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大阪高等裁判所 昭和55年(う)305号 判決 1981年4月30日

本籍

神戸市東灘区御影町東明字乙女塚四七〇番地

住居

大阪府豊中市玉井町一丁目一〇番二五号

会社員

豊田志津子

大正一三年六月五日生

本籍

兵庫県宍粟郡山崎町木谷一二八番地

住居

大阪市港区南市岡二丁目八番二一号

会社役員

森彬韶

大正六年一二月二九日生

右の両名に対する各法人税法違反被告事件について、昭和五四年一〇月五日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人らから各控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 田淵文俊 出席

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人豊田の弁護人西枝攻、同須田政勝共同作成の控訴趣意書及び控訴趣意補充書ならびに弁護人西枝攻作成の訂正書、被告人森の弁護人増井俊雄作成の控訴趣意書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

一  被告人豊田の弁護人の控訴趣意について

(一)  理由不備の主張について

論旨は、要するに、原判決は、原判示門真残土地について、その譲渡益は原判示会社に帰属するとし、同会社の原判示第二の所得金額に含めているが、門真残土地は、被告人豊田と死亡した原審相被告人水井久蔵とが個人で買い受けたものであり、このことは原判決も認めているのであるから、その譲渡益が原判示会社に帰属するといいうるためには、同人らが右土地を原判示会社に売却又は現物出資したこと等の所有権移転行為が必要であるところ、かかる法律行為を認定しないで、門真残土地の譲渡益を原判示会社に帰属するものとした原判決には、理由不備の違法がある、というのである。

しかしながら、法人税法所定の課税対象となる法人の所得とは、もとより当該法人に帰属する所得をいうものであるが、その所得の法律形式上の帰属者が単なる名義人に過ぎず、他に実質的享受者が存在する場合においては、担税力と税負担の公平の観点から、所得の形式的な帰属者ではなくて、その実質的な帰属者に租税負担の義務を負わせるのが相当であって、私法上の法律効果とは別個に、事実上発生存続している経済的効果に対し課税することは、税法上における実質課税の原則に照し許容されるものというべきである。原判決文によると、原判決は、上記の見地に立ち、被告人豊田及び水井久蔵が門真残土地を含む原判示門真二番の土地を取得した事情、原判示会社設立の経緯、同会社営業の実態、会社帳簿の記載、税務処理の内容等につき詳細な事実を認定したうえ、門真残土地を含む原判示門真二番の土地は、原判示会社設立と同時に被告人豊田及び水井久蔵から同会社に引きつがれたものであると認定し、原判示会社設立に際し、その代表者であった水井久蔵らから同会社に対し、売買、現物出資又は財産引受等の法律的手続を経ていなくても、右土地が法人の公表帳簿に登載され、貸借対照表に資産として継続的に計上され、固定資産税なども法人の損金として処理されている本件にあっては、その名義いかんにかかわらず、実質的には法人の所有財産と認定するのが相当であるとして、門真残土地の譲渡益を原判示会社に帰属するものと判断していることが明らかであって、原判決には所論の理由不備の違法はない。論旨は理由がない。

(二)  理由そごの主張について

論旨は、要するに、一方において、原判示会社の性格を「豊田・水井の個人会社」と判示しながら、他方において、原判示会社の実在そのものを認め、原判示門真残土地の譲渡益を同会社の所得と認定した原判決には、理由そごの違法がある、というのである。

しかしながら、原判決が、原判示会社について、「会社名義の取引、預金口座、会社帳簿及び税務申告の存在などの活動状況からみて、税法上は会社の実在性が認められる。」としていることは、原判決文に徴し明らかである。原判示会社を「被告人豊田と水井久蔵との二人の個人的な会社」であったという原判示部分は、原判示会社の企業運営の実態が個人企業的であったというに過ぎないと解すべきであって、原判示会社が個人企業的であることから、ただちに、原判示会社の取引の主体性が否定され、右取引に伴う収益の帰属ひいては納税義務の帰属するところが個人であるということにはならないから、原判決にはなんらの矛盾はない。論旨は理由がない。

(三)  事実誤認の主張について

(1)  論旨は、まず、原判示第二の事実について、原判示門真残土地は、被告人豊田と水井久蔵とが個人として所有していたものであって、その譲渡益は個人に帰属するものであるのに、これを原判示会社の所有であったとし、その譲渡益を原判示会社の所得と認定した原判決には、事実誤認がある、というのである。

そこで、案ずるに、原判決挙示の関係証拠によると、門真残土地の譲渡益を原判示会社の所得と認定した原判決の判断は相当であって、原判決には所論の事実誤認があるものとは認められない。

すなわち、これらの証拠によると、たしかに、門真残土地は、原判示会社の設立前に、被告人豊田と水井久蔵とが、水井の二女水井喜美枝の名義で買い受けて手付を打ち、喜美枝と被告人豊田の叔母豊田勝枝の名義にわけて農地法五条による農地転用の許可を受けていたものであって(ただし、中元奈良太郎から買い受けた土地についてのみ原判示会社設立の翌日に許可を受けている。)、門真残土地を含む原判示門真二番の土地等の分譲を目的として原判示会社が設立された昭和三五年三月三〇日以後においても、その所有権を同会社に移転する法律形式はとられておらず、喜美枝と勝枝の名義で所有権移転登記がなされていたに過ぎなかったこと、その後、昭和三八年一二月二一日付で、喜美枝名義になっていた門真市二番七八の一及び七二の二の土地(売買契約面上の仮測坪数一〇七一坪七八)及び勝枝名義になっていた同所七三の一の土地(前同仮測坪数一九九坪二五)を、右両名の名義で、代金合計六三五五万一五〇〇円で日本電信電話公社に売却し、また、喜美枝名義になっていた同所六八の一の土地(売買契約面上の坪数五〇坪九八)を、同女の名義で、代金二九〇万四七二〇円で大阪府開発協会に売却したこと、右売却による各土地代金は、被告人豊田と水井久蔵の両名において折半して取得したが、土地売却による所得税の申告と納税は、そのころ、喜美枝と勝枝の名義で、それぞれの所轄税務署に対ししたこと、なお、その際、右両名が各自の所有名義の土地を原判示会社から坪当り二万五〇〇〇円で買い受けた旨の売買契約を仮装し、右買受代金と前記電電公社及び開発協会への売却代金との差額を売買による利益として計上し、所得金額算定の基礎としていること、以上の事実が認められ、これらによると、門真残土地の前記売買は、法律形式上は、喜美枝と勝枝の両名が個人としてしたものであることは所論のとおりである。

しかしながら、前記証拠によると、門真残土地は、当時内縁関係にあった被告人豊田と水井久蔵とが、分譲をして利益を得る目的で、農家十数軒から買い受けた原判示門真町(のちに市制がひかれた)二番所在の農地(泥田)五六〇〇坪ないし五七〇〇坪の一部であったこと、被告人豊田と水井久蔵の両名は、右門真二番の土地を買い受けた当初においては、その分譲を個人の事業として行うつもりであったが、当時、被告人豊田は煙草商などの、水井久蔵は米穀小売商の各個人事業を営んでいたため、これらとの合算所得を避けた方が税金対策上有利であるとの考えから、両名が相談をした結果、前記土地の分譲を個人の事業とは別に会社組織で行うこととし、昭和三五年三月三〇日に資本金三〇〇万円で、土地・建物の分譲等を目的とする原判示三和土地住宅株式会社を設立し、その代表取締役に水井久蔵が、監査役に被告人豊田が就任したこと、右会社は、株式会社であるとはいえ、株券の発行、株主総会の開催などもせず、会社本店を被告人豊田の住居地であった煙草屋におき、同被告人が会計、金銭出納の事務を、水井久蔵が宅地造成や造成地の売却交渉等の事務を各担当したほかには従業員もなく、その経営の実態は個人企業的ではあったが、会社名義の預金口座を開設し、宅地造成、土地売買等に会社名義を使用するなど、対外的には経済活動と目すべき行為を行っていたこと、同会社の公表帳簿等の記帳と税務申告の事務は、被告人森においてこれを行っていたが、同被告人は、月一回くらいの割合で被告人豊田方を訪れ、同被告人から土地売上げ金額、一部の所用経費などの報告を受け、これを控えて帰って自宅で伝票、公表帳簿等を作成し、年一回の法人税申告を行うなどの事務を担当し、その手当として月額五〇〇〇円を受けていたこと、ところで、前記門真二番の土地は、前記のとおり、原判示会社設立前に、すでに、喜美枝の名義で買い受けて手付が打たれており、うち約四二〇〇坪の土地については、三回にわけて、喜美枝又は勝枝の名義で、農地法五条による農地転用の許可申請がなされていたが、会社設立後において、残余の土地につき二回にわけて会社名義で農地転用の許可申請をし、喜美枝又は勝枝の名義で許可を得た土地については同人らの、会社名義で許可を得た土地については同会社の各名義で、それぞれ土地所有権移転登記を行い、その後、喜美枝又は勝枝の土地所有名義を会社に移転する法律形式はとられていないこと、このように、門真二番の土地の登記簿上の所有名義は、上記の三者が入り乱れることになったが右土地は全体として一つの大きな区画を形成していたうえ、宅地造成にあたっては、所有名義にこだわらずに分筆・合筆がくり返されるなど、その全部が一体のものとして取り扱われていたこと、一方、原判示会社の公表帳簿等の作成と税務申告の事務を依頼されていた被告人森において、会社設立の前記経緯にかんがみ、門真二番の土地全部を、その所有名義にかかわらず、会社の資産として会社帳簿に登載し、貸借対照表の資産の部にこれを継続的に計上し、被告人豊田と水井久蔵とが出捐した土地買受代金等は借入金として処理していたこと、また、右土地全部について必要とした宅地造成費用は、原判示会社名義でした銀行からの借入金等で支弁し、固定資産税等の公租、公課、その他の経費についても、所有名義でこれを分別することなく、その全部を原判示会社の損金として処理していたこと、更に、門真残土地を除く門真二番の土地の分譲にあたっても、兼丸富子らに対しては、喜美枝、勝枝の個人名義で合計約一〇〇〇坪を売却しているが、その余の土地については、その所有名義のいかんにかかわらず、原判示会社名義でこれを売却しており、なお、これら分譲に際し用いたと推認できる「門真町二番区画図」には、門真二番の土地全部が原判示会社の所有地として表示されていること、このように、同じく個人所有名義の土地でありながら、一方に対しては個人の名義で、他方に対しては会社の名義で売却したことにつき、これを区別すべき実質的な根拠はなく、かえって、前記兼丸らに対する個人名義での土地売却による所得については、会社の所得として計算され、個人としての所得税の申告はなされていないこと、門真残土地は、門真二番の土地のうち最後まで売らずに残されていた部分であるが、その取得、宅地造成、売却の経緯等にかんがみても、その実質的な所有権の帰属について、他の部分と区別すべき特段の理由は見出しがたく、門真残土地の売却が個人名義でなされたのは、たまたま登記簿上の所有名義が喜美枝、勝枝という個人であったことのほかに、個人として売却すれば、租税特別措置法が適用され、所得税につき優遇措置を受けることができるということのためであったこと、以上の事実が認められるのである。

そして、これらの事実、ことに原判示会社設立の経緯、会社の公表帳簿の記載、経理処理の内容などからすると、門真残土地は、会社設立前に個人として買受契約が締結されたものであり、会社設立後会社帳簿に資産として記載された後においても、個人所有名義にされていて、会社にその所有権を帰属させるための私法上の法律行為はなされていないが、門真残土地を含む門真二番の土地全部について、原判示会社設立時に、実質的には財産引受がなされていたとみることができるのであって、前記一の(一)において説示した税法上の実質課税の原則に照らして考えてみると、私法上の法律効果とは別個に、税法上は、これらの土地所有権は原判示会社に帰属していたものとみるのが相当である。

所論は、日本電信電話公社及び大阪府開発協会係員ら門真残土地の買収に関与した者の認識内容、売買交渉の経過、代金支払の態様等からすると、右土地の売却が個人の取引行為として行われたことは明らかである、と主張している。

たしかに、門真残土地の買収にあたった前記電電公社職員須賀三男及び藤田芳宣、前記開発協会職員生駒敬治らは、いずれも原審公判廷において、門真残土地が原判示会社の所有地であるとは聞いておらず、個人の所有地であると思っていた旨の証言をしていること、右土地は水井喜美枝、豊田勝枝の両名の個人名義で売却されており、売買代金は、右両名の委任状によって水井久蔵がこれを受領していることは所論のとおりである。しかし、電電公社の依頼を受けて門真残土地の買収を媒介した、三井信託銀行株式会社大阪支店嘱託卯木博文の原審証言、押収してある売買関係資料によると、右媒介に関与した同人及び同社職員下出貞雄の両名において、門真残土地の実際上の所有者は原判示会社である旨の認識を有していたことが認められるのであって、買主側関係者の全ての者が個人所有地であると認識していたものとは認めがたい。所論は、右売買関係資料中「業務日誌」の記載は信用性に乏しいと主張しているが、前記卯木の原審証言によれば、優にその信用性は肯認できる。のみならず、税法上課税の対象となる所得の帰属者が誰れであるかは、私法上の法律効果とは別個に、それに基づく経済効果が実質的に誰れに帰属するかの観点から決定されるべきものであることは前記のとおりである。したがって、個人との取引であると信じていた事情が買主側にあったとしても、売主側の内部の事情によって、その取引による利益が法人所得と認定される場合は十分にあり得るというべきである。本件の門真残土地については、法律形式上は個人名義で売却されてはいるが、税法上その譲渡益は原判示会社に帰属したと認定すべきことは右に説示したとおりであって、前記須賀ら買主側関係者の所論指摘の認識内容等を参酌しても、右認定を覆すに足るものとは思われず、所論は採用することができない。

所論は、次に、門真残土地を電電公社に売却するに際し、その売買契約書中に、「甲(電電公社)は乙(喜美枝又は勝枝)の租税特別措置法の適用を受けさせるために必要な証明書を発行する。」との文言を追加記入したのは、同法律による優遇措置を受けうることを前提にして売買代金を特に低額に決めたためであって、個人としての取引であることを証明する趣旨のものではないのに、右文言の追加記入の事実をもって、売却にかかる土地が、実際上は同法律の適用を受けえない会社の所有であったのを、その適用を受けうる個人の所有であると仮装するため、その認証をあえて同公社に求めようとした旨推測した原判決には事実認定上の誤りがある、と主張している。

たしかに、関係証拠によると、本件売買契約締結当時の法制によれば、門真残土地を原判示会社の保有資産として電電公社に売却した場合には、租税特別措置法の適用を受けることができないが、これを個人の保有資産として売却すれば、同法律三一条、三三条の課税の特例に関する規定の適用が受けられる場合があり、その場合には、不動産の譲渡所得が通常の場合の四分の一の低率になること、そこで、本件売買の交渉に際しても、同法律の適用の有無が問題となり、近畿電気通信局長から大阪国税局長にあて、照会文書が発送されているが、右文書によると、照会事項は、電電公社が買収を予定していた門真残土地が、当時の租税特別措置法施行規則一四条六項三号イに規定する「日本電信電話公社が設置する公衆電気通信施設で既成市街地内のもの」の「既成市街地」に該当するかどうかという点にあったこと、右照会に対する大阪国税局の見解は、「既成市街地に該当するものとして租税特別措置法三一条、三三条の規定の適用が受けられる。」というものであって、その旨の回答は、本件契約締結の日の前日である昭和三八年一二月二〇日に電話によって、また、翌三九年一月八日付の文書によって、近畿電気通信局にあてなされていること、上記契約に基づき電電公社が発行する証明書は、租税特別措置法三一条、三三条所定の課税の特例に関する規定の適用を受けるため、確定申告書に添付することが必要とされている書面であって、その内容は、電電公社が買収した本件門真残土地が、前記施行規則の規定に該当し、それに関する事業に必要なものとして収用することができる資産であることを証明するものであること、以上の事実が認められる。そして、右認定の事実によると、本件売買契約書に前記文言が追加記入された趣旨は、租税特別措置法の適用の有無につき、前記の点につき疑義があったため、同法律が適用されることを明確にする意味で、電電公社において右のような内容の証明書の発行を約諾したに過ぎないものであって、門真残土地が個人の保有資産であることをまで証明する趣旨のものではないと認めるべきである。前記の文言追加記入の事実をもって、本件売買が個人の取引であることを電電公社が認め、これを証明するという趣旨であったとした原判決の事実認定は、この限りにおいて誤っているが、右誤りは判決に影響しないものというべきである。

所論は、更に、門真残土地の売却による所得について、水井喜美枝、豊田勝枝の各個人名義で所得税の申告をした際、同人らが原判示会社から右土地を買い受けた旨仮装し、その取得価格と電電公社、開発協会への売却価格との差額を売却利益の計算の基礎としたことは、被告人森がしたことであって、被告人豊田は右事実を全く知らなかったから、右事実は、被告人豊田につき原判示事実を認定する根拠とはなしえない、と主張している。

しかし、被告人森の原審供述によると、被告人豊田が右事実を知っていたことは優に肯認することができる。同被告人は原審公判廷において、前記のような売買契約を仮装して所得税額算出の基礎にしたことは知らなかった旨供述しているが、右供述は、被告人森の原審供述と対比し措信することができない。所論は採用することができない。

なお、所論は、電電公社に対する門真残土地の売買契約は、租税特別措置法の適用が受けられることを前提にして、売買代金をとくに低額にしたものであるところ、原判決が認定するように同法律の適用が受けられないことになると、右売買は要素の錯誤を理由に無効となるから、原判示第二の所得金額中、右土地の売上金は控除されるべきである。と主張している。

しかしながら、法人税の課税標準は、各事業年度の所得の金額であり、各事業年度の所得の金額は、当該事業年度の益金の額から当該事業年度の損金の額を控除した金額であるところ、門真残土地を電電公社に売却したことによる所得は、原判示会社の原判示第二の事業年度中に発生しており、同事業年度中に無効・取消等による原状回復のなされた事実のないことは明らかであるから、仮りに所論の事情があったとしても、原判示第二の所得金額の確定になんら影響はないものというべきである。所論は採用することができない。

(2)  論旨は、次に、原判示第一及び第二の事実について、被告人豊田には法人税を免れる意思がなかったのに、これがあるとした原判決は事実を誤認している、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係証拠によると、原判示第一及び第二の事実について、被告人豊田に法人税を免れる意思のあったことは優に肯認することができる。

所論は、被告人豊田と被告人森との間において、土地売却価格についてこれをいわゆる圧縮をして過少に申告する旨の合意はあったが、その範囲を超えて所得額を零として申告する旨の合意はなかったから、所得額を零として申告した原判示各所為につき、被告人豊田には法人税を免れる意思はなかったと認めるべきである、と主張している。

しかしながら、法人税ほ脱犯の犯意としては、不正計理によって実際所得よりも過少な申告所得を算出して法人税をほ脱しているとの概括的な認識があれば足りると解すべきところ、関係証拠によると、被告人豊田と水井久蔵とは、原判示会社の法人税の申告に関し、右申告事務を担当していた被告人森に対し、会社の事業終了時にはいずれ税金を払うにしても、しばらくは税金のかからないようにしてほしい旨を依頼し、同被告人においてこれを了承したこと、そして、原判示第一の事業年度に関しては、所有土地の売却によりかなりの利益が見込まれたのに、上記の依頼の趣旨に則り同被告人において、架空経費の計上、売上金額の圧縮・除外などの帳簿操作をして、原判示第一の事実記載のとおり、赤字である旨過少申告したことが認められるのであって、原判示第一の事実については、所論のいわゆる零申告をする旨の合意があったものということができるのである。また、原判示第二の事業年度については、前記門真残土地の売上金を除外したほか、売上金の圧縮、架空経費の計上等の不正の手段により、赤字である旨過少申告をしているところ、被告人豊田において、門真残土地の譲渡益が本来原判示会社に帰属すべきものであることの認識を有したことは、前記(1)に認定判示した事実よりして優に推認しうるところであり、同被告人において、門真残土地の売上金を除外し、また、その余の土地売上金額を圧縮することの認識を有したことは明らかである。のみならず、原判示第二の事業年度中に、所有土地のすべてを売り尽くしたため、昭和三八年九月一六日に水井久蔵が、同年一二月二〇日に被告人豊田が、それぞれ登記簿上原判示会社役員を辞任し、事業終了後の会社の税務処理等を被告人森に一任しているところ、原判示第二の法人税申告前の昭和三九年五月ころ、被告人豊田、同森、水井久蔵の間において、原判示会社の利益が後日税務署に発覚した場合に備え、すでに死亡していた被告人森の知人黒川常松を原判示会社の実質上の出資者に仕立て上げ、被告人豊田と水井久蔵とは、ただ単に名義を貸しただけということにして、両名に脱税の責任が及ばないようにしようとの相談がなされたこと、そして、その証拠として、右に沿う昭和三四年八月一〇日付の会社設立に関する約定書を作成したことが認められ、この事実と、前記被告人豊田の認識内容、従前の税務申告の内容等にかんがみると、被告人豊田において、同事業年度の所得金額につき、実際所得が申告されるものと考えていたとは到底認められず、前記売上除外、売上金の圧縮のほか、更に不正計理によって虚偽過少の申告がなされることを認識・認容していたことは明らかであって、原判示第二の事実についても、法人税ほ脱の犯意は優に肯認しうるところである。所論は採用することができない。

所論は、次に、被告人豊田と水井久蔵とは、原判示第二の事業年度の法人税にあてるため、現金合計九二〇万円を被告人森に交付しているから、法人税ほ脱の犯意はなかったものと認めるべきである、と主張している。

たしかに、関係証拠によると、被告人豊田と水井久蔵とは、被告人森に対し、(イ)昭和三九年二月二六日ころに二二〇万円、(ロ)同年三月三〇日ころに三〇〇万円、(ハ)同年一一月七日ころに三〇〇万円、(ニ)翌四〇年五月ころに一〇〇万円を交付していることが認められる。しかしながら、右金員のうち、原判示第二の法人税確定申告前に交付されたのは、(イ)及び(ロ)の五二〇万円であるところ、右確定申告書は昭和三九年六月一日に提出されており、右金員交付の時期にはいまだ法人税額が算出されていなかったこと等にかんがみると、法人税納付のために右金員が交付されたという所論はにわかに採用しがたいところである。関係証拠によると、右金員は、被告人豊田と水井久蔵とが役員を辞任した後の原判示会社の税務処理等その後始末について、被告人森がその責任を一切もつことの報酬等として交付されたと認められ、法人税の支払にあてる趣旨が一部含まれていないわけではないが、同被告人において同事業年度の法人税の申告にあたり、虚偽過少の申告をする旨の認識・認容が被告人豊田にあったことは、前記認定のとおりであるから、右金員交付の事実は、同被告人につき法人税ほ脱の犯意を否定するに足る事情とはなりえないものと考える。所論は採用することができない。

(3)  その他、所論にかんがみ更に検討しても、原判決には所論の事実誤認はなく、この論旨は理由がない。

(四)  量刑不当の主張について

所論にかんがみ記録を精査して案ずるに、本件は、原判示会社の監査役として、同社の代表取締役であった水井久蔵と共に同社の事業を統括運営していた被告人豊田が、右水井及び同社の公表帳簿の記帳、税務処理事務に従事していた被告人森と共謀のうえ、右会社の業務に関し法人税を免れようと企て、売上金の圧縮除外、架空経費の計上等の不正手段により、二事業年度にわたり、法人税合計三七四七万四九一〇円を免れた事案であって、不正手段の内容、免れた法人税の額など諸般の情状に徴すると、被告人豊田を懲役一年及び罰金四〇〇万円に処し、懲役刑につき三年間その執行を猶予した原判決の量刑が重過ぎるものとは考えられない。論旨は理由がない。

二、被告人森の弁護人の控訴趣意について

論旨は、量刑不当を主張するものである。そこで、所論にかんがみ記録を精査し、かつ、当審における事実取調の結果をも参酌して案ずるに、本件は、水井久蔵及び被告人豊田の依頼を受け、原判示会社の公表帳簿の記帳、税務処理事務を担当していた被告人森が、右両名と共謀のうえ、前記のとおり、法人税合計三七四七万四九一〇円を免れた事案であって、被告人豊田らの依頼の趣旨に応じたとはいえ、売買契約を仮装し、或いは内容虚偽の文書を作成するなどまでして、多額の法人税を免れさせたうえ、その追及を逃れるための手段をも講じているなど、その刑責は重いというべきであり、原判示会社の税務処理等その後始末に関連して、前記のとおり多額の金員を取得していることなどの事情をも併せ徴すると、所論指摘の事実のうち被告人森に有利に斟酌すべき点を考慮しても、同被告人を懲役六月及び罰金五〇万円に処し、懲役刑につき三年間その執行を猶予した原判決の量刑は重過ぎるものとは考えられない。なお、換刑処分の金額につき、被告人森に対し金五〇〇〇円を一日に換算した点を、金一万円を一日に換算した被告人豊田に対する量刑と対比し不当という所論については、右両名に対する罰金額の差にかんがみると、換算金額を異にした原審の裁量に誤りがあるとまでは認めがたく、所論は採用できない。

以上の理由により、刑事訴訟法三九六条に則って本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石松竹雄 裁判官 岡次郎 裁判官 高橋金次郎)

○控訴趣意書

一、法人税法違反

被告人 豊田志津子

右頭書被告事件につき弁護人は左のとおり控訴の趣意を述べる。

昭和五五年五月二一日

右被告人弁護人弁護士 西枝攻

同 弁護士 須田政勝

同 弁護士 東中光雄

大阪高等裁判所

御中

第一、はじめに

一、原審判決は、ようするところ、いわゆる門真残土地(以下単に本件土地という)については、本件土地は当初は水井久蔵、被告豊田志津子の所有であったが、本件土地売却時点は会社所有となっており、本件売却行為は会社の行為であるとしている。

右の事実を前提に、門真残土地売却に因って得た利益は会社の所得であり、さらに右事実を前提に被告人豊田には本件土地売却によって生ずる譲渡所得に対する課税を免れる意思があるとしている。

さらに、罪となるべき事実、第一、第二いずれについても、被告人豊田と被告人森との間に法人税ほ脱の合意が存すると認定し、被告人豊田について、公訴事実をすべて容認し、有罪となしている。

しかし原審判決は「事実を誤認」し、さらに「理由に不備があり」「理由にくいちがい」のある違法なものである。以下述べるとおりである。

第二、本件土地の所有関係について

一、原判決は本件土地の取得につき次のように認定している。

「被告人豊田は、当時内縁関係にあった水井久蔵と共に、昭和三四年九月ころから土地を買受けこれを分譲して利益を得ようと考えていたものであるが、同年一一月一四日ころから同年一二月一九日ころにかけて、大阪府北河内郡門真町二番の農地(泥田)農家一〇数軒から、水井の二女水井喜美枝(以下単に喜美枝という。)名義で買受け手付を打ち、その後農地法第五条による許可申請の都合上、右土地を五回に分けて順次五条申請をなし、三和土地住宅株式会社(後日商号を新大阪不動産株式会社と変更、以下単に会社という。)設立直後の昭和三五年三月三一日までに許可になった三回分を順次喜美枝、被告人豊田の叔母である豊田勝枝(以下単に勝枝という。)そしてまた喜美枝の各名義で移転登記をなし、」としさらに、「会社設立後、門真二番土地買入れ残代金の支払い及び昭和三五年五、六月ころから同年一二月ころにかけて行なわれた右土地の宅地造成工事費などは、いずれも水井と被告人豊田がその持ち金から出損したり、あるいは会社名義で銀行から借入してまかなわれたが、前記のとおり、この金銭の出納は全部被告人豊田が担当しており、」

と判示し、まさしく本件土地が被告人豊田および水井の共有とし、本件土地取得行為が会社の営業準備行為のごとき、会社の取引となるべきものとは認定していないのである。

しかるに、本件土地が何時会社所有となったかについては、「会社設立と同時に門真二番の土地は水井・被告人豊田から会社に引きつがれたものと認められ」と判示しその理由として、

「(1) 本件会社が、まさに、水井・被告人豊田によってすでに買受けのため手付を打たれていた門真二番の土地を(宅地造成して)売却するために作られたものであること

(2) そして、右会社は、税金対策のために設立されたもので、たとえ株券の発行もなく、従業員もなく、その点では水井と被告人豊田の二人の個人的な会社であったとは言え、会社名義の取引、預金口座、会社帳簿および税務申告の存在などの活動状況からみて、税法上は右会社の実在性が認められること

(3) 会社設立以来、門真二番の残土地も他の門真二番の土地と不可分に会社のものとして取扱われてきており(符一七号青写真)、そして右門真二番の土地はすべて会社の公表帳簿の作成を委任されていた被告人森によって、会社の資産として右会社の帳簿に登載されていたこと」

をあげている。

原判決も認めるとおり、本件会社は「いわば水井・豊田二人の個人的会社」であり、本件土地を含む門真二番の土地も「所有名義の差異特にそれが会社のものか個人のものかをきめる基準となることは認められた」とし、

原判決はそもそも本件会社が形式上は帳簿を有していたとしてその実質は水井・豊田個人と同視すべきと判示しているにかかわらず、会社設立と同時に、本件土地が会社所有となったと認定している。

しかし、原判決も認めるとおり、被告人豊田・水井と会社との間に、本件土地を売却するとか、現物出資する等の法律行為がないにかかわらず、単に会社帳簿に記載されたことのみを理由に、会社設立と同時に会社所有となったと認定するのは、判決に「理由を附さない」違法が存するものである。

さらに、原判決は、その理由の中で、本件会社の性格は、一方で、「豊田・水井の個人会社」と判示しながら、本件土地の所有権の帰属に関しては、会社帳簿・現金出納等の存在よりして、会社の実在そのものを認めている。

仮に、会社の実在そのものを認めるのであれば、豊田・水井と会社との間で本件土地の譲渡についての法律行為が存せなければならず、実在がないと認定するのであれば、本件土地の所有権は豊田・水井に帰属すると認定しなければならない。かかる意味において、原判決は、「理由にくいちがい」のある違法なものということになる。

第三、本件土地の売却行為について

一、原判決は、本件土地の会社帰属については特に法律行為がなくてもよいと認定しながら、

「こうして、会社所有となった門真二番の残土地を、その後において、会社から水井、被告人豊田ら個人に移転されたことがない以上、右土地は、会社の土地であり、実質的に依然会社代表者であった水井が電電公社等に対して喜美枝、勝枝名義でなしたその売却行為は会社の取引であるといわざるを得ない。」

とし、被告人豊田・水井がなした本件土地の取引は会社の取引と認定し、さらに右土地売却によって生ずる法人の所得に対する課税を免れる意思について、

「法人税ほ脱の犯意が認められるためには、昭和三八年一二月二一日本件契約当時、被告人豊田において、電々公社に売却する門真二番の残土地が実質的に会社の所有であるとの認識があり、これを個人のものとして売却し、本件法人税申告に際し、この譲渡益を法人たる会社の所得から除外することの認識認容があれば足りる。」

とし、さらに

「門真二番の残土地について、これが会社の所有であったとの認識が被告人豊田にあったことは、これが会社の所有であると認定した前記1の各事情を、その立場上、被告人豊田においても十分知悉していたと思われることの外に、

(1) これが、個人の取引であることを電々公社が認め、これを証明するという趣旨で電々公社との売買契約書に「甲(電々公社)は乙(喜美枝または勝枝)の租税別措置法の適用を受けさせるために必要な証明書を発行する。」との第七条二項の文言を殊更に追加記入したこと(符一五、一六号など)は、水井、被告人豊田らにおいて、本件土地が会社の所有であるのに個人の取引であるとのいわば認証をあえて電々公社に求めんとしたものと推測されること」

(2) 三井信託銀行大阪支店長作成の業務日誌(符二二号、二九号)の昭和三八年一〇月一一日欄に、本件土地が「税務対策上水井の姉(これは正しくないが)と娘に各々名義借りをしている由」であるが、会社の土地である旨記載されており、これは右第三者でさえも、本件取引当時、門真二番の残土地が会社の土地であると認識していることを窺わせ、会社会計の実権を握っていた被告人豊田がそれを知らない筈はなかったと思われること

(3) 被告人豊田は、売値に不満がありながらも、個人名義なら租税特別措置法の適用を受けて税金が安くなるから会社で売るより得だと説得されてこれに応じたこと

などからも推認されるところである。」

と判示した上、被告人豊田における犯意を認定している。

二、しかし、本件土地の売却は、個人の取引であり会社の取引ではなく、右の事実認定は事実誤認の違法が存する。

(一) 本件土地は昭和三八年一二月二一日買主を大阪府開発協会、日本電信電話公社として売買契約が締結され、契約上売主は水井喜美枝、豊田勝枝であり所有権移転登記が契約上の各売主から各買主におこなわれ、代金の授受、物件の引渡が終了していることは証拠上明白である。しかるに判示は、門真電信局用地関係綴の中に、本件土地の所有者が会社である旨の記載があること、租税特別措置法の適用の有無に被告人らが拘泥したのは本件土地の所有者が会社であったからであること、個人名義の納税申告の計算の基礎には本件土地を会社から個人が買受けた額と電々公社等への売却代金の差額が求められていることの三点を挙げ、本件土地が会社の取引である旨を論述し被告人豊田の故意を認めている。しかしいずれの理由も我田引水の域を出ず到底容れられるものではない。以下、判示の理由に対する批判、さらに積極的に個人の取引であったと認めるべき理由を明らかにする。

(一) 判示のいう門真電信局用地関係綴中の本件土地所有者についての記載というのは、三井信託銀行株式会社大阪支店土井正三郎作成の業務日誌中に「本件土地の名義人は上記二名になっているが、実際の所有者は三和住宅(代表者水井久蔵)で税務対策上、水井久蔵の姉と娘に各々名義借りをしている由である」と記載されていることを指摘しているものと考えられる。しかし、判示が右の記載をその判断の根拠とすることは軽卒にすぎるであろう。仮りに、判示のごとくであるなら、右業務日誌に記載されているごときところを告知されている電々公社が本件土地の所有者が会社であることについて悪意であると判断するに均しい。電々公社は本件土地が会社所有地であり、したがって租税特別措置法の適用が受けられない取引であることを知悉しながら、売主たる水井、豊田が一租税特別措置法の適用を受けるための必要な証明書を発行する」旨の特約をなして両名に特別措置を受けさせたとでも理由附するのであろうか。もしそうであるならば電々公社は脱税犯則の共犯者にならざるを得まい。判決理由は、ナンセンスというほかあるまい。そもそも、判示は右の業務日誌が取引終了後仲介料の請求のために一括して記載されたものであり、交渉の進捗状況をその都度記載されたものではないこと、交渉継続中に嘱託者に報告する書面ではないこと、したがって参考程度にしか扱われないもので信用性の低いものであることを無視している。そしてこれも不思議なことに取引終了の翌年である昭和三九年四月二〇日以降に作成され、電々公社交渉担当者の転勤後に電々公社に届けられたというのである(証人藤田芳宣の公判廷における供述)。もっと生々とした証拠によれば電々公社等は本件土地が会社所有であるとは夢にも考えていなかったことが明らかに看取される。本件土地買収交渉の中心的な立場にあった証人須賀三男は、三井信託から前記業務日誌記載のような内容の報告は「聞いておりません」と明快に断言している。否むしろ売主は数回直接交渉もした水井、豊田(水井喜美枝も含めて)三人の個人であることを確信し、会社のものかとの疑惑をもったことも「全然ございません」と述べている(証人須賀三男の公判廷における供述)。なお右の須賀証人は会社所有のものであれば特別措置法の適用のないこと、電々公社は会社所有土地を個人所有土地と偽っていることを知っていれば契約することは許されない旨の認識も当然ながら持っている。判決理由がナンセンスであるという所以である。右の事情は大阪府開発協会についても同様である。同協会用地係であった証人生駒敬治の供述からは本件土地が会社所有のものであるかとの疑問は毛ほども感じられない。同証人は登記簿上の所有者をその記載された住所に訪ね首尾よく本件土地の売買を成立させている。

このようにみればいずれの買主も本件土地の所有者が会社であったなどとは全く考えていなかったことが明らかである。これらの証人の供述はまた売買の交渉は現実に水井、豊田と買主側交渉者の間でおこなわれ、価格の決定についても被告人豊田が売主としてふさわしく行動していたこと、森なる者は交渉から決定、代金の支払過程に至るまで全く登場していないことも明らかである。具体的な売買の買主側の認識、交渉、代金の支払の各態様をみても本件土地の取引は水井、豊田の個人の取引行為としておこなわれたことが優に認められる。

(二) 判示は、被告人らが本件土地の電々公社等への売却について特別措置法の適用があるか否かについて拘泥するのは、会社所有地を個人名義のままで売却する場合だからそれを問題にしたので、かえってそれを問題にすることこそが被告人らが本件土地を会社の土地と扱っていることを示すものにほかならないと判断している。その判示は趣旨が明らかでなく、不可解である。おそらく上記のごとくまとめることができるであろう。それにしても被告人らが特別措置法の適用の有無について強い関心をもち、態態契約条項に、その旨証明書を発行することを求めたことがどうして本件土地を会社所有土地と扱っていたことを示すのか、未だもって不可解な論である。判示も当然としているように、本件土地は坪当り金八万円で一般に売却できたのである。それを坪当り金五万円で電々公社に売却しているのである。不動産譲渡所得が通常の場合の四分の一の低率になるか否か、換言すれば、特別措置法の適用が可能かどうか、商売人として重大な関心をもつのは至極当然である。坪五万円なら売らないと言って本気で相手を怒らせた豊田が坪五万円で売却したのは何故か。証人須賀は次のように供述している。電々公社に売却すると租税特別措置で税額は通常の場合の四分の一に低減されることを肯定した後、問「だから時価よりちよっと安いように見えても結局税金の面なんか考えたら、これの方が得ですよという話をあなたされましたでしよう。」答「はあ、或いはそういうことをしているかと思います。」問「そういう話されてますね。」答「はい。」問「それで五万円そこそこで安いからヤメだと言っていた人が、それでは売ろうと、最終的にはこういうことになったと、こういうわけですね。」答「はあ、あるかもしれませんですね」。つまり価格の決定と特別措置法の適用は不可分の関係にあったのである。水井、豊田らが特別措置法の適用に重大な関心をもち、その旨の証明書発行について特約条項を求めたとしても何ら奇異なことであるまい。まして水井、豊田両名は不動産取引の経験も浅く、特別措置法の適用という例は初めてのケースである。その行動は極めて自然なものといえよう。なお右の須賀証人の供述に明らかなように、租税特別措置法の適用については被告人らからそれを狙って求めていったものではない。むしろ公社側交渉員から優遇制度の説明を受けその適用を受けたのである。ここにも、判決の根底にはなにかの誤解があると思われる。被告人の公判廷における供述にもあるように、元来本件土地は水井、豊田両名で現物分割して各自の単独所有地にした上、被告人豊田はマンションを建設する予定をもっていたのである。公社の売却への説得および坪五万円という廉価での売却についての説得は電々公社の側から展開されたのである。検察官の主張はいよいよ真実から遠ざかるであろう。

(三) 最後に、判決は個人の所得申告の基礎が会社から水井、豊田が本件土地を取得した額と、電々公社等への売価との差額にあることを根拠に、本件土地が会社所有であり、租税特別措置を受けるためになしたもので当時の被告人らの意思を窺わせるものだと判示している。果たしてそういえるか。

1. 判決も、本件土地を会社から被告人らが買受けたことはなく、森作成の昭和三八年五月一〇日付の売買契約書二通は虚偽の文書であると判断している。弁護人も右契約書二通が虚偽の内容であり、正当な使用目的のない、しかも作成年月日を二年も遡ぼらせた偽造文書であることは、原審弁論において詳述したところである。したがって理由は異なるが判示も弁護人とともに昭和三八年五月一〇日付売買なるものは存在しないと認められると考えている。したがって本件土地の電々公社等への売却益の計算の根拠は現実に売買した価額は存在しないのだから森が適当に設定した額と売却価格との差額であるとしかいいようのないものである。注目されるべきは、森は右の会社から水井・豊田への売買契約を約二年後に偽造しているのであって、少なくとも昭和三八年五月当時に被告人はそのことを知る由もないことである。被告人豊田らは税額を計算したり、それを経理することが不可能であったから、森にそれらを委任していたのである。したがって被告人らが個人として納税するに際して、森が適当に設定した取得価格を基礎に譲渡所得が算出されていることも、ましてや会社から買入れそれを電々公社等に売却して特別措置法の適用を受けるのだという複雑なトリックについて、それこそ被告人の理解を超え、知り得るところではなかったのである。故に特別措置法の適用を受けるために会社からの取得価格を設定したということは水井、豊田についての行為事情とはいえない。

2. 水井、豊田の本件土地の電々公社等への売却利益の計算の基礎は、その前主である水橋、奥田、中元等からの取得価格に造成費用その他諸経費を加算して決定されるべきであった。そして算定された取得価額と、電々公社等への売却価格との差額について譲渡所得の申告をなすべきであった。おそらく森は右の要素を勘案し、且つ税務署から疑いをはさまれない程度の価格を適当に設けて税額を算定したものであろう。森の算定した坪当り金二五、〇〇〇円の取得価が前記のように正当に算出された取得価額より高額になっていたか否かについて検算することは不可である。しかし、森を追求した査察官はおそらく取得価額の計算根拠を森に追求したであろう。そして森に対してはまさに検察官の論法は、森をして特別措置法の適用を受けるべく会社所有土地を一旦水井、豊田の所有にして取得価格を設定したという「特別措置法適用のための偽装」を自認させる有力な武器になったであろう。前記のごとき使途不明の、本件土地の取引を会社の取引であると説明するためにのみ必要な会社―水井・豊田間の売買契約書が偽造される理由もこの辺りにあったと思料される。

しかし、水井、豊田についてこのような複雑な過程は知る由もないと同時に、特別措置法の適用を受けると言っても、それは売却代金を決定する要素ではあっても、このように複雑な仮装工作をしてまで適用を受けなければならないものではない。他に通常の取引価格による買主を求めるまでである。したがって水井、豊田について申告された譲渡所得の計算上の取得価格を会社・水井豊田間の土地取得価格に求めていたとしても、だからといって両名が本件土地を会社所有と考えていたとは到底考えられない。

3. むしろ疑問なのは、査察の段階から本件起訴に至る捜査過程において森が適当に設定した取得価格を改めさせ、水井・豊田の前主からの取得価格を正当に算定させ、その過ちを正していく努力が全く放棄され、種々縷述しているところから明らかな水井・豊田の取引を強引に会社の取引に仕立ててしまっていることである。電々公社や大阪府開発協会への個人の売却、そして特別措置法の適用を受けた後に、売主は会社であったと認定されるがごときは、前代未聞である。税制の適正な運用をはかるならば、取得価格を正当に計算させてその不足額があればそれを徴収することで足りると思われる。けだし電々公社や大阪府開発協会は所期の目的どおり、一般取引よりも坪当り三万円も安く土地を買収し公共事業目的を達成しているのであり、水井、豊田にしても安価に土地を売却したことと相応の特別措置を受けたに止まり、前記の不足額があればそれを徴収されれば、それ以上に不当な利得を収めているとは考えられないからである。そして、本件取引を会社の取引とみて不当過大な課税を合理化する根拠には到底ならない。

4. さらに、判示は、個人名義で納税申告をなし現実に納税したことをも結局それは租税特別措置を受けるための偽装工作の一環で、それこそが本件土地が会社所有のものであると認識していた証であると展開される。しかし水井・豊田にとって本件のごとき売買の態様のものについて、一旦会社から譲受けてそれを電々公社等に売却するという偽装を工作する必要性は全くない。というのは、登記簿上も水井・豊田の所有名義であり、むしろ買主側から説得されて特別措置を受けることで相場より金三万円安く売却したことは先に述べたとおりである。したがって法律形式上何らの工作を要することなく、主観的意思と実態とその売買の形式が何らの齟齬もなく実にスムースに展開している。買主の側から本件土地が会社所有のものと認められたり、疑われたりする条件は皆無である。昭和三九年三月に納税を完了した時点まで関係者の間でこれを疑問視する者はなかったのである。そして、本件土地の売却行為が会社であれ個人であれ課税対象として把握されることは明白であり、水井・豊田についても、その認識をもっていたことは当然である。水井・豊田は売却益は少なくとも、特別措置に従った税率により森の計算に従って納税したのである。買収交渉、売買契約、その履行、そして個人名義の納税に至るまで偽装工作の入り込む余地はない。ただその必要が生じたのは森が会社の帳簿に会社購入土地として記帳していたこととの間にのみ生じたのである(森の公判廷における供述)しかしこれは原審弁論要旨で論述したような取得経過にあるものを設立後の会社帳簿に記帳するのが誤りである。現に本件土地を取得して以来売却されるまでの間にこれを会社の所有にする旨の法律形式は何もない。そして森の作成していた帳簿というのは全く杜撰なもので到底会社の営業実態を反映するものでないし、したがってまた会社の財産状況も明らかにされているものではないのである(証人福山寛もこの点については、その記帳の大半が架空ないし虚偽のものである旨供述し、森の供述もまた然りである)。

もともと被告人豊田は会社帳簿なるものを見たこともなく、また見てもわからない旨を述べている。本件会社がそうであるように、本件帳簿も税金対策のためにのみ備付けられ森によって適当に記帳されていたのであって、その帳簿は記帳されていれば会社の所有財産であると推定していいような信用性は皆無である。たとえば帳簿をみても特定の時期における豊田の会社に対する貸付金額は決して判明しない(森蔭の公判廷における供述)。また営業活動の点検、数額的把握の機能をもたないし、期待されもしていないのである。現に査察官が会社の営業実態を把握するために、簿外活動があるからだけでなく帳簿のデタラメさ故に反面調査、裏取りが重要なファクターになったと思われる。かかる帳簿について、商業帳簿一般の有つ推定力は到底認められない。したがってその土地が会社所有のものか個人所有のものかは、実態に応じて判断されて然るべきである。会社帳簿に記帳されているから会社の所有土地だとする原審判示及び森蔭の弁解は児戯にも均しい。また本件土地の固定資産税等を会社で支払っていた旨判示するが、これもとるに足らない。何故なら必要な支出はその都度水井、豊田が各二分の一を現実に自ら支払っていたのであるから森蔭は支払名義によって区別できた筈である。本件の取得経過により明白なように、本件土地は、当然水井・豊田の個人所有のものと判断される。にもかかわらず本件土地を会社所有のものと判断し、前述の個人名義による納税行為をも、偽装工作の一環であるとする判決理由は査察官の徴税成績主義に毒された結果健全な法常識を逸脱するに至ったものと言うべきであろう。

なお、本件土地の取得経過において、その筋は、契約書の当事者が、会社名義のものは会社帳簿に記帳し、個人名義のものは別個の個人の取引行為として経理上、税務上処理されるべく森蔭に頼んでいたのである。昭和五一年一二月一五日付速記録添付図面と被告人の供述は右を概略裏付けている。本件土地の買入・売却ともに契約当事者は個人名義であり、ましてやその取得経過からみても会社所有のものとは考える余地のないものを会社帳簿に記載した森蔭の措置は誤りという他はない。そして被告人は本件土地が意に反して会社帳簿に記帳されていることも知らずして、「偽装工作」をすることはむしろ不能を強いることというべきである。本判決は事実を誤認している。

三、さらに、被告人豊田には、本件土地売却によって生ずる譲渡所得に対する課税を免れる意思はない。

(一) 脱税犯の犯意は不正の方法により所得を過少に申告して国の法人税の収納を減少させるに至るべきことを概括的に認識することで足りるとする見解があるが概括的認識とはいえその内容は判例上区々である。ただ本件事案については、罪となるべき事実第二の中、本件土地の売却益について法人税ほ脱の意思があったか否かが独自に問われ検討されなければならないと思料される。何故なら本件土地の売却益についての法人税ほ脱の手段態様が特異なものであり、被告人と森との間の認識の相違合意の有無が他の圧縮や架空支払金の計上等とは区別されるからである。すなわち、被告人の犯意の表動を本件土地の個人名義による売却・特別措置法の適用ある納税行為において把えていることにもみられるように、当該会社の事業年度における申告所得額を確定的に低減させる行為として独立した(第三者名義による売買および特別措置法の適用を受けた個人による所得申告と納税という行為が、本件会社の当該年度の法人税申告前に完結的におこなわれているという意味で独立した行為)ものと把握することができるからであり、しかもこれを行なうについては、一連の行為、手続について(特に納税のための出損)、被告人ら間で、その旨の個別の合意がなければおこなえないものだからである。

(二) 判決が、被告人豊田が森と共謀の上、本件土地の取引を公表帳簿から除外して会社の昭和三八年四月一日から同三九年三月三一日までの事業年度の所得を過少に申告して法人税のほ脱をはかったと判示するには、その主観的違法要素として<1>本件土地が会社所有の土地である旨の認識を共通にしていること、にもかかわらず、<2>個人の所有土地であると仮装して(第三者名義で)売却することに合意していることが必要であると考えられる。ところで水井、豊田が森に対し税務事務を依頼した趣旨は税金が安くてすむようにしてほしいという依頼であり、合理的な節税と支払い易い方法を工夫することである(この点について被告人森は第一三回公判廷における供述で比較的はっきり述べている)。「あんばいしとくから」という森の言葉も右の内容を指していると解され、それ自体違法な依頼ではない。ただその趣旨の中心は会社の税務処理が占めることは明らかである。ところが本件土地について、その所有関係について水井、豊田の認識と森の認識はどうであったか。また第三者名義で売却することに合意していたかどうか。原審弁護人が従前述べ来ったように実質的には本件土地を会社所有と認識していたものは誰も居ないのである。ただ森には帳簿の記載をおこなう上で、それが会社の所有と扱われている旨の認識はあった。しかし帳簿上の取扱いについては水井、豊田は知らされておらず、そのことを知ったのは当該年度の法人税の納税申告も終った後の、早くても査察が入って以降のことである。したがって帳簿上の取扱いについての共通の認識はない。また第三者名義による売却についても、売却時はもとより、個人名義で納税した時までは両者間に水井喜美枝、豊田勝子名義で売却する旨の合意はあっても、それは実態に合致した正当な取扱いとしての合意であり、主観的違法要素たる会社所有の土地でありながら、第三者名義によって売却する旨の合意ではない。いずれの点についても本件行為時(法人税申告時)までにかかる主観的違法要素について被告人と森の間に共通の認識を認めることはできない。

仮りに被告人森について、自身が記帳している帳簿への記入があり本件土地が会社所有の土地である旨の認識があり、またその偽装工作どおりのことがおこなわれたとしても、その工作は本件会社の法人税申告時以後の、査察が入って以降におこなわれたものであるから、「犯罪行為後に生じた」故意というべく、また右の偽装工作は森が種々の文書を偽造して遂行したものであって、被告人豊田はこれを知る由もない。したがって被告人豊田について故意を認めることはできない。

(三) 被告人豊田が本件土地の取引について、前記のごとき本件土地の取得経過、その売却経過の下に取得した所得に対し課せられる税につき納税申告をなし所定の税金を完納したことは関係証拠により明らかである。したがって被告人豊田について、本件土地の取引によって得た所得について課税を免れる意思は認められない。もう一度森のおこなった偽装工作との矛盾関係を想起されたい。森は本件取引を会社の取引であるかのように偽装するために種々の文書を偽造している。(とくに符一八号枚方税務署宛の文書)。にもかかわらず被告人豊田は個人の取引として森の指図に従って納税している。このことは、<1>森の偽装工作が数年後におこなわれたこと、<2>すくなくとも被告人豊田が本件土地が会社所有のものとは思っていなかったこと、の二点を前提にしなければ理解ができない。ということは被告人は個人の所有土地である本件土地の取引によって得た所得について納税すべき意思を有しており現実に納税しているのであり、課税を免れる意思は認められない。

なお、本件罪となるべき事実第一、第二を通じての故意に関する論述において指摘した事情を併せて考慮するなら、被告人豊田について、会社所有の財産であるにかかわらず個人所有の土地であると仮装して売却し、会社の簿外所得を生じさせ、これにつき法人税課税を免れる意思は認められない。

法人税脱税の犯意は違反行為の全般について巨細にわたり違反の態様、内容までも知悉することを必要とするものではないとする判決例もないわけではない。しかし、そうだからといって、そのことが罪責を追及する便宜のために拡大して扱われてはならない。他の判決例によれば、犯意は正当な所得額、税額と確定申告における所得額、税額とを比較した場合の増差額につき法人税を免れるとの概括的な認識では足りず、増差所得の形成原因である個々の勘定科目につきほ脱の認識を必要とするものもあり(昭和三七年六月三〇日、東地刑一八判、事件番号不明、税務訴訟資料三四号九八頁)、その趣旨からみれば前述のごとき独立性ある増差所得の形成原因たる本件土地取引につきほ脱の認識を論ずべく、しかして被告人豊田にそのほ脱の認識のないこと前叙のとおりであるのに、本件故意を認めた原審判決は事実を誤認したものである。

五、原審判決後の経過

原判決は、被告人豊田・水井と電々公社との門真残土地の取引を会社と電々公社との取引と判示した。しかし、前述のとおり、被告人豊田・水井は、本件土地の売却が租税特別措置法の適用対象となるからこそ市価の価格を大幅に割り込んだ価格で公社へ売却したのであり、公社においても、本件取引が当然租税特別措置法の適用対象となること故格安の価格で取得することができたのである。そして本件売買契約において租税特別措置法の適用云々はまさしく法律行為の要素に錯誤のあることであり、原審が本件取引を会社の取引と判示し、租税特別措置法の適用がないと判断したことから、被告人豊田はやむなく公社に対し昭和五五年五月八日付内容証明において、公社に対し、本件売買契約の無効を申し入れ、原状回復方もあわせ申し入れた。

さすれば右意思表示により、本件売買は要素の錯誤を理由に無効となり、会社における所得、もしくは被告人豊田における所得は零に帰し、本件公訴にかかる門真残土地についての所得については当然無罪ということになる。

六、以上に詳述したように、本件土地の取引から生じた所得は、亡水井久蔵、被告人豊田両名の本件土地を取得した経過、売却した経過およびその主観的認識のいずれの点からみても、本件会社の所得とみることはできず、結局右所得を会社の所得として計上された部分について、被告人豊田に刑責はない。

第四、被告人豊田の法人税ほ脱の犯意について

一、原判決は、被告人豊田の犯意について、第一に、被告人森との間に会社の当該年度の法人税ほ脱の合意が存し第二に、被告人豊田が被告人森に対し交付した九二〇万円は法人税の納付に充てるため交付したものと認められず、かえって法人税ほ脱のための金員であると認定し、第三に、被告人豊田は、仮りに、帳簿についてたとえその知識がなかったとしても、被告人森は被告人豊田の意をうけて帳簿操作をしたのであり、被告人豊田において共犯者の責めをまぬがれないと認定している。

しかし、右認定はすべて真実より大きくはなれ、事実誤認であるといわざるを得ず、その理由は、以下に述べるとおりである。

二、被告人豊田と同森蔭との間に、法人税ほ脱を図る旨の合意は認められない。

(一) 被告人豊田と同森蔭の関係

1. 被告人森は亡水井久蔵の知人であり、水井・豊田両名が本件会社の設立を思いたった後に、主として会社の納税事務を処理することおよびそのために必要な会社帳簿の記帳を委任したものであり、委任者と受任者の関係にあったと認められる。委任した時期は昭和三五年三月二〇日頃であるが、森は昭和三五年三月三〇日に設立登記を経た、本件会社の設立ならびに設立手続には何ら関与していない者である。

設立された本件会社なるものの実態は、すでにはじめにおいて述べたごとく、実体を欠いたものであるが、形式的には、資本金三〇〇万円、本店所在地を守口市寺内町二丁目六四番地に置き、株式名義人を水井久蔵、豊田志津子、石関直一、豊田春枝、豊田明太郎、水井喜美枝、豊田勝枝、水井義幸の八名としたが、実際に出資した者は水井、豊田両名が金一五〇万円宛を出資したに止まり、他の株主は名義を借りただけであった。もとより右資本金なるものもいわゆる見せ金であって真実の出資ではない。株主総会、取締役会等開催されたこともなく、株券発行の事実もないことは判示も認めるとおりであり、異論のないところであろうと思われる(被告人豊田の第四五回公判廷における供述、証人石関の公判廷における供述、等関係証拠によりあきらかに肯認される)。水井、豊田が森にたいして委任したのは、かかる本件会社の税務事務の処理等であった。本件会社に事務所があるわけもなく、従業員もいないのであって、森は、月一回豊田方を訪れ、記帳すべき資料を渡されて記帳し税務申告をおこなうといったものであり、内容は単純簡単な作業であった。税務、計理に心得はあるが、計理士、税理士の資格もない証券会社員のアルバイトとして月額五、〇〇〇円、税務申告時等年二回各一〇、〇〇〇円の報酬は決して安価なものではない。ちなみに昭和三五年当時の大卒公務員の初任給は月額一三、五〇〇円であった。現在から約二〇年前の金五、〇〇〇円の実質価値を思えば、要するところ水井・豊田と森蔭との関係は、上記委任関係とその対価の支払いに尽きるものであり、森は形式的にも本件会社の役員ではなく、従業員でもなく、もとより水井、豊田の共同事業者でもない。

2. 森は自分が水井、豊田から支払いを受けた金九二〇万円の趣旨を説明するために本件会社に労務の出資をしたとか、水井、豊田、石関らとの共同事業であったとか、共に営業活動に従事したとか種々の口実を構えているが、ことごとく虚偽である。

森は自分が労務を出資したかのごとく印象づけようと供述している(第三七回公判廷)。あるいは営業活動に従事していたかのように供述している(第五六回公判廷)。

しかし、門真二番一帯の土地の買収、造成販売は、森の知恵を授かって始めたものではなく、昭和三四年一〇月頃から水井、豊田が共同して始め、本件会社の設立前にすでに造成工事まで着手していたことはさきにみたとおりである。また西口佐太郎は、森の名前も知らず姿も見たこともないこと、そして森が共同事業者の中に加える石関さえもが、会社設立までの間に森を知らず会ってもいないと述べていることも既述のとおりである。共同事業者であるとすればかかる状況はありえまい。毎月五、〇〇〇円の支払いを受けていたことの趣旨を交通費の実費弁償だという。共同事業者がおのおのの実費を弁償しあっていたとでもいうのであろうか、さらに水井、豊田は出資金はもとより土地買入金、造成費その他の諸経費をすべて折半して現実に出損している。その額は各自一、〇〇〇万円を超えている。むろん森の出損行為は何もない。逆に月月五、〇〇〇円の実費弁償を受けているとすれば、因って挙げる収益を等分するような価値ある労務の出資とは何なのか。その弁解は遁辞以外の何物でもない。現にその供述中に述べられている具体的な内容は、帳簿の記帳、税務処理と申告手続以外にみるべきものはない。業務に従事したとも述べているが、門真二番の土地の買入れ、その中心的部分の電々公社等への販売行為について、全く何らの関与もしていないことはすでに明らかにした。のみならず「営業活動」に森が関与すれば、仲介料が支払われ、いわゆる圧縮が森の関与によっておこなわれれば、それに対する報酬が森に支払われていることが証拠上明らかである。証人棟近明の供述によれば、阪神土地興業株式会社への宅地一七〇坪の売買に関して本件会社が森に対し金六〇万円の仲介手数料を支払ったことが述べられ、証人亀井俊策(第八回公判廷)、同高畠要三、同矢野航蔵(第九回公判廷)の各証言を綜合すれば、本件会社の大阪金属挽物工業協同組合への交野町星田の約二万坪の土地の販売については、一たん売買が終了した後に、森が高畠要三をダミーに使い仲介業者に圧縮を迫り、圧縮料として金五〇万円を森自身が利用している事実を認めることができる。これはまさしく会社の営業活動を利用した森の圧縮手数料稼ぎの姿である。この事実は森の寄生虫的性質を示すとともに高畠要三の印鑑、印鑑証明書を自在に用い虚偽の文書を平気で用い不当な利得をはかるという森の事件師たる姿を鮮明に浮き上らせるものといえよう。とまれ、かように会社の取引について仲介した場合に会社から仲介料を受取り、あるいは会社の取引に関して圧縮を利用して水井、豊田が知らないところで(この点について森は第一四回公判廷における供述中で自認している)圧縮手数料を不当に利得するがごときを共同事業者と看ることはできない。結局、税務処理、申告、それに必要な帳簿の記載を委任(有償)した関係以上のものを見出すことはできない。

(二) 被告人豊田らが同森に依頼した内容

被告人豊田らが、株式会社というものの本来的な性質を知らず、もとより会社経理や法人税の税務処理、申告手続等について、まったく知識がなく、被告人豊田の原審法廷における供述はそれを裏付けている。その認識は個人とは別個の取引口座(窓口)程度のものである。森もまたその点は認めている(森が査察後種種取調べを受け少しは理解力をもったと思われる両名についても修正申告書を見ても豊田も水井もそれを理解できなかったであろうと述べている点は注目される)。被告人豊田らの依頼の趣旨は実に単純である。法人にすることによって税負担を軽減したい、そのために会社を設立したのだから最も合理的で税が安くて済むように処理してもらいたいということに尽きている。豊田らはきわめて単純に会社名義の取引きについては会社の、個人名義の取引きについては個人のそれとして区別し、森蔭に渡す契約書、領収書等の名義にしたがって分類し、会社の取引きについては会社の帳簿に記載し、会社所得を経理する方法を森に指示していたのである(被告人豊田の昭和五一年一二月一五日付速記録)。そして豊田らは、内心の計算においては、両名の個人取引きと何ら異なることなく、会社設立後は会社名義による取引きをつくり出してこれを区分し、区分して以降は会社、個人の名義を問わず原始資料をすべて森に渡して包括的な前記のごとき委任契約の適切な履行を求めていたものである。これに対し森も水井、豊田らの知識、能力を悉知しているところから「森さんが私と水井さんに「あなた方は会社とは何ら関係がない。今までどおりに自分のお金で買うて、売って、売ったお金は分けて、ちやんと個人のようにしといたらええ、税金のほうはあんばいしといたる」いうて、そこで「あんばい」という言葉を二へんも三べんも聞きました。会社というもんはそういうものやと思っていました」と被告人豊田が述べているところは恐らく真実を語っていると思われる。蓋し契約書の名義について区別さえつけておけば、区別にしたがって「あんばい」しておくというのである、森は「あんばい」することを永井、豊田の方から発した言葉であるといい、かつその意味を供述の最後では、税金を一銭も払わなくてもよいようにしてくれとの依頼の趣旨であったとねじまげている。しかしこの歪曲はいかにもひどい。森が他の動機から一〇〇パーセントほ脱というとんでもない法人税申告をしたことを糊塗するための歪曲であることが見えすいている。水井、豊田が会社設立を思い立ったのも節税をはかる趣旨に出たものである。いかに無知ではあっても会社の形式にすれば税金がゼロになると思うほどに非常識ではない。豊田のつぎの供述はその間の事情を簡明している。「圧縮した分の、それはもうけやから言われたから(それについて法人税を)払おうとは思うてませなんだ。だから契約書に書いた金額、売れた金額と買うた金額の差額は全部これは税金と経費で零になって一銭も残るとは思うてませなんだ。(差益は税金に)全部払うてしまうつもり。圧縮した金額がこれがもうけやいうて教えてもろうたから、これは全部もうけるつもりでした」と。また「圧縮せんと売ったら全部税金にとられて一銭もないと思ったから圧縮して売りました」と素直に述べている。そして税金を払わないでいいようにしてくれと頼んだことは一ぺんもおませんと断言している(昭和五二年二月七日付速記録)。水井、豊田は査察が入ったときにも圧縮がバレたと思っていたのであり、会社の本件営業年度の所得がゼロとして申告されていることを知ったのは、検察庁の取調べのそれも最終段階であった。本件法人税の確定申告は被告人森が委任の趣旨に背いて、自ら受領した金九二〇万円を着服しそれを隠蔽するために敢行されたものである。したがって被告人豊田と同森蔭の間に本件各事業年度の申告所得額を零として申告する旨の合意はないし、成立する余地もない。

三、被告人豊田は法人税の納税に充てるべき金九二〇万円也を被告人森に交付しているのであり、法人税ほ脱の意思は認められない。

(一) 水井、豊田が昭和三九年三月頃までに五五〇万円、半年後の同年一一月頃に四〇〇万円を法人税として納金すべく森に交付したが、これを横領され、さらには森はこれが摘発を恐れて査察官の不当課税に迎合し、あげくは本件会社の乗取りを策するに至ったものである。

ただ、右の点は結論において被告人森蔭が原審法廷で自供していることであることに注目されたい。第一四回公判における供述がそれである。森蔭の交付を受けた金銭の趣旨の説明は転転とする。「私の建前としては」利益の分け前であるといい、本件会社を貰った際の持参金という。さらに会社が貰った金を自分が借入れて費消したといい、それこそかかる巨額な金銭の交付された趣旨をその弁解に従って内容を特定して理解することは不可能であり趣旨不明である。横領ないしは詐取したことを言い逃れようとする森のおぞましくも怯懦な姿を看取することができる。しかしその中で森蔭は金五五〇万円受取ったことを認めた後、問「あと全部引受けるということは、あなたの仕事としては税金の申告をやることですね。そうじやないですか」、答「まあ申告も……」、……問「そうするとその税金の問題とか税金の申告、そういうもの全部含めて、そういう金をもらったと、そういうことですな」、答「そうです」と述べ、さらに半年後に豊田から三〇〇万円、水井から五〇万円を二回(約束二〇〇万円)、計四〇〇万円、総計九二〇万円を受取った事実を認めた上、問「そしたらあなたはとにかく一〇〇〇万越す金ですね。それは結局税金の処理を全部やります、ということで、そして石関の話もつけますということで貰って、石関の話はついとらん、税金は赤字申告の確定申告をやったきりで(修正申告もせず)ほってあるという関係になっているんですね」、答「そうです」と述べざるをえなかったのである(昭和三九年一一月七日付森作成の誓約書および領収書は右の経過の中で水井、豊田に対し交付されたものである。―およそ利益の配分といったものでないことは文言の上からも明白であろう。)。

(二) 被告人は右のような弁解に腐心しているのであるが、その程度の弁解でも可能にしたのは森が当初の法人税申告の時期の迫った昭和三九年三月頃までに金五五〇万円を税金に充てるべく受領した旨の森の水井、豊田宛の領収証を銀行の預り金庫の中からとり出して焼棄するという常識では考えられない証拠の抹殺ということがおこなわれたからである。昭和五一年一二月一五日付速記録にある被告人豊田の具体的な供述は真実経験した者のみがもつ迫真力が感じられる。これに反して森は知らぬ存ぜぬと白を切っているが、一たん五二〇万を渡してなお追加して三〇〇万の支払を求められた豊田が「その五二〇万の領収書もらわなこのお金渡さんいいました」と抵抗して領収書を書いてもらったというのは自然のなり行きでもっともなことであろう。真実は森蔭は五二〇万円の受領についてそれが税金に充てるべき金銭として受領した旨の領収証があったと推認され、水井、豊田は、本件第二公訴事実の事業年度所得額を申告すべき時期に先立って、右五二〇万円を森蔭に税金に充てるべく交付し、さらに追加して金四〇〇万円を同人に交付していたと認められ、したがって法人税ほ脱の意思を認めることはできない。

四、被告人豊田と同森の間には本件会社の土地売却価額につきいわゆる圧縮をなし所得金額を過小に申告する旨の合意はあったが、その範囲を超える過小申告をなし所得額を零として申告する旨の合意はない。従って、本件につき法人税ほ脱の認識はない。

(一) 判示のごとき本件会社の土地売却に際し水井、豊田がその売却価格を圧縮していたことおよび森蔭は圧縮価格をもって所得算定の基礎となしそれをもって申告すべく合意していたことは被告人豊田において自認しているところである。然し右の合意が被告人ら間にあったとしても、それを以って本件のように一〇〇パーセントのほ脱の合意まで認めることは許されない。

1. 圧縮によるほ脱を超えて法人税をほ脱する意思が被告人豊田について認められず、むしろ本件の結果は被告人森蔭の委任の趣旨に反する背信行為によってもたらされたものであることは既に明らかにしたとおりである。ほ脱の認識は概括的認識をもって足るとはいえ、かかる合意の範囲外であり、合意内容の実現の態様とは認められない本件各公訴事実について被告人豊田について故意を認めることはできない(昭和四〇年一月一一日金沢地判、事件番号不明、税務訴訟資料四六号一一七頁は故意を認定してはいるが、その結果が合意の実現の一態様として実現している場合であり、或いは合意範囲内と認められる行為に限定している)。

2. 圧縮は税法上好ましくない行為ではあるが、本件各取引当時はむしろ圧縮しなければ土地の取引ができず、それが土地取引の常態であったことが認められる(証人棟近明、同足立全康の証言)。とくに証人棟近は「あの辺は当時はそれが習慣のようになって慣例のような形になって、圧縮するということでないと取引ができないということ」であったと供述している。社会的事実として圧縮が広範におこなわれていた事実は歴然たるところである。然るが故にそれはまた実に誘惑的である。従ってその非難可能性は弱い。例えば圧縮のみが発覚しても不申告加算税の徴収等一種の行政的制裁処分が課せられることはあっても刑法上の責任まで追及されることはまずない。つまり、圧縮とその他の不正行為との間には法 評価(消極評価)について大きな差違があると言わねばならない。また圧縮によって結果するところと、売上除外、架空給料の支払等によって結果するところは法人税のほ脱という点では共通ではあってもそれぞれは独立別個の行為であり、相互に原因・結果の関係等の関連性は認められない。従って非難可能性の少ない圧縮をする旨の合意があるからといって非難可能性の高い他の方法に依りながら、而もそれが被告人豊田の意思に反する場合でも、尚概括的認識あるをもって本件全体に被告人豊田の故意を認定するのは、刑責が行為者人格に対して向けられたものであるだけに許されないところと解すべきである。

(二) 判示によれば、売却金の端数入金除外、土地の出目あるいは計上もれ、諸預金の受取利息入金額、架空計上経費(給料手当、支払利息、雑損失)の各項目についても各々不正行為であり、それが共謀の内容に含まれることになっている。而しこれはどんな手段、方法を問わず所得額を零にして申告する旨の合意があった場合には許される理由かも知れないが、被告人豊田についてかかる方法によるほ脱についての合意を認めることはできない。

1. 被告人豊田は、本件会社の帳簿を本件訴訟時まで見たことがないのである。また検討しようにも理解力はない。記帳、税務処理について包括して委任していたのであるから森蔭がどんな手段、方法を用いてもそれが合理性ある節税のためのものであれば被告人豊田は受け容れるところである。而し詳述したように所得額零の申告がされているとはつゆ知らず、水井、豊田は税金の支払を準備していたのであって税金を払わなくて済むようにとの合意が認められないことは既に述べたとおりである。

2. これらの不正行為の「手段・方法」は査察の結果、国税局が所定の方式によってその会社所得を計算した結果判明したものである。しかしこれらについて(或いは検察官の主張する各事業年度の所得額)、被告人豊田が修正申告に応諾したのだからこれを自認したものと解してはならない。

唯ここでは、森蔭の供述によっても被告人豊田、水井らは修正申告書についてもまるで理解することのないまま、国税局と被告人森蔭の手によって修正申告書が作成されたこと、及び、会社の被告人らに対する貸付金は法人税と両名の認定賞与による所得税の二重課税を回避するための便宜として形式的に発生させられたものであることが各認められることを強調しておきたい。被告人豊田が税金を二倍取られると言われ、理解できないまま修正申告に応じたと述べているところは充分信用できるところである。昭和四〇年一月二二日付、水井、豊田の各確認書、金銭借用証書は、二重課税を避けるための行政指導の一として徴取されたものであることは明らかである。而しそれにしても確認書のみならず借用証書までを査察官宛に提出させる理由は未だ不明である。会社宛に提出すれば足るはずの借用証書を何故査察官に提出しなければならなかったのか。査察官は森蔭の策略に手を貸したという他あるまい。森蔭は右の経過によって存在する形式を整えた貸金債権を有する会社を譲受けたと称して両名にその取立を試みたのであった。それは措くとして上記の如き修正申告過程は被告人豊田の理解を超えているとともに、その内容を正しく理解すれば決して申告するには至らなかったものである。現にその直後に減額更正処分を求め、その一部が認められたことによってもそのことは明らかであろう。かかる修正申告書提出行為に被告人豊田のほ脱意図を求めてはなるまい。とくに修正申告書を提出する際に被告人豊田は、本件土地の取引がそれに含まれているか否かについて査察官と森蔭に確認を求めている(被告人豊田の理解はその段階にあってもかかる質問をせねばならない程度であった)。本件土地について個人で納税したものが還付される説明を受け、割り切れない思いを残しながら、税金を倍とられることを恐れて修正申告額に応じた税額を納付したのであった。

本件審理の結果、証人福山寛の公判廷における供述に明らかになったように税額にして金四、二〇〇、〇〇〇円もの減額、更正処分がおこなわれている。その意味するところは実に重要である。即ち、そもそも修正申告が被告人豊田の意思とは関係なく算定されたことを示している。というのは減額更正された最大の事由は、水井、豊田、佐竹の三名の売却した土地の取引が、会社の取引として会社の所得額算定の基礎となっていたところを是正したことにあった。右三名の個人の取引行為であった旨は、水井、豊田は知悉しているが、森蔭と査察官は必らずしも詳細を知り得ず、ために会社の取引とするについて安易な取扱いとなったことが推則されるからである。さらに減額更正事由には森蔭に会社が支払った仲介手数料についての計上が落ちていたことがある。森蔭を共同経営者と見立てる査察官にとっては都合の悪い事情であったのであろうが、これを明確に指摘できる者もまた水井、豊田である。

しかもこれらの点についての豊田の上申については、いとも容易にその申出を容れて異例の減額更正処分をおこなっている。これもまた稀なケースというべきであろう。しかるに門真二番の本件土地の取引については、頑としてその申立を容れなかったのである。右のような修正申告についての減額更正の経過に徴しても修正申告は、水井、豊田の意見、意思を確かめることなく査察官とそれに迎合する森蔭の手によって算定集約されたものであることが明らかであると言えよう。

第五 本件判決は量刑不当なものである。

前述のとおり、被告人豊田について弁護人は無罪を主張し、原審破棄を求めるものであるが、予備的に量刑不当の主張をなす。

被告人豊田は本件一連の土地取引をなすまでは、タバコ店、婦人・子供服店を営み、犯罪とは全く関係ない生活をいとなんでいたが、おりからの土地ブームに乗ってにわかに巨額な事業活動を行ない、その利益に目をつけた事件師森蔭によって、まさしく法人税法違反の汚名をきせられたのである。即ち被告人豊田は犯罪者というよりむしろ事件師森蔭に踊らされた被害者というべきものであり、量刑において不当なものである。

○ 昭和五五年(う)第三〇五号

控訴趣意書

被告人 森蔭彬韶

右の者に対する法人税法違反被告事件の控訴の趣意は左記のとおりである。

昭和五五年四月九日

弁護人 増井俊雄

大阪高等裁判所

第五刑事部 御中

量刑不当

相被告人豊田志津子及び被告人に対する原審検察官の求刑意見及び原判決の量刑を対比すると次のとおりである。

(求刑意見) (原判決)

相被告人 懲役一年 懲役一年・執行猶予三年

罰金六〇〇万円 罰金四〇〇万円

労役場留置換算一日一万円

被告人 懲役六月 懲役六月・執行猶予三年

罰金五〇万円 罰金五〇万円

労役場留置換算一日五千円

右対比からみると、原判決は相被告人に対しては求刑意見より罰金において軽減しながら、被告人に対しては求刑意見をそのまま採用し、また労役場留置換算においても相被告人を被告人よりも二倍優遇しているのであって、相被告人に緩やかで、被告人には厳しいことは明らかである。

しかし、本件では相被告人に厳しく、被告人には緩やかな逆の場合こそまさに正当であって、原判決のような逆差別はどうしても納得がいかない。以下その理由を述べる。

(一) 本件法人税ほ脱の経過は、被告人が相被告人及び亡水井久蔵(以下「相被告人ら」という)から受取った金員に関する部分を除き、概ね原判決の「(被告人豊田の関係での争点に対する判断)」のとおりであるので、そのまま援用する。

昭和四〇年に入って本件について港税務所の調査があり、次いで同年五月国税局の査察が入り、同年一〇月末から一一月初にかけて検察庁によって被告人らが次々と逮捕勾留された直後の段階まで、被告人は相被告人らと打合せたとおりの虚偽の供述を続けてきた。

しかし、本格的な強制検査を受けて、被告人らの粗雑な虚構の主張など維持できるはずがなく、被告人はまもなくありのままの真実を供述するに至った。そして相被告人らに自主的な納税を説得してその承諾をえ、税務当局の了解もえて、昭和四一年一月二二日法人税修正確定申告書(符3号・3号の2・4号)を提出し、受理された。

もし、会社利益金を配分所持していた相被告人らが右修正申告にもとづき納税していたなら、本件は恐らく起訴猶予をもって終結していたのではないかと思われる。しかし、相被告人らは納税直前になって納税金を惜しみ、納税拒絶の態度に急変したため、被告人の努力も空しく昭和四一年五月二六日本件起訴を受けるに至ったのである。

(二) 本件起訴に対し、被告人は当初から公訴事実の全部を卒直に認め、ただ情状のみを訴えて寛大な判決を求めるだけである。もし、相被告人らも同じ態度をとっていたら、本件は数ケ月をもって一審判決言渡となり、被告人は速やかに本件から解放されていたであろう。

ところが、相被告人ら(水井久蔵死亡後は豊田志津子単独。以下同じ)は徹底抗争の態度に出たため、被告人は昭和五四年一〇月五日原判決言渡まで一審だけで一三年四ケ月もの長期間にわたり被告人の座に縛りつけられてきた。それでも、相被告人らの主張が正当で、原判決でその主張が認容されたのであるなら、被告人はむろん相被告人の態度を非難することはできず、また判決においても被告人に有利な結果になるので、一三年四ケ月間の苦痛も徒労ではなかったことになる。しかし、原判決が被告人の自白のとおり起訴事実を認容したとなると、被告人の長期間の苦痛は相被告人らの不当抗争による一方的な犠牲以外の何ものでもなかったことになるのである。

(三) 相被告人らが本件法人税ほ脱の犯意を争う理由の一つとして、相被告人らは本件法人税納付に充てるため被告人に九二〇万円を交付したと主張している。

この争点について、相被告人らは本件被告事件において右主張を貫徹するため、被告人を「被告人は本件法人税納付に充てるためと詐称して相被告人らから九二〇万円を騙取した」という詐欺の嫌疑で大阪地方検察庁へ告訴することまでした。右告訴について同検察庁は「嫌疑なし」を理由に不起訴処分にした。相被告人らは検察審査会へ右不起訴処分に対する不服の申立をしたが、同審査会も不起訴処分相当の議決をした。

この争点は、本件起訴後の早い段階で、別の刑事手続によって結着がついているのである。それでも、相被告人らは本件でも執拗に右主張を繰り返し、原判決によっても排斥されているのである。

被告人は原審の一三年四ケ月間被告人席にただ坐っていただけではなかったのである。相被告人らからこのような不当な攻撃を受け続け、これに耐え続けてきたのである。

(四) 被告人が相被告人らから受取った金員については、情状に影響することが大であると思われるので、原判決のこの点に関する事実認定に反論し、補充する。

1. 金額について

被告人が相被告人らから受取った金員は、昭和三九年二月に二二〇万円、同年三月に三〇〇万円、昭和四〇年五月に一〇〇万円の合計六二〇万円である。

原判決は右のほかに昭和三九年一一月に三〇〇万円の授受があったと認定しているが、これは被告人が相被告人と謀って水井久蔵から金を引き出すための見せ金で、被告人は相被告人から一たん三〇〇万円を受取ったが、水井久蔵が被告人に三〇〇万円の支払を約束したので(そのうち一〇〇万円は昭和四〇年五月支払済み)、まもなく相被告人に返還している(被告人の公判廷供述、検察官の相被告人に対する論告要旨)。

2. 趣意について

相被告人らは門真二番の土地の購入契約をし、手附金を入れた段階で転売に奔走したが、右土地は泥田で転売できずに失敗し、苦境に陥っていた昭和三五年二月頃、被告人は「会社を設立して、銀行から資金調達を受け、宅地造成して分譲する」事業計画を立案し(宅地造成のはしりである)、ずぶの素人である相被告人らに経験豊富な石関直一(不動産業)及び被告人が参画して、右事業を進めていくことになった。この際、事業利益は四名で適宜配分する約束であった。

ところが、右土地の売却が完了し、莫大な利益を上げて事業が終了すると、利益金を二人で握りこんだ相被告人らは利益配分はもとより納税すら惜しむようになった。当時相被告人らは石関直一の利益配分要求を拒否していたので、被告人もあからさまに利益配分を要求しても無駄だと承知していた。そこで、被告人は、窮余の策として、当時相被告人らにとって最後の懸案であった右石関問題と税務問題を処理するという条件の下に、相被告人らから前記六二〇万円の利益配分金を受取ったのである。

米屋とタバコ屋にすぎない無経験な相被告人ら(水井久蔵は文盲である)だけでは、このような事業の立案実行は不可能で、その事業利益の獲得には被告人ら(相被告人らはまもなく石関直一を離ざけるようになり、その後は専ら被告人のみが右事業に関与し、援助するようになった)の有形無形の援助が大いに寄与している。相被告人らが右援助に感謝して応分の利益配分をしていたら、被告人は本件のような脱税工作に深いかかわりをもたずに済んでいたはずである。

被告人は相被告人らのすさまじい物欲の犠牲者であったというもう一つの側面を指摘しておく。

(五) 被告人は、本件による逮捕勾留の後、公判を通じて真実のみを供述し、原判決によって認容された公訴事実を認め続けてきた。さして根拠のない理由を挙げて抗争してきた相被告人とは顕著な対照を示している。

検察官は、被告人の供述をもって、右徹底抗争の相被告人に対する公判維持の主要な柱としてきた。このことは公判の全過程からみて明らかであろう。

被告人は、一三年四ケ月の間、相被告人の不当な攻撃にさらされ、これに耐え続けてきたばかりではなく、検察官の相被告人に対する公判維持のためにも大いに活用され続けてきたのであり、その結果原判決の拠り所の一つになっているのである。

改悛の情という点からみれば、被告人こそ顕著と評価されねばならず、相被告人こそ改悛の「ひとかけらもない」と評価されねばなるまい。

(六) 本件ほ脱にかかる国税本税及び附帯税の総額約七九五〇万円はすでに完納済みである。そのうち水井久蔵が生前約二五六〇万円、同人の相続人が約二八四〇万円を支払い、相被告人が支払ったものは二五五〇万円である。

相被告人の支払分は、被告人が相被告人から預っていた二五五〇万円の定期預金証書を検察庁へ任意提出し、国税局がこれを差押えて徴収したもので、任意に納付したものではない。

水井久蔵の相続人の支払分は、国税局が会社の同人に対する貸金債権(事業利益の配分金)を代位行使して同人所有不動産を差押えていたところ、同人の相続人が右不動産を売却するため、同人及び相被告人の租税残債務を一括納付したものである。右相続人は相被告人に対し、相被告人分の立替金の償還請求訴訟を提起したが、相被告人は本件と同様これを争っている。

相被告人は、一たん握った金は絶対に手離したくないという態度で首尾一貫していることがよくわかる。

被告人はこの相被告人の物欲に今日まで振り舞わされ続けてきたのである。

原判決は、前記各事情を無視し、相被告人に対しては求刑意見よりも軽くしながら、被告人に対しては求刑意見のとおりとしているのである。共同被告人の一方が求刑より軽く他方が求刑どおりとすると、前者の方が後者よりも犯情が良かったとみるのが極く常識的な受けとめ方である。この常識からすれば、原判決の量刑は本末転倒ではなかろうか。

そればかりか、労役場留置の換算で、相被告人の場合一日一万円としながら、被告人の場合一日五千円というのはどういうことか。被告人は相被告人よりも高令な上、片足義足の軍人傷病者であり、労役場留置の苦痛は相被告人の比ではない。この差別についてどうしても納得できない。

弁護人は、相被告人の量刑が軽いというのではなく、前記各事情に照らし検察官の求刑意見よりも相被告人以上の大巾な軽減があって然るべきだと思料するのである(願わくば、罰金刑を免除されることを切望する)。

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