大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。
官報全文検索 KANPO.ORG
月額980円・今日から使える・メール通知機能・弁護士に必須
AD

大阪高等裁判所 昭和56年(う)905号 判決 1982年8月06日

本籍

大阪府池田市桃園一丁目一二九一番地

住居

同府岸和田市吉井町三の一八の一二 正木住宅

電気工事材料卸業

室留敏昭

昭和二二年八月二一日生

右の者に対する公務執行妨害、傷害被告事件について、昭和五六年四月二〇日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、原審弁護人らから控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 島谷清 出席

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人石川元也、同斉藤浩、同橋本二三夫、同永岡昇司、同豊川義明、同原田豊、同芝原明夫連名作成の控訴趣旨書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官島谷清作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意書第一点(事実誤認)について

論旨は要するに、裁判所が犯罪事実を認定するにあたっては、関係証拠を総合して認定する方法によるべきものであるが、原判決は原審弁護人が原審証人奥田末廣の供述(原審第二ないし第九回公判調書中の同証人の供述記載及び原裁判所の同証人に対する尋問調査書を指し、以下単に粟田証言という。)の信用性に疑問を提起したのをとらえて、「原審弁護人の主張は、つきつめれば粟田ら税務当局側が、粟田の身体に傷害をわざとつけ、あるいは別の機会の傷害をことさら結びつけ、証拠を捏造し、被害情況をでっち上げ、偽証したとことにならざるをえない。」旨曲解した上で、「右のように被害情況がでっち上げられたのでないかと疑うことが合理的であるとは考えられない。」として、右の弁護人の主張を排斥し、粟田証言は大筋において信用できるとして公訴事実を認定しているが、原審弁護人が「弁論要旨」において主張するところは、結局粟田証言の信憑性に関する疑問を提示し、その証言が信用できないとすれば、本件公訴事実はとうていそのまま認定しうるものではないとするものであって、積極的に謀略・証左の捏造・偽証等を主張しているものとみるべきではないのに、弁護人の主張を前記のようにまげてとらえ、それが認められない以上、公訴事実は大筋において認められるとする手法をとる原判決の認定のあり方は、犯罪事実の不存在ないしでっち上げであるということについて被告人側に立証責任を負わせたもので、事実認定の方法を誤っている。そして、原判決は、医師堀口泰弘作成の診療録及び同人の供述、同鈴木弘之作成の診断書及び同人の供述、司法警察員川村義高作成の写真撮影報告書、粟田証言等によって事実を認定しているが、これらの証拠ことに粟田証言には原判決もその一部を指摘しているように、数多くの矛盾点が存在し、信用できないものであり、粟田証言と他の証拠を総合的に判断した場合にも、本件犯罪事実が合理的な疑いを容れない程度に立証されているとは言い難いものである。一方、原審証人床鍋訓、同井上治の各供述、原審における被告人の供述は、本件犯罪事実が存在しなかったというのであり、原判決がこれらを措信し難い理由として挙げる諸点は、取るに足りないもので、これによって右各供述が不自然であるとはいえない。原判決は、信用性のない証拠に基づき、原判示のような被告人の暴行による公務執行妨害、傷害の事実を認定したもので、事実を誤認したものであるというのである。

所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、原判決の挙示する証拠によると、原判示事実を優に認定することができる。

原判決は、その「事実認定について」と題する項目の4において、「証人床鍋、同井上の各証言及び被告人の公判廷における供述ならびにこれらに基礎を置く弁護人の主張をつきつめるとすれば、粟田ら税務当局側は、同人が井上方を辞去した後、前記のごとき傷害を同人の身体にわざとつけ、あるいは別の機会にできたこれら傷害を井上方における出来事とことさら結びつけ、さらには、当時粟田が着ていた半袖カッターシャツの上から二番目と三番目のボタンをわざと引きちぎるなどして証拠を捏造し、このようにして被害情況をでっち上げたうえにこれを警察に申告し、さらに粟田は、このでっち上げの被害情況を法廷等においてまことしやかに偽証したということにならざるを得ないかのように考えられるのである。しかし以下の諸点(中略)を考慮しても、右のようにして被害情況がでっち上げられたのではないかと疑うことが合理的であるとはにわかには考えられないところである。」旨説示しているのであるが、右は原審弁護人が提出した弁論要旨中において「粟田証言の虚偽性、虚構性について」と題し、同証言の信用性を争ったことなどに関連した説示であると認められるところ、原審弁護人の弁論の内容、粟田証言の内容等から考えると、右説示が原審弁護人の主張を曲解したものということはできない。そして、原判決はその認定した罪となるべき事実につき証拠の標目を掲げた上、前示「事実認定について」と題する項目において、有罪の認定に用いた証拠に信用性があると認める理由を、他の証拠との対比において詳細に説明しているのであり、右説明のなかで、原判決は、粟田証言中、一部に他の証拠と合致しない点、その他の微細な疑問点があることを指摘しているが、原判決はこれらの諸点を考慮に入れて検討した上で、罪となるべき事実を積極的に認定すべき証拠があるとしているのであり、所論指摘の原判決が原審弁護人の主張を曲解している等という部分は、右認定には合理的な疑を容れる余地のないことを説示している部分なのであるから、原判決が犯罪事実の不存在ないしいわゆるでっち上げについて被告人、弁護人に立証責任を負わせるような方法で事実認定をしたというのは正当でなく、この点の所論は採用できない。

次に、所論は、原判決が有罪の証拠としている粟田証言には数多くの矛盾点があるとし、まず、原判決が罪となるべき事実において、「紙ばさみを膝に置いていたのを手ではらい落とし、すぐに椅子から立ち上がった」と判示する点に関して、粟田証言は、紙ばさみを叩き落とされた際、右手にもっていたシャープペンシルについて触れず、その行方は不明で、公訴事実全体の認定に疑問が生じる。粟田証言では、紙ばさみを拾うために立ち上がったというが、当時被告人が粟田の上におおいかぶさるようにしており、両名の足と足との距離は二〇センチメートル位であったというのであるから、被告人に接触しなければ立ち上がれないはずである。また、元来、紙ばさみを拾うのに立ち上がる必要もないほどの疑問があるというが、所論のシャープペンシルについては、原審の証拠調中において格別問題とされた形跡がないため、これに関する供述等に乏しいけれども、粟田証言中には、紙ばさみを払い落とされたとき、シャープペンシルは右手に持っていて、何ともなかった旨の供述部分(記録第三冊五〇ないし五一丁)があり、粟田証言がシャープペンシルについて触れていないことに関する所論は前提を欠くものである。また、同証言によると、被告人が粟田に対し、「表に出ろ。」と言ったときは被告人は粟田の上におおいかぶさるようにしていたが、それは上半身をある程度曲げた趣旨であり、粟田が立ち上がったのは、その後被告人が紙ばさみを払い落としたあとであるというのであるから、粟田証言は同人が立ち上がる時点における被告人の姿勢が所論のように粟田におおいかぶさるようにしたままであった旨述べているのではなく、加えて、原審の検証の結果あるいは司法警察員作成の検証調書(抄本)によって認められる当時の室内の状況から見ると、粟田が椅子から立ち上がる際、被告人が粟田の足から二〇センチメートルに迫っていなければならないような椅子、テーブルの配置であったわけではなく、また、粟田が立ち上がろうとするのに、その前にいる被告人において身体が接触するのもかまわず二〇センチメートルの距離に動かず立っていたと考えることもかえって不合理なのであり、もともと、二〇センチメートルという距離自体、粟田が、被告人との身体の距離からみて、足と足とが大体それ位の距離であると感じたという趣旨にすぎないことなどをかれこれ考慮すると、粟田が、紙ばさみを払い落とされたのちに、被告人の身体に接触せずに立ち上がったということが不自然であるとはいえない。また、払い落とされた紙ばさみは粟田の右隣の椅子の前あたりに落ちたので、座ったまま手を伸ばせば拾えないことはなかったことは同人の証言自体からもうかがえるのであるが、この場合そうしないで立ち上がったとしても、格別不合理とは考えられない。

また、所論は、原判決が「椅子から立ち上がった粟田の左胸上部を手で突いて同人を椅子の上に横転させ」と判示する点に関して、粟田証言は背もたれの部分に背中が激突したというのに、痛みの記憶はなく、あるいは痛みは感じたが、その時期は分からないといい、堀口医師の診察を受けた際にも背中の異常を訴えていないばかりでなく、上司の荒田進を、堀口医師の所へ行く前に、粟田から、背中を打ったことを聞いたはずであるのに、背中の状態を調べていない。なお背中の傷にある数本の線状痕は、当った対象別に凹凸があれば生ずるが、椅子の背もたれにはそれがないなどの矛盾があるというが、粟田証言は、倒れるとき椅子の背もたれの一番上のあたりに背中を打ったように思う旨を述べるのみで、必ずしも激突したとはいっておらず、その際痛みを感じていない(痛みを瞬間的に感じたが、いつ感じたか分からないと述べるところがあるが、背もたれで打ったとき痛みを感じたとはいっていない点では証言の他の部分と同趣旨と考えられる。なお当審において刑事訴訟法三二八条の証拠として取調べた粟田の検察官に対する昭和五二年八月一九日付け供述調書抄本には、同人はのちに床の上にあおむけに倒れたとき、背中に激しい痛みを感じた旨の記載があるが、右記載は、粟田証言が原審の第二ないし第九回公判においてこれと異なる趣旨を反覆して供述していることと対比してみると、同証言の証明力を左右するには足りないものである。)というのであり、当日最初に診察を受けた堀口医師に対しても、倒されたことを訴えながら、背中の痛みを訴えていないのであるが、この点に関し、原審証人鈴木弘之は、この程度の傷があれば、当初から痛みがあるはずであるといっているものの、同人は、専門外の内科の医師として一般論を述べたものと認められるところ、粟田の背中の傷害の程度が軽い打撲擦過傷皮下出血であり、当時同人が予期しない転倒で緊張、興奮し、軽い痛みには気付かないような状態にあった可能性があること、あるいは、背中は経験上痛みに鈍感な部位であることなどから考えると、本件の場合、受傷したにもかかわらず痛みを感じず、医師等にも痛みを訴えないことがありえないとは断定できないところである。また、粟田の上司である荒田進は、粟田が井上方から帰庁したのち、粟田と同道して堀口医師方へ行ったのであるが、同医師方でも粟田は背中の痛みを訴えなかったので、同医師は背中を調べておらず、のちに豊能税務署内で粟田が着替えをしているとき、荒田がはじめて背中の傷を発見したというのであるから、堀口医師方へ行く前に荒田があえて粟田の背中の状態を調べなかったのが不自然であるとはいえない。さらに、粟田の背中の打撲擦過傷皮下出血の部分には、数本の細い線状の白く見える部分があり、その成因について、証人鈴木弘之の供述中には、作用した鈍体に凹凸のあったことなどが考えられるとする部分もあるけれども、同証人は外科の患者はほとんど見たことがなく、結局のところその成因は不明であると繰返し述べているのであって、背中に当った対象物に凹凸のあったことが線状痕の原因であるかどうか自体が確定できないのであるから、背もたれの一番上のあたりに背中を打ったように思うと述べる前示粟田証言が、この点で矛盾を含んでいるということもできない。

また、所論は、原判決の「椅子から立ち上がった粟田の左胸上部を手で突いて椅子の上に横転させ」との前示引用部分に関して、粟田証言の「背もたれに背中を当てたあと斜め横になり、そのまま体に力も入れずずり落ちた」という横転の体勢であれば、椅子の肘掛の部分に側頭部を当て、その中の木材で頭を打って強い痛みを感じるはずであるというけれども、椅子の上に横転したといっても、必ずしも頭を肘掛で打つとは限らないのであって、粟田証言中、同証人がその際の体勢を再現したときの写真(記録第四冊七四三丁写真6)によると、同人は二個の椅子上でほぼ横になりつつ、頭を肘掛に触れるまでには至らない状況を示しているけれども、これが粟田証言中、椅子の上に横転したという点と矛盾するということはできない。

さらに、所論は原判決の右部分に関し、粟田証言は、左胸上部を、体が宙に舞うほど強く突かれたというのに、同人の胸には全く傷がなく、左胸上部を突き飛ばされたことについて詳細に証言する一方、突かれて椅子の上に横転するまでの体の動きを矛盾なく説明していないし、起き上がり方について全く記憶していないというのであり、なお、突き飛ばされる直前まで井上治が粟田の右隣の椅子に坐っていたというのに、突き飛ばされるという一瞬の間に、井上が同室内のサイドボードの前あたりに移動したというなど疑問が多いというのであるが、粟田証言は、椅子の上に倒れたとき、左足が浮いていたと述べているものの、それは、腰が椅子についてからのことを言っているもので、体が宙に舞ったというほどの供述はしておらず、また、被告人に左胸上部を強く突かれたと述べているのも、平手で突かれたというのであり、この場合、左胸部に何らかの傷害を残さなければ不自然であるということもできないのである。そして、粟田は、その証言中で述べるように、公務による訪問先で、被告人から予期せぬ暴行を受けて椅子の上に横転してしまったというのであるから、その際、相当動転したことは容易に推認しうるところであり、横転するまでの身体の動きについて正解に説明できず、あるいは、どのようにして起き上がったか記憶しないとしても、決して不自然、不合理ということはできない。また粟田証言は、粟田は一人掛の椅子に座っていたもので、被告人が紙ばさみを手で払い落した時点では、その右隣の椅子に井上治が座っていたと述べ、その後粟田がこの二個の椅子上に横転したときには右隣の椅子には井上はおらず、横転したあと起き上がり、「もう帰ります。」と主人の井上治に言った時点では、同人が室内のサイドボードの前あたり、すなわち右隣の椅子の更に右方にいたというのであるから、紙ばさみを払い落とされてから粟田が立ち上がり、胸を突かれて横転するまでの間に井上は席を立って右へ移動したことになるが、原審において取調済の証拠上、紙ばさみが落ちてから、粟田がこれを拾おうとして立ち上がるまで、あるいは、立ち上がってから胸を突かれるまでの間には、井上が席を立って右の方へ移動する時間的な余裕があったことが推認できるのであり、紙ばさみを払い落とされたのと横転したのとがほとんど同時の出来事であるように前提する所論は採用できないところである。

所論は、原判決の前示引用部分についての粟田証言は、捜査段階の初期の供述に比べると細かく変化し、信用できないというが、当審において刑事訴訟法三二八条により取調べた同人の検察官に対する供述調書抄本、あるいは粟田証言自体によってみると、同証言と同人の捜査機関に対する供述とでは、転倒の仕方、痛みの有無やその時期、背中の傷害がいつ生じたと考えるかというような諸点に関し変化がみられるけれども、粟田証言は同人が当日原判示のとおりの被害を受けたという点では一貫したものと認められ、右のような細部について供述内容が変化しているとしても、長期にわたる取調ないし証言の間に、記憶違いを生じたり、これを是正したりするのは不合理ではなく、同証言の全体としての信用性を害するものとは考えられないから、この点の所論も採用できない。

弁護人は当審の弁論においても、粟田の供述は捜査段階の途中あるいは捜査段階と公判廷とで変化しており、これは司法警察員の検証の結果に合わせて、のちの床上の転倒状況の供述を、突き飛ばされたのではなく上から下へ突き落すように倒されたと意図的に変化させ、このため、この転倒によっては背中の傷ができないと見られるに至ると、椅子の上に転倒したとき肘掛に背中を打ったという従来の供述を、背もたれに背中を打ち、それからずり落ちたと変化させて、打撲擦過傷皮下出血という診断書の記載とつじつまを合わせたもので、粟田証言は信用できないと述べるが、検証の結果によって被害者の被害状況の表現がより現場状況に即したものに変化してゆくことは不自然なことではなく、また、粟田の供述は、椅子の上に横転したことについては捜査段階から一貫しており、一方、胸を突かれてから横転するまでの身体の動きについては正確に説明できないとしても不自然、不合理とは考えられないことは前示のとおりであるから、右供述の変化があっても、原判決の椅子の上に横転し、受傷した点について、粟田証言は全体として信用できるというべきである。

さらに、弁護人は当審弁論において、粟田証言の述べるような椅子上の横転の仕方は、力学的、実験的に起りえないもので、信用できないと述べるが、この点に関し、当審証人中村裕史の供述、同人作成の鑑定書と題する書面(以下これらを中村鑑定という。)によると、立っている人の左胸上部を正面から押して倒した場合、その転倒の方向は、少なくとも両足の中心に重心を置いているときは、押した力の方向すなわち真うしろの方向となるというのであり、一方、粟田証言では、同人は一人用の椅子から立ち上ったあと、前からまっすぐ左胸上部を突かれ、その椅子の肘掛と、右隣の椅子の肘掛が接着しているあたりに胸をのせるようにして、二個の椅子の上に横転したというのであるから、もし粟田が椅子の中央の前方に椅子に背中を正対させるように立ち、しかも左胸を正面から突かれたとすれば、同人の述べる転倒仕方には疑問が残ることになる。そして、粟田が被告人に突かれたという際に立っていた身体の向きについて、粟田証言が法廷で述べるところでは、倒れる前の両足の状態はよく分からないというのであり、検証の際の証人尋問では、突かれたときの身体の位置を示すことを求められて、背中と椅子をほぼ正対させる位置に立ったことがうかがわれる(記録第四冊七四二丁写真4)。しかしながら、右粟田証言自体、当時の身体の向きを確定的に述べたものではなく、また、中村鑑定も、身体の重心の位置によってはその結論を留保するところがあるのみならず、粟田は、自ら「黙れ。帰れ。」と大声をあげたのち、被告人や居合わせた数名の者からも大声で詰問され、被告人からは前示のように「表へ出ろ。」と迫られ、紙ばさみを払い落とされるような緊迫した状況のもとで、立ち上がったのちに左胸上部を突かれるという予期しない暴行を受けたというのであるから、冷静さを欠いたとっさの場合であり、胸を突かれた際の体と椅子の位置関係についての記憶に不正確なものがあってもやむをえないところである。そして、粟田が椅子から立ち上がったとき、その前あたりには被告人が居り、粟田は右の方に落ちた紙ばさみを拾う目的で立ち上がったというのであるから、その椅子との位置関係が、中村鑑定の前提するように椅子の中央正面で椅子に背中を正対させて直立していたと断定してよいかどうかには疑問の余地があり、また、粟田が立ち上がったときの右の状況からすると、身体の重心が両足の中心ではなく、その右足の方に寄っていた可能性もあるといわなければならないのであって、右のように中村鑑定の前提事実に確定し難い点のある本件においては、同鑑定によって粟田証言の信用性を否定することは相当でない。

次に、所論は原判決が「さらに、起き上がった同人の喉もとやシャツの胸元あたりを両手でつかんでゆさぶったり引張ったりするなどして同人を床上に転倒させ」と判示する部分に関しても、原審の検証の際の証人尋問で粟田の示した右手の形は、通常ネクタイをつかむ形ではなく、このような形では粟田証言がいうように被告人がこれを強く左右上下に振りながら後退することはできないはずである。また、粟田証言では、被告人の右手が直接粟田の首に当ったとはいわないが、同人を診察した堀口医師は当ったと考えた方が理解しやすいといっており、粟田は右手で首を押さえられたというから、首の右に親指のあとができるはずであるのに、堀口医師は左手が首に当ったかのように証言しており、粟田証言に疑問があるというのであるが、粟田証言中、原審の証人尋問調書に添付の写真7ないし10において、原審弁護人のふんする被告人の右手の形は、ネクタイをつかむ形とは異なるように見えることは所論のとおりであるけれども、粟田の喉もとをつかむ形をしており、左手はネクタイとシャツをつかんでいるように認められ、原判示の喉もとやシャツの胸先あたりを両手でつかんだ旨の認定に合致するばかりでなく、当日、粟田のシャツのボタン二個がちぎれ、シャツに相当な力が加わったことを示していることをあわせて考えると、粟田証言の示す被告人の両手の形によって、粟田の胸先あたりをゆさぶったり、引張ったりして後退したことは十分首肯しうるところである。また、堀口医師が、粟田の頸部擦過傷皮下出血の成因について述べる意見には、粟田証言と多少異なるところがあるけれども、右は粟田が原判示のような暴行を受けて受傷したとする点に関する同証言の信用性を失なわせるようなものではない。

さらに所論は、粟田証言は被告人に床上に突き飛ばされたとき、身体はテーブルや長椅子に全く接触していないというが、人は突き飛ばされると、必ず手が動き、周囲のものを持とうとするもので、右の証言は不自然であるというけれども、粟田証言によると、同人は突き飛ばされたというより、斜めうしろへ突き落され、腰からあお向けに倒れたが、その他はどこへも身体を打ちつけていないと述べているのであるが、その際、左手には鞄を持ち、手は下におろしていたといい、床へ倒されたときの長椅子とテーブルの間隔は訪問当初約〇・五メートルであったのと異なり、よくは分からないが一メートル位に広くなっていたというのであり、原審証人床鍋訓の供述及び被告人の原審公判廷の供述中にも、理由は別として、被告人と粟田が長椅子とテーブルの間にいる時点で、テーブルの反対側にいた井上治の妻が、テーブルを引いて長椅子から離したという部分があってこれと符号し、倒れる際テーブルなどに身体を打ちつけていないという粟田証言が不自然であるともいえない。

所論はまた、粟田証言は被告人の行為によりネクタイがゆるんだのに、井上方を出るときもこれを直していないといい、一時間余り後に粟田を見た荒田進も、ネクタイが下がっていたと証言するが、これらの証言はいずれも無理につじつまを合わせようとしたもので、内容が不自然であるというのである。右の点に関する粟田証言は、被告人の暴行によりネクタイの結び目が一寸ずれたが、それは直さないで井上方を出たといい、原審証人荒田進の供述では、粟田が帰庁したときにもネクタイは下がっていた。粟田は服装は何も手をつけないで帰って来たと言っていたというのであり、一方、当審において刑事訴訟法三二八条により取調べた粟田の昭和五二年八月一八日付司法警察員に対する供述調書抄本によると、ネクタイが曲がっていたので、井上方を出るときそれを直した旨の記載があるので、これらを見ると、粟田証言、証人荒田の供述と粟田の供述調書との間に矛盾があることになるが、粟田証言は、訪問先の井上方で被告人から暴行を受けたので、これを上司に報告することにし、その旨を井上らに告げて井上方を立ち去ったというのであり、粟田と井上らとの間で、報告すべき内容は異なるものの本件を上司に報告するかどうかの問答があったことは原審証人井上治の供述及び被告人の原審公判廷の供述によっても認められるところであり、粟田はその帰途タクシーに乗るまでに豊能税務署総務課に電話報告し、帰庁するとすぐ所属部門の上司である荒田に面接して診断書作成等の指示を受けているのであるところ、これらの経過を通観すると、被害状況を上司に見せるべく、あえて乱れた服装のままで帰庁してきた趣旨の粟田証言、証人荒田の供述に措信すべき面があり、前示粟田の供述調書の記載は、粟田証言の証明力を覆すには足りないと考えられる。

粟田の頸部の受傷時期に関して、所論は、粟田証言は突き飛ばされる前に首を強くつかまれて首に傷害を受けたというが、同人は捜査初期には床に倒れたとき背中、首筋に激しい痛みがあったと言っていたもので、供述内容が変化しているというのであるが、この点について粟田証言は、被告人が斜めうしろへ突き落とすように倒された。それまで首をしめつけられていたので、首のところが大変痛く、倒れたあと横になってじっとしていたというのであり、当審において刑事訴訟法三二八条により取調済の同人の検察官に対する昭和五二年八月一九日付供述調書抄本には、床の上にあお向けに倒れ、首筋や背中に激しい痛みを感じた旨の記載があるけれども、後者は、頸部の傷害の部位から考えて、倒れたことにより受傷した趣旨ではなく、両者はいずれも、首をしめつけられたときに受傷したため痛みがあった趣旨であって矛盾するものではなく、所論は採用できない。所論は、なお、起訴状記載の粟田の右腕内側擦過傷皮下出血について、右は被告人と無関係であると主張するが、原判決の挙示する証拠によると、粟田は当日井上方に調査に行く前にはそういう傷をしていなかったとこと、当日原判示の暴行後数時間内に粟田を診察した両医師がこの傷を現認していることなどが認められ、これらの点からすると、粟田自身は右の傷が被告人のどの暴行によって生じたか分らず、堀口医師に診察を受けたときには、じゅうたんでこすったように述べるなどしている点を考慮に入れても、実際には右の傷害が原判示の被告人の暴行により生じたと推認することが合理的であり、この点について原判決の認定に誤りがあるとはいえない。

弁護人は、当審の弁論において、前示のとおり、原判決の前示「さらに起き上がった同人の喉もとをシャツの胸先あたりを両手でつかんで……」という引用部分にも関連し、粟田の供述は被告人から床上に転倒させられた状況について、捜査段階の途中あるいは捜査段階と公判廷において変化を見せ、信用できないと述べるが、その主張が採用できないことは、前に説示したとおりである。

次に、所論は、原判決は、原審証人床鍋訓、同井上治及び被告人の各供述を措信し難いとする理由として三点を挙げているが、いずれも誤っており、あるいは取るに足りない点をとらえて判断したものであり、ことに原判決の挙げるBの点(原判決八丁目裏)につき、床鍋らは、粟田の自然な行為に対し疑問を感じ、「何してんねん、起きんかい。」等と発言しており、原判決のいうように全く非難の発言がなかったのではなく、原判決の説示は、さきに主張したとおり原判決が犯罪事実の不存在を被告人側に立証させようとしたことを示しているというである。しかしながら、これらの諸点は、粟田証言に対立する右三名の供述の信用性に疑いを抱かせる理由となりうるものであることは原判決の説示するとおりであり、なお、原審証人床鍋訓の供述中及び被告人の原審公判廷の供述中には、被告人や床鍋らが、床の上に横になっている粟田に対し所論のような趣旨の発言をしたという部分があるけれども、これらの部分は、粟田証言、あるいは原判示の右Bに続くCの点に説示するその後の話合いの機会にも、被告人その他の者が粟田の作為を非難する発言をした形跡がない事実などに対比すると信用性のないものであって、所論のいう原判決の説示が原判決の証拠の価値判断の誤りあるいは立証責任を被告人側に負わせたことを示すものとは考えられない。

以上に説示したほか、所論が粟田証言その他原審において取調べた証拠の信用性について、当審における弁論をも含め、るる主張するところを更に慎重に検討してみても、これらは結局原判決が適正にした証拠の価値判断、取捨選択を論難するものであって、原判決が所論のように事実認定にあたり疑わしきは罰せずの原則に反する認定方法をとるなどした点はなく、原判決に事実誤認はない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(事実誤認及び法令適用の誤り)について、論旨は要するに、本件については、前段で主張したとおり、原判決の認定したような被告人の粟田に対する暴行ないし傷害は存在せず、公務執行妨害罪は成立しない。仮に被告人が粟田に対し何らかの有形力の行使をしたとしても、本件の税務調査は、税務当局が従来民主商工会(以下民商という。)に対し差別的弾圧的な対策を講じ、民商会員のみを取扱う専門部門を作り、民商と対抗する自主申告会などを育成するとともに、民商からの脱会工作をし、民商会員に対する税務調査においては事前通知や調査理由の開示をせず、同会員の調査にあたる職員を「調査妨害事案の措置要領」等で教育して刑事弾圧の機会を常にうかがうなどしてきた、その民商対策の全体系の中で、粟田が、被調査者である井上の依頼した被告人を含む立会人の存在を無視し、その調査理由の開示要求に対して大声で怒鳴りつけ、国民の私生活の平穏を害するようなやり方で行なったもので、質問検査権の適正な行使を著しく逸脱し、違法なものである。かかる違法な調査は、刑法的な保護に値せず、その調査に当たった公務員に対し有形力の行使があっても、公務執行妨害罪は成立しない。さらに、本件の事実関係は、被告人の「調査理由は何か。」という質問に対し、粟田が「黙れ、帰れ。」と大声で怒鳴り、これについて被告人や居合わせた者が抗議すると、粟田が「帰る。」といって立ち上がり、入口の方へ一歩ほど行きかけたので、被告人がこれを押しとどめようとして粟田の肩に手をかけて坐らせたものであるから、被告人が有形力を行使した時点では粟田の職務執行は終了しており、公務執行妨害罪は成立しない。しかるに原判決が本件に公務執行妨害罪の成立を認めたのは、事実を誤認し、法令の適用を誤ったものであるというのである。

所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、原判決が被告人において原判示のとおりの暴行により粟田に傷害を負わせたと認定していることについて所論のような事実誤認がないことは、前段に説示したとおりであり、その暴行ないし傷害が存在しないことを前提として公務執行妨害罪が成立しないとする所論は、採用できないところである。

次に、所論が本件の税務調査は違法であるという点について、そのいわゆる税務当局の民商対策が、民商会員に対する所得税法二三四条一項に基づく質問検査権の行使を一般的に違法ならしめるということはできないと考えられ、質問検査の事前通知や調査理由、必要性の具体的、個別的な告知も、法律上一律の要件とされているものではないと解される(最高裁判所第三小法廷昭和四八年七月一〇日決定、刑集二七巻七号一二〇五頁参照)上、本件の場合、事前通知は事実上行なわれており、調査理由の告知については、粟田が、「長い間来ていないから、出された確定申告が正しいかどうか確認に来ました。」旨を告げたほかは、特に具体的、個別的な告知をしていないが、同法二三四条一項に基づく質問検査に関し、どの限度あるいは調査のどの時期に調査理由を告知するかどうかは、被調査者の私的利益との衝量において、社会通念上相当な限度にとどまる限り、権限ある税務職員の合理的な選択に委ねられていると解すべきであり、本件の調査に関し、豊能税務署ないしその国税調査官である粟田のその点についての裁量に適正な範囲を逸脱したものはなかったと認められるから、粟田が前示の程度に調査の理由を告げるにとどまったことは違法ということはできない。さらに、粟田が大声で怒鳴った点については、妥当を欠く言動であるが、このためにその後の職務行為がただちに違法となるとは解せられない。

所論が、被告人の有形力の行使はすべて粟田が「帰る。」といって立ち上がるなどし、その職務執行が終了したのちになされたという点について、当裁判所の是認する原判決の認定事実及びその挙示する証拠によると、被告人が粟田の左胸上部を手で突いて同人を椅子の上に横転させた行為は、所論の粟田が立ち上がる以前の事実であるから、所論はこの行為に関する限り、前提を欠き、採用できない。そして、原判決の認定事実中、右の横転以後の事実である「同人(粟田)の喉もとをシャツの胸先あたりを両手でつかんでゆさぶったり引っ張ったりするなどして同人を床上に転倒させるの暴行を加え」た部分について所論を検討するに、原判決の挙示する証拠によると、粟田は右引用部分の暴行を受けるより前、原判示のように大声で怒鳴る直前まで、右隅の椅子に座っている被調査者である井上治に対し、事業の内容、従業員、帳簿の有無、入金方法、取引銀行について質問しており、その次には家賃その他の必要経費について質問する予定であったところ、粟田の「黙れ。帰れ。」との大声を聞いた被告人が「何。」といって立ち上がり、粟田の前へ来て「表に出ろ。」といい、粟田が膝の上に置いていた紙ばさみを、手で払い落とし、ついで立ち上がった粟田の左胸上部を「この野郎。」といって手で突いて同人を椅子の上に横転させた経過があり、粟田としては、椅子の上に横転させられたとき、まだ質問すべき事項が残っていたが、被告人の言動に恐れを抱き、椅子から起き上がると、落ちている紙ばさみを拾い、はじめに座っていた椅子の前に立って井上に対し「帰ります。」旨を言ったもので、右は当時の客観的な状況から考えて実際にやむをえない措置であると認められるから、右事情からすれば、粟田は、被告人の不法な行動により、職務行為を事実上一時的に中断せざるをえなくなったもので、職務執行を自ら放棄し、または自発的にその職務の執行から離脱したものではなく、粟田が「帰ります。」旨言った時点で同人の職務執行が終了していたものと解するのは相当ではない。そして、被告人はその直後粟田に対し、引き続き前示引用部分のとおりの暴行をしたのであるから、右暴行はそれ以前の原判示の暴行とともに公務執行妨害罪を構成すると解される。

してみると、被告人に対し公務執行妨害の事実を認定し、刑法九五条一項を適用した点について原判決に事実誤認及び法令適用の誤はない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条、一八一条一項本文により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 尾鼻輝次 裁判官 角敬 裁判官 加藤光康)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例