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大阪高等裁判所 昭和56年(う)308号 判決 1981年5月29日

被告人 金峰

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金八、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

本件公訴事実中業務上過失傷害の点につき、被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人松井清志作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、大阪高等検察庁検察官検事松本勝馨作成の答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。

弁護人の論旨は、原判示第一の業務上過失傷害の点につき、原判決が公訴事実のとおりの過失を認めたのは法令の解釈を誤りかつ事実を誤認したものであると主張するので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調の結果をもあわせ検討し、次のとおり判断する。

まず、本件衝突にいたる事実関係をみると、事故発生の日時、場所、態様及び結果は原判示のとおりであり、事故現場の状況は、原裁判所の検証調書添付検証現場見取図中、ガソリンスタンドの位置が交差点の北西角であること、車道をはさんだ東側は交差点から<イ>辺りまで住宅が並び、その先北側は畑地となつていること、交差点と衝突地点間の途中から車道に進入できる道路がないことのほか、右見取図のとおりであつて、事故当時の照明状況は、交差点の信号灯及び見取図表示の水銀灯が主なもので、ガソリンスタンドの照明は当日日曜日であつたため点灯されていなかつたとする被告人の原審及び当審における供述を排斥できる証拠はない。被告人は転回するため車道左端に寄り、見取図<2>で一旦停止し、自車後部中央窓を通して後続車の有無を確認したところ、交差点との間に車両がなく、交差点で車幅灯を点灯したまま信号待ちをしていた一台の車両を認め、同車が青信号に従つて前照灯を点灯し発進したので、安全に転回できると判断して対向車の有無を確認するとともに発進準備にかかり、前照灯を点灯し右折合図を出しギヤを最低速に入れて発進し、時速約一〇キロメートルで<2>から<3>を経て<4>に至り、同所で右側後写鏡に後続車の前照灯の明りが写つていないことを確認して<5>まで来たとき、前照灯が故障のため無灯火で走行して来た枦山一郎運転の原動機付自転車と衝突したのであり、一方枦山は交差点で信号待ちをした後青信号で発進して本件道路を北進中、被告人車が転回しているのを認めて急制動したが及ばず衝突するに至つたのである。

右の事実関係から枦山車の走行速度を検討すると、同車は被告人が<2>で発進準備にかかつたときに交差点南側の停止線から発進したと認められるから、右停止線と衝突地点間の距離約六四・八五メートルを、被告人が発進準備に要した時間(被告人は原審及び当審においてこの時間を二ないし三秒と供述しているが、夜間降雨中の状況で対向車の有無を確認する時間を含めて考えると、その上限を採用するのが相当である。)に、被告人車が時速一〇キロメートルで<2>から衝突地点の<5>に至るまでの時間(<2>から<5>までの距離四・八メートルを時速一〇キロメートルの秒速二・七七メートルで割つた一・七秒)を加えた四・七秒で割つた数値、すなわち約一三・八メートルが枦山車の秒速であり、これを時速に換算すると約四九キロメートルとなるが、同車が衝突直前に急制動していることを考えると、その速度を毎時五〇キロメートル程度と認定するのが合理的である。

原判決は、「転回するに際し、徐行しつつ前後左右の安全を確認して転回すべき業務上の注意義務があるのに、後続車両は来ていないものと軽信し、その安全確認不十分のまま時速約一〇キロメートルで転回した」ことを過失と判断しているが、被告人が徐行義務を果していることは明らかであり、本件が転回中の後続車との衝突事故であるから、前方及び左方の安全確認義務を問題にすることは無意味である。

そこで、転回時において被告人に後方ないし右方の安全確認義務を怠る過失があつたかについて検討する。被告人は<2>で転回のため一旦停止して後方を確認したとき、交差点南側の停止線上で信号待ちをしていた一台の車両以外に交差点との間に車両がいないことを確かめ、次いで右車両が青信号で発進したので直ちに転回を開始したのであり、枦山車も同じく青信号で発進したのであるから、右停止線と<2>間の距離(約六二メートル)、被告人車の速度及び前示現場の状況に加え、被告人車の車長が約三・一九メートルであることを考えると、枦山車が毎時三〇キロメートルの法定速度ないし毎時四〇キロメートルの指定速度で走行して来る限り、被告人車は安全に転回できたと認められるのであり、被告人としては、交差点までの距離を一〇〇ないし一五〇メートルと判断した点に誤りがあるが、転回に際し後方の安全確認義務を果しているものといえる。被告人が信号待ちをしていた枦山車を発見できなかつたのは、同車が無灯火であつたためと考えられるのであつて、後方の確認義務を怠つたことにならない。しかし、車両が制限速度を一〇キロメートル程度超過して走行することは日常よく見受けられるところであり、後続車が毎時五〇キロメートルの速度で走行して来れば被告人車との衝突の可能性があると認められるから、被告人としては転回開始後も後方ないし右方に注意して後続車との安全確認を怠ることができないと考えられるのであつて、本件において、被告人が<2>を発進後<4>に至る途中後続車に対する安全確認をしていなかつたことは被告人も自認しており、この点を本件事故に対する過失と評価できるかが問題である。

被告人は<4>で右側後写鏡に後続車の前照灯の明りが写つていないことを確認しているが、仮りにこの時点で枦山車を発見したとしても、被告人車の制動距離の関係から衝突事故を免れることができなかつたと認められ、遅くとも<3>辺りで枦山車を発見できなければ事故を回避できないと考えられるのであり、被告人車が<2>を発進後<3>に至つたときの枦山車の位置をみると、被告人が発進準備に要した時間に被告人車が一・四メートルの<2><3>間を時速一〇キロメートルで進行するに要した時間(〇・五秒)を加えた三・五秒間、時速五〇キロメートルの枦山車が交差点南側の停止線から走行したと考えると、右停止線から約四八・三メートル進んだ地点、すなわち見取図のほぼ<イ>辺りまで接近していたことになる。しかし、枦山車は無灯火で走行して来たのであり、原審の検証結果によると、被告人車から凝視して始めて<イ>地点にいる人影を確認できたとするのであつて、事故当時は降雨中であつたことにかんがみると、<3>の被告人車から<イ>にいる枦山車を容易に発見できる状況にあつたとは認め難く、だからといつて転回開始に際し前示のような安全確認を尽している被告人に、無灯火車両の存在までを予測して「凝視」など入念な安全確認義務はないとするのが相当である。まして<2><3>間は距離にして一・四メートル、被告人車の走行時間にして〇・五秒であり、そのわずかな間に被告人に対し右のような義務を課することは不可能を強いるものであるといわねばならない。そうすると、被告人が転回開始後<4>に至る途中後方ないし右方の安全確認をしなかつたことをもつて本件事故に対する過失ということはできない。

以上の理由により、本件事故につき被告人に後方ないし右方の安全確認義務を怠つたとして過失を認めた原判決は、刑法二一一条の過失の解釈適用を誤つたものというべきであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は右の点において理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但書により次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五五年四月一三日午後八時三〇分ころ、普通貨物自動車を運転し、大阪府東大阪市森河内本通二丁目三番地先路上において南から南に向け転回進行中、南から北に向け進行して来た枦山一郎(当時一八歳)運転の原動機付自転車と衝突し、同車に同乗していた森岡雅弘(当時一六歳)が加療約四か月間を要する左下腿開放骨折の傷害を負う事故を起したのに、その事故発生の日時場所等法律の定める事項を直ちにもとよりの警察署の警察官に報告しなかつたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は道路交通法七二条一項後段、一一九条一項一〇号に該当するので所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金八、〇〇〇円に処し、刑法一八条により右罰金を完納することができないときは金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、刑事訴訟法一八一条一項但書により原審の訴訟費用中証人枦山一郎に支給した分は被告人に負担させないこととする。

本件公訴事実中業務上過失傷害の点は、被告人に過失があることを認めるに足る証拠がなく、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条後段により無罪の言渡をする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 兒島武雄 逢坂芳雄 山田利夫)

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