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大阪高等裁判所 昭和55年(ネ)2135号 判決 1983年6月29日

昭和五五年(ネ)第二一三五号事件控訴人

(第一審原告)

同年(ネ)第二〇二二号事件被控訴人

大原隆

右訴訟代理人

大澤龍司

宇多民夫

後藤貞人

中北龍太郎

菅充行

大川哲次

下村忠利

高木甫

佐々木寛

堂前美佐子

浅野省三

昭和五五年(ネ)第二〇二二号事件控訴人

(第一審被告)

同年(ネ)第二一三五号事件被控訴人

日本国有鉄道

右代表者総裁

高木文雄

右訴訟代理人

高野裕士

外六名

主文

一  第一審被告の控訴に基づき原判決を次のとおり変更する。

1  第一審被告は第一審原告に対し金一八六八万円及びうち金一六九八万円に対する昭和五一年八月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  第一審原告のその余の請求を棄却する。

二  第一審原告の控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じ三分し、その二を第一審原告の、その余を第一審被告の各負担とする。

四  この判決は、第一審原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。ただし、第一審被告において金一七〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実《省略》

理由

一第一審原告が視力障害者であること、昭和四八年八月一七日午後六時四五分頃福島駅ホームにおいて本件事故が発生したこと、第一審原告が本件事故当時、白杖を所持せず、介護者も同伴していなかつたこと、福島駅の当時の乗降客が一日平均約二万六〇〇〇人であつたこと、福島駅ホームが高架のいわゆる島式ホームであり、ホーム側端にクリーンタイルが貼付されていたものの、ホームからの転落防止のための手摺、柵、ロープ等の設備がなされておらず、また点字ブロック等が敷設されていなかつたこと、本件事故発生当時、ホーム上に配置されていた駅員が一名であつたことは当事者間に争いがない。

二前記一の事実、<証拠>によると、第一審原告は、昭和四年一月一五日福岡県宗像郡津屋崎町で八人兄弟の長男として出生し、生来の弱視ではあつたものの、小学生の頃は黒板の前に立てばその文字を書き写すことができるし、書物に顔を近づけるとその文字を読み取ることができる程度の視力を有していたところ、旧制中学校卒業後家業の鉄工所の仕事に従事するようになつてから、電気溶接の火花やグラインダーの金属粉が眼に入つたことなどもあつて視力が次第に衰え、昭和三六年七月三一日両眼角膜白斑の障害名により身体障害者福祉法別表一種の1級(万国式試視力表によつて測つた両眼の視力がそれぞれ0.1以下、但し屈折異常がある者についてはきよう正視力について測つたもの)に該当する旨の認定を受け、身体障害者手帳の交付を受けていたところ、昭和四五年頃、大和高田市でダンプカーに追突されて頭部を負傷してから左眼は失明し右眼も眼前手動弁(眼前での手動を弁識できる程度の視力)にまで更に衰え、昭和四七年八月一日両眼角膜翳、右虹彩後癒着、左瞳孔閉鎖の障害名により身体障害者手帳の再交付を受けたこと、第一審原告は、昭和二九年頃から前記の大和高田市での交通事故に遭うまで大阪で稼働していたが、右事故後帰郷し、約三年間弟の世話になりながら老父母や弟夫婦らと同居して養生していたところ、いつまでも弟の世話になつているわけにもいかず、大阪で再就職するため、本件事故前日の昭和四八年八月一六日午後一〇時頃単身博多駅を夜行列車で発ち、本件事故当日の午前一〇時頃大阪駅に到着し、環状線で天王寺まで行き、荷物一時預り所に荷物を預けてから、就職先を決めるため、以前働いたことのある工務店等二、三軒に電話してみたが、あいにく盆休みでいずれも雇主等と連絡がつかなかつたので仕方なく、天王寺駅近くで食事をし、駅売店で酒ワンカップ一本(一合)を買つて飲んでから、夜行列車での疲れをとるため天王寺公園のベンチで三、四時間午睡をとつた後、以前働いたことのある工場やその寮が近くにある京橋駅まで行けばその工場の知人の誰かに会えるかも知れないと思い、天王寺駅から京橋駅まで内回り電車で行き、京橋駅ホームのベンチに坐つて待つていたが、声を掛けてくれる者はなかつたので、その晩は天王寺駅付近の旅館で泊るため外回り電車に乗つたが、福島駅の近くにも友人が何人か居ることを思い出し、天王寺駅で降りずに福島駅まで来て二番線ホームに電車から降り、階段(後記の西階段)を二、三段降りかけたものの、時間も遅いから友人に会うのは明日にでもしようと考え直し、再度外回り電車に乗るため元の下車した位置に戻ろうとしたところ、方向を誤まつて内回り電車が発着する一番線ホーム方向に進み、同ホーム側端から右足を踏み外して線路上に転落し、転落したとき強く打つた右足の課の痛さの余り立ち上ることができず、両手に触れたものの感覚で線路の間に居ることがわかつたので、大声で二、三回助けを求めるとともに、這つて線路の間から逃れようとしたが及ばず、折から進入してきた内回り第一七二三電車(六両編成)に両脚を轢過されたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三第一審被告は、講学上いわゆる営造物法人であるから、国賠法二条の公共団体に該当することが明らかであり、また福島駅ホームは第一審被告が公の目的に供している物的設備であつて同条の公の営造物に該当するところ、第一審原告は、右ホームに設置・管理の瑕疵があつたものであり、本件事故が右瑕疵により発生した旨主張するので先ずこの点について判断する。

1<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  視力障害者は、その歩行につき、視覚以外の残存感覚、即ち聴覚、触感覚等によつて得られる自己の位置・周囲の状況及びその進行方向についての情報に依存せざるを得ず、その情報は極めて不十分、不完全であるから、晴眼者とは比較にならない困難と危険を伴なうものである。そして視力障害者自身により、直線歩行と距離感の把握のむずかしいこと、とりわけ足元確認の容易でないことが指摘されている。

(二)  したがつて、駅のホームは、人と電車が接する接点であり、足元の確認の容易でない視力障害者にとつてホーム側端から線路上に転落する恐れがあるから、もともと危険な場所であるが、とりわけホームの両側に電車が発着するいわゆる島式ホームは、視力障害者の歩行の基準となるべきものがなく(ホームの片側にだけ電車が発着し、その反対側に、広告板等の遮蔽物のある相対式ホームは、視力障害者が顔面の皮膚感覚や聴覚によりその遮蔽物を知覚し、それを基準として歩行することができるから、島式ホームに比べると歩行が容易である。)、視力障害者が転落する危険性がより高く、しかも一度転落すれば退避できないまま電車に轢過され、生命を失う恐れがあるから、視力障害者にとつて極めて危険な場所である。

そして、視力障害者がホームから転落する原因は、乗車する際に、電車の連結部を乗降口と間違える場合は別として、後記の事例が示すとおり、ホーム上の障害物を避けたために方向を見失つたり、ホーム側端までの距離の判断を誤つたり、あるいはホーム側端を階段の降り口と間違えて仕舞つたりするためであるが、いずれも一様にそこがホーム側端であることに気が付かなかつたためである。

(三)  視力障害者が駅のホームを歩行していて、その側端に気付かずに転落した具体的事例の極く一部は次に掲げるとおりであるが、幸い、電車にはねられたり轢過されたりせずに済んだ者もいるものの、悲惨な結果となつた例が少くない。

(1) 全盲の堀井功は、昭和三七年頃、国鉄京都駅七番線ホーム(島式ホーム)を、更に昭和四六年近鉄京都線青谷駅ホーム(相対式ホーム)をいずれも歩行中、方向を誤りホームの側端に気付かず転落した。

(2) 全盲の渡辺明子は昭和四六年一二月頃近鉄京都線伏見駅において開札口からホーム(相対式ホーム)に出た際、右に折れるべきところを勘違いして直進したために転落し、また、昭和五〇年頃京阪電車三条駅で電車から降り、右に折れて開札口の方へ行こうとしたところ、距離の判断を誤り早く右折しすぎたため、転落した。

(3) 全盲の楠敏雄は昭和四八年一月二日、国鉄青森駅で列車を降り、連絡船に乗ろうとしてホーム(島式ホーム)の中央を歩行していて、電柱を避けたためその後方向を誤り、ホーム側端に気付かず転落した。

(4) 一メートル手動弁(顔前一メートル先で指を動かしてその動く方向が判る程度の視力、しかしその後全盲になつた。)の岩橋英行は阪急電鉄西宮北口駅ホーム(島式ホーム)の側端までの距離の判断を誤り、前に出過ぎたために転落した。

右の各事例は幸いに重大な結果に至らなかつたものである。

(5) 全盲の上野孝司は、昭和四八年二月一日国鉄山手線高田馬場駅ホーム(島式ホーム)を歩行中転落し、その付近に居合わせた乗客らに引き上げてもらつていたところ、折から電車が進入してきたため、右電車とホームの間にはさまれて約五〇メートル引きずられ、全身打撲のために即死した。

(6) 盲学校生徒の高橋節子は昭和四九年五月二日国鉄大宮駅第四ホーム(島式ホーム)を歩行中転落し、折から進入してきた上野発籠原行下り電車に轢過されて即死した。

(7) 重度弱視の中島光義は昭和四九年一〇月二〇日国鉄元町駅東海道線ホームから転落し、折から進入してきた上郡発草津行上り電車に轢過されて即死した。

(8) 盲学校生徒の茂木弘、小川正夫は昭和五一年一〇月一〇日国鉄高崎線鴻巣駅一番線ホームを手をつないで歩行中転落し、折から同駅を通過しようとした新潟発上野行特急列車にはねられて、茂木弘は即死し、小川正夫は重傷を負つた。

(9) 盲学校生徒馬場洋は昭和五六年五月八日阪神電鉄「センタープール前駅」の上り線ホームから転落し、折から進入してきた梅田行特急電車にはねられて死亡した。

(1)ないし(9)の各事例は、いずれも、ホーム側端であることを視力障害者に知覚させるための点字ブロック等が敷設されていなかつたものである(ただし、(9)は、ホームに点字ブロック等が敷設されていたが、それが全長にわたつていたものでなく、敷設されていない個所から転落したものである。)。

(四)  点字ブロックは昭和四〇年に、点字タイルは昭和四一年に岡山市の財団法人安全交通試験研究センター(以下「安全センター」という。)によつて開発されたものであるが、点字ブロックは縦、横各三〇センチメートル、厚さ5.5センチメートルのコンクリートブロックの台座に硬質の骨材でできた高さ0.5センチメートル、直径3.5センチメートルの半球状突起を縦横各六列に合計三六個取り付けたものであり、点字タイルはコンクリートブロックの代りに厚さ0.2センチメートルの塩化ビニールのタイルが使用されているところ(右の点字タイル、点字ブロックともに標準的なものであり、ブロックやタイルの大きさ、半円球突起の大きさや高さがこれと異なつたものもある。)、点字ブロック等は、帯状に並べて敷設し、足裏または白杖による手指の感覚により、視力障害者の歩行を誘導するためのものであつて、これをホーム上の白線内に敷設すれば、視力障害者がホーム側端の位置を容易に知覚することができ、転落事故の発生を防止しうる機能をもつものである。

(五)  点字ブロック等をホームに敷設することが視力障害者の転落事故防止に極めて有効であり(今日においては、在阪の各私鉄、公営地下鉄のほとんどすべての駅ホームに点字ブロック等が敷設されていることは公知の事実である。)、全盲の岩橋英行は当審証言において、点字ブロック等について、「まず、言えることは、点字ブロックなしで杖だけで歩いておりましたら、全身これ針ねずみで、神経は足の先から頭の毛の先まで集中しております。しかし点字ブロックの上に乗つかつた途端に、腰から下は全部神経がなくなるわけです。使わなくてもいいわけです。だから、端的に言つて鼻歌でも歌いたくなるほど気楽になります。次に、点字ブロックを探したとき、これでやつとここで危険というものから解放されたという安ど感が起こります。」と盲人の切実な気持を表明している。

(六)  安全センターは、点字ブロック等の開発後直ちにその普及活動に入り、毎年年度初めの四、五月頃と翌年度の予算要求の始まる九、一〇月頃の二回、パンフレットやカタログ等を第一審被告を始めとしてその他の公営交通機関、私鉄、地方公共団体、建設省等に送付して点字ブロック等の採用を要請してきたし、昭和四七年一一月には第一審被告旅客局の担当係員に対し点字ブロック等の詳細な説明をしたり、さらに前記(三)(5)の国鉄山手線高田馬場駅ホームでの転落事故直後の昭和四八年三月第一審被告の東京西鉄道管理局の係員に対し同様の説明を行なつたりして、ホームに敷設することの有効性を改めて強調した。

一方、盲人交通安全連絡会は、昭和四三年頃、盲人がしばしばホームから転落するが、その原因はホームが一様に平担なために方向を失なうか、あるいはホームの側端を階段の降り口と間違えるかのどちらかであるとして、ホーム白線上やホームから階段への降り口に点字ブロック等の敷設を要望する旨の請願書を、日本盲人社会福祉施設協議会は、昭和四三年七月、盲人がホームから線路上に転落した例は枚挙にいとまがないから、その転落防止のためにホーム白線上に点字白線鋲(点字ブロック等ないしこれと同様の機能を有するものを指称していると考えられる。)の設置を求める旨の要請書をそれぞれ第一審被告に提出し、岡山県盲人協会は昭和四六年三月、山陽新幹線岡山駅ホームに点字白線鋲、点字ブロック等を敷設することを要請する旨第一審被告に陳情し、京郡府盲人協会は昭和四六年、国鉄京都駅のホームや階段の昇降口に点字ブロック等を敷設することなどを求める旨の陳情書を第一審被告に提出した。

また、政府の諮問機関である中央心身障害者対策協議会は、昭和四七年一二月、心身障害者対策基本法に基づき、政府に対し心身障害者対策についての答申を提出したが、その中で「(公共交通機関の)ホームの端にはなんらの安全装置も講じられていないため、盲人にとつて極めて危険なものとなつている。」旨指摘している。

(七)  昭和四一年三月、岡山県立盲学校に通じる岡山市の国道二号線の横断歩道に始めて点字ブロックが敷設されて以来、点字ブロック等は漸次全国の各都市で視力障害者用交通安全装備として採用され、昭和四六年三月当時、点字ブロックは五六の、点字タイルは四一の各都市で既に採用されていたが、その後昭和四八年頃から急速に普及していつたものである。

ところが、第一審被告は、本件事故が発生した昭和四八年八月当時、第一審被告の大阪及び天王寺各鉄道管理局管内では、いずれも近くに盲学校のある阪和線我孫子町駅と紀伊駅、紀勢本線の和歌山駅の各ホームに点字ブロック等を敷設していただけで、その他の駅のホームにはこれを敷設していなかつたが、本件事故後の昭和四八年に天王寺と阪和線の長居、昭和四九年に湖西線の西大津、昭和五〇年に環状線の森の宮、片町線の放出、山陽新幹線の新大阪の各駅ホームに点字ブロック等を敷設し、その後も漸次敷設駅数を増加させてはいるものの、今日に至るも電車の発着数や乗降客の比較的多い大阪環状線の駅の中にも福島駅を始めとして敷設されていない駅がある。

2前記一の事実、<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  福島駅は大阪環状線にある駅の一つであり、そのホームは、ほぼ東西に延びる全長約一八〇メートル、幅員がホームの中央付近で約一〇メートル、東端で約7.8メートル、西端で約5.9メートル、その他の部分で約九メートル前後の舟型をした、南側の一番線には内回り電車(大阪駅方面からの電車)が、北側の二番線には外回り電車(大阪駅方面に向う電車)がそれぞれ発着する高架の島式ホームである。そして、ホーム東西のほぼ中程に東西長約五メートル、南北長約三メートルの運転掛室が、その約三メートル東側にホームの東側方面から改札口の方向に通じる東西長約6.5メートル、南北長約4.5メートルの東側を除く三方を側壁で囲まれた階段(以下「東階段」という。)が、右運転掛室の約7.2メートル西側にホームの西側方面から改札口の方向に通じる東階段とほぼ同様の階段(以下「西階段」という。)がそれぞれ設置され(東西各階段のある部分のホームの幅員は、一番線、二番線とも約2.2メートルと相当狭くなつており、階段横に後記のH型鋼柱のある部分では、さらに狭く約1.9メートル弱しかない。)、また、東階段の東側及び西階段の西側には、いずれもホームの南北中央付近に、ホームの東西両端に向つて、順次、水飲み台、二つのベンチ、ゴミ箱二個、水銀灯が、ホームの南北各側端の約1.8メートルの内側に約一〇メートル間隔で屋根を支えるH型鋼柱がそれぞれ一四本計二八本設置されており、ホームの東西両端にはそれぞれ鉄柵が設けられている。

また、一番線ホーム(南端)下には高さ約1.1メートル、奥行約1.7メートルの線路側に開かれた空間部分があり(しかしホーム上からでは見えない。)、その線路外側から南側壁まで幅約二ミメートルの空地が残されており、二番線ホーム下の状況もほぼ同様となつている。

(二)  また、福島駅ホームの南側には、阪神電鉄が、ホームの北側直下には国鉄貨物線がそれぞれ併走し、ホームと交差した直下に、両側六車線の南北に通じる幹線道路が延び、さらにその少し離れた北側には国鉄東海道本線と阪神高速道路が走つている。したがつて、これらの電車や道路上の自動車、さらにその他駅前商店街などの騒音が多方面から絶えずホームを直撃しているうえ、前記のとおり高架の島式ホームで遮蔽物がなく吹きさらしであるため、音が不規則に入り乱れ、視力障害者がその歩行の基準とすべき音を選択することが著しく困難となつている。

(三)  福島駅一番線ホームに進入する内回り電車の進行方向からみると、線路はS字型に緩く湾曲しているため、運転士は、ホームの東端から約一八メートル手前の四号柱(鉄柱の名称)付近に差し掛かるまで電車の最前部の停止位置(ホームの東端から約一六三メートル、西端から約一七メートルの地点)付近までの線路上を見通すことができず、六両編成の電車(第一審原告を轢過した型式の電車)がホームに差しかかるときの速度は通常時速約五四キロメートル位であり、その速度で急制動を掛けても、停車するのに約一三〇ないし一四〇メートルも要るから、ホームから線路上に転落すると、運転士の注意力で事故を避け得る余地は少ない。

(四)  本件事故当時、福島駅は、一日に、乗降客が約二万六〇〇〇人(そのうち視力障害者の数は定かではないが、大阪市内だけでも身体障害者手帳を所持している視力障害者は約一万人もいる。)、電車の発着数が約四〇〇本(その他に通過電車もある。)もあり、本件事故が発生した午後六時台には、ラッシュアワーは既に過ぎていたが、内回り電車が一八本、外回り電車が一七本それぞれ発着し、時によつては電車がほとんど同時に一、二番ホームに入構することもあつた。

一方、同駅では、自動放送設備によりホーム上の旅客に電車の接近を知らせてその注意を促がしていたほか、旅客掛が一名ホームに常時配置され、旅客取扱と電車監視に当つていたものであり、朝夕のラッシュアワー(午前七時三〇分から九時と午後五時から六時三〇分)には、助役もホームに出て旅客掛を助けていたが、主に電車発着時における旅客の安全の確認に追われ、ホーム上の旅客全般の動静に気を配る余裕はなかつた。なお、昭和五四年五月現在、第一審被告の東海道線京都神戸間及び大阪環状線、大阪市営地下鉄御堂筋線における福島駅と同程度の乗降客数のある駅のホーム要員の配置状況は、朝夕のラッシュアワーで二名ないし一名、その他の時間帯では一名である駅が多く、大阪近効の各私鉄のホーム要員はそれを下回つておりホーム要員が全く配置されていない駅も少なくなかつた。

(五)  福島駅ホーム上の安全設備としては、一番線、二番線ともに、ホームの全長にわたつて、ホーム側端から約一メートル内側に約0.49メートル間隔で白いタイルを点線状に埋め込んだ白線(これは視力障害者にとつては役に立たないことは言うまでもない。)とホーム側端に沿つて約0.45メートルないし0.58メートルのクリーンタイルがそれぞれ敷設されているだけで、東西両端に鉄柵があるほか転落防止のための手摺、柵、ロープ、点字ブロック等は敷設されていない。

クリーンタイルは、線状の硬質ゴムの突起を数条塩化ビニールのタイルに取り付けたものであつて、元来ホーム側端における滑り止めのためのものであるため、その突起も低く足裏に知覚しにくいし、その敷設個所も側端に寄り過ぎており(滑り止めのためにはホーム側端から離したのでは役に立たない。)、視力障害者がホーム側端から転落することを防止するための設備としては不十分である。第一審原告は、前記二のとおり重度の視力障害者であり、また白杖も使用したことがなかつたことから、日頃からズック靴の足を引きずるようにして歩行せざるを得なかつたが、本件事故当日も、ズック靴を履き、すり足でホームを歩行していたのに、右クリーンタイルに気付かず転落したものである。

(六)  点字ブロック等を敷設するためには、巨額の費用を要するものではなく、本件事故が発生した昭和四八年当時、三〇センチメートル四方の点字ブロック一枚の価格は工事費を含めて四八〇円位、同様の大きさの点字タイルのそれは六〇〇円位であつたし、特に点字タイルは接着剤でホームに貼付すれば足りるから工事も簡単であり、一、二番線合わせて三六〇メートルの福島駅ホームに敷設するには一日もあれば足りるものである。

3ところで、国賠法二条一項の営造物の設置・管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいうところ(最高裁昭和四五年八月二〇日第一小法廷判決、民集二四巻九号一二六九頁参照)、右1、2認定の事実によると、視力障害者は、足元の確認が容易ではないから、相対式ホームからでさえ常に転落の恐れがあるのに、福島駅ホームは、島式ホームであるうえ高架のため周囲の騒音が入り乱れ、視力障害者の歩行につき重要な機能をもつ顔面の皮膚感覚や聴覚がほとんど役に立たず、足裏や白杖による手指の感覚に依存せざるを得ないのみならず、ホーム上には階段、運転掛室、ベンチ、水飲み台、柱など多くの障害物があるため、これを避けようとして方向を見失う恐れがあるから、転落の危険性が極めて高く、一方、ホームの両側には頻繁に電車が発着する(時には一、二番同時発着もある。)から、ホームに配置された旅客掛は、電車発着時における旅客の安全の確認に忙殺され、視力障害者の転落を防止したり、転落した視力障害者を直ちに救護する時間的余裕が全くなく、また視力障害者がホームから転落すれば、一番線ホームに入構する電車の運転士からはその見通しが悪く、巨大な鉄の箱が転落した視力障害者に向けてばく進することになり、しかも視力障害者自身は迅速な退避行動をとれないから、非常に重大な結果に至る恐れが強い。したがつて、福島駅ホームには、視力障害者が足裏や白杖による手指の感覚によつてホーム側端の位置を知覚し、自ら転落を避け得る設備を必要不可欠としていたところ(手摺や柵等をホーム側端に設置することは一般客の利用との関係で問題があるし、ホーム上の駅員の数を増やせば、それによつて防止できる事故もあり得ようが、転落が突発的なことであることを考えると、少し位増やしても、事前にそれを察知することは難かしく、その効果は疑わしい。)。本件事故発生当時、このような設備として既に点字ブロック等が開発されており、第一審被告もこのことをよく承知していて、しかも容易にこれを敷設することができたにもかかわらず、他の少数の駅に敷設しただけで、福島駅には敷設しないまま放置していたものであるから、福島駅ホームは、通常有すべき安全性を欠き設置・管理に瑕疵があつたものであり、第一審原告がすり足で歩行していたのに、点字ブロック等が敷設されていなかつたためにホーム側端に気付かず転落したものであるから、本件事故は右瑕疵により発生したものというべきである。

4第一審被告は、視力障害者といえども一般旅客と同様自ら危険を防止すべきは当然であつて、特別の保護を必要とする者は自ら介護者を同伴すべきものであり、視力障害者のために特別の設備をすべき義務がなく、また、点字ブロック等は、本件事故発生当時、地方公共団体によつて道路に敷設され始めたばかりであつて、その敷設場所も視力障害者の通行の多い場所が選定されていたものであり、第一審被告及び大阪近郊の各私鉄、公営交通機関にあつても、これを敷設していた駅は、視力障害者施設に関連するか視力障害者の利用の多い主要駅など極めて範囲が限られていたから、福島駅のような視力障害者に関係のない一般の駅のホームにこれが敷設されていなかつたとしても安全性を欠いていたことにはならない旨主張する。

しかし、視力障害者が晴眼者と等しく人としての当然の欲求を充足し、晴眼者とともに自由な社会生活を営むことのできる社会的環境の整備に努めるべきことは、社会福祉を標榜する国や地方公共団体の当然の責務であり、現在における発達した公共交通機関の現状にかんがみると、視力障害者が晴眼者とともに自由な社会生活を営むためには、公共交通機関を安全且つ容易に利用できることがその前提となるところ、第一審被告は、国が公共の福祉を増進するために設立した全国的な規模をもつ旅客の大量輸送を目的とする鉄道による交通機関であり、その社会性、公共性が極めて強いものであるから、視力障害者が介護者なしに電車を利用することを前提としてホームの安全設備を考慮すべきは当然であり、また、前記のとおり、点字ブロック等は、既に昭和四一年に開発されていたものであつて、視力障害者の転落防止に極めて有効であり、しかもこれが比較的容易に敷設できること、福島駅は前記のとおり視力障害者にとつて極めて危険な駅であり、大阪市内だけで約一万人もいる視力障害者の利用が当然予想されることや転落が殆んど死傷事故に直結することを考え合せると、視力障害者の施設に関係しない駅であるというだけで点字ブロック等の敷設を要しないとすることは相当ではないというべきであり、第一審被告の右主張は採用することができない。

5第一審被告は、また、点字ブロック等が転落等の防止手段となり得るためには、視力障害者がその存在と意義目的を理解していることが前提となるが、本件事故当時における点字ブロック等の普及状態にかんがみると、仮に点字ブロック等が福島駅ホームに敷設されていて、第一審原告がこれを感知していたとしてもその意味を理解することができず、転落の具体的な防止手段にはなり得なかつた旨主張するが、前記のとおり、点字ブロック等は、昭和四一年から安全センターが普及活動に入り、昭和四三年頃盲人交通安全連絡会が、同年七月日本盲人社会福祉施設協議会がそれぞれ敷設の請願や設置の要請をしたほか、そこ後、地方の盲人協会も敷設の陳情をしていて盲人にとつて非常に関心の深いものとなつており、本件事故当時までに既に全国の相当多数の都市の道路に敷設されていたし、また、第一審被告も視力障害者の施設に関係する駅のホームに既に敷設していたものであるから、第一審原告は当然その意味を理解していたことが推認されるから、第一審被告の右主張もまた採用することができない。

四次に第一審原告の被つた損害について判断する。

1逸失利益  一三一一万円

前記二の事実、<証拠>によると、第一審原告は、本件事故当時四四歳であり、視力に障害があつたものの、前記の大和高田市での交通事故に遭うまで、長年大阪で、郷里で習得した溶接の技術を基礎にして、冷暖房器具の組立等の仕事に従事していたものであり、右交通事故により左眼が失明し、右眼も眼前手動弁の視力に衰え暫らく休養していたが、自己の右技術を生かした仕事で自活することを決意し、再就職しようとした矢先に本件事故に遭遇し、従来の視力障害に加え両下腿を失つた(膝関節から右足は約一〇センチ、左足は約一五センチ下で切断)ため、後記のように他人の介護を要する始末であり、再就職の望みが絶たれて仕舞つたことが認められ、右事実によると、第一審原告は、本件事故がなければ、前記の冷暖房器具の組立その他の仕事に従事して、六三歳までの一九年間、就労可能であつたものと考えられ、当裁判所に顕著な昭和四八年賃金センサス、産業計、企業規模計、男子労働者学歴計、四〇ないし四四歳平均給与年額は二〇〇万五六〇〇円であるから、その視力障害の程度が前記のとおりの重度であることを考慮しても、右金額の半額程度、即ち一〇〇万円を下らない年収を毎年得ることが可能であつたとみるのが相当であり、したがつて逸失利益の総額の現価が次のとおりの金額となる。

100万円(年収額)×13.1160(一九年間の新ホフマン係数)=1311万円(一万円未満切捨て)

なお、第一審原告は、中途失明者であるから鍼・灸・マッサージのいわゆる三療業資格を短期間で取得することは可能であつたものであり、本件事故がなければ少くとも月額一五万円の収入を得ていたはずである旨主張するが、前記のとおり、第一審原告が本件事故の直前冷暖房器具の組立ないしそれに近い仕事に従事しようとしていたことは明らかであり、<証拠>によると、三療業を行なう資格を取得するためには専門の養成施設で三年ないし五年の職業訓練を受けた後、さらに都道府県知事の実施する試験に合格しなければならないこと、第一審原告は右のような訓練を受けたことがないことが認められ、右各事実によると、本件事故がなければ第一審原告が三療業を仕事としたかどうかは甚だ疑問の余地があるから、第一審原告の右主張は採用することができない。

2介護費  一二八六万円

前記二の事実、<証拠>によると、第一審原告は、本件事故により入院していた大阪市福島区所在の手島外科病院を昭和四九年六月四日退院したこと、退院当時四五歳であつたこと、退院後は暫く民間のアパートで住んでいたが、その後市営住宅に移り、現在まで一人で住んでいること、本件事故以前は視力に障害はあつたものの、介護を要する程のものではなかつたところ、本件事故により両下腿を失なつたため(義足を付けても足が痙れんするため余り役に立たず、家の中では付けていない。)、起居動作全般にわたり日常生活に著しい支障をきたし、少くとも一日四時間程度の介護(主として、日常の買物、炊事、洗たく、掃除)を必要とすることとなり、右病院退院後現在に至るまで、第一審原告の窮状を伝え聞いた小西信一郎ら社会福祉に関心のある若い善意の人々から無償で介護を受けてはいるが、それが将来にまでわたる保障はなく、またそれに代る近親者の介護を期待できないこと、昭和五四年当時家政婦を雇う費用は一日八時間で五〇〇〇円位であつたことが認められ(手島病院に入院中は、第一審原告がその費用を負担すべき職業的付添人や近親者が付添つていたことを認めるに足りる証拠はない。)、右事実によると、第一審原告は、現在までのところ、現実に介護費を出費してはいないが、善意の人々から受ける恩恵の効果を加害者の第一審被告に及ぼすべきものではなく、また、善意の人々の無償の介護を金銭に評価することは可能であつて、その金額は前記の介護に要する時間、その内容からみて一日二〇〇〇円とするのが相当である。したがつて、第一審原告は、本件事故により、生涯にわたつて一日二〇〇〇円の介護費用を要することとなつたものというべきであり、当裁判所に顕著な昭和四九年の簡易生命表によると、四九歳の男子の平均余命は29.52年であつて、第一審原告は昭和四九年からなお二九年間生存することが可能であると考えられるから、付添費用の総額の現価は次のとおりの金額となる。

2000円×365日×17.6293(二九年間の新ホフマン係数)=1286万円(一万円未満切捨て)

3過失相殺

視力障害者が白杖を所持することは、ホームの側端など危険な場所を知覚するのに有益であるばかりではなく、周囲に居る未知の晴眼者にもその者が視力障害者であることが容易に分り、ホームの側端など危険な場所に近寄ると注意を与えてもらえて事故の防止に役立つから、視力障害者が道路や駅のホーム等危険な場所を歩行するときには当然白杖を所持すべきものであると考えられるところ(道路交通法一四条同法施行令八条は、目のみえない者が道路を通行するときは、白色もしくは黄色の杖を携帯することを義務付けている。)、前記一、三の事実、<証拠>によると、第一審原告は、重度の視力障害者であるが、白杖使用の訓練を受けていなくても白杖を所持することは右のとおり危険を避ける一助となることが明らかであるにもかかわらず、本件事故当日白杖を所持していなかつたことが認められ、このことと前記二の本件事故の態様からすると、第一審原告が白杖を所持していなかつたこと、前日からの疲労のため注意力を欠いていたことなどが本件事故発生の一因をなしたものと推認され、したがつて、この点についての過失が相当大きいものといわざるを得ず、これを斟酌すると、第一審被告が賠償すべき逸失利益及び介護費は1、2の合計金額の半額即ち一二九八万円(一万円未満切捨て)が相当である。

4慰藉料  四〇〇万円

前記認定の第一審原告の受けた傷害の部位程度、入院期間後遺症の程度、本件事故後の情況(原審における第一審原告本人の尋問の結果(第二回)によると、入院中前途を悲観して病院の窓から飛び降りて自殺しようとしたことが数回あつたことが認められる。)、第一審原告の過失の程度その他本件に顕われた諸般の事情を勘案すると、本件事故によつて第一審原告が受けた精神的苦痛に対する慰藉料は四〇〇万円が相当である。

5弁護士費用

弁論の全趣旨によると、第一審原告は本件訴訟の提起ならびに追行を第一審原告訴訟代理人らに委任したことが認められるので、これに要する弁護士費用も本件事故による損害というべきところ、本件事案の難易、審理経過、認容金額その他諸般の事情を勘案すると、第一審被告に損害として請求し得る金額は一七〇万円が相当である。

五そうすると、第一審被告は第一審原告に対し、本件事故による損害賠償として一八六八万円及びうち弁護士費用を除く一六九八万円に対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかである昭和五一年八月三日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、第一審原告の請求は右認定の限度で正当として認容し、その余は失当として棄却すべきところ、これと趣旨を異にする原判決は相当ではなく、第一審被告の控訴は一部理由があるから、民訴法三八六条により原判決主文第一項を主文第一項のとおり変更し、第一審原告の控訴は理由がないから、同法三八四条によりこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条、九二条を、仮執行の宣言及びその免脱の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(仲西二郎 長谷喜仁 下村浩蔵)

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