大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)346号 判決 1981年6月30日
控訴人・附帯被控訴人(被告) 光不動産株式会社
訴訟代理人 久保田寿一
被控訴人・附帯控訴人(原告) 国
指定代理人 小林茂雄 外六名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一申立
一 控訴人(附帯被控訴人、単に「控訴人」という。)
控訴代理人は、控訴事件につき「原判決を取消す。被控訴人の主位的請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、附帯控訴事件につき「本件附帯控訴にかかる被控訴人の予備的請求を棄却する。」との判決を求めた。
二 被控訴人(附帯控訴人、単に「被控訴人」という。)
被控訴代理人は、控訴事件につき主文同旨の判決を求め、附帯控訴事件につき、所有権移転登記手続請求が認容されない場合、予備的に、「控訴人は被控訴人に対し、別紙物件目録記載の各土地につき、神戸地方法務局三木出張所昭和四四年一〇月一日受付第七〇二三号共有者全員持分全部移転登記の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
第二主張
一 被控訴人
1 主位的請求原因
(一) 別紙物件目録記載の各土地(以下、本件土地という。)はもと中嶋敏雄(不動産登記簿上は中島敏雄)の所有に属していた。
(二) 被控訴人は昭和一九年ころ本件土地を中嶋敏雄から買受けてその所有権を取得した。本件土地買受けに至る経緯は次のとおりである。
被控訴人国(旧陸軍省)は昭和一八年ころ陸軍中部軍経理部所管において兵庫県美嚢郡旧別所村(現三木市)、加美郡旧母里村(現稲見町)、加古郡旧八幡村(現加古川市)の三か村にまたがる約二〇〇〇筆、約二〇〇万平方米の土地に陸軍三木飛行場(以下、本件飛行場という。)の設置を計画し、中部軍経理部は同年秋ころから翌一九年初めころまでの間に本件飛行場用地を確定し(以下、本件飛行場用地という。)、そのころ中部軍経理部将校らが右用地の属する村役場を訪れて関係村長らに右用地の買収についての協力を要請するとともに、適宜の場所に関係地主を集めて本件飛行場用地内の土地を陸軍に売渡すように要請した。また、中部軍経理部は本件飛行場用地の買収事務を地元各村に委嘱し、それに要する事務費用を交付していたが、右地元各村長及び村役場吏員は軍の要請を受けて関係地主に対して本件飛行場用地内の土地を軍に売渡すよう説得した。その結果昭和一九年二月ごろには中部軍経理部は本件飛行場用地の全土地所有者らから右用地内のすべての土地につき売渡の承諾を得たうえ、関係村役場の用地買収事務担当者らと緊密な連絡のもとに更に個別的に買収の事務手続を進めた。本件土地が所在する旧別所村においては、中部軍経理部の指示のもとに同村助役を中心とする役場職員が、各関係部落代表の買収委員の助力を得て、被買収土地及びその地上物件、毛上等すべてを個別的に測量、調査し、各人別の買収土地各筆調書及び要補償物件の調書を作成し、これに基づいて買収代金額が決定され、中部軍経理部は同村内に所在する買収土地の各被買収者から右代金受領の代理権を授与された同村長に対し同年一一月五日ころ買収代金を一括して支払い、これを受領した同村長は同年一一月、一二月中に各被買収者に買収土地代金等を支払つた。なお、右支払に際し書類に要補正箇所のあつたため支払が留保されていたものについても同二〇年四月下旬ころまでに右と同様の方法で支払が行われた。他の二村についてもこれと同様の方法で買収及び代金の支払が行われた。以上のような経過で、本件飛行場用地は昭和一九年二月ころすべて被控訴人が旧土地所有者から買取りその所有権を取得し、その後代金の支払も完了しているものである。中部軍経理部は同年二月以降本件飛行場用地内に散在していた民家等の除却移転をし、多数の勤労奉仕隊を動員するなどして鋭意滑走路の敷設及び格納庫、兵舎等建物施設の建設を進め、同年秋ころには一応飛行機が発着できる程度に概成し、同時に旧陸軍第一航空師団が駐屯し、以後併行して工事を続行しながら、昭和二〇年八月終戦に至るまで陸軍飛行場として使用していた。
本件土地は本件飛行場用地内に所在していたから、前記のような経過で、被控訴人が旧所有者中嶋敏雄から昭和一九年二月ころ買受け、本件土地及び地上物件の買収代金は同年一一月ころ被控訴人の買収機関である中部軍経理部から中嶋敏雄より代金受領の代理権を授与された旧別所村村長に支払われ、同村長から同人に対し同年一二月四、五日ころ右代金合計八二五〇円が支払われた。当審証人中嶋敏悟は、「右受領金員は借地料か何かほかの名目でもらつたということです。」と証言するが、被控訴人が本件土地を借り受けたものでないことは、その後金員(賃料)の継続支払がないことからも明らかである。
なお、以上のとおり被控訴人は本件土地のほか周辺土地一帯を本件飛行場用地として旧地主から買収したのであるが、右買収に伴う所有権移転登記の事務手続を地元各村に委嘱していたところ、各村ごとに事務手続の方式や能力に差があり、その結果、買収した本件飛行場用地のうち、旧八幡村地内の土地全部と旧母里村地内の土地の約八割五分については終戦までに被控訴人に対する所有権移転登記がされたが、本件土地を含む旧別所村地内の土地の全部と旧母里村地内の土地の一割五分については買収時が終戦直前のことでもあり、また旧別所村の事務担当者が入隊したことなどのため、所有権移転登記未了のまま終戦となつた。終戦後本件土地は旧軍用財産として一括して大蔵省に引き継がれ、さらに開拓用地として農林省へ所管換えされ、昭和二四年から同三六年にかけて開拓用地として分割したうえ自作農創設特別措置法又は農地法により入植者又は地元増反者に売渡され(農業用水路等共用部分にあてる土地は除外)、以後売渡を受けた入植開拓者らが当該土地を開墾したうえ耕作占有して現在に至つているが、被控訴人は農林省所管財産となつた後も被買収者らに対し所有権移転登記手続を求めた結果、旧母里村地内の買収土地の被買収者全員と、旧別所村地内の買収土地の被買収者の大部分は登記手続を承諾し、現在そのほとんどのものについて所有権移転登記を了しているが、本件土地については登記未了のままとなつている。
(三) 本件土地の前記買収当時における所有者は中嶋敏雄であつたが、その後別紙「登記一覧表」記載のとおり順次所有権移転登記が経由され、現在の所有名義人は控訴人である。しかし、右各所有権移転登記は、中嶋敏悟の相続を原因とする所有権移転登記を除き、すべて所有権移転の実体を伴わないものであるから、無効の登記である。なお、不動産登記簿上において控訴人に対し本件土地の共有部分を譲渡した旨の記載がある藤原磨瑳夫は当審において証人として証言したが、同証人は控訴人を全く知らない旨、本件土地を売渡した相手方は控訴人ではなく、神戸市東灘区住吉南町一丁目に居住する岩田正夫である旨証言しており、控訴人が藤原磨瑳夫から本件土地の共有持分を買受けたことを証する証拠はない。このような場合には、控訴人が不動産登記簿上本件土地の所有名義人となつていても、本件土地の所有者であるとの推定はもはや働かないといわなければならない。
(四) 仮に、控訴人主張のとおり本件土地につき売買契約が順次締結されたとしても、最初に中嶋敏悟と今井きよ子又は山口敬三郎が本件土地の売買契約を締結したという昭和四四年一月一七日当時から現在に至るまで、本件土地は農地として耕作の目的に供されていたものであるから、控訴人主張の右各売買についてそれぞれ農地法所定の県知事の許可がなければ所有権移転の効力が生じないところ、いずれの売買についても県知事の許可がないから、控訴人主張の売買は結局所有権移転の効力の生じない無効のものであるといわなければならない。
すなわち、昭和二一年ころ兵庫県知事は食糧増産を図るため本件飛行場用地への入植者及び増反者(開拓地の近傍において現に耕作を行つている者で、農業経営改善のため同地内で耕作地の拡張を図る者)を募り、これらの者をして同地区内において開墾に着手させていたところ、同地区全部が国の緊急開拓事業地区に指定されることになつたのに伴い、さきに陸軍省から大蔵省に引継がれた同地区内の土地全部が昭和二三年農林省に所管換えとなるとともに、改めて国営代行地区(国営事業を知事が代行して行う事業地区)として兵庫県知事が本件飛行場用地全域について開拓の基本となる地区開拓計画を樹立し、右計画に従つて同地区内の土地を、従来の区画にとらわれることなく、効率的な農業生産に適するよう全体で約一五〇〇余の整然とした区画に分割し、それぞれの区画を入植者又は増反者に割当てて開墾させ、自作農特別措置法又は農地法により順次当該土地をこれら入植開墾者に売渡した。右計画に基づき、右入植開墾者らがそれぞれ売渡された土地について肥培管理に適するよう土壤改良その他いわゆる開墾を行い、他方、国費を投入して同地区内の農業用道路、水路、溜池等の新設、改良工事を施行し、昭和三八年ころ同地区全域の開拓事業が完成し、全部農地化された。
本件土地は右のような経過で開墾された土地であるため、従前の境界標識は全くなくなつており、本件土地の範囲を現地において厳密に特定することは極めて困難な状況にあるが、現地の実測図面に公図を重ね合わせて本件土地の位置及び範囲を推定すると甲第一一〇号証中赤線で囲んだ部分となる。そして、昭和三八年ごろから右土地の大部分は直接耕作の用に供せられている土地(農地)であり、一部は農業用倉庫が建てられている敷地部分とそのほかごくわずかであるが道路にかかつている部分があるが、農業用倉庫は直接耕作の用に供せられる土地(農地)と一体として使用されているものであるし、道路は農道として開設されたものであり、農業用施設として使用されたものであるから、本件土地は昭和三八年ごろから全体として農地法にいう農地であつたといわなければならない。
(五) 仮に、控訴人主張のとおり本件土地所有権が順次移転されたとしても、控訴人は被控訴人に対し登記の欠缺を主張することができないいわゆる背信的悪意者である。右事実は次の諸事情より明らかである。
前記の経過により本件飛行場用地内の土地を被控訴人に売渡した旧地主又はその相続人のうち被控訴人に対し所有権移転登記を了していなかつた者が、右売渡しずみにもかかわらず登記名義が残存しているのを奇貨としてこれを他に売渡すという事件が多数発生したが(以下、「転売」という。)、この転売事件の特徴は、一つは関西電力が本件飛行場用地(開拓地)内に送電用鉄塔を敷設したところと軌を一にして集団的一斉転売が行われたこと、二つは転売が旧地主北本伝治とこれに密接している土地ブローカーと本件土地の旧地主中嶋敏雄の相続人中嶋敏悟を中心とする旧地主グループによつて行われたことである。北本伝治は、旧別所村の本件飛行場用地内に居住していたが本件飛行場建設に伴い地区外に立退いたもので、前記本件飛行場用地買収当時相野部落の区長役を勤め右買収に協力し、終戦後は旧別所村農地委員、農業委員に長年にわたり就任しており地元では知名人であり、本件土地の中間取得者藤原磨瑳夫とも知り合いであり、本件飛行場用地の旧地主への返還について西田敬介弁護士とともに兵庫県へ陳情に行くなど積極的に国や県の施策に反対的行動をとつていたものであり、右各転売において現地で土地の位置、範囲が不明であるにもかかわらず現地の案内役を自ら買つて出て転売を拡大し、大和虎之助、米村一、本件土地の中間登記名義人今井きよ子の夫である今井真治などとグループをなして地元ブローカーとともに策動している人物であるが、昭和四〇年ころ関西電力がこの山村の一開拓地に送電線用の鉄塔敷地を買収する計画を進めていることを聞知し、前記買収に伴う所有権移転登記が未了で旧地主名義に止まつていることを奇貨とし、同種の仲間と相謀り、戦後二〇年間入植者や増反者が鋭意努力を重ね苦心して開墾してきた土地に対する鉄塔用地買収代金及び線下補償金を取得しようと企てた。そして、大和虎之助は北本伝治らと相謀り旧地主大西甚一平のもと所有地で鉄塔敷地となる土地を自己名義に所有権移転登記したうえ、関西電力に対し構築物撤去の請求をし(神戸地方裁判所昭和四九年(ワ)第九七一号事件として裁判所にも係属)、本件土地の相続人中嶋敏悟は線下補償金目当てに関西電力に対し本件土地は旧軍に買収されていない旨主張した。また、北本伝治及び山本岩吉も関西電力に対し同様の請求をした。そして、昭和四三年四月一八日に北本伝治、大和虎之助、中嶋敏悟、山本岩吉の四名は兵庫県農政課へ抗議したが、各自の要求が県に入れられる見込みがないと知るや、本件土地の相続人中嶋敏悟は実弟中嶋敏博、同顕(いずれも父敏雄の相続人)及び親戚の中嶋行信(中嶋忠太郎相続人)、中嶋健、中嶋栄(中嶋義太郎相続人)を仲間に引き入れ、同年四月二五日県知事宛に土地返還要求書(甲第一一七号証の二、三)を送付するとともに、三木市内の土地ブローカーと相謀つて一斉に転売を開始した。このことは昭和四四年二月一四日付読売新聞以降新聞紙上で社会問題にまで発展したが、本件土地近辺の不動産取引業界内においてはこのような特殊な売買に関する情報は業者間に直ちに流布され、「これはものになる」と判断した者、旧地主、転得者の相互で二次、三次の売買が行われた。
本件土地の相続人中嶋敏悟は、本件土地の登記名義が旧地主父中嶋敏雄(昭和四二年六月一七日死亡)となつていることからとりあえず相続による所有権移転登記をして自己名義とし、次に第三者にその所有名義を移転すれば、その第三者はその所有権を民法一七七条の規定により先に所有権を取得している被控訴人や入植開拓者らに対抗できると考えたことは、中嶋敏悟の作成した甲第一〇七条の一、二によつて明らかである。また、旧地主中嶋敏雄は地元の国民学校の教諭や校長をしていた人物であり、被控訴人が本件飛行場用地を旧地主から買収した際も、終戦後これを分割して入植者及び増反者に売渡した際も、これに積極的に協力しており、勿論当然にその間の経緯を知悉していたものであり、父敏雄と同居していた中嶋敏悟も買収、売渡しの事実を知つていたはずである。しかるに、中嶋敏悟は入植者らに対する売渡後二〇年近く経過した後、突如として入植者久米忠雄及び同吉田元一に対し同人らが占有耕作している土地は自分の所有する本件土地である旨主張したが同人らがその返還要求に応じる可能性がないとみるや、転売グループの北本伝治らと通謀して本件土地を転売したのである。
次に、不動産登記簿上本件土地の所有名義は中嶋敏悟から今井きよ子へ、今井きよ子から山口敬三郎へと順次移転されている。しかし、今井きよ子の夫今井真治は当審証人として、「妻今井きよ子に所有権移転登記されていますが、これは名義だけを山口敬三郎に貸与したものであつて妻が買つたのではありません。」「相野の区長をしていた人で吉田という人だつたと思いますが、その人が助役のところへ来て市の公務員がこの土地を買うのは怪しからんと言つたので、私が助役から注意を受け、私は自分の土地ではないので直ぐに返したわけです。私はその時に初めて係争地だということを知つたのです。」と証言しているが、今井真治は三本市農林課長をしたこともあり、土地家屋調査士の資格を有する人物であつて、本件飛行場用地が戦争中軍に買収され、終戦後入植者らに売渡され開墾されて現に農耕されていることを熟知していた。また山口敬三郎は当審証人として、「買わないかと言われて、私は吉田直彦という司法書士と今井真治さんとに相談し、一緒に現場を見に行きました。当時その土地は畑になつていて一面大根畑でした。」「今井真治さんは私が買う時この現場を一緒に見に行つて貰つたしいろいろ話をしているので、この土地の売買の経緯はよく知つています。」と証言する一方、本件土地附近は市の中心部から遠く離れた僻地で周辺には開拓農地と入植者の住宅が点在するだけの人口過疎地であつて、幼稚園、託児所を設置するような場所ではないにもかかわらず、「私としては幼稚園か託児所の敷地として市へ寄附しようと考えていました。」と証言している。以上の諸事実、特に名義貸し、事実に反する証言内容、各証言間の齟齬、本件土地が現に農地として耕作されていることが明らかであるにもかかわらず簡単に売買している事実に照らして考えると、今井きよ子及び山口敬三郎はいわゆる背信的悪意者であることは明らかである。
次に、不動産登記簿上本件土地の所有名義は山口敬三郎から藤原磨瑳夫、同敏子両名に移転されている。この点について、山口敬三郎は当審証人として、「その土地は今井きよ子さんから私の名義に換え、米村さんのところへ行つて市役所の方から買つて貰つては困ると言われたので、この土地を元の所有者に返してくれと言つて売買代金を返して貰いました。」と証言しているが、他方、藤原磨瑳夫は「山口が本件土地を売る事情は、入院してお金が要るからというようなことだつたと記憶しています。」と証言しており、両証言は全く喰い違つている。山口敬三郎の右証言を真実とするならば、同人から藤原磨瑳夫、同敏子への所有権移転登記はそもそも実体を伴わない無効なものといわなければならないし、仮に藤原磨瑳夫の証言が真実としても、藤原磨瑳夫、敏子夫妻はいずれも本件土地が入植者らに売渡され開墾された農地であり問題の土地であることを十分知りながら、売渡を受けた入植者らがいまだその所有権移転登記を得ていないことを奇貨として、本件土地を買受けた背信的悪意者である。このことは、一連の転売事件である神戸地方裁判所昭和四九年(ワ)第四九〇号、同第五〇四号、同第五一四号事件において、藤原磨瑳夫は北本伝治、黒田力松らと関係し、中間取得者又は最終名義人となつていることからも十分に窺われるところである。
次に、不動産登記簿上本件土地の所有名義は藤原磨瑳夫、同敏子から控訴人に移転されている。前記のとおり控訴人が本件土地所有権を取得した事実は認め難いが、仮に控訴人が転得者と本件土地の売買契約を締結したとしても、前記のとおり本件土地は旧陸軍が飛行場用地として使用するため高低を地ならしし、そのうえ終戦後は開拓地として従前の土地区画とは全く無関係に新たな区画割りをし、開拓者が各自その割当地を開墾した後耕作しているものであつて、現実には本件土地と他の土地との境界は不明であり、これを現地で特定することは困難となつている。この点について、控訴人代表者は当審本人尋問において、「本件土地を見に行つた時は久保田弁護士と一緒に行きました。その時の本件土地の状態は畑でした。……境界ははつきりわかりませんでした。だいたいこの辺だろうと見当をつけて見たわけです。」と供述している。また、控訴人への所有権移転登記は昭和四四年一〇月一日受付でなされているが、これより先の同年二月一四日から同年九月六日にかけて本件飛行場用地の所有権をめぐつて紛争が生じていることを各種新聞が大々的に報道していたのである。常識にしたがえば、およそこのような土地を買うことは危険である。それにもかかわらずあえて売買契約をしたとするならば、そのこと自体、控訴人が登記の欠缺を主張し得ない背信的悪意者であることを示しているものといわなければならない。
(六) 被控訴人は控訴人に対し本件土地について所有権移転登記請求権を有する。その理由は以下に詳述するとおりである。なお、本件土地についての所有権の実体的権利変動と登記名義の流れを説明に必要な限度で単純化すると次のとおりであるから、以下便宜上この符号を用いることとする。
甲(旧所有者)→乙(被控訴人)→丙(被売渡人)
→A(二重買受人)→B(現在の登記名義人である控訴人)
いわゆる登記請求権の問題は、すぐれて理論的な問題であると同時に、現実に生起した具体的事案に即していわばケースバイケースに論じられなければならないという面をもつている。したがつて、仮に本件と同種事案について乙のBに対する移転登記請求権の有無を論じた判例、学説がないとしても、それは決して乙のBに対する移転請求権が否定されるべきことを意味するものではない。本件登記請求権の問題はあくまでも本件事案に即して考えられなければならない。
(1) まず、本件土地を含む本件飛行場用地の土地の状況をみると、同地区内の土地は、昭和一九年ころ被控訴人(旧陸軍省)が早急に飛行場を建設するために合計約三〇〇〇人の所有者から買受けた現在の三木市(旧別所村)、加古郡稲美町(旧母里村)及び加古川市(旧八幡村)にまたがる丘陵地約二〇〇〇筆、約二〇〇万平方メートルである。右買収当時の同地域の状況は、山林、原野、田、畑、溜池、宅地など各種の地目のほか、里道、水路など土地台帳に記載のない土地も数多く混在していた。被控訴人(旧陸軍)は高低十数メートルにも及ぶ起伏のあつたこれら丘陵地を平坦な土地に整地し、同年秋ごろまでには一応滑走路と兵舎等の付帯施設を造り、昭和二〇年の終戦時まで実際に飛行場として使用していた。このようにして、本件土地を含め買収された本件飛行場用地は飛行場建設のための整地工事により、その筆界はもとより村界、字界さえも不明となつてしまつた。そして終戦後の食糧難に対処するため本件飛行場用地に対し入植開拓が開始され、昭和二三年開拓用地として大蔵省から農林省に所管換えされるとともに本件飛行場用地全体が緊急開拓事業地区の国営代行地区(国営事業を知事が代行して行う地区)に指定されるに及んで本格的な開拓事業が実施に移され、開墾、営農に必要な幹線道路、水路、溜池等主要な設備が昭和二五年から三八年にかけて全額国庫負担で建設された。それと併行して、開墾して農地とすべき土地については、昭和二四年から三三年にかけて自創法四一条又は農地法六一条により入植者四〇名と地元増反者三二一名合計三六一名に対し、新たに区画した一五六二筆、約一九五万二七〇一平方メートルの売渡処分がされ(その詳細は別紙「売渡土地状況」のとおり。)、昭和三八年ころまでにはほぼ所期の開拓計画どおり農地等が造成された。右農地等の新たな土地区画は、飛行場用地として買収された旧土地の地番、地形等を考慮することなく、それとは全く断絶した形においてされ、新たに道路、水路、溜池が造成され、他方従前あつた里道、水路の所在も全く不明となつてしまつた。以上のとおり、飛行場建設のための整地と開拓用地割当のための新区画の設定という、二度にわたつての全面的、かつ、大規模な形質の変更を経て、いまや従前の土地の相互の位置や境界は全く不明の状態となつてしまい、本件飛行場用地は一体の土地として合筆されたに等しい状態になつている。それはあたかも耕地整理事業を完了した後のような状態である。ただ、耕地整理事業の場合には、従前地の実測が行われ、換地との位置関係も明らかであるうえ、従前地と換地とは法律的には同一土地とみなされているのに対し、本件飛行場用地の場合には不動産登記簿上の土地と開拓計画によつて造成された区画とはその位置関係が不明であり、法的にも換地のような関連性は全くない。
(2) 本件飛行場用地の開拓者への売渡は、自創法四一条又は農地法六一条に基づく国有未墾地の売渡としてなされたが、この売渡はその対象となる土地の従前の地番、地積、地目には関係なく、全く新たな区画を定めて行われた。この売渡対象土地は開拓の用に供されるべきものとして開拓財産に組入れられた未墾地であるため、既成の農地のようにそのままの状態で右から左へ売渡すことはできず、売渡す地区全体を白紙の状態でみて開拓の基本方針を踏まえたうえで、必要な道路、水路等の基本設備の位置と規模をまず決定し、その余の耕作対象土地につき全く新たな区画をし、それを売渡す必要があつた。通常の私法的手法であれば、新区画土地について売渡登記をするためには、それに該当する従前地を分合筆して新区画土地の地番、地積を作ることになるが、本件においては、従前地が里道、水路等に該当している場合があつたり、字界を異にしている場合があつたりして分合筆できないこともあつたし、そもそもそのような煩雑な登記手続を経なければならないとなると、莫大な時間と労力を要し極めて実情に合わないことになる。他方、自創法又は農地法による買収、売渡は通常の私法行為による物権変動とは異なり、行政処分による物権変動であり、買収処分による所有権取得は原始取得でもあるので、本件飛行場用地の開拓者への売渡の場合のように従前の土地の形態が全く変更されるような場合には、売渡のために区画変更された新土地については、保存登記をするのが実態に合致すると考えられる。そこでこのような場合には、当該区域の土地全部について一旦土地の登記を抹消して登記簿を閉鎖し、新たに右区画変更後の土地について所有権の保存登記をするという登記手続が定められている。すなわち、自作農創設特別措置登記令(以下、「自創法登記令」という。)一四条一項は、「都道府県知事は、必要があると認めたときは、自作農創設特別措置法(中略)第四一条の規定により売り渡すべき土地で政府の所有権の登記のあるものの登記用紙の閉鎖を申し出ることができる。」と規定し、同条二項は、「前項の申出があつたときは登記官吏は当該登記用紙を閉鎖しなければならない。」と定め、農地法による不動産登記に関する政令(以下、「農地法登記令」という。)一四条も同様に、「都道府県知事は、登記簿の表題部に国が所有者として記載されている土地又は国の所有権の登記のある土地につき、第一条第三号(売渡による所有権移転の登記)に規定する売渡又は譲与をするため必要があるときは、その土地の登記のまつ消を嘱託することができる。但し、その土地の登記用紙に所有権の登記以外の権利に関する登記があるときは、この限りでない。前項の登記の嘱託があつたときは、登記官は、土地の表示を朱まつし、農地法による不動産登記に関する政令第一四条第一項の規定による嘱託により土地の登記をまつ消する旨を記載し、その登記用紙を閉鎖しなければならない。」と規定している。都道府県知事は、右規定に則つて売渡地区内の全土地について登記用紙の閉鎖を申出てこれを未登記の土地とした後、別途作成の土地配分計画の図面に基づき新区画による新地番設定のための筆割、現地における杭打ち、各筆ごとの実測等を行つて確定測量図を作成して各筆ごとの地積を確定し、これを登記所に送付して見込地番を決定し、入植者等に対する売渡通知書にはこの見込地番をもつて土地の表示とし、そして売渡した土地の登記は、直接、都道府県知事が被売渡人のために所有権保存登記を嘱託することによつて行われるという適切な手続が制定されている。
以上のとおり本件飛行場用地の旧字界、土地の範囲、道路、水路の位置等はほとんど不明となり、開拓計画に基づく新区画に相当する部分の従前地の位置、範囲を特定することは著しく困難となり社会的に不能となつたものというべきであるから、自創法登記令一四条ないし農地法登記令一四条の要件に該当するものであり、本件飛行場用地の売渡登記手続は同条の手続によらざるをえなくなつている。そして、同条による登記手続の必要性を県知事が認定し同手続によつて売渡登記手続を行う方法を選択した場合においては、当該開拓地(本件飛行場用地)区内の土地の売渡処分による所有権取得登記は、右登記手続の特質上、同手続によつて画一的に処理されなければならないから、この場合には開拓地の売渡を受けた入植開拓者らが個別に旧土地所有者又はその転得者に対し当該土地部分に相当する従前地につき所有権移転登記を求めることは認められないことになる。したがつて、被控訴人は同条による売渡登記手続をすることの一環として本件飛行場用地内の全土地について登記簿の閉鎖をする必要があり、この点において、被控訴人はBに対し直接所有権移転登記を求めることができなければならない。
(3) 乙が国として時代の要請に応じて本件飛行場用地を新区画に区分のうえ丙に売渡し、未墾地の開拓という国家的事業を推進し、形式的手続的な面はさて措いても、ともかく食糧の確保等の現実的効果の実現を優先させざるをえなかつたこと、そしてそのような措置が当時の国民一般から歓迎されていたことは明らかである。そして、このような政策遂行の協力者として未墾地の開拓事業に従事してきた丙に対して、乙(被控訴人)は、法律上はもとより道義的にも、一刻も早く丙が所有している本件土地につきその登記名義を取得させるべき義務を負つていることはいうまでもない。しかも、この義務は私法上の一般の売買契約における売主の義務とは異なり、責任行政機関として、未墾地開拓という国家の政策の遂行実現に必然的に伴う公法的義務とも称すべきものである。そして、前記(2) のとおり、本件土地について一旦乙の所有名義を取得しなければ丙の所有名義を現出させることができない関係にある。
ところで、乙が一旦所有名義を取得する方法としてまず考えられるのは、B、Aに対して各移転登記の抹消を求め、甲に対し乙への移転登記を求めることであろう。しかし、本件においてこの方法をとることは事実上極めて困難というほかないし、また、後に述べる不動産登記制度の理念にもとるというべきである。
一方、丙の立場はどのようなものと考えるべきか。丙は本件土地の所有権を現に有するものであるから、登記請求権に関する通常の考え方からすれば、所有権に基づき登記名義人であるBに対して抹消に代わる移転登記請求を行うことが可能ということになろう。しかし、前記のとおりの特殊事情のある本件においては、丙をして右の請求をさせることは実際上不可能を強いるものというべきであるし、また未墾地売渡について自創法又は農地法が予定している登記方法の点からみても疑問がある。けだし、丙が所有する土地とBが登記名義を有する土地の地番とは全く切断された関係にあるから、丙が右登記請求を行うにはまず自己の所有地が登記簿上のどの部分にあるかを厳密に特定しなければならないが、これは観念的に可能であつても現実には不可能というほかないし、また、自創法又は農地法(これに基づく各登記令)は売渡未墾地の被売渡人への登記については、被売渡人の請求の有無に関係なく都道府県知事(国)が被売渡人のため一方的にこれを行うべき法律上の義務を負うものとして定めていると解されるからである。
以上自創法登記令(農地法登記令)による登記手続の特殊性と本件土地の実情に鑑みて、被控訴人は国としての公法的義務を速やかに履行すべき必要不可欠の前提として、現登記名義人たるBに対し直接所有権移転登記を求めることができなければならない。
(4) 一般に、登記請求権としては、<1>物権的請求権に基づくもののほか、<2>登記制度に由来するもの、換言すれば、不動産登記法の制度的要請によつて当然に生ずるものが認められていることは周知のとおりであり、かかる登記制度に由来する登記請求権がどのような場合にどのような態様のものとして認められるかは、登記の客体に対する関係者相互間の実体的権利関係を基礎として、登記制度の理念、目的に照らして定められるべきである。そして、実体的権利変動におけるいわゆる中間者の立場にある者であつても、その者に現在の登記名義人に対する直接の移転登記請求権を認めるのでなければ、登記制度の理念、目的を実現することが困難であると認められるような特段の事情がある場合には、例外的に直接の移転登記請求が認められると解すべきである。
これを本件についてみると、まず、乙のBに対する直接の所有権移転登記請求を認めるのでなければ現在の実体的所有権者丙の登記名義を現出させることができないことは前記のとおりである。この意味において、乙は丙の後見的立場にあり、かつ、丙に準ずる立場にある。
一方、A、Bは農地である本件土地の譲受について農地法所定の県知事の許可を得ていないからその所有権を取得したとはいえないし、また、A、Bは乙に対する関係において乙の所有権移転登記の欠缺を主張することができないいわゆる背信的悪意の第三者に該当するから乙がBから所有権移転登記を受けるについて何ら権利を害される関係にないし、甲は本件土地の売主として当然乙に所有権移転登記をしなければならない立場にあるから、乙のBに対する移転登記請求権を認めることについて、本件土地をめぐるA、B、甲ら利害関係人の意思を配慮すべき必要性は全くない。
丙自ら登記請求権を行使することができないことは前述したとおりであるが、乙は国であるから、乙がいつたん登記名義を取得してもそれは専ら丙の登記名義を現出させるためのものであつて丙以外の者への二重譲渡等はあり得ないから、丙は乙が登記名義を取得することによつてこそ保護されるという立場にある。
不動産登記簿上においても、乙に登記名義が移転されれば、登記用紙は閉鎖され、全く新たに丙に対する保存登記がされるから、乙が本件土地所有権を取得した権利変動の過程が登記簿上に如実に示される必要性はない。
以上の次第であるから、本件はまさに中間者である乙に現在の登記名義人Bに対する直接の移転登記請求を認めるのでなければ、登記制度の理念、目的を実現することが困難であると認められる特段の事情がある場合に当るというべきであり、乙はBに対し本件土地についての移転登記請求権を有するといわなければならない。
(七) よつて、被控訴人は控訴人に対し本件土地につき所有権移転登記手続を求める。
2 予備的請求原因
(一) 被控訴人は昭和一九年ころ本件土地を旧地主中嶋敏雄から買取つた。しかし、中嶋敏雄は昭和四二年六月一七日死亡したから、被控訴人は本件土地につき右売買を原因とする所有権移転登記請求権を同人の相続人らに対して有している。中嶋敏雄の相続人の一人である中嶋敏悟は本件土地について別紙登記一覧表記載(一)のとおり右相続を原因として単独名義による所有権移転登記手続を経由したから、被控訴人は同人に対し本件土地につき所有権移転請求権を有している。
(二) その後、別紙登記一覧表記載(二)ないし(五)のとおり、中嶋敏悟から今井きよ子へ、同人から山口敬三郎へ、同人から藤原磨瑳夫、同敏子両名へ、同両名から控訴人へ順次所有権移転登記が経由された。
しかし、中嶋敏悟から控訴人に至る右各所有権移転は、主位的請求原因(三)ないし(五)において主張したとおり無効である。
(三) したがつて、中嶋敏悟は今井きよ子及び山口敬三郎に対し、山口敬三郎は藤原磨瑳夫、同敏子両名に対し、同両名は控訴人に対しそれぞれその所有権移転登記の抹消登記請求権を有することになるが、右各人がその抹消登記請求権を行使しないので、被控訴人は中嶋敏悟に対する右所有権移転請求権を保全するため、中嶋敏悟から順次控訴人に至る右各所有権移転登記抹消登記請求権につき民法四二三条所定の債権者代位権を順次行使して、控訴人に対し別紙登記一覧表記載(五)の登記の抹消登記手続を求める。
3 控訴人の抗弁に対する認否及び再抗弁
(一) 抗弁事実中、各所有権移転登記があることは認めるが、その余の事実は否認する。
(二) 仮に控訴人主張のとおりの売買契約があつたとしても、農地である本件土地の所有権移転について農地法所定の県知事の許可がないから、右売買契約によつて所有権移転の効力は生じないこと、及び控訴人及び中間取得者が被控訴人に対し本件土地の登記の欠缺を主張できない背信的悪意者に該当することは、主位的請求原因の(四)項及び(五)項で主張したとおりである。
二 控訴人
1 請求原因に対する認否
(一) 本件土地がもと中嶋敏雄の所有であつたことは認める。
(二) 本件土地が本件飛行場用地内に所在していることは認めるが、被控訴人が昭和一九年ごろ本件土地を中嶋敏雄から買受けてその所有権を取得した事実は否認する。
(三) 本件土地につき別紙登記一覧表記載のとおり順次所有権移転登記が経由されていることは認める。右各登記が、中嶋敏悟の相続を原因とする登記を除き、所有権移転の実体を伴わない無効の登記である旨の被控訴人の主張は争う。所有権移転の事実は後記抗弁において主張するとおりである。
(四) 本件土地が農地である事実は否認する。本件土地は山林であるから、所有権移転について県知事の許可は必要でない。本件土地が農地であれば所有権移転登記申請に際し県知事の許可証を添付しなければ登記できないはずであるのに、控訴人名義に所有権移転登記されている事実は本件土地が農地でないことの何よりの証拠である。
(五) 控訴人が登記の欠缺を主張することができないいわゆる背信的悪意者に該当することは争う。中嶋敏悟が本件土地を相続した時及び売却した時、今井きよ子ないし山口敬三郎が本件土地を買受けた時及び売却した時、藤原磨瑳夫、同敏子が本件土地を買受けた時及び売却した時、岩田正夫が本件土地を買受けた時及び売却した時、いずれも本件土地が本件飛行場用地内に所在することを知つていたかどうか知らない。控訴人は本件土地を買受けた時、本件土地が本件飛行場用地内に所在する事実は知らなかつた。
2 抗弁
本件土地は、次の経緯で順次所有権が移転され、別紙「登記一覧表」記載のとおりそれぞれ所有権移転登記を経由して、控訴人の所有となつたものである。したがつて、仮に被控訴人が中嶋敏雄から本件土地を買受けたとしても、被控訴人はその旨の所有権移転登記を経由していないから控訴人に対しその所有権取得を対抗することができない。
(一) 中嶋敏悟が昭和四二年六月一七日相続により中嶋敏雄から所有権を取得した。
(二) 今井きよ子が昭和四四年一月一七日売買により中嶋敏悟から所有権を取得した。仮に右事実が認められないとすれば、山口敬三郎が昭和四四年一月一七日売買により中嶋敏悟から所有権を取得した。
(三) 藤原磨瑳夫、藤原敏子の両名が昭和四四年八月一三日売買により今井きよ子又は山口敬三郎から各二分の一の持分を取得した。
(四) 控訴人が昭和四四年九月三〇日藤原磨瑳夫、藤原敏子の両名から代金三一五万円で右持分全部を買受けて所有権を取得した。
(五) 以上いずれの売買も、現地において指示して本件土地を特定したうえで契約されたものである。
第三証拠<省略>
理由
一 本件土地がもと中嶋敏雄の所有に属していたこと、本件土地が本件飛行場用地内に所在していること、本件土地につき別紙「登記一覧表」記載のとおり順次所有権移転登記が経由されており、その最終名義人が控訴人であること及び中嶋敏悟が亡中嶋敏雄の相続人であることは、いずれも当事者間に争いがない。
二 成立に争いのない甲第一ないし第七二号証、第七五ないし第八〇号証、第八三号証、第八九号証の一、二、第九一号証の三、五、九、第九四号証の一、第九九号証の一の一ないし八五、第九九号証の六、原本の存在及び成立に争いのない甲第九九号証の二、五、第一〇二号証の一、二、第一〇三号証の一、二、第一〇四ないし第一〇六号証、第一二一号証、第一二四号証、前記甲第一二一号証により真正に成立したものと認める同第八二号証の一ないし六、前記甲第一〇五号証により真正に成立したものと認める同第八四号証、前記甲第一二一号証により真正に成立したものと認める同第八五号証、第八七号証の一、右第八七号証の一により真正に成立したものと認める同号証の二ないし四、前記甲九一号証の三、五、九により真正に成立したものと認める同号証の一、二、四、六、七、八、前記甲第九四号証の一により真正に成立したものと認める同号証の二ないし四、前記甲第九九号証の五により昭和一九年一一月ごろ本件飛行場用地内で撮影された写真と認める同号証の三、当審証人井澤用三、同井沢幸夫、同坪田翠、同久米昌、同吉田元一の各証言を総合すれば、本件土地のもとの所有者中嶋敏雄は、被控訴人(旧陸軍省、買収の出先機関は旧中部軍経理部)が昭和一八年終りごろ本件土地を飛行場用地にするために被控訴人に売渡すように要請をしたのに応じて、遅くとも本件飛行場用地全部が旧陸軍の占有下に収められた昭和一九年五月ごろまでに、当時本件飛行場用地買収事務を委嘱されていた旧別所村を通じて被控訴人に対し、本件土地及びその地上物件を相当価格(時価)により被控訴人に売渡すことを承諾する旨の意思表示をして被控訴人と本件土地の売買契約を締結し、遅くとも同年一一月ごろまでに右売買代金を被控訴人から受領することについての代理権を旧別所村村長に授与し、同村長は、同年一一月ごろ右売買代金合計八二五〇円を被控訴人から代理受領し、同年一二月四、五日ころ右売買代金合計八二五〇円を中嶋敏雄に交付したこと、しかしながら、戦時中の人手不足等のため本件土地について被控訴人のために所有権移転登記手続がされないまま終戦を迎えたこと、被控訴人は昭和一九年中に本件土地を含む本件飛行場用地を買受けその占有を取得するや、直ちに飛行場建設に着手し、終戦時には飛行場として使用しうる程度に平坦に整地していたことを認めることができ、当審証人中嶋敏悟の証言中右認定に反する部分はにわかに措信することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
三 その後本件土地につき別紙登記一覧表記載のとおりの所有権移転登記が経由されたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一〇〇、一〇一号証、当審証人中嶋敏悟、同今井真治、同藤原磨瑳夫、同山口敬三郎、同黒田力松の各証言、当審における控訴人代表者延命寺正好本人尋問の結果を総合すれば、中嶋敏悟は本件土地につき昭和四二年六月一七日相続を原因とする所有権移転登記を経由した後昭和四四年一月一七日ごろこれを山口敬三郎に売渡し、山口敬三郎は同年八月一三日ころこれを藤原磨瑳夫及び藤原敏子に売渡し(持分各二分の一)、藤原磨瑳夫及び藤原敏子は同年九月三〇日ごろ右持分各二分の一を控訴人に売渡したことを認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
四 しかし、前掲甲第七七ないし第八〇号証、第一〇三号証の一、二、第一〇六号証、第一二一号証、第一二四号証、成立に争いのない甲第一一四、一一五号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第一一六号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める甲第一一〇号証、当審証人久米昌の証言により真正に成立したものと認める甲第一一一号証の一ないし一二、第一一二号証の一ないし一三、第一一三号証の一ないし一二、昭和四〇年一二月二一日本件土地付近を撮影した航空写真であることにつき争いのない検甲第二号証、昭和五二年一〇月四日本件土地付近を撮影した写真であることにつき争いのない検甲第三号証の一ないし四、当審証人久米昌、同福本スヅ子、同吉田元一の各証言、当審証人山口敬三郎の本件土地は昭和四四年三月当時一面の大根畑であつた旨の供述並びに弁論の全趣旨を総合すれば、本件土地を含む本件飛行場用地全域は昭和二三年開拓用地として農林省に所管換えされるとともに国の緊急開拓事業地区に指定され、国を代行した兵庫県知事によつて約一五〇〇余の区画整然とした耕作予定地及び道路等共用地に分割されたうえ、耕作予定地は開拓計画に応募した入植開拓者らに自作農創設特別措置法又は農地法により売渡され、右計画に基づき、右入植開拓者がそれぞれ売渡された土地について肥培管理に適するよう土壤改良その他いわゆる開墾を行い、他方国費を投入して同地区内の農業用道路、水路、溜池等の新設、改良工事を施行し、昭和三八年ごろ同地区全域の開拓事業が完成し、全部農地化されたこと、本件土地は右開拓対象地域に含まれているところ、その大部分は昭和二四年ごろ吉田元一及び久米忠雄に対し自作農創設特別措置法四一条により開拓地として売渡され、同人らにおいて開墾し、農地法七一条所定の県知事の検査にも合格したうえ耕作の用に供している土地(農地)及び農業用倉庫の敷地であり、その一部分は高台となつている右農耕地と一体となつて右農耕地が下方へ崩壊することを阻止する擁壁の役目をしている斜面並びに右開拓計画により農道として開設された道路の敷地となつていることを認めることができ、当審証人中嶋敏悟の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして措信することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、本件土地は国の緊急開拓事業地区に包含され開拓の対象とされたこと及びその地形、耕作状況等からいつて、前記中嶋敏悟から控訴人に至る各売買のなされた当時より現在に至るまで全体として農地法にいう農地に該当するものと認めるのが相当である。そして、弁論の全趣旨によると、前記中嶋敏悟から控訴人に至る本件土地の各売買について農地法所定の県知事の許可がないことは明らかであるから、右各売買はいずれも所有権移転の効力を生ずることができず、したがつて、控訴人は本件土地の所有権を取得していないものといわざるをえない。
五 また、前項冒頭記載の各証拠、成立に争いのない甲第一〇〇、一〇一号証、第一〇七号証の一、二、第一〇八号証の一ないし二八、第一一七号証の一ないし四、原本の存在及び成立に争いのない甲第一二三号証、第一二五、一二六号証、当審証人吉田元一の証言により真正に成立したものと認める甲第一一八号証の一ないし三、当審証人中嶋敏悟、同今井真治、同山口敬三郎、同黒田力松、同久米昌、同福本スヅ子及び同吉田元一の各証言並びに当審における控訴人代表者延命寺正好本人尋問の結果を総合すれば、中嶋敏雄は本件土地から僅か五〇〇メートル程しか離れていないところに居住していた地方の有力者で、戦時中の前記本件飛行場用地買収に際しても、終戦後の開拓入植者募集に際しても協力的態度を保持し、特に開拓入植者募集の説明会には地元地区の役員として説明者側に加わつていたが、昭和四二年六月一七日死亡したこと、中嶋敏悟は中嶋敏雄の長男であり、昭和一九年当時には一八才位になつていて、父から国民の義務として国に協力するために本件土地を陸軍の飛行場用地として被控訴人に売却し代金も受領した旨を聞かされており、また、本件土地を含む本件飛行場用地が終戦後大規模な開拓対象地とされて被控訴人から入植開拓者らに売渡され、昭和三八年ごろには全部農地化されたことを見聞していたが、父の死亡後昭和四三年四月一八日北本伝治、山本岩吉、大和虎之助とともに兵庫県庁(農林部農政課)を訪れ、中嶋敏雄の本件飛行場用地内の所有地は旧陸軍に買収されておらず、したがつて、現在の土地占有者(耕作者)が関西電力の電柱敷設補償金を受領することは不当である旨抗議するとともに、右補償金未払分を自分にも配分されるよう斡旋して欲しい旨を要求し、昭和四三年五月一四日本件土地につき相続を原因として自己名義に所有権移転登記を経由し、ついで、同年六月三日本件土地を占有耕作している吉田元一及び久米忠雄に対し同日付内容証明郵便による書面(甲第一〇七号証の一、二)をもつて、旧陸軍飛行場跡の本件土地は県が勝手に右両名に譲渡したものであり、右両名は本件土地につき所有権移転登記を経由しておらず、民法一七七条の規定によりその所有権取得を主張できないから本件土地を自分に返還するよう要求する旨を通告したが、右各要求とも実現の可能性がないことを知るや、自分が本件土地の売主である中嶋敏雄の相続人であつてその買主である被控訴人に対し所有権移転登記手続をする義務を負つている立場にあることから、時を移さず本件土地を民法一七七条の第三者に該当すると考えた山口敬三郎に同条に基づく主張をさせる意図をもつて売渡したこと、右中嶋敏悟から山口敬三郎への本件土地売渡を斡旋仲介したのは北本伝治と米村一であるが、北本伝治は本件飛行場用地内の土地は全部国(旧陸軍省)が旧地主から買収し終戦後これを入植開拓者に売渡したものであることを知悉していたこと、山口敬三郎は同様に右事実を知悉しながら、中嶋敏悟から本件土地を買受けたのであるが、直接自己名義に所有権移転登記手続をせずに、正当な理由なく今井真治に依頼して同人の妻今井きよ子名義を借用し同人名義で昭和四四年一月二〇日売買に因る所有権移転登記を経由し、その後同年三月一日真正な登記名義の回復を原因として自己に所有権移転登記手続をしたこと、今井真治は生後引続き三木市に居住し、三木市農林課長(同課は本件土地を含む本件飛行場用地のうち未登記土地の登記促進事務も担当していた。)及び農業委員会事務局長に就任したことがある人物であり、本件土地が戦時中国(旧陸軍省)に買収され、終戦後入植開拓者らへ売渡された事実を知つていたこと、昭和四四年一月末ごろ北本伝治、今井真治、山口敬三郎、米村一らが久米忠雄及び吉田元一において現に占有耕作している農地内の本件土地の境界付近(ただし、そこには境界を示す目印になるようなものは全くない。)に木杭を打ち込み、北本伝治が吉田元一に対しこの杭を打つて囲んだ範囲の土地を中嶋から登記上買つたので自分の権利である旨全く一方的に言明したこと、山口敬三郎は本件土地を買受けた際の斡旋仲介人米村一に対し、「市役所から買つてもらつては困るといわれたのでこの土地を元の所有者に返して欲しい。」といつて本件土地の売買契約の合意解除を申出て同人から本件土地の売買代金を返してもらつたのに、本件土地が右山口から藤原磨瑳夫及び藤原敏子に売渡されていること、昭和四四年二月一四日読売新聞(神戸版)において、三木開拓農協が三木市長に対し、旧陸軍が飛行場用地として買収し国が入植開拓者らに払下げ同人らが開拓、耕作中の土地について国に対する所有権移転登記が遅れているため入植開拓者らにおいて所有権移転登記が受けられず困つているのでそれができるように助力して欲しい旨を記載した嘆願書を提出した事実を報道して以来、各種新聞が右事実や旧地主が被控訴人に売渡したこの未登記土地を二重に他に売却している事実及び旧地主又は旧地主からの買受人とさきに国から売渡を受けた入植開拓者らとの間で所有権の存否をめぐつて紛争が生じている事実を度々大きく報道したこと、このような新聞報道がされる以前から当時三木市近辺の不動産取引業者らの間では右報道にかかる事実はすでに十分知れわたつていたのであるが、右報道の結果益々広範囲で右事実が知れわたつたこと、吉田元一が昭和四四年四月五日ころ本件飛行場用地内の土地(農地)を見に来た外来者に対して、「この辺の土地は県から入植者が譲受けて開拓した土地であるので売買できない土地であり、買つたら損をするぞ。」と注意したところ、そのうちの一人は、「おれらはどつちへ転んでも損はしない。間違つていたら旧地主から補償してもらうか、県に買つてもらうかどちらかだ。とにかく登記ができるので買うのだ。」と答えたこと、藤原磨瑳夫は、昭和二三年ごろから現三木市に居住して洋服商を営んでいる者、藤原敏子はその妻であるが、いずれも本件飛行場用地内の土地が終戦後所有者である国から入植開拓者らに売渡され、その後入植開拓者らが苦労してこれを開墾して農地化し引続き占有耕作している事実及び本件土地が本件飛行場用地の一部であることを知りながら、黒田力松の仲介により本件土地及び本件飛行場用地中他の登記手続未了地の一部を買受け、さらに、同人の仲介により本件土地を控訴人に売却したこと、控訴人は不動産の賃貸業等を営む株式会社であるが、その設立者で代表取締役であつた延命寺敦次は、新聞その他により、本件土地が戦時中本件飛行場用地として近辺の土地と共に国に買収され、戦後入植開拓者らに開拓用地として売渡されたが、本件土地を含む本件飛行場用地内の土地の一部につき右売買の登記がされていないことを知り、黒田力松から本件土地の買受方をすすめられるや、本件土地付近を見分して本件土地の現況が農地でありかつ売主に関係のない第三者がこれを占有耕作している事実を現認したのであるが、本件土地の登記簿上の地目が従前どおり山林となつているため所有権移転登記を受けることができるのに乗じ、農地法に基づく県知事の許可を受け適法にその所有権を取得して自己の占有下に収めることは到底困難であることを知悉しながら本件土地を買受けたこと、本件飛行場用地は三木市(旧別所村)、加古郡稲美町(旧母里村)及び加古川市(旧八幡村)にまたがる丘陵地約二〇〇万平方米であつて、その中には山林、原野、田、畑、溜池、宅地などのほか里道、水路など土地台帳に記載のない土地も多数混在し、また高低十数メートルに及ぶ起伏土地を飛行場用に平坦な土地に整地したものを、終戦後従前の地目地番とは無関係に区画して入植開拓者らに売渡したものであつて、本件土地の現状からは本件土地の従前の境界を認識することが著しく困難な状態になつており(本件土地の西側は久米忠雄が、東側は吉田元一が占有耕作しており、その従前の境界の西側の線は久米忠雄の耕作する農地の中を、東側の線は吉田元一の耕作する農地の中を通つているが、そこにはなんらの目印もない。)、また、本件土地の現状は農地であり、売主と全く関係のない右両名がこれを占有耕作しているにもかかわらず、右山口敬三郎、藤原磨瑳夫、藤原敏子、控訴人らは、いずれも本件土地の境界について格別調査することなく、県知事に対する農地法所定の許可申請もせず、また、本件土地の占有耕作者の離作(明渡)意思の有無について調査することもなしに本件土地を買受けたことを認めることができる。
当審証人中嶋敏悟、同今井真治、同山口敬三郎、同黒田力松及び同藤原磨瑳夫の各証言中右認定に反する部分はにわかに措信することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
以上認定した事実からすれば、本件土地を中嶋敏悟から買受けた山口敬三郎、その後者である藤原磨瑳夫及び藤原敏子、さらにその後者である控訴人は、本件土地が本件飛行場用地に含まれており、本件土地を含む本件飛行場用地は戦時中に国(旧陸軍省)が旧地主から買収して飛行場とし、終戦後深刻な食料不足に対処するため入植開拓者らに売渡し、入植開拓者らが苦労して開墾して農地化したうえ約二十年来占有耕作している事実を熟知しながら、右国の買収及び入植開拓者らへの売渡が未登記のままとなつているのを奇貨とし、本件土地の登記簿上の地目が従前どおり山林とされているのに乗じ、先に売買に基づく所有権移転登記を経由してしまえば民法一七七条が適用される結果国及び国から本件土地の売渡を受けた入植開拓者らに対し自己の所有権取得を対抗することができ、その結果戦時中の国の買収及び終戦後の国から入植開拓者らへの売渡を否定することが可能となり、最も有利にことがはこべば、国から本件土地の売渡を受けて開墾したうえ占有耕作している入植開拓者らに対してその明渡を求めることができ、さもなければ所有権移転登記未了という落度を理由にして国、県又は右入植開拓者らに不動産登記簿上の所有名義を高額で買取らせることによつて利益を得ることができ、うまくいかないときでも少くとも売主から売買代金の返還を受けることができるとの不当な目的のもとに、時価より著しく低い価額で本件土地を買い受けたものであることを推認しうるのであつて、右事実によれば、本件土地を買受けた山口敬三郎以下の四名は、すべて不動産登記法四条、五条所定の者に類するいわゆる背信的悪意者に該当し、民法第一七七条にいう第三者から除外されるものと解するのが相当である。したがつて、被控訴人は中嶋敏雄からの本件土地の所有権取得をその登記なくして控訴人に対抗することができるものといわなければならない。
六 第二項及び第四項各冒頭掲記の証拠を総合すれば、被控訴人は昭和一九年中に本件土地を含む本件飛行場用地を中嶋敏雄ほかの旧所有者から買収してその所有権を取得したのであるが、右買収当時の本件飛行場用地には、山林、原野、田、畑、溜池、宅地など各種の地目の土地のほか、里道、水路など土地台帳に記載のない土地も数多く混在していたところ、その後高低差十数メートルにも及ぶ起伏のあつたこれら丘陵地を平坦な飛行場敷地に整地し、飛行場としての使用に供したが、終戦後深刻な食糧不足に対処するため本件飛行場用地を開拓事業地区と指定し全く新たに道路、水路、溜池等の農業施設を建設し、耕作対象地を一五〇〇余筆に新たに区画して別紙売渡土地状況記載のとおり入植開拓者らに売渡したものであるため、従前のこれら各土地の相互の位置や境界を正確に知ることは現在では著しく困難であり、入植開拓者らに売渡した新区画の土地を買収した旧土地の表示に従つて表示することは実際上不可能な状態に立ち至つていること、入植開拓者らに売渡した土地には従来の民有地のほかもとの里道や水路も含まれていること、被控訴人は入植開拓者らに対し自作農創設特別措置法又は農地法によつて売渡した本件飛行場用地内の土地について売主として登記簿上の所有名義を取得させる義務があるが、その義務を履行するためには、以上のような土地の状態からいつて、買収にかかる本件飛行場用地内の全土地について国のための所有権移転登記を経由したうえ、農地法による不動産登記に関する政令一四条に基づき、県知事が右全土地の登記の抹消を嘱託して未登記の土地とし、その後に売渡を受けた入植開拓者らのために当該売渡土地について新地番をもつて所有権保存登記を嘱託する手続をふむ必要があり、これが売渡を受けた入植開拓者らに登記簿上所有名義を取得させるための現在における実際上可能な唯一の方法であること、本件土地の大部分の売渡を受けた吉田元一、久米忠雄はもとより、本件飛行場用地内の開拓用地の売渡を受けた入植開拓者ら全員は、被控訴人が登記簿上右土地の所有名義を取得したうえ右政令一四条に基づく登記手続を実施することにより早急に登記簿上の所有名義を取得できることを切望しており、被控訴人の本訴請求はこれを実現させるためのものであることを認めることができる。
他方、本件土地につき不動産登記簿上旧所有者中嶋敏雄から後に権利者として登記されている者は、中嶋敏悟、今井きよ子、山口敬三郎、藤原磨瑳夫、藤原敏子及び控訴人の六名であるが、このうち中嶋敏悟は被控訴人に対する売主中嶋敏雄の相続人であるから被控訴人に対し前記売買に基づく所有権移転登記義務を負担するものであり、今井きよ子は山口敬三郎のために単に名義を貸しただけのもので実質的利害関係を全く有しないものであり、山口敬三郎、藤原磨瑳夫、藤原敏子及び控訴人はいずれも本件土地の譲受について農地法所定の県知事の許可を得ていないからその所有権を取得しておらず、しかも被控訴人に対する関係で所有権移転登記の欠缺を主張することができないいわゆる背信的悪意者であつて民法一七七条にいう第三者から除外されるものであることは前記のとおりである。
以上の事実関係のもとにおいては、被控訴人は、本件土地のうち大部分をすでに吉田元一及び久米忠雄に売渡しているけれども、右売渡による登記義務を履行するため本件土地につき控訴人に対し被控訴人に直接所有権移転登記手続をすることを求めることができるものと解するのが相当である。
七 よつて、控訴人に対し本件土地につき所有権移転登記手続を求める被控訴人の本訴主位的請求は正当として認容すべく、これと結論を同じくする原判決は相当であつて、控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川添萬夫 裁判官 露木靖郎 同 庵前重和)
(別紙) 物件目録
三木市別所町下石野字相野南壱壱五九番
一、山林 九六壱平方メートル
同所壱壱六〇番
一、山林 参六五弐平方メートル
(別紙) 登記一覧表
(一) 所有権移転登記
神戸地方法務局三木出張所
昭和四参年五月壱四日受付第参参九〇号
原因 昭和四弐年六月壱七日 相続
住所 加古川市八幡町野村六九弐番地の壱
所有者 中嶋敏悟
(二) 所有権移転登記
神戸地方法務局三木出張所
昭和四四年壱月弐〇日受付第弐六四号
原因 昭和四四年壱月壱七日 売買
住所 三木市本町弐丁目九番六号
所有者 今井きよ子
(三) 所有権移転登記
神戸地方法務局三木出張所
昭和四四年参月壱日受付第壱四六〇号
原因 真正な登記名義の回復
住所 三木市岩宮四六七番地
所有者 山口敬三郎
(四) 所有権移転登記
神戸地方法務局三木出張所
昭和四四年八月壱六日受付第五八四六号
原因 昭和四四年八月壱参日 売買
共有者
住所 三木市本町弐丁目壱壱番弐参号
持分二分の一
藤原磨瑳夫
住所 同所同番同号
持分二分の一
藤原敏子
(五) 共有者全員持分全部移転登記
神戸地方法務局三木出張所
昭和四四年壱〇月壱日受付第七〇弐参号
原因 昭和四四年九月参〇日 売買
住所 神戸市兵庫区松本通弐丁目五の弐
所有者 光不動産株式会社(控訴人)
(別紙)売渡土地状況<省略>