大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)1750号 判決 1983年9月20日
控訴人
西田恵吉
右訴訟代理人
小林淑人
被控訴人
尾川理絵子
右法定代理人親権者母
尾川由利子
被控訴人
尾川由利子
被控訴人
前田良太
右三名訴訟代理人
大音師建三
主文
一 控訴人の被控訴人尾川理絵子に対する本件控訴を棄却する。
二 原判決中被控訴人尾川由利子、同前田良太の控訴人に対する請求を認容した部分を取消し、右部分の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、控訴人と被控訴人尾川理絵子との関係では当審で双方に生じた分を控訴人の負担とし、控訴人と被控訴人尾川由利子及び同前田良太との関係では、第一、二審を通じ、控訴人に生じた費用の二分の一を被控訴人尾川由利子及び同前田良太の負担とし、その余を各自の負担とする。
事実《省略》
理由
第一被控訴人理絵子の請求について
一<証拠>によると、被控訴人理絵子は昭和五三年六月一日被控訴人良太と同由利子との間の長女として出生したこと、右の良太と由利子とはその後離婚し、理絵子の親権者を由利子と定めたこと(請求原因(一)の事実)を認めることができ<る。>
そして、被控訴人が外科、内科、小児科等を診療科目として掲げ、肩書地で西田医院を開設する医師であること、被控訴人理絵子が昭和五三年一〇月一八日午後五時頃控訴人医院において控訴人の診察を受けたこと、控訴人は、被控訴人由利子から理絵子の症状について訴を受け、「感冒、急性扁桃炎、急性消化不良症」と診断し、「二、三日様子を見よう」と述べたこと、理絵子は、翌一〇月一九日に吹田市民病院に入院し、腸重積症により開腹手術を受け、回腸の一部を切断されたこと、そして、同児は同年一一月二日に右病院を退院したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
二被控訴人らは、控訴人が右の診察に当たり、医師として要求される注意義務を怠り、理絵子の症状が腸重積症であることを看過した過失により、前示の開腹手術及びそれに引き続く容態の悪化等深刻な事態を招来したと主張するので、以下この点について判断する。
1 理絵子の症状及び診療の経過について
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。
(一) 理絵子は、出生後さしたる病気もせず順調に生育していたが、昭和五三年一〇月一二日頃(生後四か月半)、発熱(ただし微熱程度)、下痢、食欲不振などの症状を呈したので、近所のかかりつけの坪倉医院で受診したところ、風邪と診断され、二日分の投薬を受けた。しかし、右の薬を服用させても理絵子の症状はさして好転せず、かえつて、同月一七日深夜頃から翌一八日の明方にかけて、同児は授乳の度に飲んだミルクを吐くようになり、だんだんと機嫌が悪くなつてぐずり、元気もなくなつてきた。そして、理絵子の便の状態は、当初は右のように下痢気味であつたが、同月一六、一七日頃からは便秘気味となつてきたので、同月一八日午前五時頃被控訴人由利子がオリーブ油を塗つた綿棒を用いて浣腸したところ、排泄された便中に薄い点状の血液が混入していた(もつとも、被控訴人由利子は、右の浣腸の際には血液の混入に気付かず、同日午前九時頃右の便を始末する際に初めて右の血液を発見した。)。
(二) そこで、被控訴人由利子は、一八日朝にも早速理絵子を伴つて坪倉医院で受診させるつもりにしていたところ、当日同医院は休診していた(それが判明したのは正午頃であつた。)ので、やむなく、同日午後五時から診療を始めると他から教えられた控訴人医院の診療開始時刻を待つことにし、右の時刻頃理絵子を伴つて同医院に赴いた。被控訴人由利子及び理絵子が控訴人の診察を受けるのはそのときが初めてのことであつた。
(三) 被控訴人由利子は、控訴人の問診に対して、理絵子の病気が風邪であること、少し熱があること、下痢をしたこと、授乳をしても嘔吐すること、便に血液が混入していたこと、ぐずり泣きをすることなどの説明をしたが、控訴人に対する遠慮から坪倉医院にかかつていた事実を伏せ、売薬を服用させていたと虚偽の説明を加えた。なお、理絵子の便の状態については、右のように下痢をしたとのみ説明し、それが後に便秘気味になつたこと(前示(一)の認定参照)については触れなかつた。
(四) 控訴人は、右のような被控訴人由利子の説明を踏まえながら、聴診、触診(とくに腹部)、喉の視診などの方法で理絵子の診察をしたところ、扁桃腺が腫れて赤くなつていたことを認めたが、そのほかにはとくに異常が認められない(腹部は平坦であり、全身状態もとくに異常はなかつた。)として、前示のように、理絵子の症状を「感冒、急性扁桃炎、急性消化不良症」と診断し、前示のように便に血液が混入していたという点については、消化不良症に起因するものと判断した。そして、控訴人は、右の診断に基づき、マイシン、咳止めのメジコンS、抗ヒスタミン剤、制吐剤、下熱剤及び下痢止め剤を投薬し、前示のように「二、三日様子を見よう」と指示した。
(五) 被控訴人由利子は、控訴人医院から帰宅後早速理絵子に右の投与を受けた薬を服用させてみたが、同児は間もなくこれを吐き出し、その後何回となく試みても同じことの繰り返しであつた。このようにして、被控訴人由利子は、一〇月一八日夜から翌一九日朝にかけて殆ど理絵子に付ききりで看病したが、同児の症状は一向に好転せず、むしろ次第に元気がなくなつてぐつたりしていくように思われた。
(六) そこで、被控訴人由利子と同良太は、一九日の朝が来るのを待ちかねて理絵子を吹田市民病院に連れて行き、まず小児科の外来で診察を受けたところ、右(一)ないし(五)の経過についての被控訴人由利子の訴えに加えて、浣腸により多量の血便が出たこと、腹部単純X線撮影で腸閉塞症状を示すガス像が認められたことなどから、腸重積症(の疑い)と診断され、手術の要否を決するため直ちに(同日正午頃)同病院外科に廻された。
(七) 外科での担当医である門田医師は、同日午後一時前頃理絵子を診察したが、当時同児はかなりの脱水状態で無力状態に陥つており、その腹部は膨満し、しかも先に小児科でなされた浣腸の名残りで新鮮な血便が肛門から流れ出る状態であつたため、前示の小児科での診断結果と合わせて、理絵子の症状は腸重積症にまちがいなく、しかも開腹手術以外に手当の方法がないと判断し、手術用の麻酔をかけた。ただしかし、門田医師は、右の腹部膨満のため理絵子の腹部に腫瘤を触診することができなかつたので、念のため、手術着手前にバリウム注腸透視を行つて腸重積症を確認した。
(八) 手術は一九日午後二時二五分に開始されたが、開腹すると、回腸の末端部から約一〇七センチメートル手前(口側)の部分で約七センチメートルにわたつて回腸が回腸に嵌入し(回腸回腸重積)、右の重積部分を含む回腸末端部分約一七センチメートルがさらに大腸(盲腸)に嵌入する(回腸盲腸重積)という二重の重積(五筒性重積)を生じていた。そこで、門田医師が手技により右の重積部分を整復しようと試みたところ、盲腸に嵌入していた部分は圧出されて原状に復したが、回腸同志の重積部分には腸管の壊死が生じていて整復が不可能であつたので、同医師は右の重積部分(約七センチメートル)を切除し、残つた腸管を吻合した。以上の手術は、一時間二〇分を要して同日午後三時四五分に終了した。
2 腸重積症について
<証拠>、原審(鑑定人岡田正)及び当審(同里村紀作)での各鑑定の結果(以下、右の各鑑定の結果をそれぞれ岡田鑑定、里村鑑定と略称して引用する。)を総合すると、昭和五三年一〇月当時における腸重積症に関して次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
(一) 腸重積症は、腸管の一部が腸間膜とともに隣接腸管内に嵌入して生ずる疾病であり、生後一、二年まで(とくに五、六か月から一二か月まで)の乳幼児それも男児に多く見られる。その成因(発生機序)については定説がないものの、最初に小腸(回腸)の一部が何らかの原因で痙れん性の収縮を起こし、この腸管に隣接する肛門側腸管が傘状にこれを取り囲むことを発生の第一段階とし、その後右の傘状の部分が口側の収縮腸管を被覆していくことによつて腸重積が完成されるとする痙れん説が最も多くの賛同を得ている。発生部位は回盲部がその殆どを占めており、回腸が回腸に嵌入する回腸回腸重積、回腸が盲腸又は結腸に嵌入する回腸盲腸(結腸)重積等の型がある。そして、さらに進行すると、右の重積部分(三筒性のもの)が回盲弁の部分でさらに飜転して結腸又は盲腸内に嵌入し二重の重積(五筒性重積)を形式する場合があり、その発生頻度はそれほど低率ではない(岡田鑑定では右の発生率は約一〇パーセントとされている。)。なお、一般の小児科医(開業医)が扱う腸重積症は、平均的にみて年に二例程度といわれている。
この疾病は、内筒と外筒との間に腸間膜が引き込まれるため、静脈が圧迫されて血流障害が生じ、発病後の経過時間が長引くにつれて嵌入腸管が腫脹し、整復が困難となるだけでなく、細血管が破れて出血が生じ、あるいは腸粘膜に病変が起こり、血便となつて現われる。次いで嵌入腸管の壊死を招き、この壊死が生ずると、整復の際にこの部分に穿孔の危険が出てくるため、保存的方法による治療が困難となり、手術の方法によらざるをえなくなる。さらに腸閉塞状態が出現すると、腹部の膨満を生ずるが、この段階にいたるには、発症後相当の時間が経過しているものと一般に観念されている。
(二) 腸重積症の主要症状としては、腹痛、嘔吐、血便が三主徴としてあげられ、その診断もこれらの症状を手掛りにしてなされるが、右の三主徴が常に相伴うというわけのものではない。
(1) 腹痛
初発症状として見られる突発的な腹痛(疝痛)で、重積部腸管のれん縮に起因して発生するものと思われる。乳幼児では直接痛みを訴えることができないので、不意に泣き叫んだり、不機嫌になつたり、顔面蒼白になるなどの症状として表現される。この腹痛発作は間歇的に起こり、間歇期には一見健康そうに見えることもある。前掲の乙第三号証(国立小児病院外科秋山医師が昭和四九年一二月発行の「臨床外科」誌上で腸重積症についてなした報告、以下乙第三号証として引用する。)によると、右病院で昭和四一年一月から昭和四六年までに扱つた本症例四二〇例のうち、腹痛(不機嫌を含む。)が認められたものの割合は五六パーセントであつた。
(2) 嘔吐
腹痛とともに腸重積症の初発症状とされているが、この初期の嘔吐は腸間膜の刺激による反射性のものであり、吐物は乳汁そのほかの胃内容物である。症状の進行とともに嘔吐は通過障害(イレウス)に起因するものとなり、吐物は次第に胆汁様、次いで糞便状に変つてくる。これらの嘔吐は頑固に持続する。乙第三号証では、嘔吐が認められたのは六八パーセントであつた。
(3) 血便
発病初期には正常便の排出もあるが、やがて(発症二ないし一〇時間後)粘血便の排出がみられ、時間の経過とともに血便の出現頻度が高くなる。しかし、血便が自然排出される割合は必ずしも多くなく、浣腸又は直腸内指診によつて検出されることが多い。このようにして証明される血便の割合は九〇パーセント以上ともいわれ(乙第三号証では八七パーセント)、血便の診断的意義は大きい。なお、便の状態が下痢気味であるか便秘気味であるかということは、腸重積症の診断にとつて有意ではなく、通常の場合、本症発症後もしばらくは正常の排便が見られるが、次第に排便、排ガスともに減少していく。
以上のほか、腹部腫瘤も重要な症状として挙げられており(これを加えて四主徴とする見解もある。)、その触知により本症の診断が確定的になされうるとされているが、触診により腫瘤を確認しうるのは発症後相当時間経過後であり、また、乳児の場合は触診時に泣いたりして確認が困難なこともあるから、腫瘤に触れないからといつて直ちに本症が否定されることにはならない(乙第三号証では腹部腫瘤が確認された割合は六八パーセントである。)。
腸重積症の診断は、以上の四症状を手掛りに進められ、中でも血便の証明が重要なことは前示のとおりであるが、さらに本症を確定的に診断する方法として、バリウム注腸X線検査がある。これは、X線透視下でバリウム液を注腸していくと重積部において特有の遮断像が認められるものであつて、これにより腸重積症の確定診断が得られるとともに、後述の保存的治療法にスムーズに移行しうる。
なお、腸重積症は、その因果関係は明らかにされていないが、発熱、下痢等の上気道感染や感冒様症状に引き続いて起こることがある(岡田鑑定によると全体の一九ないし二六パーセント)といわれており、この点も本症の診断上留意されなければならない。
(三) 腸重積症の治療方法としては、高圧浣腸(バリウム液又は空気)により非観血的に重積を整復する保存的治療法と、開腹手術により観血的に整復又は罹患腸管の切除を行う方法とがあり、そのうち前者の方法が原則的治療法とされ、それが不可能な場合(保存的治療法を試みても奏功しないときのほか、腹膜炎を起こしていて腹部刺激症状があるとき、腹部膨満があり腸閉塞症状が強いとき、発症後かなりの長時間を経過し、脱水、高熱などの全身症状を示すとき)に開腹手術による後者の方法がとられることになる。開腹後もできるだけ重積部腸管を用手的に圧出整復することが試みられ、それが不成功のときもしくは重積部腸管が壊死に陥つている場合には、腸管切除術が行われる。そして、発症からの経過時間と右の各治療方法の適応との関係については、多少の異説もあるが、一般には発症後二四時間以内が保存的治療法適応の一応の目安とされ、この時間内であれば開腹をしないで整復が可能であり、予後も比較的良好とされている。ちなみに、<証拠>によると、昭和四一年一月から昭和四九年八月までの間に国立小児病院で扱つた腸重積症例五七八例のうち、保存的治療法のみで整復しえたものが四七六例(82.3パーセント)であつたが、これを発症後来院時までの経過時間別にみると、二四時間以内の場合は保存的治療法の成功率90.9パーセント(四六二例中の四二〇例)であつたのに対し、二四ないし四八時間では63.5パーセント(六三例中の四〇例)、四八時間以上では27.9パーセント(四三例中の一二例)であつた。
なお、前示の五筒性腸重積の場合には、通常の三筒性の場合と比較して一般に保存的治療法の成功率は低く、開腹手術の必要性が高くなることが認められているところ、岡田鑑定によると、三筒性の場合の保存的治療法の成功率が九六パーセントであるのに対し、五筒性の場合のそれは41.7パーセントであるとされており、また、乙第三号証によると、前示国立小児病院の取扱症例五七八件中一〇二例について開腹手術がなされたが、そのうちの五一例(五〇パーセント、全症例中の8.8パーセント)が五筒性腸重積であり、さらにそのうちの一二例について腸管切除を要したということである。
以上のように、腸重積症は発症後の経過が比較的急激であり、放置すれば生命にも関する重大な疾患であるから、できるかぎり早期の診断と治療が重要であるが、適時に適切な治療がなされるかぎりこれによる死亡率は低く、とくに前示のような診断及び治療の方法が普及してきた本件当時においては、右の死亡率は殆ど零パーセントとされている。
3 控訴人の注意義務違反(過失)の有無について
(一) まずはじめに、理絵子の腸重積症が何時発症したかについて考えるのに、前記1で認定した同児の症状経過によると、同児は昭和五三年一〇月一七日の深夜頃から翌一八日の明方にかけて授乳の度に飲んだミルクを吐くようになり、だんだんと機嫌が悪くなつてぐずり、元気もなくなつたうえ、一八日午前五時頃同児の便中に少量ではあるが血液が混入していたというのであり、しかも、同月一九日午後一時前頃の手術直前の所見では腹部膨満の腸閉塞状態にあり、次いで同日午後二時二五分開腹すると回腸の重積部にすでに壊死を生じていたというのであるから、これを前記2で認定した腸重積症の一般的な病像と対比してみると、同児の腸重積症は、おそくとも同月一八日午前五時前頃には発症し、控訴人が同児を診察した同日午後五時頃にはすでに進行中であつたと推認するのが相当である。前掲の岡田、里村鑑定人の鑑定及び証言中には、一八日午後五時頃には未だ理絵子の腸重積症は発症していなかつたと一見受取れるような部分もあるが、しかし、右の各鑑定及び証言内容全体を仔細にみると、右両鑑定人の意見は、右の時点では未だ腸重積症の確定診断を下しうる状態ではなかつたというにすぎず、それ以前の発症そのものを否定する趣旨ではないことが明らかであるから、右両鑑定人の鑑定結果及び証言は前示の推認とは抵触せず、他に右の推認を妨げる証拠はない。
(二) 右のとおり、控訴人が理絵子を診断した当時、同児はすでに腸重積症に罹患していたものと認められるのに、控訴人は、前示認定のとおり、感冒、急性扁桃炎、急性消化不良症と診断してそのための投薬をし、二、三日様子をみるように指示したのであるから、右の控訴人の診療行為は、結果的にみて誤りであつたというほかない。
そこで、控訴人の右の誤つた診療行為が、医師(一般開業医)としての注意義務に違反していたかどうかについて検討するのに、前記1、2で認定した諸事情(とくに、腸重積症は一歳前後の乳幼児にとつて稀な疾患とはいえず、しかも、早期診断を要する重大な疾患であること、発熱、下痢等の上気道感染や感冒様症状に引き続いて起こることもあること、被控訴人由利子は控訴人の問診に対し、腸重積症の三主徴のうち嘔吐と血便を訴えていたこと及び本症に対する診断方法など)からすると、控訴人のように小児科を診療科目として掲げる開業医としては、当時における一般医学水準に照らし、当然に腸重積症をも疑い、少なくとも自らの目で理絵子の便の性状を確認するため、浣腸もしくは直腸内指診を試みるべき注意義務があつたというべきであつて、しかも、前示事情のもとにおいては、この際、このような措置を講ずることは比較的安全かつ容易なことであつたと思われるし、また、そうしたならば本症の診断も可能であつたであろうと認められるところ、控訴人が具体的に腸重積症を疑つた形跡はなく、また、右便の確認等の診断方法を講じたこともないのであるから、控訴人には右の点に診療上の注意義務を怠つた過失があつたとされても致仕方がないものといわざるをえない。
控訴人は、被控訴人由利子が控訴人の問診に対し坪倉医院での受診を秘したうえ、理絵子の状態について下痢気味であるとだけ説明したこと、控訴人の診察時において理絵子の腹部は平坦であり、全身状態も異常はなかつたことなどの点を挙げて、控訴人には右のような注意義務の違反はなかつたと主張するが、下痢症状であることをもつて直ちに便鑑別のための浣腸もしくは直腸内指診を回避する理由とはなし難く、加えて、前説示のとおり、右の方法による血便の検出は腸重積症を診断するうえで重要な意義を有し、その実施も比較的容易であることのほか、前示に認定した控訴人のその際における問診、聴診の結果及び理絵子の容態などの点を合わせ考えると、控訴人主張の右の諸事情を斟酌しても、なお、前示の控訴人の注意義務違反(過失)は、これを否定することができないものというべきである。
4 控訴人の注意義務違反(過失)と理絵子の開腹手術との因果関係について
(一) 前示3(一)で説示したように、理絵子の腸重積症は一八日午前五時前頃に発症したのであり、したがつて、控訴人が同児を診察した同日午後五時頃の時点では、少なくとも発症後約一二時間余が経過していたことになるところ、一般に発症後血便の排出が見られるまでに要する時間は前示2(二)(3)のとおり二ないし一〇時間とされているから、もし控訴人が前示の注意義務に従つて理絵子に浣腸もしくは直腸内指診を実施していたならば、その時点で血便を検出しえた可能性は大きかつたと推認され、このことは、同日午前五時頃の時点で被控訴人由利子がすでに同児の便中に血液の混入を認めていることに徴しても肯認することができる。そして、右のようにして血便が確認されたとすると、被控訴人由利子が訴えていた嘔吐の症状等とあいまつて腸重積症の疑いが濃厚となり、引き続き前説示のようなバリウムX線検査によつて同症の確定診断が得られた筈である。
次に、前示認定の吹田市民病院での診療の経過(とくに当時の理絵子の症状、開腹時の所見)に里村鑑定の結果を合わせ考えると、同病院での診療方法の選択に格別の落度はなく、同病院で受診した段階では、理絵子の開腹手術(腸管切除を含む。)はもはや回避できなかつたものと認めるのが相当である。
(二) そこで、控訴人の診察時に腸重積の確定診断がなされていたならば右の開腹手術を回避することができたかどうか、換言すると、右の時点(一八日午後五時頃)であれば理絵子の腸重積症を前示の保存的治療法で整復することが可能であつたかどうかについて検討する。
(1) 前記2(三)で認定したように、一般には、腸重積症の発症後二四時間以内が保存的治療法適応の一応の目安とされ、この時間内における同法の成功率がきわめて高い(乙第三号証において約九〇パーセント)とされているところ、控訴人が理絵子を診察したのは前示のとおり発症後約一二時間余の後のことであるから、同児の腸重積症が通常の三筒性のものであつたと仮定すると、右の診察に引き続く保存的治療法が成功する可能性はきわめて大であつたと思われる。もし仮に、控訴人自身が設備等の関係で右の治療法を自らなしえず、他医院への転院を要したとしても、そのための所要時間はせいぜい一、二時間であろうから、発症後二四時間以内(一九日午前五時以前)の治療(通常は、その日(一八日)のうちにおける治療ということになろう。)は十分に可能であつたと推察される。
(2) ところが、本件では、理絵子の腸重積症が前示のように五筒性重積(回腸回腸盲腸重積)を呈していたというのであり、控訴人は、この点を強調して、仮に控訴人の診察時に腸重積症の確定診断が可能であつたとしても、五筒性重積の特性からすると開腹手術は避けられなかつた筈であると主張する(引用にかかる原判決事実摘示第二、二(七)及び当審主張2(一))。
たしかに、五筒性腸重積の場合には、通常の三筒性のものに比較して保存的治療法の成功率が低く、開腹手術の必要性が高くなることは、前示2(三)でみたとおりである。しかしながら、(イ)五筒性腸重積であるからといつて全ての場合に開腹手術が必要とされているわけではなく、かなりの割合のもの(岡田鑑定では前示のとおり41.7パーセントとされている。)が保存的治療法で整復されていること、(ロ)前示2(一)で認定した腸重積症の成因等からすると、五筒性の腸重積は、それが発症後即座に五筒性として完成するものではなく、まず最初に三筒性の重積が生じた後、ある程度の時間的経過とともに五筒性に移行していく(もちろん三筒性でとどまるものが多いが)ものと推認するのが合理的であること、(ハ)岡田、里村両鑑定によると、理絵子の症状は一八日の夜間(午後)に急速に進展した可能性が強いとされているが、このことは、右の時期に同児の腸重積症が三筒性から五筒性へと進行したことによるものとも考えられること、以上の三点を合わせ考えると、前示のような五筒性腸重積症の特性を考慮に容れても、なお、本件の理絵子の場合においては、一八日午後五時頃(もしくはその後数時間以内)に保存的治療法が試みられていたとすれば、それが成功する可能性はかなり大であつたと推認するのが相当である。
(3) 右の点に関し、岡田、里村両鑑定人は、いずれも、控訴人がその診察時に理絵子の腸重積症を疑診して治療に当つていたとしても、開腹手術を回避しえたかどうかは断定し難いとしているが、右は医学的な見地から確定的な証明は不可能であるとの趣旨に解され、必ずしも前示のように推認することの妨げとなるものではない。また、控訴人が指摘するように、岡田鑑定等によると、腸重積症の中には発症後短時間のものであつても開腹手術を要するような症例が存在することがうかがわれるけれども、前記2(三)でみたような統計的数値に照らすと、右のような症例はあくまで例外的なものと思われるから、これをもつて前示の推認を妨げることはでき<ない。>
(三) 以上の次第であるから、前示の控訴人の注意義務違反(過失)と理絵子の開腹手術との間には、相当因果関係があるというべきである。
(四) なお、被控訴人らは、理絵子の開腹手術は一応成功して一命は取り止めたものの、すでに手遅れの状態であつたため、術後の経過が甚だ悪く深刻な事態を招来したが、この点についても控訴人が責任を負うべきであると主張するので検討を加えるのに、なるほど、<証拠>によると、理絵子は手術前かなりひどい脱水状態にあり、手術後もおおむね被控訴人らが請求原因(五)で主張するとおりの経過をたどつたことが認められるけれども、岡田、里村両鑑定及び両証人の証言をも合わせ参酌すると、右の理絵子の手術が手遅れであり、かつ、右の手術後の同児の症状経過が死に直面するほどの深刻な危篤状態であつたものとまでは認め難く、むしろ、右の里村鑑定及び同証人の証言によると、本件における理絵子の症状経過は腸切除術を行つた症例としては平均的なものであり、とくにそれ以上の重篤なものではなかつたことが認められる(原審における門田証言によれば、右の理絵子の術後の症状経過がきわめて重篤であつたようにも認められるが、そうであつたとしても、このことから直ちに右の認定を動かすことはできない。)。
したがつて、被控訴人らの前記主張は採用できない。
三そこで、進んで損害について判断する。
1 入院治療費
理絵子が昭和五三年一〇月一九日から同年一一月二日までの一五日間吹田市民病院で入院治療を受けたことは当事者間に争いがないところ、<証拠>によると、右の間に要した入院治療費は一六万四五四九円であつた(ただし、一一月一〇日の外来分を含む。)ことが認められる。
しかしながら、仮に控訴人がその診察時において理絵子の腸重積症を診断し、保存的治療法により治療しえたものとしても、それなりの費用を要した筈であるし、<証拠>によると、再発の有無や完全に還納したか否かの経過観察のため二日間の入院が必要とされていることが認められるから、前認定の吹田市民病院における入院治療費から右の各費用を控除したものが、控訴人の負担すべき損害額というべきである。そして、これらの費用の数額を直接明らかならしめる資料はないが、<証拠>により、右の各費用の総額(保存的治療法が奏功したと仮定した場合の費用)は四万四五四九円を超えないものというべきである。
したがつて、被控訴人理絵子の入院治療費として控訴人の負担すべき損害は、一二万円となる。
2 慰藉料
<証拠>によると、理絵子は前示の手術の後一時的に成育の遅れが見られたが、昭和五五年三月頃には通常の成育状態に復したこと、しかし、同児の腹部中央部には約七センチメートルの手術痕が残り、将来においてもこれが完全に消えることはないと思われることが認められ、これらの事実にすでに認定した手術の内容、入院期間等諸般の事情を考慮すると、理絵子が被つた精神的苦痛に対する慰藉料は、八〇万円と定めるのが相当である。
3 弁護士費用
被控訴人理絵子につき一〇万円と認めるのが相当である。
四以上の次第であるから、控訴人は被控訴人理絵子に対し、不法行為(なお、債務不履行責任によつても認容額に変りはない。)による損害賠償として、金一〇二万円及びこれに対する履行期到来後であつて同被控訴人の主張する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和五四年四月一四日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるものというべく、被控訴人理絵子の本訴請求は右の限度で正当として認容すべきであるが、その余は失当として棄却を免れない。
第二被控訴人由利子、同良太の請求について
第三者の不法行為によつて身体を害された者の両親は、そのために被害者が生命を害された場合にも比肩すべき、または右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたときにかぎり、自己の権利として慰藉料を請求できるものと解するのが相当であるところ、すでに認定した事実関係によると、被控訴人由利子及び同良太が理絵子の手術とその後の症状経過により相当程度の精神的苦痛を受けたことは容易に推認することができるけれども、前示のように、理絵子の症状経過は死に直面するほどの深刻な事態であつたとまでは認められないうえ、同児は、一五日間の入院の後一時的な成育の遅れが見られたものの、その後通常の成育状態に復し、腹部に手術痕を残すほかは格別の後遺障害も認められないのであるから、このような点を合わせ斟酌すると、右の被控訴人由利子及び同良太が受けた精神的苦痛は、理絵子が生命を害された場合にも比肩すべきかまたは右場合に比して著しく劣らない程度のものであつたとは認め難い。
したがつて、右被控訴人両名の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく棄却を免れない。
第三結論
以上の次第であるから、原判決中被控訴人理絵子に関する部分は相当であるが、被控訴人由利子及び同良太の請求を一部認容した部分は不当であつて、取消しを免れない。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(唐松寛 野田殷稔 鳥越健治)