大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。
官報全文検索 KANPO.ORG
月額980円・今日から使える・メール通知機能・弁護士に必須
AD

大阪高等裁判所 昭和56年(う)1825号 判決 1982年12月06日

主文

原判決中無罪部分を除くその余の部分を破棄する。

被告人を罰金四万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原判決中無罪部分に関する控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、大阪地方検察庁検察官検事細谷明作成の控訴趣意書及び弁護人亀田得治、同山田一夫、同桐山剛、同杉山彬、同松井清志共同作成の控訴趣意書各記載のとおり(ただし、弁護人の控訴趣意第二は、訴訟手続の法令違反を主張する趣旨である旨、主任弁護人において釈明した。)であり、検察官の控訴趣意に対する答弁は、右各弁護人共同作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用するが、当裁判所は、各所論並びに答弁にかんがみ、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して、次のとおり判断する。

第一、検察官の控訴趣意第二、一(公訴事実第一に関する事実誤認及び法令適用の誤りの主張)について

一、論旨は、要するに、原判決は、「被告人は、朝鮮人であるところ、第一、昭和二四年ころ、本邦に入国し、大阪市淀川区《番地省略》等に居住していたものであるが、右上陸の日から六〇日以内に所定の外国人登録の申請をしないで、その期間をこえ、昭和五三年五月三日まで同所等本邦に居住在留したものである。」との本件公訴事実第一について、被告人は、外国人登録令(昭和二二年勅令二〇七号)四条一項ないし外国人登録法(昭和二七年法律一二五号、ただし昭和五五年法律六四号による改正前のもの。以下同じ。)三条所定の新規外国人登録申請手続をした事実はなく、被告人について継続犯として同法一八条一項の登録不申請罪が成立したことを認めながら、被告人が金哲秀という名義で自身の写真を提出して、昭和二七年一一月五日から昭和四九年一〇月一六付日までの間の前後九回にわたり、それぞれ外国人登録事項確認申請(いわゆる切替申請)手続を行っている事実をとらえ、金哲秀という氏名は、被告人の通名となっていると認定したうえ、通名による右登録事項確認申請も有効であるとの前提の下に、新規登録申請義務が履践されていない状態においても、登録事項確認申請がなされることにより登録事項が明らかにされるに至れば、新規登録申請がなされていないことにより生じている違法状態は実質的に終了し、登録不申請罪は終了するものと解すべきであるとし、被告人が数次にわたり登録事項確認申請手続をしたこと、おそくとも昭和四九年一〇月一六日付の登録事項確認申請手続をしたことにより登録不申請罪は終了し、その時点から公訴の時効が進行を開始し、昭和五三年六月二二日に公訴提起がなされた前記公訴事実第一の罪については、すでに公訴の時効が完成しているとして免訴の言渡をしたが、右判決には、金哲秀という氏名を被告人の通名と認定した点で事実の誤認があり、仮に金哲秀という氏名が被告人の通名であると認められるとしても、原判決が通名による登録事項確認申請が有効であるとの誤った前提の下に、新規登録申請義務が履践されていない状態で登録事項確認申請が行われれば、違法状態が実質的に終了し、登録不申請罪が終了すると解したのは、外国人登録法一八条一項一号、三条一項(外国人登録令四条一項、一三条一号)の解釈適用を誤ったものである、というのである。

二、当裁判所は、以下に説示するとおりの理由により、金哲秀は被告人の通名であると認められるから、検察官の事実誤認の主張は理由がないけれども、被告人のなした登録事項確認申請によりさきに成立して継続中の登録不申請罪の違法状態が失われ同罪が終了するとした原判決の法解釈は誤りであると判断した。

三、まず、原審で取り調べられた関係各証拠によれば、被告人の入国、入国後の生活及び外国人登録に関して、以下の諸事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(一)  被告人は、大正一三年(一九二四年)一一月一日(ただし日本統治下の朝鮮戸籍及びこれを現実に引き継いでいる韓国の戸籍((以下単に被告人の戸籍という。))上は、同年一二月五日となっている。)、日本統治下の朝鮮済州島朝天面朝天里二九四七番地において、父A、母Bの間の五男として出生した外国人であるが、昭和一八年ころ本邦内の学校に通学するため渡航し、一年ほど本邦に居住したが、その後一旦郷里に帰り、昭和二四年一〇月ころ単身釜山付近から舟で島根県対馬付近に密入国し、そのころ松江市内に居住していた実兄CことD方に身を寄せた。

(二)  その後昭和二五年一月ころ、外国人登録に必要であるからとのDの教示に従って、同人に自己の写真を手交したところ、同年五月ころ同人から、No.585876外国人登録証明書、氏名金哲秀(金山良一)、性別男、一九二五年一一月二七日生、国籍朝鮮、職業鉄工員、出生地済州島、入国一九四〇年、住所大阪市生野区《番地省略》、世帯主の氏名張淑子、世帯主との続柄義兄、有効期間自昭和二五年一月三〇日至昭和二八年一月二九日、発行者大阪市生野区長とそれぞれ記載され、写真欄にはDに手交した前記被告人の写真が貼付された外国人登録証明書一通を受け取った。

(三)  ところで、右登録証明書が発行された経緯をみると、金恒秀という実在の人物(同人は、大正八年((一九一九年))一一月二七日朝鮮済州島朝天面朝天里で出生し、本邦に昭和一五年三月一三日入国し、昭和三五年七月一日に出国した者であるが、昭和二四年ころは、岩手県盛岡市に居住し、同年五月六日同市長に対し、右真実の氏名、生年月日等に基づいて新規外国人登録をすませているものである。)が、昭和二三年六月一六日大阪市生野区長に対し、金哲秀(通称金山良一、生年月日一九一九年一一月二七日、国籍の属する国における住所又は居所朝鮮済州島北郡朝天面朝天里、世帯主金恒満、続柄同居とあるほかは、被告人の受け取った前記登録証明書と同一の職業、住所、入国年等を届出)という仮名を用い、自己の写真を提出し、大阪市東成区から同市生野区《番地省略》に転居した旨の外国人登録令(昭和二四年政令三八一号外国人登録令の一部を改正する政令による改正前のもの)七条による居住地変更登録申請をしたことにより金哲秀名義の外国人登録証明書(No.二五四五五)が発行されたところ、右昭和二四年政令三八一号(昭和二五年一月一六日施行)附則二項によって、本邦に在留する外国人に対し、右施行の日から昭和二五年一月三一日までに行うよう義務づけられた旧登録証明書の返還と新登録証明書の交付申請(いわゆる一斉切替)の機会に、右金哲秀名義の登録に関し、何者かによって、右期間内の同年一月三〇日大阪市生野区長に対し、金恒秀の写真に代えて被告人の前記写真を金哲秀の近影であるとして提出して新登録証明書の交付申請がなされ、その際併せて生年が一九一九年から被告人の生年(一九二四年)に近い一九二五年に、世帯主が金恒満(世帯主との続柄、同居)から張淑子(世帯主との続柄、義兄)にそれぞれ変更された結果、前記区長から、前記(二)に認定した外国人登録証明書が発行され、右登録証明書がいかなる経緯によるかは不明であるが、Dの手を経て被告人に渡されたものである。

(四)  被告人は、前記(三)認定の如き登録証明書の作成経過については、Dから何も知らされず、また同人から渡された登録証明書の記載自体からこれを察知することができなかったが、ともかく右登録証明書を自己の登録証明書として取り扱うこととし、その後、昭和四九年一〇月一六日に至るまで合計九回にわたる外国人登録法(昭和二七年四月二八日施行)所定の登録事項確認申請手続に際しては、それぞれその法定期間内に、被告人自身の写真を提出し、昭和三〇年以降は指紋も押捺して申請手続を了し、その都度、金哲秀名義で被告人の写真の貼付された新外国人登録証明書を入手し、また住所、職業、世帯主等については、できる限り被告人自身の真実のそれに一致するよう適宜、正規の登録事項変更手続をとってきた。

(五)  他方、被告人は、前記外国人登録証明書をはじめて入手した昭和二五年五月以降、外国人として外国人登録令又は外国人登録法の規制に従う限り、金哲秀(当初右登録証明書に付記されていた金山良一という通名は、昭和二七年一一月五日付の登録事項確認申請の際に被告人において使用しない旨届け出て削除され、また昭和二八年ころ眞木得史という通名の併記届出をしたが実際には全く使用しなかった。)という登録証明書記載の氏名を用いることが必要(外国人登録法一三条参照)でもあったため、以後そのように行動することとした。すなわち、被告人は、その後松江市から大阪市に転居して働くようになり、さらに栃木県、埼玉県、東京都を転々としたが、昭和三四年九月から朝鮮総連東京都中央支部常任委員となり、昭和三五年一〇月二一日、日本で生まれ日本で育った同朋女性であるE子ことF子と結婚し、次いで昭和三六年九月からは朝鮮新報(日刊新聞)社の記者をも兼職し、朝鮮総連東大阪支部常任委員(昭和三七年四月ごろ)、朝鮮新報関西支社編集責任者(昭和四〇年)を経て、昭和五一年ころ大阪市淀川区《番地省略》に居住するようになり、そのころ朝鮮総連大阪府本部常任委員、朝鮮新報大阪支局長となって現在に至っているが、その間二五年以上の長期間にわたり、公私の広範囲の生活場面において金哲秀の氏名を一貫して自己の氏名として用い続けた。詳言すれば、妻子に対しても本名は金哲秀であるといい、表札も同名で掲げ、同名義の名刺をも作成し、米穀通帳や医師の診察券等も金哲秀名で受領し、友人や近隣の人々にも金哲秀と名乗り、朝鮮総連役員としての行動、記者としての取材活動、日本の報道機関関係者との接触、公的、私的の文通及び日本語雑誌への投稿等の広範囲の社会生活においても金哲秀の氏名を用いてきたため、本邦内において金哲秀という氏名が被告人を指称するものであることは、外国人登録証の呈示を要するような公的生活ないしは行政機関に接触するような場面では勿論、一般社会生活においても定着し、妻であるF子も、本件起訴に至るまで夫の本名を金哲秀であると信じ、時折見かける金得遠の名は、被告人の幼名であるとの被告人の説明に疑いを抱かなかった。もっとも被告人は、本邦に在留する親族や同郷の者らが少数ではあるが、被告人の戸籍上の氏名が金得遠であることを知っていたため、それらの者に対しては依然として本名で交際し、また朝鮮総連及び朝鮮新報社の内部関係で自己を表示する場合や朝鮮語で論文等を発表する場合などには、金哲秀のほか金得遠の氏名を用いることもあった。このためおおむね被告人は、隣人、日本人の知人、朝鮮総連等に関係しない同朋及び行政機関関係者には金哲秀として認識され、他方被告人の限られた本邦在留の親族及び同郷者らには金得遠と呼ばれ、さらに朝鮮総連及び朝鮮新報社内では、いずれかが本名でいずれかが記者としての筆名であるとして、金哲秀という氏名も金得遠という氏名もいずれも被告人を指すものと理解されているという状態であった。

四、ところで氏名の機能が、特定の個人を社会に存在する多数の人間から識別する点にあることはいうまでもない。法制上氏名は、通常何らかの公認の身分関係登録簿(我が国及び韓国においては戸籍)に登載され、これを変更するには一定の手続を要求して、その特定識別機能を強化している場合が多いが、他方社会生活上の各種の理由から、しばしば登録された氏名以外に、芸名、筆名、雅号、仮名、偽名等種々の名称を付された通称名が用いられているのが実情であり、このような通称名も、長期間広範囲にわたって公然と使用されることなどにより、個人を特定識別する機能を法律上の氏名と併存して、あるいはそれに代って果たすに至る場合のあることも又多言を要しない(以下このような特定識別機能を備えた通称名を通名という。)。

これを本件についてみるに、被告人が金哲秀という氏名を用いることとなった経緯、その使用の程度、範囲及び期間等は前記第一、三の(一)ないし(五)認定のとおりであって、右事実によれば、金哲秀という氏名が、昭和二五年以降約二五年もの長期間一貫して、前記の限られた親族及び同郷者らとの関係を除く被告人の広範囲の社会生活において(ただし、限られた範囲では本名とともに)使用され、被告人を指称する名称として定着しており、かつその名称の由来が前記の如く金恒秀によって作られた同人の仮名であって、すでに本邦外に出国している同人のほかに、金哲秀という氏名をもった被告人以外の人物が実在していなかった(関係者の認識しうる範囲内で)事実も加わって、金哲秀という氏名は、被告人の一般社会生活関係において、被告人の通名として他人との混同を生ずるおそれのない特定識別機能を有していたことが明らかであるといわなければならない。原判文も又、金哲秀という名称が、このような特定識別機能を有する被告人の通名であると認定していることが明らかであって、右認定に誤りはない。

なるほど前記第一、三(一)ないし(五)認定の事実によれば、被告人が金哲秀の氏名を用いるに至ったのは、右氏名を使用しなければ、在留資格のない密入国者である事実が発覚するおそれがあると判断したためであると推認され、その使用開始の動機が外国人登録法ないし出入国管理に関する法令の趣旨に照して違法不当と評価されるものであることは所論の指摘するとおりであるが、通名として特定識別機能を有しているか否かは客観的に決せられるべき事実問題であって、その使用の主観的な動機の当不当によって直接左右されるものではないと解するのが相当である。

その他所論のるる主張するところをつぶさに検討し、記録及び当審における事実取調の結果を参酌しても、原判決に所論の事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

五、次に、新規登録不申請罪と登録事項確認申請との関連について案ずるに、外国人登録法は、本邦に在留する外国人の登録を実施することによって外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資することを目的(同法一条)とし、右目的達成のため、在留外国人の申請による新規登録手続(同法三条)、新規登録に基づく登録原票の作成、保管(同法四条)、新規登録を終えた外国人に対する登録証明書の交付(同法五条)、新規登録後の居住、身分関係の変動に対応するための各種変更登録手続(同法八条ないし一〇条)、登録事項の一層の正確を期する目的で定期に登録事項全般の点検を行うための登録事項確認申請(いわゆる登録証明書の切替交付)手続等の諸制度を設け、右諸手続の正確かつ厳格な遵守を期して各種不申請罪(一八条一項一号)及び虚偽申請罪(同条一項二号)等の罰則を定めていることが明らかであるところ、右諸制度のうち最も基本的な手続が新規登録手続であることは明らかであるのに対し、登録事項確認申請は、新規登録申請に基づいてなされた登録原票の記載が事実に合っているかどうかの確認のために三年ごとに行われる補充的な手続であって、新規登録が存在しない場合には右登録事項確認申請義務も発生しないことは勿論であって(ただし、確認申請義務を有しない者でも虚偽の申請をすれば虚偽申請罪に問われることは別個の問題である。)、両者は性格を異にしており、補充的な制度である登録事項確認申請を履行することによって基本的な手続である新規登録申請義務を果たしたと同様の効果を認めたり、新規登録が履践されていないことによる違法状態が消滅すると解することは、両者の申請手続の性質の基本的な相違にかんがみとうてい首肯できないといわなければならない。原判決は、新規登録と確認申請との間では、登録ないし確認によって明らかにされる事項に共通性があるというが、右は、確認申請の設けられた前記趣旨に伴う当然の現象であって、何ら両制度の性格の相違を希薄ならしめるものではないのみならず、両者の手続上の差異をみると、新規登録においては、外国人登録申請書、写真及び在留資格を正確に示す書面として旅券(密入国者等旅券を所持していない者については入国経過等を記載した陳述書)の提出が必須であり、申請書には、氏名、性別、生年月日、国籍、国籍の属する国における住所又は居所、出生地、職業、上陸した出入国港、上陸許可の日、居住地、世帯主の氏名、世帯主との続柄、勤務所又は事務所の名称及び所在地等外国人の居住及び身分関係全般にわたる詳細な事項の記載が要求(同法四条一項一号ないし二〇号)されるのに対し、登録事項確認申請に際しては、登録事項確認(切替)申請書、旧登録証明書及び写真の提出が義務づけられているのみであって、旅券はたまたま申請の時点で交付を受けている者のみがその提出を要求されるのであり、申請書には、旧登録証明書の番号、住所、氏名、性別、生年月日、職業、国籍、世帯主の氏名及び世帯主との続柄の記載が要求されているだけであって、その補充的な制度としての性格上、提出書類の緩和、記載事項の簡素化が計られており、確認申請手続を何度重ねても、在留外国人の居住及び身分関係全般にわたる詳細な事項の把握を目ざす新規登録の趣旨を満足させることはとうていできず、確認申請手続が新規登録に代わり得るに至るものとは考えられない。

したがって被告人が前記の各登録事項確認申請を金哲秀という通名で行っている事実があるからといって、被告人がこれまで全く新規登録申請を行ったことがないとの事実、すなわち本件公訴事実第一の登録不申請罪の成立及び継続犯としてのその存続に何らの消長をきたすものではないと解すべきであることはいうまでもなく、前記の如く、登録事項確認申請の履行によって新規登録不申請罪が終了するとした原判決には、外国人登録法一八条一項一号、三条一項の解釈を誤った法令適用の誤りがあり、右誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由がある。

第二、弁護人の控訴趣意第二、二の主張(原判決中有罪部分に関する訴訟手続の法令違反の主張)について

論旨は、要するに、原判決は、罪となるべき事実として、被告人が、昭和五二年一〇月一五日大阪市淀川区長に対して行った外国人登録事項の確認申請に際し、自己の氏名、生年月日を「金哲秀」、「一九二五年一一月二七日」とそれぞれ事実に反する記載をした登録事項確認申請書を提出して虚偽の申請をした旨の公訴事実第二と同様の事実を認定したが、被告人に対する右事実についての捜査、ことに被告人が朝鮮人民民主主義共和国(以下単に北朝鮮という)から帰国した直後に行われた逮捕及びその際の所持品の押収は、その必要性がないのにもっぱら朝鮮総連に対する政治的悪宣伝と北朝鮮についての治安情報収集を目的として行われたものであって、右捜査手続には重大な違法があり、右違法は本件公訴提起をも無効にする程度に達していると解されるので、前記公訴事実については免訴を言い渡すべきであるのに、右の点を看過した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

しかしながら、原判決挙示の各証拠によれば、被告人の逮捕は、昭和五三年六月一日大阪地方裁判所裁判官が発付した通常逮捕状に基づいて同月四日行われたものであること、右逮捕状の被疑事実は、本件公訴事実第一ないし第三と同様の事実(登録不申請、虚偽登録申請、再入国許可申請書の偽造及び行使)であったが、右逮捕状請求の時点においては、被告人が右各被疑事実の各犯行をしたと疑うに足りる相当な理由と疎明資料があったこと、被告人の身体を拘束する強制捜査に踏み切ったのは、捜査官側で被告人が北朝鮮に帰国して本邦に戻らないかもしれないとの逃亡のおそれを疑わせるような聞き込みを得、しかもそのころ被告人が北朝鮮への出国手続をしている事実が判明し、右聞き込みにある程度の信用性がうかがえる情況であったことがその理由となっていること、被告人に対する本件各公訴事実に対する捜査活動は昭和四八年ころ開始されているものの、強制捜査に踏み切るのが遅れたのには、当初出入国管理令違反(密出入国)の事犯に捜査の重点が置かれ、途中から外国人登録法違反容疑に捜査方針が変更されたうえ、被告人の戸籍の取り寄せは行われたものの、被告人の本名が金得遠であるとの確定は、昭和五二年に被告人の親族が密入国事犯で取り調べられた際の右親族の信用性のある供述を得るまで待たなければならず、また金哲秀なる人物の実在の有無確認に時間を要したこと等それなりの事情があり、とりたてて問題にすべきほどの不当、不自然な点はないことが明らかである。これらの事由によれば、被告人の前記逮捕及びその際の所持品の押収が、刑事訴訟法所定の理由と必要がないのに、もっぱら所論のような違法な目的のために行われたものでないことは明らかであり、その他所論にかんがみ本件捜査の経緯を検討しても、本件捜査手続に、本件公訴提起を無効ならしめるような違法な点はないと認めた原判決の判断は相当であり、所論の訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。

第三、弁護人の控訴趣意第一、二(原判決中有罪部分に関する法令の解釈適用の誤りの主張)について

論旨は、要するに、原判決は、前記第二記載のとおり登録事項確認申請に際して虚偽の申請をしたとの事実を認定して虚偽申請罪の成立を認め、被告人に有罪を言い渡したが、申請書に記載した氏名は本名でなく、生年月日も事実とは異なるけれども、外国人登録の実情としては、被告人同様通名のみを記載して申請する例は多数あることに加え、被告人に外国人登録証明書の不正入手、不正使用の意図はなく、生年月日のくい違いもわずかであって、申請者(被登録者)である被告人の特定識別に困難はなく、外国人登録法の目的達成の妨げにもならないことをも考慮すると、虚偽申請の程度は軽く、刑罰をもって臨むほどの違法性はないと認められ、被告人の前記申請行為を外国人登録法一八条一項二号、一一条一項に該当するとした原判決には法令の解釈適用を誤った違法がある、というのである。

しかしながら、外国人登録制度は、前述の如く、在留外国人の身分及び居住関係を正確に把握し、その公正な管理に資することを目的とするものであるから、登録事項に関する申請書類の記載は、正確に事実に合致していることが必要であり、その正確性を担保するために形式犯としての虚偽申請罪が特別に定められているのであって、ことに氏名、生年月日は、外国人特定のためには基本的ともいえる事項であるから、当該外国人の所属国の公認の身分関係登録簿等に登載された法律上の氏名と真実の生年月日の記載が要求されていると解され、かかる氏名と真実の生年月日を知りながら、これと異なる申請行為を行った以上、記載された氏名が通名として特定識別機能を有するものであり、生年月日のくい違いがわずかであっても、虚偽申請罪は直ちに成立し、その形式犯としての性格にかんがみると、所論のいうような事由によって可罰的違法性を阻却するとはとうてい解されない。論旨は理由がない。

第四、検察官の控訴趣意第二、二(公訴事実第三に関する事実誤認及び法令の解釈適用の誤りの主張)について

論旨は、要するに、「被告人は、他人である金哲秀名義の再入国許可を取得して本邦外の地域である北朝鮮に向け出国しようと企て、昭和五三年三月二三日ころ、大阪市内において、行使の目的をもって、ほしいままに、法務大臣宛の再入国許可申請書用紙の氏名欄に「金哲秀」、生年月日欄に「一九二五・一一・二七」、申請人署名欄に「金哲秀」とそれぞれペンで記載し、同欄の金哲秀名下に「金哲秀印」と刻した丸印を押捺し、もって金哲秀名義の再入国許可申請書一通を偽造したうえ、同日同市東区谷町二丁目三一番地所在の大阪入国管理事務所において、同事務所入国審査官大本正二に対し、右偽造にかかる再入国許可申請書をあたかも真正に成立したもののように装って提出行使したものである。」との本件公訴事実第三について、原判決は、金哲秀という氏名が、被告人の本名ではないものの、被告人の人格を示す名称として社会的に通用するものとなっており、被告人が再入国許可申請書を作成するに際して自己の本名によらず、金哲秀と署名押印するなどして同人名義の文書を作成しても、それは被告人の通名をもって私文書を作成したものであり、私文書の作成名義を偽ったことにはならず、したがってこれを入国審査官に提出しても偽造私文書の行使にはあたらない、との理由で無罪を言い渡したが、金哲秀という氏名は、被告人が詐称した他人の氏名であって、一部の限られた者に通用していたことはあっても、被告人の親類においてすら被告人の名称として通用していなかったのであるから、金哲秀という氏名が被告人の通名であると認定した原判決には事実の誤認がある、仮に金哲秀という氏名が被告人の通名であると認められるとしても、本件のように、法令の要求する手続を不法に免れ、あるいは他の違法状態の発覚を防止するため、殊更他人の仮名を詐称したうえ、本名で作成することが要求される法律上の手続において、本名以外の右詐称名義で文書を作成すれば、なお私文書偽造罪が成立するというべきであり、ことに本件で被告人の作成した再入国許可申請書は、再入国許可手続という公の手続においてのみ用いられる文書であって、かつ出入国管理上通名によっては当該外国人の身分関係を正確に把握できないことに徴すれば、通名を使用してこれを作成、行使する行為も、私文書偽造、同行使罪を構成することが明白であり、このことは、交通反則切符中の供述書に関する最高裁判所昭和五六年四月一六日第一小法廷決定(刑集三五巻三号一〇七頁)の趣旨とするところである、したがって原判決は、刑法一五九条一項、一六一条一項の解釈適用を誤ったものというほかはない、というのである。

しかしながら、まず金哲秀という氏名が被告人の一般社会生活関係において被告人の通名として他人との混同を生ずるおそれのない特定識別機能を有していることは、第一、四で判示したとおりであり、この点に関する検察官の事実誤認の論旨は理由がない。

そこで、被告人が、前記公訴事実第三のとおり、右通名を用いて再入国許可申請書を作成、行使した行為(この事実は証拠上明白である。)が、私文書偽造、同行使各罪に該当するか否かについて検討する。

私文書偽造とは、その作成名義を偽ること、すなわち私文書の名義人でない者が権限がないのに、名義人の氏名を冒用して文書を作成することをいうのであって、その本質は、文書の名義人と作成者との間の人格の同一性を偽る点にあるということができる。

したがって、公認の身分関係登録簿に登録された法律上の氏名である本名以外の名称を用いて私文書を作成することにより、名義人と作成者の不一致をきたした場合は、不真正文書となり、その作成行為は偽造となることはいうまでもない。しかしながら、本名以外の名称を用いて私文書を作成した場合であっても、その名称が特定識別機能を有する通名などであれば、当該私文書の作成目的、用途及び流通する範囲、通名などの名称の有する特定識別機能の程度等を総合的に検討し、当該私文書の名義人と作成者との間に人格の同一性が認められる限り、その文書は不真正の文書とはいえず、これを作成しても、私文書偽造罪は成立することはなく、この理は、当該私文書が公の手続内において用いられるものであっても変わることはないと解される。

本件についてこれをみるに、前記第一、四において説示した如く、金哲秀という名称は、被告人が永年これを自己の氏名として公然使用した結果、限られた本邦在留の親族及び同郷者らとの関係を除くその余の一般社会生活関係、すなわち家族、隣人、日本人及び同朋の友人及び知人、職場及び所属団体関係者並びに行政機関関係者らの間では被告人を指称する名称として定着し、他人との混同を生ずるおそれのない高度の特定識別機能を十分に果たすに至っていることが明らかであり、そうだとすれば、被告人が右通名を使用して作成した本件再入国許可申請書は、それが、出入国の公正な管理を目的とする出入国管理法令の下で、在留外国人の出国に際しての再入国許可の審査手続に関し、法務大臣に提出されるものであるなど、その作成目的、用途及び使用される範囲等の諸事情を考慮しても、その名義人と作成者である被告人との間に客観的に人格の同一性が認められ、不真正文書でないことが明白であり、被告人の前記行為は私文書偽造、同行使罪にあたらないといわなければならない。なるほど、所論がいうように、被告人が右通名をもって右文書を作成したのは、密入国の事実の発覚を免れるため、他人が仮名名義でした申請に基づいて発行された外国人登録証明書を取得し、その名義で登録事項確認申請を繰り返してきたことに由来するものではあるが、かような事情があるからといって、それが客観的に認定されるべき右文書の名義人と作成者の人格の同一性に直ちに影響を及ぼすとは考えられない。また所論は、再入国許可という公の手続内においてのみ用いられるという特別な性質をもつ本件再入国許可申請書については、本名以外の名称をもって作成された以上、すべて私文書偽造罪が成立するとも主張するが、前記のような私文書偽造罪の性質に照らしてとうてい採り難い見解であり、所論が論拠として引用する上記最高裁判所決定及びこれと同旨の同裁判所昭和五六年四月八日第二小法廷決定(刑集三五巻三号五七頁)は、いずれも文書の名義人と作成者とが明白に異なる場合において、名義人の承諾の偽造罪の成否に及ぼす影響に関するものであって、文書の名義人と作成者との人格の同一性が論点である本件に直接参照されるべきものではない。

また通名を用いて作成した交通事件原票中の供述書について私文書偽造罪の成立を認めた同裁判所昭和五六年一二月二二日第三小法廷決定(刑集三五巻九号九五三頁)は、使用された通名が、比較的短期間限られた生活関係で用いられていたものであるうえ、実在する自己の義弟の氏名であって、その特定識別機能が弱く、結局文書の名義人と作成者の同一性が明らかに否定されると認められる事案に関するものであって本件に適切であるとは考えられない。したがって、右と同旨の理由により私文書偽造、同行使罪が成立しないと判断した原判決の法令解釈は正当であるといわなければならない。本論旨も理由がない。

第五、以上第一ないし第四で説示したところによれば、検察官の公訴事実第一ないし第三に関する各控訴(同第二についての控訴は、もっぱら同第一、第三についての控訴理由により原判決が破棄され、有罪の判決がされる場合に、被告人に併合罪処理の利益を受けさせるためになされたものである。)のうち、同第一に関する部分については理由があり、同第三の部分についての控訴は理由がなく、弁護人の原判決中有罪部分(公訴事実第二)に関する控訴は理由がないことが明らかである。そこで被告人の併合罪処理による利益を考慮して、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決中公訴事実第一に関する部分及び同第二に関する部分を併せて破棄し、同法三九六条により同第三(無罪部分)に関する検察官の控訴を棄却し、原判決中右破棄にかかる部分(公訴事実第一の登録不申請罪を有罪と認めたうえ、時効完成を理由に免訴を言い渡した部分及び同第二の虚偽申請について有罪を言い渡した部分)に関し、同法四〇〇条但書によって当裁判所で更に判決することとする。

原判決が免訴の理由中で認定した事実及び罪となるべき事実で認定した事実、すなわち「被告人は、朝鮮人であるところ、第一、昭和二四年ころ本邦に入国し、大阪市淀川区東三国四丁目一九番六号等に居住していたものであるのに、右上陸の日から六〇日以内に所定の外国人登録をしないで、その期間をこえ、同五三年五月三日まで同所等本邦に居住在留し、第二、同五二年一〇月一五日、同区十三東一丁目一八番二一号所在の大阪市淀川区役所において、同区長に対し外国人登録の確認を申請するに当り、自己の氏名、生年月日につき、「金哲秀」「西暦一九二五年一一月二七日生」とそれぞれ事実に反した記載をした登録事項確認申請書一通を同区役所戸籍登録課員浜渕信治に提出し、もって登録確認申請に関し虚偽の申請をしたものである。」との事実に法令の適用をするに、被告人の右第一の所為は、昭和五五年法律第六四号外国人登録法の一部を改正する法律附則六項により、同法による改正前の外国人登録法一八条一項一号、三条一項に、同第二の所為は、同じく改正前の外国人登録法一八条一項二号、一一条一項に該当するところ、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、右各罪は刑法四五条前段の併合罪であるから同法四八条二項により合算した罰金額の範囲内で被告人を罰金四万円に処し、右罰金を完納することができないときは刑法一八条により金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石松竹雄 裁判官 緒賀恒雄 安原浩)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例