街で購入する傾向にあるが、昭和四〇年当時、加賀屋地区は、一番近い電車の駅である地下鉄玉出駅まで女の足で二五分くらいかかるなど、デパート等への行き帰りが不便な場所であったところから、加賀屋商店街付近の住人は、デパート等で購入したいと思う商品でも、ときによっては地元の加賀屋商店街で購入することが考えられ、商圏内の顧客が他地域の商店街等まで行って、比較的高い商品を購入することが粉浜商店街付近の住人に比べて少なく、その分、加賀屋商店街各店の売上に幾分なりとも好影響があったと推認されることもあり、総体的にみて右両商店街の取扱い商品が高級かどうかに大差がないといえる。

(ウ) 所属商店街

被控訴人及び本件同業者の各店舗が所属する商店街とその周辺の商店街並びにそれらの連合体の概要をまとめると別表7のとおりである。

次に、右両店舗の立地条件の比較に関して述べる。

(あ) 被控訴人は、同人と本件同業者の立地条件について、加賀屋、粉浜両地区全体の商店街群同士を比較して前者は後者に劣る旨主張しているが、本件の場合には、右方法によって両店舗の立地条件を判断することは正しくなく、かえって、次の理由により、前者は後者に優っている。

(A) 被控訴人が所属する加賀屋本通共栄会(昭和四〇年当時)の商店街は、その連合体である加賀屋市場商店街連合会の地区(以下「加賀屋地区)という。)で、その商店街群の発祥の母体となった加賀屋公設市場に隣接し、右商店街群の中心になっている。

一方、本件同業者が所属する粉浜本通会(前記当時)の商店街は、その連合体である粉浜地区商業協同組合の地区(以下「粉浜地区」という。)の中にあっても、同地区商店街群の発祥の地で同地区の中でも通行人数の最も多い粉浜市場付近から離れ、その付近に比べ通行人の数が極端に少なく、そして同商店街に隣接し本件同業者の店舗前の道路向いにある南海センターではかなりの空店舗が生じている状況にある。

(B) ちなみに、加賀屋本通(正式には、加賀屋本通商店街振興組合)の商店街と粉浜本通会の商店街について、各連合体下の格付等をみると、加賀屋本通の商店街は、住之江の加賀屋地区を代表する商店街であり、一方、粉浜地区では、粉浜商店街(正式には、粉浜商店街振興組合、通称、粉浜商栄会の商店街)が同地区の商店の大半を擁し、同地区を代表する商店街であって本件同業者の店舗の位置している粉浜本通会の商店街は粉浜地区を代表する商店街でない。そればかりか、その立地条件は、同地区内にあるが、粉浜商店街(狭義)に比べて相当劣悪である。

(C) 右のとおり、粉浜本通会の商店街は、粉浜地区商店街群の中にあっても、同じ連合体下の粉浜商店街(狭義)と立地条件は明らかに異なっており、また、加賀屋本通の商店街も同じ加賀屋地区連合体下のほかの商店街と立地条件が異なっている。

(D) したがって、同一連合体の下にある各商店街であっても、立地条件に大きな違いがある本件の場合、当該店舗の立地条件の優劣を比較するとき、商店街群全体(連合体地区)同士でなく、当該商店街同士を比較すべきである。

そして、被控訴人と本件同業者の両店舗の立地条件を比較するとき、加賀屋、粉浜両地区の商店街群における両者の各所属する加賀屋本通、粉浜本通会の両商店街の前記(A)、(B)の諸事実並びに右各商店会の活動開始時期及び両商店街のアーケードの設置時期その他各事情(条件)を考慮すると、加賀屋本通の商店街すなわち、被控訴人の店舗の立地条件が、粉浜本通会の商店街すなわち、本件同業者の店舗のそれに比べて相当優位にあったといえる。

(エ) 更に、各店舗固有の立地条件である近隣同業者との競合関係においても、次の理由により、被控訴人は本件同業者に優っている。

(あ) 昭和四〇年ころ、被控訴人の店舗がある加賀屋本通共栄会を含む中加賀屋商店街において、同店の主力商品である婦人セーターを販売している店は少なく、そして同店のようにそれらを専門に小売りしている店は全くなかった。なお、右商店街で同業者が開業したのは、被控訴人が婦人セーター等の取扱いを始めてから五年後のことであり、昭和四〇年当時、被控訴人の店舗の近隣を含む右商店街に強力な競争相手は存在しなかった。

(い) しかるに、本件同業者の方は、同店の仕入先株式会社バウにおいて、昭和四一年、その商品の卸先を本件同業者から、その店舗と同一商店街に店舗を有する他の同業者に変更している。一般に、今まで取引していた相手と取引を絶って、他の者へ取引関係を換える場合、新たに取引を開始する相手は、今まで取引していた相手よりも優れた業者であることが通例であるところから、昭和四〇年ころには、本件同業者の店舗の近隣に強力な競争相手が存在していたことがうかがえる。

(う) したがって、近隣同業者との競合関係についての条件でも、昭和四〇年当時、被控訴人の方が、本件同業者よりも優位にあったといえる。

(2) 店舗面積等

小売店にとって、店舗のよしあし等は売上金額に影響するところであるが、被控訴人の店舗と本件同業者の店舗について、その状況をつぶさに比較検討すると、必ずしも被控訴人の店舗が劣っているとはいえない。

(ア) 店舗面積についてみると、被控訴人の店舗は二・五坪であるが、昭和四〇年当時、前記のとおり被控訴人の店舗前の道路には既にアーケードが設置されており、そして加賀屋商店街の各店舗に面する前の道路は幅が八メートルあって、ほとんどの店舗が陳列ケース等を道にまで突き出し、被控訴人の店舗も他の店舗と同じく道路の一部を建物内と同様、商売に使用しているが、本件同業者の方は、店舗前の道路は狭く、道路に台を突き出して商品を並べることができる状態にないところから、両者の販売活動に使用している場所の面積は、店舗面積に比べその差は小さく、また両者の年間仕入額を比較すると、被控訴人三七六万余円、本件同業者四〇六万余円と前者は後者の九二・六パーセントであるから陳列商品の量もほぽ同じと推測され、両者の有効店舗面積はさほど差違がないといえる。

(イ) 被控訴人は、あたかも本件同業者が昭和四〇年当時、被控訴人の取扱い商品の程度と異なる高級品を販売していた如く主張している。ところで、高級品を販売するためには、店舗をそれ相応に飾り付け、高級品を店舗に置かなければならない。しかるに、右本件同業者は、間口二間、奥行二間半の広さの店舗を持ち、間口にガラスの引戸を入れて顧客の出入り口を幅一間ぐらいにし、店舗内の天井や壁にはベニヤ板を張り、そこを螢光灯で照明していたが、その照明は暗く、商品の陳列にはガラスケースを使用せず、ベニヤ板で作った台を使用するなど、およそ高級品を販売する店舗にはほど遠く、またその取扱い商品も、デパートの高級品売場で販売するような商品と比べ、ずっと単価の低い大衆品であり、値段の高い高級品は置いていない状態で、店舗全体として観察してもその後改造した店舗と被控訴人の店舗とが同じ感じであった。そして被控訴人は、商品の仕入を本件同業者の仕入先のすべてから買い、商品は婦人衣料のうち同じ外衣(セーター、ブラウス、スカートなど外に着る衣服)を取扱い、また、店頭表示価格に対する粗利益の割合も両者いずれも三割と同じであるところから、本件同業者が被控訴人に比べ、高級品を販売していた事実はなく、その取扱い商品は、原審認定どおり大衆品である。

(ウ) 従業員数について、被控訴人は「原告(被控訴人)方では原告と妻の二人で営業していたのに対し、岡山(本件同業者)の方は岡山義子と娘と女子従業員の三人でやっていたので、原告の営業より規模がはるかに大きいものというべく」と主張しているが、本件同業者の方は、岡山自身がよく留守をするので、岡山の代りを務める雇人を置いたもので、店は大体二人で営んでいたものである。なお、被控訴人の方には小さい子供がいたものの、その子守り等は同居していた母がしており、被控訴人の妻が子守り等のため営業に差し支えることはほとんどなく、したがって、実質的に稼動した従業員数は両者ほぽ同じであり、営業規模がはるかに違うという被控訴人の主張は当たらない。

(3) 開業年次

被控訴人は、昭和四〇年当時、本件同業者は同人の娘が婦人服の小売を始めて四年になるが、被控訴人の方はそれを始めてまだ一年もたたないから経験年数において類似性がない旨主張している。

しかし、右経験については、婦人服小売の期間を単純に比較することに問題があるほか、両者の小売店経営の経験年数及び同じ場所における衣料品の小売店営業年数等を総合勘案すると、経験年数のうえで、被控訴人が主張し、また原判決が認定するように、被控訴人が本件同業者よりも条件が不利であるとは必ずしもいえず、むしろ有利であったといえる。

次にその事情を詳述する。

(ア) 被控訴人は、昭和三〇年ごろから独立して小売店(食料品)の経営を大阪市内で始め、同三六年六月になって中加賀屋へ転入し、その時から肌着の小売店を開いている(被控訴人の同三七年九月に転入したという供述及びそれに伴う同三七年一〇月開業という主張は誤りである)。その後、取扱い商品を肌着から婦人服(主として婦人セーター、そのほかブラウス、スカート)に変更して昭和四〇年に至ったものである。

なお、同人が当初経営していた食料品店も主婦相手の商売であった。

したがって、被控訴人は昭和四〇年当時、既におよそ一〇年にわたり、主婦相手の小売店経営を経験しており、更に、直近のおよそ四年間は婦人服と同じ衣料品の小売店を経営していたものである。そして、市岡から中加賀屋への転入理由や衣料品小売における取扱い商品の変更理由は、いずれも経営の失敗や行き詰まりとはなんら関係がなかった。

また、被控訴人は、普通では婦人服の小売を始めて間がない販売店には商品を売ってくれないというモック、レナウン、シャルマン、バウの各問屋から、本件同業者と同様に、昭和四〇年当時、既に商品を仕入れている。そして、右各問屋から仕入れができたのは、本人の妻の助けがあったからだという。すなわち、被控訴人には、本件同業者側にはない家族の大きな経験等があった。そのことは、被控訴人が経営する婦人服小売店が昭和四〇年ごろ順調に業績を伸ばすことが予想される程度の業績を維持していたことからも裏付けられる。ちなみに、昭和四〇年当時、被控訴人と本件同業者のいずれとも取引していた両者の仕入先株式会社バウでは、同四一年末に本件同業者は余り売上も伸びないと判断して同店との取引を停止したが、被控訴人とはその後も取引を継続している。

(イ) 一方、本件同業者は、昭和三八年から婦人服の小売店を経営するようになり、それまでの同三六、三七年には同人の娘がその店を営んでいた。また同人は、自ら同店を経営するようになるまでは、同店の営業に一切関与していなかった。なお、同店は、右娘がそれを営んでいたころは、僅かな商品を店に並べ、娘の小遣い程度の儲けしかない極めて小規模なものであった。

そして、本人自身は、それまで小売店の経営経験はおろか、営業に従事したこともなかった。

そうした事情の下に、昭和三八年に、本人自身が資金を出し、そして経営するようになってから以後、自ら仕入れを行い(原判決は「訴外岡山が昭和三八年ころから右営業に関与するようになってからも、仕入れや販売は従来どおり主として同人の娘が当っていた」旨説示しているが、仕入れについては本件同業者が自ら行うように変わっている)、その経営規模を大きく変化させている。例えば、同四〇年になって、それまで取引していなかった前記バウから商品を仕入れるようになるなど仕入先も変化している。また、店の取扱い商品の派手さ加減によっても客層が異なってくるなどの事情から、昭和四〇年当時、同店になじみの客は少なかったのである。

(ウ) 以上のとおり、被控訴人は、本件同業者に比べて、婦人服の小売店経営は一年余り短い(前者は昭和三九年一〇月、後者は同三八年)ものの、衣料品小売の経験は長く本件同業者は娘がひとり営業していた期間を通算して、やっと被控訴人とほぽ同じ営業年数となる。しかも右娘のひとりで営業していた当時の店は、規模も極めて小規模なものであったから、その営業年数を単純に通算することは妥当でない。更に、婦人を相手とする小売業の経験は、被控訴人の独立して営業を開始して以後の期間だけでみても、同人の方が本件同業者よりもはるかに長いのであり、両者の経験年数を比較する際には、これらの事情も考慮されるべきである。

(4) 値引き・特売

(ア) 値引き状況についてみると、

(あ) 原審における原告本人尋問(以下「本人尋問」ともいう。)によると、被控訴人は、商品を表示価格どおりに、又は顧客の要求に応じて、表示価格の五分ないし一割引きで販売し、その両者を併せて(以下「正常販売分」という。)仕入れの五割ないし六割、そして後の売残品については、通常、損のないよう原価に色をつけた(表示価格一、〇〇〇円のものであれば、七八〇円とかの)値段で店の前の特価台に出して奉仕販売していたという。

(い) 一方、本件同業者は、顧客の要求に応じ、また、汚れた商品について各値引き販売するが、婦人服には流行があるところから、どうしても売残品が生じるので、これらの商品は表示価格から二割ないし五割の値引きをして販売したという。なお、年二回の安売りでは、原価の半分(仕入価格七〇〇円、正札価格一、〇〇〇円のものを三五〇円)ぐらいで販売した商品もあるという。

(う) 右両者について、表現方法は異なるが、商品は必ずしも表示価格どおりに販売できず、顧客の要求に応じて値引き販売することがあり、それでも、婦人服は顧客の好みが強いので、仕入商品の中には売残品が生じ、これを通常以上に値引きして販売していたことがうかがわれる。

(え) なお、被控訴人は、本人尋問で、一〇枚の商品を仕入れた場合、正常販売分はそのうち五枚ないし六枚で、後の売残品は特売台に出して一〇〇〇円のものを七八〇円とかに値引きして販売したといい、また、甲二号証(理由書)の<2>により、異議申立ての調査の段階で「毎日汚れもの、特価品等を店先で客引き商売として売っている(約三〇万円ほど損)」旨申述したという。しかし、通例では、どの仕入商品も、売れ残る割合が同じということはなく、商品によっては一〇枚の仕入商品のうち、正常販売分が八枚ないし九枚の場合もあるだろうから、そうした場合に平均五、六枚ということは、平均の五、六枚より多く売れた分に見合うだけ、それより少なくしか売れなかった場合がある計算となり、したがって一〇枚のうち二、三枚しか売れなかった場合もあったということになるが、そのようなことがときにはあったとしても、後記(イ)で述べる被控訴人の半額売出し損に関する立証状況から判断して、一〇枚の仕入商品のうち正常販売分が五、六枚ということは、平均ということではなく、そういう場合も度々あったということを表わしたものと理解するのが相当であろう。

(お) また、同様に、正常な値段で販売できなかった売残品を特価販売したことによる値引額が三〇万円である旨の前記被控訴人の申述は、被控訴人が仕入れや売上げに関する帳簿の作成や原始記録の保存をほとんどしていなかった事情及び右三〇万円の計算根拠を明示していないところから、具体的な計数に基づき算定されたものでないことは明らかであり、前記(え)で述べた売残品の発生に関する被控訴人の供述と同様に、その信ぴょう性は薄いといえよう。

(か) 仮に、被控訴人の供述ないし申述した売残品の発生割合を四割ないし五割、その値引額の総計を三〇万円として、売残品の値引率を計算してみても、到底、被控訴人の供述するような値引き状況(売残品のほとんどは、原価に色をつけた値段で販売した場合の計数)にはならない。ちなみに、売残品について、右二つの条件の下で、その値引率を計算すると、別表1のとおり平均一二・四パーセントで、表示価格一〇〇〇円の売残品は平均して八七六円で特価販売したことになる。

(き) ところで、被控訴人は右売残品以外の商品(正常販売品)の値引きに関し、値引きして販売した商品の仕入商品全体に対する割合やその値引き率ごとの右割合について、具体的な計数を何ら明示していない。

(く) しかるに、被控訴人は審査請求の調査の段階で、担当協議官に対し「売買差益率は、平均二五パーセントくらいと思います。」旨申述している(乙一二号証)。

もっとも原判決は理由中で、右申述について「原告の思違いに基づく申述ではないかと思われる」旨説示して、これを採用していないが、その判断の前に、まず右二五パーセントが正確なものかどうか、例えば前記(か)や後記(け)(こ)のような計数的な検討をする必要があり、その結果、仮に不正確ではないかと推測される場合には、その推測の正確性を裏付けるため、思違いの内容や理由を検討する必要があるが、それらの検討もしないで、被控訴人の安売りが多かった旨の主張等をそのまま採用して、二五パーセントの差益率はなかったと判断することは早計であろう。

(け) そこで、一二月の三日連続の全商品半額セールの値引損を含まないところ(普段の販売)の被控訴人の差益率について考察する。

一般に、「あなたの店の差益率は平均して幾らでしたか」と問われれば、年に一度しか行わなかった半額売出しによる異常な場合の販売分は考慮に入れずに、普段の販売による差益率の平均を答えるものであって、前記被控訴人の二五パーセントの申述もこの差益率であると考えられる。そこで、被控訴人の差益率について、甲二号証の<2>にある「正札の半額売出しによる雑損五〇万円」を除いた(これは後に検討する。)ところの普段の差益率が二五パーセントであるとする仮説をたて、この正否を検討する。

(こ) <1>被控訴人の仕入商品三七六万四七七六円のすべてが表示価格で販売できたと仮定すると、別表2の(1)の計算で売上金額は五三七万八二五一円となる。<2>同様に、平均差益率二五パーセントで販売できたとき売上金額は五〇一万九七〇一円となる(同表の(2))。<3>右両売上金額の差額三五万八五五〇円が普段の販売における値引き額の総計となる(同表の(3))。<4>そうすると、右三五万八五五〇円のうち前記(か)で述べた売残品の特売台奉仕による三〇万円を超える五万八五五〇円が正常販売品(表示価格ないし五分、一割程度の値引きによる販売商品)の値引き額の総計となる(同表の(4))。<5>右金額から正常販売品の平均値引率(値引きしなかったものの値引率は零パーセントとして計算する。)は約二パーセントとなる(同表の(5)<2>)。<6>したがって、被控訴人が協議官に申述した二五パーセントの差益率はあり得る可能性が強く、また、これを否定する具体的な根拠もない。しかるに、これを単純に思違いによるものとする判断は、合理性に欠ける。

(イ) 半額売出しによる値引損について

(あ) 前記(ア)(え)で述べた甲二号証(理由書)の<2>によると、被控訴人は「時期時期の見切りで正札の半額売出しをしている(約五〇万円雑損)。」という。そして、その原価を割る半額売出しをした時期及び理由について、被控訴人は本人尋問で、「一二月一三日から三日ほど、問屋へ振出した先日付け小切手の支払日までに借金するところもなく、少々損でも手持商品を換金したかった。」旨供述している。

(い) 被控訴人は、右甲二号証及び供述で、換金のため原価を割る半額売出しを行い、その値引損は約五〇万円であるというが、原処分調査の段階ないし本件訴訟において、右売出し当時、原価を割って換金しても調達しなければならなかった緊急必要資金は総額幾らであったのか、支払日の迫った先日付け小切手は総額で幾ら振出していたのか、それらの小切手はどの仕入先にそれぞれ幾らの額面を渡していたのか、前記三日ほどで幾らの売上高があったのか、その売出しにより右必要資金の何割が調達できたのか、また、その売出しで販売した商品の仕入原価は幾らであったのか等、半額売出しにより生じたという値引額を裏付ける具体的根拠は何もない。

右事情の下に、前記三日ほどで、仕入原価が正札の七割であるところの商品を半額売出しすることで約五〇万円もの値引損を生じさせることの異常性について検討してみる。

半額売出しにより、総計五〇万円の値引きをしたということは、正札一〇〇万円分の商品を販売したことになる。そうすると、右商品の仕入原価は七〇万円分であるから、前記三日ほどで仕入原価七〇万円分の商品を販売したことになる。ひるがえって、原告の当時の仕入金額は、前月の一一月が二二万五九九〇円、一二月が四二万四五九〇円であり(別表3)、右二か月分併せても六五万〇五八〇円の仕入しかなく、前記三日ほどで、その月を含む二か月分以上の仕入商品を販売したことになる。

(う) 更に、被控訴人の右申述及び供述の信ぴょう性を疑わせる次の諸事実がある。

(A) 年間売上高が五〇〇万円に満たない小売商で、果して五〇万円の値引損を出すことにより、生じた運転資金(半額売出しをした商品代金の支払資金、その他の営業資金)の穴をその後、どのようにして修復したのか。ちなみに五〇万円の金額は、被控訴人の年間総仕入金額(三七六万余円、月平均三一万余円)の一・六か月分であり、粗利益だけでも五〇万円稼ぐには、全商品を正札(表示価格から一切値引きしない)で販売すると仮定しても、次の算式により一六六万余円の売上金額が必要となる。

(粗利益) (粗利益率) (売上金額)

500,000円÷30%=1,666,666円

これは、控訴人主張の売上金額四八二万余円の三分の一以上、すなわち四か月分以上の売上がなければ利得できない金額である。

(粗利益50万円の売上) (年間売上) (月数換算) (必要月数)

1,666,666円÷4,823,543円×12か月=4.15か月

また、被控訴人の主張する年間所得金額三三万余円の約一・五倍の金額に相当する。

(半額売出し損) (被控訴人主張所得) (倍数)

500,000円÷334,324円=1.50

そして、営業規模に比べて、仮に右のような多額の損失を出したとすれば、その後の営業に多大の悪影響が及び、被控訴人のように五日の支払いができず、一〇日、一五日付け等の先日付け小切手を振り出しているような営業状況の下では、半額売出しにより大きく穴の空いた運転資金の回転を元のように戻すことは、はなはだ難しく、右のように資金繰りに穴が空いた場合には、その後、遠からず極度な営業不振ないし倒産に至るのが通例である。しかるに、被控訴人の場合、その後の営業成績は、本件同業者のそれよりも良かったところから、被控訴人が申述するような右売出しによる値引損は、あったとしても五〇万円よりもはるかに少額なものではなかったか。

(B) 一方、被控訴人は昭和四〇年当時、有価証券の売買をしている。そして被控訴人は、前記(あ)で述べたように先日付け小切手支払いのため一二月一三日から三日ほど、全商品を半額(仕入原価七〇〇円の商品を五〇〇円)で売出し(売上金額に対する粗利益率マイナス四割)で損をしたというが、右売出し当時、被控訴人は商売や生活に直接必要とはみられない日本瓦斯化学工業(株)(業種、有機工業薬品)の株式一〇〇〇株を保有していた(昭和四〇年九月一〇日買付けしているが、同年中に売付けた形跡がない。)。同株式は同年一二月中に、七八円ないし八四円の値段を付けており、仮に最安値七八円で換金したとしても、売価七万八〇〇〇円から売付手数料一七〇〇円、有価証券取引税(有価証券取引税法(昭和四〇年当時)約定金額の一万分の一五)一一七円を差し引くと、手取り七万六一八三円となり、買付け資金の八六・九パーセント(注1)は回収できたものであり、仕入価格の七一・四パーセント(注2)しか回収できない半額売出しに比べ、その損失は少ない。

(売付による手取額) (手数料込取得費用) (回収率)

注1 76,183円÷87,700円×100=86.9%

(半額売出し価格) (仕入価格) (回収率)

注2 500円÷700円×100=71.4%

してみると、資金繰りが被控訴人供述のように「どないもこないも、にっちもさっちもいかん」と、いう場合には、特別な理由がない限り、不要不急の資産を処分するのが通例で、かつ、上場株式は各種資産の中でも換金の最も容易な資産であり、右半額売出しの当時、株式を売却した方が損失も少ない事情にあったところ、それを売却せずに、仕入れの際に諸経費もかかり、大切な需要を減らす(商品を半額で購入した人は、その分だけ正札で購入する必要がなくなる。)大事な商品を処分することは通常考えられないのではないか。被控訴人は右売出しに関する資金繰りの実態ないし資金計画を明らかにしていないところから この時期には、正常な商品を半額処分したのではなく、過去の売残品在庫について、その一掃のため流行遅れのものを半額処分したものではないかということも考えられる。その場合の値引損は、かなりの部分が前記(ア)で述べた値引額の総計と重複していることになる。

(C) 被控訴人は、本人尋問で「仕入商品について問屋へ返品することは絶対ない。」旨供述しているが、現実には(株)丸栄商店に二万六三二〇円及び(株)シャルマン大阪店に六月二一日三一四〇円、一一月一三日四四二〇円の返品をしている。また、右丸栄商店の例からみて、(株)大阪玉屋に五万五〇五〇円、レナウン商事(株)大阪支店にも一〇月九一七八円、一二月五三二〇円、計一万四四九八円以上の返品があったとみられる(通常、値引きというものは、売上がなくてそれだけが独立で存在するということがない。しかるに、(株)大阪玉屋の回答の一二月には、取引金額(仕入金額)欄が空白であるが、その値引額欄には四五〇円と記載されている。したがって、値引額欄記載の金額は(株)丸栄商店の記載と同様に返品額を記載したものと推測される。)。

また、本人尋問で「食うだけが精一杯」と供述しているが、前記(B)で述べたように、生活等に関係ない株式等有価証券の買付けに延べ三二万〇七二四円、すなわち被控訴人主張の年間所得額とほぽ同額の支払いをしている。一般に、資金面に余裕のない状況であれば、右のような有価証券の売買をすることは不可能であるから、被控訴人の右供述は信頼できない。

このほか、被控訴人は右尋問で、市岡から現在地の加賀屋へ移ってきたときの土地建物の売買に関する譲渡所得の申告について、「実際には二五〇万円で譲渡したものを一〇〇余万円で譲渡したように、大幅に圧縮した売却金額でもって譲渡所得を申告した」旨供述している。右のような税金の申告納税に対する被控訴人の不誠実な態度は、本件訴訟にも通じるものであるから、値引き・特売に関する被控訴人の申述及び供述も真実に反する大げさなものとみるべきであろう。

(え) ところで、一二月の半額売出しによる値引額の総計を推計するに当たり、それに必要な計数で、現在明らかなものは、商品の仕入金額(売上原価)だけである。

そこで、売出し時期(一二月一三日からの三日間)に近い一二月中の仕入金額を基にして右三日間の売上金額を算定し、この売上金額から値引額の総計を推計する。

(A)  原告の昭和四〇年一二月中の売上金額は明らかでないが、同月中の仕入金額は四二万四五九〇円である(別表3)ことが判明しており、ほかに前記三日間の売上金額を算定する方法がない。そこで仕入れは売上げに見合って行われ、右一二月中の仕入金額四二万四五九〇円が同月中の売上原価となったものと仮定して、右三日間の売上原価を算定する。

(B)  まず、一二月の営業日数を三一日として、一日当たりの売上原価を算定すると別表4の(1)の計算で一万三六九六円となり、前記三日分で四万一〇八八円となる(同表の(2))。

(C)  しかし、半額売出しをすれば、半額売出しをしない日に比べて、多く売れることは理の当然であるから、問題は半額売出しした日は、それ以外の日に比べて、どれほど多く販売されたかということである。

通常、衣料品を販売する店の一二月の売上金額は、ほかの月のそれよりも何割か多いものである。そこで異常な販売方法(半額売出し)を採らなかったと仮定した被控訴人の一二月分の売上原価を通商産業省調べの商業動態統計(昭和四〇年分)の婦人服小売業を包含する業種区分である織物、衣服、身のまわり品小売業の一一月分と一二月分の販売額を基準にして算定すると、別表4の(3)<2>のとおり三四万七三六九円となり、実際の仕入金額(売上原価)四二万四五九〇円を七万七二二一円だけ下回る(同表の(4))。

右計算により、半額売出しにより通常以上に販売した商品の仕入金額は右七万七二二一円と推定される。

(D)  したがって、前記三日間の半額売出しにより販売した商品の仕入金額(売上原価)は前記(B)の半額売出しをしなくても販売できたであろう四万一〇八八円に前記(C)の右売出しにより通常以上に販売できた七万七二二一円を加えた合計一一万八三〇九円である(別表4の(5))。

(E)  そうすると、仕入金額(売上原価)一一万八三〇九円分の商品の、正札金額の合計は、別表4の(6)のとおり一六万九〇一三円となり、その結果、半額売出しによる値引額の総計は五〇万円よりもはるかに少ない八万四五〇七円となる(別表4の(7))。

(ウ) 被控訴人の差益率について

被控訴人の昭和四〇年分の差益率は、次の計算により二三・七二パーセントであり、控訴人が本件同業者の差益率を基に主張する二一・九五パーセントを上回るものである。

なお、その計算過程をまとめると別表5のとおりである。

(あ) 被控訴人の昭和四〇年中に販売した商品の各種の値引額の総計は、前記(ア)で述べた普段の販売における値引額の総計三五万八五五〇円に前記(イ)で述べた半額売出しにおける値引額の総計八万四五〇七円を併せた四四万三〇五七円である。

(い) そして、右各販売による売上金額は、前記(ア)(こ)<1>で述べた販売商品の正札金額の総計五三七万八二五一円から右値引額の総計四四万三〇五七円を控除した残額の四九三万五一九四円である。

(う) したがって、粗利益(差益金額)は、右売上金額四九三万五一九四円から仕入原価(売上原価)三七六万四七七六円を控除した残額の一一七万〇四一八円である。

(え) そうすると、差益率は右差益金額一一七万〇四一八円を(い)の売上金額四九三万五一九四円で除して得た〇・二三七二(二三・七二パーセント)である。

(エ) 差益率二一・九五パーセントの値引き状況について

控訴人が被控訴人に適用すべきと主張する本件同業者の差益率二一・九五パーセントは、どのように導き出されたものか、どの程度値引きされたものか等について次に検討する。

(あ) 右差益率は、帳簿に継続的に記録された計数を基に計算された結果導き出されたもので、被控訴人が主張するような計数的に裏付けのない差益率に比べ、はるかに正確なものである。

(い) ところで、原判決は理由中で本件同業者の値引き・特売状況について、年二回の安売り(半額になる品物もある)を行い、客との交渉で多少の値引きを行うこともあるとして、被控訴人と本件同業者との類似性を否定しているが、否定に当り本件同業者の値引き・特売状況を被控訴人のそれと抽象的・感覚的に比較して相当軽いものと判断したことがうかがわれ、右判決の理由中に、例えば年二回の安売りがどの程度の期間(日数)にわたって行われたものか、また、多少の値引きとはどの程度の量の商品について、どの程度値引きしたことを指すのか等、それらの程度が明らかにされていない。

(う) そこで、差益率二一・九五パーセントは、どの程度の値引きをすれば実現される計数であるか、次に試算してみる。

年間の売上原価は、四〇六万六一〇〇円であるから、右商品の正札金額の統計は、右売上原価を、正札に対する原価率七割で除して得た五八〇万八七一四円である。そして、売上金額は五二一万〇一〇〇円であるから、値引額の総計は正札金額の総計五八〇万八七一四円から売上金額五二一万〇一〇〇円を控除した残額の五九万八六一四円である。したがって、販売商品の平均値引率は、値引額の総計五九万八六一四円を正札金額の総計五八〇万八七一四円で除して得た〇・一〇三一(一〇・三一パーセント)である。

右について、仮に右全商品のうち、三分の二を正札ないし一割引の金額(三分の一を正札、後の三分の一の各半分をそれぞれ五分及び一割引)で販売できたと仮定すると、全体の三分の一が売残品となる。そして、全体の五分に当たる商品を正札の半額で処分したとしても、後の売残品(全体の六〇分の一七の商品)は平均一八・七三パーセント(ほぽ二割)値引きしたことになり、そうすると、前記(ア)(い)で述べた二割ないし五割の値引きで販売した商品は、かなりの数量に達していたことになる。以上、値引きの実態分析を表にまとめると別表6のとおりとなる。したがって、右値引き状況は決して軽いものではなく、被控訴人のそれと比べると、同程度ないしむしろひどいものであったとみられる。

(オ) 婦人服小売店と安売り

(あ) 婦人服小売店の値引き・特売の実施状況に関して、被控訴人の供述並びに本件同業者及び山岡初一証人の各証言をみると、どの業者にも汚れ品、売残品が生じ、それらの商品について、いずれも大幅な値引き、安売りを実施していることが認められる。すなわち、被控訴人は、一〇年経ってもロスを出さないで営業することは難しい旨供述し、本件同業者もどの業者も上代(表示価格)を厳格に守るという状況になく、また毎年同じように大売出しを行い、同人自身も、店で汚した商品は当然値引きするし、売残品については上代の二割ないし五割引きで販売し、年二回の大売出しでは、商品によって、仕入原価の半額ぐらいで売るものもある旨証言している。そして、被控訴人と同じ商店街で婦人服を専門に小売りしている山岡初一証人も、婦人服には流行があり、シーズン中に仕入商品が残らず売れるということはなく、売残品については半額以下でもよいから換金しようと努め、かなり損することもある。同じ商店街の同業者もみんな同様である旨証言している。

(い) 更に、右山岡初一証人は、営業経験年数と値引き、安売りとの関連性について、仕入れた商品全部を定価あるいはそれに近い値段で売ることは、なかなか難しく、一七年の営業経験をもって、これは必ず売れると思う商品でも、さっぱり売れないことがあるし、なじみの客に関して、前回来店時に買ってくれた客でも今回好みの商品がないとよその店へいってしまうなど、固定客はほとんどできない旨証言している。

(カ) 被控訴人の優位性

(あ) 前記各事情を考慮すれば、原判決が認定した如く、被控訴人のした値引き・特売が、前記(三)(4)(エ)で分析した本件同業者の値引き・特売に比べて、更にその差益率を三〇パーセントも減じなければならない程度に、ひどいものであったという確かな事実はなにもない。例えば値引き・特売については被控訴人特有のものではなく、それは婦人服小売店に共通する事情であり、本件同業者についてみても、すべての商品を表示価格で販売すれば差益率は三〇パーセントとなるものが、値引き・特売等を実施した結果、それが二一・九五パーセントに低下したものである。控訴人も、被控訴人に適用する差益率を後記被控訴人申述の二五パーセントではなく、右二一・九五パーセントと主張しているのであるから、その率は、表示価格から普段の販売における値引きを考慮した二五パーセントより低いものである。すなわち、被控訴人の申述している安売りが多かったという事情は、右両率の差に含まれているとみるべきである。

(い) また、開業年次を基準にして、被控訴人と本件同業者のどちらが、よく多く値引き・特売の実施を余儀なくされていたかという観点から被控訴人に本件同業者の差益率をそのまま適用できるか否かを考察するも、被控訴人の方がより多く値引き・特売の実施を余儀なくされていたとして、右差益率をそのまま適用できないとすることは相当でない。

その理由は、被控訴人は昭和三九年から、本件同業者は同三八年から婦人服小売店を経営しており、前者は後者に比べて、その経営年数はわずかに短いものの、その差はほとんどなく、そのうえ、婦人服小売業界では、前記(三)(4)(オ)で述べたとおり、その経営年数の差が営業成績に大きな影響を与えるものではなく、まして客との応待経験において被控訴人は、肌着を含む婦人相手の小売商売によって、本件同業者よりも相当長じているからである。

(う) なお、被控訴人は、営業内容において、被控訴人と本件同業者は、婦人ものセーター、ブラウス及びスカートを取扱っているほかは、全く共通性をもたず、しかも取扱い商品の構成に重大な差違があるから、両者は全く類似性を有しないと主張している。

しかし、比較する二人の業者が、いずれも<1>婦人外衣(婦人セーター、ブラウス、スカートなど)を<2>同じ販売方法(店頭売り)で、かつ各商品に両者同水準の表示(正札)価格(仕入価格七〇〇円の商品には表示価格一〇〇〇円の値札)を付け、そして<3>値引き・特売状況に大差がない場合には、仮に取扱商品の構成や商品の仕入先に差違があってもそれが両者ほぽ同水準の差益率を確保することになんら重大な障害となるものではない。

本件の場合、右<1>及び<2>については、被控訴人においても、それらに差違がないことを認め又は供述しているところであるから、残る右<3>の値引き・特売の実施状況が取扱商品の差違によって異なるものかどうかで、両者の差益率に差違が生ずるかどうかが左右される。

しかるに、被控訴人が提出した全証拠及び本件同業者の証言のいずれにおいても、右取扱商品の品目の異なるごとに値引き・特売状況に差違のあることは認められない。

(え) そして、前記(三)(4)(オ)(あ)で述べたように、本件同業者も被控訴人同様、常時値引き販売するとともに、年に二度の特売を実施している中にあって、被控訴人に適用する差益率を本件同業者よりも低くしなければならない理由は存しない。衣料品を含む婦人相手の小売店経営の経験で本件同業者に優る被控訴人が、前記(三)(4)(オ)(い)で述べたように、その業種の特殊性から、何年営業していても、その経営のコツを知ることが難しい婦人服小売業の経験年数でわずか一、二年劣ること及び安売り等に関係のない店舗面積に差違があることが、値引き・特売に対し、計数的にそれぞれいかほど影響があるのか、すなわち、それらが値引き・特売を通して差益率に対しいか程影響があるのか明らかでない。むしろ被控訴人に右婦人相手の小売店経営の経験や前記(三)(1)(エ)で述べた近隣同業者との競合関係で各優位にあったことが、前記(三)(4)(エ)(う)で述べたように、被控訴人方の値引き・特売を軽微にしており、その結果、被控訴人の方が、本件同業者よりも差益率は高かったというべきである。

(キ) 差益率の調整

(あ) 原判決は、差益率について「………各項目を対比検討すると、………原告に適用すべき差益率は岡山の差益率(二一・九五%)の約七割見当である一五%とするのが相当であると認められる。………担当協議官に対し売買差益率は二五%位と思う旨申述していることが認められるけれども、前記認定の店頭表示価格の七割が仕入金額であること(すなわち、全商品を定価で販売しても差益率は三〇%にすぎない。)、右申述中で、同時に、安売りが多かったことを考慮されたい旨主張していることに照らすと、………原告に適用すべき差益率は一五%と認めるべきである。」と説示している。

そこで、原審裁判所の右差益率の認定経過を考察するに、右裁判所は婦人服小売業界の実情を考慮せず被控訴人の安売りが多かったという申述及び供述を特別重視して、本件同業者の差益率を調整した(割引いた)ものとうかがわれる。

(い) ところで、同業者の率を基に所得金額を推計する場合、その基準同業者について当該納税者との類似性を検討する必要があるが、右検討の際には、どのような要素(項目)が、求める差益率等同業者率に変化を与えるかについて考慮したうえ、それに対して比較的影響力の大きい要素を類似性判定の比較要素とすべきである。

また、右要素でもって、当該納税者と同業者と比較検討するとき留意すべきことは、わずかな違いについては、その存在を度外視して類似性を見出すことである。すなわち、わずかな違いで類似性を否定すれば、同業者率を用いて所得金額を推計することは、あらゆる事例ですべて不可能となる。その理由は、もともと、いくつかの比較要素のすべてについて、二業者間等で完全に一致する例はありえないことから、類似性を厳格に要求すれば、推計の基準とすべき同業者が存在しなくなるからである。

(う) なお、原判決が採用したように、仮に類似性を厳格に要求して、基準とする同業者の類似性を否定し、そして、その否定した範囲で同業者の率を調整して当該納税者に適用すべき率を求める方法が許されるとしても、同業者率の調整には正確を期すべきである。

そして、右調整にあたり重要なことは 当該納税者と同業者を比較する各要素の同業者率(差益率)に与える影響力(特性)と右各要素ごとの両者間の隔たりについて、それぞれ正確に認識(具体的には計数化)したうえ、それらを加味して調整(割引)率を算定することである。

また、右要素のすべてにおいて、当該納税者の方が、比較する同業者よりも劣位にあるとは限らない。

したがって、当該納税者に適用すべき差益率を求める場合、右各要素の特性やその隔たりを正確に認識できないときには、「同業者率がいわゆる近似値課税の性格をもっている(推計課税の理論、南博方、筑波法政第一号一九七八年三月九八頁)」ことを考慮して、同業者の率に調整(割引き)を加えるべきではない。

(四) 生命保険の解約について

(1) 被控訴人は、昭和四〇年七月九日付けでしたという生命保険の解約を、それが同年一二月に実施したという全店半額(上代すなわち表示価格の半額)売出しと同様に、被控訴人が資金難に陥っていたという主張をあたかも裏付ける事実であるがごとく主張している。

(2) ところで、被控訴人は、昭和四〇年六月二四日にワリコー三万七六二四円、同月二五日にミノルタカメラ九万六六〇〇円、同年七月一二日に再度ミノルタカメラ三万八三〇〇円の債券及び株式を取得している。右債券や株式は被控訴人の営業又は生活に必要欠くべからざるものでないことは明らかなところ、そうしたものに右二旬も満たない短期間で合計一七万二五二四円もの投資をしている。

(3) そして、六月二四日ないし七月一二日の右債券や株式の取得時期は、被控訴人が前記保険を解約したという七月九日と同じ時期であり、また、金額的にみても、解約して受領したという一八万一一五〇円と右一七万二五二四円とは、ほぼ同金額である。

(4) してみると、右保険解約で受領したという一八万余円の資金は、実質的には、商品の取得に充てられたというよりは前記有価証券の取得資金に利用されたとみるべきである。

(5) したがって、被控訴人が主張する「思わぬ失敗を重ね、そのために資金繰りに絶えず追われており、資金を得るために原価を割る投げ売りもひんぱんに行わなければならない状況だった。事実同年の年末には資金繰りが苦しいため生命保険すら解約しなければならない有様であった。」という事実は全くでたらめであるといえる。また、保険の解約日七月九日を年末であるという被控訴人の主張は、同人の各主張等が、それらに対応する各事実から相当遊離していることを示す一端である。

すなわち、右資金繰りに追われてしたという投売りについても、既に述べたとおり信ぴょう性が全くないのである。

(五) 被控訴人の生活状況等について

(1) 被控訴人及びその配偶者は、昭和四〇年以降同四八年までの間に、次の三件の土地、建物を取得し、一件の建物を譲渡している。

(ア) 取得物件

<1> 昭和四五年一月一九日 売買

中加賀屋町二丁目二〇番地

居宅木造瓦葺二階建 床面積三一・八六平方米

取得者 谷口和子

<2> 同四八年六月二五日 売買

西加賀屋町二丁目三九番地の二二 宅地

地積 七六・二〇平方米 取得者 谷口和義

同 谷口和子

<3> 同年 八月二五日新築

同所 居宅木造瓦葺二階建

床面積八八・九四平方米 取得者 谷口和義

(イ) 譲渡物件

昭和四八年五月二五日 売買

前記<1>物件

(2) 被控訴人の昭和四〇年当時の生活費について

総理府統計局の家計調査でもって推定すると年額六九万二五〇八円である。

昭和四〇年当時、大阪市は人口五万人以上の都市であり、被控訴人は子供三人を含む六人世帯であるが、仮にその世帯人員を五人とすると、その年分の右家計調査では、人口五万人以上の都市の世帯人員数五人(全世帯)の一世帯当たり年平均一か月間の消費支出は五万七七〇九円であり、その額の一二倍(年換算)額六九万二五〇八円をもって被控訴人の生活費と推定する。

なお、右消費支出に非消費支出(税金及び社会保障費)を加えたところの実支出は、月平均六万二七二九円、年額七五万二七四八円である。

(六) 推計課税の本質について

原判決は「控訴人が主張したところの推計の基礎となった同業者岡山義子(以下「本件同業者」という。)と被控訴人との類似性について特に<1>店舗面積<2>値引き、特売及び<3>開業年次を対比して両者の間に類似性を肯認しがたく、その差益率において被控訴人の方が劣位にあると認められる」と類似性を否定せられている。

ところで推計課税は実額、すなわち真実の所得金額をは握するのに十分な資料がない場合に、所得を推測させる間接的な事実からする蓋然的考察によって、所得の実額に近似する数額をは握することで満足しようとするものである。

したがって、推計課税は、恣意的、不正確な認定を許容するものではあってはならないことはもちろんであるが、しかしながら、推計課税は十分な直接的証拠資料がなく実額がは握できないために、蓋然的考察によって実額近似のは握で満足しようとするものであるから、そこでは推計の偏差の生ずることは不可避的として予定されているのである。

この推計偏差は、できるかぎりきょう正されるのが望ましいには違いないが、所得金額の認定に正確を期するあまり推計方法の合理性をあまりに厳しく要求するときは、蓋然値で満足しようとする推計の本旨に沿わないことになる(「租税争訟の理論と実際」南博方著弘文堂一〇四頁・一一〇頁・及び一一五頁参照)。

また、推計課税は、所得金額又は損失金額の実額がは握できない場合に推計により得た蓋然的近似値を一応真実の所得金額又は損失金額と認定して課税する制度であるから、納税者と対比すべき同業者の事業規模は、当該納税者のそれと細部の点まで完全に一致する必要はなく、その主要な点において………類似しておれば足りるものである(大阪高裁昭和五〇・五・二七判決昭和四七年(行コ)第八号事件参照)。

以上述べたとおり納税者の所得金額の算定において実額によりは握できない場合においては推計により課税しなければ租税の負担の公平という課税の基本理念に反するとともに、課税のための確実な基礎がないため、その最低額でしか確定できないとすれば、帳簿書類その他の調査資料を記録せず、調査に非協力で不誠実な納税義務者を優遇し、かえって誠実な者をして納税上不利な立場に陥れるという不公平な結果をきたすことになる。

原判決は、被控訴人と本件同業者との類似性の主要要素のうち店舗面積、値引き・特売及び開業年次を対比し類似性を否定されているが、この事項については、類似性はもとより被控訴人が優位でもあるところからしても、その判断は不当と考えるが、それにとどまらず原判決は右に述べた推計課税の本質の理解に乏しいというべきである。

また、被控訴人の差益率が本件同業者の差益率(二一・九五パーセント)の約七割見当である一五パーセントと認める原判決は、被控訴人の一方的な主張金額に、強いて推計額を一致させようとしたもので客観性に乏しいうえ、約七割見当としたことの合理的な根拠が認められず不当である。

(七) 建物減価償却費について

(1) 原判決は、建物減価償却費が二万六〇八二円であることを控訴人において争わない旨説示しているが、控訴人は右について一万三〇四一円であることを主張し、ほかに店舗に使用されている建物に関して、それが居住用にも併用されているものと主張したことはなく、原審はその点の審理を十分尽していない。

(2) 控訴人の右一万三〇四一円の算定根拠は、後記(4)のとおりである。しかし、その計算過程に誤りがあるのでこれを是正するとともに、取得価額を修正して計算し直すと、後記(5)のとおりとなる。

なお、控訴人は右計算し直した額が、当初主張額を下回るので、その限度において、当初主張を変更しない。

(3) まず、本件建物の取得に関する事実を述べる。

被控訴人は、昭和三六年七月三日、大阪市住吉区中加賀屋町二丁目二〇番地(昭和四〇年当時)家屋番号一八五の二居宅木造一階建一階部分六・六四平方米及び同町二丁目六六番地(同)居宅木造瓦葺二階建一階二・四七平方米、同二階三七・三二平方米をそれぞれ同一相手から同時期に取得し、その取得価額は両建物でおよそ二〇〇万円という。

そして、右二丁目二〇番地の方を店舗として使用している。

(4) ところで右店舗として使用している建物の取得価額は明らかでないが、被控訴人は本件審査請求の審理時に右両建物併せて一一五万円で取得している旨申述している。

また、本件訴訟当初においては、右建物の各面積についても明らかでなかったので、右店舗に使用している建物の減価償却費について、次の方法で算定した。

(ア) 店舗用建物の取得価額について、右店舗及び住居用の各建物の価額比を一応三対七として、右両建物の取得価額の三割に当たる三四万五〇〇〇円と算定した。

(イ) 次いで、右建物の耐用年数を二四年としてその償却率(定額法)〇・〇四二を適用した。

イ 取得価格から残存価額を控除した価額(A)

(取得価額) (残存価額) (A)

345,000円-(345,000円×0.1)=310,500円

ロ 減価償却費の金額(B)

(A) (償却率) (B)

310,500円×0.042=13,041円

(ウ) したがって、控訴人は、建物減価償却費について、被控訴人の主張するように、同人らが居住に使用していない二階部分について、それを居住のために使用していると判断したうえ、算定し主張したものではない(もともと、被控訴人は右建物の二階部分を所有していない。)。

(5) 前記3で述べた二つの建物の取得価額を仮に本人供述の二〇〇万円とした場合の減価償却費について述べる。

(ア) まず、償却率及び右両建物の各面積についてみると、中加賀屋町二丁目二〇番地の被控訴人が店舗に使用していた建物は、木造であり、木造又は合成樹脂造の建物で店舗用に供しているものは、耐用年数は三〇年、その償却率は〇・〇三四である。そして、前記両建物の面積比は、次の算式により建物用が一四・三パーセント、住居用が八五・七パーセントである。

イ 住居用建物の延面積(C)

(一階部分) (二階部分) (C)

2.47m2+37.32m2=39.79m2

ロ 店舗用・住居用両建物の延面積合計(D)

(店舗用建物面積) (C) (D)

6.64m2+39.79m2=46.43m2

ハ 店舗用建物面積の両建物面積に占める比重

(店舗用建物面積) (D) (店舗用建物の面積比)

6.64m2÷46.43m2=0.1430

ニ (C) (D) (住居用建物の面積比)

39.79m2÷46.43m2=0.8570

(イ) 取得価格について、被控訴人は正式な価額と圧縮価額があるという。そして右両建物の取得については、市岡の不動産を二五〇万円くらいで売って、中加賀屋の右両建物を買って五〇万円強が余ったということであるから、右両建物の取得価額は、両者併わせておよそ二〇〇万円であったということのようである。

(ウ) なお、建物の敷地に対する借地権は、減価償却資産ではない。そして、前記両建物の建築時期は、店舗に使用の中加賀屋町二丁目二〇番地のものが昭和二六年一月一七日に保存登記されており、住居に使用の同町二丁目六六番地のものが同二五年四月二六日に分割登記がされており、その建築時期は、ほぽ同じころであるから、面積当りの建築価格はほぼ同じとみられる。

(エ) 右(ア)ないし(ウ)を基に計算した建物減価償却費は八七五二円である。

イ 店舗用建物の取得価額(E)

(両建物の取得価額) (店舗用建物の面積比) (E)

2,000,000円×0.143=286,000円

ロ 取得価額から残存価額を控除した価額(F)

(E) (残存価額) (F)

286,000円-(286,000×0.1)=257,400円

ハ 店舗用建物の減価償却費(G)

(F) (償却費) (G)

257,400円×0.034=8,752円

(八) 被控訴人の主張する本件同業者の所得について(被控訴人の主張(六)に対する反論)

被控訴人は、「本件同業者の昭和四〇年度の所得金額は、三六万五〇〇〇円であるのに対して、被控訴人の同年度の所得が、それよりもはるかに多い五八万六四八〇円であるとする控訴人の主張は、このこと自体をみても極めて不合理である。」旨主張しているが、右主張は失当である。

すなわち、本件については、本件同業者の差益率及び一般経費率を被控訴人に適用することの適否が問題となっているのであって、そのような場合に、被控訴人の主張のごとく、右差益率及び一般経費率の算出に影響のない所得金額の類似性をうんぬんするのは当を得ない。

売上原価及び一般経費は収入金額に比例する必要経費であるが、特別経費及び事業専従者給与額(または、控除額)は業態より個別的に発生する経費であって収入金額に比例するものではない。

したがって、所得金額の比較を問題とするならば、収入金額から売上原価及び一般経費を差引いた差引所得金額(別表8<5>欄)で比較すべきものである。

この観点からみれば本件については、別表8「<5>」の差引所得金額欄のとおり、本件同業者のそれは、八八万六〇〇〇円、被控訴人のそれは、八二万〇〇〇二円で、その額は近似しており、被控訴人が主張するところの不合理はないといわなければならない。

2  被控訴人の主張

(一)  立地条件について

(1) 立地条件について 控訴人は、被控訴人の店舗のある加賀屋商店街の方が本件同業者たる訴外岡山(以下「岡山ともいう。)の店のある粉浜商店街と比較して、はるかに優位にあったと主張している。

既に原審において主張したように、粉浜商店街は近くに高級住宅地である帝塚山地区及び住吉大社があるなど、古くから開けた地域である。しかも、南海本線に沿って商店街が形成されている上に更に南海線の阪界線も走っているなど、地理的条件は加賀屋商店街とは比較にならない有利な条件を備えている。

他方、加賀屋商店街は、原審岡山証人の証言によっても明らかなように、炭坑離職者などが大阪に職を見つけて住み付いたといった事情も存し、その客層に質的な違いが存する。

(2) 更に、控訴人は、岡山の店の場合は、粉浜商店街の北の外れにあって、アーケードもなく極めて淋しい場所にあるから、立地条件としては、被控訴人の方がよい、と主張している。

しかし、右主張もまた誤まりである。なるほど昭和四〇年当時は、岡山の店付近にはアーケードが作られていなかったのは事実であるが、決して淋しい場所などではない。それは乙第一〇号証の地図(二枚目)からも明らかなように、岡山の店は南海本線粉浜に最も近い位置にあり、人の動きは極めて活発であった。加えて、粉浜商店街の中ほどには戦前からの粉浜市場があり、更に岡山の店の筋向かいには昭和三四年頃に南海センターという市場が開設され多くの人々が岡山の店の前を通ってこれら両市場を往復している。その盛況ぶりは通勤時のラッシュを思わせるほどのものであった。また、被控訴人は岡山の店がいかにも粉浜商店街の外れにあるかのように主張するために、乙第一〇号証の地図で、岡山の店の右側の塗中で黄色で塗るのを止めてしまっている。しかし、実際には右商店街は右の通路を更に北へとずっと地下鉄玉出駅まで(途中少し切れているが)続いている。そして商店会も被控訴人の主張する四商店会の他に、右黄色く塗った部分の続きに、昭和三五年頃商進会が、更にその北へ続く部分の商店街について昭和四四年頃新栄会というそれぞれの商店会が造られている。

この事実からも明らかなように、岡山の店は、決して粉浜商店街の外れにあるのではなく、むしろその真中に位置していたものというべきである。

アーケードがなかなか作られなかったのは、岡山の店付近が三角地であって、その工費がかさむことから、費用負担について話合いが進まなかったからである。しかし、岡山の店の位置はなによりも粉浜の駅に近いということ、粉浜市場と南海センターという二大市場の間に位置しているということは、当時としてはなんにも変え難い有利な条件であったのである(その後、現在はこの商店街の付近に大型スーパーが進出してきたため、粉浜商店街全体の売上げは昭和四〇年当時に比較して落ちていることは事実である。)。

(3) 以上よりして立地条件に関する控訴人の主張は全く理由がない。

(二)  経験年数について

(1) 控訴人は、被控訴人は昭和三〇年頃から食料品店の経営をし、同三六年頃から肌着の小売店をし、同四〇年に婦人服(主として婦人セーター)の小売をしたから、その経験年数は約一〇年になるという。特に、最初経営した食料品店も主婦相手であったから被控訴人は主婦相手の小売店経営については一〇年の経験を有する。これに対して岡山は昭和三八年からであるから二年余りの経験にすぎず、被控訴人の方が経験が長く、有利であるという。

(2) 食料品小売も主婦相手であるから、これも経験年数に入る、という主張にはただ恐れ入るしかない。そのようなことをいい出せばおよそ主婦あるいは女性が顧客として来ない小売業などというのは極めて稀な業種しかなく、世の中のほとんどすべての小売業においては主婦女性も顧客の中で大きな部分を占めているのであって、控訴人の主張には唖然とする他ない。

いかに食料品の小売の相手が主婦であったとしても、食料品を売るのと衣料を売るのとは全く質を異にする。控訴人はこの取扱い商品による相異についてなんら思いを致していない。これを経験年数として考えるなどとおよそナンセンスといわなければならない。もしそのようにいうのであれば、岡山の夫は鶴橋で八百屋をしていたというのであるから、その妻である岡山義子は時として手伝ったことは十分考えられ、同人の経験年数も増やさなければならなくなる(八百屋も、その顧客の多くは主婦である。)。

(3) 次に、被控訴人は昭和三六年六月頃から肌着の小売を始め、同四〇年に婦人セーターにその取扱い品種を変更した。そして、控訴人は、肌着も婦人服、セーター、ブラウスの販売も主婦相手であるから、その経験年数を足せば岡山のそれより多くなる、という。しかしこれもまた実態を理解しない、あるいは理解しようとしない机上の議論である。

すなわち、肌着(男性用、女性用)は多くの場合生活必需品的要素が強く、昭和四〇年当時はアクセサリーとか流行というようなものにはほとんど関係がなかった。その意味では、毎日の生活に必要な食料品と余り変るところはないといえる。

しかし、婦人セーター、あるいはブラウスなどが生活必需品的性質を有することは事実であるとしても、だからといって肌着のように有ればよいといったものでは決してない。それぞれの顧客の好み、あるいはデザイン、流行というものに大きく左右される要素を持っている。

なによりも顧客のフィーリングにマッチした商品をいち早く取りそろえるということが、こうした婦人セーターなどの取扱いを成功させるための第一の条件であり、食料品や肌着を売る場合とは根本的に異なる点である。被控訴人は昭和四〇年当時扱い商品を婦人ものセーターやブラウスに切り替えたばかりであり、そうした顧客の感覚にぴったりした商品を取りそろえることはほとんど不可能であった。だからこそしばしば売れない商品をたくさん仕入れ、その結果安売をしなければならない羽目に遭遇したのである。

他方岡山の場合は、昭和三六年から娘が営業し、それを継いで同人が昭和三八年頃から経営をしたというのであるから、経験年数には娘の分も含めて考えるべきで、被控訴人に比してその経験年数ははるかに長い。岡山の場合、娘のやっていた店をそのまま引継いだものであるからして、加えて岡山の場合は、娘もそして岡山も共に女性であるから、女性の好みについて男性である被控訴人よりもはるかにうまくは握できたはずである。

(4) 更に経験年数についてみるならば、被控訴人の場合は、昭和四〇年度は婦人セーターなどの商品を扱い始めた最初の年であったという点である。これは開店して二年目、あるいは三年目とは質的に異なっている。一方岡山の場合は四年で、被控訴人の場合は最初の年であるからその差は三年あるいは四年にすぎないというような考え方はとれない。なぜなら、商売も二年目、三年目になれば、その経験によってそのコツというものを会得してゆくが(そして同じ失敗は繰返さないようになる。)、最初の年にはそのようなものが全くないことから失敗を重ねてゆくのである。被控訴人が原審で述べていたように、しばしば安売や値引をしなければならなかったということは、そのような失敗が重なったからである。

(5) 以上の事実関係からすれば、岡山の場合は、商売も昭和四〇年には五年目に入って軌道に乗っており、加えて女性であることから女性の好みを少なくとも被控訴人よりよくキャッチしうる立場にあったから、この経験年数の差は岡山と被控訴人の営業の類似性を否定する大きな要素というべきものである。

(三)  店舗面積について

(1) 店舗面積については、岡山は六坪半であるのに対し、被控訴人は二坪半で、岡山の方が約二・六倍ほど広い。

この点に関して、控訴人は、加賀屋商店街の場合は道路を使用できるから被控訴人の店舗面積はもっと広いはずであるという。

(2) なるほど被控訴人の場合も道路を一部使用したことは事実であるが、その利用の仕方は店先より約一メートルほど道路に店を出していた。被控訴人の店舗の間口は三・二メートルであるから、道路の使用面積は三・二平方米、約一坪である。しかし、店への出入口を空けなければならないから店先一杯に商品を並べることはできないので、被控訴人の道路の使用面積は一坪足らずである。そしてこの部分を足しても、岡山の店舗の面積の方が被控訴人のそれに比べて約倍以上の広さである。

(3) このように店舗面積の相異は、ひいては陳列する商品の数と品種の違いを生じさせることは明らかであり、この点においても類似性はない。

(四)  従業員数について

(1) 従業員数について岡山と被控訴人とを比較すると、岡山の方は本人も含めて三人、被控訴人の方は二人となっている。

ところで岡山の納税申告書をみると、岡山の場合は経費のうち雇人費として一七万六〇〇〇円として申告している外、青色専従者給与額として三四万五〇〇〇円を申告している。当時の所得税法(昭和四〇年法律第三三号)五七条一項によると、青色専従者控除の一人当たりの給与の最高額は一八万円と定められているから、岡山の場合専従者は雇人の他に二人いたことになる(もちろん岡山は含まれない。)。そうでなければ青色専従者控除として三四万五〇〇〇円を申告することはできないからである。そして事実岡山には二人の娘がいたのである。そうすれば岡山の場合は従業員は本人も含めて四人ということになる。

(2) そうすると、被控訴人の方は本人と妻の二人でやっていたのに対して、岡山の方は四人で店をやっていたものであって、岡山の方がその従業員数は倍である。しかも当時被控訴人は九歳、七歳、四歳の三人の子供を抱えており、妻はその子供たちの面倒を見ながら店を手伝っていた。いかに子供たちの祖母が世話をしていたとしても、母親である被控訴人の妻が子供たちを放置しえないことは常識として明らかである。このような事情からすれば、従業員数においても岡山と被控訴人との間には類似性はないものといわなければならない。

(五)  株式売買について

(1) 控訴人は、被控訴人が資金繰りに追われて、昭和四〇年七月九日その生命保険を解約した件について、右は株式の売買代金に利用したものであるなどと主張しているが、これはまさしく言いがかりである。

(2) 被控訴人が、そのころ、外交員に勧められて株式の売買をしていたことは事実である。

しかし、その内容をし細に検討してみると、六月二四日買ったワリコー四万株三万七六二四円については、前日の六月二三日売ったジャパンライン六九七株三万五一四五円の代金でその支払いができる(この場合は二五〇〇円ほどを足せばよい。)し、六月二五日買ったミノルタカメラ二千株九万六六〇〇円については、六月三〇日に売ったワリコー四万株三万七五二九円でその代金の一部を補充できるので、ここで被控訴人が払ったのは六万円ほどである(株式の現物の売買の場合は、取引の日より五日以内に代金を払込むこととなっている。したがって右のミノルタカメラ二千株の代金は、ワリコー四万株の売却代金をもってこれを充てることができ、事実被控訴人は、ミノルタカメラの株の買受代金の捻出のため、六月二四日買ったワリコーの株を買ったときより安い値段で手放している。)。

そして、被控訴人は七月一二日にミノルタカメラ一千株を三万八三〇〇円で買い、その後は九月一〇日にガス化学一千株を八万七七〇〇円で買っているが、その間被控訴人は株を買っていない。してみると、被控訴人が株の代金として必要としたと考えられるのは、この七月一二日のミノルタカメラ一千株の代金三万八三〇〇円のみである。したがって、仮に保険の解約金が株の代金として使われたとしても、それはたかだか三万八三〇〇円にすぎず、残余の五万円は商品代金に充てられたのである。

(3) 控訴人は、被控訴人が六月二四日から七月一二日の二旬も満たない短期間で合計一七万二五二四円もの投資をしているなどといっているが、これもまたさぎをからすという類のものである。なるほど六月二四日から七月一二日までの間で被控訴人が買った株の代金は右の金額となる。しかし、他方その間に被控訴人が売った株の代金は、七万二六七四円となり、この間に被控訴人が投資したのは約一〇万円にすぎない。そして最終的には同年一二月時点で被控訴人が有していた株式はガス化学一千株(買取価格八万七七〇〇円)のみである。控訴人はこのように、殊更株式の買受代金のみを取上げ、売却代金の方を意識的に無視して主張しており、極めて不当である。全体からすればこれらの株の売買はわずかであり、被控訴人がなんとかして資金繰りのための資金を得ようと涙ぐましい努力をしたものであって、投機を見込んでしたものでは全くない。

(4) なお、控訴人は、一二月中旬の被控訴人の安売りに関して、それほど安く売るくらいであれば手持ちの株を売ればよかったなどと主張している。

しかし、この主張もまた実態を見ない議論である。もちろん被控訴人としては年末を控え運転資金も必要としたことは事実であるが、それと同時に在庫商品を一掃するということも被控訴人にとっては必要だったのである。新年を控え、売れ残りの商品を多数抱えたままでは、特に流行や個人の好みを主体とする商品であるだけに、その先の商売に大きな影響を及ぼすことは明らかである。また、資金繰りにしてもガス化学の一千株(同年一二月時点では八万円前後であった。)を売ってそれで済むという問題ではなかったのである。

控訴人はこのような点について全く思いを致していない。

(六)  岡山義子の所得について

ところで岡山の昭和四〇年度の所得金額は三六万五〇〇〇円である。被控訴人と比較して、立地条件、経験年数においてはるかに上であり、加えて店舗面積も倍以上、そして従業員も四人でこれ又被控訴人の倍である上、仕入額も被控訴人より多いはずの岡山の所得が三六万五〇〇〇円であるのに対して、被控訴人の同年度の所得がその岡山よりもはるかに多い五八万六四八〇円であるとする控訴人の主張は、このこと自体をみても極めて不合理であるといわなければならない。

控訴人が、被控訴人と岡山との類似性をいうのであれば、まさしくその所得額についていわなけれぱならないはずである。これをみても控訴人の主張は全体として到底これを認めることはできない。

(七)  商品の値引き、安売りについて

(1) 控訴人は被控訴人の取扱商品の値引、安売りについて、複雑極まる計算をしている。なぜこのような計算が必要であるのか理解し難いものがある。

(2) 被控訴人は原審において、商品の値引きについて、大略次のとおり供述している。

(ア) 仕入商品については、売値(正札値)の七割が原価となるように、例えば、一〇〇〇円の売値のものの原価が七〇〇円となるように決める。

昭和四〇年は、既に述べたように、控訴人の場合は婦人服(主としてセーター)販売を始めたその年であった。この年の値引、安売の大体の割合は、売値(正札)どおり売れたのは全体の一〇パーセント、売値の一割引位で売ったのが全体の五〇パーセント、残り四〇パーセントの商品のうち、二〇パーセントは、原価に多少色をつけて売り、残り二〇パーセントは原価を割って売っている。同年一二月に行った三日の特売は、全部売値の半額で売ったが、それらはこの中に含まれる。そして、これらを見ると、残り四〇パーセントの商品については全体としては原価で売ったとみることができる。

(イ) 右に基づいて計算すると次のとおりとなる。

(あ) 三、七六四、七七六円(円)×〇・一×一・四二八=五三七、六一〇(円)

右の一・四二八は売値どおりで売れた場合の利益率(売値から原価を控除したものを原価で除したもの)で三七六万四七七六円は総仕入原価である。

(い) 三、七六四、七七六(円)×〇・五×一・二八五=二、四一八、八六八(円)

右の一・二八五も(い)と同様にして算出した利益率である。

(う) 三、七六四、七七六(円)×〇・四=一、五〇五、九一〇(円)

(え) (あ)+(い)+(う)=四四六万二三八八円

以上のとおり、被控訴人の昭和四〇年度の売上げは、その供述に従っても、四四六万二三八八円となり、被控訴人の主張に合致する。

(3) 被控訴人の値引き、安売りの実情は右のとおりであって、右と異なる控訴人の主張は要するに独自の見解に基いて数字を弄んでいるにすぎず、到底これを認めることはできない。

3  証拠関係

(一)  控訴人

乙第一四ないし第二八号証を提出。

当審証人松井三郎、同山中忠男の各証言を援用。

当審提出の甲号各証の成立は認める。

(二)  被控訴人

甲第九号証、第一〇号証の一ないし三を提出。

当審における被控訴人本人尋問の結果を援用。

乙第一五ないし第一九号証の成立は不知、その余の当審提出の乙号各証の成立は認める。

理由

一  原判決理由一項ないし三項に説示するところは、次に付加、訂正するほか、当裁判所の判断と同一であるからこれを引用する。

1  原判決一〇枚目裏三行目の「成立に争いのない」の次に「甲第二号証、」を、同五行目の「乙第一一号証」の次に「(一部)」を、「証人岡山義子」の前に「当審証人山中忠男の証言によって真正に成立したものと認められる乙第一五号証、」を、同五行目から六行目の「久田小太郎」の次に「(一部)」を、「並びに」の次に「原審及び当審における」をそれぞれ付加する。

同一一枚目裏四行目の「が多いため」から同五行目末尾までを次のとおり改める。

「や日雇労務者の多い下町であるため、客筋よりして、取扱商品は専ら大衆品であるほか、値引きを要求されることも多いうえ、加賀屋商店街において、被控訴人の主力商品である婦人セーターの専門店は昭和四〇年当時他にはないが、婦人セーターをも取扱う店は二、三軒存在していること」

同一〇行目の「帝塚山」から同一一行目末尾までを次のとおり改める。

「高級住宅地たる帝塚山も存し、客筋としては右帝塚山の住人を始めホワイトカラー族が多く、粉浜商店街では高級商品も取扱われているが、訴外岡山の取扱商品はどちらかといえば大衆品であり、同商店街において、訴外岡山の主力商品であるブラウスの専門店は少なくとも昭和四〇年当時には他にないこと」

2  同一二枚目表四行目の「二坪半」の次に「(なお、陳列ケースを店舗前の道路の一部に突き出しているので、実面積は約一坪多い。)」を付加する。

同一〇行目冒頭から同末行目末尾までを次のとおり改める。

「被控訴人は、後記認定のとおり、開業後極めて日が浅く、固定客は無いほか、売れ残りが少なくなるように仕入れる能力等が未習得であったため、売れ残り品が増えいきおい値引き、安売りを余儀なくされることが多くなった結果、被控訴人が正札で販売するのは全商品のうち約一割で、約五割は顧客の値引き要求に従い正札の一割引程度で販売していたが、約二割の商品については、常設の安売りコーナーを用意することによって仕入金額(原価、正札の三割引)に多少の利益を見込んで(例えば、正札一〇〇〇円のものを七八〇円で)安売りをし、残りの約二割の商品については、年末に決済すべき問屋への支払金約一〇〇万円を捻出する必要もあって昭和四〇年一二月に設けた三日間の全商品正札半額セールを行うことにより原価を割って安売りをしたこと」

同裏一行目の「訴外岡山は、」の次に「売れ残り品について」を、「半額」の前に「正札の二割引ないし場合により原価を割る商品もあり、時には原価の」を、同二行目の「を行い、」の次に「平時においては」をそれぞれ付加し、同一〇行目の「仕入れや」を「仕入れには同人も当ったものの」と改め、同一一行目の「が認められ」以下を改行し、「右認定に反する」の次に「乙第一一号証の一部、」を付加する。

3  同一三枚目表二行目の「殊に」の次に「(五)の立地条件、」を付加し、同三行目の「(九)の値引き、特売、」を削除し、同五行目の「類似性を」の次に「全面的には」を、「肯認しがたく、」の次に「右(五)、(七)、(一〇)の差異は(九)の値引き、特売、に影響を及ぼし、結局、(九)についても被控訴人と岡山義子との間に類似性を肯認しがたく、」をそれぞれ付加し、同裏七行目から八行目の「対比検討する」を「対比検討し、かつ、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果に照す」と改める。

4  同一四枚目表七行目の次に次の説示を加える。

「なお、被控訴人に適用すべき差益率を一五パーセントとすると、収入金額は四四二万九一四八円(計算式 仕入原価三七六万四七七六円÷(一-〇・一五)となるが、この金額は被控訴人が乙第一二号証中において、また原審及び当審において供述する収入金額約四〇〇万円ないし四四六万円の範囲内にある。

また、前記原審及び当審における被控訴人の供述により認定した(九)の値引き、特売の状況に基づき試算して得られる収入金額は次のとおり四三三万四八七〇円となり、右四四二万九一四八円に近い。

計算式

イ  三七六万四七七六円×〇・一×(10/7)=五三万七八二五円

ロ  三七六万四七七六円×〇・五×(9/7)=二四二万〇二一三円

ハ  三七六万四七七六円×〇・二×(7.8/7)=八三万九〇〇七円

ニ  三七六万四七七六円×〇・二×(5/7)=五三万七八二五円

ホ  イ+ロ+ハ+ニ=四三三万四八七〇円

更に、右(九)の値引き、特売をしたことによって生じた損失額(正札で販売できた場合の収入金額との差額)のうち、常設の安売りコーナーを用意してなした安売りによる損失額を試算すると、二三万六六四三円(計算式 三七六万四七七六円×〇・二×(10/7-7.8/7)=二三万六六四三円)となり、また、一二月の三日間の全商品正札半額セールによる損失額を計算すると、五三万七八二五円(計算式 三七六万四七七六円×〇・二×(10/7-5/7)=五三万七八二五円)となるが、この額は、被控訴人が甲第二号証中において、また原審及び当審において供述する常設の安売りコーナーを用意しての安売りによる損失額約三〇万円、一二月の三日間の全商品正札半額セールによる損失額約五〇万円と近似している。

以上の事実は、甲第二号証、乙第一二号証、原審及び当審における本人尋問の結果において、被控訴人の供述がおおむね首尾一貫していて矛盾がなく、その信用性を疑うべき理由も見当らないことと相俟って、措信できることのほか、被控訴人に適用すべき差益率を一五パーセントとすることが、被控訴人の営業の実態に適合していることを裏付けるものである。」

二  控訴人の当審における主張について、次のとおり判断する。

(1)  控訴人の主張(三)の(1)の(ア)ないし(ウ)は、要するに、昭和四〇年当時被控訴人の店舗前を通る人の数が、岡山の店舗前を通る人の数より多いと主張するもののようであるが、前記(九)の値引き、特売に影響を及ぼす程の通行人の数の差があったことを認めるに足りる証拠はない。

(2)  控訴人の主張(三)の(3)について

控訴人は、被控訴人が昭和三九年一〇月本件店舗で婦人セーター、ブラウス、スカートの小売業を始める以前の数年間、同店舗で肌着の小売業を営んでおり、その以前の数年間大阪市内で食料品小売店を営んでいたとして、昭和四〇年当時すでに一〇年にわたり主婦相手の小売店経営の経験があったことを理由に、経験年数において岡山との類似性があると主張するが、前記認定事実のほか、原審証人山岡初一、同岡山義子の各証言、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、婦人セーター、ブラウス、スカート等は流行や顧客の趣味、し好に左右されることの大きい商品であり、かつ、問屋への返品は原則として許されていないため、仕入れが下手であると多量の売れ残り品が出ることになり、売れ残りが少なくなるように仕入れる能力の習得には最低四、五年の年季を要し、また、多少とも固定客らしいものが形成されるのにも最低三、四年を要すること、食料品の小売と婦人セーター類の小売とでは客に対する言葉遣いも変える必要があることが認められ、右認定の反証もないので、控訴人主張のごとき事実があったとしても、被控訴人の経験年数につき岡山との類似性を肯定することはできない。

(3)  控訴人の主張(三)の(4)及び(五)は、いずれも前記認定ないし判断を動かすに足りるものではない。

三  以上に基づき被控訴人の昭和四〇年分総所得金額を算定するが、この点につき原判決理由四の1ないし3、5、6に説示するところは当裁判所の判断と同一であるから、これを引用する。

そして、成立に争いない乙第二二ないし第二五号証、原審における被控訴人本人訴尋問の結果によれば、被控訴人は昭和三六年七月三日大阪市住吉区中加賀屋町二丁目二〇番地(昭和四〇年当時)上、家屋番号同町第一八五番の二木造一階建居宅床面積六・六四平方米(以下、本件建物という。)及び同町二丁目六六番地(昭和四〇年当時)上、家屋番号同町第二二五番の六木造瓦葺二階建居宅床面積一階二・四七平方米、二階三七・三二平方米(以下、別件建物という。)を合計二〇〇万円で購入したこと及び被控訴人は本件建物を本件店舗に使用し別件建物を住居に使用していたことが認められる。そして、本件建物と別件建物の合計床面積に対する本件建物の面積割合を求めると〇・一四三であることが計数上明白である。また、減価償却資産の耐用年数等に関する省令によれば、木造建物で店舗用に供されている建物の耐用年数は三〇年、その償却率は〇・〇三四であることが認められる。したがって、本件建物の減価償却費を求めると八七五二円となる。

計算式

二〇〇万〇〇〇〇円×〇・一四三=二八万六〇〇〇円

二八万六〇〇〇円-(二八万六〇〇〇×〇・一)=二五万七四〇〇円

二五万七四〇〇円×〇・〇三四=八七五二円

しかし、控訴人は右償却費について一万三〇四一円を主張するので、同額の限度において右償却費を認めることになる。

以上によれば被控訴人の昭和四〇年分総所得金額は、右に認定の、収入金額より、仕入原価、一般経費、建物減価償却費、支払利子、事業専従者控除を差引くことにより三四万七三六五円となる。

四  そうすると、被控訴人には三四万七三六五円の限度でその申告にかかる総所得金額を超える所得があったというべきであるから、控訴人の本件更正処分のうち、三四万七三六五円を超える部分のみを取消すべく、被控訴人の本訴請求は右の限度で理由があり認容すべきであるが、その余は理由がなく棄却すべきである。

よって、右と一部異なる原判決を右のとおり変更することとし、民訴法九六条、八九条、九二条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 古川正孝 裁判官 篠原勝美 裁判長裁判官村瀬泰三は、退官につき、署名捺印できない。裁判官 古川正孝)

別図

10項目の差益率に対する影響

<省略>

別表1

売残品の値引率の計算

(表示価格販売に比べて)

(1) 売残品の仕入原価

<省略>

(注) 売残割合は、全体から正常販売できる割合を差し引いた残り。

(2) 表示価格で販売できたと仮定した売残品の売上金額(正札金額の計)

<省略>

(3) 売残品の値引率

<省略>

(4) 表示価格(正札)1,000円のものの平均販売価格

<省略>

(5) 正常販売品の値引き額の総計

<省略>

(6) 正常販売品の平均値引率

<1> 正常販売品のすべてが表示価格で販売できたときの売上金額

<省略>

(注) 正常販売できる割合50~60%の中央値。

<2> 正常販売品の表示価格(正札)に対する平均値引率

<省略>

別表2

正常販売品の値引率の計算

(1) すべての商品が表示価格(正札)で販売できたときの売上金額

<省略>

(2) すべての商品が平均25%の粗利益で販売できたときの売上金額

<省略>

(3) 普段(粗利益25%)の販売における値引き額の総計

<省略>

(4) 半額売出しによって通常以上に販売できた商品の売上原価

<省略>

(5) 半額売出しで販売した商品の売上原価

<省略>

(6) 半額売出しで販売した商品の正札金額の総計

<省略>

(7) 半額売出しによって生じた値引額の総計

<省略>

別表3

昭和40年中の被控訴人の月別仕入金額

<省略>

別表4

正札の半額売出しによる値引額の計算

(1) 通常における1日当たりの売上原価

<省略>

(2) 半額売出しをしなくても販売できたであろう売出し3日分の売上原価

<省略>

(3) 通常における12月分の売上原価

<1> 商業動態統計の調査結果における12月販売額の11月販売額に対する割合

<省略>

<2> 半額売出しをしなかったと仮定した場合の被控訴人の12月分売上原価

<省略>

別表5

被控訴人の差益率の計算

(1) 正札からの値引額の計算

<省略>

(2) 売上金額(値引後の販売金額の総計)

<省略>

(3) 差益金額

<省略>

(4) 差益率

<省略>

別表6

本件同業者の値引きの実態分析

<省略>

(注) △はマイナス。比率欄  は正札に対する値引率、は正札に対する売値率、売上金額に対する差益率

別表七

一 加賀屋地区の商人会と商店街 ◎は、被控訴人の加入商店会(昭和四〇年)

<省略>

二 粉浜地区の商人会と商店街 ◎は、本件同業者の加入親睦会(昭和四〇年)

<省略>

別表8

<省略>

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