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大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)333号 判決 1981年9月10日

控訴人(附帯被控訴人) 川本修

被控訴人(附帯控訴人) 国

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  控訴人

(控訴につき)

「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決

(附帯控訴につき)

「附帯控訴を棄却する。」との判決

二  被控訴人

(控訴につき)

主文同旨の判決

(附帯控訴につき)

予備的請求として、「控訴人は、被控訴人に対し、原判決物件目録記載の土地につき、神戸地方法務局三木出張所昭和四四年三月一一日受付第一七一二号をもつてなされた同日売買を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は、控訴人の負担とする。」との判決

第二当事者の主張

一  被控訴人の請求の原因

(一)  原判決物件目録記載の土地(以下、本件土地という)は、もと訴外山本岩吉の所有であつたが、被控訴人は、昭和一九年中、同訴外人から本件土地を買受けて所有権を取得した。被控訴人が訴外人から本件土地を買受けた経緯は次のとおりである。

1 被控訴人(旧陸軍)は、昭和一八年ごろ、太平洋戦争の戦局緊迫の折柄、これに対処するため、中部軍経理部所管のもと、兵庫県美嚢郡別所村(現三木市)、加美郡母里村(現同郡加美町)、加古郡八幡村(現加古川市) の三カ村にまたがる一帯の土地約二、〇〇〇筆約二〇〇万平方メートルの地域に軍用飛行場(陸軍三木飛行場)の建設を計画し、同年秋ころから翌一九年初めにかけ飛行場予定地域を確定するとともに、右関係三カ村の村長ら村役場当局者に用地買収の協力を要請した。そして軍は昭和一九年二月ごろまでに、関係村役場当局者と協議するなどして用地の買収予定価格を決定し、そのころ各村役場を通じて飛行場予定地の土地所有者らの参集を求め、飛行場の設置計画を発表し、用地買収を申込み、関係村の村長を通じて土地所有者に個別に用地買収の承諾を求めた。飛行場予定地の土地所有者はすべて、被買収に同意し、引続いて軍は、関係部落代表(買収委員)の協力のもと、村役場当局者を通じて被買収土地所有者らに対し、買収代金、地上物件補償料等の支払い手続を進め、昭和一九年一二月ころまでに右支払を終えた。

2 三木飛行場は、昭和一九年春ころから建設にかかり、主として近傍各市町村から動員された勤労奉仕隊の手をかりて整地が行われ、二本の滑走路と兵舎等の附帯施設が造られ、昭和二〇年八月の終戦時まで飛行場として使用された。

3 本件土地は、旧別所村地内に存在し、前記の経過で三本飛行場用地として買収されたものである。

(二)  本件土地を含む三木飛行場跡地のその後の所有・占有関係は、次のとおり推移した。

1 昭和二〇年八月、終戦により旧軍の解体に伴い、飛行場跡地は、昭和二〇年一〇月一〇日旧陸軍省から大蔵省(大阪財務局)に引継がれた。

2 ところで、同年一一月九日、政府は、当時極度にひつ迫していた食糧の確保と、終戦の結果失職した者(軍人・工員・海外からの引揚者等)の帰農による社会的安定を図る目的で、全国で一五五万町歩の未利用未墾地を確保し、入植戸数五五万戸、増反戸数四五万戸を実現させるべく、閣議決定をもつて「緊急開拓事業実施要領」を定め、その開拓事業の実施基盤となる開拓用地の取得については、昭和二一年一一月二一日施行の自作農創設特別措置法(以下、単に「自創法」という)による農地改革の一環として民有未墾地を買収するほか、旧軍用財産等国有未墾地についても積極的に解放することとし、とくに旧軍用財産については、旧軍の早期解体の目的から自創法による早期解放が求められた。

3 兵庫県農地委員会は、右の趣旨にそつて昭和二三年一月三一日三木飛行場跡地を緊急開拓事業地区として利用することを決定し、同県知事の認可を求め(自創法施行令三一条二項)、同知事は同年四月二五日これを認可した。そしてこれに伴ない、同跡地は同年七月二四日大蔵省から開拓地として農林省に所管換えされた。

4 右所管換えに先立ち、飛行場跡地は、すでに昭和二〇年一〇月の旧軍の解体の直後から三木飛行場駐とん部隊の軍人三名がそのまま残留して開拓を始めていたが、その後昭和二一年から同二四年にかけ合計三六名の者が入植して開拓を始めた。一方、所管換え後、昭和二三年七月、飛行場跡地全体が緊急開拓事業地区の国営代行地区(国営事業を知事が代行して行う地区)に指定されるに及んで、同地区に対する本格的な開拓事業が実施に移されることとなり、地区の開墾・営農に必要な幹線道路・水路・溜池等主要な設備は昭和二五年から同三八年にかけて全額国庫負担で建設された。それとともに、開墾して農地とすべき土地については、昭和二四年から同三三年にかけて自創法四一条又は農地法六一条により入植者四〇名と地元増反者三二一名、合計三六一名に対して新たに区画した一、五六二筆、一九五町五反七畝二歩(約一九五万二、七〇一平方メートル)の売渡処分がなされ、昭和三八年ころまでにはほぼ所期の開拓計画どおり農地等が造成された。

5 以上の経緯をたどつて、開拓者(被売渡人)らは、農地法七一条による知事の検査にも合格したうえ、今日にいたるまで飛行場跡地の各人のために区画された土地を所有、占有して営農を行つてきている。また跡地内の未売渡しの道路、水路、溜池敷等の土地は、現在なお国有財産として農地法七八条等により農林水産大臣又は兵庫県知事が管理している。

(三)  被控訴人が買収した約二〇〇万平方メートルの三木飛行場跡地の各土地所有者から被控訴人に対する所有権移転登記手続の関係は、次のとおりである。すなわち、

旧八幡村地区の土地(被買収者九名、一二筆一万六、七三二平方メートル)の全部と旧母里村地区の土地(被買収者七四名、七八〇筆六三万二、七九二平方メートル)のうち約八五パーセントについては、昭和〇まで彼控控訴人への所有権移転登記が実行されたが、旧母里村地区の土地のうち約一五パーセントと、本件土地を含む旧別所村地区の土地(被買収者三〇四名、一、三二一筆一四六万七、六一六平方メートル)の全部については、被控訴人への所有権移転登記が行われないまま終戦を迎えた(旧別所村地区の土地の登記未了は、同村の登記事務担当者の入隊が主たる原因である。)。戦後、旧母里村地区の残りの土地全部と、旧別所村地区の土地のうち七一五筆七七万二、二六一平方メートル (被買収者二〇二名)については、被控訴人への所有権移転登記が完了したが、本件土地を含む旧別所村地区の残りの土地約六九万平方メートルについては、いまだ右登記が実行されないまま現在にいたつている。

(四)  しかるところ本件土地につき、神戸地方法務局三木出張所昭和四三年四月二三日受付第二七二一号をもつて、同月二二日贈与を原因として訴外山本行雄のため所有権移転登記が経由され、続いて同出張所昭和四四年三月一一日受付第一七一二号をもつて、同日売買を原因として、控訴人のため所有権移転登記がなされている。

(五)  しかしながら右の各登記は、次の事由で無効であるか、又は被控訴人に対抗できないものである。すなわち、

1 前記のように、本件土地は、その周辺一帯の土地とともに被控訴人が買受け、起伏をならすなど大規模な工事を行い飛行場を建設し、旧陸軍三木飛行場として使用され、旧軍解体後は、飛行場跡地は、開拓用地として、その全域にわたつて、道路・水路・溜池等の農業用施設を設けるとともに、開拓に適するよう新たに土地の区画を定めて開拓者らに売渡され、爾来それらの者によつて、開拓事業が推進されてきたものである。このように飛行場跡地は、二度にわたる大規模な形状変更の結果、従前の土地の区画は殆ど確認不可能な状況になつている。本件土地も、今では従前の位置は判然としないが、本件土地を含むと認められる一画の土地は、昭和二四年ころ、訴外久米忠男に売渡され、同人によつて開拓されてきた。

2 以上のような経過をたどりながら昭和四一、二年ころまでは、飛行場跡地の開拓地については、被控訴人の買収、そして開拓者に対する売渡しを争う者はなく、平穏に推移した。ところが、昭和四一年から同四三年ころにかけて、関西電力株式会社(以下、関電と略称)の高圧送電線の西神戸線及び六甲線が開拓地のうち、稲美町草谷、同下草谷、加古川市八幡町宗佐、三本市別所町下石野字西山の各地区に属する部分に架設され、それに伴ない、高圧送電線の鉄塔用地の買受代金(又は借上げ代金)や線下補償として、多額の金額が関係土地所有者の開拓者らに支払われることになつたため、これをきつかけとして、一部の旧地主(被控訴人が買収した際の所有者又はその相続人)が右補償金等を目当てに国の買収を否認し、或いは買収の際土地の返還約束があつたなどと虚構の主張をする等して自己の権利を主張し、関電に抗議して補償金の支払等を求めたり、兵庫県に対しても買収土地の返還を求めるなどの運動を繰り広げた。しかし、このような要求は、 相手方の拒絶にあつて功を奏さず徒労に終つた。そこで右の旧地主らは、登記簿上の所有名義がまだ自己に残存していたことを奇貨として、これを他に二重譲渡して利得しようと企み、近在の土地ブローカーらと相謀つて、開拓地内にある土地を次々と転売するにいたつた。

3 本件土地の旧所有者山本岩吉も、前記旧地主らの土地返還運動に際し、北本伝治、中島敏悟、大和虎之助らとともに、その中心的な動きをした者である。そして山本岩吉は、自己の目的達成の手段として、長男の山本行雄に対し、本件土地を含む二筆の被買収土地につき、行雄名義に贈与を原因とする所有権移転登記をした。

さらにこのような状況のさ中の昭和四四年三月上旬ころ、大和土地なる商号で不動産取引を営む控訴人が前記事情を聞知し、山本岩吉方を訪れ、同人に対し、自分らで責任をもつて本件土地に関する問題を処理するから売つて欲しいともちかけ、本件土地及び隣接の土地を併せて買受け、その旨前記の所有権移転登記に及んだ。

4 しかしながら、まず山本岩吉から山本行雄に対する贈与を原因とする右所有権移転登記は、岩吉が関電から高圧送電線 架設に伴なう補償金の受給をもくろみ、或いは兵庫県に対して土地返還運動をしたものの、所期の効果をあげえなかつたところから、自己の目的達成の手段として、すでに被控訴人に売渡して権利を失つているにもかかわらず、登記名義を長男行雄の名義に変更したにすぎないのであつて、行雄に対し、本件土地を贈与する意思は全くなかつたというべきであるから、右登記は実体を欠いており、無効といわなければならない。仮に岩吉と行雄との間に贈与の意思表示があつたとしても、これは右のように紛争の手段として両者通謀してなされた虚偽表示であるから無効といわなければならない。そうだとすると、仮に控訴人が行雄から本件土地を買受けたとしても、控訴人は本件土地の所有権を取得しえないものであつて、控訴人のための右所有権移転登記は無効である。

5 仮に行雄と控訴人間に本件土地の売買契約がなされたとしても、その契約目的の土地が本件土地であるとは断定できない。けだし、本件土地の含まれる飛行場跡地の開拓地は、従前土地の境界、形状等は全く面目を一新しており、もともと本件土地の位置関係はきわめて不分明であつて、現地において特定することは困難である。それにもかかわらず本件土地を売買したというのは、契約目的の土地の特定を欠くものであるから、右売買契約は無効というべきである。

6 仮に前記贈与及び売買契約がなされたとしても、本件土地は農地であるところ、右譲渡につき農地法所定の許可を得ていないからその所有権を取得できない。

7 さらに右の各主張が認められないとしても、控訴人は、前記のように本件土地及びその周辺一帯の土地が飛行場用地として被控訴人に買収され、これが戦後開拓者らに売渡され、それらの者によつて現実に営農の用に供されてきた事実、また関電の高圧送電線架設に伴う補償金の支払をめぐり争いのあつた経緯もすべて熟知しながら、しかも本件土地の区画さえ明確でないのに、いわば「事件もの」の土地としてこれを買受けているものである。控訴人は、もともと山本岩吉が被控訴人に対し、本件土地の所有権移転登記義務を負つていることを承知のうえ、本件土地の転売に関与しているものであるから、被控訴人に対し、登記の欠缺を主張することができない背信的悪意者であることは明らかというべきである。

(六)  そこで被控訴人は、控訴人に対し、本件土地につき、所有権移転登記手続をなすことを求める。被控訴人が控訴人に対して右登記請求権を有することは次の諸点からも理由があるというべきである。

1 前記(二)のとおり、被控訴人が買収した本件土地を含む三本飛行場跡地は、緊急開拓事業地区として開拓され、従つて旧土地の形状は変わり位置等も殆ど不明となり、新区画が設定されて、新しく区画された土地が開拓者らに自創法四一条又は農地法六一条に基づく国有未墾地の売渡し処分として売渡された。

2 元来、右売渡しは、その対象となる土地については、従前の土地の地番・地積・地目とは関係なく、売渡し地区全体を統一的にいわば白紙の状態にしたうえで、全く新たな区画を定めて、被売渡人に売渡すことになる。このような場合、売渡しにいたる過程では一旦従前の土地の登記簿を閉鎖し(自創法登記令一四条、農地法登記令一四条)、未登記の土地とした後、新区画された土地が被売渡人に売渡され、右売渡しの土地の登記は、直接都道府県知事が被売渡人のため所有権保存の登記を嘱託することによつて行われる。従つて自創法登記令一四条(農地法登記令一四条)による登記手続の必要性を国が認定して、同手続によつて売渡登記手続を行う方法を選択した場合には、当該開拓地区内の土地の売渡処分による所有権取得登記は、右登記手続の特質からして、同手続により画一的に処理される必要があり、この場合売渡しを受けた開拓者が個別に従前地の旧所有者或いは転得者に対し、売渡しを受けた土地に相当する従前地を分合筆したうえ、所有権移転登記を求めるといつたことは認められない。

3 被控訴人は、買収した飛行機場跡地の開拓地全部につき、被買収者から被控訴人への所有権移転登記を完了させ、その登記簿を一旦閉鎖したうえで、新区画地を被売渡人に売渡す運びをとるだけの余裕が与えられなかつたので、登記関係の整備をひとまず措いたかたちで手続を進めざるをえなかつたが、飛行場跡地の開拓地は、自創法登記令一四条(農地法登記令一四条)の要件に該当するものと認め、開拓地の売渡登記手続については同条の手続によることとしたのである。

4 従つて被控訴人は、開拓地の被売渡人に対し、右の売渡登記手続をなすべき義務があり、右売渡登記手続の前提として開拓地内の全土地について登記簿の閉鎖をする必要がある。そのためには一旦被控訴人が登記上所有者名義を取得しないことには、その実行ができず、また被売渡人に対し所有権取得登記を現出させる義務を果すことができないことになる。

5 控訴人は、本件土地につき、現在登記名義を有するも、実体上の権利者ではない。一方本件土地のもと所有者山本岩吉は、被控訴人に対し、所有権移転登記手続をなすべき義務を負うのであるが、自創法登記令(農地法登記令)による登記手続の特殊性と本件土地の実情に鑑み、被控訴人は、直接本件土地の現登記名義人である控訴人に対し、所有権移転登記を求める登記請求権を有するものというべきである。

(七)  (予備的請求の原因)

仮に被控訴人から控訴人に対し、直接本件土地につき所有権移転登記手続を求めることが理由がないとしても、山本岩吉から山本行雄に、さらに山本行雄から控訴人に対する前記の各所有権移転登記が実体上の権利関係を欠く無効の登記であることは前記のとおりであつて、右各登記は抹消されなければならないものである。一方被控訴人は、山本岩吉に対し、本件土地の所有権移転登記請求権を有するところ、岩吉は控訴人に対して右登記の抹消登記手続を求める登記請求権があるのに、これが手続をなさないので、被控訴人は、民法四二三条の債権者代位権により、控訴人に対し、控大んのためになされた前記所有権移転登記の抹消登記手続を求める。

二  控訴人の請求原因に対する答弁

(一)  請求原因(一)の事実中、本件土地がもと山本岩吉の所有であつたことは認めるが、被控訴人が同人から本件土地を買受けたことは否認する。

(二)  同(四)の実実は認める。

(三)  同(五)の主張は争う。(1) 山本岩吉と山本行雄問における本件土地の贈与が仮に無効であつたとしても、控訴人は、岩吉と売買交渉を行い、売買代金を決定して授受したものであるから、控訴人の売買に影響はなく、控訴人のためになされた所有権移転登記は、実体関係に符合するものである。(2) 控訴人は、本件土地を現地で特定して売買したものであり、売買当時、本件土地は、地目のとおり山林であつて、被控訴人主張のように地ならしがされた土地ではなく、特定することが容易な土地であつたし、(3) また本件土地は、農地ではなく、地目のとおりの山林であるから、右売買につき農地法三条所定の県知事の許可を受けることは必要でない。(4) さらに控訴人は登記の欠缺を主張しえない背信的悪意者ではない。控訴人は、山本岩吉から本件土地が飛行場用地として被控訴人に買収されたということ、関電との問に紛争があつたことは何も聞いていない。被控訴人主張の事情が存在するからといつて、控訴人を背信的悪意者ということはできない。

(四)  被控訴人の登記請求権についての主張は争う。

三  控訴人の抗弁

(一)  仮に被控訴人主張のように本件土地が飛行場用地として買収されたとしても、右買収は実質的に土地収用と同じ性格  のであるから、旧土地収用法(明治二三年法律二九号)六六条に照らし無効である。

(二)  仮に飛行場用地の土地売買が旧土地所有者と被控訴人(旧陸軍省)との間に存在したとしても、右売買は陸軍が臨時の飛行場として一時的使用を目的としたものであつて、戦争がすめば旧所有者に土地を返還するとの特約が存在した。すなわち解除条件付の売買であつた。そして右条件は終戦によつて成就したから右売買契約は失効したものである。

三 抗弁に対する被控訴人の答弁

抗弁(一)(二)の事実は否認する。

第三証拠関係<省略>

理由

一  本件土地がもと訴外山本岩吉の所有であつたことは当事者間に争いがないところ、被控訴人は、昭和一九年中、同人から本件土地を飛行場用地として買受けたと主張するので判断する。

(一)  成立に争いのない甲第九九号証の二、第一〇一ないし第一〇三号証の各一、二、第一〇四ないし第一〇八号証、官署作成部分の成立につき争いがなく、その余の部分は前記甲第一〇三号証の二によつて成立を認めうる甲第七一号証の四ないし六、前記甲第一〇一号証の一、二により成立を認めうる甲第三ないし第五、第七号証、第一九ないし第二四号証、第二六ないし第三〇号証、第三七、第四二、第四五ないし第四八号証、第六五、第六六号証、前記甲第九九号証の二により成立を認めうる甲第六、第一八、第三一号証、第八二号証の一ないし六、前記甲第一〇四号証により成立を認めうる甲第四〇、第四一号証、弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第七四、第八三ないし第八五号証に、弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  昭和一八年の年末から昭和一九年初めにかけ、旧陸軍省は、中部軍経理部の所管のもと、兵庫県美嚢郡別所村(現三木市別所町)、加美郡母里村(現同郡加美町)、加古郡八幡町(現加古川市)の三カ村にまたがる一帯の土地約二〇〇平方メートルの地域に軍用飛行場(陸軍三木飛行場)の建設を計画した。そして中部軍経理部経営科の担当者が関係三カ村に出張し、飛行場予定地を測量確定するとともに、関係三カ村の村長ら村役場当局者に指令して飛行場予定地域内の土地所有者からの土地買収の協力を要請し、村役場当局者と協議のもと買収予定価格が決定された。

右買収予定価格は、買収土地につき、坪当り田が三円二〇銭、畑二円、山林一円二〇銭(ただし、立木代は別途支払)、宅地五円、墓地三円などときめられ、また地上物件の移転補償料、立木の買上価格もきめられたが、右の土地買収価格は同地域の当時の価格に照らし、相当に高額と受取られていた。

次いで軍は、村役場を通じ、買収予定地の所有者を集めて飛行場建設のための協力を求め、村役場当局者を通じて土地の買収手続を進めた。右説明会は、別所村石野にある覚法寺で行われたのであるが、当時は太平洋戦争の戦局が緊迫していた折柄であり、国を挙げて戦争への協力が求められていたこともあつて、土地所有者のうちで買収に反対を表明するものはなく、買収に応ずる態度であり、村役場当局者を通じて行われた土地買収の手続は円滑に進められた。

2  飛行場予定地内には民家も存在したが、この民家は他の地に移転され、右移転に関する補償料は全額支払われ、また移転に要する資材等についても、関係者に対する軍の指令によつて種々の配慮方が督促実行された。また買収土地に対する土地代金、物件代、補償料、立木に対する補償料等も、昭和一九年一二月中には軍から村役場当局者を通じすべて支払われた。

3  買収土地についての被買収地所有者から国(陸軍省)に対する所有権移転登記手続は、中部軍経理部から関係村役場当局者に対する再々の督促にもかかわらず、事務が渋滞し、昭和二〇年八月の終戦時までには、買収土地のうち、旧八幡村地区に属する土地の全部(被買収者九名、一二筆一万六、七五二平方メートル)と旧母里村地区に属する土地の一部についてのみなされたにとどまつた。

もつとも戦後、昭和二〇年中に旧母里村地区に属する土地の相当部分について所有権移転登記が実行され、さらに昭和三〇年代から昭和四〇年代にかけて、買収土地の所有権移転登記が実施されたので、結局昭和五一年九月一日現在においては、旧八幡村地区に属する土地については全部、旧母里村地区に属する土地については、七八二筆五六万一、九六五平方メートル、さらに旧別所村地区に属する土地については、七五四筆八五万四、五六六平方メートル、以上合計一、五四八筆、一四三万三、二八三平方メートルの土地につき、国に対する所有権移転登記が完了している。

4  本件土地は旧別所村に所在する土地であつて、飛行場用地として買収の対象となつたものであり、山本岩吉は、ほかの買収の対象となつた土地とともにこれを陸軍省に引渡しており、かつ岩吉は、被買収土地に対する土地代として五七九円六〇銭、被買収土地上の立木代として九一円三〇銭を、それぞれ別所村役場当局者を通じて陸軍省から受領している。

以上の事実が認められる。成立に争いのない甲第一一九号証(乙第二号証と同一)、第一二〇、第一二二号証、乙第一号証中、右認定に反し、陸軍省に土地を売渡したことはない旨の記載部分は、到底措信できないところであつて、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  右認定の事実によると、山本岩吉と被控訴人(旧陸軍省)との間に本件土地の売買契約書は現存していないけれども、本件土地が飛行場用地に含まれ買収の対象となり、岩吉において土地代金、立木代金を受領しているのであるから、岩吉は、被控訴人(旧陸軍省)に対し、本件土地を売渡したものと認めるのが相当である。

二  控訴人は、本件土地の買収は、実質的に土地収用と同じ性格のものであるから、旧土地収用法(明治二三年法律二九号)六六条に照らして無効であると主張するが、本件土地の買収を土地収用と同じ性格のものとする主張事実 自体、これを認めるに足る証拠はなく、前記認定のように本件土地の買取は土地収用とは異なるというべきであるから、右主張は理由がない。

さらに控訴人は本件土地の売買契約は、戦争がすめば旧土地所有者に売買の土地を返還する特約が付されていると主張するが、該主張事実を認めるに足る証拠はなく、かえつて前掲甲第一〇一号証の一、第一〇八号証によると、飛行場用地の買収について特別な条件が付されたことはまつたくなく、単純な土地の売買であつたことが認められるから、右主張は理由がなく採ることができない。

三  本件土地につき、訴外山本行雄、次いで控訴人のため、被控訴人主張の各所有権移転登記がなされていることは当事者間に争いがない。

四  被控訴人は、まず山本岩吉から山本行雄に対する贈与を原因とする右所有権移転登記は、岩吉に贈与の意思が全くないか、仮にあつたとしても両者の通謀虚偽の意思表示であると主張する。

なるほど当審証人山本行雄の証言によれば、山本行雄は山本岩吉の長男であり、昭和四七年三月岩吉が死亡するまで同人と同居していたものであるが、岩吉が本件土地を贈与し所有権移転登記をしていることは、その後結局課税されることはなかつたものの、税務当局から税の申告をするよう通知されるまで全く知らなかつたことが窺えるのであるが、一方同証言及び同証言により成立を認めうる甲第一一六号証の三によれば、岩吉は、本件土地及びほか一筆の土地を飛行場用地として被控訴人に売渡したものの、中嶋敏悟らと共に、土地は強制的に接収されたもので真に売渡してはいないなどと主張し、なお所有権が自己にあるとして、兵庫県知事に土地の返還要求などをしていたこと、そして行雄に対しても国に売渡してはいないなどと述べていたので、行雄としては、半信半疑ながらも、贈与を原因として同人のためになした所有権移転登記を受容することにしていたことが認められるので、本件土地の贈与は、多分に疑念は残るものの、贈与の意思を欠き、或いは通謀虚偽の意思表示であるとまでは断定し難く、この点の被控訴人の主張は採りえない。

次に被控訴人は、本件土地は農地であるところ、岩吉から行雄に対する贈与、さらに行雄と控訴人との間の売買によるそれぞれの所有権移転については農地法所定の県知事の許可を得ていないので、本件土地の所有権を取得しえないと主張する。しかしながら、もともと、登記簿上本件土地の地目は山林であるから、その所有権の移転については農地法所定の県知事の許可を要しないものである。もとより本件土地の現況が農地である場合には、右許可が必要とされるのであるが、後記のように、本件土地を含む三木飛行場跡地が緊急開拓事業地区として、入植者ら に開墾されて農地等の造成がなされたことは認められるが、被控訴人も主張するように、本件土地それ自体のもともとの区画・位置・形態は、変更を余儀なくされて不明確といわざるをえない状況になつているというのであるか ら、本件土地の現況を農地と断定することはできない。そうだとすると、本件土地の所有権の移転について農地法所定の県知事の許可が必要と言い切ることはできない。従つてこの点の被控訴人の主張は理由がなく採りえない。さらに被控訴人は、行雄と控訴人間の本件土地の売買は、本件土地を現地において特定することは困難であるから、契約目的の土地の特定を欠くことになり、売買契約は無効であると主張する。なるほど本件土地を現地において特定することが困難であるとしても、登記簿上本件土地は存在するのであつて、土地の売買契約においては、現場における土地の特定をさておいて、登記簿のみに従つて売買を約定する事例もあるわけであるから、本件土地の売買をもつて、契約目的の土地の特定を欠いているとまでは言いえず、この点から右売買契約を無効ということはできない。

五  ところで本件土地につき、被控訴人は山本岩吉から所有権移転登記を経ておらず、岩吉から山本行雄、次いで行雄から控訴人に各所有移転登記が経由されていることは前記のとおりであるところ、被控訴人は、山本行雄や控訴人はいわゆる背信的悪意者であると主張するので判断する。

前掲甲第一〇一号証の一、第一〇二、第一〇三号証の各一、二、第一〇六、第一〇七号証、原本の存在成立につき争いのない甲第一二六号証、第一二一号証(ただし、後記措信しない部分を除く)、当審証人山本行雄の証言に、弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  被控訴人が買取した本件土地を含む三木飛行場用地は、昭和二〇年八月の終戦による旧軍の解体に伴い、その後旧陸軍省から大蔵省に、次いで大蔵省から農林省に所管換えされて管理されたが、その間飛行場跡地は緊急開 拓事業地区として利用されることになり、ここに入植した者或いは地元増反者らによつて開拓が進められ、一方同地区が国営代行地区に指定されるに及んで、本格的な開拓事業が実施に移され、地区の開墾・営農に必要な幹線道路・水路・溜池等の設備が昭和二五年から同三八年にかけ全額国庫負担で建設された。それとともに開墾して農地とすべき土地については、昭和二四年から同三三年にかけて、自創法四一条又は農地法六一条により、入植者及び地元増反者ら合計三六一名に対して、新たに区画した一、五六二筆、一九五町五反七畝二歩(約一九五万二、七〇一平方メートル)に及ぶ土地の売渡処分がなされ、右入植者らによつて、昭和三八年ころまでには、ほぼ所期の開拓計画どおりに農地等が造成された。

2  そこで被控訴人が買収した土地は、まず飛行場用地として整地され、次いで開拓地として開墾されて農地等の造成が進められたために、買収前の土地の境界、位置、形状もすつかり変つてしまい、買収前の土地の位置・境界を現場において特定することは殆どできない状況になつた。開墾農地の売渡しを受けた開拓者らは、それぞれが新たに区画された土地を所有ないし占有をして営農に当つているし、跡地内で未売渡しの道路・水路・溜池敷等の土地は、なお国有財産として農林水産大臣又は兵庫県知事が管理している。

3  以上のように飛行場跡地は開拓地となつたのであるが、これらの土地が被控訴人が買収したものであることや、新しく区画された土地を被控訴人から開拓者に売渡したことを争う者とてなく平穏に推移し来たり、被控訴人は、買収土地のうち未登記の部分については、逐次所有権移転登記手続を進めてきた。したるところ昭和四一、二年ころにいたり、関電が高圧送電線を開拓地のうち稲美町草谷、同下草谷、加古川市八幡町宗佐、三木市別所町下石野等の地区に架設することになり、右各地区の土地に高圧送電線の鉄塔が建てられ、右鉄塔用地の買上げないし借上げ代金さらには送電線下の補償金として、多額の金員が関係土地の所有者である開拓者らに支払われることになつたところ、被控訴人が買収した際の旧土地所有者或いはその者の相続人のうちの一部が関電の補償金は自らに支払われるのが相当であるとして、国の買収を否認し、或いは買収の際飛行場としての使用がやめば旧土地所有者に買収土地の返還約束がされていたなどと主張して買収土地の返還を求める運動が繰り広げられるにいたつた。しかし関電の補償金は開拓者らに支払われ、買収土地の返還も許容されなかつたが、旧土地所有者のうちには、被控訴人に対する買収土地の所有権移転登記手続を拒む者が現われ、また登記簿上の所有名義がそのままであるところから、これを他に転売して被転売者に所有権移転登記をなす者も出てきた。そしてこのような状況のもとに近在の土地ブローカーの介在も目立つた。

4  本件土地のあたりには関電の送電線用鉄塔が建設されたのであるが、本件土地の旧所有者山本岩吉は、前記の買収土地の返還運動等には、北本伝治、中島敏悟らとともに積極的な動きをした者の一人である。そして岩吉は、前記のように被買収の本件土地及びほか一筆の土地につき、長男の山本行雄名義に贈与を原因とする所有権移転登記をしたが、さらに昭和四四年三月、大和土地開発株式会社の代表者として不動産業を営む控訴人が他の不動産業者と共に岩吉方を訪れ、本件土地ほか一筆の土地の売渡しを勧めた。同席した行雄も果して控訴人に本件土地を売渡してよいのかどうか危惧し、岩吉自身控訴人から売買代金を受領してもよいのか迷つた様子であるが、控訴人らから裁判をしたところで損をするから売つた方がよい、決して心配をかけるようなことはしないなどと入知慧され、中島敏悟らに相談したうえで売渡すことにした。

以上の事実が認められる。甲第一二一号証のうち右認定に反する記載部分はとうてい措信することができず、他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、山本行雄及び控訴人は、もともと本件土地はもとより、その周辺一帯の土地が飛行場用地として被控訴人に買収されたものであること、戦後飛行場跡地は開墾されて開拓地となり、新しく区画された土地が入植者・地元増反者らに売渡され、これらの者が営農の用に供してきたこと、さらには関電の高圧送電線架設に伴ない補償金等の支払をめぐり紛争が生ずるにいたつたことの経緯は、およそ熟知していたと認めるのが相当である。そして岩吉が被控訴人に対し、本件土地の買収に基づく所有権移転登記をしていなかつたことを奇貨とし、同人が被控訴人に本件土地を売渡していることを知りながら、本件土地を贈与により、さらには売買により所有権移転登記をなすことは、これによつて被控訴人を困惑させ、なんらかの利得の引出しをはかろうとする意図以外のなにものでもないといわざるをえない。そうとすると、山本行雄及び控訴人において、被控訴人の登記の欠缺を主張することは信義則に反するものというべきであり、同人らはいわゆる背信的悪意者として被控訴人の本件土地についての登記の欠缺を主張できる正当な利益を有する第三者にはあたらない。

六、ところで被控訴人は、以上認定のように買収した本件土地を含む飛行場跡地を一体として整地、分合した上開拓事業を進め、新しく区画した土地を入植者・地元増反者らの開拓者に売渡しているのであつて、被控訴人としては、これらの開拓者らに完全な所有権を取得させるため、中間者として当初の被買収者から一旦自己に所有権移転登記を受けた上、自創法登記令一四条、農地法登記令一四条による登記用紙の閉鎖の手続をとり、新地番を付して開拓者らに各売渡土地の所有権移転登記をなす義務があり、そのためには当初の被買収者らから所有権移転登記を受けうることは明らかであるところ、本件土地については当初の被買収者である山本岩吉から山本行雄に、次いで控訴人に各所有権移転登記が経由されていることは前記のとおりであり、右各登記は岩吉が自己に登記名義が残存しているのを奇貨としてなした二重譲渡といわざるをえないが、山本行雄及び控訴人は、背信的悪意者として被控訴人に対しては、登記の欠缺を主張できる正当な第三者にはあたらないことは前段認定のとおりであるから、被控訴人は、買主として、岩吉に対し、本件土地の所有権移転登記を、また行雄及び控訴人に対し、経由されている各所有権移転登記の抹消登記を請求できることはもとより(この意味で被控訴人の予備的請求の理由があることは、明らかである。)、これに代えて被控訴人から本件土地の現登記名義人である控訴人に対し、直接所有権移転登記を請求することも許されると解すべきである。

七  そうだとすると、被控訴人の控訴人に対する本件土地につき所有権移転登記手続を求める本訴請求は理由があるからこれを認容すべきである。

よつて被控訴人の本訴請求を認容した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 今富滋 藤野岩雄 坂詰幸次郎)

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