大阪高等裁判所 昭和56年(う)517号 判決 1981年9月30日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人吉野庄三作成の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用し、次のように判断する。
一理由不備の主張について<省略>
二事実誤認の主張について
論旨は、原判示の各犯行当時被告人は心神喪失の状態であつたのに、責任能力を認めた原判決には事実の誤認があるというのである。
所論にかんがみ記録を調査して検討するに、被告人は昭和五二年一二月一〇日ころから連日にわたつて多量の飲酒を重ねるうち、一六日夜以降誰かが来ているとか誰かに追われているとか口走るようになり、一七日には銛を振り回し、一八日には妻に対し浮気をしていると怒鳴つて庖丁で襲いかかり、一九日には泥棒に入られたと警察に連絡し、また水中銃で撃たれるなどと言いながら暴れ回るなどしたため、同日夜家族から通報を受けた警察官に保護されるに至つたことが認められ、被告人の記憶の程度をみると、一五日夕刻ころまでの行動についてはほぼ明確であるけれども、その後はきわめて断片的であつて、覚せい剤に関しては、一九日夜警邏用自動車内で覚せい剤を警察官に渡した事実を覚えているだけで、譲り受け及び自己使用の日時・場所は被告人の供述によつては明らかではない。当時の被告人の精神状態について考察すると、原審鑑定人濱義雄作成の鑑定書及び同人の原審証言によれば、連日の大量飲酒の結果、昭和五二年一二月一六日夜ころ酒精精神病の一形態である酒客急性幻覚病にかかり、一七日深夜から翌未明にかけて大阪市内西成区徘徊中、幻覚妄想に惑乱され妄動したなかで覚せい剤を受け取りこれを使用したと推定でき、一八、九日には錯乱状態を帯びるまでになつたもので、理非弁別力を欠いたきわめて高度異常な精神状態であつたというのであり、これに対し原審鑑定人北村陽英作成の鑑定書及び同人の原審証言によると、昭和五二年一二月一五日までは単純酩酊による健忘を認めるものの、理非善悪を弁別する能力は冒されておらず、一六日以降は覚せい剤による急性中毒症にアルコールによる病的酩酊が付加され、軽度の意識障害を伴つた急性幻覚妄想状態にあり、覚せい剤使用に対する抑制力は効かなかつたというのである。右のように、両鑑定は覚せい剤使用の時期においても所見を異にしており、両鑑定の当否を判断するには、まず使用の時期を認定しなければならないが、この点についてみると、被告人は昭和五二年二月二四日仮出獄したのち本件ころまで覚せい剤を使用した形跡がなかつたのに、同年一二月一六日または翌一七日の朝妻が居室で注射器を発見しており、右注射器から覚せい剤反応があらわれていること、被告人が一六日に外出した様子はなく、一五日夕刻ころには出かけているがその行先が不明であつて、このころから記憶がきわめて断片的になつていること、同月二一日の取調べの際、被告人の右腕内側に少し変色して固くなつている「たこ」状注射痕のほか比較的新しい注射痕が三か所、左腕に最近注射したと思われる注射痕が六か所みつかつたこと(被告人は右手と同程度に左手も利く。)を総合すると、被告人は一五日夕刻すぎに覚せい剤を譲り受け、そのころから頻繁に使用したものと認められる。濱鑑定が覚せい剤入手時期を前示のように一七日深夜から翌未明までの間としたのは、被告人が前後の脈絡もなく断片的に記憶している事実から大胆に推論したものであつて、それ自体に無理があり、右認定に照らしても失当であるのに対し、北村鑑定は覚せい剤入手・使用の時期とも右の認定と符合している。のみならず、酒客急性幻覚病においては手指振戦や禁断症状がみられるのに、被告人にはこのような症状が窺われないとする北村鑑定に徴しても、濱鑑定には疑問があり、結局特段不合理な点の見当たらない北村鑑定に従わざるを得ない。なお、弁護人は、当審において、被告人は昭和五二年一二月一〇日から一四日までの間は単純酩酊、一五日は複雑酩酊、一六日以降は単純酩酊ないし複雑酩酊の繰り返しに加えて覚せい剤中毒性精神障害であつたと主張するが、独自の見解というほかなく採用できない。
さて、原判示第一事実は、昭和五二年一二月中旬ころ覚せい剤を使用したというものであるが、原審における訴訟の全経過にかんがみると、右は最終の使用事実を指すものであることが明らかであり、前示のような覚せい剤の入手時期及び使用状況を考慮すれば、一六日以降であると認められるところ、この時期における被告人は、覚せい剤による急性中毒症にアルコールによる病的酩酊が付加され、少なくとも心神耗弱状態にあつたといわねばならない。原判決は、被告人は覚せい剤使用に対する抑制力を失つておらず、それが著しく減弱してもいなかつたとするけれども、北村鑑定に徴し相当判旨でない。しかしながら、被告人は反復して覚せい剤を使用する意思のもとに、昭和五二年一二月一五日夕刻すぎに4.81グラムを上回る量を譲り受けて注射したのであつて、右の一部を使用した原判示第一の所為は右の犯意がそのまま実現されたものということができ、譲り受け及び当初の使用時には責任能力が認められるから、実行行為のときに覚せい剤等の影響で少なくとも心神耗弱状態にあつても、被告人に対し刑法三九条を適用すべきではないと考える。原判示第二事実についても同様であつて、犯行日時である昭和五二年一二月一九日午後九時半すぎころは少なくとも心神耗弱状態にあり、原判は相当でないが、被告人は覚せい剤の使用残量を継続して所持する意思のもとに所持をはじめたものであり、責任能力があつた当時の犯意が継続実現されたものといえるから、これまた刑法三九条を適用すべきではない。そうすると、被告人に責任能力を認めた原判決は結論において正当であつて、原判決には所論のような判決に影響を及ぼすべき事実誤認はなく、論旨は理由がない。
(兒島武雄 逢坂芳雄 山田利夫)